文献学とラディカルな啓蒙主義のはざま

新刊紹介。


Between Philology and Radical Enlightenment: Hermann Samuel Reimarus (1694-1768) (Brill's Studies in Itellectual History)

Between Philology and Radical Enlightenment: Hermann Samuel Reimarus (1694-1768) (Brill's Studies in Itellectual History)


2006年三月に開かれた18世紀の文献学者ライマールスについての会議の論文集。古典学やユダヤ学との関係など、ライマールス研究の今まで光の当てられてこなかった分野に注目するのが一つ目の目的。二つ目の目的は、いくつかの書簡、日記、講義草稿などの一次文献を世に出すこと。

内容は以下の通り。

Preface

1. Martin Mulsow, "From Antiquarianism to Bible Criticism? Young Reimarus visits the Netherlands"

2. Wilhelm Schmidt-Biggemann, "Edifying versus Rational Hermeneutics: Hermann Samuel Reimarus’ Revision of Johann Adolf Hoffmann’s Neue Erklärung des Buchs Hiob"

3. Ursula Goldenbaum, "The Public Discourse of Hermann Samuel Reimarus and Johann Lorenz Schmidt in the Hamburgische Berichte von Gelehrten Sachen in 1736"

4. Ulrich Groetsch, "Reimarus, the Cardinal, and the Remaking of Cassius Dio’ Roman History"

5. Dietrich Klein, "Reimarus, the Hamburg Jews, and the Messiah"

6. Jonathan Israel, "The Philosophical Context of Hermann Samuel Reimarus’ Radical Bible Criticism"

7. Almut and Paul Spalding, "Living in the Enlightenment: The Reimarus Household Accounts of 1728-1780"


なかでも興味を持ったのは、ジョナサン・イスラエル博士のライマールスの聖書批評の哲学的文脈についての論文だ。ライマールスの名は、聖書が「超自然的な神の書物」から他の古典文献と同様の扱いを受けるようになる高等批評 (Higher Criticism) の発展においては、有名である。中世から前近代のキリスト教国においては、聖書は神のことばとみなされ、教会によってその権威を守られて来た。エラスムスなどで有名な北部ヨーロッパ人文主義においても、文献批評は行われたが、聖書が神のことばであることには変わりがなかった。聖書に絶大な権威をおいたルター、ツヴィングリ、カルヴァンなどの宗教改革者たちも人文主義の訓練を受けていることからも見受けられるだろう。宗教改革後も、聖書の神授性は様々な形で民衆に教育され、これを疑うことは処罰の対象にもなった。


十七世紀に入り、聖書の文献批評の発展と古代哲学の復興や、三十年戦争などの歴史的状況をふまえ、それまでに見られなかったような聖書への批評が次第に勢いを増していく。リプシウス、スカリゲルの流れを汲んだグローティウスや、急進的なホッブスやスピノザの批評は有名な例である。そして、リシャール・シモン、ジャン・ルクレーク、ライマールスへとつながり、啓蒙的理性によって奇跡や超自然的現象を排除した聖書学が作り上げられていくこととなる。


イスラエル博士の論文は、ライマールスを当時の哲学的文脈の中で理解することを目的にしている。これまでの研究では、この時代の他の分野の研究でも同様であるが、英国の理神論(Deism)の影響を過大に評価してきた。しかし、ライマールスのテキストからは、むしろスピノザ主義やオランダ・フランスに見られるようなラディカルな啓蒙思想に対峙しながら、自己の思想を確立していく姿が顕著に見られる。ライマールスの再評価は、ドイツにおける啓蒙思想の再評価にもつながると、以下のようにイスラエル博士は語る。

ドイツにおける理神論の発展はいうまでもなく、ライマールスの啓示宗教批判への思想的影響を、英国からのものと断定するドイツの研究者の結論は、端的に実証性を欠いている。これは、フランス、オランダ、ユダヤからの影響を矮小化し、英国からのみに思想的恩義を感じる古いドイツの歴史学の悪弊によるところが大きい (p.188)。


政治的に急進的なスピノザ主義やラディカルな啓蒙思想を排除しているものの、ライマールスの聖書批評はスピノザの上をいくものがある。たとえば、スピノザの『神学・政治論』において「キリスト」は神の代弁者と呼ばれているのに対して、ライマールスはキリストを弟子たちによって誤って霊的なメシアとして理解された失脚したユダヤ教の改革者とみなされている。また、スピノザは旧約聖書の預言に道徳的意義を見出しているのに対して、ライマールスは旧約には劣悪な神の概念しか含まれていないと切り捨てている。


レッシングによって遺稿が編纂され、カントによって絶賛された文献学者ライマールス。彼自身の思想は、ニュートンに見られるような自然神学に近いものがある。ただ、ライマールスの文献の中には、ニュートンや英国のニュートニアンは登場することは少なく、フェヌロンの影響が大きいと、イスラエル博士は論じている。ライプニッツやヴォルフの影響も受けており、聖書による啓示を排除し、超越する神と永遠の霊魂を理性的に論じていく思想のようである。


ラディカルと穏健な啓蒙主義の対立というシェーマを描き、オランダやスピノザ主義の影響を前面に出すというイスラエル博士節はあいかわらずだが、ドイツにおける初期啓蒙思想の一部分を重層的にみるのには面白い論文である。他の論文も興味深い。