こんにちは。


八年間続いた『お豆』を突然やめてしまったが故に、メールをいただいたり、お電話をいただいたり…
ご心配をおかけしてしまいまして、申し訳ございません。
わたしは元気です!
今年は九年ぶりの発表が控えています。
九年!何故だかはわからないけれど、わたしは九という数字が好きです。
坂本九さんの『見上げてごらん夜の星を』も好き。
もう『お豆』を更新することはありませんが、わたしはこれからも出来る限りのささやかな出来事を覚えていたいと思います。
そして、貴方のささやかな幸せを祈っています。
それでは、今度は本当に。またどこかで会う日まで。


今後、展覧会の情報などはこちらにアップしていきます。
【MINAKO YOSHIDA WEBSITE
http://yoshidaminako.com


近所の池にオオバンが戻り、枯れ葉を付けた木々はカサカサと音を立てた。
歩く度に光の速さを感じて、世界はこんなにも美しいと思うのに、いつもどこかで悲しい出来事が起こっている。
昔。荒木さんに、わたしの写真には愛しかないと言われたことがあった。
当時のわたしは東京でカメラマンとしてやっていきたくて、そう言われたことがどこか悔しかったのを覚えている。
それなのに、今はそれだけでいいかな…なんて。
駅までの道で。まぶしい空を仰いだら、幾つもの飛行機雲。
それはいつか見た写真集のパリの上空みたい。
マルク・リブーさんからもらった手紙にはこう書かれてあった。
「一度、写真家になると決めたならば、決してやめてはいけませんよ」
止まっていた八年が過ぎて、動き出した今、おまじないのようにこの言葉を唱える。
リブーさんが今のわたしの写真を見ても、ブレッソンに出会った日のことを思い出してくれるかどうかはわからないけれど、けれど、まだまだ遠かった世界をぎゅっと近くに感じさせてくれた人だった。
わたしは自分のこの弱さやかっこ悪さを、優しさに変えていけたらいいなと思う。それを少しずつ写真にも写していけたらいいなって。ずっと思ってきたことだけれど、今本当に思う。
そして、いつか。いつかでいいから、貴方と生きていけますように。


始発列車。家出みたいなリュックサックを抱えて、ぼんやりとイヤホンからの音楽を聴いていた。
短いスカートの女の子たち、アルコールの缶を持ったまま眠るサラリーマン…休日の早朝はまだ夜の名残り。
駅まで辿り着くと町は嘘みたいな霧の中。学生の頃みたいに、無駄にGR-1のシャッターを切りながら帰った。
コゲラの鳴く声とどんどん色付くモミジバフウ
昇り始めた太陽は濃霧と混じり合って、淡い紫色の光をつくる。
薄手のコートと真っ白な息。身震いを二回。
家に帰り着いて、熱いシャワーを浴びてから冷たい布団に潜り込んだら、意味がわからないけれど、涙が滲んだ。
寂しい。
だけど。寂しくない人なんていない。


買い物帰り、公園で。杖をついたおばあさんが歩いている。ふと立ち止まって、ゆっくりとその曲がった腰を起こしたと思ったら、おばあさんはじっと空を見上げていた。
真っ青な空の下に、淡く色付いたメタセコイアが揺れている。
自分もいつかはいなくなるのだということが、十代よりも二十代よりもはっきりとした輪郭を描いて、思う。美しいとは、こういうことをいうのかもしれない。
提げた袋に感じる、牛乳と根菜の重み。くたびれたビルケンシュトックと記念日に貰った腕時計。先日観た映画で、彼女は情熱と悲しみを生きた。マイケル・ナイマンのピアノの音が、いつまでも耳で掠れる。
この秋は、どうしようもなく。


散歩中。空を見上げていたら、飛行機とヘリコプターが交差するのが見えた。
前を歩いていた親子連れの男の子が「わー、ぶつかっちゃうー!」と、かわいらしい声を上げる。
そこにいた大人達は皆空を仰ぎ、どこか懐かしい気持ちを共有したような想いとなる。


乗り換えのホームで。盲導犬を連れた女性が立っている。
その時、何故だかとても乗り継ぎが悪くて、なかなか来ない電車に女性も盲導犬も不安そうに見えた。
そんな中、女性に声をかけた若い駅員さんは、電車が来るまでの15分間、一度も話が途切れることなく、その女性とにこにこ話しをしていた。
ただそれだけの光景が、なんだか一日中胸に残る。


真夜中に。平日は5時半に起きるので無理だけど、週末だけは勝手を言って夜更かしをする。
ヘッドホンをつけて、ひとり制作と向き合うことの出来る時間。
決して永遠ではない時間の中で、ふと先日感じたあたたかな眼差しを思い出した。
そのあたたかさにどこか抱かれたくなるような…内側から込み上げてくる、このうっとりとした寂しい気持ち。
そんな想いを大切にしながら、わたしは貴方に手紙を書くように作品をつくる。


土曜日。アイスランドで撮影してきた、ブローニーフィルムの現像が上がる。
今回、アイスランドで何を撮影して来たのか。
そのことを話すには、まだ少しの勇気がいる。
思っていた以上に、自分のブランクは大きかったのだ。
市川準監督の映画『あおげば尊し』で、少年は死にゆく老人を前に「さよなら、お父さん」と言う。
父親の死を受け入れられなかった少年が、老人の死を通して、死ぬということと向き合った瞬間だった。
わたしにとっての今回のアイスランドは、死者と向き合うための旅だったように思う。
これまで自分が得意としてきた撮影スタイルを捨てて、徹底した下調べのもとに撮影を行った。
雨を浴び続け、暴風に腰を据え、じっとその時を持つ。
まだ発表も何も決まってはいないのに、制作へ向かうこの強い気持ちはなんだろう。
そして。こうしてたまっていく他の風景写真は、いつの日か使い道のあるものとなるのだろうか。