榎本恵美子『天才カルダーノの肖像』bibliotheca hermetica 叢書

天才カルダーノの肖像: ルネサンスの自叙伝、占星術、夢解釈 (bibliotheca hermetica 叢書)

天才カルダーノの肖像: ルネサンスの自叙伝、占星術、夢解釈 (bibliotheca hermetica 叢書)

このたびbibliotheca hermetica主宰のヒロ・ヒライ氏監修の叢書シリーズが勁草書房から刊行される。その記念すべき第一弾が本書、榎本恵美子による『天才カルダーノの肖像 ルネサンスの自叙伝、占星術、夢解釈』である。本書は、日本におけるカルダーノ研究の第一人者である著者の、長年の研究のひとつの大きなマイルストーンである。内容は以下の通りである。



第I部 カルダーノとは誰だったのか?
第一章カルダーノの生涯と仕事

第II部 『わが人生の書』の研究
第二章 自叙伝『わが人生の書』とは?
第三章 自叙伝の形式と占星術
第四章 自叙伝にみる医学者ガレノスの影響
第五章 カルダーノと夢解釈
第六章 守護霊との対話

第III部 『一について』の研究
第七章 秩序ある多様性『一について』の考察
第八章 翻訳 カルダーノ『一について』

補遣 あとがき カルダーノを探す旅
カルダーノ研究の最前線—本書の解説にかえて(坂本邦暢)



もともと独立した論文であったものがこのようにスムーズに一冊の本になるということは、著者の先見性と編集者の「多から秩序」を生み出す、まさにカルダーノ的な技量によるものであろう。以下、手短にカルダーノの自叙伝である『わが人生の書』の研究である第II部を紹介したい。


カルダーノという思想家はとくに自分について語り、自分の問題を思索の立脚点としてとりあげているので、自叙伝である『わが人生の書』について書くことは非常に困難である、と著者は語る。つまり、自叙伝に限定して研究をしていては、カルダーノが成し遂げようとしたことがわからなくなってしまうというわけだ。それゆえ、この自叙伝とともに、包括的にカルダーノの著作に親しまなくては、重層的な理解は不可能である。著者は、個々の章でこの重層性をみごとに描き出している。これを成し遂げているのは、ひとえに著者の長年の研究があるからであろう。


また著者は、カルダーノが自叙伝で成し遂げようとしたことをあきらかにしている。カルダーノの目的は、自叙伝を書くにあたって前人未到の領域に足を踏み入れることだった。ガレノス、アウグスティヌス、ペトラルカ、エラスムスらの自叙伝を参考にしてはいるが、カルダーノの選んだ素材は先人たちの使った形式からはみでてしまう。そのためカルダーノは、自分の存在を多様なままに描き出す形式を作り上げなくてはならなかった。では、この形式とはいったいなんだろうか。


この形式を発見していくのが、本書の醍醐味なので詳しくは書かないが、著者によると、カルダーノ独自の自叙伝の形式は、占星術、夢解釈、そして守護霊といったおおよそ現代の自叙伝には考えられないような主題によって構成されている。この三つのベクトルのもとにカルダーノはおのれの人生を読み解き、人生の知恵をちりばめていく。この後期ルネサンスのドロドロさがカルダーノの、そして本書の魅力であろう。


最後に、この占星術、夢解釈、そして守護霊という三つのテーマについての著者のことばを引用したい。最初に、自叙伝における占星術の位置づけについて、著者はこのように書いている。

占星術に由来する自己表現は、その形式が最後の自叙伝に影響しただけではない。占星術による解釈を記述するためのカルダーノの独自性は、知識をより正確なものとするために占星術の「数学的な」方法に観察という「経験的な」方法を取り入れようとした姿勢にもあらわれている。(74頁)


また、カルダーノの夢解釈について著者はこのように書いている。

夢を味わい、夢から学び、再生の力をえていたカルダーノにとって、眠りの中の夢と目覚めたときの日常は、幻と真実というふたつの異なった世界ではありえなかった。夢と現実は天と地が照応し合ってひとつの統一ある世界像をつくるように相互に浸透しあい響き合う世界であって、彼の希有な人間像はこのような夜と昼によって育まれていた。カルダーノの「人生」vitaとは、夢をともなってはじめてひとつの全体たりえたのであった。(151-152頁)


そして著者はカルダーノの自叙伝の、重層的な構造の最後の鍵を握る守護霊について、第II部の最後で次のように書いている。

たしかに『わが人生の書』の重層的な構造は、カルダーノの自己認識のために生まれたものであった。しかしなんという複雑で謎めいた作品だろうか。ここまですすめてきた考察は、最終的に自己認識の核心としての守護霊にたどりついたのであるが、その複雑さを単純化しすぎた末にやっとえられた結論かもしれない。残された問題はあまりに多く、カルダーノはさらなる謎解きを誘っている。(177頁)


この最後の箇所で著者は、カルダーノの自叙伝の重層的な構造の三つの鍵はなんとか見つけることはできたが、それ以上にこの探求は多くの謎をうむ、と語っている。しかしだからこそカルダーノは私たちの興味をひきつづける。そして、そのカルダーノを読む私たちは、本書と著者のような熟練したガイドを必要としているのではないだろうか。後期ルネサンスのまことにドロドロとした、現代の合理性に収まりきらない知的余剰を肌で感じることのできる作品である。