ジョブス

アップルのスティーヴン・ジョブスが病気療養のために休暇に入ったとのニュースが出た途端に、アップルの株価がガック〜ンと下がり、テレビやら新聞はそれをまた大きく報じたようであるけれど…。
なんだか口惜しいような感触をボクはいま味わう。
ボクはジョブスの中に織田信長をみているような感じをズッと抱いていて、だから、常々に彼を好きなのでもあるけれど、少なくともニュースを見るかぎり、その報じ方の中に、
「ごくろうさん、ちょっと休んでね」
な感触が露たりと、一滴ともない事に寒い思いを抱くんだ。
まず、マチガイもなく、彼がアップルのトップに戻って、例のiMacを発表してからの進撃は、この地球における"文化"の様相を一変させるすさまじい出来事だったと… ボクは思う。
ウインドウズ・マシンは人を経済という名の活動の前線に送り込む装置として秀逸であったから90年代を席巻したのであろうけれど、iMacは経済の前線に出向く装置ではなかった。
それは、経済を主眼にした戦車としての装置ではなくって、戦場の跡地に新たな都市を築くための義勇軍みたいな、維持とその拡大ではなくって、想像するがためのヘルパーとしての感触をにじませたものだった。
"We"でなく"i"なのだと、経済活動に邁進する集団としての人ではなく、"個"を振り返れとの密かな指標をもった装置であった…。
この"i"への追従は世界中でいっせいに起きたし、実際、例としていうならミツビシのアイムーヴなる車名も、その追従の一環ということになる。むろん、名の表層をすくっただけのショ〜もない次第だけれども。
…………………
アップルが、
ビートルズの曲をiTunes で扱うようになったよ〜!」
な大宣伝をアチャラコチャラ世界各国のネット状のコンテンツ内に広告として流し出した時、ボクは嬉しいのと同時に、
「ジョブスは彼の大きな夢を果たせたな…」
と、祝福と共に、なんだか一つの大きな急峻な流れが海にたどり着いたような、"終わり"な感じをも受けたんだけど… あんのじょうか… ジョブスはここでいったんの休養宣言を出したワケだ。(三度めかな)
ガンが進行しているのであろうと思うと、愕然とさせられるが、同時に、ジョブスの中での大きな目標だったものが達成されてしまったという感慨もある。
かつてアラン・ケイが提唱した"未来のコンピュータ"をジョブスはiMacからiPod、そしてiPhoneiPadというカタチを提示させたことで、いわばクリア、いわば突破したとボクは感じる。
その上で、彼の長年のヒーローであり理想であった"想像家"としてのビートルズを自身の社で販売できたコトで、彼にはちょっと当面に、自身の中の大きな目標を見いだせないといった良い意味合いでの飽和状態に達したのではないかしら? と愚考するのだ。
が、マスコミも経済界もが、彼に期待するばかりだから、彼が病いの療養のために社を休むと発表した途端に、株価の下落ということになる…。
いっそ逆に、"人間の道理"で考えるならば、彼が休養するといった途端に株のお値段はアップしなきゃいけないと、ボクは思ってる。
が、そうじゃない。
江戸期の紀伊国屋文左衛門みたいな、商いを本道とするけれども人の道理はけっして外さないといった空気も感触も気概も、今の地球にはどこにもない…。
たぶんに、ジョブスの哀しみはそこにあろうかと思う。
信長にもボクはそんな面を感じる。
比叡山の焼き討ちは残虐非道と今もいわれる。
けれど、比叡山の、その宗教の名の元の強靱で暴虐な武装勢力を壊滅しない限りには日本というカタチを一本化する筋道ができなかったワケだ…。よくよく誤解されているけれど、信長は宗教を弾圧した事はない。彼が滅ぼそうとしたのはあくまでも武装した集団としての比叡山だった。
両者ともども、類例なき先駆者だ。変えて行くことを使命とし、それを徹底した。
先駆する人は常に、うとまれつつ期待され、期待されつつうとまれる。
うとまれつつも模倣され… 信長でいえば、それは秀吉の中で萌芽した。というか、その表層部がコピーされた。
ジョブスの場合はおって知るべし… 何なのだ、あの「ガラパゴス」なるコピーなデバイスはという案配。
ともあれ、世間ちまたの動向はさておき、ボクはうすうすと感じてるんだ。
たしかに体調かんばしくなく、余命のカウントダウンが耳に届くやもしれぬという危険もあろうけれども… ジョブス氏は少なくとも彼がめざした目標をクリアしてしまったという感じが濃厚にあると思うのだ。
人のカタチというのは複雑であると同時にヤケに単純でもあって、ジョブスの中の"アップル"というカタチは何だったのかを、今いちど検証しておいた方がいい。
彼はアーチストの魂を持った商売人の極地にいる人だ。
強力極まりない権力を勝ち取って、君臨し、我を通すコトも出来た。
が、アーチストになれない自身を知っている人でもあろう。
だからこそ本物のアーチストたるビートルズにこだわったのだし、彼はその楽曲を自身の社で配布出来る正当な権利を誇示することでビートルズの仲間に入った… ワケなのだ。
むろん、それは誤解だし、けっして同列なワケもない。
その図式をも含めて、永劫にアーチストにはなれない不遇な哀しみを彼はたぶんよく判ってる。
でも、自らが敷いて成功した路線にそれを乗せるコトは出来たワケだ。
充足、満足… そして、ちょっとした停滞。
自身の身体の不調。
ボクはiMacが、あの半透明なボンダイブルーなコンピュータが販売された直後、幕張のイベント(マックワールド)で彼とごく至近に接したことがある。
むろんに彼は雲の上の人だから、しゃべったワケもなく、ただもうソバに居て彼を見たというだけのコトなのだけども、彼は黒い例のトックリセーターを着て、当時の日本支社の代表だった原田氏(今のマクドナルドの日本法人CEOだ)と並んで幕張の会場内にいる客の動向を眺めてた。
彼らは階段の踊り場に立って見下ろし、ボクはたまたまその下を通って、その存在に気づいたワケだけども、その頃のジョブスはまだいささかにふくよかな体躯だった。
それが近年、髪が抜け、ガンジーがごときに痩せてしまったワケで、誰がみても、
「うっそ〜! アンタ、だいじょうぶ〜なのかい?」
と、心配する有様なのだった。
が、一方で、そのような風貌になったコトで一種の求道者めいた、まさにガンジー的な、あるいはジョン・レノン的な詩的イメージが生じたともボクは一フアンとして感じもしたけれど、なんにせよ… 同時代人として、彼の健在を願う次第だ。
彼の中では大いなる目標が達成されたと予感もするけれど、一人の生ある生き物として健在たれよとボクは強く願うのだ。
前記の通り、ジョブスがまた休養すると報じられた途端に株を売った数多の御仁に、ボクは嫌悪する。
"経済"で動いてる世界のつまらなさ…。
それを我が身で一番に感じているのが、ジョブスであろうとも思う。
この世がチッともクリエイティブでない、ぬるま湯以下の残念なものと感じているのがジョブスであろうと、思う。
さりとて、日々刻々に期待を一身に背負わされた身の上にかかるストレスの超大さは、尋常なものではないだろう。
闊達に新製品を販売するたびに彼は自身の中の矛盾を大きく膨らませてもいたろう…。結局は"経済"という名の活動に埋没しなきゃいけない哀しみを何トンもの重圧として肩の上に感じたろう。
そこに誰も言及しないことに哀しみをおぼえる。
もはやiPad以上の何かを彼にボクは期待しない。
疲弊しきっていると思われる彼の身体が、回復することだけを強く願う。
ビートルズをアップルで扱う事を可能にしたことで、クリエィターとしての彼の炎は今、ちょっとした充足に満ちたものであろうかとも感じさせられている。
いっそボクは、彼がこの身体の不具合を克服したら、ライ麦畑の農園主になったとか… そういった感じで、IT系な世界とは離れたところで笑ってる姿を夢想したいのだ。