川のお父

おまえのあき地を荒らす草の線、わたしを通せんぼする
雨の線とがいり交じる点に立つ
まるい地蔵
あれは見えていいはずのない、埋められたことへの怒り
匂いたつ吐息そのものよ

川のお父のシャベルもつ手がふうじこめたもの
掘り起こされた具合を踏みかためて、おおよろこびで
坂をかけ上がる足は肉付きのいい山びこ
いったりきたりする
唐桑のお兄から牡蠣がとどいて、火にくべていく
二人のすがたは
海沿いのぶいを横切る名札が
持ち主の子に会えない決まりを渡してくる
ほんとうの親子みたいだった

地蔵からしみだすものを受ける土手
まだ枯れてない井戸が犬小屋のとなりにあって
影の三四が
夜ごと庭でおどっていた
じわじわと水のふくらむ音がする。その底にたまるのは
川のお父とが
かたつむりを踏みしだく
ただのわき水だと言いふらすように
前を横切ってすこし
こっちを見る目が、顔一つにつき二つある

その目に一個ずつある井戸のおもてが
ちがう色の山、ちがう川。
それぞれにもつおどり場には
映り込む。
五感をたしかめるお父の指がおちている
お兄の牡蠣はまだあるよ。
蝿に手渡す殻とすり替えられた
戻れますように。
あんなにおいしかったのは
舌を研ぎ澄ませれば見えてくる底で
道具を突き刺す、なにも知らない測量屋さん。
へばりついていた
怒りのたぐいなのでした。

匂い(2013、2008、2011)

お前が蟹を食ってきたことは匂いでわかる
匂いは、物の影から立ち上るのでない。ツナぎ目が
こすれ合う音を
感じ取ろうとする鼻に付着する。筋肉の粉の
ようなものだよ
まさひさんが家だったものを
ひっくり返し、赤いペンキでバッテン描いて
日が暮れる

朝方にふる雨は宝物になる
葉にたまる雨は
ちいさな山の姿も映る
遠くの坂道も見えるそこはまたちがう山、ちいさな
わたしたちがいて、みんな鬼だった頃の
遊びをしている

二〇ぐらいバッテン描いた、と
せめて意気揚々言えばいいのに悲しむ 行き場を据える権利が
取られる
夕ごはんは今日も中身のないカレーだと
おもうそばから顔出すジャガイモが切なそうだった
年がら年中
いのちを食ったと言って何の足しになる。
わたしは食ねよ。
あー東京も今きっと満点の星空だろう 何が
言いたい。
ふらす雨雲と晴れのツナぎ目
とびこえた足だけが
もう右手の山の峠を駆けぬける
写真ならその涙もにじまないよう表面に
膜が張ってある
カき届こうにも日付は
匂いだけ

あかるいうちから夜になる

ふたご山は遠く
花火を野宿した
まな板にした体の上を
色とりどりの電車が横切っていくこの窓は
あかるいうちから
夜になる

そのことを町と呼んだとき
川に溶けていく昔
お世話になった遠藤さんが
泣いていた こわい牛を見て泣いたんだって
その牛の声は
こだまになって
ぬりつぶしたような影が落ちてくる
本当はずっと家がこわい
おおよそ
家と呼べるものがあるのなら
ひざでもないところから垂れてくる水で
すすいだ顔が
昼間の川を流れていく表面は
ふろしきのような町を
つつみこむ空が横切っていく

記憶ですむなら
おぼえておく必要なんてないんだよ 遠藤さん
りっぱな肉を身につけて
川上からやってくる
この風があたらしいんだよ あの顔も
鳴り響いているのがわかるでしょ
駅のちかくで
おおきな花火の打ち上げがあって
しかるべき場所にしかるべき石がおかれているのだ
たぶん 帰ろうとおもう場所に
家を建てるのだ

眠れ

道ばたの雪がまだ
残っていたひとを
忘れないように摘み取っていく

大丈夫、今日も旅館でいられた
顔洗うひと、ねむいひと
ねたいねたいと言うひとを
箸でつまんだ
腰の骨 ふとんなら
へやの裏にある
みたこともない場所をすこし壊した
こうした努力が
手の鳴る、もっと近くで聞こえる
死んでも野山を駆け巡る その顔は
とてもうれしそう

店先はお祝いの花をもいで帰っていくおばあさん
このあいだ さむそうな犬が
顔の力で立っていた

木製の悪霊

風習で絵を描いて!
娘がはじめて口にした音を
口にした
洗濯物を取り込むように
痙攣しているだけでよかった

おかしなことに
義足を食べて生き延びた
わたしたちが
実話だけで歩いていた頃は
死んでしまった
自分たちを整理するために
ひとの時制を暗記しようとする口が
嗅いでいた足の
においがする 娘の
悲鳴が
眠りにつくのを待っている

テーブル、角が尖った、木製の
悪霊から
足を洗うときがやってきた 頬を
テーブルの上に呼び込んだ
ずっと夜
ここに住んでいたらしい
中身のない会話に煙草を費やしている
便箋は
冬がよく燃えた

しぶとい人

もう少し
だれとでも仲良くやれる方法だけを
信じている。

要するに
病院で死んだ
いちばんしぶとい人を数えるために
音をたてている
この肺は
噛んでも苦い味しかしない
どさ回りを繰り返してばかりの草むらで
私たちは
好きで面白いことをしているわけではない
芝居みたいに
二人が
暮らした。

床いっぱいの落ち葉に含まれている
緑色の成分で
名前をつけてやる。

拝島

拝島

昨日の夕方の話、私は十二歳の頃の私と出会った。でも話で聞くよりかは全然なつかしいとか悲しいとかなくて、むしろ拍子抜けして、というよりかはまるで気が付かなくて、今も気付いてない。気付いていたら何か思うこともあったはずなのだ。案外ちゃんとしてたんだなとか。まあ十二歳なんて動物に毛が生えた程度なんだし、ちゃんとしてたも何もないんだけどね。大学の友だちの結婚式の二次会の帰り、新宿駅東口をすこし歩いて西武新宿線、所沢方面行きに乗り合わせた私は高田馬場で降りなかった。当たり前だ、だって十二歳の頃は高田馬場に住むだなんて思ったこともない。でもその私が考えたこともない証拠なんてあるのだろうか。確信はない。電車を降りた私は話しかければよかったかもしれない。でも話すことなんて何もないし予言みたいなものを話したところで信じてもらえるはずがない、私が十二歳なら全部ちがうことをしてみせる。そういえば高田馬場から新宿を往復する最短距離以上にこの電車を考えたことがない。なぜならそのときようやく考えることができたからだ。電車は距離を時間で考えさせてくれる乗り物だ。でもやっぱり拝島あたりで考えは止まっているかもしれない。それなら拝島以降を考える私がそれを担当するのだろう、気付いた私がこの時間を強く担当しているように。それに、新宿は人がたくさんいる。さっきみたいに新宿のあちこちで目撃証言がたくさん出てきて、拜島のことを考える私も、あるいは知らないうちに死んでしまった私もいるはずだ。きっとこの文章を考えて、文字に起こして、住所を書いて切手を貼る私もいるだろう。なんかやだな、そういうの。この私が死ぬまでちゃんと取っておけよと思う。まずはそのための言葉を考えることから初めて見る町並みを、初めて見る町並みだと思えるだろうか?