巨額な損失映画ってコレですか?

日本での公開直前に『ディズニー映画「ジョン・カーター」がギネスブック級の損失!』という報道があった。ひと足早く公開したアメリカでの成績が芳しくなく、製作費が莫大であったため、その回収はまず無理だろうというものだった。マイナス要因を取り上げて、逆に“だったら本当につまらないのか確認してみよう”と煽って、宣伝しているんじゃないかとも言われてしまった。どっちにしろ見てみないと分かりませんので、2Dで見てみました(3Dのプラス料金はちょっと勘弁なので)。

作品内容以前に、日本では外れる要素だらけの映画だ。まず知名度が全くない。アメリカではエドガー・ライス・バローズの「火星シリーズ」は本当に古典SF文学として有名かもしれないが、日本ではバローズは「ターザン」の原作者として、一部で知られる程度で、どちらにしろ日本人には馴染みがない題材だ。次に出演者にスターがいないのが決定的なネガティブ要因。同時期公開の「バトルシップ」にも出ているとは言え、テイラー・キッチュって“誰?”になるでしょ。

そしてタイトルだ。人物名が好きなアメリカ映画ではあるが、この場合は直接カタカナ名にしてはダメでしょ。まぁイーストウッドの「J・エドガー」も一緒なんですけどね。少なくとも原作名の「火星のプリンセス」を副題で付けて、SFアクションだと分からせなきゃダメです。最後は肝心の映像である。すでに「ロード・オブ・ザ・リング」や「アバター」が登場した現代となっては、ここで描かれたアクション・シーンはすべて“どっかで見た画だなぁ”になってしまうのである。常に新しい驚きを求められるハリウッドにおいては、100年前のSF小説の古典からの映像化では限界があったのですよ。

物語は大富豪ジョン・カーターの甥にあたるエドガーが、残された日記を読むという形で、ジョンの奇想天外な冒険談が展開される。簡単に言うと、ジョンが突然火星にワープして、そこのお姫様を助けて結婚するという他愛もない冒険活劇で、その火星に起きている民族紛争がちょっとだけユニークというもの。映画の作劇的欠点は『何故、エドガーが火星に行くのか?』『エドガーは選ばれし者なのか?』が全く描き込まれず、表面的物語のみ。お伽噺なんだからで済まされるものではなかろう。

もっと言えばジョンが(妻も子も失ったとはいえ)地球を捨てるほどの、この冒険の意味はあるのか?それだけ火星のお姫様は魅力的なのか?など観客側を納得させる部分があまりにも少ない。ただ、彼だけ(火星の重力の関係なのか?)飛んだり跳ねたりのアクションが出来て活躍しているだけで、それほどつまらななくはないが、面白くもない普通の映画なのだ。バスムール人と言ったらいいのか、サーク族のキャラクター造形は、なんかトンガったジャージャー・ビンクスみたいで、魅力があるとは言い難い。

結局、すべてが中途半端の印象だ。徹底的にダメなら逆に救いようがあるのに、いわゆるハリウッドの(たまにある)観客のレベルをなめた発想となってしまっているのだ。この程度の出来で、ギネスブック級云々言われては、映画史に輝く損失映画「クレオパトラ」や「天国の門」に対して失礼である。

まぁ、この損失は、大ヒット中の「アベンジャーズ」(マーベルを買収しておいて良かったねぇ)で、すっかり取り返して無かった事に出来るから、ディズニーとしては痛くも痒くもないか?だから、余計に会社そのものを揺るがした「クレオパトラ」や「天国の門」と比べて欲しくないのよ!

ベン・スティラーの痛快コメディに拍手!

アメリカ国内では絶大な人気を誇るのに、日本では中々そのコメディセンスが受け入れられず、作品が未公開に終わってしまうことが多い。コメディに限らず、ブラック・ムービーや、ホラーもそうした未公開カテゴリーだが、要するにインターナショナルを相手にせず、ハリウッド側から見てのドメスティックでのビジネスで良しとするものだ。そのコメディのジャンルで主演を果たしているのに、未公開作品が多い男優の代表がアダム・サンドラーウィル・フェレル、そしてベン・スティラーだ。

そのベンがエディ・マーフィと共演したのが「ペントハウス」だが、エディも最近の作品は、日本では未公開に終わっているので、二人の共演作が公開されたことは奇跡に近いかもしれないぞ!でも、この面白い映画が未公開では、日本の映画興行もお仕舞いだ!と叫びたくなるほど、この映画は楽しめる。話のプロットはシンプルだ(だから良い!)。高級ホテルのペントハウスに住む大金持ちに、そのホテルの従業員たちは騙され、それぞれの財産を失う。そこで彼らはチームを組み、大金持ちから金を奪い返すという痛快な展開だ。

今のアメリカの経済事情が反映されているのかは、よく分からないが、常に大金持ちは損をすることがなく、しわ寄せは庶民にやって来る不条理に、映画の中でぐらいは一矢報いましょうというところか。イギリス議会の元議員でもあるジェフリー・アーチャーの処女作にして最高傑作の小説「100万ドルをとり返せ!」(原題名「Not a Penny More, Not a Penny Less」いいですねぇ、1ペニーも多くなく、少なくなく、100万ドルきっちりということです)を彷彿させ、ユーモア満点に描いてみせる。

アクション・コメディを得意とする監督ブレッド・ラトナーだが、これは彼の最高傑作でしょ。製作陣にエディ・マーフィがいるが、この映画の内容では、決して主役に向いていないと彼自身分かっていて、ホテルのマネジャーだったベン率いる、大金奪還チームが助けを求める盗みのプロという役どころだ。実はベン・スティラーが(その才能は認識していますが)いささか苦手でした。彼独特の笑いの間が、どうにも個人的に合わない感覚なのです。しかし、初めてこの映画のラストで“ベン、カッコイイ!!”と惚れてしまいました。

それだけ、このベンはいいですよ!でも他にもマシュー・ブロデリックがいたり、「プレシャス」で一躍有名になってしまったガボちゃん(ガボリー・シディベが正式名!)も出てたり、ケイシー・アフレック、ジャド・ハーシュ、ティア・レオーニなどキャストも魅力的だ。しかし、こうした映画で一番重要なのは『悪役』だ。その悪の大富豪をアラン・アルダが何とも楽し気に演じていて文句なしだ!

現在76歳のアランは、監督としても素晴らしい実績を誇る70年代から活躍する名優。TVでは『M*A*S*H 』シリーズを1972年から、映画では78年の「セイム・タイム、ネクスト・イヤー」から81年の「四季」の監督、主演までと大活躍(もちろん、その後も活躍しているが)だった。ハリウッド映画を見ていて、こうしたリスペクトすべき俳優をちゃんとキャスティングしている映画に出会うと、あぁ、やっぱり分かってくれているんだね、と堪らなく嬉しくなる。

こんな面白い映画が、ベンやエディという日本の興行マーケットでは『難しい』という理由だけで未公開に終わってしまいそうだなんて、なんとも嘆かわしい時代になってしまったもんだ。

「戦火の馬」は、スピルバーグの映画体験がよく分かる1本だ!

一人の監督をデビュー作から見続けていられる事が、本当に映画ファンには幸福なことなのだ。自分の映画鑑賞体験と、その監督のキャリアがずっっと繋がっているいられるわけなのだから…。自分にとって、その代表がスティーブン・スピルバーグだ。アメリカではTV映画扱いの「激突!」は日本では旧新宿ピカデリーの大スクリーンで(1973年の正月第2弾作品)公開され絶賛された。そこからちゃんとスクリーンで見ているので、自分の中ではスピルバーグのデビュー作は、この「激突!」なのだが、正式なフィルモグラフィーはやはり「続・激突!カージャック」なのだろう。まぁ、仕方ないか。

スピルバーグの何が凄いかって、そこから70、80、90、2000年代を経て、2012年の現在まで、第一線の監督であり続けていることだ。40年間TOPを走り続けているのである。例えば1972年の代表作である「ゴッドファーザー」のフランシス・コッポラは?「フレンチ・コネクション」と「エクソシスト」で70年代を駆け抜けたウィリアム・フリードキンは?「ラスト・ショー」「ペーパー・ムーン」のピーター・ボクダノヴィッチは?彼等には持続力がなく、絶え間なく作品の提供は出来ていないという事を考えれば、いかにスピルバーグが凄いかが分かるだろう。

75年の「ジョーズ」の驚きは忘れられない。『鮫』が主役の映画なんて!である。まぁ、考えてみれば「激突!」の主役も人間ではなく、タンクローリーであったのだから不思議ではないのだが…。そして「E・T」は宇宙人、「ジュラシック・パーク」が恐竜と、彼の映画には主役が人間以外という作品が多いとも言える。新作「戦火の馬」では、そのタイトルどおり『馬』を主役の映画を撮ってしまった。なんかもう、スピルバーグもここまで来たのだから、作品を当てようだとか、スタジオのためとかいう次元を越えて、『自分の作りたいと思う題材のみ製作』のスタンスのように感じてしまうのだ。

1頭の馬の波乱万丈の運命を軸にした、第1次世界大戦映画である。作物を作れない農家の馬は、戦争に駆り出されて行く時代の物語で、軍隊に行った馬に人間は何を求めようとしたのか?原作が馬の視点で描かれているのが分かるものの、スピルバーグはそこまでの視点は求めず、馬の肉体を動かすことですべてを表現してしまった。その馬の動きの手本は普通に見たら、ジョン・フォード映画だろう。しかし、ヤヌス・カミンスキーキャメラ(今回は撮影賞とって欲しかった!)の向こうに「ベン・ハー」の馬の撮り方も垣間見えたりもする。

そう、この映画はスピルバーグの、大好きな監督たちへのリスペクト映画でもあるのだ。ファーストカットからすでに、アイルランドの風景の中のジョン・フォード映画を思い出させ、その緑は「静かなる男」の田舎そのものだ(「静かなる男」は「E・T」の中で、エリオットのキスシーンに出てくる映画でもある)。作物の出来ない過酷な風土の描き方はデビット・リーンの「ライアンの娘」を思い起こさせる。戦争の一部始終はユニバーサル映画の金字塔「西部戦線異状なし」だろう。そしてラストの夕陽は「風と共に去りぬ」だが、そこから見える人間と馬の小ささは「アラビアのロレンス」でのアリの登場シーンではないか!

という具合に次々と登場する、多くの名作をリスペクトした上で「戦火の馬」は1次大戦の頃は、まだ馬が兵器の一部だったことを教えてくれる。その馬2頭の名演には驚愕と涙である。しかし実は馬のキャラクターが立ちすぎていて、人間の描写の部分は弱くもある。入れ替わり立ち代りに馬に関わる人間が変わることも、人間側は誰が主人公?と思ってしまう部分だ。後半の見せ場である鉄条網に絡まった馬を助ける兵士の部分は(名もない兵士故に)見事に描かれていて、そこからラストまでは人間側も頑張ったのだが…。

とは言え、「タンタンの冒険」では味わうことの出来なかった『スピルバーグ映画』への満足度は高く、65歳の彼のまだまだこれからの活躍ぶりに期待できる幸せな1本でした。