先日の出来事

 先週末は、以前生活していたアワサに行ってきました。隊員時代には、アワサにあるリーディングセンターという子供向けの図書館で折り紙を教えていて、その縁で1人の子どもの学校に行く機会があり、その学校においても折り紙を教えたりしていました。
 そして、先週末はその学校の卒業式があり招待を受け、卒業式のデコレーションを生徒や先生と一緒に作成するために行っていました。日本の兜を作り、それに色紙を貼りきれいに飾り付けをし、それを子供たちが被り歌を歌ったり、長いチェーンを作り外に飾ったり、折り紙で動物を折ったりということをやりました。
 エチオピアにも色紙はありますが、それを切ったり折ったりということはこちらの人はしません。なので、日本の折り紙の文化は非常に興味を持たれます。

今は

 首都のアジスアベバで活動中。ストリートチルドレンに折り紙を教えたり、貧しい人々に食事を配給したりしています。折り紙は手先を使い、頭も使うし、日本の文化を紹介するのにもいいかと思い始めました。
 エチオピア人は、食事は手を使うだけなので、ナイフやフォークを使えない人もいます。また、定規で線を引いて表を作る作業にしてもまっすぐに線が引けない人もいるとよく聞きます。子供の頃からそういう経験をすれば、いつかは役に立つし、彼らにとってもいいのではないかと思っていますが、今後どうなるかはわかりません。子供たちのやる気にかかっています。

その後・・・


JICAなり何かのバックグラウンドなしでの活動はみんなからなぜと聞かれますが、何もない中で自分に何ができるのか試したいと、もう一度挑戦したいと思ったから。協力隊時代は配属先に行ってもやることが何もない。カウンターパートはいない始末。もとはと言えば隊員の申請は配属先の意向ではなく、JICAの意向だった。エチオピアの隊員を増やしたいということで、必要とされていない場所にも関わらず適当に職種を決め、申請をしたものだから、協力隊が配属されても特にやることは用意されていなかった。
私はフィールドに行き活動することが仕事だったけれど、フィールドにさえあまり行くことができなかった。そのため、事務所内で活動のツールを作成したりしていたけれど、配属先の人々はコミュニティにそんなの必要あるのかとか疑わしいムード、最終的にはどこどこのドナーがいくらあるからそこからお金を工面して新たに給水施設を作ろうという始末。給水施設はいろんなドナーが援助して十分に動いているところもあれば、住民の使い方が悪かったり、もともとの施工が悪かったりといった理由で建設後1〜2年で壊れているものも多くある。建設には多額の費用がかかる。それなのに、私の配属先の人は、新しいデザインの良いものを建設することにばかり集中し、壊れないためのメンテナンスには何も注意をしていない。私は、メンテナンスの必要性や使用時間の設定などソフト面での活動で目に見えにくい部分をやろうとしていたから、誰にも受け入れてもらえなかった。
 私の活動はきっと何年後かに必要になってくるはずだから時期が悪かった。

最近のできごと

協力隊としての活動はうまくいかないことばかりで、JICAの方針にも納得いかないことがあったりといろんなことがあり今は、協力隊ではなく個人でボランティア活動をしています。何もバックグラウンドがない中での活動は厳しいですが、今は協力隊の時よりも気分が数倍楽になっています。活動先を探す上で最初にエチオピアで成功したと言われているNGOを訪問しました。そのNGOは、日本の企業も出資して図書館の建設、海外との養子縁組など各界の有名人が訪れている場所なのですが、私も一度そこを訪問してどんな事業をやっているのか知りたいと思い話を聞きに行きました。
最初は、外国人なので快く歓迎してくれましたが、ボランティアとしての話をしていると急に顔色が変わり、うちは何も必要ない。ボランティアなら他の場所に行ってくれと言われる始末。その理由はというと、多くの外国人は養子縁組をした後は多くの寄付をそこにしていて、有名人やその場所を訪問する人は少なからず小切手を置いていくのが当たり前となっているらしく、寄付のない外国人はお断りといった感じでした。
施設内には病院や学校も併設されていますが、まず病院内の案内では、この器具は誰が寄付してくれたとその話ばかり、あなたの国はお金があるでしょと質問を受け、回答に困るし、次の学校訪問ではいきなり教室に入った瞬間歓迎の歌が始まるけれど、子供たちは歌わされているという感じで子供本来の自然な表情や行動が一切統括されていました。何だか不自然で仕方がなかった。
何をするにもお金が必要なのは事実だけれど、成功したと言われているNGOでも、その理由は外国人の寄付で成功したようなものなのに、自分たちの力でやってきたと言っている姿はどうも私には受け入れられない。寄付はいいことなのかもしれないけれど、ちゃんと事業などに使われているのか、私の意見ではほとんどは現地スタッフの懐に入ってしまっているのではないかなと思いますが。だから私はお金ではなく、現地の人と一緒に活動をして、彼らが何かを私から感じてもらえたらと思ってそういうボランティアをしたいと考えています。