ノーチラス-06 日本少年

埃をかぶった棚の並びから久しぶりに1枚レコード盤を取り出しました。
1976年の春に発売された、あがた森魚の『日本少年 』。
日本のロック史においての希有な特異点というか、大のつく傑作と思ってるアルバムです。

こうして久しぶりにジャケットに触れると… やはりでっかいですね〜、LPレコードというのは。
が、それゆえに迫力を持ちます。
CDの時代になって以来ボクはアルバム・ジャケットに感銘を受けたコトがないけど、LPの時代は中身よりもジャケットが気にいった… なんて〜コトがいっぱいありましたな。
この『日本少年』はジャケットも中身もバツグンな光輝をもっています。
豪奢2枚組。
北海道は函館の港町。そこに住まった少年の夢想の世界漫遊の船旅といった趣きの、いわばロック・オペラ。
あがたのずば抜けて素晴らしい歌詞楽曲を細野晴臣がプロデュースし、バックのミュージシャンとして山下達郎大貫妙子矢野顕子鈴木慶一やらやらやらが務めるという… そうでなくとも美味い宮城は大崎平野ササニシキデンマーク産バターをのせ、香りたかき龍野のお醤油で混ぜていただくような… おかずはなくともボクちゃん3杯食べちゃったな、満足具合120%なアルバムです。
この2枚組のほぼラストに、「ノオチラス艦長ネモ」という曲があります。
この曲のみを抜き出して褒めるというのはいささかヨロシクなく、あくまでも本作はトータルコンセプトなアルバムとして聴くべきなのだけども、あがた森魚が極めて真摯かつ濃くに『海底二万里』を読んだ形跡が垣間見えて、ボクは大好きなのでした。
ネモの苦悩が歌われつつも、細野晴臣の編曲構成はあくまでも根底に楽しい森のポンポコ狸なお囃子的演出があって、そのバランスの妙を聴くたびに味わえるというのも嬉しい感触。小説で感じるネモの暗い部分と明るい隠遁者な部分のせめぎ合いやら、うねりやらを、音楽でもって聴くという感じ。
このうねりはただ「ノオチラス艦長ネモ」のみにあるのではなく、最初の1曲めから2枚目の最後の曲まで、だれる事なく続きます。
函館在住の中耳炎に悩んでる少年の実に私小説的なモノローグたる「洋蔵爺のこと」あたりの沈んだ暗い色調と「さぼてんボリボリ」あたりの戯画的アッパレな明るさとが、混然と溶け合って、やがて、かの山田長政をモチーフとした夢幻的な「採光∞無限」に導かれる過程には、ネモ船長の"存在の不思議"を見るに似た感触をおぼえさせられ、ゆえに何度聴いても鮮烈が湧いて煌めくような色あざやかな傑作だと、ボクは確信しているのです。
ジュール・ヴェルヌはアロナクス教授の眼を通して海底の旅を描きましたが、あがた森魚は音楽でもって何万里かの漫遊を試みたという次第でしょう。現実とそこからの浮遊と沈潜の度合いが大きいのもイイ。
またこのアルバムではプロデュースの細野晴臣の、エキゾチックなMartin Denny的サウンドを咀嚼しての後のYMOに符号する音作りの方向性もクッキリと見えて、そこもまた顧みて楽しいです。
とはいえ… 実はこのLPを聴こうにもプレーヤーが今はないんですな〜。
ないことはないけど、倉庫にしまい込んで久しい。
なので聴けない。
CD版を買い足すというのも、なんだし…、しばしはこうして、ジャケットを眺めて音楽を想像するというので、マ、いいか… と思ってます。

去年に撮ったあがた氏とわたし