Hatena::ブログ(Diary)

月のひつじ

2018-05-27

アラン・ビーン

数多くの宇宙飛行士の中、ダントツに好感をもっていたのが、アラン・ビーンだった。

昨日、体調を崩され亡くなった。

86歳。


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※ 1969年10月。アポロ12号を背景に記念撮影。右がビーン。source: NASA

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アポロ12号での月着陸とスカイラブ計画での活躍後は、画家としてず〜〜っと宇宙を描いてた。

繰り返し繰り返し、月面でのイメージをキャンバスに描き続けてらっしゃった。

何冊か画集も出ている。

幾つもの画廊米国)が彼の作品を扱い、高額のプライスになってもいる。


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※ Is Anyone Out There (2006年) source: Heritage Auctions

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※ Skiing the Mountains of the Moon (2008年) 


けれど、必ずしも正当に画家として評価されきっていないのが、惜しまれる。

1つには表現として上手で革新的とは言い難い絵そのものが原因だろうけど、稚拙さをあえて隠そうとしないストレートな感情表現にボクはすごく引かれ続けていた。

月へ出向いたことを、月での体験を、真摯なまでに引きずり続けた彼が、素晴らしい。

他の天体に出向くという行為のすごさを、彼は絵でもってず〜〜っと訴え続けていた。その意味をずっと探り続けてらっしゃった。自身の中に萌芽したものを何とか手繰り寄せようとして描き続けてた。

それゆえ、老いた身体から開放された彼のタマシイが、今頃は、月面で悠々の闊歩を踏み出しているんじゃなかろうか…、そう願わずばいられない。

コンラッド船長と2人して、月面史上初の騒々しい大騒ぎを、またヤッてるんじゃなかろうかと、思いたい。


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※ The Fantasy~Conrad Gordon and Bean~ (1992) source: Heritage Auctions

2018-01-09

なぜSW…


ジョン・ヤングが亡くなった。

享年87歳。

と書いても、ニール・ヤングは知ってるけど、誰?

概ねこの人物を知る人は少ない。

でも、ボクにはヒーローの1人だったから、

「また地上の星が消えた」

哀悼しつつ、寂しく思う。(没したのは5日)


彼は、ジェミニ計画時に2回宇宙に出、次いでアポロ計画でも2回、さらにスペースシャトルで2回と、60年代からなが〜くNASAで活躍した宇宙飛行士だ。

なぜヒーローかといえば、この人の反抗的振る舞いに好感していたから…。

巨大な体制の中の限りなく上層にいながら、ジョン・ヤングは名の通り、若さを、怒れる若者の気風を失わない人だった。

1965年ジェミニ3号でのフライトではこっそりサンドイッチを船内に持ち込んで喰い、当時の常識であった宇宙では練りハミガキのチューブみたいな液状食品でないとダメに反撥をみせてNASAを揺さぶった。

アポロ10号での月着陸への予行演習(月面に降りなかっただけで次の11号と同じ飛行行動)ではNASAが"科学的"に準備し推奨したビタミン補強としての船内食料の1つオレンジに対し、

「食すたびにガスがたまり、とても臭いオナラが出る。極小の閉じた空間で3人の男が10日以上を過ごすコトを考えろよ」

フライト後、医療関係者に盛大にイチャモンをつけた。

後のNASA用語のオレンジ警報(Orange Alert)はこれが語源というジョークもある。

スペースシャトル計画がはじまると、計画の卑小さを徹底して批難し糾弾した。

けども、シャトルの第1回めの試験飛行のさい、はたしてグライダーとして機能するのかしら? 危ね〜ぜ…、の声をよそに、彼はコロンビア号の船長として搭乗、見事に操縦して重責を担い、シャトル使用の道を開いた。


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この人の、ただの文句野郎ではない気質がボクは好きだった。

NASAを運営する方々や現場の方々にとって、たぶんジョン・ヤングは煙たい存在だったような気がしないでもない。

けども、例えば転じて『スタートレック』のカーク船長の振るまいを眺めれば、会社(軍)のいうコトを何でも素直に受け入れるのではないヒネクレが、カークをカークたらしめているのと同様、ジョン・ヤングはそのモノ言いによってヤングをヤングたらしめ、結果として組織を強固にする粘着材的存在だった…、とそう思えて、な〜かなかこの人、頼もしくカッコいいのだった。

神経質そうなその顔立ちも好感だったし、そこに濃い印象が残って、ボクの眼にはいわば"名優"の1人として映えていた。

あらため謹んで、冥福をいのりたい。


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※ 月面で星条旗に敬礼するジョン・ヤング船長(1972年4月のアポロ16号)


さてと…。

1月は各種パーティの月。大小の集いが幾つかだけど、それは置いて、ジョン・ヤングの訃報を知ったゆえ…、宇宙がらみで、今回はすすめる。


最近のこのブログを読んだか、

スターウォーズお好きなんですね〜」

先夜、某にそう云われ、むず痒くって苦笑した。


だって、ダースヴェーダー誕生篇たる99年から05年にかけての3本はDVDすら買わないほどに評価しちゃいないし、シリーズを通してフィーバーしているワケでもなく、平たく好いてるというには遠い。

だから、その指摘がむず痒ゆかった。


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なるほど、はるか前の第1作や2作目が公開された頃は過熱し、夢中になりましたァ。身辺にはSW関連なグッズも点在する。

けども回を増すごとトシを増すごと冷却が進んで、遠縁の子を眺めてるようなクールダウンした気分の方が、今は高い。

ジョン・ヤングじゃないけれど…、賛同でない批判の立ち位置に往々にして、いる。

だから苦笑した。


1977年 新たな希望      70点

1980年 帝国の逆襲      75点

1983年 ジェダイの帰還    45点

1999年 ファントム・メナス  5点

2002年 クローンの攻撃    5点

2005年 シスの復讐      3点

2015年 フォースの覚醒    55点

2017年 最後のジェダイ    50点


点づけるなら、ま〜、こんな感じ。(スピンオフ作品は省く)

SFとして評価できず、ファンタジーっぽいスペースオペラとしても評価できず、要はシリーズでなく単品で、せいぜい最初の2作があれば…、それで良いという程度なもんだ。


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工作を進めている模型とて、これはある種の卒業製作みたいな気分が濃ゆいし、ミレニアム・ファルコンという宇宙船が好きなのは、これがCGでなくって模型撮影されたアナログ時代のモノだから…、だろう。

マペットのぎこちない動きのヨーダがCGのヨーダよりはるかにチャーミングだったのと同様、スターウォーズにボクは手作りな感触を欲くしてるんだろうな。

撮影で使われたオリジナル模型の、その同寸のレプリカという点も、好もしい。

ま〜、もっとも…、そのサイズと重さゆえ、工作にナンギしてるワケだけど。


だから熱狂して映画館に出向いてるフアンではなく、とはいえ、ウダウダ書いてるところからして、嫌いでないコトもまた確かで…、スターウォーズはある種のバロメーターとして"機能"しているような気がしないではない。

若い頃に体感した熱の残滓が新作があるたび古傷が疼くように少しホットになるみたいな、そんな感もチラリ。


宇宙モノで…、大好きで〜す、と云えるのは、たとえば1954年の『宇宙戦争』あたりかな。

当然に映画館で観たワケでなく、中学3年の頃に自宅の白黒TVではじめて見て…、ビックラこいたよ、これには。


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火星からやって来たマーシャン・ウォー・マシーン(侵略戦闘船)のデザインが秀逸で完璧。

友好出来ると信じた牧師が瞬時に焼かれるシーンや、その後の圧倒的な戦力差の描写、パニックに陥ったヒロイン、原爆を使用して対峙したものの平然と浮遊するマーシャン・ウォー・マシーンの描写、暴徒と化した人間の悪性、追い詰められた人々が無力と判っていても教会にすがる描写などなどなど…、今観ても、どのシーンも素晴らしい。


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マーシャン・ウォー・マシーンが複数のワイヤーで吊られているのは画面上でハッキリ見えてしまってるんだけど、そこもまた良くって…、結局、それを見てるコチラは頭の中でワイヤーを消去しつつ観賞してるワケだ。

だから、映画に"参加"してると云ってイイ。

この"参加"が映画のツボかも知れない。

今時のCGは、その参加を拒んでただ見せてくれるだけでね…、つまんないのさ。

スターウォーズもそうだ。


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今、ミレニアム・ファルコンのでっかいのを工作しているのは、そうやってボクは、いまさらに"参加表明"を行っているようなもんだ。

むろんキットをキットのままに組み上げるみたいなツマンナイことは、しない。

改造し、追加し、頭の中のミレニアム・ファルコンをカタチとして掌握しきりたいワケなのさ。

映画のプロップ1つに哲学出来ちゃうホドの年齢に達して…、哀しいような悦ばしいようなゼッタイ的自己同一矛盾的おかしみもおぼえるけど、でも、ま〜、数歩さがってみれば、多くの方にはど〜〜でもイイこと、

スターウォーズお好きなんですね〜」

一言で括っちゃえるようなモンですけどな、こういうのは。

2017-03-12

多少修正

金曜の朝刊で再び「びわのみ文庫」模型を取り上げてくれ、とってもありがたいとは思うのだけど、若干、誤りがあるので… ここで修正しておきたい。

「びわのみ文庫」のコトではなく、模型仕事に関しての記述…。


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アポロに関してのコメントに取り違えがある。

「着水時のエアバック…」というくだり。

それはアポロではなく、マーキュリー計画での話なんだ。

記者氏はとても熱心真摯で好感大なのだけど、米国のスペースシップ開発はヒストリーに起伏があって、ちょっと混乱されたようだ。

ま〜、話し手のボクがうまくお伝え出来なかったという次第がヨロシクないんだけど、月へヒトを送るには段階があったワケなのだ。

マーキュリー計画

ジェミニ計画

アポロ計画

この3段階を経て、1969年の7月にヒトは月に降り立った。

マーキュリー計画はアイゼンハワー政権だった1959年にはじまり、当初は月に行くなどとは誰も思っていない。ソ連が人工衛星を打ち上げて1歩を先んじたから、その対抗として、人間を地球周回軌道に乗せ、無事に帰ってくるというのを目的にNASAが組織され、計画が動きだした。


しかし1961年の4月にソ連はガガーリンを打ち上げ、地球周回に成功する。

あわてる米国

2ヶ月後。アラン・シェパードを搭乗させたマーキュリー3号で、15分に満たない弾道飛行に、やっと成功する。

すでに1957年の時点でスプートニクを周回させ、さらにガガーリンを周回させたソ連と、たった15分の弾道飛行が出来ただけの差は大きい。

ソ連に負ける… という恐怖と萎縮にプルプル震えた米国民を鼓舞したのが、共和党から民主党にと政権が変わっての、ケネディだった。

たった15分の飛行が出来た月の月末(5/25)、ケネディは、

60年代が終わるまでに月にいく」

議会で、ぶちあげた。

あと、9年しかないに関わらず、だ…。

技術も組織も施設も何もない状況で、ある意味、これはホラ吹き男爵の、あるいはドンキホーテの誇大妄想そのものだったけど、ライス大学の演説(ライス大所有の広大な土地がNASAに提供されたさいの記念スピーチ)でケネディはさらに畳みかける。

「ないからこそ、やるんだ」

意志を決定的にした。

そして加え、

「莫大な経費がかかるかもしれない。しかしそれはあなた方が消費するタバコの税でまかなえるんだ」

夢想と現実を実に巧妙に合体させ、国民一同を納得させ、かつヤルキをおこさせた。


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※ 大統領に就任した朝のケネディ。背中にいるのはこの前まで駐日大使だったキャロライン・ケネディ。


それでマーキュリー計画の性質が変わった。計画そのものが目標でなく、計画はあくまでも第1段階のものというコトになってった。

よく誤解されるけど、3つの計画は順次に遂行されたけど、計画そのものは同時進行で動いた。

マーキュリーで周回回数を増しつつ実技実績を積みつつ、同時に、アポロ計画のための技術開発としてのジェミニ計画、そして、アポロ計画での月に向けての打ち上げ企画も動いているのだった。

今も使われ続けるお馴染みのケープカナべラルの発射場の建造も、マーキュリー計画を遂行している時期にはじまっている。

建造がはじまったのは1962年の7月。翌年の11月にケネディは暗殺され、建造完了を見届けちゃ〜いないが… ま〜、それゆえ、今はそこを「ケネディ宇宙センター」と呼ぶワケだ。


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で、ここでの本題。

マーキュリー・カプセルは戻るさい、コントロールは出来ない。

まだその技術がない。

パラシュートで速度は落とせるが、あくまで自由落下…。

着水時、重力法則でカプセルは当然に重い部分が下に位置し、それはお尻部分の丸いところなんだけど、海面にまともに"衝突"をする。

そこいらのプールでお腹から飛び込んだヒトなら判る通り、とても痛いぞ、ときにお腹がマッカになったりするぜ… くらいだから、重い金属はなおさら衝撃が凄まじい。

その衝撃を緩和すために開発されたのがエアバックだ。

当時はインパクト・カーテンとかインパクト・スカートと呼んでいたりもした。

これで宇宙飛行士の着水時の安全を確保したワケなのだ。

しかし、月に行って帰って来る宇宙船はマーキュリー・カプセルの比ではない大きさと重さ。

スカートみたいな、空気で膨らませた風船じゃ、心もとない。

実際、マーキュリーで使われたそれは着水と共に破裂し、100パーセント機能したとは云いがたい。


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それで次ぎのジェミニ計画では、着水時のポジションを変え衝撃をやわらげる策が練られ、実証される。

まともにお尻をぶつける着水ではなく、底面の角ッコから海面に突入させて衝撃を吸収させるという手法。

これはパラシュートにテンションをかけ、ジェミニそのものの姿勢を変えることで実現させた。


次ぎの本番たるアポロ計画で、姿勢を制御コントロールする技術を確保。飛行士そのものが"斜め運転"出来るようになる。

斜め、すなわちアポロ司令船のお尻部分をジェミニで実証実験したのと同角度で海面に突っ込ませるというのを人力で行えるようになった…。

そう、アポロは、落下してるんではなく、あれはチャンと"運転"しているんだ。


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と、以上の次第をこの前、記者氏にお話をしたわけだ。

記者さんは大変ですな〜。これだけでも長いハナシなんだから…、それをテッテ的に刈り込まなきゃ〜いかんので。


ま〜、しかし、また同じ写真(ボクの嫌いな)が使われたのは何とも… だけど。

すかさず、Eっちゃんが、紙上写真は、

「フィルターなしだからな〜」

と笑い、しかし、れっきとした堂々たるジ〜サンであるコトもまた自覚せよ… とのメッセージをくれて、何やら和んだりほころんだりした、ゾ。

ありがたいね〜。

今度あったら、1杯おごろう。

で、すぐに2杯おごってもらおう。うん、これでバランスがとれる。

で、一緒に唄おうジャン。

「じぃ〜じぃばぁ〜ばぁ じぃ〜ばぁ〜ばぁ♪」

「バランスとりよが おっかしかネェ〜♪」


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※ スペースシップのサイズ比較

2017-03-02

模型の修復 ~松平不昧のこと~


かまやつさんが亡くなったなァ…。あのニヤ〜っとした顔がよかったね。良い人生だったと思う。なんか感謝の気持ちが大きい。


さてと…。

1月のミュージアム講演で用立てたアポロ8号発射塔の模型。

築後すでに数年が経って、その間にはアチャコチャで展示され、部分に傷みが浮いてるもんだから、

「修復しなきゃ〜」

とはつねづねに想ってたけど、この手の作業は好きでない。

現状を少し前に巻き戻すだけなので、「やるぞ〜」な、電圧があがらない。

美術品でなく、模したるカタチ… でしかないという自嘲めいた感想が常に併走もするから余計に、回避したがる。

けどま〜、放置するのもヨロシクないんで、重い腰をば上げて、数日前よりとっかかった次第。

アレしてコレしてと、ま〜、それなりに面倒かつ時間もくう。

しかしまた、修復用にと新たにスプレー糊を調合して試したり、若干の弾みがついたりもする。


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この大型模型は、『下から見上げる』のを前提に設計し、だから意識的に部分をディフォルメしている。

発射塔のベースとなる部分の高さを、あえて3割ほど延長させ、ビジュアルとして重量味と巨大味が増すよう… そのように造ってある。

模型は、時に嘘をつく。

嘘を盛ることで"見た眼"の真実味を増加させる。


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作業中に、映画『アポロ13』でフレッド・ヘイズ宇宙飛行士を演じたビル・パクストンの訃報。

彼はボクに近似の年齢というか、ボクより1つか2つ若いはず。

いきなり句読点を打たれて行替えを強いられ、その後の文言が、

「……………」

と、続くようなガックリ。

竜巻を追う気象学者に扮した『ツイスター』では、ヘレン・ハントを彼がとても光らせていた。これは希有。主役でありつつ脇役の濃厚味が醸せる存在。

まだ過去形で書く気がしない。昨夜遅くに『エイリアン2』を久しぶりに眺め、パクストンと再会。


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ヘレン・ハントと共演中。『ツイスター』より


ともあれそうこうして、作業終了。

さて、この模型…、

「次ぎの出番はいつのことやら」

収蔵庫と化した1室にしまい込みつつ、『インディ・ジョーズ 失われたアーク』のラストシーン、あの超巨大な"宝物倉庫"の未定形な悲しみを思ったりもしないではなかった。


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倉庫といえば、松平不昧(まつだいら ふまい)が浮く。

前々回の本能寺の変でもチョット登場したけど… 茶道具収集で名を馳せた松江藩7代目の殿様。

このヒトは17歳で家督相続して殿様になった。

何故そんなに若くして… というのには理由があって、父親の6代目が藩の財政が立ち往生するくらいに散財していたから。

いうまでもなく藩主、殿様は年の大半は江戸に暮らす。

6代目の殿様はそこでアレコレ徹底してお買い物。

おかげで肝心な国もと松江の財布が空っぽ。

これはイカンということで家老たちがガンバッて彼を説得し納得させて隠居させ、息子の治郷(はるさと・茶をはじめてからの号が不昧)を殿さんにした。

これは大成功。

藩費の、それも江戸表での出費がピタリ止まり、なんと初めて年貢収入が支出を上廻って黒字になった。

家老ら一同、バンザ〜イ、ってなもんだったろう。


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※ 晩年頃の松平不昧


しかしまた一方、17歳の7代目は、交代ということで諸々な譲渡手続きがあり、やがて彼は父親の蔵(倉庫だね)を見せられる。

そこにあったのが…、茶の湯行事の名器名物の数々。

不昧、たちまちに魅了され、蔵の中の物品を整理し、さらに心躍らせてカタログ化し、20歳でそれを本にし、探求心を燃やし出す。

何を探求するかって…、当然に茶の湯だ。そのお道具だ。

藩主たるは茶事を見事にこなせるかどうかが、徳川幕藩体制でのランク・ポイントでもあったし、不昧はかなり真面目にそれに呼応し、かつ抜きん出るべく努力もしたろうが、併せてドンドン茶の湯が好きになる。

数寄の気分が48時間、昂揚する。

こうして不昧は父親をはるかに越えるお買い物殿様になっちゃう。

6代目の父親が散漫な買い方をしていたのに対し、彼は目的をもった買い物だ。

江戸・京都・大阪の3都にそれぞれ専属の骨董商をおいて、彼らが持ち寄る品々を吟味しちゃ〜、セッセと買い込んだ。


不昧の時代のおよそ200年前、本能寺から2人の豪商ケン茶人がドサクサにまぎれて持ち出した掛け軸も、彼が買った。


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(前々回に記した『遠浦帰帆図』(えんぽきはんず)は、本来長尺の巻物だったのを分割カットして掛け軸に仕立て直したもんだから、部分部分が自立し複数が存在する。同じ名なので見聞にはチョット注意が必要ね)


本能寺の変の後、おそらく数日後と思われるが、宗園(宗円)という茶人(利休の娘婿)が焼け跡から古瀬戸の茶入れを拾い出し、割れていたのを接いで、それを円乗坊と名付けて隠し持ち(確信的火事場泥棒だね〜)つつも自慢するという妙なアンバイだったらしきだけど、200年後、それも不昧が買った。

今は港区白金台の畑山記念館のコレクション。重要文化財には指定されちゃいないけど、同館の"お宝"の1つだろう。


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2014年に畑山記念館で開催のチラシ


不昧が、しかし面白いのは、ただ買っては1人悦にいってるんじゃ〜なく、買ったそれの由来やら諸々をしっかり筆にとり、評論をくわえ、例によってカタログ化を押し進め、文章をオープンにしたこと。また茶の本を生涯かけて続々産み出した、いわば元祖なオタクビトだったこと… かしら。

(日本人男性のギーク、オタク気質は、どうもこのヒトあたりに原型があるような気がしてしかたない)

しかし当然、松江の人々には迷惑至極な殿さんだ。

1度はバンザイした国もと家老らもビックリギックリ。探求がゆえの不昧のコレクションなれど、国もとにしてみりゃ… 散財だ。殿さん個人の趣味趣向でしかない。

イチバンのシワ寄せは、国の民、わけても農事を主とした方々。

まさか年貢がお茶碗やら花器やら掛け軸の購入に使われてるなんて〜コトは、露と知らない。

豊作不作に関わらず年貢はきっちり収めなきゃいけない。それゆえ働きに働き、「ボテボテ茶」なるケッタイなものを食べ啜って忍んだワケなんだから、それってもはや被害者レベル。


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ポテポテ茶の写真はコチラから


後年、不昧が没した頃だかに、かつて松江藩家老だった古老の朝日丹波は、

「あの時に蔵を見せなきゃよかった」

と、述懐している(村井康彦著 茶の湯紀行)ほどだから、当時の松江ビトは、

「ホントやってられませんわ」

な状況だったに違いない。


彼が評価され、現在の島根の、「お茶と和菓子の松江」の礎としての"名君"の誉れはアンガイ最近になってから喧伝され、定着したもんだ。

大正8年(1917)に「不昧百年忌」があって、その頃より、観光資源としての彼がクローズアップされていったらしきなんだ、ヨ。

で、「ボテボテ茶」も名物となる…。

コペルニクス的転回の典型例かしら?。

歴史の皮肉げな薄笑いが聞こえそうで、やたらオモシロイ。

周辺の評価なんぞは無視でトコトンやれば、ずっと後では評価も変わるワケなんだから。

アポロ計画が広範な文化を作ったように、茶の湯もまた、大きな文化の柱、江戸期では大黒柱だったというのが… ボクのこの頃の見立て。

かつて当時の領民には気の毒だけど… アンガイとボクは、不昧が探求に向かった心持ちは好き。


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余談ですけど… 志ん生(5代)の『火焔太鼓』は不昧がモデルだそうな。

売りのヘタな骨董屋(道具屋)が持っていたつまらない太鼓。それを殿さんの命をうけた家臣が求めにきての珍問答。なので不昧そのものは出てこないんだけど、ね。

99人のヒトには興味も持てないつまらないモノがただ1人の人物にゃ300両に値いするという、その価値の在処と見極めが根底にあって… 笑えますぞ。

ま〜、志ん生はすべて笑えますけど… とりわけ、このヒトそのものが高位の旗本美濃部家が生家で、そのはるかはるかご先祖はなんと…、

菅原道真だっていう話。

というコトは孫の池波志乃も、だね。

ぅぅう〜ん、わからんもんだニャ、つながり。

だってね、志ん生も池波も大酒豪という噂ありなんだけど、ご先祖の道真は、実はお酒がまったくダメなヒトだったの。

太宰府に流され、悶々な日々の中、彼は眠れず… それで自虐な詩を幾つも残してる。

たとえば、こんなの---------------------。


遷客(自分のこと) 甚だ煩悶す

煩悶 胸腸をくくり

起きて茶一椀をのむ

飲み了って未だ消磨せざるに

石を焼きて胃菅を温む

この治遂に験(しるし)なし

強いて傾く 酒半盞(はんさん)


半盞とは、盃の半分をいう。

たしかに… 呑めないヒトのようだ。なので、やけっぱちで酒にチャレンジしたものの、悶々から逃れられない次第を書いていると読み解ける。おそらくはその夜も道真は眠れちゃいないのだね。

まったく気の毒なかぎり。

2016-06-13

ノーマン・メイラーの「月にともる火」


怠惰を誘う終日の長雨。

宇宙船の大型模型の改造作例作業を中断。書架を探る。

おそらくいまどき、ノーマン・メイラーを読む人はない。

せいぜいが『裸者と死者』の文庫が版を重ねている程度で、そも、本が出ていないんじゃないかしら? 

60年代頃には、アメリカを知る巨大な足がかりとして彼の名は一人歩きするくらいなものであったはずなのに、今や本屋に作品がない。

内容が古びたワケはない。

50年代半ばにして彼は早や、ヒップだのスクェアだのクールだの、今に通じるニューヨーク発の先端モードの単語を紹介し、解説をくわえ、意味をあたえ、さらにはヒップ・スターといった造語さえ創った。

古くなるどころか、なお存在は大きい… 筈なのに、なぜか忘れられている。


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理由の1つは、その文体と量だろう。

なんせ、1冊で4〜5冊ほどの文章量。

その上でセンテンスの少ない、すなわち、いつまで経っても文章後尾にマルがやってこない、読みにくい集中を強いる文章スタイルが、今の流行りたるショートな文体と一致を見ない… いわば時代にそぐわないと見られているよう、思える。

事実… ボクとて、あの当時ですら… 忠実な読者であった事は1度もなく、ボクはその膨大な記述のさなか、ごく1部をただ拾い読みした不良読者に過ぎない。


70年代のアタマの頃には日本でも、たとえば月刊『プレーボーイ』誌などが、彼に脚光し、なんだかノーマン・メイラーを読んでなきゃカッコ悪いみたいな空気すらあったもんだけど、いざや本の実物に接すると、

「こりゃ、よっぽどお利口さんが読む本じゃな…」

小さな活字の大行列と難解な口調に閉口しちまって、そのまんま本棚に置かれるか、後日こっそり古書店に売りに出向くといったていたらくなのだった。


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が、そのようであっても、災禍をくぐり抜けて今も傍らに置いてるのがあって、それが、『月にともる火』なのだった。

例によって細かいポイント活字でギッシリの文字。

かつ、集中を要する難解な文章。

たとえば、こうだ。


夢を恐怖の奥を探検するシミュレーションであると考えると、アポロ11号の月への旅との明白な比較がいくつか開けてくる。なぜなら、もしも日常の仕事日のいろんな勤めや思いがけないことの中にばかりでなく、また夜、無意識の路地(そこではわたくしたちがすでに知っている恐怖よりもさらに大きな恐怖が発覚されて、わたくしたちの魂の危機そのものを暗示する)にも意味を探しもとめることが、わたくしたちの生活の性質のうちにあるとしたら、わたくしたちの月への航海は、けっきょく現世紀のテクノロジー崇拝の可能な結果を、世紀そのものがさぐる探検であるという、それと類似の考えには、何という力が宿っていることだろうか。


読み人を選別するような高邁っぷりに、かろうじてしがみついている内に、ノーマン・メイラー的魔法の妙味も判ってくるような気がしもするけど、ボクが本書にしがみついたのは、むろん云うまでもなく、アポロ計画アポロ11号)を彼が描いていたからだ。


1969年に、彼は『LIFE』誌からアポロ11号についての原稿を依頼される。

そこで彼は打ち上げ前から取材にはいり、3飛行士が月に降り立ち、戻ってくるまでを見てくる。(打ち上げはこの年の7月だよ)

しかも同時進行で彼はこの年、ニューヨークの市長選に民主党から立候補し、アポロ11号打ち上げ直前の5月6月は選挙戦でハチャメチャな忙しさ…。

幸い(?)かな落選し、7月よりヒューストンにゴ〜。そこで取材にあけくれた。

その成果は、同年の『LIFE』のクリスマス号に短文として掲載される。

でも、本にすべくの原稿が出版社に届いたのは、それから2年後。

アポロ13号がはたして無事に生還出来る否かと世界中が心配していたそのさなか、1971年の4月だ。


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本は、まずいきなり、ヘミングウエイの自殺にはじまる。

「え? この本、アポロ11号のことじゃないの?」

そう訝しむわけだけど、そして、作家の分身として主役のアクエーリアス氏が紹介される。

アポロ13号の着陸船の名はアクエーリアス。一応、そのことは本文の最後の辺りでもって、偶然だと触れられる)

アクエーリアス氏はいきなり憤慨している。

アメリカの希望の星たる大作家の自死に。

ヘミングウェイの死の6週前、米国議会でジョン・F・ケネディが宣言した、後に高名となる、あの、

60年代の終わる前に我々は月にいく。いって無事に帰ってくる」

演説に触れ、米国史上でこの60年代ほどアンバランスな時代はなかったと、そうアクエーリアス氏に述懐させる。

国内での諸々な爛熟と、同時進行でのベトナム線での疲弊と倦怠。大作家の自死。一語に要約できない混沌。

それらをからめつつ、次第にアポロの話へと歩が進む。


今は多少のゆとりをもってこの本を読める。

1970年当時、もっともアメリカの真髄に肉薄していたと思えるこの作家をして、アポロ計画の、人が他の天体上に立つという意味を掌握しきれなかったという点に、ボクは共振する。

本書でメイラーは、いずれは、詩人が宇宙へ出るべき事と、そうハッキリ知覚していた。

けども、メイラーをして、その膨大で難解な文章をもってしても、そのあたりのニュアンスはうまく描けていなかった。


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NASAを含む一切の宇宙開発の技術技巧はまだアートの領域に達していないという事を、おそらく彼は最終的には紡ぎだそうとした。

そも、宇宙開発という名からして、アートとは縁遠い。開発とは利益追求の功利を越えるものでない。

メイラーの望もうとした人類の他天体への飛行と到達には、人がそこで何を本当に感受するかの、それをどう自身の中で抽象化出来るかの、だからアートと呼ぶしか今はない到達をば、彼は本当は書きたかったような気がしてしかたない。アートに変わる単語を産めなかったのもヤヤ残念に思う。


地球以外の星を人がナマに経験するというのは、ボクがパリに出向いて、

「あぁ、いいな〜ココ」

というのとは趣きが違うはずなのだ。

もどかしい事に、他の天体へ行くには科学技術に裏打たれた膨大なエネルギーが必要で、JALのエコノミー・シートでというワケではない。ましてやビジネス・ツアーではなく、ただの観光でもなく… 究極の心の旅がそこにはあるはずなのだ。

ま〜、その意味で、キューブリックの「2001 A Space Odyssey」というタイトルは、実は相当に真理の核に近いタイトルだったな〜、とボクは密かに思ったりもするのだった。

そう思えば、それは確かに1つのステップとしての段階としてもっともとも思うけども、今のISS宇宙ステーションは、やはり、つまらないもんだ。

そこではただ、功利とどうやったら利潤を得られるかの模索しか見えないもんで、詩人が、画家が、音楽家が、参加できる場所ではないんだ、まだ。


おそらく、この本は正鵠を得て揺るぎない。

メイラーの着目するところは、その執筆時期を思うといっそう、素晴らしい。

けども、この本を越えていく"宇宙もの"の本はいまだ出ていない。

それは1つには、アポロ計画以後、人類が月に出向いていないからだろう。

ISS宇宙ステーションでの活動と、人が月へ行くことは、同義しない。

宇宙飛行士たちとの数多のインタビューやその姿カタチを眺めつくし、激な辛口で彼らを切りつつ、作家ノーマン・メイラーをして、第2章の最後で彼はこう括る。


かれらこそは古い人間の最後であるか、それとも新しい人類の最初であって、新しい心理学の輪郭がひかれるまでは、かれらを測る尺度は何ひとつない


月という他天体に人が立つ意味を、メイラーは彼風味のクセある文体でもって解こうとし、たぶんにそれは解けきっていない。

だから、素晴らしいけど不満が新たな風のように本から吹き上がる。

さらには…、メイラーの跡を継いだ本のない事実。

このもどかしさが大きい。


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なので、その辺りのもどかしさを多少埋めてくれるモノとしては、本当に月に行った方々の肉声を辿るのがヨロシイかと、ボクは思う。

映画『ザ・ムーン』はロン・ハワード監督がNASAに残る未整理のままの膨大なフイルムからチョイスをし、劣化しかけたそれをデジタルに起こし直した上で、すでに高齢となった何人かの月を歩いた方々のインタビューを交えるという構成のドキュメンタリーなのだけども、そこに登場する高齢となった宇宙飛行士の全員が、もはや軍人でもなく科学者でもなく、いっそ深淵を見てしまった哲学者あるいは芸術家としての風貌と思考を持った人に変貌しているのに… 少なからず驚かされる映画なのだ。

メイラーが、見て、感じたかったのは、まさにそこだったろう。

メイラーは早過ぎた…、としか云いようがない。

それゆえ、今、彼のこの著作が忘れられていることを惜しむ。

2015-10-27

西方最大離角



朝4時頃から夜明けチョイ過ぎまで、東空で目立つ光点2つ。

金星と木星が隣接、眩いくらい輝いてる。

これはなかなか壮観というか、極上の宝石を眺める… って感じで豪奢を味わえる。

加えて多少の不思議もおぼえる。(右が金星-下写真ブレてますが)


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金星は地球より太陽に近い位置で周回しているから、地球から眺めると太陽に寄り添ったカタチ。

なので真夜中の真っ暗闇の中で金星は見られない。明けと宵いの僅かな時間、太陽が没した頃合いでしか眼にできない。

すでに昨日になってしまったけど、この10月26日は、太陽と金星の位置関係が、ベチャっといえば、イチバンに離れる日であった。

西方最大離角、という。

サイホウサイダイリカクと読むのが正しいのだろうけど、ボクはニシガタサイダイハナレカクとおぼえてしまった…。

天文用語としてこれは比較的新しいらしいが、とにかく、金星がけっこう高いところにまで昇る、その現象をいう。

必見。

東から昇ってくるのが何で西方なのかというと、これは太陽からもっとも西側に離れる位置というコトなので、東方から昇る見かけと語彙はチャンと一致しているのだ。


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※ 探査機マゼランからの映像 (C)NASA


で。

かたや遠方の木星。

こちらは地球のはるか外側でもって太陽を廻っているから、真っ暗闇の夜中でも単独で見られる天界の王。

その、遠方の超巨大な木星と、やや近いところの小さな金星とが横並びになって、まるで同じショーケースの中に展示された宝石のように… 見えるのがオモシロイ。そこがなんだか不思議というわけだ。

太陽は東の地平下にあって御尊顔をお隠しになっているけれど、この両星を光らせているのが太陽なんだから、その光量のもの凄さったら… ありゃしない。


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※ 上の金星写真と比率は同じでない (C)NASA


太陽の光量を表現する詩的な言葉を、たぶんボクら地球人はまだ持っていない。

1000名を越える客が入ったコンサート会場の照明の目映さは、ステージに出てみなきゃ判らない性質の眩しさだけど、実のところ、ステージから客席は照明の強い逆光ゆえほとんど見えない…。

スターは照らされ、スターからは客席が見えないという奇妙な現象だけど、そのステージに使った(たとえばついこの前の下石井公園でのJAZZ UNDER THE SKY)大量の照明装置を木星に向けたって、それで木星が反射して輝くワケはない。この岡山でローソク1本に火を灯して、650Km向こうの東京を照らそうとするよりはるかにはるかに… 文字通り、天文学的に劣る。

比較にならない。

という次第で… 太陽照明によって金星も木星も地球も輝く。


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肉眼では眩いタマ状にしか見えないけど、天体望遠鏡で見ると、図示のように、いま金星は左側の丸みのみ浮き立った弓張形(下弦)に見え、木星はといえば、ガスの雲がやや傾いているのが観測できるはず。

いかんせん、ボクは天体望遠鏡を持っていないので残念… iPhoneで1枚パチリくらいしか出来ないけど、な〜に、写真なんか撮るよりは、しばしボ〜ッと2つの光点を眺めるのがよろしいな。

闇の中のこの2つの光り物に太陽を感じるわけだ。


ちなみに、はるか遠方の木星からは、逆に当然、金星と青い地球が横並びになって眩いことになっているのが、見えるだろう。

もし木星人がいるなら(いね〜よ〜)… 白球のような金星と眩い青の地球にいささかなポエジーをおぼえ、

「古来むかしよりこのシーズンのあの2つを、姉妹星というとった。鯖がうまくなる頃合いに青い方が一段に光りだすのじゃ…」

なんて〜、学校で教えてたりしてないか(ガッコウないない)。


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え〜い、ついでだ… 木星人のための授業…。

地球における月のカタチと呼び名のおさらいだ。


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上の絵、これを三日月と云ったり思ったりするのは大間違いだから気をつけよう。

これは二十六夜というのだ。欠けて見えなくなる5日前の姿。出没時間は夜中の2時くらいから。


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三日月はこれ。

新月(見えない)から3日めの月はこのように左側が影になる。

でもって、これは西の空に昇る。東には昇らない。

とにかくポイントは左側が見えないこと。それが三日月だ。

(満ちつつある月は左がみえず、欠けつつある月は右側がみえない… と憶えておくのもヨロシイ)



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吉田拓郎の歌に、「浴衣の君はススキのかんざし」にはじまり、途中に「上弦の月だったね〜♪」というのがあるけど、それはこの上図のカタチだ。

満月に至る真ん中8日め、左半分がまだ見えていないのを上弦の月という。

これは真南に出る。

したがって『旅の宿』は、秋(おそらく11月)の7日か8日頃に彼女と旅し、旅館の部屋は南向きだったという"記録"でもあるのだ。


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さて、こちらはその反対、下弦の月。

満月になってから徐々に欠けだしたちょうど真ん中をいう。

東から昇ってくる。

二十三夜ともいう。あと7日で月は晦日(つごもり)ないし三十日(みそか)となって見えなくなる。

注意を要するのは、上弦の月、下弦の月、ともどもに弓張月(ゆみはりづき)とも呼ぶこと。まぎらわしいが、昔からそう呼ばれるんだからしかたない。


江戸の時代に曲亭馬琴が創った『椿説弓張月』(ちんせつ ゆみはりづき)は後に三島由紀夫が歌舞伎の通し狂言に仕立て直したりしているけど、この場合の弓張月は上弦か下弦か? これは難しい。なぜならこの場合、弓張月は物語の主人公・源為朝(ためとも)が弓の名手で、その弓でもって戦もする歴史物語なのだから、ここでは弓の形状が筆頭にあって、なので、上弦でも下弦でもどちらを向こうが別にヨロシイという次第なのではなかろうか…。

ちなみにこの歌舞伎で三島は、為朝の本妻役として19歳の新人の美青年を抜擢。この人の姿カタチの美麗に主役の松本幸四郎(8代)がくわれてしまって、文字通りな"椿説(めずらしいハナシ)"となって歌舞伎界に激震がはしり、ポスター・デザインの斬新とあいまってヤンヤヤンヤの大評判となるのだけど、それが今の坂東玉三郎であり横尾忠則だ。


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以上、木星人への簡単な地球ガイド。お越しになったさいの天体的事象の参考に。あわせて爆買いは程々に。

2015-01-09

ショート・トラブル

とつぜん、3台のプリンターが動かない。

ローカルネットに異常アリとMacのシステム環境設定が示唆してくれるから、ソフト的な部分での不具合をまさぐった後、床の最下端の見えない所に這わせた諸々長さの違うラインを埃まみれになって辿って、いわゆる接続異常もチェックしたけど、見ため異常なし。

こういう厄介は願い下げだけど、復旧させなきゃど〜しようもない。

ああ、めんどくせ〜。


月着陸をめざしたアポロ時代の夜明け。

かのアポロ1号はラインの皮膜破断による極く小さなショートでもって、大事な飛行士3名を失った。内2名は当時の米国で国民的ヒーローだったナイスガイ。

船内は純粋酸素のみ。マッチ1本が大きな松明以上に爆裂的に燃え上がる… 酸素しかないんだから、いざや火が入るや密閉空間ではその全酸素イコール大燃焼という環境だった事を誰もが忘れていたがゆえの大事故。

3飛行士が座ってた船内の床はその時、テスト中の膨大なラインで、文字通りアシの踏み場もない混乱っぷりであったらしい。その1本が元凶。


床にうずくまってテーブル下の狭い箇所に手を無理して入れ、2台のサーバー化されたMacとそこから伸びた3つのプリンター・ラインや2機の外付けHDやオーディオへのラインや、加えて各機器の電源コード、アレやらソレやらのライン… それらを引っ張ったり辿っていきつつ、かつての痛ましい事故を思い出した。

ま〜、どのようにラインがのたうっても、我が方は純粋酸素に満たされた環境じゃないんで、爆発炎上は考えにくいけども、いざやトラブルに見舞われると、苛立ちだけは大いに発火するもんだ、な。

その上でお手上げ。元凶が出てこないのだから、ホント、弱るんだ。


そこで井上陽水の一節を思い返し、あえて思い返し、『探すのをやめたとき…』と、全電源を落として丸1日、放置することにする。


すると翌日、アンノジョ〜というか、勝手に復旧してやがる。もうまったく何事もなかったように。

結局、原因わからない。

でも途端に、心理として…、

「ま、いいか〜〜♡」

と、なっちまう。

これはホントはよろしくありませんな。

よろしくはないんだけど、元に戻ったからイイじゃんかと… 眼前の安堵が先き立ってふりかえる気力がない。

ま〜、それゆえ、なんとか矛先を誤魔化そうとしたワケじゃないけども、エディオン原尾島店に出向いて4口対応のUSB-ハブを買ってきて従来のと取っ替えて、一応の顛末の括りと、今回はした。何かが刷新されたと、自分にいいくるめて納得をしているワケだ。

なんか身辺諸々、こうやってウヤムヤになることって、多いな…。

事物に流されている… ということなんだろな〜、実態は。

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流す、といえば水洗トイレを思いだす。

最近読んで面白かった本。

『排泄物と文明』

生態系の循環がテーマ。

水洗トイレで我々が何を得て何を失っているかも記され、おもしろい。

一筋縄ではくくれない深淵が提示され、1つ1つの小さな解決は導かれても、それが今度は原因で別の事態が生じてくるといった… 総体としての地球と生き物の関係の複雑が描かれる。

2014-12-15

オリオンか、オラィオンか?

「プチ寄席」を断念して選挙に行った。

足腰不自由な人を連れなっての投票。予想以上に時間をくった。

夜になって… TVから流れる万歳の声。いい加減、それはもうやめたらいいのに。

全国の流れとはまったく別に沖縄のみが違う選択… そりゃ、あたりまえだろう…。

(でも比例で自民など全員復活って… 何だ?)

今夜はいっそ宇宙に逃れよう…。


この前、米国の次世代の宇宙船が試験飛行したけど、日本の大多数の新聞テレビは「オリオン」と発音したり書いたりしてる。

ORION。

あの「オリオン座」と同じ綴り、同じ単語なんだから、ま〜、そりゃ仕方ないけど、けどもアチャラの発音じゃ、これは「オラィオン」だ。

オとラの間に一呼吸あって"オ・ラィオン"って感じ。

発音としても書くとしても、オラィオンとオリオンはかなり違う。

天文雑誌『アストロアーツ』もそこを考えたんだろう、同誌じゃ一貫して「オライオン」と書いてらっしゃる。

ボク個人は…、「オラィオン」がイイなと思ってるけど、ま〜、たいしたこっちゃない。

オリオン座も、いまさらに、オラィオン座と読み替える気もないし、オリオン座はオリオンの名のままの方が、いい。


今回のNASAの打ち上げでは、やや小ぶりに見えるデルタ4ロケットを使ったから、

アポロの頃に較べてコンパクトになったな〜、技術進んだな〜」

と思ってしまった人もあったようだけど、そこは違う。

まだ随分と先になるけど、火星に向かう「オラィオン」を打ち上げるロケット(SLS)は、アポロ・サターンよりも規模は大きくなる。

印象として細身っぽいけど背丈も伸びるし重さもでかくなる。

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2本立て。1つに人が搭乗し、もう一方、アポロ計画後のスカイラブ-1に似たカタチの輸送専門のが1本。宇宙空間で合体だ。(上のイラスト:1番右と3番めがオラィオン-SLS。その真ん中が50年前のアポロ-サターン)

両者ともカッコ良くない。

アポロに比較し、模型として欲しいと思う要素がボクには少ない。

とはいえ、これがケープカナヴェラルから発射されるのを楽しみにしてるけど… まだまだ先だ。

だってまだ打ち上げシステムそのものを開発中なんだし、優先的に予算が承認されてるワケでもないんで、アポロ時代の突貫めくな進捗とは状況が違う。

人が搭乗しての火星にGOは、現状の予定じゃ2030年代で… それも、

「だいたい、それっくらいじゃ〜ないですかァ」

という具合だから、ううむ。遠いぜ火星イチバンのり。


でもって… 「オラィオン」が非常に斬新なものになるかと思いきや、アポロ時代の手法を継承しての火星行きなのだな、これが。

たとえば、人が乗るオラィオン・モジュールとその支援のための諸々満載のモジュールを切り離す装置は、結局、アポロで採用された方式と同じものだ。

Umbilical Guillotine Assembly という名。

中央の単語にある通り、ギロチンだ。

鋭い刃がザクッと落ちて、アントワネットの首を落としたと同じく、多数のケーブルを一挙に切り離す。

6〜7年ほど前だったか、まだブッシュ政権だった頃に「オラィオン計画」が承認されて、それで宇宙船やロケットの新たな開発を進めるようになったけども、結局のところ、技術の根幹はアポロ時代のそれから… さほど大きく跳躍していないようだから、そこはちょっと不思議でもあるけど、ま〜、いいのだ。


アポロでのこの装置については下記の我が拙文を参照されたい。

アポロの中の16世紀

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なので、アポロ時代をライブ体験したボクとしては、「オラィオン」のビジュアルとしてのカタチに新しさをまるで覚えない。

およそ50年も前のものがまた少しカタチを変えて出てきたという程度で、なんといってもいまだに、人工重力がないんだし、アポロが4畳半ならこたびは6畳になりましたくらいなもんで、新鮮が薄い。

けどもまた一方で、懐かしいようなむず痒い感じも受けて、フューチャー・レトラ感というか、ま〜、その感覚をおぼえるのはオモシロイ。

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こたびの「オラィオン」に搭載のメインとなるコンピュータというかCPUが、実は10年以上前の、2003年モデルのアップルのiBook G3と同じモノというのも、オモシロイ。

最新のものじゃ〜なくって、より"信頼性"あるチップで組まれたCPUを使って不具合が生じるリスクを軽減させたという次第で… ここは評価すべきなポイントだろうね、きっと。

CGアートたっぷりなゲームをやるものじゃないんだから、最新でなくとも10年以上前のiBookのパワーで充分に機能するんだ。

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今夜14日は、"双子座流星群"がピーク。

残念なことに雲が多い。

昨夜も3時頃に外に出た。

月があってやや明るかったけど、雲はなく、寒波のせいで空気が澄んでたね。

20分ほどの合間に3〜4ケ、見たよ。

願いを告げるには、個々、あまりに早い瞬時だったけど、オレンジ色の光点がスッと音もなく空に出現するのを目撃して、近隣7〜800m以内には目撃者は誰もきっといないと思うと、「今のはボクだけのもの…」、裕福な感にくるまれる。

でも、そのたびに、「ダイヤモンドは永遠に」という語句が閃いて、ひっそり、「今のを誰かと共有出来てたら…」とも思ったりした。

2014-10-29

遠い月

昨日の夕刻5時ちょい過ぎ頃。

近所のスーパーから撮った西南の空と三日月。

ボクが住まう場所は概ねで視界のどこかに山があるのだけども、このスーパーがある駐車場の一画は、かろうじて、山が見えない。

新幹線のラインが、その向こう側の夾雑物めくなゴチャゴチャを隠してくれているから、山も見えず、ビジュアルとして、いささかスッキリとした感があって… なので、ちょっと、アリゾナ州ツーソンにある大型複合ショッピングセンターで… といった大陸的視界を垣間見るコトが出来るのだった。

別に大陸的広がりを求めてるワケでもないけど、時に、視界をしめる割合として空の方が広いというのはイイもんだ。

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この写真じゃ判りはしないけど、月は薄く細い三日月。

すでに太陽は落ちかけていて、数分後には茜色は消え、グレーっぽい、夜になりきらないけども夜でしかない色合いに周辺が変化しはじめる。

こういう位置であるから、当然に月もすぐ沈む。

しばし、月のない夜を過ごすことになる。

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1969年の7月24日。

今から45年前の夏、アポロ11号が地球に帰って来て着水するという瞬間をボクはラヂオの生放送として聞いていたけども、着水の瞬間… だったか、一瞬、

「あ〜、これでお終いっ」

と、実は恐怖を感じてた。

着水した途端、月の未知の何かがくっついてきていて、それが瞬時に全地球に蔓延して、それで地球の生命の全部いっさいが呼吸できなくなる… というようなSF的空想にビビッたわけなのだ。

今となってはお笑い草だけど、瞬時では、ホントにそんな終末を感じはしたのだった。

ま〜、それっくらいに、当時は月なるものの正体は判っちゃいなかったのだ。

だから、アポロ計画では、予算の1/8くらいは、その万が一に備えての検疫防御に費やされてた。

意外と知られちゃいないけど、実にそうなのだ。

アポロ11号から14号までは、飛行士は地球に帰るやただちに隔離された。

キャンピングカーを大改装した移動隔離室(MQF)に、持ち帰った月の石や彼らが月面で使った機材などと一緒に収容され、着水地点からハワイ経由でヒューストンまでその車輌に入れられたまま空輸され、概ね1ヶ月半、家族とも直接には接することの出来ない隔離病棟でもって検査漬けとなったんだ。

この施設はアポロ計画のスタートと共に設けられた。

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通称LRL。Luna Receiving Laboratory。

いわば、国立医療センターの集中治療室的な、60年代において最高の医療機関であり資料研究所だった。

(むろん、これは今もあって機能し、近年になって、ここに保管されている月の石から水分が検出されて、月の科学の歴史がガラリと塗り変えられるという良い結果もまた産み出してる)

45年前。月に出向いた飛行士だけでなく、帰還後に彼らと接触した疑いある人達は全員、ここに隔離された。

アポロ11号の時は、その数16人。

帰還した飛行士にインタビューを強硬に試みようとしてコンラッド飛行士の肩だかに触れた女性の記者も含まれる。

隔離といっても小規模じゃない。各人に個室ありの大型施設。

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ご覧のような部屋があたえられる。

でも、その個室を含め広い談話室を含め、いっさいはガラスの中。いわばビルそのものが外界で遮断されてる。

面会応談は下写真のような環境で行われた。

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上の写真は、カメラ技師のテリー・スレザークさん。アポロ11号が持ち帰ったフイルム缶に触れたさい、黒いチリのようなものが手に付着。それで隔離された。

「早く帰してくれよ〜」

と、ガラス越しに嘆いてる図。

けどイチバンに気の毒なのはその後ろに映ってる2人。この2人はテリーさんが作業していた部屋にいただけなのだけど… このようにガラスの向こうに隔離されちゃった。

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そのLRLで何かを検査してる方々。

今の医療知識だと、おそらくこの検疫所では手ぬるいというコトになるんだろうと思う。

じっさい、当時もそれは指摘され、新鋭の医者で作家のマイケル・クライトンはこの施設を批判して、その延長でもって『アンドロメダ病原体』を書く。

これはロワード・ワイズが映画化して、ボクの大好きな、常にベスト10位に入ってる1本なのじゃあるけど、エボラ出血熱の蔓延と渡航者隔離のニュースに接して… それで近所のスーパーからの三日月に、45年前のあのヒンヤリした気分を思い出すのだった。

未知なるものは怖ことを。


今はエボラばかりが話題だけど70年代にはラッサ熱という、やはり出血性の致死率が猛烈なのが生じて、そこで米国は、派遣した医師の安全確保のために、アポロ12号で飛行士たちを隔離したMQF(上に掲載してるグレーの写真参照)をアフリカに運んだ。

本来これはスミソニアン博物館だかで永久保存予定だったんだけど、そうやってアフリカで二次使用されて、しっかり医師たちを守ったんだ。

でも、そのあと… このMQFは行方不明になるんだよ。

この顛末はとても面白いのだけど… 今回は書かないでおこう。

2014-08-20

MIB3 〜コルビークレーン〜

映画『メン・イン・ブラック 3』(以下MIB3と記すね)はウィル・スミス扮する"エージェント・J"が1969年7月にタイムトリップして若き"エージェント・K"に出会うという話で、娯楽作として、マ〜、面白い部類に入るんじゃなかろうかと思ってるけど、このシリーズのいささかグロで下品な感触は… 好きでない。3作通して、ヘンテコでトンマな宇宙人が特に僕の嗜好にそぐわない。

けども、この『MIB3』をここであえて取り上げるのは、後半クライマックスでの舞台が1969年7月16日のケープカナヴェラル、アポロ11号の発射塔という、ボクの好む場所だからだ。

(最初の月面着陸となるアポロ11号発射の当日だよ)

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上と下は映画のスチール。徹底したCG映像でもって、かつてのどの映画よりも克明に描かれているから… これは特筆もの。

塔からの緊急脱出カーゴや脱出トンネルのことが描写され、とくに脱出トンネルは今まで映画に登場したことがなかったゆえ余計、「おっ!」てなもんだった。その詳細は本作が公開された頃に別のところで記したけど、雰囲気として実に秀逸。

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クライマックス。ウィル・スミスが悪漢宇宙人と戦うのは発射塔最上部のクレーン上。

このクレーン、実物はコルビーという会社が作った。

当時の米国を代表する重機メーカー。60年代NASAの施設内の多くのクレーンはこのメーカーに製造依頼した特注品だ。

21世紀の今はそこいらに高層マンションがポンポコ建って、建造中のビル屋上でクレーンが作業しているのは日常な光景だけども、それは1960年代前半では実に珍しい、ある種の異様さも感じるカタチだった。

塔屋の上階にでっかいクレーンがいるというのは、このアポロ計画でもって世界的に馴染みだした光景だ。

この時点では、なにより、そのクレーンがただ重いモノを上げ下げするだけではなく、発射塔に結わえられたアポロサターンロケットのために在るというのが象徴的というか、特徴中の特徴なのだった。

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※ 上2枚はTVC-15のペーパーモデル。

※ コルビー社は今もあるけど、現在のパナソニックやソニーがサムソンに抜かれたように、当時後進たる日本のメーカーに真似られ営業力でも負けて… 現在は規模の小さな企業になってる


コルビー社がNASAの入札を勝ち取り、建造中の発射塔にクレーンの取り付け作業が開始されたのは1962年。ケネディが暗殺されたのはその翌年だ…。

下写真は建造中の当時の写真。だからケネディはこの姿を見ることなく世を去った。

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以後、スペースシャトル時代までコルビー社のクレーンは使い続けられたのだから、これは歴史的な逸品なのだ。

(1984年にシャトルの発射塔の仕様が大幅に変わってクレーンは取り外され、内1基は永久保存としてケープケネディのミュージアムに展示されてる)

アポロ11号は3基作られた発射塔の2号塔に結わえられた。『MIB3』に出てくるのがその2号塔、正式にはLUM-2の名がある。


ただ、この映画には嘘も含まれる。

秀逸と上記したけども、実はその秀逸に嘘が含まれる。

非常にリアルを装いつつも、省かれている所もまた大にあって、したがって映像を見たままが真実の発射塔の形、クレーンの形、と思っては…、

いけない!


アポロ司令船とつながる9番通路(クルーアクセスアーム)の先には通称ホワイトルームと呼ばれた搭乗のための小部屋があるのだけど、まず、それがない。

というよりも、どうも9番通路そのものをその真下に位置する8番通路(サービスアームモジュール)と巧妙に位置をすり替え、物語の展開上… 両者を合体させてるようなのだ。

おまけに、発射直前でのこの9番は他の通路と違い、これのみ塔から宙に突き出る形でホワイトルーム部分がアポロサターンから離れた位置に本来は移動して固定されのだけど… 映像上それが見えなきゃいけないシーンでも、見事… 出て来ないのだ。

というか… 嘘としてハッキリとシーンに描写されているんだから、確信犯だねこれは。

よく似せてはいるが実際とはまったく違うんだ。(下写真はペーパーモデルでの9番と8番アームの実際)

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「だから、どうなのよ?」

と問われても困るけど、ボクにしてみれば、ハンドルを右に切ってるのに車は左へ向いてるじゃんみたいに… ひどく変なのだ。

映画の中のコルビー・クレーンもよく出来ちゃいるけども、細かい所は省略されていて、たとえばあるべき所に手摺りがなかったりする。

実際の構造上それは要めとして必需なのだけども、映画では必需じゃないというか、手摺りがあると高所での恐怖感情が薄れると思われたか… ごっそりゼンブ省かれているわけだ。

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「いいじゃんか別に。ただの娯楽映画だもん」

の気分もあれば、

「いや。湾曲した捏造じゃん」

のガックシもあって、ま〜、そこら辺りに、

"映画って何じゃろね?"

と興味がつながれていくわけでもあるし、こうやって歴史というのは風化していくものなのだな… と思ったりもする。

ともあれ大好きな構造物が舞台ゆえ、ここは一筆書いておかねばという次第。


映画の中盤にアンディ・ウォホールが出てくるけど、けっこうソックリな感じで、これは好感しましたな。かなり笑えるし。

また、もちろん… それはボクがイメージしていたウォホールによく似通っているというだけで、これもまたホンマ真実の姿としての彼じゃ〜ないとは、判ってるのだけどさ。

過去というのは常に"脚色されて"でしか… "再現"出来ない性質があるんだね。

その脚色でもって、今書いた風化作用と同時に… やっと… 発射塔の"本当"のデカサも感じられた『MIB3』なんだ。

嘘なんだけども… 嘘の中に真実の片鱗、等身大のアポロ計画のサイズを垣間見ることもまた出来るんだね。

だから、悪漢がキモイ… なんて〜悪態も含むけど、悪くはないのだな、この映画は。

何かを失うけども何かを得る、という1つの例かも知れない。

2014-06-23

魔法瓶 〜ボンカレーと冥王星〜

魔法瓶。

今に思うに、この名はすごいね。

オリジナルの名は、Thermos Bottle。熱力学の応用だからサーモをちょっと変化させたってワケかな。

これが日本じゃ魔法瓶。

いい名だ。

今はもっと魔法めくな商品がなんぼでもあるんで、

「魔法ラーメン」

「魔法包丁」

「魔法味噌」

なんでも魔法にしちゃってもイイのだけど、そうはならないのも、ま〜、ヨロシイ。

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ならない… といえば、この前やっとジャガイモを掘り出したんじゃあるけど予想したより大きくなってない。

原因はわかってる。

育ちはじめた最初の頃にいわゆる"芽かき"をやって、緑の芽と葉を1本か2本だけ残して後は全部抜き取れば、でかいのが採れる。

これに手心をくわえたのがいけなかった。せっかく芽生えた緑の茎を抜き取るのを惜しんだワケだ。

なんか、そうそう芽かかなくとも大きなのが実りそうな予感がしたんだけど、やはり予感じゃ〜、育たない。2本残すところを4本残した結果がこれ… 魔法以前のお話だ。

とはいえ総量は3Kg弱。全部カレーに使うとなると… 5皿分のカレーが5回くらい造れそうじゃあるから、嬉しいのじゃあるけど、なにより、土を掘り返すまで、どれだけ出来てるのか皆目わからんというのがイイのだ。掘ってはじめて味わう大判小判がザ〜ックザックな喜色は、ちょっと例えようがないな。

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カレー次いでを云うと… この前、数年ぶりでボンカレーを買ったけど、ぁいや〜、知らなかった。

今のボンカレーは、あのやや銀色なレトルトパックのままレンジでチンしちゃえるんだね。というか、もはや、それを前提で作られて、お湯まったく不要。あらま〜。

魔法というか発達というか便利というか… ボンカレーよりは「大塚の魔法カレー」という名がイイのじゃないかと思うほど進化しているのに驚いた。

でもパッケージはあいかわらずだ。

なんかモノ足りない。けど、別にどうでもいいような気もする。だがしかし、この箱絵をみると、ボクにはきまって『仁尾の太陽博』という一語が出てくるのは何故であろうか? 

ニオノタイヨウハク。

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※ 『仁尾-太陽博』。香川県仁尾町で1981年から83年まで開催の、太陽熱発電をテーマの博覧会。(太陽光発電ではないよ)オイルショック後に国が推進した太陽エネルギー活用の「サンシャイン計画」の旗振りパーク。ドド〜ンと置かれたハリボテのスフィンクスが実に意味なくつまらなかったぞ。

潤沢に税金を費やしたものの、熱が冷めたか太陽熱…。せいぜいお風呂の湯が沸く程度の成果で、期間終了と共に計画も消えての無駄遣い。

でも今は、去年になって、3.11のショックを受けて、その跡地に太陽光発電のメガソーラーが出来ちゃった。

原発復活の声に押されて… また熱が冷めなきゃよろしいが… と少し心配。


ボンカレーの箱絵に太陽を感じるかといえば、そうでもない。でも、ちょっと右下のでっかい丸っこいイラストが太陽っぽいと思えば思えないこともない。大塚食品の社史を読むにこの丸は"おいしさ三重丸"らしいが、意味されるコトとデザインが結ばれない。意図は判ったがカタチが示すであろうはずの意味に乏しい。目立つといえば目立つし、つまんないと思えばまったくその通りなパッケージ。なんとなく無難なパッケージになんとなくな『仁尾の太陽博』。

でもまた一方で、スーパーでなんとなくカゴに入れてしまいそうな、なんとなくゆえの… 魔法もあるような感も少し。


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月は地球に対して楕円軌道で周回する。そのために潮力に差が出て、海に波ができる。温度さが生じて風をおこす。気候に変化をもたらす。常に活性化される。

地球と月がもしも真円軌道で引き合っていたら、波はなく、海水をかき混ぜるものがないから、海は腐っていく。わたしらは生きてられない。湘南にサーファーは育たない。

いまNASAの探査機「ニュー・ホライズンズ」が冥王星に向かっていて、これは来年の今頃に到着して冥王星界隈、すなわち太陽系外縁部を観測しはじめる。

これが打ち上げられたのは2006年。奇しくもその8ヶ月後に、ながらく論争され続けた冥王星の"位"についての結論が出て、惑星の座から準惑星へとザブトン1枚とられて降格されてしまったのだけど、探査の価値まで降格するわけはない。

その冥王星の衛星カロンは、真円状態の安定した軌道で廻っているらしい。

したがってこれは波風たたせようとも、たてない状態だ。いわば綱引き合戦で双方の力が拮抗した状態。綱は動かない。誰も入っていないお風呂の水面のようにシーンとしちゃってピクリと動かない。

凍えきった星だから外見上は液体なんぞはないと思われている冥王星だけど、それでもはるか昔、カロンが真円軌道じゃなかった時期もあって、そうすると、冥王星は過去、カロンから何がしかの影響を受けている。

地表の下に水分があれば、それは生じた潮力によって熱せられ冷まされを繰り返す。

冷え切った彼女の背中を撫で撫でし続けたら次第にそこが温もるのと原理は同じ。やがて彼女の背中は紅くなる。

おのずと冥王星も紅くなるとは限らないが、地表面に影響がでてくる。摩擦熱で水が沸きたち外にこぼれでる。

もし、冥王星の地表に線上のヒビがみつかるようなら、それはかつて地下に水があった、あるいは水があることを示す証拠になる… というような縄文や弥生の人にとっては魔法術みたいな探査をNASAはまもなく始めようとしてる。

なかなか壮大でよろしいじゃないすかね。

下写真はNASAによる想像図。いまだ冥王星のシャキっとした写真はないんで、それゆえ「ニュー・ホライズンズ」の活躍に期待高まるというワケだ。

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冥王星と地球との距離はざっくり云って50億キロ。(ちなみに地球と月は38万キロ。比較にならない)

ボクとあなたがデートして冥王星に行きましょうというコトになって… 車で法定速度を守って時速50Kmで休みなく走ったとして… 冥王星に到着するには、1万年かかる。

マジかよ〜。

マジっす〜。

100Kmで走ると、なんと5000年で済むけど… それでも、

メチャ、遠いね〜。

遠いっす〜。

どっちみちとてつもない時間。車検が切れちまう。と、その前にハイオクガソリンどこで給油するんだ〜〜、という以前に恋愛終わっちまうよ〜、と… ま〜、人体速度換算でいかに遠いかというハナシだよこれは、あくまで。

そこを「ニュー・ホライズンズ」は概ね8年で到達なのだから、これが如何にスピード違反だかがよく判る。

(2007年に木星近くを通ってスイングバイ。これで加速し、毎秒23キロ(!)進む高速物体になった。1分で1380キロ進んでしかもガソリン使わない。投げられた石同様に勝手に進む)

いや、何がいいたかったかといえば、魔法瓶を含め、科学というのは面白いな〜、ということだけなのだったけど、ちなみにこの前、スーパーのボンカレーの値札で気づいたんだけど、大塚食品には親会社があるのね。どういう次第かこのスーパーマーケットじゃ、値札に親会社の名を書いてた…。

「大塚化学 ボンカレー辛口 130円」

ぅぅむ。これに関しては… 化学じゃなく食品の方を前面に出して欲しいよな〜、なんとなく。


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上は、アンティックショップで買った1950年代末の魔法瓶。当時米国で売られた日本製の安物。プレスリーやパット・ブーンのシングルレコードのパッケージがプリントされて… 全高34cm。このみっともないPOP感とデカサが好き。米国の田舎の眼元にそばかすいっぱいなティーンエイジャー女子が使っていたかもと思うと何やらかわいらしくもあって。

2014-01-08

宇宙からの脱出

会場で3Dメガネをかけて"立体映像"を眺め、ダイジェストじゃなくって本編1本丸ごと観たいぞ〜と感想を抱いた方も多いのじゃないかと思うけど、大阪での「サンダーバード博 in 阪神」終了。

年明け早々の某日は新幹線不通で観に出向いたものの… 帰れなくなった方もあったようだけど、お越し下さった皆さん、どうもありがとう。


さてと… 時々、映画をなぞるようにして現実がアトを追っかけてくることがあるね。

予言的映画といったジャンルは存在しないけども、年末に記した綾田俊樹の怪演が頼もしい『東京原発』もそうだったし、かの『チャイナ・シンドローム』もそうだった。『サンダーバード』も俯瞰で眺めると、"国際救助隊"という概念はそれにあたるかも知れない。


ボクの知る予言的映画の最初の事例は、1969年の『宇宙からの脱出』かな。

宇宙実験棟のスカイラブから帰還のさい事故が起き、3人の飛行士が戻れなくなる。

公開直後にアポロ13号の事故が発生して、はたして3人の飛行士の運命やいかに… とタイミングもよく重なってしまったのがこの『宇宙からの脱出』だった。

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監督が『OK牧場の決闘』や『大脱走』のジョン・スタージェスで、グレゴリー・ペックにリチャード・クレンナにデヴィッド・ジャンセンにジーン・ハックマンとスターぞろぞろの大予算映画。

特撮シーンの合成処理にコンピュータが活用されて、当時これを観た円谷プロの円谷一氏が相当のショックを受けたそうだけど、なんだか予算の使い方が奇妙な映画だった。

3飛行士が乗るアポロ司令船の"支援船"部分が異様に短いんだ…。

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ホンモノのそれに較べて半分しかないんで、それで撮影に随分と苦労したなんて〜話も伝わってるんだけど、なんで半分サイズなのかというと、

「予算の都合で短くせざるをえなかった」

と、何かの本には書いてある。

(上の写真はその寸足らずな撮影セットとその模型)

可笑しいね〜。粒ぞろいのスターを起用して当時の額面で50億円(当時のパンフレットにそう書いてある!)かけての映画なのに… 重要な宇宙船の実物サイズの模型の製作費をケチってるんだから、妙なのだ。

どういう配分でお金を費やしてるのか… きっと大部分は高名なスター達の出演料に消えたんだろうけど、それでも、ちょっと事情がわかんない。画面にしょっちゅう出てくる重要な道具というのに…。

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いま観ると、いささかに退屈なんだけど、作りそのものは実に丁寧で生一本な大真面目。

実際のアポロ13号では帰還予定地にハリケーン接近ということでハラハラが増加したけど、"予言的"という冠にふさわしく… この映画ではそれも描かれてる。

ジーン・ハックマン扮する宇宙飛行士がトラック運転手にしか見えないという、スペースシャトル以前の、当時のいわゆる"ライトスタッフ"たるヒーローの資質を存分に発揮した連中が持つ強靱さが描けてなくって、そこに大きな不満があるけど… しかたない。

ジョン・スタージェスをしてまだ当時、カウボーイとスペースマンとの違いは充分に理解出来ていなかったんだろうし、誰しもがそうだった。

けども、先に書いた通り、真面目に"事件"に向き合っているのは好感だし、円谷氏を驚嘆させたとはいえ、まだ合成そのものは今のそれとは比較出来ないレベルゆえ、背景と人物のフチにすべからず、「合成してます〜〜」な黒っぽい輪郭があったりする。けども、そこも"今となったゆえ"に好感なのだ。

最近の『ゼロ・グラビティ』辺りの精緻なCG大活用とはいささか違う画像とテンポが、愛おしい。

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その昔、この映画を岡山グランド劇場(今はない)で観て、

「合成シーンの、合成と判ってしまう輪郭線はいつか消えるんだろうか?」

と、いささかの不満と今後への希望を混ぜつつ館のシートにうずくまっていたのをボクは今もけっこう鮮明におぼえてる。

いまや作られず、かける館も激減の、だから、その大きなサイズでの上映を知らない方が多くなってしまった70ミリの、前の方の席で観ちゃうと首を左右に振らなきゃいけない迫力も懐かしい。

ま〜、そんな次第あって、好きな、忘れられない"予言的"映画なのだ。

この映画に登場の宇宙船アイアンマン1号のカプセル部は、不幸なあのアポロ1号の初期の形を踏襲していて、それを見られるのも感慨深い。実は「月のひつじ」のトップ上段の写真は、この映画のスチールなんだ。

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多くの方に勧めたい映画じゃないけど、自分にとっては思い出深きな作品ってあるでしょ、それがこれ。

数年前、TVC-15のホームページでこの映画に触れたさいには、未知な方より、録画されたDVDを贈られたこともあってビックリ狂喜。感謝にたえなかった。(その頃はまだDVD化されていなくってオフィシャルなのが販売されたのは2009年だ)



ここに記載の模型写真はいずれも『宇宙からの脱出』仕様で作ったペーパーモデル。

プロップの寸足らずもそのままに作ってるんで、なんか〜、カッコ悪い。(製品化を目論んでの試作で現状は発売未定なのでアシカラズ)

ただ、こうやって模型を作って寸足らずを再考証・再検討してみると、単にケチッたというわけじゃない"事情"が垣間見えてくる。

実は、カメラの被写界深度が問題であったんじゃないか… と思えてきた。合成が予定される背景との兼ね合いを考えると余計そう思えてきた。

宇宙船の前面部にカメラをそえたさい、長太い筒状の宇宙船の後部はピントが甘くなるというか、70ミリサイズの大きなフイルムでは、たぶんに物体の輪郭部が滲む。そうすると合成に不向きだ。

レンズの制約と効果が実は最初に検討され… 結果、撮影用原寸模型は真横からは撮影しないことを前提に、あえて寸足らずながら正面方向からはチャンと見えるディフォルメをくわえて、レンズのピント深度に適合させたサイズに修まるよう作ったんじゃなかろうかと、そう思えてきた。

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カメラありきが映画というもんだ。そして、撮影スタジオの大きさには制約がある。そうでなくとも三人乗りの宇宙船というのはカメラの眼でみれば大きな、文字通りの大道具なんだから、これの全体にピントを合わせようとすると当然に被写体たるそれとカメラには大きな距離が必要になる。照明も大規模になる。

以上の制約を考えると、この寸足らずは予算拡大を抑制する最大に効果アリな方策だったと… そう思えてきた。

「予算の都合で短くせざるをえなかった」

というのは実はそういうことを意味していたワケだろう。貧して鈍したわけじゃなく、周到な計画の元での寸足らず… というのがたぶん真相だろう。

幾つかのシーンでは妙に短いと判ってしまう側面が見えちゃうけど… この映画は69年度のアカデミー賞(特殊効果部門)を受賞してる。

コンピュータを用いたということの他に、フイルムの特性を活かすべくのこの作術としての奮闘に受賞理由があるのかもと… 映画公開から45年も経って、そう思えてきた。

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1番下の写真。アポロ17号のペーパーモデル。(これは販売中。米国のサイエンス系ミュージアムショップにもあるよ)

映画製作上の"やむをえない"嘘は、このボディ部分の長さと較べるとよく判ると思う。