yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

小島章司さんのフラメンコ

今朝のNHKでフラメンコ舞踊家、小島章司さんへのインタビュー番組が放映されていた。途中からだったのではあるが、彼が日本のフラメンコ界を背負って踊ってこられたということはよく分かった。あの激しいフラメンコダンサーとは思えないほど静かな優しい方だ。でもダンスの振りをされるときの激しい手遣い、表情に内面の躍動が出てくる。内に秘めた情熱が迸り出ていた。

今までフラメンコは映画の中以外ではみたことがない。ずいぶん前になにかの芸術際の折に観たので、細かいところは曖昧ではある。その映画はアントニオ・ガデス主演の『カルメン』だった。ガデス自身がフラメンコ舞踊家だったので、その強烈な個性と、ミュージカル歌劇『カルメン』が劇中劇のかたちで同時進行し、劇中の現実と影響しあいながら進行するというその作劇法が、ぴったりとマッチしていた。強烈な印象を残す映画だった。

小島さん自身は大学生のとき、映画の中のフラメンコに魅せられ、フラメンコの舞踊家を志してスペインに渡ったという。彼が見た映画が映画『カルメン』のようなものだったら、多感な少年は激しく魂を揺さぶられたことだろう。でもそれで終わらず、スペインまで出かけたのである。しかも帰国はしないという決意を持って。実際、スペインで認められ高い評価を得てから帰国した。

舞踊家のYoshida Yukihikoさんのブログ(http://d.hatena.ne.jp/yukihikoyoshida/20100211 )に、小島さんについての言及がある。1966年にスペインにわたり、帰国は1976年だった。渡航の前に音楽大学の学生だった小島さんはすでに西洋舞踊へのイニシエーションが済んでいた。

帰国しても小島さんはすぐには認めらなくて苦労したというお話をご自身がインタビューでおっしゃっていた。ダンスを教えることで生計を立てられていたようである。

でもその芸術性の高さが認められるようになった。能面をかぶってのフラメンコダンスの一部が番組で公開されたが、素晴らしかった。能とフラメンコという両極端とも思える要素の組み合わせも、彼が踊ると何の違和感もなかった。静謐とダイナミズムとが不思議な調和で共存していて、そこに日本人の彼にのみ具現化できる独特の世界が繰り広げられていた。ただ、表現者は日本人でも、その芸術は万国で受け入れられる高みに到達していた。それは私が映画でみた情念の迸りを身体の筋肉を最大限に使って具現化したフラメンコとは異質でありながら、基本のところでは通底していた。

帰国してから、生まれ育った徳島で幼少の頃に見聞きした神社での芝居(彼は言及しなかったけれどその中には旅芝居も入っていただろう)、人形浄瑠璃の音、能の舞台が甦ってきて、それらが「フラメンコ」として表出したのだとおっしゃっていた。

ほんとうにすてきな方だった。長年の訓練に裏打ちされた身体とその動きの強靭さ、しなやかさ、そしてそれらが生み出す美しさのお手本だった。ちょっとはにかみながら、(71歳のご自分が)80歳、90歳と生かされることがあるなら、その場その場で最大限努力してゆくのだとおっしゃっていた。

去年は公演があったようであるが、今年はないのだろうか。ぜひ観てみたい。

早速アマゾンに大久保元春『求道の旅人 小島章司とフラメンコの世界』を注文した。