わが教育者に贈る・ターニングポイント・スタートライン 他

2012年9月23日(日)更新:4
【欧州で伝統のオープンデー 「歴史的建造物公開の日」を記念 SGIの文化の王城で市民が交流】
〈ドイツ ヴィラ・ザクセン総合文化センター〉
●「困難から幸福への転換」をテーマにした講演会も。
●仏法で説く「変毒為薬」の哲理を、体験を交えて分かりやすく解説。「一人の振る舞いが周囲の環境をも変える力となる」との主張に、深い共感が広がった。

〈イギリス タプロー・コート総合文化センター〉
●展示では、デズポロー卿ゆかりの貴重な品々などを公開。平和のために生きた不屈の信念と行動、国境や言葉の壁も超えて、総合理解をもたらそうという“オリンピック精神”などを伝える内容に感動が広がった。
 来場者からは次のような声が寄せられた。
 「建物がオリンピックと深い関係にあったことに驚きました。地域の誇りです」
 「SGIがこの歴史的建造物を大事にしていることが、ひしひしと感じられました」
 「対応してくれる役員の笑顔も本当にすばらしく、落ち着いた気分になります」  (聖教新聞 2012-09-22、以下同)


【わが友に贈る】
 広布に前進する 同志の題目こそ 最高の追善回向。
 妙法の絆は永遠だ。
 大歓喜の旅路を共に!


寸鉄
●学会は内なる倫理観を覚醒させる幸福の源―博士(アメリカ) 民衆の連帯に世界が期待
●東京・青梅総区の日。師弟の思い出輝く氷川の天地。勝利の歴史で飾れ。
●「娑婆世界は耳根得道の国なり」。声の力で生命は変わる。勇んで対話拡大
●女性は、人類の善と美を代弁する主人公―詩人。太陽の心で社会を照らせ
●恩師「この会合から勝つのだ」。中心者の祈りで前進の息吹が漲る集いを


【座談会は勇気の泉 各地で活発 原田会長は東京 豊島へ】
●都営団地を広布の舞台とする同地区。地域に密着した友の活躍の姿を通して、学会理解の輪が広がる。
●原田会長は、一人一人の友の活動報告に耳を傾け、「互いが信頼と友情の拡大に切磋琢磨し、誰もが立派だと認める世界一の地区をつくろう」と望んだ。


マカオ国際研究所一行が創価大学を訪問】
●同研究所のジョルジェ・ランジェル主席は「価値創造の理念、平和と共存の精神を世界中に広げてください」と語りかけ、一人一人と固い握手を。


【師子王の如く! 10月度の拝読御書「佐渡御書」】
●座談会では「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(御書957ページ)などを拝読。人生の勝利を決する要諦は、師と心を合わせ、苦難に敢然と立ち向かっていく「師子王の心」にあることを学び合う。


【セイキョウオンライン 朗読音声「随筆」を追加】
 聖教新聞社の公式ホームページ「SEIKYO online(セイキョウオンライン)」の「音声配信サービス」に次の朗読ファイルが新たに加わりました。
★随筆「我らの勝利の大道」〈不滅の原水禁宣言55周年〉上・下=9月8・12日付


民音 宮城、岩手、福島の小中学校で東北希望コンサート】
●子どもたちが心を開いて感情を表現する姿に感動(校長)


【ロシア 少年少女音楽家 創価学園で演奏・交歓会】
●「ロシアの人々の情熱を肌で感じました」「語学を学び、両国の友好を深めたい」


【10・7滋賀の日を記念 びわ湖 輝く希望月間】
●池田名誉会長は1995年(平成7年)10月7日、完成したばかりの滋賀文化会館へ。
 「とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし」(御書552ページ)との御聖訓を拝し、仏縁を地域社会に広げようと呼び掛けた。


【わが教育者に贈る 第4回 世界に広がる創価教育の光〈下〉=完 「人間をつくる」ことが未来を開く】
●昨年の年末には、わが教育本部の代表が「日中友好教育者交流団」として、中国の北京、天津を訪問し、熱烈な歓迎をいただきました。
 男女の青年教育者も多く参加し、有意義な教育交流を大成功で飾り、立派に使命を果たしてくれました。
 日本も、中国も、教育への取り組みは真剣です。そうした中、互いに学び合い、語り合う意義は、計り知れません。
 政治や経済の次元では、多少の波風が立とうとも、教育の交流には、普遍性があり、未来性があります。
 国を超え、民族を超えて、教育者の魂と魂が触れ合う中で、人類の明日へと架ける、希望と信頼の黄金の橋が築かれゆくことを、私は確信してやみません。
●劉学長の師匠は、私が「東洋学術研究」誌上で対談を重ねてきた顧明遠先生(中国教育学会会長)です。若き劉学長が書き上げた十五万字に及ぶ博士論文を、顧先生は時間をかけて、実に丁寧に読まれ、句読点に至るまで添削してくださったというのです。
 「愛情なくして教育なし」これが、顧先生の教育哲学です。
●「教育とは、氷を溶かす温水です。どんなに固い氷でも、教育の力で必ずや溶かすことができます」(顧先生)
●じつは、顧先生のご主人・周藻さんは、大文豪・魯迅先生の姪に当たられる方です。
 魯迅先生の行った教育について、顧先生は次のように語られています。
 「まず第一に学ぶべきことは、彼(魯迅)が教育事業に献身的にどろんこになって取り組んだ精神である」
 「献身的にどろんこになって」、若き生命に関わり、尽くし、育む。この人間教育の不撓不屈の魂が脈打つところ、いかなる壁が立ちはだかろうと、必ず突破できることを、私は信じてやみません。
●「一人一人の事例から学び、そこから法則性を見つけ出していくことが大切です。皆さんの活動に、今後も心より期待しています」(顧先生)
●「難局打開の道は何か――私は ただ教育の一途(いっと)あるのみと断言してはばからない」(東北出身の世界市民新渡戸稲造博士)
●牧口先生の思想も、郷土から世界を展望し、学び、また郷土に立ち返って、わが地域の発展に貢献し、潤していくことを志向されていました。
●「人類が将来、この地球上に生存しようとするなら、より理解ある新しい人間と、より人道的な社会機構がどうしても必要となる。こうした現状を考える時、牧口の教育思想は現代にこそ、その意義と重要性を持つものであると思う」(牧口研究の海外における第一人者、デイル・ベセル博士)
●一年生の教室の脇を通った時、中から明るいにぎやかな歓声が、はじけるように聞こえてきました。
 私は一緒にいた先生に申し上げました。
 「あの声が、ベートーベンの名曲のように聞こえたら、一流の教育者ですね」と。
 子どもたちの元気な声こそ、伸びゆく「生命」の象徴です。世界の「平和」の希望の音律です。人類の「前進」と「創造」の源泉です。
 この子どもたちの歓喜の声が轟きわたる「教育の世紀」へ、私は教育本部の皆様方と手を携えて、さらに全力を尽くしていきたいと、決意を新たにしています。
 さあ、子どもたちの幸福のために!人類の輝く未来のために!希望に燃えて、新しい教育の勝利の扉を開きましょう!


【社説 あす、少年少女部結成記念日】
●連載の第1回で、名誉会長は呼び掛けた。「私が、今、最も語り合いたい人はだれか――それは、この新聞を読んでくれている君なのです。あなたなのです」


【ターニングポイント 鳴りやまない、ずっと。 サックスと紡ぐ青春】
●あれこれ考えられる時間というのは、困りものだ。家に帰ると、音大生のブログを見る癖がついてしまった。
 「明日はレッスンだ。練習してないよ」
 「音大なんかにいても、身にならないよぉ」
 そんなグチを見ると、“なんてぜいたくな奴だ”と、コメントしたくなる。いや、……と思い直す。一体、自分は何がしたいんだ。仕事に不満はない。でも、自分にも分からない“もやもや”が消えてくれない。
 頭の中だけがグルグル回って、毎回、出口が見えなくなる。もう考えるのはよそうと思った時、父が部屋の前に立っていた。
 「ハンコックさんとショーターさんと、池田先生が載っているから」。聖教新聞を置いていく。手に取り、新聞を開いた。世界の頂点にいる奏者の、青春の苦労と葛藤に驚いた。そして、〈青年ならば…〉と。
 2010年(平成22年)10月――あの日から、僕の“もやもや”が消えた。

●『仏法では、「人のために火をともせば・我がまへあき(明)らかなるがごとし」(御書1598ページ)という譬えがあります。自分だけのことを考えて悶々としていても、力は発揮できません。
 青年ならば、親孝行のため、職場の発展のため、友の幸福のため、そして、新しい平和と文化の創造のために、皆と力を合わせて、若き生命を思い切り燃焼させていくことです。そこに前途を照らす光が生まれます。』 (池田名誉会長の指導から〈魂の人間讃歌 ジャズと人生と仏法を語る〉)
 
●みんな、夢で見た僕と同じ顔をしていた。一生に一度しかない舞台に、全てをかけて。
 僕は、きっとあの頃みたいに、燃え続けたかったんだ。そのために、上に行かなきゃと思った。でも、必要なのは、自分が燃えようとする意志だと気付いた。
 人に出会うたび、舞台に立つたび、そして生徒と接するたび、「守られる」という親の口癖の意味が、分かった気がする。
 当時の仲間に、今も会う。「優しい音になったね」と言われた。出会いや経験、思いが積み重なって音になるのだろう。
 これからも、積み重ねていきたい。あした見いだす音が、今日よりも“優しく誠実”な音になるように。


【スタートライン 19歳の心に映る人間――明日も私は生き延びたい 劇作家 原くくるさん】
●人間の暗い部分も明るい部分も「見えなくなったら終わり」と、目を閉じずに世の中を見続け、脚本を書き上げていった。
 六本木を舞台に売春しそうになる「少女」と、不登校で引きこもる中で想像妊娠する「少女」――鬱屈した心の葛藤を表現した「六本木少女地獄」は、高校2年時の演劇コンクールで、都大会、関東大会で各賞を受賞し、見るものに衝撃を与えた。
●演劇が伝えるものって“私の視点”じゃなくて、“誰でもない視点”であるべきだと思うんです。私は人間の汚い部分を表現する時も、それを弾圧するわけでも、賞讃するわけでもなくて。それが間違っていても、愚かでも、汚くても、そこに何かしら“美しさ”を見いだしていくっていうのが、演劇に、芸術にできるお仕事だと思います。
●いじめは“ここから”とか“ここまで”みたいな境目なんて、つくれないのが難しいと思います。教室内では周りと同じオシャレをしていないとか、ちょっとした人間関係の歪(ひず)みが、いじめや差別につながってしまう。
 私は、いじめている人には、「自分が弱いからだ」ということに気づいてほしいです。ちゃんと自分を保っている人は、他人をいじめることに依存したりしない。人を下に見ていじめていると、逆に自らの足元の地面がぬかるんで、どんどん自分が落ちていくと思うんです。