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月のひつじ

2018-07-18

冷血


真備や倉敷方面がメチャになって以来、毎朝、我が宅の上空近くを自衛隊ヘリコプターが4〜5機、東から西へと飛んでいた。

どこかの基地から支援に出向いている。

夕刻の5時頃、今度は西から東へ戻っていく。

それが日にちを増すに連れ、少しづつ機数が減って、今朝は1機も飛行しなかった。

ある種の段階が過ぎたというコトだ…。むろん、ハッピーエンドを意味しない。


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※ 真備の模型店「エラヤ」の惨状。朝日新聞ネット版のスクリーンショット


フィリップ・シーモア・ホフマンの遺作となった『カポーティ』は、彼がアカデミー男優賞をとったり、作品賞など5部門でノミネートされたりと話題の作品だったけど、今ひとつという気がしないワケでもなかった。

むろんホフマンアカデミー賞に輝いたのはアッタリマエくらいに思うし、『ツイスター』での竜巻観測員や、『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』でのCIA局員で、彼にはアカデミー賞助演男優賞をあげていいと僕は思ってたから、おそすぎるくらいだった。

けど、『カポーティ』は映画としては、あまり刺さってこなかった。

『冷血』を書き上げるためのトルーマン・カポーティーの苦悩が、今ひとつストレートに伝わってこなかった。


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まったくの赤の他人である田舎の善良な家族全員を惨殺した2人の若者は逮捕され、やがて死刑に処せられるが、その過程でカポーティは徹底した取材を行い、獄中の彼らにも接していく。

その行いの残忍に戦慄し、罰は当然の報いと思いつつも、同時にまた、牢の中のその若者に人間をみる。一種の救済を願わなくもないという心も動く。

しかし、既に全米で名の知れた『ティファニーで朝食を』の原作者で有名人でもあるけどカポーティは一作家に過ぎない。牢内での犯人との面会という特権は得ても、彼には何も出来ない。

この題材を作品化させたい気分は、時に、牢中の犯人に嘘もつくことにもなる。筆が進むに連れて周辺の期待も高まる。刑死を前提に書く以上、さらには2人の若者の早い死刑を望むというようなことにもなる。

だからカポーティはゆらぎ、ゆすられ、ぶれる。

そして刑執行の日、面会した直後、刑場で吊られる若者をみる。

自ら、ノンフィクション・ノベルと名付けた手法による『冷血』はその後に書き上げられ、1966年に出版されて以来1500万部を越える超メガヒット作となる。

この作品ではカポーティは自身の主観を排しに排す。

けど…、カポーティ自身は、この”事件”から足を抜け出せない。殺害された家族、処刑され彼の眼の前で吊られて痙攣を起こしながらやがて動かなくなった2人の犯罪者の死が、彼から離れない。それでいて自分という作家は本にまとめてしまった…。被害家族の死と犯人らの死を下敷きに彼は巨額の印税を受け取る身になり…、タイトル『冷血』は自身に跳ね返っている。


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ま〜、そういう経緯を知って、だいぶんと前、この映画を見たわけだけども…、刺さってくるものの感じが薄かった。

100くらい感じたかったのに、40くらいしか、情動しなかった。

これには、カポーティーという実の人物の繊細を、充分に僕がまだ皮膚感として理解していないからだろう。

だからこの映画は、まずそこの部分、彼が尋常でない繊細を持った男であるのを承知の上に承知を重ねて観るべきなのだ。

そうでなくば、彼が『冷血』以後は長編をただの1冊とも書き上げられなくなる事実もまた見えてこない。

しかし、ごく最近、再見しようかなという気になっている。


オウム事件の犯罪者たち7名の一斉死刑があった前夜に、その執行の最終決定者たる上川陽子法務大臣首相らとパーティし、笑顔でピースしちゃってる。

この衝撃が大きかった。

人7名を一気に死刑にするゴーサインを出した人が、執行の前夜、平然とピースだかヴィクトリーサインだかで指を突き出し、カメラに向かって笑ってる。

驚いた。

巷じゃ、その議員パーティが大水害の警報が出てるさなかだったゆえ、その事で非難されるようだけど、死刑を明日執行しようという法務大臣やら首相がお酒のんで楽しくピースしちゃってる、その心情の置きどころに戦慄した。

冷血が、ここにいる。


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※ スクリーンショット


僕は必ずしも死刑反対を唱える側にいない。が、そうであっても、オウム事件の一斉処刑は余韻をひく。腑に落ちないままに幕を下ろされた感も濃ゆく、不快が残滓する。

もし自分がゴーサインを出す立場にいたなら、たぶんゴーサインを出せない。仮りに出せても、刑の前夜は落ち着かない。カポーティではないけど、ゆれて、ぶれて、ぐらついているはず。

ところがこの上川という大臣は、大量死を決め、その前夜に笑顔でピースだ…。

ありえないでしょう、その振る舞いは。

いっそ、この厚顔かつ冷血な人物を題材にした映画を造ったがいい。そう思うくらいに気分が悪い凄惨な光景だった。


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先月に亡くなった加藤剛が犯人役だった松竹の『砂の器』(1974)は、松本清張の原作から複数の因子を外し、ハンセン病にテーマを絞ったことで視界を明快にし、さらに芥川也寸志のオリジナル交響曲で加藤演じる気鋭の音楽家の”心のカタチ”を耳に聞かせてくれて全体の輪郭を際立たせてたけど、刑事役の丹波哲郎が調査に調査を重ねたあげくに確信を積みあげ、逮捕理由を警察署内での会議で披露するシーンは圧巻だった。

丹波は声が次第に枯れ涙声になるのを懸命にこらえている。

犯行に及んだ犯人の生い立ちと被害者の善良のその歯車の軋みに同化して、ついに大勢の署員の前で落涙する。予期しない涙だった。あの『大霊界』のヒトが犯罪者たる人物の心情に触れ、泣いている。

思えば、『カポーティ』のホフマンもそうだった。死刑直前の面会シーンだ。演じるうちに感極まった。メーキング映像によれば、予定外の涙ゆえ、ふさわしくなくカットすべきとの意見もあったようだ。


そんな情動を…、こたびの死刑執行の責任者たちからは、皆目、感じられない。笑顔のピースには心のコの字も顕われない。

これほど寒々しい光景もそうない。

けどまた一方で自分はどうなの? そう跳ね返ってくる。

なので『カポーティ』の再見を…、思ったんだ。

でもまだ、たぶん…、繊細の目が荒すぎて電圧が足りない。

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