Hatena::ブログ(Diary)

月のひつじ

2018-04-01

時の声


陽気の到来が…、あくまで感じとしてのコトだけど、2週間ほど早っぽい気がする。

室内で越冬中の2本のパッションフルーツも早や数週前にツルを延ばし、若い葉を作りだし、どっか巻きついて落ち着きたいよ〜、と訴えている。

ま〜、これは四六時中エアコンを廻し、ニンゲン様より暖かい環境に置いたからも原因だけど、皮膚の感じとして春が早い…、ように思えてしかたない。


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午後。

眩い陽射しの中、生け垣ベニカナメモチを剪定する。

枝葉がよくおごってる。

英語圏ではレッドロビンというらしいが、この辺りでは紅カナメの名が通る。

今やどこにでも見られる生け垣樹の定番だけど、20年ほど前はあんまり日本じゃ見かけなかったと思う。

急速に増えたのはホームセンターなどの園芸コーナーの販売促進の功あってのものだろう。実際わが宅もそれで導入したわけだし…。

夏場の害虫駆除をのぞけば、廉価で、成長早く、冬夏の寒暖にも強く、なかなか頼もしい樹木だ。なのでレッドロビンというより、ロビンウッドとシャレたい感もチラリンコ。


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剪定道具は電動バリカン。

これは俗称でヘッジトリマーが正しいが、ま〜、どうでもよろしい。

剪定バサミでチョキチョキに較べ、ブゥゥ〜ン、バリバリバリ…、いささか樹木には乱暴な感もあるけど、便利じゃ〜ある。

今回は今年初めての剪定。7月とか8月に2度めの散髪ということになるんだろう。


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散髪後。整髪剤なし。


早めに作業を終えたので、寝っ転がって久々に、バラードの『時の声』を読む。

この短編集、とりわけブック・タイトルの「時の声」は、何度読み返しても不明がプクプク浮き上がる。

字づらの表層を読むのではなく、感覚で読むべきな作品だ。

だから"読み込もう"とすると拒まれる。

流れるままにイメージを浮かせたがいい。

が、そうであってやはり、そのプクプクが乱反射する。

接するたび、味が違い、微妙に光景が違う。

だから…、繰り返し読んじゃ〜、沁みびたる。


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ハッピーな話じゃない。

なにしろ宇宙が破滅しかけている頃の話。

私的解釈で云うなら、膨張宇宙が収縮に転じた世界でのヒトと生物の物語。

事象のいっさいがケッタイなことになっている。

時間が逆流しはじめている。

4時の後に3時が来て、前進でなく後退がやってくる。

時間そのものが眼前のカップ麺(今これを書きつつ食べちゃってるんで)みたいに眼に見える"存在"に可視されて、麺が延び、カップの熱さがさっきより低い…、って〜なアンバイを逆順に味わう。

その退行ゆえか、麻酔性昏睡状態でヒトの睡眠時間はやたらにながくなっている。

そこの描写にバラードの筆致がさえる。

カップ麺は出てきませんので念のため)


お気軽に読もうとすると、イメージの擾乱に困惑する。

いまだ映画化されないのも頷ける。

とても映像化向きな作品でありつつ、映像の技量というか、映像作家のそれが、本作の真髄についていけないようで、『マトリックス』のようなアクション的割り切りが出来ない。単純にはとっかかれない。


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※ 原書


光子がざわめいている。周囲にきらめく音のスクリーンを見つめながら、イソギンチャクは着着と膨張を続けた。

――――――中略―――――――

一度知覚した音はすべて無視して、イソギンチャクは天井へと注意を向けた。天井は、蛍光灯からひっきりなしに送り出される音を受けて、それを楯のようにはね返していた。狭い天井から、ある声が、はっきりと、力強く、無数の倍音と織りまざって流れこんでくる。大陽が歌っているのだ…

※ 吉田誠一訳 創元推理文庫


このイソギンチャクの"自意識"は、宮崎駿のあのオームが幾重と伸ばす触角が感じるイメージに似て、きっと宮崎監督もこの『時の声』を読んだろう。肉化したのだろう…、そう空想したりする。


でも時に強硬なまでの割り切りが功を成すことだってある。

みなもと太郎の『風雲児たち』はきっとその1例。

徹底したギャグと画風で歴史を文字通りヒトコマに切り分け見せた手腕は、小説でもなく映画でもなくマンガ表現のエベレスト登頂だったと思える。

なので、そのうち誰かが映画として『時の声』にトライするだろう…、と希求しつつ久々の読了。そのあと甘い午睡。


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「再読」と云うね。文字通りで解説不要だ。

ボクの場合で恐縮だけど、頻繁に「再読」する。

1つには、即行で憶えられないというのもあるけど…、もうイッペン、さらにもうイッペン、と味わいなおして消化したいという気分あってのこと。

それで近頃はこれを自分の中では再読とは云わない。

「牛読」と云う。

口をモシャモシャの牛の反芻のようで、適語じゃなかろうか、ギュウドクは。

そも、反芻というのは、1度飲み干した食物を口にもどして噛みかえす動物たちの食性を指す「Rumination」の和訳で、

「先生のコトバをハンスウする」

というのは明治期に生じた流用なんだそうだから、「再読」よりボクには「牛読」がふさわしいのだ、感じとして。

読みつつ寝ちゃうのも、なんだか実の牛には悪いが…、カップ麺喰ったんでまた横になってゴロゴロしちゃおかと…、牛っぽいしィ。


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え〜っと、ちなみにカップ麺は、紙フタを全部取っ払わないのがクセなんだってば、モ〜。


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でもって、お汁は残こす〜プだけど、今回食べたのがおいしかったんでェ、けっこうオラ〜呑んじまったんだ、モ〜。

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ここの近江牛肉…。通販してみたいなぁ。でもサーロイン180gで3888円。買えないなぁ、永遠に〜(苦笑)。

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2018-03-23

幸せ在庫

某日。奉還町某所。

某教育関連プロジェクト・チームの年度末会合と打ち上げ。

会議後、馴染んだ顔ぶれでの乾杯。

「最近セイジ乱れちょるね〜」

笑みつつ苦々しいのをガジガジ噛む。


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※ 乾杯前にもう干しちゃってる方もありますが。


その会合前に駅前ビッグカメラDVD1マイを購入。

近頃どうも、「在庫」としての映画がないと落ち着かない。

それで10本前後の、いわば未封切りなDVDを常駐させているワケながら、1本観ると当然に未封切りが1本減るから…、補充しておくという…、何だか手間なことになっちゃってる。

DVDはすでにあるけどBlu-ray版も買い増すという場合もあるんで、それの観賞は後に廻されるであろうから、え〜っと、ここはもう1マイ買っとくか…、というアンバイもあって、かなりバカっぽい。

Amazon プライムで無料で映画も観るけど、奇妙に落ち着かない。

映画が配信されるという今時のカタチに心が馴染まないというか、集中して観賞できない。

それは旧世代に属した感性なんだろうけど、映像という実体のないカタチがゆえ、せめてフィルムを想起するもの、すなわちVTR TAPEだのDVDだのの"固形物"がないと、雲をはむようでイカンのですわ。


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つい先日に発表の国連2018年版世界幸福度ランキング

公開された書類はPDFで172ページというボリューム。レポートの23ページめにランク一覧がある。書類はココ


1位  フィンランド

2位  ノルウェー

3位  デンマーク

4位  アイスランド

5位  スイス

6位  オランダ

7位  カナダ 

8位  ニュージランド

9位  スウェーデン

10位  オーストラリア


ドイツ15位。

英国19位。

フランス23位。

台湾26位。

などなど…。


今回の踏査では移民の幸福度も対象で、列挙した10位あたりまではいずれも好成績。フィンランドはそこでもトップでアイスランドデンマークなども地元生まれのヒトと移民のヒトの幸せ感覚はほぼ一致する。

米国はトランプ政権になって順位をカクンと下げて18位。


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我が国はどうかしら?

かなり下に位置してる。

54位。

59位のロシアに近く、移民に関してはランク圏外。

中国を含めさらに下はあるけど…、先進国を気取りたいなら、54位の幸せでしかないコトをかなり真剣に考察しなきゃ〜いけない。


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たまさか椎名誠の『アイスランド 絶景と幸福の国へ』を読んで気づいたけど、幸福は物資量では計れません。

ま〜、だから、DVDの在庫が10本ばかりナイと落ち着かんというのは、たぶん物資に振り回されているニンゲンの証しでもあるんだろう。例えそれが趣味的情景でろうと、根っこには物質依存の病巣っぽいのがあるんだろう。

いかん。

けど…、如何ともしがたい。…などと語呂合わせってる場合でないけど、アイスランドは日本同様の火山大国

といっても、火山の性質が違う。かたや岩盤硬きな大陸の端っこのいわば地底のガス抜き場としての比較的安定した噴火地帯、かたや地震頻繁で超絶に不安定火山帯…。

平たく火山地帯だからペケというワケでもなさそうで、どう暮らしと向き合っているかがきっと大事なポイントなんだろう。

国連ランキングで眺めるに、2013年度の調査では日本は43位で、アイスランドは9位だった。

かたやランクが落ち、かたやアップなのである。


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TABIZINEのHPより転載。レイキャビック市街。模型ディオラマではなく実写。


椎名誠はこう記述する。

我々の国に住んでいる人は、おそらくいまの自分が幸せなのか不幸なのか本気で考えていないような気がする。考える尺度がわからないからだろう。

強いていえば「どっちだっていい、と思っている」ような気がする。だからその無知に乗じて政治家は好きなようなことができる。

アイスランドに出向き2ヶ月を過ごしてアイスランドを書こうとした椎名誠は…、同書のかなりのページで日本に触れる。

2ヶ月の日々で見えたのは哀しいまでの日本との差、だったんだろう。

そこはま〜、同書を買って読んでいただくのがベストと思える。


同国の警官は銃を持っていないそうだ。NATO加盟国ながら軍隊もない。

ソビエトに近いというワケで米国が大掛かりな基地を設けてたけど2005年に出てってもらった。当然に米国戦略的云々で反撥したらしきだけど、そこを意志が貫いた。

さらには他国の流儀押しつけに左右されず、商業捕鯨をおこなって毅然としている。

原子力発電所もない。豊富な火山を逆手にとっての地熱発電(だから温泉も多数)で電力をまかなう。


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Discovery-icelandのHPより転載。露天温泉ブルーラグーンと水蒸気モクモクな隣接のスヴァルスエインギ地熱発電所。


税は高いが医療費無料。町にケッタイな広告看板はなく、家電回収業者軽トラックのボリュームでっかいアナウンスもない。

この本を読むと…、24時間あいてる店なんか1軒もなく、珍しいモノを食べられるワケでもないけど、ささやかな生活の中で2本の足でスックと立って自身で躍れるアイスランドの人達がみえる。


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TABIZINEのHPより転載。レイキャビック市街。


そこでボクも…、DVD在庫10本前後アリやナシやの物質的度合いとは別に、自分で躍れるか、それともアレコレに刺激されて躍らされるか…、まずはそこを踏まえなきゃ〜、などと自問する。

国民愚弄の茶番な政治がまかり通るのは何故? やはりホントに愚衆ゆえにかとも。当然自分もそこにいる…、などとも。


前記したランクの11位は、意外やイガイや、イスラエル

前回調査(2016)でも、その順位。

紛争の先端国といっていい。非難の矢面に立たされることも多。

それが何故に幸福度11位なのか?


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※ kurashi-no.jpより転載。テルアビブ市内。


同国では日曜〜木曜がワーキングデーで、金曜土曜はシャパネット(安息日)。

平日の仕事は概ね4時までで、その後は家族と過ごすのを常とする。

安息の2日間は鉄道もバスも動かない。(1部タクシーは別)

当然この2日間は家族の時間となる。

ユダヤ教徒が国民の75%を占め、安息日は車は運転しない。電気製品のスイッチを入れるというコトなども休止する…。

生活慣習とその優先順位がここではまったく違い、家族がイチバンのライフスタイルが定着している。

アイスランドとうって変わり、ここでは軍兵士が街中いたる所にいたり、ガザ地区への爆撃などなど…、批判的感触もなくはないにしろ外からのそのイメージと違い、住まっての日々として、そこイスラエルのヒトは充足してらっしゃる。当然にそれが数字として出てきて幸福度を押し上げている。

※ イスラエル兵役は男子3年。女子1年半。パレスチナ解放地区への扱いに反対して兵役拒否をするヒトも一定の割合であるようで、その場合は禁固10日くらいの処罰といい、2年めも拒否すると禁固日も倍増らしい。


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※ kurashi-no.jpより転載。エルサレム市内。女子兵士は髪を切れ…、なんて〜拘束はないからご覧の通り。


仕事疲れで自殺…、というようなハナシはアイスランドのヒトもイスラエルのヒトにも、

「何それっ?」

でしかないようなのだ。椎名誠もそのことを書いている。

ましてや、

働けど働けど我が暮らしラクにならず…

と、我が国じゃ〜かなり前から自嘲するけど、ランキング上位の国々の方々には、やはり、

「何で?」

逆に訝しまれるようなアンバイで、

「自嘲する前に、楽にならない暮らしのその根本理由を考えないの? 是正しないの?」

そんな視線が、このランキングの順位には透けてるような気がしてしかたない。

2月に恵方巻食べちゃえば幸せが来る…、わけはない。


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※ 丸2日の雨天のさなか、今年のユスラウメが開花。

陽が照れば、1週間としないうちに満開となるだろな。この開花を毎年愉しみにしている…、これはごく個人的小さな幸せ。

2018-02-25

読む時間 ~イコライザー~

ひさびさ、国体町のカルチャーホテル。

瀟洒な庭というかグリーンがおごった塀を眺められる喫茶室の窓際で、午後の陽射しを外に感じつつ、

「おやま〜、もうそんなになりますかァ」

2年ぶりな方と打ち合わせ。

とある新規施設の企画サンプルとしての模型依頼。またしばし、新たなカタチと格闘することになる。というか、どう模型に映すか…、しばし難渋ということになる。


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しかしフッと懐かしくも思う。

かつて20数年前、このホテルの総支配人とは、2週に1度の割りで会合しては模型談義に花を咲かせたもんだ。彼は密かなれど熱心なモデラーで、第2次大戦中の戦車や飛行機がもっぱら、こちらはSF系な模型に焦点をあてがっていたけど、ウマがあい、話し込むほどに愉しさも増加したもんだった。

同ホテルも経営者が変わり、支配人も今は違うから、あくまでも懐古というワケだけど、こたびといい、妙に模型が接点になるホテル。カルチャーの名が意味深で微笑ましい。

入口界隈の静かな雰囲気は今も昔も好感。


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閑話休題。

ちびりっと前だけど、某女よりプレゼントあり。

『読む時間』

という大判の写真集。(創元社刊)


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世界あちゃこちゃでの本とヒトの姿をパチリ特写の、労作にして傑作。

全ページ美しい。

絵画のように "絵になってる" 写真続々で気分もゾクゾク。


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ローマの街角での1枚。ワガハイが馴染みに馴染むミニで読書中のストリート画家?

これじゃ〜降りられないだろう?、と思ってはいけない。反対側のドアから出るだけのハナシ。ミニは車幅もミニだ、楽勝。


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※ サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館にて。どっちが館員だろ?


この本を見つけて買ってくれた愛しのレイラじゃなかった某女のメキキにも、感謝。

しかし、ヒトはいろいろな場所で本や新聞なんぞに接してるもんだなぁ。


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そこで負けじと…? ベッドに寝っ転がった自分を自分でパチリ。

美しい写真には遠いけど…、思えばボクの読書は、その8割5分がベッドでのこの横たわり。

2〜3ページと進まぬ内に顔の上に本をドジャリ落として、気持ち良いウトウト気分を張っ叩かれるようなコト、しばし。


この数日の就眠前は、シャーロック・ホームズのパスティージュ。

女流作家ジューン・トムソン描く所のホームズとワトソンの冒険譚。


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これら文庫はもう10年ばかし前に読んで楽しんだものだけど、再読するや、ほぼパーフェクトに内容を忘れてる。

しかし、なぜか…、かなり出来の悪いとおぼしき1編だけは、読み進めるうちに記憶が戻り、犯人も結末も思いだす。

良作は忘れ、出来がヨロシクないのを憶えてるというのはケシカラン。

そう自分を叱咤しても知ったこっちゃ〜ない。

再読の哀れと享楽を同時に噛み加味しつつ、ページをめくっちゃ、またウ〜トウト。

睡眠導入剤としての本、大事。

(ちなみに出来が悪いと思ってる1篇は「高貴な依頼人」というタイトル)


デンゼル・ワシントン主演の映画に『イコライザー』というのがある。

本が大きな役割を演じてた…。


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超がつくほどに辣腕だった元CIA要員のデンゼルは引退し完全に身を隠し、名も変えて、今はホームセンターに務める。

このギャップがおもしろいけども、過去のCIA時代のしがらみを引きずっているのだろう、夜を眠れない。

悶々のあげく毎夜、近くの深夜食堂に出向いては、本を読んで闇をうっちゃる。

すでによほどの常連、マグカップに湯を入れたのをマスターが黙って持ってくるのは、すなわち不眠を重ねているというコトであって、デンゼルはそれに持参のティーパックを浸ける。

紅茶というより、おそらく日本茶をすすっていると見えるのは、彼のシンプルで規則正しい生活慣習の描写からの…、ボクの勝手な見立て。

やがて同店で、娼婦として客待ちしている未成年のウクライナ系らしき移民の女の子と交流がはじまる。

彼女はロシア・マフィアに雁字搦めにされた身の上。


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そのマフィアどもに手ひどい扱いを受けて彼女は入院。…そこで彼女の解放にデンゼルは立ち上がり、一気に痛快無比な活躍が…、という映画だけども、毎夜毎夜、食堂の片隅で本に接するデンゼルが、何とも"絵"になっていたな。

凶悪非道のマフィアや不正警官を叩きのめしたさいのみ、彼は本がなくとも眠れる…、というあたりの描写も良く、最近のデンゼル主演映画では、かなり高得点。

本では癒されない性質の苛烈がこの主人公には流れ、悪漢を倒したさいに見せる贖罪の詫びをからめたような眼の情動、時にその涙がらみの憐憫には、悪漢同様に法に則っといては生きていけなかった自身の過去を悪漢に見ているからで、だから…、スーパーヒーロー的ストーリーの映画ながら、その辺りの空気密度の歪みが高い。

一見は単純な映画にみせ、ホームセンターの店員がセンターの販売道具で戦うというところに眼がいっちゃうけど、実はかなり単純でない…。

少女役の女の子も、かつての『タクシー・ドライバー』のジョディ・フォスターに近似るピカッと光るところがあって好感だし、この2人がけっして恋愛方向に向かわない演出もヨロシかった。


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最初の出会いでの会話はヘミングウェイの『老人と海』。

巨大な魚と老人の格闘に人生の意味を語り、魚と老人は実は一体の表と裏のようなものだろうとの自説を開陳するデンゼルに聞き入る少女の眼が、険峻な老齢者のような殺伐とした色だったのが次第に初々しいものへと変化に…、着目。

同時に、『老人と海』の老人の心理を語りつつも、いまだ本が提示する世界に安住できないデンゼルの苦悶をも。

要は、知識としての本が彼の経験値にいまだ追っついていない…、という複雑な、人生の深淵をすでに見てしまった男の悲痛を描いてるようなところがこの映画にはあって、そこがまたチャーム・ポイントだ、きっと。


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「イコライザー」とは主に周波数の特性を補正する装置をいうけど、この映画タイトル『イコライザー』は含み幅が大きくて興味深い。

だから、本とのからみでもって、もう1話、続編があっても良いかとも思ったり。

そのためには、当然…、強靱で破綻のない本(脚本)が必需。

とま〜、そのようなオチをつけつつ…、何はともあれ、誰にも、"読む時間"は大事。


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※ ローマの街角で。スティーザ・マッカリーの写真の1部を引用。


ちなみに、写真集『読む時間』をプレゼントしてくれた某女はバスタブに浸かって文庫を読むそうな。残念、そこを見たことはないけど、ボクには出来ぬワザ。

同じ町内に住まう若い友人Takeshiも、たしか…、コミックスを風呂で読み耽るそうだから…、方々、器用と云わずばなるまい。

世が明治時代ならこんなドドイツも、有りかと…。


嗚呼チョッポン 

やれチャッポンなァ 

そっと〜 指で〜

めくりあげェ

髪は濡らせど 

紙しめらさず〜 ♪


※ 都々逸(どどいつ)の定型音数律は、七・七・七・五でなくっちゃ〜、ホントはいけねぇ。アタマの2行はお囃子、いわゆる"アンコ入り"として…。(^_^;

2017-12-12

話言葉と書き言葉


チョイと前の夕刻、宇野バスに揺られてたら中区役所前で2人組が乗ってきて前席に坐ったのだけど、聞き慣れない方言だった。

むろん盗聴という次第ではないけども、その会話の大半が意味不明だったから余計に気になった。

たぶん、どこかから出張されてきたんだろうけど、それで、遠い昔を思い出しもした。

大学に入った時、はじめて他県の人達の肉声に接したコトなどを…。


青森から来た人が2人いて、内1人は同じアパートに住まって大の親友になったけど、当時は学生が個人で電話など持ち合わせていない。

アパートの管理人室の赤電話での、呼び出しだ。

で、その青森の彼がお国のお母さんと会話してるのを横で聞いたことがあって、さ〜さ〜、それがもう異次元的、何を云ってるのか皆目サッパリ判らない。

まことに失礼じゃあったけど、そばで笑い転げてた…。


一方で、彼もまた、ボクの話言葉が「可笑しい」と笑う。

「ま〜、おたがいさん」

というアンバイではあったけど、でも、たとえば、文章での表現となると、お互い、そこでは岡山弁でなく、青森弁でもなく、地方色が抜けた共通認識可能な"書き言葉"になるんだった。


そのことがず〜〜っと気になっている。

ダブルスタンダードとして、話言葉と書き言葉をボクらは器用に扱ってるワケで、ちょっとした不思議をおぼえてたワケだ。

なので数年前、網野善彦の『日本の歴史をよみなおす』に、このダブルスタンダードのことが触れられているのを読んだ時には、なんだか嬉しくって、

「おっ、網野先生もそうか!」

と、ほくそ笑んだりした。

むろん、氏は歴史学者だから、書き言葉の変遷を克明に追ってカタカナの使用がどういう経緯であったかなどなどをあぶり出し、話言葉、口頭による日本語世界を、

「じつはきわめて多様な民族社会」

であって、

「日本の社会はいまも決して均質ではない」

と、結んでくんだけど、文章表現としての言葉の方にウエイトを置かれてるんで、ボクの抱えたクエスチョンへの直かの解答ではない。

けども、文章表現というカタチでもって方言という多様性を均一にし、そこではじめて相互理解可能な状態を生じさせたという見解は大きく頷けるんだった。


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この本ではじめて知ったけど、カタカナはその地方言語たる方言をそのまま記述するという用途が、当初にはあったようなのだ。

いささか万能なヒラガナに較べ、カタカナは当初から少数派というか、特殊例としての範疇で使われていたらしき…、なのだった。


ボクが学生だった頃と較べると、昨今はずいぶんと方言というカラーが薄まってる。

でしょ?

コンビニみたいに、均一度が進行してるワケだ。

なんか、少し、惜しいような気がしないでもない。

去年と、今年も、ジャズフェスのスタッフ仲間らとの談笑時、だんだん使わなくなった自分達の方言の数々を持ち出しては笑い転げたというコトがあったけど、さらに20年も経てば、いよいよに…、

「けっぱんじ〜た」

だの、

「ちばけな〜」

だの…、失われる可笑しみもまた多くなるんだろうな。


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※ なぜか同じ図版の表紙の…、別の本。

2017-11-22

グリム童話の誕生

今季は何だか寒さ到来が早い。

怪我でグズグズし、手入れ出来なかった庭のパッション・フルーツ。

南洋の植物ゆえ冬のアウトドアでは、この寒さをこえられない。

見れば、急激に色褪せし出している。

講演の後にしようとも思ったけど、もはや限界だろう。

本朝早くより庭にくりだし、枝葉を落としてやり、土中の根をカットし、小ぶりにして鉢ごと室内へ入れる準備。


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けど途中で雨が降り出し、作業はそこまで。

明日にでも室内に入れてやろう。


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※ これはパッション・フルーツではなく、パッション・フルーツのツルとツルがからみあって育ったフウセンカズラ。

半年ほど前の深夜に某BARで遭遇のドクターから頂戴したもの。それなりに育ったけど、これは冬を越すのかなぁ、外で…。

アフリカが原産とかいうしなぁ。


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それから書類をまとめ、午後1番で久々にN女子大へ。

銀杏のイエローが雨にうたれつつ、冬の唄を小さく歌ってるようで良い感じ。

古い校舎の深閑とした清廉も心地良い。

U教授の部屋で膝つめあわせて打ち合わせ。


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次いで数時間後、路面電車で移動し、神社で打ち合わせ。

こういう"愉しい"時間はアッという間に過ぎるね…。


我が顔の傷をみやって

「思ったより酷くないよ」

と、学校でも神社でも同じコトバ。

「ま〜、元よりさほどよろしくないフェィスなんで」

と、応えて苦笑。

(大きく笑うと唇が痛い…)


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途中、イオン岡山に寄り、スパイスをまとめ買い。

(厳密に区分すれば、これは塩の類種だ)

どういうワケか、置いてる店が少ない。

あれこれ試してみたけれど、これがベスト。

キャベツの千切りに実にマッチする。

かかせない。


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夜になりかけた頃のバスからの濡れた光景が、妙にファンタジーっぽかった。


帰宅し、唇に化膿止めのオクスリをば塗布し、小澤俊夫の『グリム童話の誕生』を拾い読む。

読み始めて早や数日。ものすごい情報量に当初は困惑したけど、日本の昔話の収集家にしてグリム研究の第一人者の本。

ヴィルフェルムとヤーコブが昔話をがんばって集めたように、小澤もこの兄弟の残した航跡をがんばって拾い集めてらっしゃる。

だから情報量の質が厚い。

"メルヘン"ではなく"メルヒェン"と記し通して、心意気も熱い。


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後年、『ドイツ語辞典』を創りはじめたグリム兄弟は、"F"の項目まで書いて没し、その後、弟子たちに意志が継がれて、第1次、第2次大戦が済んでも終わらず、完了したのが123年後の何と1964年…。

ベルリンの壁が壊されて再統一され、1991年に記念のお札がドイツで発行され、グリム兄弟の肖像が使われてるのを見て、

「そうかメルヒェンの父だもんな〜」

などと思ってたけど、ドイツでは、その『ドイツ語辞典』編纂の経緯と業績を高く評価…、ということらしい。

なにしろ東西に分裂していた長く暗い時期にあっても、唯一、東と西に分断されたドイツ語編纂所(ベルリンとゲッティンゲン)だけは電話オッケ〜手紙オッケ〜という特例であったらしく、いわばグリム兄弟は国家再統一のシンボルだったワケなのだ。

そういうことをこの本で学びつつある。

木の葉の下に埋もれた細い枝を見つけるような作業を何十年もコツコツやってこの本を作った、その根気にもまた。


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だいぶんと前、amazon プライムで観た映画に『ヘンゼルとグレーテル』があって、SFファンタジーの特撮モノ。青年になったヘンゼルとグレーテルが魔物どもと闘う話。

戦いのさなか、時折りヘンゼルが自分で注射をうつシーンが出てきて、

「何だろな?」

と、思ってたら、幼少時、お菓子の家に幽閉されている間、お菓子ばっかり食べてたもんだから糖尿病を患って…、それでインスリン注射という設定になってて、これには笑わされた。

ま〜、映画そのものはたいしたこっちゃ〜ないけど。

しかし、その注射針が実に昔っぽく、太くって、実に痛そうで…、なんだかそこにオリジナルのグリムが、むろんグリムの話に注射など登場はしないけども、テーストの真味が潜んでるような気がしないでもなかった。


さ〜てと、一気に打ち合わせを済ませ、数日後に講演。

わたしなりの、情報収集を開陳という次第で、どうなるコトか…。

26日の日曜-午後2時より岡山シティミュージアムにて。

よろしくどうぞ。

2017-10-15

ゆく日くる日 ~森の生活~


新関君の葬儀があった水曜の夕刻、朝日新聞社から世論調査の電話。

むろん衆院選のこと。全国8万8千世帯を無作為対象に選んでるそうな。

腹立たしいセールス電話(電話回線を変えるとメチャにお得になるとか)ではないんで、忌憚ない気分を伝えた。


その結果が土曜の朝刊に載って、「えっ!」と驚いた。

自民と公明が優位で300議席確保という。

あれだけ問題を抱え不具合あり…、と云われているに関わらず、わけても、20代、30代の若年層に自民党を支持する声が高いとか…。

啞然としたよ。

若者は社会に反撥するもの…、それゆえ体制の側に組みしない姿勢でいる…、というのがボクの中の感覚だったけど、そうでないらしい。

世に順応する若者の方が多いらしい。

かつて数多の小説や映画や、たとえば大友が描いた『AKIRA』での鉄雄や金田などの "イカレタ"、あるいは"怒れる若者"は、いまや極く少量のマイノリティーであるらしい。


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これは、つまんない。

先が重いやられて、とても息苦しいよ。

なのでソローの『森の生活』をば、思い返した。

社会のしがらみから離れて、自給自足の生活を夢みないわけではない。

今のような政治状況下ではとくに。


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新関君のブログに、盟友の酒井君が追悼文を寄せている。

心のこもった文に新関への友愛が沁みてる。

新関の心残りを、酒井君ほか多くが共有して解消に努めるべく心に刻んでいるのが嬉しい。

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7年だか8年この岡山に住まって、ついこの前、個展をやったMOMOちゃんがこたび住まいを東京に戻した。

今夜は200ケに近いダンボール箱に囲まれて独り寝るんだろう。

ちょいと周辺が寂しくなるけど、次なるステップを思えば、彼女にとってはゼッタイに東京住まいの方がいい。

いやホントはニューヨーク界隈に出向いてく方がより良いとも…、思ってるけど、ともあれこれは慶賀。

新たな生活の中に新たな火をおこして欲しい。


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※ 2011年のクリスマスでのツーショット。


去ることで、逆にいっそう近寄る何かもある、ぞ。

ソローが、2年と半年ほどのウォールデン池そばでの隠遁生活で得たのは、そんな感慨ではなかったか…。

2017-07-10

少年ロケット部隊


某放送局宛にと乞われ…、ほんの数日で提出出来ると思ってた書類作りに手間取ってしまった。

近頃は、1日で出来るコトは数日かけてヤレばよい、というスタンスでいるもんだから、そのクセがここでも出たかとも思ったけど、チョット違う。

アレも含め、コレも含めなくっちゃ〜な、そよぎに加えて、たぶんにいささか緊張が加わっている。

緊張の必然はないんだけども、どこか、

「ボクにしか出来ないじゃん、それって…」

な、おごりがあったからだろう。

それが昂ぶりになって、結果、数日で出来上がるものを、10日費やしてまだ完了しないというテイタラクを産んじまったようだ。始末が悪い。

スイ〜ムスイ〜ム ス〜イム スイムで行こう〜♪

昔、そんな歌詞の歌謡曲があったけど、泳ぐようには事が運ばないのだった。

けど一方で、そうやって時間をはむと、当初にはなかった新規も生じて、書類作りに幅と深みと高みも生じてくるのだった。

寝かせることで、味が増加するみたいな、発酵熟成みたいな、旨味が出てくるのもまた… 否めないのだった。当然にテキスト量も、多くなるけど。


それで、そこをイイことにして、日延べを自ら呑み込んでみるや、ま〜るで大昔に味わった、中間や期末テストの前夜、一夜漬けオベンキョウモードのはずが、やたらとマンガを読みたくなって、しかも読むや、通常よりはるかにマンガの理解と魅惑にひたれるみたいなのと同じ…、奇妙な充実もまた味わうのだった。

実際、こたびもマンガを読んだのだ。

書き仕事を少し進めた後、書棚で埃を被ってた横山光輝御大の本をば取り出して、一巻から順に…、読み出したのだった。


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『少年ロケット部隊』は、幼少のボクが津山に生息していた頃、イトコの家で盗み読んだ月刊『日の丸』に連載されてたもんで、子供のボクはこれに相当かなり…、はまってた。

とはいえ、あくまでもイトコの家で、イトコの眼を盗んでの読書。自分で買っちゃ〜いない。

というより、月刊誌を買えるほどのお小遣いをもらってないので、イトコのを盗み読むっきゃ〜なかったんだ。

本誌の真ん中にドッチャリとオマケの冊子とペーパークラフトっぽい型紙なんぞが挟んであって、それがヒモで括られ、とにかく分厚いのを…、自分で買えるのを夢みた頃の淡い昔、だ。


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※ 当時の『日の丸』(集英社刊)。のちの「少年ジャンプ」の前身だ。


そういう時代を過ごしたもんだから、はるか後年になって、それが単行本になったさい、

「ワッ!」

てな嬌声あげて、食いついたのだった。

オリジナル原稿が紛失で大手出版社からは出ず、当時の市販本をスキャンしたカタチでまとめられた同人誌みたいな本で、1冊が1600~1800円と高額なのが嬉しくなかったけど…、有り難いことに変わりなし。

全8巻。それを、こたび再読したワケだ。


宇宙人が地球を侵略する。それに対抗するために日本は少年パイロットによる部隊が編成されて活躍するという話。

いまや子供の時のワクワクもドキドキもないけど、懐かしみある親近と、妙な探求心もまた生まれ、しばしホッコリとした次第。

このマンガでは米国の当時の大気圏外飛行に向けての実験機X-15が日本の戦闘機として登場しているのだけど、子供のボクは、黒1色のそれをずいぶんカッコ良く思ったもんだった。


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昨年だっけ、『インディペンデンス・デイ』の続編が公開されて、これに出て来たのが、"カッコいい戦闘機"で、前作でやっつけた宇宙人のテクノロジーを人類が吸収し、応用して量産化した宇宙船という設定だ。

大気があろうがなかろうが関係なく飛行出来て、地球から月までが20分ばかりという超速な仕掛けながら、きっちり翼があるのがご愛敬。

そういうテクノロジーを持った人類の前に、また宇宙人たちが攻めよってくる…。

この映画を鑑賞した時、なんだか「少年ロケット部隊」をボクは思い出してた、な。

かたやマンガは50年前、かたや映画は極く最近のものだけど、単純明快というかお気軽な展開は…、一緒。


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※『インディペンデンス・デイ リサージェンス』の宇宙戦闘機


『インディペンデンズ・デイ リサージェンス』は、前作同様にニヤッと笑って観る程度の映画だし、20年ぶりの続編ながらウィル・スミス以外の登場人物が一同にかいし、なかなかの同窓会っぷりにいっそうニタニタし、それらベテランの役者と今回の主役の若者(戦闘機のパイロット達)に扮した役者たちとの演技力の差が際立ってた。

特にダメなのがリーダー役の若い人ね。眼ジカラがまったくなくって、とてもパイロット達のリーダーに見えないんで、これはミスキャスト。

そんなアラ探しもまた愉しめるという妙なアンバイな映画なのじゃ〜あったけど、中国人を意識しての映画の造りには、時代の流れを感じないワケでもないのだった。

マット・ディモンが1人火星で苦労する『オデッセイ』もそうだった、ね。

市場原理、というヤツだ。

90年代あたりの映画じゃ、『ブレードランナー』を含め、日本市場を意識したシーンが散見し、中には『アルマゲドン』だったっけ…、松田聖子が嬉々として渡米して撮影に挑んだら、隕石にグチャリ潰されるだけの役だった〜、なんて〜のも含めて、日本が意識されてたもんだけど、少子化で観客動員が衰退な国よりも、政治事情はどうあれ、所得水準があがってより多数が観る国向けの描写にシフトするのは、これはもう仕方ないこと…。

なのでボクらは人口減少による衰退をよく考慮した上で地球上の国家としての立ち位置を踏まえ、憲法改正だのがホントに今すぐ必要なコトなのかどうか、などなど、考えた方がいい。


『インディペンデンズ・デイ リサージェンス』は興業収入はとても良かったらしいが、誉めるには難アリの映画だった。

その源泉は、戦いが済んでの最後の顛末だ。

2度目の襲撃を打破した人類は、2度目の襲来でさらに宇宙人達の技術を"獲得"し、今度は、

「ヤツらを滅ぼそう」

独立自衛から一転、宇宙人の星への侵略宣言しちゃって映画が終わるんだから…、これは始末が悪い。



さてと『少年ロケット部隊』だけど、今読み返すと、子供の頃に関心したり感心したところとは違うところで、おや? と思えたりして、ま〜、そこが面白かった。

主人公の少年パイロットは撃ち落とされ、地表でもって市民のレジスタンスな方々に会い、そこからはX-15での痛快な活躍じゃ〜なくって、仲間を疑うしかない疑心暗鬼なドンヨリした話になる。

人間が宇宙人に浸食され、浸食された人間の血液は緑色…、なのでたえず血液検査を強いるというような、単純ながら濃厚味ある展開がゲリラ戦のさなかに折り込まれて、今のボクにはおもしろかったワケだ。

ま〜、おもしろいたっても…、そこは横山光輝流の軽量配分が優った描写なんでスルスル読めてしまうけど、ビールのおつまみにアンマンジュウを喰ったみたいな妙は味わえ、おもしろかった。


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思えば昭和20年で敗戦し、大いに"反省"のさなかの15年目のマンガ(1960〜63に連載)だよこれは。

根底には横山流の平和主義と希求があるんだけども、世界平和に貢献するための武装が描かれてるワケで、ま〜、頼もしいというか、何というか奇妙に矛盾したバランスを思わないではなかった。

昭和30年代は今と違い、憲法9条がぶれたりせず、"活きた"時代だったとふり返られるけど、マンガ世界では、「紫電改の鷹」にしろ「サブマリン707」にしろ、平和主義と武装の引き裂けそうな狭間でもってケッコ〜見事な花が咲いてたな〜と、そこを考察する論者が出てくれないもんかしら…、とも思ったりもした。

ともあれ作業しつつ、読了。

こういうのは息抜き…、なんだろうか? 充塡なんだろうか?

ま〜、そんなコトはどうでもよろしい。

マンガ読みつつも、ともあれ、どうにか書類をまとめて本日に提出しました、めでたしめでたし、という次第なのでした。



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2017-06-02

パッションフルーツ移動 ~伊曽保物語~

毎年の冬から春に至るおよそ半年、室内で越冬させていた2本のパッションフルーツ

内1本がダメになった。

薔薇農家みたいに夜間も暖房を入れ、けっこう気を使っていたものの、徐々にグリーンが色褪せ、全体が茶色になってしまった。


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同じ条件下に置いた2本ながら、1本は元気。原因不明。上からユックリ下へと緑が茶に変じてったから、水分摂取がうまくいかなかったのかもしれない。

かなり残念。

けども昨年に、何本か挿し木に成功し、内1本がそれなりに育ってくれた。


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もう6月。

世代と新世代を、小庭に移動。

世代は昨年同様、鉢ごと土中に埋める。

(鉢底の水抜き穴から根を下ろすので、これで良い。また、そ〜しないと、後述するけど根が拡散し過ぎる)

世代は鉢を変えるにとどめ、土には埋めない。


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あたたかくなったとはいえ、室内から室外というのは環境激変。

明け方は気温が下がるし、日中は陽射しに負けもするから、グッタリした姿をみせ、水やりを怠ると大変なことになる。

しばし眼がはなせない。

面倒なこっちゃ。

けども落ち着けば半年の越冬我慢を忘れ、南洋の大らかさでもって、伊武雅刀云うところのモジャ・ハウス的な伸びっぷりを見せるから、そこを楽しみに面倒をば…、呑み込む。

アイビーやアサガオと違い、パッションフルーツの葉が艶やかでとても柔らかな感触があるのも好感。


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成長5年めでダメになったのを、鉢から出し、土を落として根を観察する。

毛細血管のような細い毛根が特徴。

ひと夏で4〜5mも枝葉が伸びる秘訣がここに有り。土中の水分をドンドン吸収するわけだ。当然に根もよく奢る。

この毛細が土中に数メートル拡がる。小庭ゆえ他の植物の根に干渉するのは困る。ゆえに鉢ごと…、のワケだ。


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さてと。

作業(というホドのものじゃ〜ないけど何かそ〜いうとカッコいいので)後、『伊曽保物語』とそのオリジナルを並べ、拾い読む。

「漁師と鮪」がいい。


漁師が海に出て丸1日悪戦苦闘したけど何も獲れない。

ガックリ途方にくれていたら、何かに追われたか鮪(まぐろ)が水面にはねあがり、うっかり舟の中に飛び込んできた。

漁師は捕まえ、町へ持ってって売り、いつも以上の収入を得た。


『伊曽保物語』は、かのイソップ寓話の日本仕様。

原型は室町の末期、戦国時代に入ってた。

現存のイチバン古いものは、信長がなくなってチョット経った頃、天正19年(1591)に、イエズス会の宣教師が島原の加津佐というところに設置した活字印刷機で、その頃の日本口語体でもってローマ字で刷ったもの。

おそらくたくさん刷られて配布されたろうが、その後の弾圧だ…、『華氏451』さながら焼きに焼かれ、日本からはすべてが消え去って、今は英国の大英図書館にあるきり。

(江戸時代になっての島原での大弾圧までは、1部の日本人はローマ字に馴染んでいたというコトの証拠品でもある…)

ローマ字活用法と当時の日本の口語は今とはかなり違うから、実にまったく読みにくいけど、宣教受難を生き残った稀覯本。たしか大英図書館では国宝級の扱いになってるはずだ。


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いちばん上の2行。

「エソホ(イソップ)が生涯の物語 略」

と、読める。X-Oはショウだ。


イエズス会の方々は離日し、残された信者はメチャな迫害を受けたのが史実だけど、けどもそのイソップ寓話は、シッカリと日本に定着した。

口から口に伝わり、丸ごとおぼえたヒトもいた。『華氏451』の"ブックピープル"をボクは思い出す…。

やがて江戸時代。キリシタン断固禁止ながら、滑稽話のような体裁にカタチをかえて出版が相次いだ。

それが、『伊曽保物語』。


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元より、イソップは紀元前のヒトだからキリシタンと関係もないけど、取り締まる側はそうでないから、江戸時代の出版人はなかなか気骨があるとは、いえる。

とはいえ、「漁師と鮪」のような話には宗教的疑念をはさむ余地はないから、取り締まりの役人側もまた、知らず愛読していたにも違いない。

今は美術館や図書館の稀覯本として収まっている江戸期のそれらが、多くは武家の蔵から出てきた…、というのがその辺りの事情を物語ってる。

たぶん、その家の子女や世継ぎの息子なんぞに読み聴かせていたんだろう、な。


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※ 1659年(万治2年)版の1ページ


ま〜、「漁師と鮪」的に、やらなきゃいけないコトがピョピョ〜〜ンと片付かないかなぁ、

「果報は寝て待て」

と云うしなぁ、などと本日は気休め半分にこれを記してるワケだけど、でもこんな一篇もあったよ。


腹ペコの狼が食物を求めてうろついてたら、とある家の中で老婆が、泣きわめく子供に、

「泣き止まないと狼にやるよ」

というのを聞いて、

「しめた」

と思って外でジ〜〜〜ッと待った。

でも日が暮れても何もおきなかった。

狼は失望し、

「いうコトとするコトが、別々じゃんか…」

立ち去った。


オリジナルでのイソップは結びに、

「言葉と行いを一致させない人達に適用の話」

としているけど、この場合、果報は寝て待ってもやってこないぞ〜、とも取れるね。

「ものくさ太郎」の自堕落をボクは好むんで…、期待して待機の狼に同情出来ないけど、そんな感想と共に、でもイソップのバランス感覚にいまさら、驚いたりした。彼もまた苦労したんだな〜(ながく奴隷生活をおくっていたという)、そう確信しつつ、そこをうまくテキストにまとめていったワザに攫われる。


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彼はかたよらない。

複眼で1点をとらえ、点が球になるまで凝視し、事象を3D化してる。

イエズス会の連中がこれを1つの教材として用立てたのも、うなずける。

当時の仏教勢力、とりわけ地域の末寺は権威にアグラしてかなりに堕落退廃もしていたようで、そこにイソップのようなピュアな心象世界をキリシタン的世界と結んで布教に用いれば、一休さんの頓知じゃ追っつかない、カトリック優位な"良き武器"になったとは思える。

著作権者としてのイソップがもし生きてりゃ、「そんな活用はこまります」だったかも知れないが。

2017-05-28

びっくりメガマウス ~オウムガイの謎~

目撃例とごく少数の標本ありで存在は知られていたものの、動いてる写真がなかったメガマウス。

こたびやっと、定置網にかかって撮影が出来たという次第だったけど、デッカかったね〜。

このような巨体生物の動画が今の今まで撮れなかったというのが、ま〜、おもしろい。

いかに地球が広くって、まだまだ未知がございますよ〜、と告げられたようなもんだ。


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遠方の火星ではかねてから探査が続けられているけど、いまだ「生き物の証拠」は出ずで、ちょっと長嘆息ついちまうようなところもあった。

でも、そうですわな。

容易に見つけて写真に撮れようワケもない。

メガマウスのような巨体が生息できる環境時代ははるか大昔に終焉した火星なんだから、いても、せいぜいがバクテリア的なミニ・サイズだろうし…。


けども何だか常に、未知なものへの憧憬というか興味というか、遭遇したいなぁ、の気分というのは、誰にもあるね。

ネッシー、クッシ〜、雪男…、この岡山じゃ〜ツチノコとかね、いずれも生物学的常識の範疇では無理でしょうけども、でも何だかいて欲しいと思わずにいられない…、というのは何ナノでしょうな?


といって、じゃ〜実際に海で泳いでてメガマウスに遭遇したら、メチャ慌てるよ。

山中でツチノコに遭えば、心臓凍るよ。

パニックだな。

恐怖だな。

メガマウスは肉食じゃないから、よもや喰われたり囓られたりはないだろうけど、異形なデッカサに圧倒されて、痺れちゃって卒倒もんだと思うな。

でも、見てみたいと…。

だから、怖いモノ見たさがかなりのパーセントをしめる。

こういうのは、海遊館のぶあつい透明アクリル板の向こうで泳いでるのもイイけど、そうでなく、出会いガシラでビックラこいた〜ぁ、がイイのだね。

ま〜、こういうのを"希望的憧憬"と云うんだけど、いいじゃん。


もうズイブンと前だけど、世界中でトップ・ニュースになったのがあったね。

衝撃度も高かった。


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あまりの腐敗臭にすぐに捨てられてしまって、残ったのが複数枚の写真のみ。

何たら鮫の死骸にマチガイないとか、いやそうでないとか、物証がないから議論白熱で、けどもヒトツキ後にはもう誰も話題にしなくなったね、確か。

経験豊富な海の男達をして、

「?!」

だったから、彼らはわざわざ貴重なフイルム使って写真を撮ったりもした(デジカメ時代じゃないよ)わけだけど、調査船じゃ〜ない。あくまで魚を獲って船内で加工する私企業の船だからね、強烈に腐敗している巨大なのは即座に捨てるのがアタリマエだったろう。

思えば惜しいことだったな〜。不明が不明なままで終わった次第だ。

いまだにボクは密かに、「アレは何たら鮫とかじゃ〜なくって、名前もない何か判らんものの死骸」だったと思ってる、ヨ。


けど、もう1つ思うんだけど、万が一にそれが未知の新発見だったとして、そしたら、それに名がつくでしょ。名があたえられ、個体数は非常に少ないが生息していると決まったら…、その途端、今までの興味がフイに萎んで、

「なんだ、つまらん」

というコトになるんじゃないかしらね。

未知だから興味あったけど、既知となれば、もはやシーラカンスご同様、

「ぁ、それが何か?」

って〜なアンバイに成り下がるじゃないかしら。

ま〜、だから、未知は未知のままで有り続けるのがよいのかも、ですな。

ネッシーも雪男もダンコ捕獲されちゃ〜いけないんだよ。

あくまでもどこまでも、"いる"ような気配が大事。


おもえばスピルバーグは『未知との遭遇』で、ニッコリ微笑の宇宙人たちを大勢出しちゃって、前半から中盤にいたるワクワクが台無しでボクを相当ガッカリさせてくれたもんだけど、捕獲された翌日にもう呼吸をとめたメガマウスには、どこか、

「神秘のままにして欲しかったな〜」

の、意思表示として自ら死を選択したような感がしないでもない。

(その死の翌々日だかに、また1匹出て来たのもオドロキだけどね)


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ニッコリ宇宙人より、宇宙人を見てる方々に何だか宇宙人を感じた『未知との遭遇』…。


一方で、そんな気配の関数っぽいポエジーではなくって、リアルな科学探求もまたおもしろいね。

ピーター・D・ウォードの『オウムガイの謎』は、調査研究の歴史を紐解くみたいな趣きの本だったけど、生きた化石のように一般には思われるオウムガイが実は比較的新しい種類の生物というコトを示唆してくれて、

「あらまッ」

微かに驚いたりもした。

新しいたって古生代のハナシだけど、そのはるかはるか以前およそ6千万年も続いたカンブリア期で青春や老春を謳歌して悠々の三葉虫が、ある日突然に喰われるコトになったというドラマだ…。

喰われつつ三葉虫は自分をついばむモノの正体が判らなかった…、のがオウムガイ(の仲間)。まだ魚類は登場もしないロング・ロング・タイム・ア・ゴ〜に連なる長い話。


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オウムガイの特徴は殻の内部が幾つもの隔室にわかれ、そこに水を入れたり出したりすることで浮力を造っていることで…、ヴェルヌの『海底二万里』のノウチラス号は云うまでもなく潜水艦はすべていっさい、オウムガイ(NAUTILUS)の構造模写な物体だ。

その隔室たるや建築デザイナーもビックリの見事な螺旋構造…。


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しかし、ヴェルヌの時代にはその隔室にはガスが詰まっていると思われてた。

すべての魚は浮袋を持っていて、そのおかげで水中に浮いている。

オウムガイも同様、隔室にガスをためてると思われ続けてた。

それが覆ったのはついこの前の、1966年、英国の2人の学者さんの「オウムガイ類の浮力について」という論文によってだ。


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深い場所に住む魚を一気に海面まで連れ上がると、浮袋が破裂し、魚は死ぬ。

浮袋はある一定の深さ、一定の圧力にしか対応していないから、圧の低いというか1気圧の海面にまで運ばれると、内圧で膨れ上がってパチ〜ンなワケだ。

しかしオウムガイは、たとえ水深460mから0mまで一気に移動させてもヘッチャラだ。

硬い殻は膨らむことが出来ないから内部の隔室は上昇に連れて高い圧力になるはず…。

なんで壊れない? なんで平気なの?

そこで殻に小さな穴をあけて実験してみる。高圧だからプシュ〜とかバッシュ〜とかな勢いでガスが漏れるだろうと予測された。

でも、出なかった。それどころか穴に海水が入っていった。

海水が入るというコトは隔室は1気圧以下の空洞というコトになる。

さぁ、ますます判らなくなった。

その解明のヘルプとなったのがレントゲンだ。

元気なオウムガイに大きく息を吸わせて「ハイそのまま」と撮影したところ、隔室は大部分が空洞だったけど、ハッキリ白い影も映ってた。

ガンか? ちゃうちゃう…、液体があるのだ。

それで、

「殻の中の液体の量を変化させることで比重を調整している」

オウムガイの生態がやっとこさ判った。

でも今度は、短時間のうちに水(体液)をどうやって隔室(およそ30数室ある)にいれるのか、排出するのか? という疑問にぶつかる。

潜水艦には必ずある排水バルブや排水孔みたいなものも、ない。


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その解明経緯を書いてくれてるのが、『オウムガイの謎』なワケだ。

血液が浮力を得るための透明な液体に転換し、隔室に満ちるその様子は…、神秘としか云いようもない光景だろうね。

60年代に『ミクロの決死圏』というSF映画があって、人体内をプロメテウス号という潜水艇でめぐる過程が描かれ、当時の特撮技術をフル動員して、呼吸で入ってきた酸素が血液に転換するシーンを見せてくれたけど、読みつつボクはそこを思い出してた。

とてもおもしろい。


しかし、科学の現場じゃ、1つ謎が解けたら、ではそうなるには何が機能してるの? 次ぎの問いが出て来る。

「什麼生(さもそん)」

「説破(せっぱッ)」

ま〜るで禅寺の問答のように問い続けられ、解き続けなきゃいけない…。

オウムガイの研究者たちは当然坐って沈思してるんでなく、南洋のねっとり汗ばむ大気の中、何日も海に出ては問いに応えるべく、乏しい資金をやりくりしつつ研究してらっしゃるのだから、頭がさがる。

徒労に徒労を重ねて年数も必需。仮説を証明するに価いする結果が得られないコトも多。大変だ。


オウムガイはその寿命のながさなど…、まだまだ判らないことだらけらしいが、硬い顎で大きなロブスターの抜け殻なんぞをバリバリ食事し、かなりな深いところまで潜る能力(1000mくらいまで)、逆に浅いところまで上がってくる性能(垂直移動する)といい、適応力の幅を広くしようと努力している。

数千年先の海では、このオウムガイあるいはその仲間が海洋の水深400m前後あたりでの王者…、ということだってあり得ないことじゃない。

ま〜、その頃に人類はすでに「生きた化石」程度の希少種になって、ひそかに山中で細々おびえて暮らし、その頃の陸の支配者となった何かの文化的生物に、

「あのさ、●○山にはユキオトコがおってさ、何か煮てさ喰ってさ…、怖いけど見てみて〜な」

みたいに噂されるコトだって、あってイイや。

2017-04-14

花鳥風月 ~御伽草子~

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毎度のことながら、春のスピードは速い。

ユスラウメの花がほぼ一気に咲き、アレヨアレヨの内、もう緑に変わる。

かの花咲爺は開花速度をいっそう高めたがる人だけど、せっかちだなぁ…、の感想も浮く。


ま〜、高速老春はさておき、いつ聞いても、いつ口にしても、ぁあ〜なんて雅びな4文字熟語かしらん…、そう思わずにいられないのが、「花鳥風月」。

中学生の頃には、資生堂だかカネボウ化粧品だかの造語だと意味もなく思い込んでた。


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花鳥と風月はそれぞれ別な領域に置かれた単語で、あわせて綴ったという次第じゃ〜、最初はなかったようだ。

語源をたぐると、「花鳥」は詩歌や絵画などに題材を置くさい用い、ときに、

{花鳥の使}

などと、艶書(ラブレターだな)を"使い"に運ばせた男女間のことを指したりもする。

古今集には、

「好色の家にはこれをもちて花鳥とし…」

などという粋な表現もある。むろん、京に生息の公家階級でのハナシ。一般ピープルの恋愛模様に"使い"など、いない。

この使用例で判る通り、「花鳥」はイメージが広いんだ。活用に幅があるの。

一方の「風月」は、主に自然全般を題材に詩歌を編むさい使った。というか、そのコト自体を指していたらしい。

それが合わさって、4文字でもって、"風雅な趣き"という感覚熟語になったのが、鎌倉の時代か室町の時代か、いつ頃なのかもはや判らない。

しかし、 言語の優位を云いたいわけでないけど、英語では、

「Beauties of Nature」

としか訳せない、感覚鋭敏な1語4文字であるのはチョット鼻高い。

生のリアルでないフィーリングこそを前面押し出しの、想像力と構成力が素晴らしい。


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当初、風月はフ〜ゲツでなく、フゲツと発音した。

なるほど、声に出して読むと、

「カチョウフゲツ」

の方が、ヒップラインがクッと上がって、締まりがいい。4文字の背スジがシャンと伸びる感じがしなくもない。

けど一方、フ〜ゲツと伸ばす発音に馴染んでる耳元では、淡くボカシがかったような日本の景観と、ゆるやかなくすぐりを感じて、なんだか自然っぽ〜いと意識しないでもない。春のうつろいを肌に感じる今日この頃ゆえ。

感覚もまた習癖に馴染むものなのかもしれない。


意外と知られていないけど、御伽草子の1篇に、『花鳥風月』というのがある。

これは人名だ。

花鳥と風月。

カチョウさんにフゲツさん。

京の都の近隣に住まう巫女さんだ。


ある時、お公家達が集ってパーティしているさい、古い1枚の絵(扇絵)をめぐってケンケンガクガク、意見が2つに割れた。

大変に美形な男が描かれ、そのそばで女が顔を覆って泣いている絵。

ある者は、

「このだんしは、ありわらのなりひらにちがいなし」

といい、ある者は、

「いいや、ひかるのげんじをうつしもの」

白熱し、止まらない。

それで、こういう場合、ピタリと真相を云いあてる巫女が、都の近くにいるというので、呼ばれたのが花鳥さんに風月さんなワケなのだ。


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公家というのは… ヒマなもんだ。というか、そ〜いうコトをやって文化的履歴を更新させ続けるというのが、ま〜、役割だ。彼らがいなきゃ〜、平安から江戸期にいたる歴史的背景の大事な部分が判らなくなる。


で、2人の巫女がお屋敷(羽室中納言宅)にやって来た。

男の公達は、2人が老婆でなく若い美人だったもんだから、動揺する。(この場合は下心が萌えた的な)

ま〜、そこは置いて…、ともあれ一同集って、問題の扇をひらいて絵を見せる。


はたして、平安時代最高の美男子で歌人だった在原業平か、物語史上最大のイケイケイケメンの光源氏か…。

見守る公家達の前で、花鳥に異変がおきる。

在原業平が憑依して、彼の女性遍歴をしゃべり出す。歓喜の1夜やら、つらい恋の思いを吐露する。

それで在原に1票の方々は、それみたことかとニッコリだけど、しかし、花鳥は最後に、

「でも、憑依された御方の絵ではございません」

断言する。

「え? どないなコトどすか〜ン?」

と云ったがどうか知らんけど、一座は困惑する。

そこで花月は持参した鏡を取りだして、呪文を3度となえる。

すると、鏡に女の像が浮く。着ている着物から扇絵の女とわかる。

女は、光源氏はわたしといっぺんセックスしただけで後は見向きもしない… という意味の恨み言を語る。


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さて、そうする内、今度は風月に光源氏が憑依し、鏡の中の女と問答をはじめる。

女は思いっきり恨みをいい、源氏の女性遍歴を暴露し、やがて次第に消え、変わって、鏡の中には扇絵と同じ顔のイケメンが浮き上がる。

風月は正気に戻り、

「扇に描かれているのは光源氏です」

そう告げる。

これでパーティでくすぶった火は消され、一同納得。両名には小袖10重ね、沙金(砂粒状の金だよ)10両が賜れて、めでたしめでたし…。


と、以上が概ねのストーリー。

ここで紹介したカラーの原本は、慶応義塾大学の図書館が大事にしまってる。室町時代後期に造られたものらしい。

物語として、さほどオモシロクない。

場面転換のない1室でのハナシ。起伏も平坦。憑依しての女性遍歴バナシがながく退屈な部類にはいる…。

(だからか? お伽草子を扱った本でもこの1篇はたいがい紹介されない)

では、この草子は何をいいたいのか。

なぜ、かつては幾つかの類本まで編まれ、それが今に残っているのか?


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これは、いわば公家の社交上での基礎知識の一部を、物語的に綴ったものなんだ。

平安時代の「源氏物語」やら、史実としての在原の女性遍歴、またその遍歴が背景にある彼の物語たる「伊勢物語」は、鎌倉・室町時代の公家や、そこに出入りの新興勢力(商人とか武人とか)にとって基礎教養というか、それらを知っていないと会話についていけず、

「なぁ〜にも知らない御人どすな〜」

笑われる部類の"常識"ないし"知識"なのだった。


なので、この御伽草子「花鳥風月」は、古典入門の書なんだと、思われる。

でもって、花鳥と風月は、まさに公家社会における詩歌などなどの題材そのものでもあって、いわば象徴として巫女2人はその名をつけられている… よう解釈できる。

なかなかシャレてる。


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しかし一方で、

「何をいまさら…、すべて承知しておりますぞよ」

源氏物語なんか、と〜の昔に読みましたわよオホホッ、って〜なアンバイのヒトの方が多くって、これを読む公家は…、よっぽどの若年か、よっぽどにアンポンタンだった…、というようなコトもまた考えられもする。

長編なオリジナルは読み通せなかったけど、絵物語になった「花鳥風月」が、いわばリーダース・ダイジェスト、いわばマンガで読む歴史、軽やかな要約として教えてもらう… という消息がほのかに見える気もして、だから、今となってはそこがオモシロイ。

公家の中にも、出来の悪いのがいたんだなぁ、と想像できるワケだし、また、絵が入るとヒトは注意力やら関心がアップするんだなァ、との納得もおぼえる。

花鳥風月の4文字が定着したのは、この御伽草子のおかげかも知れない。

であるなら…、今さほど紹介されない扱いはやや不当にも思える。

事実、江戸時代の喜多川歌麿はそこを材にして、みごとになめらかな線でもって作品を産んでたりもする。

彼の凄さは、時に文字すらも風景の1部かのように切り取ってしまうワザ。この作品もそうだ。4文字の半分は版木の外にある。読むな・眺めやがれ…、な気っ風の刻みようは学んで体得出来るものじゃない。


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なぜ今回、「花鳥風月」を取り上げたかというと、数日前の夢に、出てきたから、だ。

近頃ケッコ〜面白い夢を見るんだ。ウフッ。

部屋の中に、着物の女性が1人坐っていて、すぐにわかった。

(とはいえ途中でSF的展開になって彼女はいなくなったけどさ)

でも、それが花鳥さんか風月さんか、どっちかわかんない。

顔も思いだせない…。

目覚めて察するに、ただも〜、出たのは花鳥か風月のどっちかというコトだけ。

ま〜、それが口惜しやという次第で。

2017-01-26

茶の本


いつものことながら、イベントが終わると軽度なエアポケットを味わう。

さらなる模型というか、製作途上で中断しているのも有るんで、気にはなるんだけど、ま〜、あと少し、ここ2〜3日はボンヤリしちゃえ… と甘誘に浸透されるまま、何本か連続でDVDで映画をば観賞したりする。

普段あんまりしないけど、テーブルに足投げだして、横柄に。

こういうお気軽な飽和が、実は好き。

怠惰をはむ… とはよくいったもんだ。


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しかし、アメリカ映画ではショッチュウ、足投げだしポーズが出てくるね。

映画に限らず、たとえばオバマの写真など眺めるに、彼も執務室でテーブルに足投げだしをやってたりもする。

かつてのケネディやクリントンもやってる。

ブッシュ親子やフォードもそうだ。

リベラルも保守もこれは一緒。

アメリカンな慣習なんかしら?

文化とはいうまい。


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真似てみるものの、ボクの場合は5分もやると足しびれちゃう。リラックスできない…。

ま〜、かの国の方々が正座が出来ないのと御同様で、トコロ変われば足の居場所も変わるというワケだろ〜ね。


けども、怠惰時間もそ〜続かない。

S新聞社から取材の申し出。

あわてて毛繕いしてシャキッとしたところを演出… グチャラケになったテーブル廻りを片付けて、いっつもクリーンだよ… なんて顔して写真に撮られる。これにて怠惰な数日終了。ぁぁざんねん。


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岡倉天心の『茶の本』を再読。

欧米人向けに英文で書かれ、ニューヨークで出版され、当時、東洋というか日本文化理解の良書と絶賛されたらしきだけど… 今も評価変わらず。

すごいね〜、この人は。

横浜の、それも外国人居留地の中にある商館(絹糸の輸出)に産まれたから、日々ガイジンと接しての幼年期。

でもって、早や6歳で近所のジェームスさんから英語を学んだというから日本語と英語を両方ナチュラルに話せるバイリンガル少年に育つ。

そんなんだから通常なら眼が欧米に向かい、西洋にカブレてしまいそうなもんだけど、彼はそうならない。日本の古きに着目し憧憬し、そこを大事にしなくっちゃ〜な意気込みと熱意の温度を高めるんだから… すごいというかオモシロイ。文明開化の鐘がなる… の明治にあってだよ。


鹿鳴館が示した通り、何でもかんでも西洋を真似、古き日本はもう要らないと政府の要人ら多くが西洋カブレをおこしてるさなか、彼は流行りの風潮に背をむけた。

天心がいなきゃ、もっと大多数の日本の美術品(主に仏教系のもの。当時、神道がイチバンに格上げされて仏教が疎んじられたから余計に)やらやらが海外に売り飛ばされていたろうから、そこを思うだけでも… ゾッとする。


天心は書く。

大久保喬樹 訳の同書では、巻頭で、

茶にはワインのような傲慢さも、コーヒーのような自意識も、ココアのような間の抜けた幼稚さもない。

と、Tea(紅茶を含む)以外を罵倒する。

でもこれは主題じゃない。

西洋側の東洋への無理解、また逆の東洋側の西洋無理解、その格差を縮めようとの魂胆での、あえて挑戦的に煽った文章上のそれはテクニックであろう。読み手たる欧米人をまずは挑発し刺激し、次いで文化の相異を説いていく。その上で、茶を通じての文化論的東洋を克明に描いてみせる。

"茶碗の中で東西は出会う"

と、説いていく。

ま〜、見事なもんだ…。"コーヒーのような自意識"と書ける文体にも驚くけど、そう記せるだけ彼はコーヒーの味わいを知っているとも当然にとれて、ばっさり切られたコーヒーもタジタジとなるんじゃなかろうか。ココアにいたっては泣くんじゃ〜あるまいか。

ともあれページをめくれば、道教がでてくるし、禅も出てくる。その精神性の結晶というか容れ物たる茶室が出てくる。茶世界の深みに連れ込まれる。

何でもア〜メンの一神教ワールドではない別大系な世界感があることを、天心は茶湯を通して明示する。

茶道の解説本ではない。その精神の真髄を哲学したもんだ。だから濃くて深くて、かなりの透明度の真摯がどの記述にも漲る。

この数ヶ月、やや集中的に茶関連の本を読んだけど、この1書は… 抜きんでて他書とはちがう。メチャな云い方をすれば、原理主義的理論の本… と云ってもよい。

こたびの再読で、このクリスタルめいた、硬い、けども乳白な柔らかみをコートした論調を、いちだんと好もしく思いはじめてる。

第6章の「花」の記述あたりは、もはや詩篇とでも呼ぶべく澄明が挑むほどに凛々として屹立し、

「ふひゅ〜〜」

溜息をつくばかり。


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この人は不思議な人で、自分の服はほぼ全て自分で縫って造ってる。デザインし縫製し、ボストン美術館の館員になった頃もそれで通してる。

自我の芯が屈強でなきゃ、そんな風体はできまい…。

また一方、ボクは天心の恋愛模様にもチョビリ興をひかれる。

あやかりたい… という次第じゃ〜〜なくって、とどのつまり、嗜好と思考の快楽曲線が螺旋にからんで上昇していくアンバイに目映さをおぼえる次第。


天心はダンコに懐古趣味の人ではない。多くの日本人が捨て去ろうとした諸々の中に大事極まりない根ッコを見いだして、それを摘むなと警鐘し、かつ大胆に、過去にとどまるな… とも論じたような感があって、今、たとえば、大統領令としてTPP永久離脱と決めた国に向けて「説得の努力を続ける」などと牧歌を申してみたり、「米国第1主義を尊重します」とのメッセージをババ抜きトランプ氏に送ったりの… 思考停止しているアベコベ総理やら、あるいは原発事業の最大手だった米GE社ですらが撤退し見切りをつけようとするその子会社をわざわざ大枚はたいて購入して、あげく大損失を出してサザエさんを困らせる東芝などなど… バカな侵略行為に耽った先の戦争遂行と同様、いったい何にしがみついているんだろうかと、訝しむことが多すぎる。

『茶の本』は政治経済の話ではないけれど、文化の枝葉の先にそれは確実にあってリンクし続ける。天心の憂いの核心は、今も継続中というより、いっそヒドイことになってるんではなかろうか。


彼は西洋のパーティで大量に用立てられる花々の使用を批判し、茶室の一輪の花とを対比しつつ、花の立場でこうも書く。

花はどれも、侵略者の前に、なんの助けもなくたたずむばかりである。花たちが断末魔の叫びをあげても、私たちのかたくなな耳には届かない。花は私たちを愛し、黙って奉仕してくれるのに、その花に対して、私たちはかくも残酷なのだ。だが、いつかきっと、こうした残酷さのために、私たちはこの最良の友から見捨てられる時がくるだろう。野の花が年毎に稀になっているのに気がつかないだろうか。きっと、花の中の賢者が花たちに、人間がもっと人間的になるまではどこかへ避難しているよう命じたのだろう。

天心ならずとも、"花を活ける"の、その活けるの意味を再認識すれば、も少し呼吸しやすい世の中になるような気が、しなくはない。

他者の眼に粗末に映ろうと、さした一輪に誇りを持てとも。

2017-01-15

一期一会集


昨年の手術いらい初めての、強い眼精疲労。

眼の周辺に発熱をおぼえ、ボワワ〜ンと視界が澱む。

翌朝、眼科に出向いて診てもらうに、

「年齢の許容を越える酷使…」

と、ま〜、予想通りな回答。

模型の細かいパーツ組みが、このボワワ〜ンをもたらしてる。

けどもこたび、術後しばしはダメと云われ続けてたメガネの新造が許され、メガネ屋さん用の処方箋が出たので、ちょっと嬉しい。

受信後、ただちにメガネのミキに直行。

仕上がって来るのは、次ぎの講演日の直前というコトだから、真新しいメガネで話すという次第になるだろう。

老眼メガネを鼻先にずらして上目遣いに四方を見る、いかにもジジイっぽいカッコ悪さから解放されるのは嬉しいけれど、かかった費用が… チクチク痛い。


翌々の土曜夜。

3年連続で小学校同窓会に出席。

3年前に味わった「故きを温めて新しきを知る」の新鮮は、もうない。

懐かしみも薄れ、心躍るようなトコロもない。

けども馴染んだTシャツを着けるような、お気軽で気さくの、だから遠慮もないバカを云えるお愉しみもまた、ないではない。

ま〜、そんなもんだ。

21日の次土曜の講演を一応紹介し、オチャケて笑う。


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そうこうする内、模型作業が概ね済んだのでチョットだけテーブル廻りを整理でき、気分も軽く、数日前から「茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう」をひろい読んでいる。

一読、その徹底に… 苦笑した。

ごぞんじ、「一期一会」なる単語はこの本で初登場する造語。

元の大意は利休の高弟子・山上宗二が残した文にあるが、井伊が短縮した。

茶会での主人と客の心得をといた本ゆえ、笑うようなものではないのだけど、あまりの徹底に逆に口元がほころんだ。

数行おきに、

「○○○すべし」

「×××すべし」

作法心得所作がときにとかれる。

客を招く側の心得と同時に客側の心得もしっかり細部までが綴られる。


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茶会の開催約束がまずオモシロイ。

5,6日前に日取りを決め、定日の前日、

『主客互いに参を以て挨拶に及ぶ事、これを前令という』

要は、わざわざに先方に出向いて、「いよいよ明日に」を再確認せよ… という次第。

その後に、もしも書状を使う場合は、こ〜すべし、あ〜すべし、実に事細かに指南が続く。


客人を迎えるための雪隠掃除のくだりもまたオモシロイ。

水洗トイレじゃないから、その御苦労もまた大きいだろうけど、描写が徹底しているから、ま〜るでホントに雪隠に接してるような感も生じる。

客として招かれ、もしもウンコをしたなら、懐の紙でそれを覆い、主人が用意してくれている新鮮な藁でさらに覆え… との記述もある。

茶会で生じる、ありとあらゆる事態と気配りを徹底して描き出し、この場合はア〜して、その場合はソ〜してと、実にまったく細かい。


なので当然に本番たる懐石と茶席の部分はいっそう拍車がかかる。


これだけの指南書を30代で書いた井伊直弼という人物は、しかし… ボクには不可解な人の筆頭だ。

桜田門外で暗殺された彼と、この「茶湯一会集」が、線で結べない。

画家を志した男がナチス帝國の君臨者になった大変貌と同様、井伊にも似通う空気を感じる。

幕府大老として吉田松陰ほかを刑死させる冷酷の中の大雑把さ、方針の先が見えないやはり大雑把としかいいようもない政治手法などなど… 繊細の極地たる「茶湯一会集」の作者とはとても思えないワケで。

人の内部には、両極端がすくっているという証しなんだろうけど、城主になるアテもなかった頃の部屋住み時代の井伊が、茶の世界に心酔し、そこに自分流の哲学をば見いだして一書にした、そのオタク的邁進の深度には、ひたすら感心をするがゆえ、逆に後半生の諸々に啞然とする。

偶然が重なって城主となり、幕府大老に指名されて、あげくに激烈な最後を彼は遂げるわけだけど、もし万が一、城主になれず、大老職など遠い夢物語のままの人であったなら、彼は澄んだ眼を保持した幕末期最大の茶人として文化系の諸々で常に紹介されてやまない人になったような気がして… ある種の悲運と悲哀をおもわないではない。

けど、ま〜、それはどうでもいい。


同書の末尾「独座観念」は、客が帰った後の気分の有りようを描いていて、そこはとてもいい。

"祭りの後"の満足と寂寥のバランスを、

「一期一会済みて、ふたたび帰らざるを観念し、或いは独服をもいたす事」

と、一人で茶を点てて呑むもよし、それを一会の極意と学べ… ととく。

ごくごくアタリマエのようなコトだけども、そこの気分を文字で顕わにした井伊直弼は、いっそ、この書をもって語りつがれるべきとも… 思わないでもない。


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文中には数々の引用があって、彼が茶関連の数多の書物に親しんでいたというか、より濃くそれを血肉化している様相もわかる。

「南方録」、「茶経」、「喫茶養生記」などなどを踏まえた上でのこの一書…。

それゆえまた余計に、茶を呑んで抽象すべき人が時代の具象に呑まれたという感じの悪さが井伊直弼には、つきまとう。

惜しいなぁ。