Hatena::ブログ(Diary)

月のひつじ

2018-08-01

ユスラウメ弱る


今日の時点でまだ迷走中らしきだけど…、過日の逆走台風通過。

風もなく雨もない前日の夕刻に携帯電話に届く「避難指示」の奇妙な乖離感。

「狼が出たぁ〜〜〜」

イソップ童話の可笑しみをおぼえないワケでもなかった。

でもまた一方、

「狼、出た〜〜」

を言い募のってなきゃ〜いけない予断なき進行形の不自由も、思わずにはいられなかった。


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某日夕刻。

グッタリげっそりな暑さの中、丸の内のRSK岡山映像ライブラリーセンターへ。

閉館後の同所にて、ちょっとした会合の場を設けさせていただく。

同所所有の古い映像が事前に用意され、視聴させていだだく。

会合出席の大学関係の方々から、

「お〜〜っ!」

ってな、感嘆の声あがる。


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同席しつつも、それに関しては実はそこまで詳しく探求しているワケでない我が輩は、さほど興味の温度は上がらない。

むしろ同館に展示されている、B-29の、昭和20年の8月に岡山を火の海と化させた爆撃機の精緻な模型に、これは確か米国レベル社製プラモデルじゃな…、など、あらぬ所で感じいっていた。

ミュージアムなどで岡山空襲の災禍が常設的に展示されたりもしているけれど、はたしてこのB-29というのが、どういうモノであったか、何人乗っていたか、何歳くらいの人達であったか…、などなど、まだまだ、その辺りを”岡山空襲展”という括りの中では伝えてはくれない。

被害者側視点でない眼も必要だろう、展示構成を見直した方がイイとも思って久しいから余計そのプラモデルに見入った。


この施設に出向いたの実は初めてのことだったけど、意外な展示や収蔵物あって、この先、何度かは出向くことになるだろう、な。

ここには、進駐軍岡山軍政部の初代部長だったエドウィン・C・ホイットニーが自ら撮影した8ミリフィルムの映像がある。ホイットニーの遺族から寄贈されたもので、貴重だ。

DVDに起し直されて常設で見られるから、我が輩は会合そっちのけで見入ってた。

終戦直後岡山の映像だ。しかもカラーだ。

いささか眼をみはる。真新しいベニヤ板らしきで焼け跡に再開してる表町の服部時計店とかを見て、

「おほっ!」

密かに感嘆してた。

一体、その新品らしきベニヤ板はどう調達されたのか?

興味が逆巻いた。復興はどういうカタチでもって浸透していったのか…、今も大雨の後始末に苦労されてる地域の方々とそれがダブって、いっそうに大きく逆巻く。


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会合後に懇親会。

距離の離れた場所にある「土手下麦酒」。

なんで、そんな遠方の店に予約入れとんじゃ〜!?

密かにブ〜イングしつつも、懇親会イキマセンとはいえないし、そんな勇気もない。

正直、暑いんで、場所はどうあれ、冷っこいのを喉に触れさせ通過させたいじゃないか…。黙して移動につきあう。

で。

毎度のことながら、出向いて着座しちゃえば、最前の不平なんぞは霧のように失くなって、

「ボクちゃん、もイッパイね」

ケタケタ笑ってる。

この3月で文化系お役所仕事を自ら辞してフリーになったT女子が、やっと思い描いたことに近寄れると眼を細めるのもヨシヨシで、こういう酒席でのハナシは濃くてオモチレ〜。

形而上と形而下がウズみたいに巻いて何時までしゃべっていても飽きない。


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※ トイレにあった張り紙


さてと…。

庭のユスラウメが枯れつつある。

数年前にフクロミ病というのを患い、完治しないままに数年が経って、いささか弱ってもいたろう。追い打つみたいに、4日間の水責め。次いで、獄暑な日照り責め…。

ついにダウンしたように見える。


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クロミ病を完治させてやれなかった当方が悪いのだけど…、それゆえ寂しい申し訳なさをおぼえる。

ネット情報を探ってみるに10年ほどでダメになったとか、50年以上元気とか…、個体差もあるようだけど、ある園芸店の記述によれば、挿し木苗で生育のものは10数年でダメになるともある。

我が庭で10数年、毎春を楽しませてくれたから、この枯れは悲しい。


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応急の処置として枯れ部分を太い幹ごと伐採。

傷んだ部位を取り除くや全体のボリュームが半分以下のサイズになっちゃって変なバランスじゃあるけど…、しばらく様子を見ることにする。


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※ 伐採した幹にある謎の穴2つ。キツツキか? んなコトはないはずだけど、謎だ。けっこう深い穴がうがってた。


ユスラウメだけじゃなく、この夏は幾つかの樹木が暑さにやられてる。

アジサイは毎夏は大いに葉を茂らせグリーン凜々に勢いづくが、過度の雨と暑さに、これも葉を黒くさせ萎れぎみ。新たな葉を造る元気がない。


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イチヂクも葉が黄ばんで落ちている。


ある温度まではオッケーだけど一線を越えるとダメというアンバイは、蚊やハエも同じだ。

実のところ、この夏は庭に蚊が少ない。

まったくいないワケもないけど、夕刻に庭に水をまいてると毎年なら10ヶ所くらい刺されてカユイカユイが、今年は2ヶ所程度のカユイ〜だ。

だから、すべては絶妙な日照や温度の中でのみ生息している…、という感じ在り有りだ。


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けども、2年前だか某医師どのに頂戴のフウセンカズラのみは、これは直射光にあたらない場所に置いていたものだから妙に元気がよい。一株だったものが今や数株となって数個の鉢を占拠する。日々確実に水分補給を怠らなかったら、9月には窓辺を葉が覆いつくすだろう。

減退と旺盛は薄い被膜の上で踊ってる…、という感じな7月でしたな。

2018-05-23

いちごいちえ

本朝はチョメチョメ雨が降って室内はやや肌寒いっぽいけど…、今年は暑くなるという。

実際、そう感じてる。

5日前、室内で保護観察中だった2本のパッションフルーツを庭に戻してやった。昨年より10日以上早い。

庭のアレもコレもが、はばたくみたいに一気に繁っている。

一見は良さげだけど…、梅雨を過ぎ7月8月に到来の猛暑を思うといささか溜息がこぼれそう。


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ま〜、先の心配より今日の晩ゴハンのオカズを想像したりの方が楽しいし、いまだ土中にあるジャガイモが今年はどれっくらい大きくなってるかしらん…、などと期待に胸ふくらませてるのがイイ。最初に掘り出した大きめなヤツは湯がしてバターじゃな…、とか、去年と同じことを思ったりする。


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早期到来の暑さのせいかどうか知らないけど、複数のプランターの中、葉がよくおごり、今年はじめて、イチゴを毎日10ケほど収穫出来ていたりもする。

大小不揃い、かつ、ナメクジにかじられたりもして、見た目は悪いがイチゴイチゴ一期一会

ナメクジめはヒト同様に赤く熟すのを待ってやがる。で早朝の4時あたり、ヒトが庭にいない刻限に美味しいところをかじりムシ。米国は銃規制を我が庭にゃナメクジ規制を… と思うままにならないのがシャク)


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ともあれ被害を嘆きつつ、もぎたてを良く洗い、焼酎野菜ジュース割に浮かせて頂戴する。

イチゴの風味が全体に浸透して、意外や実にうまい。『孤独のグルメ』の五郎ちゃん風に云えば、

「ほ〜、こう来るかぁ!」

と眉間のシワを伸ばすアンバイ

飽きが来ない。

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とはいえ、そうそう甘味ばかりではイカンので、チェーサーみたいにビール発泡酒)で口を洗う。

このメリとハリが、なかなかよろしい。客人にお出しするような代物でないけど自己本位でこれはコレでイイのだ。

飲み干した後、グラスの底に集合してるイチゴ達をグラス傾け一気に口に運ぶのもイイ。甘味でなく酸味あじわえ、三位一体じゃな…、ワケわからんフレーズを浮かべる。


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今年はユスラウメの実りが、薄い。

昨年までの枝々に粒々な実がイッパ〜イに、遠い。なのでビジュアルとしても赤みがなくって、よろしくない。

理由は不明ながら、木としての健康な狀態でないことは薄々に確か。数年前に実が崩れる病気になったのを自然治癒に任せっきりにした弊害かとも疑うが…、どうしたもんか、方策が判らない。


青森三内丸山遺跡をフッと思う。

集落の周りに栗を植え、その収穫でもって独自な食と文化を構築したことが判っているけど、その安定期間が千年以上続いたというから、すごい。

エジプトやマヤのような石の文化を持ち得なかったけど、じゅうぶん過ぎる程の偉業。


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千年の繁栄と平和的安定って…、簡単でない。

なので昨今は、どうやって千年も平和平穏を維持できたか、古文明を研究してる海外の先生がたがジャパンの縄文時代にえらく着目してるって…、そりゃ〜そうだ。

無闇に拡大せず、争わず、程々な幸を大きな幸と見て日々を送っての千年… だったよう思える。

けどもその千年も終焉を迎えている。


今は科学の眼で三内丸山を顧みられるから、数百年に及ぶ栗の継続栽培があまりに近親的交配に終始したゆえにの種の劣化が判っている。

それと気候の変動。日本海暖流から寒流に転じて栗の植生に適さない寒冷がやって来て、この二重の難渋に同所に住んだ縄文時代の方々が対処できなかったこと…。

去年は200粒は採れたのに今年は25粒というようなアンバイになって、やむなくもリスが喰ってたドングリやトチの実をば拾い集め、皆んなで共同でこれのアクやらシブを除去したり煮たり焼いたりで何とか持ちこたえたものの、遂に対処しきれず、それ以上に生活レベルはもはや落とせないと、村中相談の上、同地を離れていって… 離散。今のところその後の消息不明。

そんな縄文時代の方々の千年に較べるまでもなく、我が庭のユスラウメはまだ、たかが植えて10年も経ってね〜のだから、ひ弱だ。ユスラウメがじゃなく植えたワタクシがっ。

溜息でるね。縄文ビトに較べて創意も工夫も努力も…、随分劣ってまする。


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三内丸山に関してごく個人的な感想を書けば、六本柱建物跡の実寸復元は屋根も壁もなく…、これは当時の方々をひどく過小評価しているよう思う。

栗の木の皮を見事になめして編んだオシャレなポシェットを持ち歩いてた方々の美的センスを思えば、巨木利用とはいえ、ただ棒を立てただけの建物って、まずありえない。そんなものを毎日眺める眼がイライラするはずだ。日常の中に美を求める生活であったのはポシェットを見れば判るんだから。


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※ 三内丸山遺跡の公式HPより。ポシェットは高さが15センチ程というから、細かい作業が素晴らしい…。

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小さなカバンやら、全長にして32m もある住居だか集会所を造れた方々の想像力と技術力をもっと評価して、ヤグラは再構築した方がいい。”見張り台”とかいった無粋じゃなく、柱だけの無骨じゃなく、屋根も壁もある望遠塔として、も一度再考すべきと思う。

今の復元は復元に値いせず、いっそ侮蔑的でさえあるような気がする。。

夜間では最上階には篝火(かがりび)も焚かれたんじゃなかろうか。当時の三内丸山は海のそばに位置しているから、この国における灯台発祥の場と考えてみるのも、ま〜楽しい。はるか遠方の新潟の糸魚川でしか採れないヒスイ勾玉とかを積んで小舟でやって来るヒト達を誘導するランドマークだった可能性も高い。また、そうであるなら塔をオシャレに演出するのが常だろう。

2018-04-11

午前ビール

月曜早朝の地震は余震も頻繁継続で気味悪かったなぁ。

岡山は概ね深度3だけど、なぜか中区だけは2の表示。

マチガイでしょ? 4弱くらいに揺れたと思うけどね〜、不安が増すなぁ緩い地盤。

しかし、この体感も、わずか数日で話題にもならない過去ニュースとなるんだから、たぶんボクらは随分と急峻な河の中にいるんだろう…。


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2週間ほど前までは葉のないガリガリポッキ〜状態だったのに、山椒が、も〜しっかり緑に覆われた。

逞しいというか、旺盛というか、春の目覚めというか…。

(一説では地震で揺さぶられると土地は若干ながら活性化するらしい。バイブレーション効果で血行が促されるのかな。地震が秋前にあった年は松茸の成長が良いとも聞く。でも地震おことわり断固)


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山椒のトゲはメチャに硬くて鋭くとても恐いけど、葉の香りは最高。当然、買わずと済むのでダブル最高。

けど問題は剪定時。枝葉をカットしたさいゴミ袋にまとめようとする時だよ。気難しいヒトとおしゃべりする以上に気を使う大小のトゲ。

ゴミ回収の方が迂闊に触れるとビニール袋の中からトゲが…、というようなコトも考慮しなくちゃいけないんで、育てるに大変ざんしょなサンショ。


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冬に種まき小さなビニールハウスにして見守っていた春菊も、今や旬。

(ホントは遅い。あまりに寒くて発芽時期が遅れちゃっての今が旬)

親子丼に春菊たっぷり…。当然に溶き卵は硬くならなくまだ白身がトロッとして生っぽい頃合いでな。といって全面的にナマっぽじゃイカン。しかし、親子丼の影の功労者はタマネギだろうね。

春菊を収穫しきったら、さぁ〜次はと…、春の庭先は夢がハリスの風前ガムみたいにふくらむ。


地面にユトリがあるならスイカを作りたい。

けど、横へ横へと広がり場所を取るから、うちじゃムリ。口惜しいが、ま〜、しかたない。

縁側に坐ってスイカにかぶりつき、種を庭先に向けてプップップッ…、今やそういうコトを経験したコトのないヒトの方が多かろう。惜しいこっちゃ、この日本的夏場の光景が消えゆくのは。

幼少時は父方の実家でイトコたちと、それを大いに楽しんだもんだ。

ガンバレば3mくらいは飛ばせるよ、たぶん今だってボクは…、とそんな郷愁的ドリーミ〜が常に春には脳裏に浮いては、結局、沈む。あれからも〜何10年も経ってるだから想い出は甘いかスィ〜カって彼方だよ。


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1冊の新刊本を買うためにバスに乗って出かけたというに、3軒ハシゴして手に入らない…。

最近この徒労が多い。求める本が書店にない。

けどま〜、せっかく出かけたんだからと、梅蘭でビールにランチ。

まだ午前11時半だったけど、旨いやビール。ご馳走さんと悦んでいいのか、未入手ガックリなのか…、よく判らない。

いっそアマゾンに発注した方がラクだ〜、概ね送料も不要だ〜、とも考えるけど、アマゾンのみが栄え、そうでなくとも斜陽な町の本屋から活気を奪うというのもナンだしな〜。悩ましい。


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部屋にたれこめ灯りをおとし、プロジェクターの電源をいれ、缶ビール、2枚入りのクッキーに6Pはさんで映画の友。

けど、続けて2本駄作に遭遇。

『300(スリーハンドレッド)』

『リンカーン/秘密の書』

2本とも、途中で観賞やめる。

前者は戦闘シーンを超スローモーションで見せる連続にゲッソリ。後者は史実のリンカーンにヴァンパイアを重ねる発想は面白いものの、ただそれだけ。あまりに退屈。どちらもCGに依存過ぎ。

景観を楽しもうと乗った列車がトンネルだらけ、ってなガッカリ。


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未だ買えていないフジヤ製品。イオンモールになく近所のスーパーにもない。

しかし意表を突かれた感たっぷり。パンに塗るミルキ〜。

舐めてみたくてしかたないけど、手に入らない。

悩ましい。

しかし、ペコちゃんは昭和25年生まれというから、町内的にいえば老人会婦人部に入っての活躍だね。


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ちょっと調べ物。保立道久の本を数冊めくる。この先生は視点が素晴らしい。

時代ははるかに違えど、ペコちゃん同様に、中世の女性も逞しい。

小金を貯めて、やがてそこいらの男どもに金貸して、利子で男どもをギュ〜ギュ〜締め付け、カッカッと高笑いしてた逞しいカカ〜が幾らでもいた。中には夫に貸して利子とってたのもいた。

平安から鎌倉の時代には荘園を持って管理し、多数の男どもを従えた女性もいた。

笠岡の沖にある真鍋島には、お千という女庄屋がいて、島を平穏に束ねていたりもした。(お千さんは江戸時代初期の人)

中世イコール暗ぁ〜い時代のイメージがあるけど、部分部分では今より幸多く心底笑えるようなコトもあったかとも、思える…。


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江戸時代に土地の所有や相続は男のみとし、女は3歩さがって歩け…、みたいな家父長制が徹底して平等の均等が崩れ、崩れを引きずったまま今に至るけど、土俵に女性をあげるあげないで…、いまだグラグラしている現在の男社会のていたらくはナメクジのヌメリみたいで気色わるい。土俵にいくら塩をまいたって…、内なる本性は浄められない。

相撲をとる・とらないに関わらず『血穢』ゆえ土俵は女人禁制という幻想に、なんで今しがみついているのか、あるいは取り憑かれているのか…、"伝統"という隠れ蓑を着けてるつもりの裸の王様っぽくて、笑止。

女性規制の動きは、昭和11年に『歴史公論』という本の中で女相撲に関して猥褻見世物とのきめつけ論評があって、これが1人歩きをはじめてさらに勝手な解釈が加わっているだけ。土俵に入っちゃいけない不文律も極まり手も、ない。


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毎年5月になるとNHKやらがニュースで流す鏡野町の上斎原神社での女性の相撲。実に健全でノビノビ明るい。相撲の王道はむしろ、こんな地域の中の娯楽にこそ根付いて葉を拡げているよう思える。

※ 写真は全日本写真連名・フォトMOMO支部HPより転載


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国技館の売店で買ったお気に入り。図柄がチャ〜ミング。ほぼ毎日使う。

用途多岐ながら、もっぱらビールのツキダシに。

2018-04-01

時の声


陽気の到来が…、あくまで感じとしてのコトだけど、2週間ほど早っぽい気がする。

室内で越冬中の2本のパッションフルーツも早や数週前にツルを延ばし、若い葉を作りだし、どっか巻きついて落ち着きたいよ〜、と訴えている。

ま〜、これは四六時中エアコンを廻し、ニンゲン様より暖かい環境に置いたからも原因だけど、皮膚の感じとして春が早い…、ように思えてしかたない。


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午後。

眩い陽射しの中、生け垣のベニカナメモチを剪定する。

枝葉がよくおごってる。

英語圏ではレッドロビンというらしいが、この辺りでは紅カナメの名が通る。

今やどこにでも見られる生け垣樹の定番だけど、20年ほど前はあんまり日本じゃ見かけなかったと思う。

急速に増えたのはホームセンターなどの園芸コーナーの販売促進の功あってのものだろう。実際わが宅もそれで導入したわけだし…。

夏場の害虫駆除をのぞけば、廉価で、成長早く、冬夏の寒暖にも強く、なかなか頼もしい樹木だ。なのでレッドロビンというより、ロビンウッドとシャレたい感もチラリンコ。


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剪定道具は電動バリカン。

これは俗称でヘッジトリマーが正しいが、ま〜、どうでもよろしい。

剪定バサミでチョキチョキに較べ、ブゥゥ〜ン、バリバリバリ…、いささか樹木には乱暴な感もあるけど、便利じゃ〜ある。

今回は今年初めての剪定。7月とか8月に2度めの散髪ということになるんだろう。


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散髪後。整髪剤なし。


早めに作業を終えたので、寝っ転がって久々に、バラードの『時の声』を読む。

この短編集、とりわけブック・タイトルの「時の声」は、何度読み返しても不明がプクプク浮き上がる。

字づらの表層を読むのではなく、感覚で読むべきな作品だ。

だから"読み込もう"とすると拒まれる。

流れるままにイメージを浮かせたがいい。

が、そうであってやはり、そのプクプクが乱反射する。

接するたび、味が違い、微妙に光景が違う。

だから…、繰り返し読んじゃ〜、沁みびたる。


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ハッピーな話じゃない。

なにしろ宇宙が破滅しかけている頃の話。

私的解釈で云うなら、膨張宇宙が収縮に転じた世界でのヒトと生物の物語。

事象のいっさいがケッタイなことになっている。

時間が逆流しはじめている。

4時の後に3時が来て、前進でなく後退がやってくる。

時間そのものが眼前のカップ麺(今これを書きつつ食べちゃってるんで)みたいに眼に見える"存在"に可視されて、麺が延び、カップの熱さがさっきより低い…、って〜なアンバイを逆順に味わう。

その退行ゆえか、麻酔性昏睡状態でヒトの睡眠時間はやたらにながくなっている。

そこの描写にバラードの筆致がさえる。

(カップ麺は出てきませんので念のため)


お気軽に読もうとすると、イメージの擾乱に困惑する。

いまだ映画化されないのも頷ける。

とても映像化向きな作品でありつつ、映像の技量というか、映像作家のそれが、本作の真髄についていけないようで、『マトリックス』のようなアクション的割り切りが出来ない。単純にはとっかかれない。


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※ 原書


光子がざわめいている。周囲にきらめく音のスクリーンを見つめながら、イソギンチャクは着着と膨張を続けた。

――――――中略―――――――

一度知覚した音はすべて無視して、イソギンチャクは天井へと注意を向けた。天井は、蛍光灯からひっきりなしに送り出される音を受けて、それを楯のようにはね返していた。狭い天井から、ある声が、はっきりと、力強く、無数の倍音と織りまざって流れこんでくる。大陽が歌っているのだ…

※ 吉田誠一訳 創元推理文庫


このイソギンチャクの"自意識"は、宮崎駿のあのオームが幾重と伸ばす触角が感じるイメージに似て、きっと宮崎監督もこの『時の声』を読んだろう。肉化したのだろう…、そう空想したりする。


でも時に強硬なまでの割り切りが功を成すことだってある。

みなもと太郎の『風雲児たち』はきっとその1例。

徹底したギャグと画風で歴史を文字通りヒトコマに切り分け見せた手腕は、小説でもなく映画でもなくマンガ表現のエベレスト登頂だったと思える。

なので、そのうち誰かが映画として『時の声』にトライするだろう…、と希求しつつ久々の読了。そのあと甘い午睡。


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「再読」と云うね。文字通りで解説不要だ。

ボクの場合で恐縮だけど、頻繁に「再読」する。

1つには、即行で憶えられないというのもあるけど…、もうイッペン、さらにもうイッペン、と味わいなおして消化したいという気分あってのこと。

それで近頃はこれを自分の中では再読とは云わない。

「牛読」と云う。

口をモシャモシャの牛の反芻のようで、適語じゃなかろうか、ギュウドクは。

そも、反芻というのは、1度飲み干した食物を口にもどして噛みかえす動物たちの食性を指す「Rumination」の和訳で、

「先生のコトバをハンスウする」

というのは明治期に生じた流用なんだそうだから、「再読」よりボクには「牛読」がふさわしいのだ、感じとして。

読みつつ寝ちゃうのも、なんだか実の牛には悪いが…、カップ麺喰ったんでまた横になってゴロゴロしちゃおかと…、牛っぽいしィ。


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え〜っと、ちなみにカップ麺は、紙フタを全部取っ払わないのがクセなんだってば、モ〜。


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でもって、お汁は残こす〜プだけど、今回食べたのがおいしかったんでェ、けっこうオラ〜呑んじまったんだ、モ〜。

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ここの近江牛肉…。通販してみたいなぁ。でもサーロイン180gで3888円。買えないなぁ、永遠に〜(苦笑)。

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2018-02-10

雑草もまた そよぐ


ポール・スミザーという人物。ガーデン・デザイナー。

この人を追ったNHK『プロフェッショナル仕事の流儀』の録画を、K殿下と妃殿下がプレゼントしてくれた。ボクがテレヴィジョンに接していないコトをよ〜く知っての贈り物。

あ・り・が・た・や


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日本の自然、その良さを、英国人に教えられるというのも何だけど、視聴するや、眼と肩を同時に揺さぶられた…。なにしろ、足元で踏んづけてる草たちこそが主役というんだから、眼からウロコがポ〜ロポロ。

「ぁあ、なるほど」と感ずるトコロ大。羞恥を含んだ驚きを味わった。

それで、興がわき、氏の著作を何冊か購入。

眺め読んでるという次第。


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我々が培われている感性は結構イビツ。

アガサ・クリスティが、卵型の頭をした小男のベルギー人がイングリッシュ・ガーデン造りにはげむその滑稽を描いたように、過剰のモノマネと思い入れが勘違いを引き寄せて、結果、右脚と左脚の寸法がおかしいという変なバランスを持つ…。

そう踏まえてガーデンを思うと…、風、雨、日光、土地の性質などなど風土環境に応じ則した草木を使う庭が、理想の1つだろう…、とは即に理解できる。


庭とは塀で囲った、"特別の場"。塀あるいは境界がなければ成立しにくい、いわばキャンバス。

そこで自然を徹底的に抽象し記号化した重森三玲の、驚愕の庭も登場してくる。

しかし日々毎日を過ごす場に置きたいのは、鮮やかな抽象ではなく、徹底の具象そのもの、自然の佇まいではあるまいか。ポール・スミザーはそこを思想化し実践する。


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日本の草木は華やかでない。はっきり云って地味だ。

けども、それらを上手に使い上手に演出するのが庭造りというもんだろう…、その実践には時間もかかる、とスミザーはいう。

原色カラフラな花は少ないけど、英国などと違い日本にはその数10倍の多様多種な草木がある。彼自身が山に入って何年も調べ、庭に使えると判断したものだけで何と2500種類というから…、オドロキ。

その大部分をボクらは『雑木』『雑草』と決めつけ、ちぎっちゃ〜抜いて捨てている。

それらを活かして初めて、海外の人の眼にも、

「ぁあ、これが日本か!」

その素敵をアピール出来るんではなかろうか、ということなのだ…。



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だから、スミザーのガーデニングは逆にいえば、限界がある。日本というフレームの中から出ないワケで…。

しかし、そここそが要め。大袈裟にいえば、自分がどこの何に所属しているか…、と問われるような、問うような、思惟的な庭造りといってイイ。無定型なイングリッシュ・ガーデンに憧れるよりも、このジャパンの自然の旨味をこそ庭へ…、というわけだ。


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※ レンゲギボウシ。

ギボウシは日本に天然に育ってた野草だ。和名は擬宝珠。多くは見向きもされなかったけど江戸時代の1部の好事家が庭で育てていたりした。

それをシーボルトが見つけ、持ち帰った。株分けされ増やされ、品種の改良が起き…、やがてヨーロッパ圏のアチャコチャの庭で愛される植物となった。

で、昭和になって逆輸入されて、な〜んか舶来♡ と喜んでるのが、今の日本。


さてと、「オオイヌノフグリ」。

気の毒にも"雑草"扱いで、どこの園芸SHOPにも売っていない。

けども、2月の寒さ勝ちの大地、そこいらの路端でまもなく点々と小さく咲くであろうコレだって、庭に使えるのだと思えば…、ちょっと裕福な気にもなるんじゃなかろうか。


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オオイヌノフグリは外来の帰化植物。

ポール・スミザーは、"雑草"という固定された概念は捨てて「足元を見よう」と喚起してくれた。

侮蔑的な名でこの小さな植物は損をし、出来たら改名が望ましいけど、数メートル四方の一画がオオイヌノフグリの白と青の花でいっぱいになってる図をみて、顔を赤らめる人はよもやあるまい。


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古来からの日本の特有種イヌノフグリ。明治の時代に綿花と共に入ってきたらしきオオイヌノフグリの旺盛な活力にまけ今はそれに駆逐されつつあって、絶滅危惧種に指定されてる。もしも路端でこの花を見かけたら大事にしよう。種がとぶ頃合いに種をとって自宅に植えるもよし。


イヌノフグリとて、出自をまさぐると…、古来に帰化した可能性が高い。だから、何をもってオリジナルな日本かという問題が出てくるけど。ま〜そこは原理主義的偏屈は云うまい。

2017-08-07

台風通過中 ~緑と蝉とトマト~


夏の庭は、ただの1日で土が乾くので水やりをかかせない。面倒だけどしかたない。

しかし本日は台風5号が通過中、ホースを引き出す必要がない。

降雨は助かる。

毎度、台風のたびに警戒はするのだけど、この岡山、わけても南部では、拍子抜けた感を味わう事が多い。

隣県で被害有りといったニュースがあっても、岡山では「外れ」をひいて、風もさほどでなく、雨も同様…、といったアンバイ

こたびも「外れ」のよう。

ま〜、だから逆に本気の襲来を受けたら、日頃の備えが薄い分、被害甚大という事になるかもしれないけど、しかし、無料散布のお湿りはともかくありがたい。


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↑ 今朝撮影。濡れたパッションフルーツの葉。


というワケで庭の話。


昔々の忍者の修行には毎朝なんかの植物の上を飛び越える…、という笑いバナシめいたエピソードがあったと思うけど、夏の植物を見ていると何だか、笑えない。

とにかく成長が著しい。

昨年に苗を買って初めて植えたイチジクが、1年で、というよりこの夏で、もう買った時の12倍くらいに枝葉を拡げてる。

毎日確実に、棒高跳びだかの選手めく越えるべき高さと幅が拡大するんだから、夏の忍者は大変だ。忍者の家に生まれなくてよかった…、と怠惰なボクは安堵する。


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見るに、小さな突起めいたモノも生じてる。

実だ。

子供のオチンチン的なふくらみに微笑むけど、これが立派になっていくかと思うと、こっ恥ずかしいような感を3パーセントほど含めつつ、大きくなれよオチンチン。期待もまたデッカクなる。


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さらに数日が経っての早朝。

小っこいのが、早やも〜、下写真の通り、プックリ膨れてきてる。

早いのなんの…。


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庭木としてイチジクを植えるなんて…、と元気な頃のオフクロはよく口にしていたけど、彼女は今や足腰弱って庭に出られないので、シメシメシメ。

オフクロがかつて"支配"した庭はもう数年前より、我が好き放題。

アタマはしっかりしてるオフクロさんにはイチジクが植わってるコトなんか、もちろん告げない。

親子の継承と断絶がここに物語られるワケだ。

…などと大袈裟に云ってるけど、実体はメチャンコ小さなスペースの話。


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けれどその極小の端っこでスッカリ大きくなった金木犀に蝉が居つき、この夏も、朝はどえらい高周波にくるまれ、そばで聴くと、もはや笑っちゃうレベルの大音量を発してる。

今年は特に大発生で20匹以上かしら。1本の木を家にするには過密とみえ、数メートル離れたユスラウメに引っ越したのも複数いる。

日本人は少子高齢化が進行でやがて破綻しそうな雲行きながら、蝉界はそうでない。個体としては短き一夏の命ながら、次世代を作ろうと…、一斉蜂起で鳴き続ける。

2本の木に別れてのステレオ・サウンド。夏のベンチャーズ。

ボクが悪さをしないと判ってるのか、数センチの距離にまで接近しても鳴きやまない。

セミが面白いのは、夕刻に庭木に水をまくさい、迂闊に水をかけようもんなら、途端、

「グギャ〜! ギャギャ〜!!」

激昂して大声で抗議すること。

昆虫界イチバン、だんとつトップの怒りんボ〜ではなかろうか。


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しかし怒りのホコサキをどこに向けてよいのかまでは判らんようで、バタバタ羽音させて大慌てで数メートルを移動するのみ。

ま〜、そこが蝉の蝉たるトコロ。人間のように、

「やめろ〜〜!」

「水を〜〜、かけるな〜〜ぁ!」

国会前で一斉に抗議デモするほどにまだ進化しない。

惜しい。

むろん、『ウルトラQ』で"せみ人間"、『ウルトラマン』で”バルタン星人"と変容するほどの進化も困るけど。


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※ 『ウルトラQ』16話「ガラモンの逆襲」より

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※ 『ウルトラマン』2話「侵略者を撃て」より


蝉の怒声はさておき、トマトもよく実ってる。

チョイ水っぽい滋味ながら、毎日トマト…、を味わえる。

飽食ぎみ。


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ま〜、ホントは、

「ひぇ〜」

ってなホドに酸味があってヤヤ硬いのを口にしたいのだけど、今は「甘味」が流行ってしまい、買える苗すべて"品種改良"の甘口。

昔の滋味は味わえない。

なんでもかんでも口当たり良くって甘味あるモノが売れる世の中らしいが、ホントはかなり…、うれしくない。

トマトの酸っぱさを、もいちど、味わいたいね。

子供の頃には塩をかけて囓ったりしたもんだ。塩が酸味を緩和するのか、そこのカガクは知らないけども、美味かった。

子供が率先してトマトを食べてたワケはない。美味かったと書いたけど…、むしろ、しかたなしに喰ってたというのが正しい。

(時にトマトはオヤツだったりした…)

でも塩をかけると食べられちゃうのが不思議だった。いや、も少し考察するに…、塩とトマトの親和が不思議ゆえ、もうひと囓りヒトカジリと繰り返したような気もする。

それを今、口に出来ない…。

再会したい夏の味だな。


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本朝撮りたて。雨の中のトマト。


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こちらも今朝の様子、ミニトマト。

ちなみに、蝉は降雨中は鳴かない。けどもチョットやんだりすると途端、1本調子で歌いだす。

2017-06-02

パッションフルーツ移動 ~伊曽保物語~

毎年の冬から春に至るおよそ半年、室内で越冬させていた2本のパッションフルーツ

内1本がダメになった。

薔薇農家みたいに夜間も暖房を入れ、けっこう気を使っていたものの、徐々にグリーンが色褪せ、全体が茶色になってしまった。


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同じ条件下に置いた2本ながら、1本は元気。原因不明。上からユックリ下へと緑が茶に変じてったから、水分摂取がうまくいかなかったのかもしれない。

かなり残念。

けども昨年に、何本か挿し木に成功し、内1本がそれなりに育ってくれた。


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もう6月。

旧世代と新世代を、小庭に移動。

旧世代は昨年同様、鉢ごと土中に埋める。

(鉢底の水抜き穴から根を下ろすので、これで良い。また、そ〜しないと、後述するけど根が拡散し過ぎる)

新世代は鉢を変えるにとどめ、土には埋めない。


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あたたかくなったとはいえ、室内から室外というのは環境激変。

明け方は気温が下がるし、日中は陽射しに負けもするから、グッタリした姿をみせ、水やりを怠ると大変なことになる。

しばし眼がはなせない。

面倒なこっちゃ。

けども落ち着けば半年の越冬我慢を忘れ、南洋の大らかさでもって、伊武雅刀云うところのモジャ・ハウス的な伸びっぷりを見せるから、そこを楽しみに面倒をば…、呑み込む。

アイビーやアサガオと違い、パッションフルーツの葉が艶やかでとても柔らかな感触があるのも好感。


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成長5年めでダメになったのを、鉢から出し、土を落として根を観察する。

毛細血管のような細い毛根が特徴。

ひと夏で4〜5mも枝葉が伸びる秘訣がここに有り。土中の水分をドンドン吸収するわけだ。当然に根もよく奢る。

この毛細が土中に数メートル拡がる。小庭ゆえ他の植物の根に干渉するのは困る。ゆえに鉢ごと…、のワケだ。


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さてと。

畑作業(というホドのものじゃ〜ないけど何かそ〜いうとカッコいいので)後、『伊曽保物語』とそのオリジナルを並べ、拾い読む。

「漁師と鮪」がいい。


漁師が海に出て丸1日悪戦苦闘したけど何も獲れない。

ガックリ途方にくれていたら、何かに追われたか鮪(まぐろ)が水面にはねあがり、うっかり舟の中に飛び込んできた。

漁師は捕まえ、町へ持ってって売り、いつも以上の収入を得た。


『伊曽保物語』は、かのイソップ寓話の日本仕様。

原型は室町の末期、戦国時代に入ってた。

現存のイチバン古いものは、信長がなくなってチョット経った頃、天正19年(1591)に、イエズス会の宣教師が島原の加津佐というところに設置した活字印刷機で、その頃の日本口語体でもってローマ字で刷ったもの。

おそらくたくさん刷られて配布されたろうが、その後の弾圧だ…、『華氏451』さながら焼きに焼かれ、日本からはすべてが消え去って、今は英国の大英図書館にあるきり。

(江戸時代になっての島原での大弾圧までは、1部の日本人はローマ字に馴染んでいたというコトの証拠品でもある…)

ローマ字活用法と当時の日本の口語は今とはかなり違うから、実にまったく読みにくいけど、宣教受難を生き残った稀覯本。たしか大英図書館では国宝級の扱いになってるはずだ。


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いちばん上の2行。

「エソホ(イソップ)が生涯の物語 略」

と、読める。X-Oはショウだ。


イエズス会の方々は離日し、残された信者はメチャな迫害を受けたのが史実だけど、けどもそのイソップ寓話は、シッカリと日本に定着した。

口から口に伝わり、丸ごとおぼえたヒトもいた。『華氏451』の"ブックピープル"をボクは思い出す…。

やがて江戸時代。キリシタン断固禁止ながら、滑稽話のような体裁にカタチをかえて出版が相次いだ。

それが、『伊曽保物語』。


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元より、イソップは紀元前のヒトだからキリシタンと関係もないけど、取り締まる側はそうでないから、江戸時代の出版人はなかなか気骨があるとは、いえる。

とはいえ、「漁師と鮪」のような話には宗教的疑念をはさむ余地はないから、取り締まりの役人側もまた、知らず愛読していたにも違いない。

今は美術館や図書館の稀覯本として収まっている江戸期のそれらが、多くは武家の蔵から出てきた…、というのがその辺りの事情を物語ってる。

たぶん、その家の子女や世継ぎの息子なんぞに読み聴かせていたんだろう、な。


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※ 1659年(万治2年)版の1ページ


ま〜、「漁師と鮪」的に、やらなきゃいけないコトがピョピョ〜〜ンと片付かないかなぁ、

「果報は寝て待て」

と云うしなぁ、などと本日は気休め半分にこれを記してるワケだけど、でもこんな一篇もあったよ。


腹ペコの狼が食物を求めてうろついてたら、とある家の中で老婆が、泣きわめく子供に、

「泣き止まないと狼にやるよ」

というのを聞いて、

「しめた」

と思って外でジ〜〜〜ッと待った。

でも日が暮れても何もおきなかった。

狼は失望し、

「いうコトとするコトが、別々じゃんか…」

立ち去った。


オリジナルでのイソップは結びに、

「言葉と行いを一致させない人達に適用の話」

としているけど、この場合、果報は寝て待ってもやってこないぞ〜、とも取れるね。

「ものくさ太郎」の自堕落をボクは好むんで…、期待して待機の狼に同情出来ないけど、そんな感想と共に、でもイソップのバランス感覚にいまさら、驚いたりした。彼もまた苦労したんだな〜(ながく奴隷生活をおくっていたという)、そう確信しつつ、そこをうまくテキストにまとめていったワザに攫われる。


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彼はかたよらない。

複眼で1点をとらえ、点が球になるまで凝視し、事象を3D化してる。

イエズス会の連中がこれを1つの教材として用立てたのも、うなずける。

当時の仏教勢力、とりわけ地域の末寺は権威にアグラしてかなりに堕落退廃もしていたようで、そこにイソップのようなピュアな心象世界をキリシタン的世界と結んで布教に用いれば、一休さんの頓知じゃ追っつかない、カトリック優位な"良き武器"になったとは思える。

著作権者としてのイソップがもし生きてりゃ、「そんな活用はこまります」だったかも知れないが。

2017-05-03

花々に


小庭におふくろの代からのコーナーがあり、そこにはアレコレ大小の球根が埋まっていて、掘り起こさず未整理のままにしてたら、さらに何かの種子が飛んで来たのも混ざって、それぞれが勝手に育ってる。

昨年そこにイチヂクの小さな苗木を植えたけども、枝葉が隠れちゃうホドの植物どもの百花繚乱。

アレが咲きコレも咲きと…、いささかの混雑。


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しかしアンガイこの密茂がいい。

よく眺めるに混乱はなく、調和して落ち着き、こちらが手を加えない分、作為の美しさでない無為が愉しめる。

育てようと思うのはあくまでヒトの面持ち。そうせずとも、こたび、イチゴが勝手に育って実をつけているのも、これまた無為のなせるワザ。


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植物は呼吸する。

夜は花を閉じ、夜明けと共にじんわり開花し、お昼頃のびのび開花しきる。

夕になるとしだいに戸締まりをはじめ、暗くなるともう閉じきって就眠にはいる。

カガクテキに見れば、このサイクルの合間、植物は気孔から酸素を取り入れて二酸化炭素を出している。

ほぼヒトと変わらないサイクル。(二酸化炭素は主に夜に出す)

ヒトと違うのは、植物は呼吸の一方では、緑色の葉っぱ達が光合成をおこなって盛大に二酸化炭素を取り入れちゃ、それをデンプンと酸素に変じさせ、セッセと酸素は捨てていること。これは日光のある合間、昼にやってる。

一見矛盾する営みだけども、要は植物というカタチの"酸化"と"還元"のバランスだ。

白昼に廃棄される酸素はかなり多い。そのおかげでヒトは空気不足の心配なく暮らしてる。

大きく括れば、植物は地球表層の排気量の大きなメイン・エンジンともいえる。


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植物の動静はすべて太陽の動きに連動しているんで、大袈裟にいえばゴールデンウィークに"21えもん"のように宇宙に出かけなくとも、自宅の小庭でもって宇宙を、太陽系を体験できる。

太陽という天体がいかに大きくって、いかに効能ありか…、呼吸する花の彼方の宇宙的拡がりを意識できる。これは有り難い。


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※ 朝5時。次第に目覚め中の花々。同じ花族でも早起きのヤツとそうでないのとがいる。皆んなが咲き揃って1時間後に咲く寝坊もいる。夜更かししたか?


時間を凝縮して大俯瞰すれば、その太陽とてもいずれ命が尽きる存在というのが、なんだか理解を超える。それで地球もジ・エンドなんだから、生命とは何ぞや? 哲学したくなるけど…、ま〜、やめとこう。

花々の開花とそれを眺めるボクの眼は瞬時のものでしかない。

ま〜、それゆえ花が愛おしいわけで、こういう情動がはたらく場合、カポーティの『遠い声・遠い部屋』を思い起こしたりもする。

あの最終章の連れ込まれるような、過ぎる少年期の一瞬の光明と自意識…、その感覚の背景にもまた太陽と地球の連動が意識できる。


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※ 同書の末尾に掲載されるカポーティの少年時代の写真。ボクは"宇宙規模の自意識の拡大"と名付けてる。


そういう感覚に較べヒトの暮らしの中の小さいトゲに、時にムカ〜ッとさせられたりする。

数週前に、おふくろの年金に臨時の加算らしきがあったさい、彼女は今や歩行困難者ゆえ手続きの代行をしてあげたけど、マイナンバーに加え、身分確認の書類のコピーをと、2重の提出を求められる仕掛けだ。

しかし、これはおかしい。

マイナンバーでもって個人を国が確定し、それは住まいを含む彼女の個人情報が入っている公的身分証明書なワケだから、要はそのナンバーを記して手続き用紙を返送するだけで済むハズ。

なぜ、さらに身分確認のためと称して健康保険などのコピーまで要求するのか? 


そも歩行困難なヒトに、

「コピーをとってこい」

は、ひどいだろう。

コピー1枚作ろうにも、それが老人にゃ大変な作業になるかもという想像力が欠落してるんだから始末が悪い。

たまさか同居ゆえボクが変わりにコピーに出向けるけど、多くの老人が独居というのが現実だ。

コピー機のあるコンビニまで数キロ以上という所に住んでる方の方が多いんだから…、この国は老人に優しいとはマッタク言い難い。

それでま〜、ムカ〜ッと腹だったワケだけだ。

「国民の利便性」を掲げて登場したマイナンバー制度は、結局は欧米のそれを真似ただけ。むしろ手続きが増加して…、これじゃ何の意味もない。

受給される高齢者の実体などおかまいなしの…、家畜管理がごとくの数値的置き換えのイヤラシサだけが浮く。


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かつて大正のはじめ、明治天皇と皇后の崩御にともない新たな神社が求められ、それが明治神宮なのだけども、神殿建立にさいして荒れ地であった周辺を森で覆うという計画がおきた。

(荒れ地になったのは明治になってからで、それまでは数100年にわたって彦根藩の下屋敷と大きな庭があった。下屋敷というのは隠居した殿さんの住まいをいうのだよ。家督を継いだ新たな殿さんが住まうのは上屋敷という)


神が宿る杜(森)を創ろうという神宮境内森林化企画は、100年という長期での自然林育成プランだった。

"完成"は当事者らの没後はるか先、というプラン。

これに時の首相大隈重信は数年で結果をみたいがゆえ反対し、成長の早いスギを植えて手っ取り早くヤランカイと急かした。

けどもその圧力にくみさず、官の職務ながら、自然力に任せるべくとの見解でその意志を通し100年プランを遂行した本多静六林学博士や造園家の本郷高穂らの叡智と勇気と健気(けなげ)が誇らしく偲ばれる。

彼らは御用学者であり御用庭師的位置にありながら、権力に屈さなかった。

「神殿造営を第一とするでなく、あくまで神やどる森(杜)を造営するこそ命。そうであってはじめて両陛下の御霊もやすらぐ」

との骨子。


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何段階かの作為は加えるものの、あくまで自然は自然に任せて成長させ保護するというスジを通し、枯葉は捨てず、樹木はおごるに任せてを貫いて、2017年の今その100年の最終目標に近づきつつある明治神宮境内の緑には、首相がらみの小学校造営ならば…、の配慮があったらしきの国有地の廉価譲渡みたいな、醜悪なイヤラシサは微塵もない。


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※ 本多静六林学博士


『鉄腕アトム』に「赤いネコ」という一篇がある。

環境保護をテーマにした作品で、昭和28年作だから、環境破壊だのエコロジーなんて〜名するなかった頃。ズイブン早い。(早過ぎるといってもいい)

「武蔵野を歩くには道を選んではいけない-------」

巻頭、ヒゲオヤジが国木田独歩の一節を引用して物語がスタートする、とんでもなく秀逸なこの作品は、役人の硬直と腐敗、儲けのためなら国土荒廃なんか関係ナシの方々の思惑などなど…、丹念に描かれ、何度読み返しても鮮烈が駆ける。

森を壊してビル街を建てようとの国の計画にとある学者が、いささか誤った方法で反対運動をおこす。森に住まう動物たちを操作し都内に放って混乱させる。

ま〜、いまでいうテロだ。

大混乱のさなかをアトム達が奮闘、学者を追い詰め阻止するが、結果、役人と業者の癒着構造が浮き上がる。

学者の手法はダメだけど、しかし、果たそうとした意気の部分ではアトムやヒゲオヤジやお茶の水博士は共鳴する。アトムの放った電流で学者は倒れるが、お茶の水博士は病院で彼が息を引き取る前に握手をかわす。


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今、オリンピックの治安にかこつけてそんな共鳴すらも…、取り締まれる法を画策する勢力がある。国策遂行のための特定秘密法は既に動いている。

それらの法がご都合主義で運用されたらアトムもヒゲオヤジも活躍は出来ない。しようとすれば共謀の罪がのしかかる。それどころか、秘密法に基づいて土地開発が進むなら、アトム達は情報すら得られず、知らぬ内に森がなくなってたという事だって起きる。


小庭の花の向こうに、暗い不穏が動いている印象が拭えない。

心あって芯の太い官僚や御用の学者がいてくれたらイイな、とは思うのだが…、明治人の凛々とした颯爽はいまや稀少。

その点、百花繚乱の小庭の花々は、ヒトの制度や制約など関係なく太陽の元で自在を謳歌。

そこがチョイ羨ましい。

ただ綺麗と思うのではなく、羨望を混じらせると、いっそう美しい存在になるのが、花。


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※ イチヂクの苗木を目立たなくした小花の繚乱。

2017-04-22

野菜スクスク


弟の長女が、こたび結婚した。

彼女が2歳だかの頃、何かの都合で子守りをし、手に抱いて駅前の地下街を歩いて、ずいぶん重いな〜、メンドウだなぁ…、子の抱き方を知らないもんだからケッコ〜難儀したのを、数日前のことのように思い出しもする。

も〜そんな歳月が流れたかと、ちょっとメン喰らうような感もなくはない。

東京近隣に住まい、この先、彼女の前途がどのように展望するか、ま〜、楽しみ半分で…、けど、放っらかしておこう。


さてとしかし、毎度のこと、毎度の繰り返しながら、春なのだ。

小庭のアレやコレがどんどん大きくなって、緑色の比率がスコスコ、コストコみたいに大きくなる。

早やすでに菜の花は花が散りかけている。


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供給不足でポテトチップス製造が停滞らしきのジャガイモも、急速に葉を茂らせる。

規模小さき菜園ゆえ、たくさんはないけど、うまく育てば、何度か我が食卓にのぼるだろう。

煮たての熱々をバターで食べ、次いでカレーじゃな。

そう思うと何やらニッタリ顔がほころぶ。

数量はともかくもスーパーのビニール袋から取り出すよりも、土中から堀り出す喜びはデッカイ。

これは経験された方がいい。

掘ってみなきゃワカラン楽しみというのは格段だ。昂奮に近い。

たとえ小さいのばかりの数珠つなぎであっても、土の中の宝石だよン。


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豆が早やボクの背丈を超えようとしてる。

これはホントに成長が早い。


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以前にDVDで『ジャックと天空の巨人』というファンタジーを観たけど、この映画の豆の木ったら、とんでもない速度でデッカクなり、背が高いったらありゃ〜しなかった。

なかなか良く出来た映画だけど、所々にボクが大嫌いな「クレヨンしんちゃん」的下品が混ざり、それがど〜にもハナについた。

ま〜、けども、お馴染みの『ジャックと豆の木』を基にしたハナシなんだから、悪態つきつつ最後まで見たけどさ…、この手のファンタジーには品が必需だよ、品が。


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放置し、見向いてもやらなかったイチゴが自らの忍耐で越冬し、おやっと気づくと花をつけている。

過去、イチゴはうまく栽培できずで、収穫といえるよな状況を体験したコトがないんで、それを見るなり、

「育ってチョ〜ダイね」

つい…、冬の放置は棚にあげて、願かけたりする。

敵がいるんだ、よ。

葉をナメクジめが喰うんだ。こいつらは夜行で暗い中を土中のどこかから出てきて、イチゴ葉から養分を吸い取る。

ドラキュラに首筋を吸われた美人が梅干しババァみたいになるのと同様、葉も干からび、ダメになる。

忍者ハットリ君にも手に負えない深夜のテロリストだよ、ナメコ〜は。

ナメクシとクレヨンしんちゃんはこの世からいなくなりゃ良ろしい、とそう深刻に思いもするが、退治してもしてもワイてくる。

つぶさに観察したことはないけど成長も早い。大きくなるなら、いっそ2メートルくらいのデカさになりゃ〜イイ。退治のし甲斐があるというモンだ。


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先日、ホームセンターの苗コーナーでナスやウリの苗も買った。

ウリは初めてだけど、ま〜、ひと夏の思い出作りという次第。

でも、まだ土に植えない。

も少しだけ気温が安定したら植える。


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ナスはいったん育つや…、キューリ同様に毎日毎日、収穫がある。

しかしながら毎日なので、当然に食卓に登る率が高くなって、

「あ〜、今日もナスを消費しなきゃ」

ケッタイな義務的行動に押し込まれる。

基より嫌いではないんだけど、連続は食滞する。

それでナスに、

「あんたにゃ休日ないの? 夏休みないの?」

バカなことを尋ねたい気分になる。

ま〜、けど、それは数ヶ月先のこと。

とりあえずは、春の陽光の中の植物たちに、壮健たれ…、などと慈愛の念をば、おくってる今日この頃。

2016-06-29

花々の旺盛


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用あって小さなR2-D2をペーパーのみで作ってみる。

全高2.5cm。

より小さなモノも近頃は3Dプリンターの発達で作れちゃう次第ながら、いかんせんプリンターと呼称しつつも塗り分けてはくれないから、モノは精巧でも塗装はフリーハンドというワケで、難易度が高いというか、良い結果が得られるとは限らない。

その点でペーパーモデルは最初っから"塗装済み"なんだから、彩色の精度という点では3Dプリンターに優る。

ただ、ペーパーモデルは球体は苦手だ。

それにノリシロの問題がある。

貼り合わせのための"余地"が必需ゆえ、ペーパーそのものの肉厚がガゼン問題になる。

作ろうとするモノが小さくなればなるだけ、限界も近寄ってくる。

ま〜、そこが面白いワケでもあるけれど、なんせ指の中の工作… メダマがくたびれる。


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休憩。外へ出て、アレコレ花を眺める。

極小のR2-D2を指の中でいじってた眼には、庭の花はいずれもデッカイ…。

雨が降って、やんで、また降ってと… なかなか梅雨らしいアンバイなお天気具合。

しかし、その湿潤が庭の草木には恩恵有りで、アレもコレも緑がよくおごってる。


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それぞれ旺盛に生を謳歌して、

「延びる時に延びちゃうよ〜」

ひたすら大きく育とうと、何やらその意思が眼に見えるようで… 頼もしい。

繊細にみせて、しかし随分と大胆で、ズケズケと開けっぴろげで、

「眼がクタヴィれた〜」

なんていう軟弱がないのが、いい。

人が干渉しなきゃ、庭の草木どもはたちまちにジャングル的混沌に向かうのもみえてくる。

それでまたブライアン・オールディスの小説をボクは思い出したりもする。

ヴェルヌの『地底旅行』の、巨大化した植物を思ってみたりする。


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ボクは現代アートの信奉者ではないし、近頃流行りらしき『瀬戸内国際芸術祭』とかの作品に興味のキョの字も湧かないけど、草間彌生のいっときの作品の、小が大をのんでいく連鎖の鋭角感覚だけは賞賛してる。

植物の旺盛の、あれは讃歌であり、また強烈な恐怖でもあろうかと、ボクは感じる。けっして欲しい絵やオブジェじゃないけれど、草間の鋭敏は極小が極大に連なり、そのモチーフとして植物生長に怖さを見たかも… と思わされる一点で… 惹かれる。彼女はあの永遠めく連続パターンに気持ち良さをノッけてるのではなく、彼女の不安をノッけているとボクは感じる。

草間は自身の中の弱点と真っ正面から向き合っている人… と、そう思ったりもすると、それはホントはしんどい作業なのだと得心したりもする。

ともあれ、束の間… 花々に接し、メダマを休める。


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2016-06-17

Forever England

先日、Eちゃんから小包が届いた。

Eちゃんというのは、ボクの数少ない稀少なオンナ友達なのだけど、

「さて? 何じゃろな?」

開封してみるに、本が2冊入ってた。


うち、1冊がこれ。

英国はロンドン郊外ビーコンズフィールドにある屋外鉄道模型ディオラマの写真集。


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ハードカバーで豪奢。

とても綺麗な装丁。

しかも、鉄道模型ディオラマを材にしつつ、鉄道も、全体も、ない。

あるのは、その大ディオラマの中の極小な人物模型たちのアップのみ。

その一点にのみ特化・集中した写真集。

この"眼"が素晴らしい。

それでしばし、眺めいって時を忘れた。


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日本は"オタクの国"と称して久しいけども、はたしてそれは何か? はたしてそうか?

この写真集はその真相を突く良書である… と、ボクは眺めた。

説明・解説はいっさいなし。

小さな小さな人形たちの、そのアップ、その表情でのみ構成するという、こういう徹底は、日本のオタク文化ではまだ生じない。

そも、こういう本は産まれない。

説明・解説をしたがるのが… 日本のオタク系列の癖だ…。

しかし英国には、このような本がある…。

これは蒙を啓かさせられる。


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こういうのを見つけ、ボクに送ってくれる人の繊細が、嬉しい。

ちなみに彼女は、まもなく誕生日だ。

おめでたい。

駆けつけ、祝いとして頬ッペにチュ〜♡したいけど、そうもいかない。

「そんな祝いは不要じゃ」

との声が雷鳴めく轟くのが眼にみえる。

けども、しかし、この本を見つけ、わざわざに贈ってくれた気持ちに、礼したい気分というのは実に濃厚ホッコリなポタージュみたいに濃ゅ〜いのだ。

なので、ま〜、その返礼として本文を書いている。


ビーコンズフィールドにあるこの大ディオラマは、日本人の観光ツアーでは組み込まれていないけど、英国人にとっては観光スポットの1つで、今も年間15万人くらいが訪れる。

作られたのは1927年。昭和2年だ。

会計士でとても裕福だったらしきロナルド・コリンガムが自宅の庭に模型の線路を敷いた。

ロナルドの屋敷は広く、池もあればテニスコートもある。

週末ともなればハイソサエティーの紳士淑女が集ってパーティが催される。

そのパーティの余興として、彼は庭にミニチュア線路を敷いたようだ。

けども余興で終わらなかった…。


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元よりナマリとスズのミニチュアやら鉄道模型が盛ん、いわばホビー大国としての当時の英国なのだから、余興は持続し、さらに加熱した。(ちなみにプラモデルというのも英国発祥だ)

界隈に住まう模型少年たちや模型大人たちが、庭の鉄路の拡張に協力しだした。

線路の横に家が建ち、フィギュアが作られて置かれ、池に島が造られ、そこにまで鉄路が延びてった。

こうして数年後には、「ビーコンズフィールド鉄道」は大掛かりな屋外大ディオラマになってった…。


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これが日本なら… おそらく10数年も経てば、オーナーも飽きるだろうし、誰も見向きしない一時の熱狂と片付けられるハズなのだけど、英国のこれはロナルドが亡くなった後もその奥方が、夫の残したものとして大事に守った。

なんせ屋外なのだから、風雨に刻々さらされ、数年でボロボロに劣化するハズなんだけど、この奥方が、そして近隣の模型大人たちが、管理の手を弛めない。


結果、1992年になって、20世紀初頭における英国の人のカタチを示す貴重な模型であるというコトになって、"文化財"の指定を受けることになった。

日本だと… そうはならんでしょう。

ホビーの根の深さと太さが尋常でなく、ホビーもまた文化として確固たるものという点で、オタク文化なんて〜いう表層のざわつきは稚拙な幼年期のものでしかない… と、そう思わせられもする。


この大ディオラマの全体を知りたいなら、youtubeに素晴らしい動画がある。

鉄道模型にカメラを組み込んで、模型の視点で庭園を眺めることが出来る。

庭で植物なりを育てたことがある方なら、このディオラマの管理が如何に大変であるかを想像も出来る。


D


ともあれ、良い本を贈ってもらえた。

精緻精妙が模型の髄じゃ〜ない。模型で何を見せようとするか… このポイントを久方に再認識させられた。

感謝感激。


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池のほとりで隠れてタバコに点火する少年のミニチュア。

ボクはデヴイッド・ボウイと名付けた。

2016-06-06

小庭で小1時間


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室内で越冬させたパッションフルーツの鉢2つ。

もうダイジョウブであろうと、今年もまだ鉢ごと土に埋めた。

昨年、枝に付けたペコちゃんも色褪せせず、お元気で何より、これもそのままに外へ。

シーズンが終わると大幅に伐採し、土から掘り起こし、エッサホッサと室内に運び、冬は冬でこのパッションフルーツがために暖房を入れるという… なかなかの手間がかりながら、手間がかりゆえ、ま〜、オモシロイということも云えるワケで。


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プランターにカボチャを植え、ツルが上に延びてくよう仕掛けてみる。

あえて地に這わせない… 試み。

うまくいくかどうか、不明。

それにしても、ボクはカボチャといえば、きまって馬車を連想する。

むろん、あの童話のそれだけど、硬い表皮を思うと、

「なるほど頑丈な馬車だな〜。座席のクッションはやはり黄色がヨロシイな〜」

などと、水をやりながら空想しちゃって、一人、ニタリ笑う。

時に、草間彌生的連鎖パターンはどうか… と思ってもみたけど、

「落ち着かん」

これは却下だろう。


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早や、キュウリが採れてる。

しかし、キュウリの葉というのは、どうも愛せない。

葉というよりザラついた歯か舌を思わさせられ、じっさい、触ると痛いし、でかいし… 愛でる気力をおこさせない。

キュウリそのものも、バラほどでないにしろ、微細なトゲトゲで武装して、へたに触ると、

「ぁイタッ」

と不快にしてくれる。

キュウリめは、そうまでして何を守っているのかしら? と訝しむ。


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