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2017-11-17

ナショナルシアター・ライヴ『一人の男と二人の主人One Man, Two Guvnors』@TOHOシネマズ西宮11月16日

この日が上映最終日に当たるのを前日に気づき、慌てて見てきた。午後6時前に始まる芦屋ルナホールでの能公演のチケットを確保していたので、かなり迷ったのだけど。スティールを公式サイトから借用させていただく。

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『一人の男と二人の主人One Man, Two Guvnors』の原作を書いたのは18世紀イタリアの劇作家、カルロ・ゴルドーニ。ゴルドーニの作品は見ていない。3年前にコメディア・デラルテ本拠地ミラノピッコロシアターで見た芝居にも入っていなかった。ゴルドーニはコメディア・デラルテを代表する的劇作家。Wikiでは、「コメディア・デラルテのもつ卑俗性と、仮面による人物の類型性を脱却して画期的な生命を獲得し、イタリアにおける近代劇への母体となった」と開設されている。

ゴルドーニ原作と知った時点で抱腹絶倒喜劇であることは予想できた。予想的中。文字通りドタバタ喜劇。それも吉本顔負けのもの。3000円のチケット代の元とは取ったと感じるくらい徹底したコメディ。ちょっと乙に済ました感のあるNTLiveにしては快挙。とにかくすごい!ロンドンの劇評も良かったらしい。劇評については別稿にしたい(今、読んでいる暇がないので)。

イタリアの作家カルロ・ゴルドーニの戯曲1960年代イギリスに置き換え、映画「ワンチャンス」などで知られるジェームズ・コーデン主演で描いたドタバタ喜劇「一人の男と二人の主人」を収録。

1960年、イギリス南東部の街。主人公フランシスは地元のギャング ロスコ―と、悪名高い犯罪者スタンリーの二人に雇われているが、その事実を主人たちは知らない。二人が鉢合わせしないように右往左往するフランシスだが――。伊の作家カルロ・ゴルドーニの戯曲がもとの抱腹絶倒のドタバタ・コメディー。2011年初演で大好評を博し、ウエストエンドでロングランを記録。ブロードウェイでは、2012年トニー賞部門主演男優賞助演男優賞〈トム・エデン〉・演出賞・楽曲賞・装置デザイン賞・衣裳デザイン賞・音響デザイン賞)で候補に。ジェイムズ・コーデンが見事最優秀主演男優賞を獲得した。

演出
ニコラス・ハイトナー

リチャード・ビーン

キャスト
• ジェームズ・コーデン
• トム・エデン
• オリバー・クリス
• ジェミマ・ルーパー


主人公のフランシスを演じたジェームズ・コーデンがとにかく秀逸!すごい運動量。それを上回るセリフの洪水。彼ほど才能のある役者でなければ、この作品の「重さ」に潰されていただろう。英国俳優のパワーの桁外れを思い知らされた。能、歌舞伎でもここまでテンションの高さをキープしながら、絶妙な台詞回し、瑕疵の見当たらない動作を完璧にこなせる役者はそうはいない。異様なほどのテンションの高さをここまで保つことのできるのは、まるで超人。

主役を支える役者たちの桁外れさも見もの。こんなけったいな人たちは日本にはいないですよね。枠をはみ出ると制裁を受け、社会コードに合うよう「去勢」されるから。こういうぶっ飛んだ芝居を見ると、日本から離れたくなるんですよね。

そして何よりもかによりも、繰り広げられるセリフの洒脱さ!ブロードウェイでもこうは行かない。もっとオーソドックス。ロンドンの凄さはその過激性。NYをその点ではるかに凌駕している。

ゴルゴーニの時代はおそらく仮面を付けて演じていたのだろうけど、この作品は設定が60年代ということで、モロあの時代。ビートルズが出てくるちょっと前?ロックンロール全盛期。それを表すのにロックバンド楽団が使われていた。音楽もかなりそれっぽいもののオンパレード。劇場は野外に設営されていたので、まるで野外ロックコンサート雰囲気。この演出も良かった。日本でいえば6、70年代ということになるのだろう。会場の雰囲気からして、もうすでに芝居の中。この工夫は日本のアングラ演劇を思わせる。

おそらくゴルドーニの、というよりコメディア・デラルテの世界観がそのまま出たた舞台になっていたのだろう。それは「古くて新しい」、かつ普遍的なもの。悲劇なら時代、時代の価値観を色濃く反映せざるを得ないけど、喜劇はそれを超える普遍性を必然的に持つ。留保をつけなくても地域、世代の縛りを超えて理解し、楽しむことができる。それが喜劇のすごさだろう。

ここまでドタバタの笑いを徹底させると、最後にちょっと悲しくなるんですよね。なぜか分かりませんが。人の心の機微を感じ取り、それでも妥協して生きざるを得ないサマを振返り、なんとも切ない想いを抱きつつ、生き延びてゆかざるを得ない一般庶民の想い。それが主人公、フランシスの想いでもあるのだろう。この太っちょがちょっと愛おしくなりませんか?

文化人類学的にいえば、フランシスはまさにトリックスター既存体制を破壊し、そして対価を求めずに去って行く放浪者。そういや、外見はまるで違うけど、ひょっとしてフランシスはいなせな旅人?そんなことを思いながら見ていた。

能『千手 郢曲之舞』in「第19回芦屋能・狂言鑑賞の会」@芦屋ルナホール11月16日

演者の方々は以下。

シテ(千手の前) 長山禮三郎
シテツレ(平重衡)浅見真州
ワキ(狩野介宗茂 福王茂十郎

大鼓  山本哲也
小鼓  久田舜一郎
笛   野口

地謡  藤井文雄 水田雄唔 長山桂三 大西礼久 
    吉井基晴 浅井文義 観世銕之丞 上田拓司

後見  長山耕三 上野朝義


以下に銕仙会の演目開設からお借りした概要をアップしておく。そういえばこの公演自体、銕仙会メンバーによるものなんですよね。

金春禅竹作。三番目物。

一ノ谷合戦で捕虜となり、鎌倉の狩野介宗茂(ワキ)の館に拘留されていた平重衡(ツレ)のもとに、今日もまた、彼の世話をするよう源頼朝から命じられた遊女、千手の前(シテ)が訪れる。昔の栄華とはうって変わっての今の境遇を嘆く重衡に、千手は懸命に寄り添い、慰めの言葉をかける。やがて宗茂の計らいで酒宴が始まり、千手は重衡の後生善処を願って朗詠を謡い、舞を舞って彼の心を慰める。二人が心通わせる束の間のひとときであったが、短か夜の明けるのを合図に、重衡は都へと呼び戻され、二人は今生の別れとなるのであった。


遊女と高貴な男という取り合わせが面白い。今や源氏に囚われ、死を待つばかりの清盛の息子、重衡。源氏方の便宜で彼に遊女が遣わされる。本来なら親しくはなれない身分違いの二人。この二人がしみじみと心を通わせるというのが、非常にドラマチック。この立体感が禅竹。また、遊女を主人公にしているところに、彼の遊芸者としての屈折した思いと、芸能者の矜持とが感じられる。それは『鵺』に籠められた芸能者、世阿弥の想いとも重なるように思う。

「郢曲之舞」の小書が付くときは解説によると、「ツレの役が重くなり、千手と重衡とが両ジテ的な扱いを受ける」とのこと。確かに、千手と重衡とは相補い合う関係。同じ比重に設定することで、重衡の境涯がよりリアルに立ち上がる。その悲劇性がしっかりと見る側に認識させられる。本人の意思とは関係なく、運命に翻弄され、天から地に落ちた重衡。まさに無常を一身に具現化した人物。この後に待っているのは死。まだ若い彼はその運命を受け入れられないでいる。千手はその彼をなんとか慰めようと心を砕く。この二人の交流が主題だろう。胸を打つ設定。哀しい。

この小書で演じるにはシテとシテツレとが同格でなくてはならない。でもシテが「弱い」ように感じた。儚げでまるで少女のようなシテの佇まい。千手はもっと強靭なキャラの女性として演じるべきでは?身分の高い重衡にも気後れすることなく、対等に渡り合った女性。そして彼を支えるだけの強い意思を持った女性。パワフルな女性として演じられるべき。それが描けていなかった。残念。

シテツレの浅見真州さんとシテの長山禮三郎さんはほぼ同年輩。つまり70歳をゆうに越えておられる。私としては地謡に連なっておられる「若手」の方にこの二人を演じていただきたかった。禅竹の能は「枯淡の趣き」を出すことを主眼としていないように思う。もっとドラマ性を前面に打ち出している。それなら、シテ、シテツレ、ワキも若い方々に演じてもらった方が、ずっと禅竹の意図に近づけると思う。

言わずものがなではあるけれど、大鼓の山本哲也さんがとても良かった。笛の野口亮さんを能のフルバージョンで聴くのは初めてだったけど、とても良かった。

そして何よりも良かったのが、芦屋市長の挨拶が短かったこと。先日の京都市長の呆れるほど長く意味のない挨拶と比べてしまった。さすが芦屋、センスがいい!

観世銕之丞師の舞囃子「三輪」in「第19回芦屋能・狂言鑑賞の会」@芦屋ルナホール11月16日

「第19回芦屋能・狂言鑑賞の会」の二番目に登場した演目。最も見応えがあった。以下に「三輪」の演者一覧を。

三輪明神   観世銕之丞
大鼓     山本寿弥(大蔵流
小鼓     清水皓祐(大蔵流)
太鼓     上田慎也(金春流
笛      左鴻泰弘(森田流)

地謡     藤井文雄 吉井基晴 上野朝義 大西礼久


観世銕之丞さんの謡が観世寿夫さんを彷彿とさせた。これはこの6月の京都観世会例会で『俊寛』を舞われた時にも持った感慨だった。嫋嫋とした中にも鋼を感じさせる謡。『俊寛』以外では、1月に京都春秋座での「能と狂言」で彼の『鵺』を観ている。渡辺守章氏の肝いりの会。観世寿夫さんと同志だった守章さん(気安く、すみません)にとっては、寿夫さんを偲ぶには甥御さんの銕之丞でなくてはならないんだろう。もちろんその期待に応えられた舞台だった。

とはいうものの、この「三輪」が一番好きかも。三輪明神が神楽の起源を語り、舞うところが切り取られて舞囃子になっている。厳かな舞いで始まるが徐々にテンポを挙げて、華やかな舞いに移ってゆく。お囃子が舞いを煽るかのように賑やかに加速度をつけて奏でられる。この掛け合いの部分、祝祭的で楽しい。観ている側も煽られて、思わず拍子をとってしまう。なんともいえないウキウキ感。それはこの演目の根底にある神と人との一体感を感じさせるからだろう。金春禅竹作といわれているのも頷ける。

銕之丞さん、このウキウキ感を軽やかさではなく、荘厳なしっとり感のある舞いに仕立て上げておられた。でもやっぱり華やぎの部分は思いっきり華やかに舞われていた。抑制の中にも解放感があった。

大鼓の山本寿弥さんはいつも山本哲也さんの後見をされている方。ご子息?ちょっと緊張気味だったかも。金春流太鼓型の上田慎也さんが良かった。前川光範さんといい、太鼓は金春流に限る?ウキウキ感を先導して煽り立てるのに一役買っておられた。

地謡の方では上野朝義さんは大阪天満宮での勧進能での『葵上』でシテをされていた。大西礼久さんは西宮芸文センターでの『船弁慶』で地謡方をされていた。吉井基晴さんはその社中会に寄せていただいた折に、仕舞を拝見している。とても力のある方だと強く印象に残った。ご子息方もお上手だった。

演者のみなさん方、お囃子方を除き主として大阪、そして阪神間で活躍される観世流の方々。京都観世流とはちょっと雰囲気が違った。だから、この後、能『千手』で山本哲也さんの大鼓を聴かせていただいた時、どれほどホッとしたことか。

芦屋ルナホールは何十年ぶりか。以前も小劇場の舞台に適した黒っぽい箱だったような。満員で、驚いてしまった。客層もいつもと違ってずっと若かった。

ちなみにこの日の演目と主たる演者を下に掲げておく。

• 舞囃子「敦盛」二段之舞・長山耕三
• 舞囃子「三輪」・観世銕之丞
• 狂言「文荷」・野村萬野村万蔵野村万之丞
• 能「千手」郢曲之舞・長山禮三郎、浅見真州、福王茂十郎ほか