ティーン層に加藤ミリヤと西野カナが流行っている本当の理由。
昨日、CSを見ていたら加藤ミリヤの曲がティーン層にうけている理由を考えよう的なコーナーがありました。
オリラジが司会をしていた番組だったのですが、オリラジ的には「悲恋の歌」で、ティーン層の心をキャッチしているといった見解でした。
僕個人的には、悲恋の歌って昔からありますし、各年代ごとに流行ったものはたくさんあります。
ましてや、JPOPって全般的に恋愛視点の曲が多い気がします。
だから、ちょっと違うと思います。
僕の見解は、「歌詞が分かりやすい」から流行っているというものです。
加藤ミリヤや西野カナの曲の歌詞を少しだけかいつまむと、以下のような感じです。
みなさんも自分の頭の中で少し前に流行った曲の歌詞と比較してみてください。
■「この街のどこかで/加藤ミリヤ」
すごく好きだった
今も張り裂けそうなほどの
懐かしいほろ苦い思い出
この街のどこか 偶然会えたらって
淡い期待をしてしまうけど
追いかけるだけの恋は嫌だった
もう戻らない日々を悔やんだ
何でもない喧嘩で泣いて
いつも君は困っていたね
もっと伝えたい言葉はたくさんあったのに
変わったんだよ
もう泣いていないよ
もう大丈夫だよ
I'm stronger than I used to be
だからso please
■「会いたくて 会いたくて/西野カナ」
会いたくて会いたくて震える
君想うほど遠く感じて
もう一度聞かせて嘘でも
あの日のように"好きだよ"って…
今日は記念日 本当だったら
二人過ごしていたかな
きっと君は全部忘れて
あの子と笑いあってるの?
ずっと私だけにくれてた言葉も優しさも
大好きだった笑顔も全部
あの子にも見せてるの?
Baby I know
君はもう私のものじゃないことくらい
でもどうしても君じゃなきゃダメだから
You are the one
かなり偏りはありますが、少し前の曲の歌詞よりもずいぶんわかりやすいものになっていると思います。
比喩的な表現を抑えて、わかりやすい言葉、わかりやすい情景を歌詞に織り交ぜています。
他のウェブサービスや世の中全体を通してもそうですが、今のティーン層向けには「わかりやすい」というのが重要なキーワードになってきていると思います。
正直、当たり前のことを言っていますが、忘れがちな大事なことだと思います。
日本人特有の奥ゆかしい表現や、遠まわしな言い回しではなく、今の若い世代には、よりわかりやすくダイレクトな表現が必要だと思います。
「わかりやすい」はこれからの重要ワードです。
この見解への意見をお待ちしております!!