穢れと恐怖

大袈裟な小見出しだよな。

最近、「4人の食卓」という韓国のホラー映画を観てきた宿主に、「アメリカのホラーはそれほど怖くないのに、アジアのホラーは本当に怖い」と言われる。ホラーにかぎらず、映画全般にお世辞にも詳しいとは言えないオレだが、これは「恐怖」の捉えかたが異なっているからかもしれない。多くのアメリカ人にとって、恐怖は「外部から襲ってくる」のだろう。それに対してアジア人にとって、恐怖は「内側に巣食う」のだ。

これに関連してふと思い出したのだが、オレは下着や靴下やタオルなど、自分の肌に直接触れる衣類は、こまめに洗濯しないと気持ちが悪くて仕方がない。逆にセーターやジャケットなど、肌に触れない衣類は、しばらく洗濯しなくても平気なのだ。すわなちオレは自分の身体から滲み出る汚れには敏感だが、外気の汚れには鈍感なことになる*1アラン・コルバンの『匂いの歴史』[amazon]なんかを読むかぎりでは、ある時期までのフランス人の「汚れ」観は、オレとは正反対だったような気がする。

*1:そもそも外気が「汚れている」という感覚が、オレにはよく判らない。

ホームページとウェブログ

松永英明id:matsunagaさん)『ウェブログ超入門!』(日本実業出版社[amazon]がアマゾンから届く。まだぱらぱらとめくっただけなのだが、技術的な側面を重視していた(せざるを得なかった)従来の『ホームページ入門』とは異なり、ブラウザから簡単に更新できるのが特色であるブログの入門書では、「何を書くか」や「いかにコミュニケーションするか」が前景化されるのだな、といった印象。これはつまり人文系の素養を活かしたコンピュータ書を作りやすい土壌が整いつつあるわけで、歓迎すべき変化だと思う。何よりも、オレが喰いっぱぐれずに済む。

はてな化

しかし最近、「はてな」ユーザーが書いた文章ばかり読んでいる気がする。『音楽誌が書かないJポップ批評』に至っては、執筆陣の3分の1ぐらいが面識のあるひとで、おまけにそのうちの半分が「はてな」ユーザーであることが少なくない。『ユリイカ』あたりが「はてな」化する日も近いのではないか。