うちの猫(二代目)ピピー3

1993.11.17日午前11時30分ピピ永眠す。
享年、16歳6ヶ月だった。死ぬ1週間位前から食欲が
ぐっと落ちて大好きだった鰯のたたいたのも余り食べず
釜揚げシラスやまぐろをミンチにしたのをスプーン1杯
位がやっとという状態だった。それでもオシッコは籠から
出てくるのでトイレで身体を支えてやった。前日には水
しか咽喉を通らなくなり、オシッコを私が気付かず
それでも籠の外に出てきてした。便もゆるくなって
何時とも無く出てくるので、死ぬ前夜おしめをした。
ピピはきっとこれ以上迷惑を掛けたくないと思ったのだろう。
それでも、朝まで頑張って待っていてくれた。私たちが
起きてから、お水を飲ませたり身体をさすったりする時間を
くれた。2,3時間看病させて静かに息を引き取った。
安らかな死に顔だった。身体を清めて新しいタオルを敷いて
寝かせ花を飾って私と長女は仕事に出掛けた。私達が心残り
の無いように家にいる間に息を引き取ったのだろう。
最後まで優しい猫だった。
ピピは、ペットと言うより私にとっては同志のような存在で
子供達の成長を見守り、商売人からサラリーマンになった
連れ合い、主婦から塾の先生になった私、思いがけない人生の
変遷を共に過ごした。ピピのいなくなった寂しさは想像して
いたより、ずっと大きく直ぐに私はすっかり涙もろくなった。
ピピの死と共に私の一時代(壮年期)は終わった。
ピピは老いる寂しさ(みにくさも含めて)を縮図にして見せて
くれた。潔い生き方、死に方を示してくれたと思う。