広布に徹する黄金の人生を

2013年8月27日(火)更新:3
【太陽の励まし 池田名誉会長と誓いの同志(とも) 〈47〉 牙城会】
●第1次宗門事件の嵐の中、名誉会長が第3代会長を辞任した翌年。堂々と「師匠」と呼ぶことが、はばかられる雰囲気がつくられ、会合に名誉会長が出席することも、ままならなかった時代である。
 その時――牙城会の青年たちが立ち上がった。

〈「怒濤」の劇〉
●「怒濤」に込められた意味は何か。『人間革命』の「怒濤」の章に学べということに違いない――牙城会のリーダーたちの意見は一致した。
 同章には、戸田第2代会長の事業が行き詰まり、学会の理事長も辞任に追い込まれる中、一人、命を賭して師匠を守る、若き名誉会長の死闘が描かれている。
 全国牙城会大会の会場が関西に決まると、那須裕(ゆたか)関西委員長(現・方面参事)が提案した。「関西牙城会で、この場面を劇にして演じさせてください」
 シナリオづくりから、出演者の人選・練習まで、1カ月余の“突貫作業”ではあったが、当日は、練習やリハーサルとは見違えるような、気迫あふれる熱演となった。
 理事長辞任を発表した戸田の前に、思いつめた山本伸一が座り、語り合う場面――。
 「先生……」「私の師匠は新しい理事長になるんでしょうか?」
 「いや、それは違う!苦労はがかりかけてしまう師匠だが、君の師匠は、ぼくだよ」
●劇のクライマックスは、名誉会長の詠んだ句。「古(いにしえ)の 奇(く)しき縁(えにし)に 仕えしを 人は変(かわ)れど われは変らじ」
●「『信念』『努力』『忍耐』とは、指導者としての素質の基本であるとともに我が愛する牙城会への永久の指針であります」
 「私は心から尊敬し、諸君の偉大なる成長を見守っていく決心であります」

〈柔剣道大会へ〉
●「10年、20年、30年、40年と苦労しながら題目を唱えに唱えて進んでほしい。信心だけは勇気をもって前進してほしい」
●“心身ともに鍛え、青年部の中核に”との決意を込めた「第1回柔剣道大会」の開催である。
 全国の精鋭が集い、8月31日午前10時から、東京・創価大学の中央体育館で、柔道と剣道の試合が続く。勇ましい横断幕、激しい声援が飛ぶ中、熱戦が繰り広げられた。
 大野房雄さん(杉並総区、副本部長)は当時、柔道の黒帯4段。東京Aチームの先鋒を任され、快調に団体決勝に勝ち進んだ。
 午後2時ごろ、決勝に備え、大野さんたちは屋外で体を休めていた。
 すると突然、名誉会長がさっそうと体育館の方へ歩いてくるではないか。
 猛者(もさ)たちはあわてて立ち上がり、「こんちはっス!」。
 名誉会長は「一緒に行こう!」。
 当初、出席は予定にはなかったが、「あれだけ青年が真剣になっているんだ」と、激励に足を運んだのである。
 「その瞬間に疲れなんか吹き飛びましたよ。初めてお会いできた感動、そして“ああ、先生はお元気でいらっしゃったんだ”という喜びがこみ上げて……」と大野さん。
 決勝戦を、名誉会長が2階席から見守っていた。
 試合は、関西に優勝を譲ったが、「力いっぱいやったから、悔いはなかった」。
 健闘をたたえる拍手が会場を包み、名誉会長がマイクを取った。
 「いかなる境遇にあろうとも、広宣流布という青春に腹を決めて進んでもらいたい。信心という黄金の人生に徹しきって歩んでもらいたい」
 「難によって永遠の宿命打開ができる。これ以外に成仏の道はない。難があればこそ信心は進み、深まる。牙城会の闘士は、大聖人の弟子として、一生を広宣流布にかけて進んでいただきたい」
 「青年が立ち上がる時です!闇が深ければ深いほど黎明は近いのです」
 辞任後、初めての、男子部に対するスピーチであった。
 その際、名誉会長は柔剣道大会を「10年間続けよう」と提案。91年(平成3年)まで12回、行われている。
●「剣道で最も大事なのは、恐れに打ち勝って打ち込んでいく『勇気』。人生と同じなんです。あの日、『何があっても負けない』という原点を、先生につくっていただきました」
●「『勇気を持て』という、私の人生の芯をいただきました」
●「“本陣が崩れなければ同志は安心する。その本陣を君らが守れ”と託されているように感じました。
 牙城会での薫陶が、私の信心の屋台骨になった。生涯、牙城会精神で、先生と共に戦い続けていきます!」
 牙城会精神――その模範は名誉会長その人である。
●牙城会 護り勝ちたり その正義 三世に誇らむ 偉大な勇者と
   (聖教新聞 2013-08-27)