yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『女暫(おんなしばらく)』 「大阪平成中村座 大坂の陣400年記念」@大阪城西の丸庭園内特設劇場 10月30日昼の部

以下、「歌舞伎美人」からの配役とみどころ。そして写真を。


<配役>
巴御前 中村 七之助
舞台番鶴吉 中村 勘九郎
女鯰若菜 坂東 新 悟
猪俣平六 中村 国 生
紅梅姫 中村 虎之介
手塚太郎 中村 鶴 松
局唐糸 中村 歌女之丞
成田五郎 片岡 亀 蔵
轟坊震斎 坂東 彌十郎
蒲冠者範頼 中村 橋之助
清水冠者義高 中村 扇 雀

<みどころ>
北野天神の社頭では、天下を奪い取ろうと窺う蒲冠者範頼が家臣を従えて祝宴を開いている。家臣たちが祝儀を述べる中、木曽義仲の嫡子・清水冠者義高は、傲慢な振舞いの範頼を諫め、紛失したとされる宝剣・倶利伽羅丸を隠し持っていることを指摘。これに対して範頼は、宝剣のことは知らないと騙り、義高の許婚・紅梅姫を差し出して自らに服従するよう迫る。しかし、義高たちがこれを拒むので、彼らの首を刎ねるため範頼の愛臣・成田五郎が呼び出されてやってくる。
 まさに首が刎(は)ねられようと太刀が構えられたそのとき、どこからか「暫く」という声が聞こえる。声の主は、木曽義仲の重臣である今井四郎兼平の妹・巴御前。範頼は巴御前を追い払うように家臣に命じるが、その威勢には誰も敵わない。範頼の不遜な振る舞いを責め、やがて宝剣を取り戻した巴御前。その場を立ち去ろうとするところを遮られると、大太刀を抜き…。

 歌舞伎十八番の一つ『暫』を女方が演じる『女暫』は、古風で様式美に富んだ色彩豊かな舞台です。みどころは、女ながらも武勇に優れた巴御前の出で、「暫く」と声をかけ、大太刀を腰に帯びた颯爽とした素襖姿で現れ、ツラネを披露します。荒事の豪快さと同時に、女方の色気と艶やかさを備えた趣向に面白みがあります。華麗な一幕をご覧ください。

故勘三郎所縁の役者がうち揃っている。それも親子で。まずは彌十郎と新悟。橋之助と国生、扇雀と虎之介。そして、平成20年8月の『女暫』を勘三郎と一緒した役者達も揃っている。まずは、勘三郎の息子達、勘九郎と七之助。平成歌舞伎座公演では、勘三郎が「舞台番」を務めた。今回は長男、勘九郎が演じる。20年の巴は福助だったけど、今回は勘三郎次男の七之助が務める。蒲冠者範頼が彌十郎だったのを、今回は橋之助が。彌十郎は今回は震斎だった。20年の震斎は勘九郎(当時、勘太郎)だった。亀蔵も20年に出ていたけど、今回は役替え。20年には若菜は七之助だったのが、今度は新悟が務める。新悟は20年には紅梅姫だった。

残念なのは手塚太郎を演じた三津五郎が鬼籍に入り、駒若丸を演じた三津五郎の子息、巳之助が『ワンピース』に出演していて、この場にいないこと。

20年には扇雀が出ていないけど、今回は清水冠者義高という重要な役どころで出ている。長男の虎之介も紅梅姫で出演。勘三郎とコクーン歌舞伎や平成中村座公演等で共演した扇雀がいかにも嬉しげだった。勘三郎の新しい試みを支えてきた役者たちが、勘三郎の強い思いの籠った、そしてその子息達が主催する「平成中村座」を成功させるべく、親子打ち揃って駆けつけたという感がある。

演目自体は物語というより顔見世的なもの。巴を演じる役者の器量の大きさが問われるところ。七之助の巴は以前に観た玉三郎(今年の1月、歌舞伎座)、時蔵(2011年、松竹座)に匹敵していた。彼らとは違った「色」を際立たせていた。色は色でも色気というより、巴御前らしくキリッとした感じ。三人の中では最も若いから、その清新さが美しい。さらっと演じたのもイイ。舞台番の勘九郎とのやりとりも諄くなくて、それが逆に絆の強さを感じさせた。

「女」と付いてもそこは成田屋宗家の『暫』。(宗家の紋)三升の入った大きな(あれ、なんっていうんでしょう)凧のような袖をつけて出て来る際の口上がオモシロイ。家と家との、そして役者と役者との関係、その歴史が浮かびあがってくるから。

今回、若菜が巴を呼び止める場面で、(以前に若菜を演じた)七之助と(今回の若菜の)新悟が互いに「〜屋のねえさん」と、屋号で呼び合うという趣向がおもしろかった。虚構の中に現実がふっと入るという歌舞伎ならではの工夫。そこに脈々と継承されていく役のつながり、家のつながりを感じた。