Hatena::ブログ(Diary)

月のひつじ

2018-05-18

NOH-能-BOY Part4 鉄輪

西城秀樹さんと星由里子さんとマーコッド・キダーさん。御三方とも20年早いようで…、残念。

––––––––––––––––––––––––––


この前ご近所の神社めぐりをしたせいではないけど…、久々に、能を。神社が舞台な曲を。前回はコチラ参照。


『鉄輪』。

ちょっと前までは『鐵輪』と旧字体で書かれていた。カナワと読む。

男に捨てられた女。その情念話。

幸いかなDVDが販売されていて、映像観賞しても凄さが伝わる。

f:id:yoshibey0219:20180518041843j:image


どう凄いかといえば、主人公たる女が情念の炎で身狂って、安倍晴明に目的は阻まれるものの、いやそれゆえに怨みを背負って鬼と化して舞台から去る…、というその顛末だ。

道成寺』のように、鬼と化した女が最後であきらめ川に投身し、いわば成仏するという予定調和じゃない。

『鉄輪』は、1人の女が鬼となり、鬼のまま闇にまみれる。

晴明の呪術で本懐遂げられず、舞台としての山中の貴船神社から一時去るのみで、消滅したのではなく、怨念妄執は温存して山中に消えるという、その消息っぷりが怖いんだ。

映画のようにいえば、これはパート2につながる結末。しかし、能にパート2はない。解決してはいない妄執の行方を不明のままに能舞台が閉じられるんで、そこがとても怖くて素晴らしい。


f:id:yoshibey0219:20180517182812j:image

f:id:yoshibey0219:20180517182852j:image


いったい、どこで拍手してよいか皆目判らない…、進行と終了も凄いし、これが600年以上も前の作品と思えば、2重に凄みが増す。

いやだからこそ、DVDでなく実際の舞台を眼にしたいワケだ。

( DVDは、観世喜正が女を演じ、貴船神社の杜人(とじ)を野村萬斎が演じて歯切れが良い。安倍晴明役は萬斎でなく福王和幸


この物語での季節は判らない。

けども厳冬の時期がよいよう思える。魔は夏に限らない。むしろ厳寒のみぎりを山中の神社に向かう凍えきった鬼気こそが、のぞましいよう思う。

時間は夜中の2時過ぎ、いわゆる丑三つ時、舞台設定は真っ暗闇の神社の中。


f:id:yoshibey0219:20180517182548j:image

※ 実際の貴船神社参道


ま〜、今でこそ貴船神社と界隈は川の上にかかった鮎料理の座敷とかで京都の観光スポットだけど、明治以前のそこは白昼はともあれ夜ともなれば深閑として真っ暗。月明かりがなけりゃ、自分の指先さえ見えない真闇に佇む神社だ。

そんな場所に夜中の2時にただ1人、邪念をもって出向くというのが、この物語の凄まじさであって…。

だから、現在のLED照明装置で照らされての舞台じゃ〜いけない。

蝋燭のほのかな薄明かりの中にあるべき芝居だし、可能なら能楽堂の暖房を切っての観賞がいい。このDVDでは一部に電気照明があるようだけど概ねはロウソクのみで演じられ、これが見どころ。


f:id:yoshibey0219:20180517183024j:image


じっさい、まだ鬼にはなっていない夫人が真夜中2時の山中の寺に向かうシーンをDVDで観るに、それは橋掛かり上で10数分続くが、前シテ(観世清正演じる女)の所作は暗中を手探りしつつ寺へと向かうという暗中恐怖な構成だと判る。


f:id:yoshibey0219:20180517183157j:image


鬼になりきっていない女の心の情動が、その10分ほどに揺らいでは明滅している。真っ暗闇の山中だよ。彼女は眼で足元を見てるワケでない。妄執が眼となって神社に向かってるんだ。

それを蝋燭の灯りのみで観たいな〜、この岡山で直かに。

(前にも書いたけど、新造される山陽放送のビル内に能楽堂が造られる予定だよ)

いや、あのね…、DVDのカメラって感度が良すぎなの。蝋燭の光で人間が見る以上に映ってしまって、何のコトはない、いくら舞台設定を暗くしてもカメラレンズが明るくしちゃって、ちょっとダイナシ…、もったいない。とはいえDVDで鑑賞できるんだから文句いってるバ〜イじゃなし。


電灯は明治以後のもの。それ以前の能は夜間の場合、蝋燭が唯一の照明だから…、『鉄輪』の余韻は相当に大きかったろう。

暗中模索で神社にやって来た女は、そこで彼女の到来を待っていた安倍晴明の祈祷でもって一切を阻まれる…。彼女の極めて個人的狂おしさは晴明の登場によって、いわば社会的規模でもって駄目と烙印される悲劇へと増長し、鬼女とならざるを得ないカタチへと収斂していく…。

この曲はあくまでも女を捨てた男性側の原理に基づいちゃ〜いるが、女の気分に則して接するや、その口惜しさは尋常でない…。

「巡り逢ふべき時節を待つべしや、まづこの度は帰るべし」

と、これが舞台上での最後のセリフ。怨みの黒い炎にたぎりつつ山中に消えていくんだ。

f:id:yoshibey0219:20180518041846j:image

600年前、本作が創られ上演されたさいは…、上演後の周辺は真っ暗なんだし、観覧者は、舞台から去った鬼女がそこいらに秘そむような恐怖を味わいつつビクビクしつつ街灯のない闇の中、ある者は徒歩で、ある者は牛車で、家路についたんじゃ〜なかろうか。

観賞者ではなく体感者となるワケだ。室町期の当時、身辺の女性を弄んだ男はきっとイッパイいたろうし…。

だから帰路にいたる過程でヴァーチャル体験でなくリアル感覚として、能の闇に蚕食されるワケだ。


f:id:yoshibey0219:20180517183304j:image

※ 現在の貴船神社ライトアップで怖くない。


貴船神社の由来を読むと、同社は、万物エネルギーである"氣"が生じる根源の地、「氣生根(きふね)」であったらしい。

女が鬼女に堕ちたのもまた、その"氣"が生じたもの…、"氣"は「負」の側にも強く働くエネルギーというコトになるのかしら? うまいところに眼をつけたもんだ、『鉄輪』は。

安倍晴明の祈祷はその場での鎮めにはなったけど魔の消滅にまでは至らずで、結局、最大ポイントは、貴船神社という「フィールド」の濃さを影で物語っているとも… いえなくはない。

昨今の靖国神社への奇妙な傾倒傾斜にみられる通り、神社という空間が日本人にどう作用するかという点でも、この曲、底が深い。

最近の『スターウォーズ』がテーマにしてるダークサイドの何チャラってのもこの「鉄輪」的領域に属するものかもしれないけど…、スターウォーズのはちょっとチャラいんで、ここでは一緒にしない。もうちょっとガンバッて脚本を練らないと…、600年前の作品にカナワない。

ちなみに作者が誰だか不明。


f:id:yoshibey0219:20180517183419j:image

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証