広島平和祈念の日

今日は広島に原爆が落とされてから65年目の慰霊の日である。今日も各地で真夏日を越える暑さであった。あの頃どうだったのだろう?母達はもんぺの上下をきていた。私達も長ズボンを着ていたように思うが暑かったという記憶は無い。灯火管制のため、窓は目張りをして締め切り明かりが漏れないようにした一室に父、母、祖母、伯母、生まれたばかりの弟と私の6人の家族が肩を寄せ合って過ごした夏の夜。何を思い、何を話しかは全く記憶に無い。今、考えると締め切って薄暗くした部屋が暑くないはずもないがそれしきのことは我慢の内にも入らなかったのだろう。それとも食料不足で暑さを感じる体力も無かったものか。世界が原爆を減らしてゆこうという方向に向かいつつあるのは喜ばしいことだが、北朝鮮のような狂気の国が原爆を持ったら、どうなることか恐ろしいことだ。従妹夫妻が、核廃絶の運動をしていて私が書いた拙い「戦争の記憶」という一文を会報に載せたというお断りの手紙が今朝届いた。私が書いたといっても当時小学一年生の記憶である。もっと早い時期に父や母が生きている頃に、色々聞いて書いておけばよかったなという後悔が残るが一年生の目線で孫達に残しておこうと思って書いたものだからそれはそれで良いかとも思う。資料的な数字や状況はそのうち原爆資料館にいって貰えばと思うし。もう一度長崎の平和記念式に出席したいと思うが、あのハンパでない暑さを思うと倒れたりしたら人様に迷惑を掛けると思うといく勇気がもてない。

話はがらっと変って明日はいよいよ発表会で、長女の一家も来てくれることになっている。それで、最近飼いはじめた仔猫のコタローを連れてくるというので今日は次女の所から、庭散歩用のリードを借り、ボールを鴨居に吊るしたりして用意する。うちの猫たちは一向に関心も示さず、フィガロのお腹の上に持っていったらお愛想にちょいちょいとつついてみた。さてコタローは喜んでくれるかな?肝心の声の方がちょっと夏風邪気味か、ガラガラ言って心配だが此処まできては仕方が無い。