十六世紀後半のルター派医学者による宗派化とルネサンス・プラトン主義

Robin B. Barns, “The Prisca Theologia and
 Lutheran Confessional Identity c. 1600: Johannes Jessen and his Zoroaster” in Spatrenaissance-Philosophie in Deutschland 1570-1650: Entwürfe zwischen Humanismus und Konfessionalisierung, okkulten Traditionen und Schulmetaphysik, ed. by Martin Mulsow (2009), 43-55.


十六世紀後半から十七世紀初頭の西洋における神学・哲学思想は、しばしば宗派化(confessionalization)に積極的な正統主義者と、リベラルで宗派の統合を目指す人文主義者という二項対立として理解されることがある。本論文の著者バーンズは、ルター派の医学者ヨハネス・イェセン(1566-1621)の記した『ゾロアスター』の分析を通して、この見解に反論を呈する。イェセンはヴィッテンベルクとライプツィヒで学んだあと、パドゥア大学でフランチェスコ・パトリッツィ(1529–97)に師事した。特に、パトリッツィの古代神学(prisca theologia)に多くの影響を受けている。しかし宗派化に否定的で、コスモポリタンなパトリッツィと違い、イェセンは正統主義的なルター派の枠組みのなかに古代神学を消化していく。


この時代のヴィッテンブルクは、カルヴァン主義に傾倒した選帝侯クリスチャン一世(1587-1591)から、より厳格なルター主義者であったフリードリヒ・ヴィルヘルムへと代替わりしていた。クリスチャンの統治下のヴィッテンベルクには、ジョルダーノ・ブルーノが滞在するなど、宗派の枠がより広く理解されていた。しかしフリードリヒは、カルヴァン派を排除して、正統主義的なルター派による宗派化を推し進めようとする。


そのような神学・政治的な状況の下で、イェセンはフリードリヒに『ゾロアスター』を献呈した。この書物でイェセンは、ルネサンス・プラトン主義とルター派正統主義の調和を試みている。バーンズの提示するひとつの興味深い例は、イェセンの三位一体理解である。イェセンは、流出と熱としての創造主-自然の原理としての御子-世界霊魂としての御霊を想定した。バーンズによると、三位一体を重要視する目的は、当時流行していたポーランドやシレジアの反三位一体主義的な思想に対抗するためだったとされる。また、御子イエスを自然の原理として理解することによって、ルター派的な聖餐論を展開することができるという。当時ルター派とカルヴァン派が、聖餐式におけるキリストの身体の理解を巡って対立していたのはよく知られている。ルター派は、イエスの身体の遍在を主張していたが、カルヴァン派は身体をあくまで天にあるものとして理解していた。イェセンは、イエスを自然の原理として理解することによって、ルター派の見解の正しさを証明しようとする。さらに、イェセンの終末思想も興味深い。イェセンはパトリッツィにならい、自然を永遠のものとして理解していた。しかしこの永遠なる自然は、終末において根本的な変革と浄化をくぐり抜ける。この終末思想は、パトリッツィからは逸脱しているが、当時の預言的なルター派の理解と一致するものである。


最終的にイェセンはプラハへ移り、カレル大学の総長と帝国属の医師となる。1618年以降は、反帝国運動に参加することになり、プロテスタントの大敗北に終わった1620年の白山での戦いののち、翌年ハプスブルクによって処刑された。バーンズによると、最後までイェセンは正統的なルター派の枠組みのなかで独自の思想を発展させたそうである。古代神学とルネサンス・プラトン主義に傾倒しつつも、宗派化を進めた興味深い一例をイェセンの生涯と思想のうちにみることができるのではないだろうか。