「はしたない」(非モテって結局なんだろう  を考える道すがら)

 このエントリーはid:rAdioさんのとある発言を絶賛するために書いています。

 にもかかわらず、どんどん横道にそれたのはなぜなんだろう。なぞだ。

 私の反・非モテ考で、迷いが始まったのはid:rAdioさんのコメントのおことばなんです。

要するに、モテ/非モテというのは、はっきりと特定のできる「原因」があり、因果関係で語られるような事象ではなく、せいぜい、"こうではないか" という「要因」が見え隠れする程度の、おぼろげな相関関係がある、曖昧模糊な現象なのではないかということなのです。

縁や運など、偶然の要素が大半を占めるこの種の問題を、公の場で語ろうとすること自体が、そもそもの間違いであると、私は主張するものであります。

昔人いわく、そういう行為をして、「はしたない」と称したはずです。

http://d.hatena.ne.jp/hrkt0115311/20090623/1245758656#c

 はしたない! はしたない!
 なんとすばらしい言葉でしょう。現代の死語であり、過去の美徳を象徴する単語です。
 このコメントを読んで、だから私はかなり感動を覚えたのです。そうか、こういうことに公で言及することは「はしたない」ことなのか。
 そういえば昔はモテであることを人前でさらしたり、公に分かるように振舞うこともはしたないことだったのです。街中でチュ〜するな、とかじゃなくて、俺って女からモテるというコトを前面に出すことは嫌味でありその人の評価を下げることだったんです。そしてモテている人を羨んだりさげすんだりすることも、ココロのうちですることであり、それを表面に出すことも卑しい事であり「はしたない」ことだったんです。
 その着眼点を忘れていました。モテ・非モテを公の場で語ることは、化粧を電車の中でするがごとく、はしたないことなんです。それは内なる場所で行うべきことであるんですね。ということは、モテ・非モテを内なる場所以外で目にしなくてはならない、自分がモテ・非モテのいずれに属しているかを意識する頻度が高くなっているということなのかな。ということは、つまり

「日本全国、自意識過剰」

ってことなんじゃないかなと。いや、いま飛躍したんですけどね、論理が。飛躍に見えないようになんか書かんとあかんのですが、思いついちゃったんで。ほら、これ、メモだし!独り言だし!

 ということで、横道にそれまくっています、本題の考察は。