Hatena::ブログ(Diary)

暇人の日記

 | 

2013-01-12 アトランダム

538:12/07(金) 21:56 [sage]

>NHKでドナルド・キーン氏の姿を見る。キーン氏は日本人以上の

>日本通だというが、日本への帰化名『鬼怒鳴門』というのは

>まるで暴走族で、日本の美学とはかけ離れていると思う。

Donald Keeneさんの日本名は、「キーン  ドナルド」で

鬼怒鳴門(きーん どなるど)は通称(雅号)だ

540:12/07(金) 22:01 [sage]

あ!唐沢が「日本の美学」うんぬんでごねないように言っておけば

ドナルド・キーン

>人物 [編集]

>本名 日本国籍を取得した際、戸籍上の本名は片仮名表記の

>「キーン ドナルド」[7]として登録した。また、日本国籍取得時の

記者会見の席上、「人を笑わせる時に使います」[8]と述べつつ、

>漢字で「鬼怒鳴門」と表記した名刺を披露した。


のだそうだ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%B3



700:12/14(金) 00:32 [sage]

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5032445

>あるイベントで、佐川さんは会場から上がった「唐沢俊一の唱える、佐川の父は事件後、

>一種のマゾヒズムの元に一政の為に奔走したとの説をどう思うか」という問いに、父を

>一語で表すことなど出来ない(そして唐沢某にその資格も無い)と激昂した。この本で

>描かれる佐川の父、そして家族との関係はマゾヒズムの一語でも、愛憎といった言葉でも

>表現しきれるものではない。そして、我々が垣間見る「人食いサガワ」も、佐川さん自身が

>そのレッテルを引き受けようと、その一語で表されるようなものではない。



768:01/10(木) 22:42 [sage]

唐沢の日記から谷崎潤一郎ネタをさがしてみた。

挿絵やドラマ化の話題ではなく、唐沢が実際に読んだ作品に絞ると、取り上げた作品が見事に探偵小説と怪奇系との

短編に偏っていることに気づく。

ここでピンとくるのが、谷崎作品をジャンル別に編集した全集(あるいは選集)が存在したこと。

中公文庫の『潤一郎ラビリンス』ではなく、昭和50年代頃にハードカバー・本文二段組の全集スタイルの本があったはず。

今回検索したが確認できなかった。)

そして唐沢の感想に、その他の谷崎作品(特に代表作)を読んでいる場合の視点が完全に欠けていることにも。

まるで、 『柔道一直線』だけを読んで永島慎二を語っているかのようなのだ。

柔道一直線』という固有の作品を語る場合なら、それでもいいではないか、と言われるかもしれないが、

例えば、永島の「線」の質を語るのに『漫画家残酷物語』の「線」との比較を伴っていなかったらどうなるか……

たとえ『柔道一直線』「だけ」を語るにしてもだ。

いや、実際『柔道一直線』だけを語るなら、それでも一応通用するだろう。

しかし、漫画マニアを自認する人々からはその論評の底の浅さが見透かされるのは必然。

とは言うのの、唐沢は叙述トリックの概念からして、間違って理解しているようなのだが…



684:01/11(金) 19:23 P [sage]

読書感想文 - Mal d’archive

http://toshinoukyouko.hatenablog.com/entry/2012/12/25/224020

>  東浩紀の「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」を久方ぶりに読んでみた。

(中略)

> 東が云うエクリチュールの定義であるシンボルとイメージの「あいだ」、

> もしくは目と耳のあいだの「空間」とは一体何処を指すのかということである。

> 「イメージとシンボルのあいだを自由に往還するエクリチュールの存在」(p.110)という記述を見ても、

> 東は「イメージ」と「シンボル」、「視覚」と「聴覚」という二分法は保持しつつも、

> エクリチュールのポジティブな定義を提示するのには躊躇しているようにしか思えない。

> 東はエクリチュールフロイトによる「不気味なもの」を併置している。

> しかし東の議論におけるこの「不気味なもの」も、不可視であった象徴的な審級が

> 可視的なものの次元にせり上がってくる、という現象以外のことを示唆しているようには思えない。

> 要するに、東が使用している「エクリチュール」とは、不可視であった象徴的な次元が

> 想像的なイメージによって侵され、それがスクリーンという表面性に現前化される、

> つまり「再現前化」以外のなにものでもないのではないだろうか。

> この時点において東自身が退けていた近代主義的な「目の隠喩」が

> ある種の特権性をもって回帰してくる。

> なぜこのようなことが起こるのだろうか。それは東が固執したスクリーン=表面性という装置が

> 構造的に要請する不可避性ではないか、と私は思う。

(編者:以下まだ続くが中略)

686:685続き 01/11(金) 19:29 P [sage]

東本の感想で久しぶりにへぇと思ったのでスレに来て貼ってみた。

(もし居るのなら)古参スレ住人の人、この指摘ってもし既出なようだったら

参考urlとか教えてもらえると嬉しいです。

687:01/11(金) 19:36 O [sage]

ニワカ乙

豚本批判は豚スレでやり尽くされおれたちアンチが大勝利した

半年ロムっとけカス

691:01/11(金) 19:46 0 [sage]

いくらクズぞろいの東スレとはいえ

一般人の文章勝手に貼るのはどうかと思ふ

ドナルド・キーン自伝 (中公文庫)

ドナルド・キーン自伝 (中公文庫)

細雪 (中公文庫)

細雪 (中公文庫)

 |