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吉林野日記

2012-08-02

中見真理『柳宗悦―時代と思想』その他の柳宗悦研究

04:36

中見真理『柳宗悦―時代と思想』

第10章 戦後の仏教研究の意味

仏教美学を打ち立てること、それが戦後の柳の仕事の主なもの。

1.戦前における仏教受容と宗教観の特徴

プロテスタンティズムの研究からはじまり、個人主義に飽き足らなさを感じる。聖フランチェスコからブレイクやエックハルトにまで至る。エックハルトの神秘主義に惹かれるころになると、東洋の無や空といった問題にも次第に関心を向けるようになっていく(227-228、19巻760ページ以下)。

「日本独自の美を中世の日用雑器のなか」に見出すようになるのは、1921年のことである(259)。しかし決定的には、木喰仏の発見が、柳を浄土系の仏教へと導いた。すなわち民衆のための宗教としての浄土教の発見である。念仏と美の制作を結びつける視点を得た(260)。「下手ものの美(のち「雑器の美」に改題)」では、工人がろくろを回す手さばきと、念仏業者の念仏との間に、同一性を見出している(260、8巻3ページ)。下手ものの再評価と並行して、江戸時代の仏教についての評価も変わってくる。「徳川時代の仏教を想ふ」では、鎌倉時代の武家向けの仏教から、庶民向けの仏教へと変わったという評価を行った(261、19巻201-205ページ)。『日本的霊性』を読み、念仏と禅を日本仏教の中心であると確信する。それは彼の工芸に関する考え方と通じるものであった(262)。ブレイク「すべての宗教は1つである」、に共感(5巻188-189)。

他を排斥するような宗教は、正しくない。したがって個性や特殊性を滅却するような宗教も、同様である(263)。1つの大宗教ではない。姉崎正治の宗教学にならい、特殊性を生かしながら、根源的同一性を見出そうとする(264)。「個性の特殊を無視して宗教を帰一ならしめやうとする努力は自然への無益な反逆」であり、「最も恐ろしい想像は恐らく一切の世界が一色に塗抹される」こと、というのが柳の基本的な考え方である(263、2巻180-181)。


2.戦後の仏教研究のねらい

西洋崇拝は、必ずしも西洋から歓迎されるわけではなく、かえって西洋からの蔑視を招くこともある(19巻809-811)。では日本という特殊性を生かし、世界に貢献できるものは何か。それは芸術と仏教であるとした(19巻799)。この時、柳は事物の美のなかに宗教を見出すという戦前の立場を反転させた。すなわち宗教の立場から、美を打ち立てるというようにである(267)。日本の特殊な仏教の中でも、特に自力門としての禅、他力門としての念仏宗を重要視した(267-268)。

3.念仏宗への傾斜とその理由

民衆を救うもの、それは他力の浄土系仏教である。名もない工人が優れた美を生み出す民芸において発見した、他力性と通じるところがあった。とくに妙好人には、その資性が、存分に表れている(268)。教養のない妙好人や工人には、相通じるところがあった。妙好人にちなんで工芸のことを妙好品と呼んだ(269、16巻624)。江戸時代の仏教は、ここではまた、評価が落ちている。

法然親鸞とともに、一遍を加えて、同系列の浄土門として論じるのが彼の特徴。

4.思想的到達点としての無対辞文化

対辞とは、美醜、善悪など、対立する言葉という意味である。それを克服する不二の境地を打ち立てること、それが仏教美学の求めるところであった。中見は、この無対辞文化という考え方を、柳の到達点であるという(275)。「至る所に中心を持つが、何処にも周辺がない」もの、それが神である。これを中世の聖者とのみ柳は語っているが、おそらくはトーマス・ブラッドワーディン(Thomas Bradwardene 1290-1349)のことであろう。

5.真宗と茶道への期待と批判

戦後の柳は、真宗と茶道への批判を行う。その真意はどこにあったのか。本願寺の東西大谷派の優勢と表裏の千家の家元制度が、信や美を求めるようには機能していないこと(278、19巻470)。

6.民芸運動にもたらされた新たな難問

工人が念仏を唱えるように仕事に専念すること、それによって我を忘れた余念のない美は生まれる(281、19巻29)。

個人作家と工人の関係は、僧侶と信者の関係に似る(282、14巻47)。美の宗教を打ち立てたいという欲求と、それまでの民芸運動とに、ギャップを生じるようになる(284)。

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中見真理「柳宗悦と鈴木大拙―近代をめぐる位相」『柳宗悦と民藝運動』

美の法門?宗門?

鈴木の場合、出発は自力であるほかない。自力を尽くしたときに、「独りでに這入る」ようなか感覚である。他力とは法のことである。注6(1926「自力と他力」『大拙全集31巻』338ページ)。

鈴木はいう。多くの宗教は最終的には法に頼ることになる。それで宗教の大半は他力だといえる(54)。注7(1926「自力と他力」『大拙全集31巻』336ページ。

理念的であった「民衆」概念を、柳は、近代化の遅れた地域の実在の民衆にあてはめた(54)。知識人は、無心でものを作れなくなった。それは「近代化=知識化・意識化」の弊害のためである(54)。

「柳にとっての民衆」は、「与えられた境遇に従順であるべき存在だった」(55)。鈴木は「自主的・自立的に物事を考えながら行動できるようになることを望んでいた」(56)。(中見は鈴木の見解について上のように纏め、注9では時代も半世紀ほどの開きがある文献をあげている。いくらなんでも、これは無理である)。

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民藝中心のものは除く

大岡信(1986)「柳宗悦」山崎正和編『アジアを夢みる』講談社(内田健三ほか編「言論は日本を動かす」第3巻).

鶴見俊輔(1991)「先行者たち」『鶴見俊輔集2』筑摩書房.

阿満利麿著(1987)『柳宗悦―美の菩薩』リブロポート(鶴見俊輔ほか編「シリーズ民間日本学者5」)

安達義弘(2003)「柳宗悦―朝鮮の美に魅せられて」東アジア学会編『日韓の架け橋となった人びと』明石書店

水尾比呂志(2004)『評伝柳宗悦』筑摩書房(ちくま学芸文庫).

中見真理(2003)『柳宗悦―時代と思想』東京大学出版会.

伊藤徹(2003)『柳宗悦―手としての人間』平凡社

鶴見俊輔(2001=1976)「柳宗悦・竹内好」『鶴見俊輔集続4』筑摩書房.

竹中均(1999)『柳宗悦・民藝・社会理論―カルチュラル・スタディーズの試み』明石書店.