Hatena::ブログ(Diary)

月のひつじ

2017-06-12

神秘の島 ~ネモの描き方~

海底二万里』と、ネモの晩年が描かれる『神秘の島』。

どちらがよりたくさん映画化されたかというと、後者の方。

ドラマに仕立てやすいからだろうし、そも『海底二万里』はディズニーの名作があって、これを越えるにはJ・メイソン級のカリスマ的卓越の役者や、かのノウチラス号より素敵と思える秀逸デザインを打ち出さなきゃいけないし…、気づくと1つの規範みたいに立ちはだかる。常に比較されもする。

その点で『神秘の島』は島1つが舞台で狭い艦内というワケではないから脚色しやすいし、膨らませ方次第でパンにでもケーキにでも転用出来る。

なので、『SF巨大生物の島』みたいな1時間半の映画も作れるし、『ミステリアス・アイランド』みたいなTV用の連続シリーズも組み立てられる。若年向きな『センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島』のようなバラエティっぽいのも造れちゃう。


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でも、どの作品も皆な、ネモに不幸をあたえているのはどういうワケか?

『神秘の島』を原作とした長編TVシリーズは、ネモをパトリック・スチュアートが演じた『ミステリアス・アイランド』と、カナダ米国のタスマンフイルム&テレビジョン共同製作でNHKだかで放映された30分全43話の『ミステリアス アイランド』があるけど、いずれもネモはヤッカイな人物のうえ、何やら悪役に近似の位置で描かれているようでもあって、描かれ方もステロタイプにして平坦、魅力的とはいいがたい。しかも、最後は悲壮…、およそ合点がいかない。

ディズニー版とても、メイソン演じる彼は撃たれて致命傷を負い、さらに大渦巻きの中に沈むノウチラス号を描いて、結末は苦い。

まるでもう、社会に順応しない奴の末路はこうなるんだ的な物語りの閉じよう。ただの1作品も、ネモを好意的に描かないから、不満がくすぶる。


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なるほどたしかに、ネモはメンド〜な人物に違いない。

気難しく、いっさい自己流で偏執のさいたるカタチを取り続けるし、"国家からの独立"を主張する反社会的存在、アウトローである。

けどもそれらはあくまでも体制側大勢な立ち位置からの視点なのであって、作者のヴェルヌはそこに軸足を置いていない。むしろネモの傍らに寄り添っているのじゃなかったか。

あえて孤独の渦中に身を投じ、それゆえ苦悩が次第に嵩むネモに"人間"をみている、のではなかったか。

ネモが文化の破壊者でないのは原作を通読すればすぐ判る。

2万冊を越える蔵書、数多の絵画、数多の楽譜…、「人類が作り得た良品」の数々をノウチラス号にアーカイブし、大事にする。

人に嫌悪しつつ人を愛する、その自己矛盾を抱えたままに、原作の『神秘の島』でのまことに静かなネモの臨終は、ヴェルヌのネモへの愛情と憧憬が交ざっているようでもある。

その消息が…、どの映画でも描かれない。

常に対立する人として描かれ、ま〜、そこは了解出来るとしても、彼は主人公らにとってのヤッカイな巨壁、ときにマッド・サイエンス、ときにテロリストのごとき有り様で、往々にわざわいの元凶と描かれるに終始する。その挙げ句として彼の破滅が結尾に置かれる。

これは、歯がゆい。

そうじゃないだろうと…。


ヴェルヌが描いたネモは、皮肉の嘲笑はたえず自身にも向かい、他者を嘲るほどに彼は自傷に苦しむのではなかったか。その孤独なエゴイズムエゴイストとしての自身を造型し、ついにその繭から手足を抜け出せなくなったと思われた刹那、彼は、

「もう充分だ…」

と、荒れ狂う波頭にノウチラス号を委ねるままに兇猛な苦痛をついに吐露したのではなかったか…。

ヴェルヌの描きたかった核たる部分、人としてどう生きるかをネモという人物に託し見せたそこを、いまだ映画は表現していない。


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シェーン・コネリーのほぼ最後の主演作となった『リーグ・オブ・レジェント』ではネモとノウチラスが重要な役として出てくるけれど、ここでのネモはなるほど原作通りに彼をインド人に設定したものの、カースト的悪しき身分制度の頂点に君臨するただの戦闘潜水艦(しかも原子力船)の艦長でしかなく魅力に乏しい。乏しいというよりも…、"使い方"をまちがっている。

目くじら立てるような作品ではないけれど、キャラクターの本来の芯を抜きとって、ただの名義使用じゃいけない。


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マイケル・ケインがネモを演じた『海底二万里 ディープ・シー20000』は、原作を大きく脚色して別種の色合いも混ぜこぜているけれど、意外や脚本に1本スジが入って、数多あるノウチラス号ものの中ではやや上位に置いてもいいようなところがある。

ケインはこの作品でもまた強烈に好演。でもノウチラス号デザインはダメだ…。

この作品ではネモの父性を最大のテーマにする。

従来なかった企てゆえ、これは評価する。

でも…、これとて、その最後を暗く閉じる。

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※ マイケル・ケインのネモ

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※ 同映画でのノウチラス船内


偏屈で卑小な海洋学者の父親に徹底して嫌われた、不幸な、けれどやはり海洋学者として生きようとする若き主人公がノウチラス号に救われ、船内でのネモとの確執と反撥の末に片腕を潰されもするが、血縁でもないネモに大きな父性を見いだすという顛末は…、かなり面白い結末が紡げるはずなのに、なぜか…、破滅でドラマを閉じてしまう。ネモも主人公もがノウチラス号ともども炎に包まれる。

「ぅうう… 救われね〜〜」

と、なので、期待が沈んでガックリ呻いてしまう。


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※ ジョン・パーチ演じるネモ


1995年の30分全43話の『ミステリアス・アイランド』でネモを演じたのはジョン・バーチだけど、彼は上記の、1997年の『海底二万里 ディープシー20000』では若き教授のその父親を憎々しげに好演していらっしゃる。

連続でヴェルヌものに出た俳優は、たぶん彼だけだろう…。

海底二万里 ディープシー20000』では、なぜに我が息子をそのようにサディズムのターゲットとしているか…、はは〜ん、なるほど、再婚相手の若いレディが我が息子の方へホントは興味を濃く抱いてるという描写が添えられているから、先に書いた父性をテーマとするにこれは逆説な意味でも合致して、なかなかホントは面白い。


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※ ジョン・パーチ演じるアロナックス(父)教授


バーチはアクの強い個性があるから、良い脚本があれば、それを活かす監督に技量さえあれば、実によさげなネモになったかもしれないと思うと、メチャに惜しい。

彼が気の毒になるくらい…、キャラクターとしてのネモの造型が際立ってよろしくないのが、この『ミステリアス・アイランド』。ジョン・バーチという良い役者をいかせず、全編を通し観る価値もない…、というレベル。ただもうグッタリの凡作。


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※ 原作『神秘の島』


という次第で、ボクは、ある種のハッピーな終わり方のネモの物語を観てみたい。

いやハッピーでキャッホ〜♪、でなくていい。

ネモは常に全てにおいて悩む人じゃ〜あるけれど、少なくとも原作者ヴェルヌはネモのその晩年に善なる人を見いだしているのは顕かだし、ネモに寄り添っている。

そのあたりの"人間"としてのネモを描いて欲しいな、映画でも。

いや、映画だからこそ、ネモの眼を通したネモの主観を味わいたいんだな。そうすると当然に短絡なゼンダマ人間なんて描けるワケもなかろうし、より複雑味をおびたネモの輪郭をトレースすることになろうけど、今のところ、彼を描ける監督は少ないだろう。

古典を現在と結べる人はそういない…。

ごく個人的感想では、オール欧米の俳優で、大道具小道具の類から特撮部門に至るもすべて欧米スタッフ。その上で監督は原田眞人を推薦したいけど、ネ。

イーストウッドが『硫黄島からの手紙』で、E・ズウィックが『ラスト・サムライ』で日本人を描けたように、原田なら…、ネモを描けるような気がしないではない。

あるいは、『エリザベス』と『エリザベス ゴールデン・エイジ』のシェカール・カブールだな。ネモと同じインド出身というのは偶然だけど、『リーグ・オブ・レジェント』のようなマチガッたネモ像を、彼は造ったりはしないと期待する。


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もう1人、監督候補にしたいのは石井聡互かな…。

今は石井岳龍と名を変えてるようだけど、彼の『GOJOE 五条霊戦記』を観るに、真摯さに驚くばかり。ボクはこの作品を、ボクが観た範疇でのベスト20位の中にいれている。

時代考証のうまさ(平安時代の装束がキチンと描かれていて素晴らしい)、話の巧み、色の使い方、リアリティとファンタジュームの合わせ方、観るたびに新発見のある映画はそう有るもんじゃない…、ので、それで彼も候補。

2017-06-07

ネモ船長と海底都市


配給権を持ってる映画全部、大昔のものから最近作まで6000本ほど、DVDとしてホームユースに市販されていないものを、たった1本の注文でもオンデマンドDVD-Rに焼いて個別対応で提供する米国ワーナー・ブラザース。

いわば川の底に埋もれた古鉄(しさん)を回収して販売するような細やかな仕事。映画会社の栄枯盛衰が厳しいから、著作権利が移動した古いMGM映画など、かなりの数が含まれる。

それを1本単位でオーダーでき観賞できるというのは… ありがたい。(2009年より)

残念ながら、基本として米国内でのサービス。


幸いかな、膨大なコレクション中からチョイスという形で、日本国内で字幕をつけて販売という作業もはじまって久しい。

その流れの中、入手した2本。

見れば確かにDVD-R。1枚ごと焼いたのね…、と判って、何やら妙にくすぐられる。

安いわけでもないけど、稀少ゆえの価格とこれは了解しよう。


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『ネモ船長と海底都市』 

  原題:CAPTAIN NEMO and Underwater City

アトランティスの謎』 

  原題:Amazing CAPTAIN NEMO


前者は1969年作。後者は1978年作。

どちらも名作でも傑作でもない。怪作ともいいがたい。ベチャ〜っと云えば駄作。

50年代から70年代にかけての米国の田舎町に多々(4000館オーバー)あった、"ドライブ・イン・シアター"で、彼女とイチャイチャしつつ車内で眺める程度な作品。

米国内向けのTV用に作られ、1回放映され、その後に編集を加えて劇場仕様にしたというだけの、モノ。

スクリーン・サイズは4対3。

「なんでこんな映画をワタシと観たいのよ」

いま彼女がいるとすれば…、当方への失望で爪をこっそり噛むだろう。


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『ネモ船長と海底都市』では、ネモが築いたドーム都市が深海1万8千mに設けられたと説明されつつ、主人公たちがダイバースーツで泳ぐ景観と魚たちは、ロサンゼルス界隈の水深2m程度な所で幾らでも見られる珊瑚や魚だと憤慨するだろうし、いかにもミニチュア模型でござい〜の特撮にも、きっと彼女は鼻白むであろう。

カブトガニの親族めいたノウチラス号のデザインも秀逸には遠い。

「くだんね〜」

彼女の顔にそう書いてある。

けれどボクは、黄金まみれ…、というか、そのドーム都市の中心的装置たる水を生成するマシンの、余剰副産物がゴールドだという、それでゴミ捨て場に黄金が山と積まれている、11歳の少年でもアホらしいと思う逸脱な設定にこの映画の"華"をみる。


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水の生成マシン。この"神像"感覚は、とてもヨイ。

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海底1万8千mでの客人の歓待にテルミンが用いられているところなんぞにも、「ほほ〜」と撮影当時の時代の香りを味わう。

全体はダメダメなれど部分に光るところがアルジャジ〜ノと、細部の温度の高そうなところで眼もぬくもる。


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きっと原作者ヴェルヌとて大いに悲憤の内容ながら、作品として生を受け、こうしてDVD-Rとなってはるか後年のボクがそれに接することが出来ているという、その悦びを歓びとして味わえるのがポイントだ。

999人にはショ〜もない作品でも、ただの1人はこうして評価し、マルとペケをあたえることが出来る、このDVD-Rでのサービスは… とてもいい。


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1978年の『アトランティスの謎』。

なんとも牧歌な脚本。『スター・ウォーズ』第1作目の公開翌年の作品とも思えぬ、けれどちゃっかり『スター・ウォーズ』的光景を挟み込み、音楽に至っては1部で、

「あれ〜!?」

と、耳が立っちゃうようなパクリあり。


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柳の下のドジョウスペースオペラじゃ能がないだろう… とヒトヒネリして海底へ…。

冷凍睡眠中の19世紀末のノウチラス号とネモを現代に蘇らせたのはよかったが、アメリカ国防省と手を組んで、マッド・サイエンティスト率いる謎の潜水艦と闘いだすネモの動向は…、ジョン・レノンが夏の盆踊りで30cm口径程度なスピーカーで声を張り上げているようで、よろしくない。

その過程でネモが海底王国アトランティスを発見するというのは許すが、王国にしちゃ〜登場するのはたった1室。しかもセットの横幅が小さく、登場人物たちは全員棒立ちで会話。

映画は時に想像力要求する場合もあるが、この場合、あり過ぎ。

数万の人が住まう海底王国を6畳の間1つで描こうとする、その凝縮が光る。


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ネモ役は『砂の惑星』で大王皇帝を演じたホセ・ファーラー。マッド・サイエンティストTVシリーズの『バットマン』でたえず滑稽ゆえ時にバットマンを上廻る人気となったペンギンを演じたバージェス・メレディス

この2大俳優のキャラクターを活かせきれない演出のまずさが… また、とにかく光る。

低予算モード全開で苦笑が続く。

が、また一方で、豪奢なマンション建造を夢見たものの出来ちゃったのは4畳半と3畳の間の文化住宅でトイレは共同ね、もちろんお風呂ナシ…、というアンバイな低予算がゆえに出来なかった諸々を抱えた製作者の悲しみもチラホラ感じられ、奇妙な同情もわく。

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なるほど、観客動員出来なかったワケもよ〜く判りますワ、という再確認も出来る希少性が、このDVD-Rという次第。

万人向きではない。

デートの電圧もさがるに違いなく…、推薦しかねる。

というよりも…、デートに選ぶかこの2本を…、が本音。1978年当時の"ドライブ・イン・シアター"で、もしもこの映画を観た後に、

「良かったね〜」

「ええ、ホント」

しっかり絆を結んじゃうようなカップルがいたなら、ボクは逆に、

「ぎくっ!」

訝しむ。

けども繰り返すが、こうして今、DVD-Rというパーソナル・メディアで観られるのは、ありがたいコト。

貧して鈍した末で1粒のお米の煌めきにうたれるみたいな、逆説を"愉しめる"という点もポイント。

180人には無価値でも、1人にはイミテーション・ゴールド。一瞬の輝きこそが命の2本だて。

2015-06-08

バットウォッチ 〜柱時計はいつ登場?〜


ほんの40〜50年ほど昔の居間だか寝間だかのどこかには、ほぼ確実に、柱時計がぶら下がっていて、これが、

「コチコチコチコチ…」

と、朝も昼も夜も音をたてていたもんだ。

「チッチッチッチッ…」

ではなくって、

「コチコチコチコチ…」

か、

「コッチコッチコッチ…」

な、ゆるいが明晰クッキリな刻みよう。

音は1秒に1回程度、コッチだかコチっ… と鳴ってたのかもしれない。

自宅ではさほど気にならないが、たまに親戚の家なんぞに泊まると、その音が妙に気になったもんだ。

昼はな〜んとも思わないけど、灯りを落とされた夜具の中では、寝苦しいというか寝にくいというか、コチコチ音に不気味な感じが募ってきて、いっそう寝つかないというアンバイなのだった。

ま〜、たぶん、ボクがそんな音のリズムと闇に鋭敏すぎる美しい少年だったからだろうけど… 今どきは柱というか壁に時計があっても音はしないから… それはそれで逆につまらないとも思うようなったのは… 年をとったせいかしら?


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それで最近、ちょっとそのような音を懐かしんで、柱時計じゃないけどアンティックを1つ、枕元に置いている。

およそ40年ほど前の"バッドウォッチ"。

これがあんがい、乾いた音をたてる。手の平に乗っかるサイズだけど音は身柄に較べて厚かましいくらい大きい。

「コチコチコチコチ…」

と、いうより、

「チュッチュチュチュ…」

と、聞こえる。

折りたたみの構造だからケースが反響板の役をする。

ネジを巻いてやると2日くらい動作するが、1晩で7分ほど時間が早廻る。

まこと不正確。

でも支障なし。

7分ほど差し引きゃいいだけだ。


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40数年の歳月をものともせず、ネジ巻けば音をたてて始動する、この逞しさは、電池式デジタルには真似できない素敵じゃなかろうか。

でも、こういった長寿な時計なり機械というのは、今や過去の遺物…  それゆえアンティックなんだけど… そこはどうだろう?

よろしくないですな〜。

こりゃまだ現役だし、何より少年の頃の暗闇の中のリズムを思い出させてくれるじゃないか…。

「コッチコッチ…」なり「チュッチュ…」は、時間という妙なものをより意識させてくれて、今考えるに、子供の頃におぼえた恐怖感というのは、その「コッチコッチ…」が、もはや取り返しのつかない一方通行を暗示した、音による"生の在処と行方"を示しているからだったんじゃなかろうか…。

と、またそのようなリクツを思い浮かべるのがイケナイのかもしれない。

やはり… 時計より早くコッチの方が早く年をとっているようで、な。


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ちょっと興をおぼえたんで1927年版のシアーズ・ローバックの、電話帳より分厚いカタログを眺めると、およそ10ページに渡って腕時計や懐中時計が多々掲載されてるけど、これ意外や、柱時計やその類い、室内用は売ってない…。

1927年(昭和2年)の米国には住居用は存在しないんだ。

ということは、日本もまた、そうだったに違いない。

柱に時計はないのだ。


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いやもちろん、大型の、壁に取り付けるというか壁や屋根に埋め込みタイプなものはそれ以前からあって、たとえば、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の重要なモチーフもそんなタイプの時計が仕込まれた教会だったし、この岡山の明治の娯楽施設「亜公園」内の塔・集成閣を大改造して造った「戦捷記念図書館」は1906年(明治39年)に建てられ、やはり、屋根にはでっかい時計が埋められてた…。

でも、そういうデッカイのは1つの地域の中の象徴的場所にあるきりで、家庭内にはなかったのだね。


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そも、その「戦捷記念図書館」(現在の岡山県立図書館のスタートがこれね)もプラン上では丸屋根の東西南北4箇所に時計を配置しようとしたらしいけども、特注のストレートガラスやら時計のムーブメントは非常に高額… ゆえに結局は時計設置は1ケのみで残り3箇所の同じデザインスペースは時計盤が置かれる部分をウッドで覆うということになったようで、いわばこの手のものは高嶺の花だった。


じゃ、そういったタイプのものが家庭内に入ったのはいつ頃か?

オーソン・ウェルズ扮するところの映画『第三の男』の悪党ハリー・ライムの、

「スイス500年の平和と民主主義は何をもたらした? 鳩時計さ」

は1948年(昭和23年)が舞台だから、少なくとも第2次大戦終了の頃には世界的規模で柱に時計があることを暗示してくれてる。

映画『スローターハウス5』では、空爆されて壊滅したドイツの小都ドレスデンの廃墟から、これは柱時計ではないけど、居間用の豪奢な大型据え置タイプの時計を米軍人が盗みだそうとするシーンもある。

そうすると、柱時計や据え置式が"発明"されるのは、1927年以後〜1940年代後半の… およそ13年ほどの間のどこかの時期… ということになる。そこではじめて破裂的に波及ヒットしたということになるんじゃなかろうか。

● 柱が静かだった時代。

○ 柱が音をたてる時代。

世界の室内事情がその13年の狭い時期で大きく変化したんだ、な。

ふむふむ。時代考証は面白い。

というか… そういった時代の、たとえば昭和のごく初期頃の室内模型を造るさいには… 迂闊に柱時計なんぞを置いちゃうとウソになるという危ない瀬戸際13年があるワケなのだ。


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ちなみにヴェルヌの『海底二万里』は1869年(明治2年)作だけども、その挿絵、ネモ船長の部屋の壁には、気圧計、湿度計、暴風雨予報器、羅針盤、六分儀などと一緒に、どう見ても時計と思わしき、懐中時計を大きくしたようなのが描かれてる。

それら一切が電気仕掛けで動いている、ということが小説中最初に明かされる驚愕の名シーン。

本文に時計そのものの記述はないけど… 諸々の壁の計器は時間(すなわち時計)と密接に関係している。

ヴェルヌはここでもまた未来的な暗示を、いみじくも、柱時計の登場を予想しているわけさ。

2015-05-18

燐光群-屋根裏


矢野顕子コンサート。憲法9条を柱にしたフォーク系コンサート。劇団燐光群の芝居。某公民館の講座。はたまた友人の父君の盆栽展。

週末のいろいろイベント。

けど身は1つ。イベント時刻に外せない用があったりする…。

という次第で天神山文化プラザにて燐光群の芝居『屋根裏』。


坂手洋二の名を高らしめた傑作。久々の岡山での再演。

おそらく今もってまだ破られてはいないであろう"世界で一番"に小さな舞台。

横幅、高さ、奥行き、いずれも2mに満たない小さな"屋根裏ボックス"にマックス13名もの人が出入いる流れは、壮観。

照明にワザあり。

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狭いスペースにアレもコレもソレもがブラックホールみたいに凝縮され、当然に圧がかかって発熱する…。

近年の坂手芝居はやや政治がかってナマな感触が磨かれぬままに提出されるようで、そこがいささかボクにはシンドイと感じることがあるけど、このリライトされた2015年版『屋根裏』にもそれがチラリ。

もっと削ぐことは可能だったと思う。

けれどやはり、屋根裏という名のボックス1つが舞台という形は、この作品が書かれて13年経つけどまだ新鮮。オモシロイ。

オモシロイというかスゴミを感じる。

ロシアのあの人形の中にさらに人形が入っているのに似た縮小と多様を同時に味わえる。

「けっきょく、ボクは芝居に何を求めているんだろう?」

そのような素朴をあらためて感じさせてもくれる凝縮の濃厚味。

けども… そこで見いだしたいのが、ゆるやか春の海なのか、波浪波動高きな嵐海なのか… そこがトンとわからない。

わからないから… 芝居に接してる。

といって、たとえば劇団四季的な多くの人が魅了されるといった大掛かりには興味がわかない。

人が多く足を運ぶほどに例えば「橋下劇場」とか「小泉劇場」と呼ばれた筋合いなものに近寄るようでメッキしたプラスチックみたいで、オモシロクない。

やはりどこかマイナー指向か嗜好だかが、息づいてる。そのアングラ的空気を望むようなところが消せないでいるのを長とするか短とするかさえ… よくワカラナイから困ったもんだけど、といって、この『屋根裏』をアンダーグラウンドな芝居とは露とも思っちゃ〜いない。

いっそ、これぞ芝居の王道と思ったりもしている。

映画やコンサートは、ある意味、放っておいても向こうから何かがやって来るけど、こういう芝居は… こっちがそっちに向かわない限り、ほぼ何も感じられない。

得るところが難しいのがオモシロイ。

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などと…、観念的になるのが芝居見学の悪いところだ。

美術館で神妙な顔をして作品にイチイチ接しなきゃいけないような空気の汚染に似たのを感じないわけでもない。

けどまた一方、そんな情動がうごめくトコロがいいのかもしれない。


"世界一"狭い空間で演じられるこの『屋根裏』に… ボクはまたヴェルヌの『海底二万里』を思ったりする。

ノウチラス号を芝居にしたら、どうだろう? どのような手法があるかしら? 舞台装置としてはただ操舵室があるきり… がいいだろう。いや… はたしてそうか? 操舵輪は不要、いっそ丸窓1つの壁を装置として用いたがいいのではないか。あるいはもっと象徴的に…、あの数万冊の蔵書でぎっしりの船内図書室がいいか。あるいは海の食材のみのあの船内食堂がいいか…。

登場人物は4名。ネモとその副官、教授と銛打ちネッド…。

長いのはいけない。せいぜい50分のドラマ。

(『屋根裏』は2時間15分だった… うむむ)

アレコレ妄想し、束の間チョット楽しくなったり難しくなったりしつつ、5月半ばの1日が過ぎてゆく。


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写真は谷本玉山氏の盆栽。

『屋根裏』の極小に通じる小さいが大きな宇宙。

盆栽の奇妙は、時間が止まっていること。そう見せること。

けども生き物だから手入れしなきゃ葉は伸びもするし枯れもする。水をあたえ陽にもあてなきゃいけない。なので常態として常に注視し徹底して手を加えなきゃいけない。時間を消去するために膨大な時間を費やす。

絵画に近い見せ場を呈しつつ、実は演劇なのが盆栽。


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2014-12-29

2014年の年末

部屋の1部の改装工事終了。

整理ついでに僅かながら本も処分した。

やや埃っぽい空気を吸いすぎたか、風邪をひいた。インフルエンザじゃなかろうな… ハナがとまらない。喉も違和あり。

体調不良と知りつつ、片付けしたのがイケなかったか、熱で眼元がボ〜ッとしてる。今日は午後から半日寝てみたが症状は同じ。


ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』。

ネモ船長は人との接触を断つべくノウチラス号を造って少数の仲間と海洋に出た。

船内には図書室があって、ヴェルヌは具体的にその一室を描写してる。

ほぼ天井までの紫檀(したん)材で組まれた書棚が部屋全体をぐるりと囲い、その下方にはゆったりした栗色の皮張りのソファが設えられ、移動式の小テーブルが幾つかある…。

シガールームを兼ねていて、例の海藻製の葉巻をここで愉しむことも出来る。

渦巻型の装飾が施された天井にライトが4つ。

冊数は12000冊。

ヴェルヌはネモの口を介して、

「この本たちが私を地上と結びつける唯一の絆です。出航の直前には私は新聞も買い入れました。その時の新刊も買いました。けれどノウチラス号が出航と同時、その時いらい、私は人類はもう本を産むこともモノを書くこともしなくなったと思い込みたいのです」

と告げて、ネモにとっての地上界との決別を記しているけれど、はたして… そこはどうなのだろうか。

"思い込みたい"と記されているトコロに絶妙なふくみと揺らぎがあるよう、ボクには思えるし、またヴェルヌもその旨を記したよう… 思う。

裁ち切りがたい未練が『海底二万里』の大きなテーマと思えば、ノウチラス号内のライブラリーはまさにそれを端的に示す部屋として位置づけられる。

静穏な海底。居心地良いソファ。本の匂い。

実によい環境での読書ということになるけれど、ネモがそうして本に接すれば接するだけ、地上界への思いはいっそう濃くなっていたには違いないのだ。逃れようとすればするだけ海中のネモに地表の光輪が降りかかる。

写真はペーパーモデルによる内部構造再現。

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ま〜、こちら、我が室内は、海底を遊覧する機能なしの、ただの土間。だから天井は高いけど、地面にコンクリを張っただけだから、冬場は足元がやや寒くなるという部屋で…、ネモの苦渋とは皆目違うし、12000冊もあるワケでもないので、彼が抱えたパラドックス含みな困難難儀に較べりゃ、

「楽勝じゃ〜ん」

なアンバイもないことはない。

上記の通り、僅かながら本も捨てた。

いささか逡巡しつつも、まずゼッタイに2度と眼を通さないであろう"実用書"の類いを見繕って束ね、ヒモで縛って退治した。

かつて室町の時代、当時描かれた絵巻としての"百鬼夜行"は、ナベやヤカンやクシやホウキやタンスやら、使い古されて捨てられた道具達が人間に復讐せんと一同に集結してゾロゾロ行列するという有り様を克明に描写しているけど、そこに今回、捨てられることとなった本達も、きっと、加わることになろう。

すまんね…。化けて出ないでね。と、そう祈る。

同じ化けるなら、なんか違う本になって出ておいで〜ね。

そうすりゃ、また本棚を住み処に出来るんじゃなかろうか。

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2014-07-31

ふじのひとあな 〜近い闇・遠い声〜

近頃はどんどん宅地化が進んでしまって、真夜中の水田を見たり感じたりすることが少なくなってしまったけど、それでもボクの場合で恐縮だけど…、生活圏の中、2箇所ばかりに田圃が残っていて、真夜中にBARからの帰還時、そばを通る。

周辺を住宅に取り囲まれて孤立した暗い浮島って感ながら、稲苗が綺麗に植えられ水が張られたそこに近づくと、カエルの声が聞こえだし、すぐそばまで接近すると、もはや人の会話は大声あげなきゃ聞こえない程の大音量。

いったい何匹のカエルがいるんだろう? と空恐ろしくなるくらいな鳴き声ライブ会場なのだ。

生息地が限られたゆえの大集合。その大合唱。

これは実体験していただかない限り、ちょっと字ズラ上じゃ表現できない音量で、迫力があるというか、

「ここはカエルの惑星か」

てな感じなくらいカエル声1色なのだゲロゆえ、駅前で若造さんがフォークギターでがなり立てても、この大合唱には遠く及ばない。

おまけにおかしなコトに若造さんの歌声は往々に不快かつ時に痛々しいのじゃあるけど、ミッドナイトのカエル〜ズの合唱は不快じゃない…。

いや、そりゃもう、真夜中の大声なのだから、時間をわきまえろ、とは申したくもなるけど、総じて不快はない。

むしろ、それらが何かのひょうし、一斉に鳴きやんだ時の、シ〜ンとした空気の現出が怖い。

夜の水田というのは灯りがないから、周辺に宅地があれば余計そこだけが暗く沈んで、なんか潜んでるようなおっかなさが出てきちゃう。


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この前、ここに書いた庭の蝉ども。

早くも鳴きだしている。

これまた複数ゆえ、大音声。騒々しい。

不快じゃないけど騒々しい。

朝の、だいたい7時頃から10時くらいまで、ミ〜ンというよりワ〜ンってな周波で周辺を席巻する。

「いや〜、まいったな〜」

と苦笑するも、これまた不快なんじゃ〜ない。

10時を過ぎたあたりでライブ終了。ピタリと静まり、以後は… 蝉とて暑いのか… 木陰で涼んでる気配。

金木犀の根元近隣に空いてる親指大の複数の穴は、その蝉たちが出て来た場所だけど、蝉は木にとまって、暑い午後、チラリと下を見て穴に眼をとめ、

「土中での生活の方が楽だったな〜」

なんてコトを思ったりするんだろか?

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だいたい、地中に開いた穴はヒンヤリしてるもんだから…、と今、そんな風に書いてしまったけど… 誰でも名だけは知ってる『吾妻鏡』にも、穴がでてくる。

蝉幼虫が住まった穴といった小さなもんじゃ〜なくって、こちらは規模がでかい。洞窟だ。

富士山に関係する洞窟。

それがあまりに深くって、かなり不気味ゆえ、建仁3年(1203)に源頼家が家臣の仁田四郎忠常に探検を命じる。

その顛末が『吾妻鏡』に載ってるわけなのだけど、面白い。


下写真:昭和2年刊 与謝野寛/編纂 吾妻鏡-第4 巻17 国会図書館デジタルライブラリー蔵 コマNo/38

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記述は、上写真の紅色にした部分にあるっきりなのだけど、この『吾妻鏡』のだいぶんと後年、室町時代に書かれた『富士の人穴草子』はもっと面白い。

なんせ、こちらは上写真の部分を1冊の本にしてるのだから、中身がムッチリ濃い。

万治4年(1661)に創られてるからオリジナルの『吾妻鏡』同様にムロン印刷物じゃなくって手書き本。糸で綴じ合わせた本だけど、挿絵が複数入ってるところがナウでヤングな尖鋭だよコレは。(国会図書館蔵)

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仁田四郎忠常は『曽我物語』にも登場する武勇名高き人で、猪狩りに出て巨大猪にまたがって退治したというような逸話もある人だけど、洞窟にはその部下4人と一緒に入る。

穴は"人穴(ひとあな)"といって、静岡の富士宮市に現存する。人穴冨士講遺跡という名で保存され、こたびのユネスコの富士山世界遺産登録にくるまれてる。

高くて綺麗なカタチの山だからじゃなくって、それへの信仰がかつてからあったという文化的な側面がユネスコ登録の決めてだったんだろうね…。

ただ、人穴は今は崩落して奥行きは80mくらいだそうだし、さらに崩壊の危険があるから立ち入り禁止になっているそうな。

富士宮市のホームページにはそう書いてある。

でも忠常の頃は崩落していない。

いつの頃って、1203年の頃。811年ほど前ね。

富士山の噴火に伴ってマグマが蠢き、それが冷えて出来た洞窟だとは、今は判るけど、忠常の探検の頃は"謎"の穴だ…。尋常でなく深い洞窟のようだった。


ジュール・ヴェルヌの『地底探検』を愛する身として、この日本版地底探検はいささか、気にかかるわけだ。

『吾妻鏡』の筆者が読んで欲しいと意図してる処とはかけ離れているし、ただ穴を潜っていって未知と遭遇するという1点でボクは反応しているし、ヴェルヌの壮大さは元よりないし… なのじゃあるけど、これが日本最初の"探検記"かなと思うと、チョットまた趣きも変わってくるんじゃなかろうか。

古典を"愉しく学ぶ"ための方便の中に、自然への畏怖みたいな情感を求めてのことなのかもしれないし… 蝉の声やカエルの声が次第に直に接することが出来なくなりつつあるから余計に感傷が疼いて、こういう"素材"に眼が向くのかもしれない。

ま〜、そんな自己弁護は置いといて、忠常一向5名様が入っていくと大量の蝙蝠に出くわし、次第に足元が濡れてきて、かなり入ったところで大蛇が出てきてコンニチワ。ワッとびっくり仰天で脇道というか分岐した洞窟に入り込んで、狭いワ暗いワで、これは『吾妻鏡』では、「心身を傷ましむ」と書いてあるから、相当… ビビッてるわけだ。

やがて一向は地下で大河に遭遇する。

松明をかかげ逆流を遡って、苦労して渡った先で"奇特"な光に遭遇。

"奇特"がどういうものであるかが判らないけど、ここで部下4名が死亡。

忠常は、鎌倉の大将から恩賜の剣を河に投げ込んで祈祷。

1日1夜かけてどうにか帰還。


ま〜、書いてしまえば僅かそれだけのことだけど… これを元手に脚色が加えられた『富士の人穴草子』では、その謎の光は"富士浅間大菩薩"という人だか神さんだかよく判らない者に変じていて、おどろおどろに登場するも、これが病気をしているらしい。その発作をおさえるために忠常の刀を貸してくれとのこと。

それで大事な剣をあたえると、その大菩薩は御礼とばかりに忠常を脇にかかえて地獄めぐりのツアーに出る。

富士山周辺の各所に現出の地獄図を散々に見せまわる。

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でもって、そこで見たものいっさい3年3ヶ月間は誰にも云うなよ、と念押しし、ツアー後、彼は地表に解放されるという次第。

よって、ヴェルヌの描いたリーデンブロック教授とハンスとアクセルの3人の冒険とはいささか風味が違うのだけど、それはそれ、これはこれで、物語として面白いから、ま〜、いいのだ。

かつて鎌倉の時代頃までは、そんな人穴が富士の裾野には幾つもあって畏怖の対象であったというのも興味深いし、『吾妻鏡』は日記みたいな歴史書なのだから、一応ホンマのコトという前提にたって… 富士宮市に現存の人穴の、その崩落跡を掘ってけば、どれっくらい掘るか、どの方角かも判らないけど、どこかに仁田四郎忠常の家来4名の遺骨が眠っているかも知れないじゃ〜ないか。

リーデンブロック教授たちがはるか地底の世界で、その300年ほど前、彼らの旅行の元となった謎の文章を残したサクヌッセンムの遺骸に遭遇したような… ビックリに遭遇出来るかも。

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1つの想像として… 忠常ら5人は洞窟に隠れ住むというか、そこを根城にした、いわゆる武装勢力を退治するのを目的としたかもしれないし、さて、そうなると遺骨に刀傷は有りや? って〜な想像も出来るし、そも、『吾妻鏡』の記述を深読みすれば、鎌倉幕府のトップから頂戴したいわば宝中の宝たる刀を忠常が洞窟でなくした理由の、いわばコジツケかもとも思ったりで… 想像がふくらみますな。

ま〜、ふくらむのは想像だけで、事の真相は遠い。せいぜい富士宮ヤキソバ食べて、

「あれ? いがいや辛口…」

B級グランプリに1票投じるくらいが関の山ンボ真夏の夢。

2014-05-21

サバ缶太平楽 〜part.2〜

いつぞやこのブログでサバ缶を記して以後、お友達から缶詰を頂戴することが多くなった。

このたびも、福井〜京都方面をバイクで駆けたマ〜某エツ某天気予報コンビから、1缶、もらった。

こういう、日常みかけない缶をもらうと、ヒジョ〜に嬉しい。

わけてもこれはいわゆる"鯖街道"の芳香ただようものだから余計に嬉しさがふくらんで、缶を眺めたり裏返したりは出来ても、なかなかオイソレと食べられない。

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なんせ我が敬愛の2人が、鯖色の、いや空色な、BMWでもってこれをわざわざ福井方面から持ち帰ってくれたと思うと、容易にパカ〜ッと、あけられないじゃないか。

では、いつ、あけるのかという命題に直面して… これに往生するうちに賞味期限が切れるというコトにもなっちゃいかんから、いずれはきっと開封し、キリリ冷えたウイスキー舐めつつニヤリ笑うという日は来るけども… まだ、それは今日や明日ではない。


この前、ボクが呉で潜水艦を眺めてウハウハしてた頃、時期同じくしてやはり呉に出向いた某女よりは、下の写真、こんな缶も頂戴した。

サバではない。

サバではないけど缶詰なんだからカタチはよく似てる。←あたりまえだ。

同じ呉にて土産を物色しても、女子と男子は概ね、眼に映えるものが違う。こちら鶏皮だ。

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前にも書いたと思うけど、ジュール・ヴェルヌは『十五少年漂流記』でもって、難破して謎の島に到着したスルギ号船内に缶詰があったことを記している。

少年たちが島へ陸揚げすることになる物品をヴェルヌはおよそ10ページ近くを費やしてリスト化してくれているけれど、ただ、どんな缶詰であったかまでは書いてない。

19世紀当時の加工品としてだから、ニシンのオイル漬けとか酢漬けとか、そういったものだったろうとは想像する。

すでに当時ノルウエー海域ではサバ漁が盛んだったらしいから、下の写真のようなオイル漬けの可能性はあるけれど、味噌煮じゃないだろう…。

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ヴェルヌは味噌を食したことはなかろうとは思うのだが、それでも… パリ万博に日本が初出展したのは1867年で、これは『十五少年漂流記』が出版される21年前だから、可能性が100パーセントなかったとは云いがたい。

なにしろヨーロッパ圏に日本を紹介出来る最大の機会ゆえ、いわば総力あげて日本は諸々を運び込んだので、味噌もそこにはあった筈。

幕末期。実はまだ国旗もない日本は、2年の歳月をかけて物品を用意調達し、その総量は大型の木箱で189箱もあったらしい。

くわえて、おすみ、おさと、おかね、3人の芸者を船積みし、パリ会場でキセルを吸わせ、茶をたてたりのパフォーマンスを演じさせた。

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(この徳川政権の出展とは別途で薩摩藩と佐賀藩も出展。物量としてはこちらの方が250箱とはるかに多く、佐賀の伊万里焼が大ヒットするのはこの博覧会からだ)


博覧会開催中に大政奉還…。

派遣された方々一同お金のやりくりに難儀するけども、会場で日本人がはじめてライブで聴いたオーケストラが作られたばかりのバリバリ新曲「美しく青きドナウ」で、指揮者はシュトラウス本人なんだから、いわばポール・マッカートニー本物聴いちゃったよ〜、みたいなもんだ。


このパリ博の日本館に缶詰はない。

日本の缶詰製造は1877年(明治10年)からだそうだから、サバ缶などあろうはずはない。

あるのは、やや保存のきくカタチでの加工食品たち。すなわち味噌や酒なのだ。

いかんせん、鯖の味噌煮の歴史は不明ゆえ… これに関しては何とも云いがたい。

パリ博における浮世絵や刺繍絵はヨーロッパに衝撃をもたらして、いわゆるジャポニズム、絵画の世界において大ブームが起きるけど、味噌が衝撃だったとはボクが知るかぎり、文献上どこにも見あたらない。

きっと、かの地にあってそれはとても馴染めない香りであったような気がする。


ピータ−・バラカンは60年代末だか70年代はじめだかの頃に英国から日本にやってきて音楽の仕事をはじめたらしいが、空港から東京に向かうまでの道中で、味噌とタクアンめくな特有の匂いがこの国に充満しているのを感じて、その不慣れな匂いに難儀したようであるから、19世紀もご同様だろう…。

1978年のパリで、はじめてほぼ満席状態のメトロに乗ったさい、ボクは車内のチーズ臭にムッとなったことがある。

口臭ではなくって体臭のなせるワザと悟った途端にきっとボクはお味噌の匂いの異邦人なんだろうな、とそこではじめてパリにいる自分をあらためて感じたりしたけども、そこを思うと、19世紀末の『十五少年漂流記』のブリアンやモコやゴードン君たちはきっと… それがあるという前提にたって云えば、貴重な食料たる缶詰であっても、味噌味付けの缶だけは敬遠したろうなとは思うのだ。


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でも、あんがい、水煮はイケるんじゃなかろうか。

水煮缶の風味はあんがいヨーロピアン感性に合うんじゃなかろうか、と考えたりもするけど、どうだろう?

今も日本じゃ、人によって生臭いと感じる水煮の風味は、フランスの人にはあんがい馴染めるもんじゃなかろうか?

近年の何かの調査で、フランス人をダントツ筆頭にヨーロッパの方々は、セックスの前に身体を洗わない、事後にも洗わないという、いわばお相手の体臭を愉しむという癖(へき)が明白になって、この日本の何でも清浄しなきゃいけない、わけてもセックス前には必ずシャワー使いますという潔癖症、文字通りな狂的な習癖とあまりに対象的な嗜好があるから、味噌風味はともかく水煮のそれはイケるんじゃなかろうか… とボクは思うのだ。

性と食の欲をゴッタ煮ちゃ〜いけないけども、嗜好の核の部分で両者は混ざりあっているとボクは思うのだ。

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以上、だんだんハナシがそれつつあるので軌道を修正してホコを早々におさめるけど、缶詰というのはいいよね。

英語(米語)でも"CAN"なのだし、いや、それが缶詰の語源じゃあるけども、夢が詰まっておりますな。(笑)

想像上のハナシ、ボクがネモ船長のノウチラス号の厨房係として乗船しなきゃいけないとなるとボクは… あれこれなメーカーのサバ缶を用立てなきゃ気がすまないよう… 思う。

大海洋に出でて、新鮮活きよいサバを獲ろうと思えば幾らでも獲れちゃう環境ながら、加工品としてのサバ缶は当然に網にかからないからね。

骨の髄まで柔らかくなっちゃった缶詰の滋味深きを是非に… サルガッソの海かカスピ海あたりでネモ船長には味わってもらいたい。

忘れたいが忘れられない地上での想い出を缶にこめ、数多の血が流れて鬱屈の悲しみのみの地上にも、捨てがたきがあることを。

2014-05-05

潜水艦を見にいく 〜海上篇〜

ラッセル・クロウが好演のピーター・ウェアー監督『マスター・アンド・コマンダー』は海洋映画として実にまったく秀逸で、帆船の狭い空間の中において高らかな規律を維持する凄みがよく伝わる。海の男は神経が太い線になってなきゃつとまらんぞと… こっそり思う。

ノウチラス号は軍船ではないけれども、やはり規律が、船内における掟があったわけで、そこをヴェルヌは書いていないのが… 今になってちょっと不満をおぼえだした。

なるほど仲間のための海底墓地などの描写はあるにしても、ネモ個人の呻吟とデカダンを含有した生活と仲間のそれをどう合致させていたのかしら? と新たな興を抱いてしまった。

『マスター・アンド・コマンダー』には小学生くらいな貴族の子が将校見習いとして乗船していて、けれど彼らは大人としてキチリ扱われ、また彼らもそうふるまい、徴兵されている船乗り(未成年者も多々いる)もその存在に敬意をはらうという史実が描かれている。

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今現在のボクらからしてみれば実に不思議な感触ある、その階級社会。

海底二万里』のネモとその仲間も、たぶんに、差違が敷かれた世界の掌の内の話ではあるけれど… ネモははたして本当に何を求めてのノウチラス号の建造と就航と旅だったんだろうか… 陸上展示の物体としてデッカイ「あきしお」に接して、あらためてそんなことを思いかえした。

家族を失ったネモとその仲間はただ一重に海の底での静かさを望んでいたはずだった。それがどうよ…。

遁走のさなかの微かな光明と宿痾の悲しみ。

仲間の絆。 

そして、世界を遊んで一瞬の旅の果てに何を得たろうか。

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「てつのくじら館」近くのフェリー乗り場から、呉港内を遊覧できる船が出ていて、潜水艦のそばにも行くという。

その名も『艦船めぐり』。

乗ってみた。

呉は潜水艦の基地なのだから、現役の潜水艦が複数停泊しているわけなのだ。

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極めて空母に近い形の「ひゅうが型護衛艦」など大型の艦船複数がツイタテのように並んだその向こう、波静かな小湾に、この日は4隻の潜水艦がいる。

クジラを見るんじゃないんで、"いる"というのもおかしなもんだけど、国防として隠密性高きの乗り物ゆえ、いつ出港するんだか寄港するんだかは公表されていないから、"いる"としか表現出来ないワケなのだ。

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映画『クリムゾン・タイド』でデンゼル・ワシントンやジーン・ハックマンが乗艦するシーンに出て来た同じ光景が眼の前にあって、渡し通路のそばには衛兵だかが立ってる。

ハッチがグリーンのシートに覆われているのは、ハッチの厚さが秘密になっているからとのこと。その厚さで何メートル潜れる船なのかが計測出来るらしいので、そこを知られちゃマズイと… シートでくるんでいるそうな。

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実際に海水に浮いたホンモノというのは… 単純に申して、やはり格好よろしい。

「あきしお」見学で内部のベッドサイズなどを承知したゆえ、ノウチラス号内装の豪奢を幻視するには脆弱ながら、浮いている黒い佇まいは格好がよろしい。

陸揚げされている「あきしお」よりも、実はこの海上の光景の方がノウチラス号を濃く意識出来るのは… やはり多くの部分が海中にあって見えないところがイイんだろうね。

見えないことで空想がふくらむんだ。

海底二万里』に描かれるノウチラス号と眼の前の自衛隊の潜水艦はま〜るで違うカタチだけども、

「潜っちゃうんだぞ」

の迫力が透明な裏打ちとなって、想像の芯が屹立するんだね。

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小説上の潜水艦とホンモノとを混同させるのは、あんまりよろしくないけども、"男の最後の逃げ場ないしは隠れ家"という辺りをテーマに考えますと、やっぱり、葉巻状の筒はカタチとしてまことに落ち着きがあるんだ。

ある種の暗示というか、秘匿がカタチになって、醸される雰囲気が独特なのだ。

これが、海面に出てる部分が白や赤だとチョットいただけない。

色の主張を殺してただのブラックそれも艶消しの、というのがよろしい。

いや、もちろんイエローサブマリンの場合のみは、イエローじゃなくっちゃいけないけど、我が心のノウチラスはブラック。ちょっとブラウンが部分にあっても基本は黒だな。


黒という色はとても難しい色だ。

その昔、東宝撮影所にて撮影中の『ゴジラ対ビオランテ』を取材したさいにも、それは濃く意識されたことだった。

撮影用ゴジラスーツは、いわばただの艶のない黒1色なラバーなのに、いざや照明があたり、火薬が弾け、シッポがふられ、フイルムに定着するや、その表皮には色々な色が見え隠れする。

黒は黒だけど、淡かったり濃かったり、灰色がかったり、時に白く部分が輝くようなこともある。

そういう吸収と発散の面白さが黒にはあるから、だから、難しい。そこを模型として表現する場合、黒はホントに… 難しい。

幻視のつもりが、いつのまにやら模型表現を「どないしょ〜」な方向に落ち着いていくのが哀しいけども、実際こうして撮った潜水艦写真を眺めてみても、さほど黒な感じがしないのが、黒の特性だ。


さてと…、ミヤゲだ、土産の話だ。

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呉では戦艦大和をモチーフにした土産が主流で、潜水艦に特化したのはあんがい少ない。

自分用に買ったクラシカル・エレガンスな、いかにもジャパン的パッケージのせんべい。

けど、なんだか… 箱をあけると、おみごと、全部、割れてましたわっ。

ううん、沈むよ〜〜 。

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でも、せんべいより今回は、スチールケース入り「旅行の友」じゃな。

広島や岡山でこのフリカケを知らない人は、たぶん少ない。

まずい… の代名詞とボクはなが〜く久しく思ってた。

量が劇的に多いのにネダンは安い。

我が家では、ボクが子供の頃はフリカケといえばコレであった。

丸美屋の「のりたま」はめったに買ってもらえない。

なので、申し訳ないけど、そういう顛末で今は見向きもしないフリカケなのだった。

けど、スチールケース、かつ、復刻版というのが… こたび気になった。

"御飯にかけてステキにうまい"

のフレーズも良いじゃ〜ないか。

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大和ミュージアムのショップでこれを見つけ、買って、さっそく試してみましたら、

「あらま不思議や」

風味もよくって、美味しいのだ。

50年前にボクの舌が知覚したものとコレは別モン? と思うほどに。

とくに風味がよろしゅう御座います。

で、気づいた。

従来味わっていた… あのまずさピカ1は、量が多いゆえに必然として常に食卓に置かれていたもんだから、湿気ちゃっていたんじゃなかろうか。

なので、きっと、風味もトンじまって、どこか全体にベッチャリしちゃって、不当にまずくなって「旅行の友」の名をいっそうに貶めていたんじゃなかろうか?

そうであるなら、そのお得感いっぱいなボリュームがゆえに「旅行の友」は謂われなき誹謗を一身に受け続けていたということになる。

開封したら、サッサッと使うべしなのがフリカケだ。

というワケで、呉に旅行して… 広島産「旅行の友」再認識。

『ノウチラス号と旅行の友』、とタイトル付けりゃ良かったかしら。


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追記:

今回一緒に出向いた福山在住のZANERI君。上記の土産を物色しているさい、はぐれてしまい、「さて、どこへ行ったかな」とキョロリ辺りを見廻すと、大和ミュージアムの例の巨大模型の真ん前で、”記念写真”を撮ってもらってた…。

いますね〜、こういう人が。ボクは出来ないなァ。

聞けば、

「1000円とられた」

とのこと。(苦笑)

2014-05-03

潜水艦を見にいく 〜陸上篇〜

遠路。呉市に出向く。

目的は潜水艦の見学。

以前に出向いたのは大和ミュージアムがオープンした2005年だから、かれこれ9年ぶり。

この国で実物の潜水艦展示は『海上自衛隊呉資料館』のみなのだから、これが「てつのくじら館」なる愛称でオープンした2007年以後、ず〜〜っと出向きたいとは思っちゃいたけど、なかなかね… 足を運べずで今回ようやく実現だ。

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山陽高速道路の途中で危うく事故に巻き込まれそうになったけど… 何とか通過。たぶんこの後、救急車やレッカーやパトカー登場で高速下りはしばしの停滞となったろう…。

4時間弱で呉に着。

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「あきしお」。

全長76.2m。幅は9.9m。

見上げる形で展示されているから、印象1番は、

「でかい!」

だな。

実は『海底二万里』のノウチラス号の全長が70m。最大幅は9mとヴェルヌは書いている。

だから「あきしお」は形こそ違え、ほぼノウチラス・サイズ。

呉まで出向いた理由は、要は「あきしお」にノウチラス号の輪郭をトレースしたかったというような… ことなのだ。

「あきしお」には申し訳ないけども、ノウチラス号の金属感を直かに感じてみたかった… というわけなのだ。

いわば、幻影をオーバーラップさせるための『2014年 幻視の旅』。

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とはいえ、はじめて金属の筒に入ってみると、実に単純に、

「あら、狭いのね、ここ」

だの、

「おっ、あんがい広いじゃん、トイレ」

だの、ショボな感想のみが浮いて、とてものことカッコ良く幻視なんて〜もんじゃない。

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居住空間としての鉄壁性は潜水艦と宇宙船の2つが気密というところでもって他のどんな乗り物よりも優ってはいて、そこが魅力の照射点じゃあるけれど、その気密な凝縮は閉所恐怖なボクには、たぶんホントはそぐわない。

夢想としての"閉じた秘密の部屋"をすこぶる嗜好するし、艦内を眺めるに、なるほどここは特殊な空間とどこを指してもそう感じるけど、窓のない「あきしお」の、やはり、鉄壁の裏側に隣接してる脱出出来ない閉じ方に、怖じ気づいてしまうのだった。

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思った以上に低い天井にくわえ、あちこちに器機があってレバーが突出して、たえず注意してなきゃ必ず頭なり肩なりをどこかにぶつけそう…。そんなので潜水するのだから閉所感が濃い。

だから、ノウチラス号のあの豪奢なサロンにある2つの展望窓は、密閉の恐怖を緩和させる大事な装置なのだな、とあらためて感じた。

ネモ船長とその仲間は人間界を嫌悪してノウチラス号に閉じこもったものの、けれど、閉じ籠もりつつも"外を見る"という処は放棄しなかったわけなのだ。


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海底二万里』が書かれた14年後の1884年に刊行の、ユイスマンの『さかしま』では、主人公デ・ゼッサントは外界との接触を断ち、丸窓の外側に水槽を置いた船内に見たてた室内に閉じ籠もって、読書三昧にして夢想の連鎖を繰り返し、果てに口からの食事を嫌悪して、栄養浣腸によって"食事"するというデカダンの極みを実践する。

2人の召使いによって海の香りがする空気が送り込まれる室内(船内)。

気分によって水槽内の水に色を混ぜ合わせ、時に夕陽を受ける海の色やら晴天の海色やらを創りだし、そこを泳ぐ機械仕掛けの魚や海藻の揺れに気分をおどらせて、気苦労や疲れを感じることなく、くつろいだままに夢想界を満喫という愉悦に浸る。

ネモ船長とは方向が違う閉じこもり。

自己嫌悪で裏打ちされた厭世気分が下敷きという点で両者は一致するけど、かたや邸宅の中の個人の営み、かたや城砦としての潜水艦の中、20数名の部下を率いる組織。

「あきしお」内部に入った途端、おバカな話じゃあるけれど、

「ノウチラスは1人で動かしてなかったな…」

と、あらためて実感させられた。



「あきしお」には漫遊的旅情も私情も浸透する隙は当然ない。バトルシップとしてのサブマリン。確固たる目的ゆえの機能に満ちて精悍。

いかんせん見学出来るのはごく1部分で、ドイツはキールのラボー岬の砂浜にあるUボート展示のような、ほぼ艦内全てを見せてくれて、かつ、照明は当時のまま、潜航中での実際の灯り(だからとても暗い)というワケでもない。

見学はコントロールルーム周辺に限られ、その階下の魚雷室やエンジンルーム界隈などは見られない。

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でもやはり、実物の迫力は縮尺模型じゃ醸せないもんだ。こういう展示はありがたい。

しかも無料だ。

国防を広報する窓口として海上自衛隊自身が運営しているわけだから、艦内案内も現役自衛艦。

でもね〜、わずか40数年後に国民の半数が高齢者の国になることが既に判っているから… はたしていつまで無料を維持出来るのか?

ましてや潜水艦の乗り手としての若者が減少した国家というのは、国防もままならないというアンバイじゃなかろうか… そも、国防として、武装が本当に最適なのか? 現憲法9条の特異性こそが抑止としての大きな防波堤じゃないかしら… 世界に向けて輸出出来る特異じゃなかろうか… などと心配をしてもしゃ〜ない。

今回はあくまでもノウチラス号幻視の旅。

理屈は置いて、足元の金属音の硬さを確認する。

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士官用3段ベッドの最下部に寝そべってみる。

せ、狭い!

眼を閉じて眠ったつもりになる。

マイケル・ジャクソンは東京ディズニーランドを1日借り切って1人っきりを堪能し、エジプト遠征のポナパルドは某日某夜、クフの大ピラミッド内でただ1人っきりの夜を過ごして、ご両者ともに何かを感じようとされたらしいけど… たとえばこの「あきしお」内で1晩1人で過ごしたら、ボクは何を得るんだろうか。

詩的な寂寥か、おびただしい退屈か。やはり、このあまりの狭さに窮屈をおぼえ窓を欲しがり… 外を気にするんだろうな〜。

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2014-01-05

カズノコ食べたの誰ァ〜れ

いったい、どこのだれが、カズノコを今のように食べるヘキを見つけたんだろうか?

北方ではニシンはカドと呼ばれていたから、その子であるから"カドノコ"、粒が多いゆえ転じて"数の子"だけども、はっきり申して、ひどくうまいわけじゃない。

魯山人は『魯山人味道』のエッセーで、これを「音を喰う」と、実に的確に感触を云い顕しているけど、ニシンの身から取り出し、水に一晩か二晩かして激辛を薄め、白い筋を除去して… それをそのままだか、お醤油に漬ける(これは江戸時代から)といった調理法を開拓したのは… 誰だろう。

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以前にもボクは似通うことを書いたけど、諸々ないささかに珍奇なものを最初に食べちゃった人、あるいは食べられそうにないものを食べられるものに加工して定着させた、無名の方々に強く惹かれる。


ナマコを最初に口に入れた人の勇気。

ゴボウを最初に煮た人の辛抱。

硬い梅をシソにあわせて漬け込んだ大胆。

あるいは、おそらくは夥しい死者を出した末でのフグ毒の在処の発見と除去。


カズノコは、むしろ容易な部類に入るけど、それでもこの凝固したタマゴを水にかして塩分を加減させるという術を最初に見いだした男だか女には、やはり尊敬の念を禁じ得ない。

いや別に何も、禁じる必要もないんだけど… 水にかして様子を窺った探求心には感心する。

これは他国にはないようで、じっさい、どこの国でも、カズノコは捨てるべきな部位であったようだから、やはりこれは賞賛すべきな発見、ないしは情熱なのだと思える。

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例によってまたヴェルヌの『海底二万里』を持ち出すけども、これにも人の創意工夫が登場する。

たとえば、ポークシチューかと思われたのが実はイルカの肝臓の加工であったり、イソギンチャクのジャムであるとか、海藻から造った葉巻であるとか。

ヴェルヌはさすがに調理法までは書いていないけど、ナマコを登場させてもいる。

おそらく、彼にとっても、ナマコを食べるというのは、ちょっとした奇異があったんだろう。

マレー方面でそれが保存食として存在するというのをヴェルヌは知って、それでノウチラス号の食卓にそれも添えたらしいが、当時の読者はヴェルヌのように情報を数多収集するようなヘキがないんで、きっとビックラこいたろう、その記述には。

ボクはジュール・ヴェルヌを美食家とも食通とも知覚しないけども、食に興味のない人であったとは到底思わない。ましてや『海底二万里』の前半部はセーヌに浮かべた自艇サン・ミッシェル号で書いていたらしきなので、おそらくは泊まり込みもあったろうさ。そうすると自分でクッキングしちゃったりもしていたろうさ。

同時代のどの作家よりも彼はその点はアクティブに"食"と向かい合っていたと、思えるんだ。でなきゃ『2年間の休暇』にける少年達の自給な食生活なんて書けもしないんだし。

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かつて花田清輝は『日本のルネッサンス人』の"琵琶湖の鮒"でもって、鮒寿司(ふなずし)に言及し、中世における食の光景を再定義してくれて、さらにはそこから目眩むような広大な文化史を展開して… ボクに苛烈な衝撃をあたえてくれたけど、食べられそうにないものを美味しく食べるという、人間の営みの深さというか、そうせざるをえなかった状況をふくめ、なにやら、『食』には濃く惹かれるわけなのだ。

オシャレにエレガントに食べるとか、あれが流行ってるとか、どこそこのレストランのナニがうまい、とかじゃ〜なくって、どうもそういうのは興味ダイなれどもホントは苦手なのであって、ただもう、その個々の料理品のスタート時に興味のウェイトを置くわけだ。


室町期のちょっと上位の武家の食事では、今ボクらがガッコで学ぶ「米を主食にして」ではなくって、いっそ、米はおかずに添えられていたに過ぎず、メインはおかずにあった事に… 花田清輝は注目した。

ごく日常な食として、3つのお膳に12種のおかずと3つの汁がのせられている。1人にだよ。今より、多い…。

この種類の潤沢を考慮し主食とおかずの関係を彼は考えて、稗(ひえ)や粟(あわ)の飯しかありつけなかった階級にとって、それは惨めなことであったろうかというクエスチョンを浮かべるんだ。

極度に都市化されてはおらず、人口に対して緑あやなす地面比率高き時代… 膳の豪奢差はともあれ、土筆(つくし)だの春菜だの、高位の武家も下層の日暮らしでも、おかずとしての菜は同様に卓にあったろうと。

稗やら粟だけを口にしていたんじゃなかろうと。

これは1478年に書かれた『大内家壁紙』(今の山口県方面ね)という家訓教本みたいなのに記載の食膳のスケッチや、あるいは当時の創意工夫でもって種々の料理と化した土筆のことやらを元に花田が考察した結論なのじゃあるけれど、そして、かつて、鮒寿司におけるフナとご飯はどっちにウェイトが置かれていたか、はたして御飯のバリエーションとしての鮒の起用なのか、鮒を美味しく食べるための米の添加なのかといった事々の、その解釈によって導かれる新たな"景観"を提示してくれたわけだ。その逆層の展開式に、ボクは魅了をされる次第。

なので、カズノコ最初においしく食ったの、だぁ〜れ? と、思いを飛ばすわけなんだ。


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カズノコにゃ関係ない、12月29日夜の某ビッグバンドの忘年会写真を混ぜちゃったけど… ダイコンを最初におろしちゃった人なんて〜のも、すごいよ、立派だ、偉人だよ。

おろし器の発明にはきっと膨大な思考錯誤があったに違いないんだから。

よもや、最初からそれが焼きサンマに合うなんて事は思ってないだろうし、すって、おろして食べなきゃいけない何かの必然があったんだろうか? とか、想像するといささか愉しかったりするんだ、ボクは。

一部の地域には、竹製の"鬼おろし"というのが古くからあって、これはダイコンに特化したものだそうだけど、その鬼というのは、ひょっとしてお腹が痛い… とかなさいにおろしたダイコンを食べる事によって治療にあたるという、厄介を取り除く法としての、お薬的発想が最初にあったのかも… とかさ。薬味って云うぐらいだし。

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どうも、食べることよりもそんな事どもの方についつい注目しちまって… はたと気づくと眼前の美味しいものが冷えちゃってるってなアンバイ

よろしくないっす。

たとえば、"冷や飯"というように、ゴハンに関してはその冷めた状態を指す言葉がちゃ〜んと与えられているから、これは過去の滞積としてそういった事例が多々にあったゆえにと判るのだけども、湯豆腐が冷めた状態を指す言葉はいまだ開発されてない…。

ということは、これはやはり、冷めぬ内にとにかく確実に食べなきゃいけないワケなのだ。冷めた湯豆腐を指す単語がないというのは、そういうコトなのだ。冷めた湯豆腐を喰らうというのは、なので、

「言語をぜっした振る舞い」

というコトになるんだろう。

上の写真は12月31日大晦日の、つきあい長きな友人たちとの忘年会の湯豆腐鍋だ…。喋るより先に食え… という自戒的写真…。

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このパッケージ写真は本文には直かに関係ない。31日の夜の、その湯豆腐を前にして… 東京から帰省の友達が持ち帰ったナゾの"岡山みやげ"なんだけど、いささか不思議。

なんだ、「とうきょう ももたん」って?

天神町に会社があるらしいが、天神町はちょっと知ってるつもりだけど、知らんな〜。あの… パン屋さんかな〜?

売ってるのは東京の某所のみ? と思ってたら岡山市内の何カ所かじゃ売ってるな〜。

実体不明なれど、それゆえ興味少しアリ。

これは… 調理云々というよりも、岡山をネタにしたマーチャンダイジングな方面での興味。

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2013-11-08

サバ缶太平楽 part.2

仕事のアレがありコレがある上に、入院している89歳のマザーのオシメやら着替えやらを毎日病院に持っていかなきゃいけないから、1日がせわしい。

病院は近場じゃあるけど、それでも、何だかんだと行事をこなすと、出向いて戻ってくるまで3時間は費やす。

退院予定は1ヶ月先なので、それを思うと、はっきり、シンドさをおぼえもするけど、さりとて、この高齢なマザーが退院したらしたで、再転倒イコール再骨折の可能性を含め、入院前の生活にはもう戻れないであろうから、いっそ… このままず〜〜っと入院してくれていた方が楽だなんて〜、不謹慎もおぼえる。


で、入院病棟に日々出向くだけじゃツマンナイから、ついでだ。近場のスーパーなんぞにちょっと寄って… サバ缶を物色する。

あの店、この店、と出向くに、置いてるサバ缶も多少違う。

この1週間ほどで、病院からの半径3Km圏内の諸々なスーパーやストアたちを概ね制覇。

水煮が、どこも少ない。

まだブームが続いてるのか? あきらかに、売れているのだ…。

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朝方に仕事を一段落させてのバランタイン(1番安いアレね)とサバの缶詰は、相変わらず、うまい…

水煮缶が、ムロンに1番、ファイネストにあう。

けども、サバ缶にもあれこれあって、まず眼をひくというか、気づくのは、パッケージの"まずさ"だろうな。


1缶300円を超えるような高額なサバ缶を、ボクはサバ缶と認めていないので、手元にあるのは、200円前後(最安値は98円)の、ま〜、それなりの代物、というコトになるけど、パッケージのデザインが悪いね、どれもこれも。手前の右から2番目は500円超えなれど、缶デザインは200円前後とチ〜ッとも変わらない。

1番にいけないのは、これ。

ニッスイのこいつ。

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中身を美味しく、みせない。

むしろ、ひどくマズそうに見せる。

いや、そもそも、これはデザインという範疇に入れられないくらい… なもんだ。

社内のちょっと"絵"がかける人に案を出させて、そのまま使ってるような感触。

写真もまったくよろしくない。

鮮度が感じられない白っぽさには、旨味の増加どころか、むしろはっきり、マイナス。

が、顔つきの悪い魚は美味いというけど… ニッスイのこやつめは中身は美味い。

たいへん美味い。


左の、近頃セブン・イレブンが売り出してるヤツなどは、缶の意匠は優っても、まだこのニッスイの風味と滋味に、おいつけない。

総じて、"硬さ"があって、まだ味が幼いというか、いまだ缶詰としてこなれていないよう… 思える。

使っているサバも一回り小ぶりではあるし、OS風にいえば、まだバージョンが浅いので全体がギクシャクしている。


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最近ちょっと気にいったのは、このパッケージで、この静岡産には写真がない。

味付け・味噌煮・水煮の3タイプをそれぞれ色分けで販売していらっしゃる。

水煮缶を銀色にしている辺り… サバのテーストを知っている感触がよく出て秀逸に、みえる。

サバ缶ワールドにおいて、これはいささか異色。

めだつ。

お味も悪くない。悪くないどころか、かなりイケてる。

けども、これとて、よく眺めてみると、せっかく大きく文字を躍らせているのに、

「美味しい」

などと、余計なコトが刷り込まれてる。

"あいこちゃん"なるワケのわからんイラストまで、入ってら。

サバ缶が美味いのは判ってるんだから、いらぬお節介。消してくれ、その一文とイラスト… なのだ。


その昔、音楽の世界では、LPレコードを買うさい、"ジャケ買い"というのがあって、ジャケットを見て、

「おっ、もしや…」

と、買っちゃって、結果、最高だったり最悪であったりと… 今のような情報過多な世界じゃなかったから、中身の論評など皆無な1枚に2000円〜2800円くらいを投資する、"楽しみ"があって、じっさいボクも、

「いいじゃ〜ん!」

とか、

「うっそ〜! こりゃないよっ」

天国と地獄のどっちかに運ばれるのを、チビリ愉しんでたもんだ…。


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たとえば、見よ、このジャケット。

何かあるぞ… と、大いにくすぐられる。"絹の魚雷"というバンド名にもくすぐられる。

けども、針を落として聴いてみまするに… だ。

喪失の大波にアッという間にのまれちまって、

「なんじゃ〜、こりゃ〜」

天をあおぐという次第だったりしたワケだ。


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また一方では、このジャケット。

アールデコな意匠の中に、14歳で娼婦を演じたジョディ・フォスターも登場の映画「ダウンタウン物語」(原題はBUGSY MALONE)のサントラ。

子供しか出てこない映画。

子供のみで1920年代のギャングの世界を描いた作品の、そのサントラ。

映画が日本でも上映される1年ほど前に、大阪のメロディハウスだっけか、輸入盤オンリーの小さな店で、

「おや?」

と、訝しんで買ったら、これが最高、最高峰。

いっときは、大好きなROXY MUSICのアルバムよりも聴き込むほどのお気に入りとなった1枚。


そういったパッケージのもたらすアレコレを思うに、ジャケットとしてのサバ缶の意匠は… 愉しみにダンコ欠けるのだ。

さりとて、パッケージで選ぶほどにボクは高雅じゃないんで、出向いた店の棚にサバ缶あらば、黙して買う。

むろん、こんなに貯めてしまうと消費が追いつかない。

まして、コレクションをはじめたワケじゃない。

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などと書いてる場合じゃないぞ、ホントは。

明日の土曜は、オリエント美術館で講演だ。準備しなきゃ…。

と、慌てつつも、

「いったい、サバの水煮缶詰はいつ頃産まれたんだろ?」

疑問がわいてきた。

およそ130年ほど前の… 明治中期頃の岡山の職業一覧みたいな本『岡山鏡』(国会図書館に今はある)には、"ブリキ缶詰商"という名があるし、同時期の作家だったジュール・ヴェルヌの『十五少年漂流記』はそれよりも早い時期に書かれてるけど、たしかオイルサーデンっぽい缶詰が登場していたと思う。

ふむ…。

サバはどうなのよ…?

ヴェルヌのノーチラス号に、もしも漂流中に助けられたなら、ネモ船長に1番に聞かなきゃいけないな。

「船長。味噌煮はともあれ… 水煮缶は常備してますか?」

途端にジェームス・メイスンの顔をした船長の顔に炯々とした輝きがあらわれ、

「よくぞ聞いてくれた。実はノルウエーの冷暗な海の鯖をば、本艦じゃ缶詰に…」

などと返事があったら、我が愛しの『海底二万里』はさらに愉しくなるんだけどな〜。

(^_-)

2013-07-30

謎の海底サメ王国

メガマウス。

ビッグマックをメガ級にでかくしたカタチの、パソコン付属の外部入力デバイス… ノンワイヤーの光学式… であろうワケはない。

海に住まうサメの名。

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とてもいかつい、幾度となく打たれまっくた挙げ句にカウント4あたりでユラ〜リ起き上がってニッタリ笑い、

「まだまだまだ…」

すさまじい形相のままにファイティング・ポーズをとって相手を挑発するがごときな顔。

でかい口。

ゆえにメガマウス。

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が、一見のそのいかつさと裏腹、このメガマウスはでっかい魚を襲って喰っちゃうという野蛮がなく… 小さな小さなオキアミだの小エビ(主たるは桜えび)だのしか食べないという妙なかわいらしさを醸す。

ボクはサメのカタチを模したライターを持っていて、真夜中にこれでシガレットに火をつけて、スパスパプ〜〜、自身をケムに巻いたりしてるんだけども、とても、このサメの典型的スガタカタチと、メガマウスとでは、親戚に思えない。



7/28の夜にNHKが放映した深海モノの第2弾。

ダイオウイカの驚愕の映像をみせてくれたアレの、その2発め。

足かけ4年を費やしての番組、だそうな。

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『謎の海底サメ王国』なるタイトルが実にまったく扇情的で素晴らしい。

大昔の藤子不二雄の名作『海の王子』のエピソードタイトルがごときな旨味あるテースト。

むろん天下のNHKSFファンタジーを見せてくれるワケじゃない。

近年になってよ〜やっと判って来たメガマウスなどの深海サメの生態をば披露してくれるという番組。

深海に住まうがゆえに生息の実態がなかなか掴めず、当然に100数十年前には、このサメの存在を我らがヴェルヌも知らなかった…。

とはいえヴェルヌが『海底二万里』の記述を日本のごく近海からスタートさせたのは、オモシロイ。

出版の2年後の1872年に、英国の科学調査船チャレンジャー号(軍艦を改造したようだ)がその日本の近海で幾種もの怪物的なサメを発見するんだから…、海にまつわる史実としての連鎖じゃあるけど… オモシロイ。



ともあれメガマウス。サメのくせに桜エビを好む。

桜エビは、東京までの高速道路移動のさい、静岡の富士川SAにてほぼ毎回というワケでもないけれど、あんがいとボクはこれの寿司を食べている。

2巻だか3巻で420円だか560円くらいだっけ。高いぞ…。

岡山では干したそれしかありつけないから、生にしてフレッシュな寿司としては食べられない桜エビ。その巻き。

巻きというより、のっけてる感じ。

極度な印象を持つという味でなく、どこか潮っぽく、噛んで呑み込む間際に微かな甘みをおぼえるといった程度…。

これをばメガマウスは狙う。

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お住まいの深海からゆったり浮上し、浅い所に生息する桜エビの大群の中に泳ぎ入って大口をあける。

あけた口の中のエビがそのままお食事という感じ。

数mの巨体だから、たぶん、かなりの量を食べるんだろな。また、食べなきゃその巨体は維持出来ない。

前回のダイオウイカの場合もそうだったけど、これらサメの生態を調べる学者がたのお顔がズイブンいい。

どこか少年を彷彿するところがあり、冒険譚の渦中にあって自らワクワクしているような、その印象がまた『海の王子』に連なる。潜水艇の中で「キャ〜キャ〜」云ってる姿が学者の興奮を伝えてくれてオモシロイし、また頼もしくもある。



この番組で面白かったのは、まずはいきなり富士山が登場したこと。

一瞬、チャンネルを間違ったかと思ったけど、そうじゃなかった。

富士山を隆起の頂点にしての巨大な地形の1部として、相模湾が登場してくるワケだ。

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常々、海と陸をボクらは別離させてモノゴトを考えたり眺めたりしてるんで、この"地続き"な感覚をあらためて見せられて、それがちょっと衝撃だった。

火星のようにお水を抜き取ってしまえば、海抜はドド〜ンとさがり、相模湾の1番に深いところを平然とお散歩出来るのならば、そこから見上げる富士山は標高5700m越えのスゴイ屹立山ということになろう、ね。

ま〜、それはともかく、この満々たる海水のただなかに、そこは相模じゃないけれど、いま悪しきな物質が流れ込んでるワケで、これをば、選挙が済んだ翌日にやっと発表するというあざとさは罪でしょう。

電力というインフラの根幹を握っての、いわばインフラを人質にしての蛮じ方に、ほとほと呆れる。いっそ、これは暴力だろうとボクは思う。

人によっては、

「騒ぎ過ぎよ。人体に影響が出る量じゃないんよ」

など、申される方があるけれど… 影響ない範囲なら放射性の悪しきを垂れ流していい、と云ってるようなもんで、これは…。

とばっちりの最終沈殿場所は、海底だ。

そこに住まう深海の生物たちは選挙にゃ参加出来ないし、糾弾の声も持てないから悲しいな。

上記の通り、もしも海水がそこになくば、汚染物は眼下の"低い陸地"に放置してるだけという凄惨じゃないか…。そこにもまた"生"があるのに。

でもって、その"生"を夕食のオカズとしてる自分たちであるというのに…。


番組中、実に驚くべきだったのは、餌の少ない深海での生物たちの共存のカタチの良さだった。

5mだか6mクラスのクジラの遺体を実験として海底に置いて観察するに、すぐにそのクジラと同寸のサメ(名を忘れた)が登場し、まずはガブリと囓ったけど、以後は、それを守るように周辺を巡回し出す。

その合間にアナゴだのカニだの諸々な生物が、この遺体をご馳走にする。

サメがガブリとやった場所を足がかりにして、くらいつき、むしゃぶりついてく。

巡回には縄張りとしての意味もあるけれど、サメはそれらを追い払うことを断じて、しない。

自身が空腹になれば、またガブリとやるけど、その時も他を追い払ったりしない。

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このメッタとないでっかい食事の機会を大事にして、自分以外の生物達と共存してまったく欲張ることをしないという… その風情にボクは感嘆したワケだ。

争うがまま、競うがまま、欲望のまま、都合悪けりゃ隠蔽す… の人間サマ世界よりも、ホントは豊かで秩序ある世界が海底にあると感じさせられたワケだ。