自他共の幸福は相手の身になって考える想像力を鍛えることから始まる

2013年8月7日(水)更新:3
【名字の言】
 風呂場に並べて置かれたシャンプーとリンス。お湯をかぶっている洗髪中に、同じ形状の容器を判別するのは難しい。目をつぶっていても、どちらか分かるように、シャンプーの容器の側面には凹凸がついている▼パソコンのキーボードの「F」と「J」についている突起。このおかげで、触っただけで、最初に両手の人さし指を置く位置が分かる▼年齢や障がいの有無などにかかわらず、誰もが利用できるよう設計された「ユニバーサルデザイン」。気づかないところで、皆がその恩恵を受けている▼だが、現実には、この社会はまだまだ、多数派に有利にできている。例えば、利き手。パソコンのマウス、カメラのシャッター、はては文字の「止め」「払い」なども、右手遣いを前提としている。「9人に1人いる」とされる左手派は、こうした右手派の“多数の横暴”に耐えているわけだ。右手派の人々は、こうした事実を考えてみたことがあるだろうか▼「自他共の幸福」を社会に実現するといっても、第一歩は「相手の身になって考える」想像力を鍛えることから始まる。その鍛えのためには、相手を選ばず、多様な人々の話に、じっくり耳を傾けてみることだ。腰を据えて、対話に取り組む夏としたい。(明)
   (聖教新聞 2013-08-01)