絵画と文化 -芸術の社会性について-

ラスコーの洞窟壁画は有名だ。狩猟の記録なのか、儀式的なものなのか描画の目的は定かではない。しかし動物の姿が生き生きと描かれていたり、洞窟の岩の隆起を利用した立体的な絵を見ていたりすると、何とかしてバイソンやシカの丸味や重み、力強さを表現しようとしたのかが伺われる。また世界にある洞窟壁画には、たくさんの手形絵画が残されている。今でいうステンシルのように、口に顔料を含んでスプレーのように手の跡を岩壁に残している。こうした生きた証を残そうとする姿に表現の原型のようなものを感じざるを得ない。

またオーストラリアの先住民族の樹皮画など、独特の文化伝承形式故の芸術でありオーストラリアの先住民族の生き方と切っても切れない。以前越後妻有トリエンナーレという芸術祭を訪れた際、オーストラリアの先住民族の展示があった。そこではオーストラリアの先住民族の文化を西欧文化であるキャンバス地に描いた作品が並んでいた。何というか、文化が死んでいると感じた。オーストラリアの先住民族の絵画は樹皮の裏にこそ描かれるべきであり、樹皮込みでの絵画なのであろう。それは、冒頭で書いたラスコーなどの洞窟壁画を見てもそう感じた。洞窟の岩肌に向き合い、仕留めた動物たちを思い出しながら描いたであろう状況は彼らの生き方そのものだったはずである。水墨画なども、黒と白の間の濃淡を行き来しながら見えない心の内側を描く東アジアの伝統文化であるのだろう。そこにひと時も留まることのない自然の変化を支持体である紙と交感し、表現していると感じる。そうした風土文化と絵画の関係には必然性がある。

西洋近代は教会の壁画から、産業革命とともにキャンバス地と油絵具を絵画の材料として、市場流通経済に適応していった。絵画の宗教性から離れ市民の生活へと溶け込もうとしていった。西洋近代絵画が流通経済のシンボルでありながら、一方で純粋芸術を芸術家が市民として目指したことも事実である。その中には民主主義への希求や、理想の社会主義をイメージしたものもあった。こうして書いていくと、西欧近現代は概念中心であることが分かる。

私はといえば、画家としてキャンバス地に絵を描くことは何か必然性を感じない。あのキャンバス地に絵の具を塗り込んでいくような感覚が私にはない。あるいは、イーゼルを立てて空中に支持体が浮いているのもリアリティーが無い。もっと直接的に支持体と交感していきたい。それが日本に暮らしていることとどれぐらい関係があるのかは分からない。しかし、絵画が概念として存在しているよりももっと直接的に生きた日常空間に存在して欲しいと考えている。こうした、人が生きている場所で発生している文化と絵画は切っても切れない関係であると言えないだろうか。現在のポストグローバル社会の中で、絵画はどんな存在なのであろうか。

絵を描くことは現代に於いてはとても個人的な物事とも言える。何故なら絵を描かなくてもほとんどの人々は暮らしている訳だし、生きていることと直結していない。そこにきっと絵を見る人は、必然性を感じるべく作家の個人的なこだわりや物語を探すことが逆説的に絵画の存在理由になっているのかも知れない。何故彼は彼女は絵を描くのだろうと。きっと理由や意味があるはずだと考えている。何故なら本物そっくりな絵なら写真で良いと思っているから。そうした絵画の存在理由を個人の物語として社会は求めているのかも知れない。

絵画と光 ―芸術の社会性について-

                  

 

今回は、絵画と光について書きたい。絵画の歴史はヨーロッパではキリスト教の宗教画がありその後、風俗画(ブルジョアジーの趣味)として風景画や室内画が生まれた。オランダのフェルメールデンマークハンマースホイの室内画は有名である。市民の日常風景を画題とした風俗画に如何に画家は自らの制作意図を込めたのだろうか。まず室内画から少し考えていきたい。

有名なフェルメールだが、良く見ると不思議な絵である。室内で過ごしている人物は必ず何かを見ている。何かしているというよりは何かを見ていることが強調されている。こちらを見ている人物もいる。観客が絵を見ていることを知っているかのようでもある。室内に差し込む光。これもあらゆるものに光が降り注いでいることがわざわざ説明されているかのように光の当たる様子が描かれている。また室内には絵が飾られているが、絵を見る我々の視点を暗示しているようである。実際、絵を外側から覗いているような作品がある。絵を見ること、あるいは「見ることを見る」作品といえようか。ハンマースホイはどうであろうか。柔らかな光が印象的なハンマースホイだが、それとは対照的に静謐な室内は不在を表現しているかのようである。開いたドアもただの空間であることを物語ろうとしている。同時代の他の室内画は、閉じた安心感がある。窓からの光も家具やその他が受け止めている。ハンマースホイの室内画は光や風が通り抜けてしまいそうだ。

 

時代は巡ってマチスの窓のある室内画だ。マチスもいくつもの室内画を描いている。特に窓に特化した作品がいくつかある。マチスの場合、外の世界と内の室内が繋がって描かれている印象がある。室内も室外も装飾化され、色彩化されている。寧ろテーマは絵画としての色彩を光として表現したかったのだろうと思う。同時代のアメリカの画家エドワード・ホッパーの絵画はどうか。室内画に限らず、風景画も多く残している。光が差している様子が描かれている印象が強いホッパー。光が壁に当たっていたり、家全体に当たっていたり。その光と対照的に描かれる日常の孤独をまとった人々。外を眺めて居たり、一人佇んでいたり。ホッパーの絵画を見ていると、自身の孤独が癒されるようだ。ホッパーの室内画の室外の描き方も独特である。室内と反対にどこまでも広がる自然。そして人々に平等に降り注ぐ光は、影としての人の内面を静かに見守っている。

 

       

 

今までは主に絵画と光を室内画などの具象画で見てきたが、アメリカの抽象画ではどうであろうか。正方形の矩形をテーマとしてきたアグネス・マーティン。グリッドと呼ばれる格子やストライプを繰り返す絵画は定規を使って静かに描かれる。薄く溶かれたアクリル絵の具と静かに引いた鉛筆の線を使った柔らかな光を思わせる作品。その光は外からの光というよりは、人の内にある光といった印象である。マチスの色彩を光と解釈したことをもう一歩進めた感覚がある。そこには穏やかさが希求されている。絵画を描く画家の心が作品となったと言える。次にエルズワース・ケリー。ケリーの絵画は窓の作品から始まっている。その窓の作品は室内からの窓というよりも外から見た窓そのものを表しているようだ。ケリーの作品も色彩を光と解釈している印象がある。絵画の形は幾何学的でもテーマは自然に根差している。ケリーの光はマーティンの光と違って外光を表す。また、ケリーのモチーフはその作品の輪郭線にある。幾何学的な平面の輪郭線が隣り合う色面との間に光を作り出す。時にはその単色の平面の輪郭線は展示空間の白い壁と隣り合い、展示空間が絵画となっていく。

 

    

 

ここまで幾つか絵画と光の関係を見て来た。絵画と光の関係は一様では無く、様々な解釈が画家によってなされていることが分かった。私は書くことの実験として、絵画と光をテーマとして書くことの社会性はどこにあるのか考えながら書こうとした。しかしというか、絵画と光をテーマとすることに社会性があることに気が付いた。絵画と光をテーマとすることは絵画とは何かということと、向き合うことであり、そこに見えない社会性が生まれるのではないだろうか。

「触ってみよう!ワークショップ」 -芸術の社会性について- 

     

 

先日職場の福祉施設で、私が企画した地域対象のアートワークショップを行った。テーマは柔らかい紙粘土を使った感触遊びをベースにしながら自由に制作するというもの。自主性に任せて、成果を問わないというのもワークショップ概要で事前に伝えた。材料は硬さの違う色付きの紙粘土。フワフワしたものや、伸びる紙粘土など感触に訴える材料を揃えた。参加者は成人の重度重複障害の方や、3歳から10歳くらいまでの子供。事前にチラシや、SNSを使って広報し参加を募った。施設としてはアートを介した地域対象のワークショップは初めてで、私も人脈が無いので当日まで誰が来るのか分からなかった。始まってみれば、保護者の家族も交えて賑やかな会場となり、参加者も10人と盛況だった。

先ず参加者に紙粘土を触って貰うことから始めた。マシュマロのような感触や、しっとりした感触、どこまでも伸びるものなど素材の面白さに興味を引く様子があった。参加者の障害の重い重度重複障害の方たちは、柔らかい紙粘土は僅かな力で形が変わり自分の興味関心が形になっていくことに引き付けられていた。また様々な色付き紙粘土は、赤や青や緑など参加者一人一人が感情移入しやすいと考えた。

始まって直ぐに緑色の紙粘土を両手で、もみくちゃにしている参加者を目にした。私では想像も付かない状況に嬉しくなった。粘土板も用意せず、机の上で直接作業してもらった。その方がスケールや枠を気にせず好きに出来ると考えた。机が汚れても後で簡単に落とせるとも思った。そうした思惑が上手く伝わったのか、参加者は思い思いの制作に没頭していた。特に制作に対してアドバイスもせず、「すごいね」「いいね」と声をかける程度にした。驚いたのは様々なバックグラウンド(障害のある無し、年齢の違いなど)を持った参加者(地元ということを除けば)であるのに、紙粘土制作を通した熱量というか、和やかな雰囲気も含めて不思議な自由空間が生まれていた。見たことも感じたこともない空間だった。今思えば何か統率するような力が働かない、ゆるい繋がりのようなものがそこに生まれていたのだろうか。途中、参加者たちから新たな制作道具などリクエストがあったが、そうした自らの発想もワークショップのテーマとして大切にした。また、障害の重い重度重複障害の方たちにとって僅かな力で形の変わる体験は、当事者のみならず周りも交えたコミュニケーションへと繋がったようだった。伸びる紙粘土をジッと見ていた重度重複障害の方は、見学者の方と片方ずつ紙粘土を持ってビヨーンとどこまでも粘土を伸ばしながらその繋がりを楽しんでいるようだった。

1時間ほどして徐々に仕上がって来た人も見かけたので、一旦話を聞いてもらうことにした。まだ出来ていない人もいたが、制作を続けてもいいと声を掛けた。一人一人名前を聞きながら作品タイトルを聞いた。もちろんタイトルなど無くてもいいのだが、一応聞いてみた。反応は様々で、アニメのキャラクターを一心に作っている人もいれば、森を作ったと言ってウサギや、指輪など自分の好きなものを作る人、おにぎりだと言いながら、ひたすらワークショップ中粘土を捏ねていた人、伸びる紙粘土をジッと見ていた人、丁寧に桜の花びらを一枚一枚作る人、またタイトルを聞くと「分からない」と言って私がこれはイルカかなと言うと「違う」とだけ言う人。皆さんの心がそのまま出ていて良いワークショップとなった。付き添った家族も家庭で紙粘土を使って遊ぶことは無かったので、是非今度試してみたいと自身も紙粘土を細長くして遊んでいた人がいた。身近にあるそうした、ちょっとした遊びは親子や兄弟の関係を緩くするのかもしれない。今回の地域を対象としたアートワークショップは、社会的にカテゴライズされがちな個人と個人を緩く繋げる役目を果たしたとも言えるのかもしれない。

ストリートアートとは何か ―芸術の社会性について-

 

 

 

前回建築と絵画について書いた。ぼんやり壁のことを考えていたら、壁画から落書きへとイメージが進んだ。落書きと言えば、90年代自分がニューヨークへ遊学した時は既に落書き(グラフィティ)は芸術と認識された後で治安も回復していた。ストリート文化も成りを潜め、綺麗な澄ました町へと変わっていた。もちろん一部では銃声が聞こえていたりもしたが。時代的には80年代から90年代で、若者文化が社会を変えた、あるいは変えようとした。

今自分の頭の中には、バンクシーバスキアとキースへリングとニューヨークの落書きがある。4者を並べて見比べて何が見えて来るのだろう。一つはその社会性だろう。社会にむき出しになっている壁に対して何らかのメッセージが見える。落書きは犯罪だが、その潜在的な心理は人の無意識を反映したものだ。芸術は良くも悪くも真実を求める。芸術は安全な場所で行われる危険なことであると、環境音楽家のブライアン・イーノが語ったと記憶している。

 

外壁は社会に開かれている。誰もが見る可能性がある。その社会性が彼らを表現へと向かわせるのだろう。改めて一人一人の作品を見ていく。先ずジャン・ミシェル・バスキア。画像でしか確認出来ないが、80年代当時は壁への落書きやTシャツ、アートポストカードなどを制作しながらアンディ・ウォホールに才能を認められて現代アーティストとしてキャンバス絵画を多数残す。黒人としてのアイデンティティを表現しながら、解剖図に影響されて制作したドローイング(線描)技法は普遍的な人類への希求を感じる。大きなキャンバスにフラットに描かれた文字や絵は全てが平等に存在することを表現しているかのようである。

次にキース・へリングバスキアと同じくアメリカ人で80年代に活躍した。バスキアよりも日本では早く紹介されて人気があった。作品を見ていくと、特定できない誰か(人間)が何かを訴えている。イラストタッチな同じ太さの線描で描かれた数々の人間や犬は、我々の身近な何かであり、苦しみ、楽しむ日常である。バスキアにしてもキースへリングにしても、メッセージが普遍性を意識したものであることが印象に残る。アートというと、個性を発揮した唯一無二のものと思いがちだ。もちろん、バスキアやキースへリングのオリジナリティを批判したいわけではない。「落書き性」とも言える一見自己顕示に見える表現が普遍性を内包している可能性を考えてみたいと言っているのである。また同時代のグラフィティ(落書き)アート。地下鉄の落書きは犯罪の温床ともなった。80年代のニューヨークは治安も悪かったが、様々なストリート文化が生まれた時代でもあった。音楽ではストリートからヒップホップが生まれ、美術ではロバート・メイプルソープの写真による性の解放など自分たちの身の回りを表現した時代でもあった。

 



そして現代。バンクシー。既に有名な社会派の覆面アーティストだが、作家本人は90年代から活躍したマッシブアタックという音楽グループの一人であるとイギリスでは報道されている。バンクシーの作品は最も壁を意識した作品でもある。ステンシル技法で、陰影を駆使してドラマチックに社会風刺画を制作。素性を明かさず社会風刺を重ねる制作スタンスは、やはりオリジナリティの表現ではない社会性がグラフィティ(落書き)アートを示していると思われる。私は落書きを推奨している訳ではない。教会の壁画から落書きへとイメージが進みながら、80年代以降のグラフィティアートやストリートアートが持つ社会性を今一度考えて見たかったのである。

建築と絵画 -芸術の社会性について-

                  

先日、自宅の日本間に自身の絵画作品を飾った。その時、絵画の外側である本来壁と認識されるはずの壁が消えてしまったように見えた。畳に正座しながら辺りを見回して、日本間にある空間の一体性に改めて驚いた。隣にある洋間にいつも絵画作品を飾っているのだが、壁の見え方の違いに建築文化の違いを感じることとなった。日本間では、洋間のような壁概念は無い。床と壁と天井は一体化した一つの空間であり、かつ外の景色とも繋がっていく。洋間は壁、床、天井それぞれに独立した概念であり、また窓は外界を覗く穴である。それは、洋間にあるフローリング床と日本間の畳の違いにも表れている。畳は家具の一部だとの認識はあったが、壁との関係や空間として人がどう住まうのかについては漠然とした感覚しかなかった。

現代の日本は近代化され、西洋化し、自動車を乗り回し...変わったと思っているのだが、無意識レベルの文化は変わっていないに違いない。それは生き方だったり、考え方にも表れる。私は美術を考える、あるいは制作する時襖絵や屏風絵、掛け軸の飾られ方や鑑賞のされ方がいつも頭にある。建具の一部として存在するそれらの美術品は常に空間的である。一方でヨーロッパの美術は壁画として生まれ、キャンバスが支持体となった今も未だに壁画であろうとする。明治に「油絵」として「洋画」として文化輸入された西洋美術は建築の西洋化と並行して展開して来たが、けっして壁画であろうとしたことはなかったであろう。また西洋美術史の流れの中で、キャンバス絵画を疑問視してあらゆる支持体(絵の具を載せる媒体)が試されるが壁画自体を否定することは主流としては無かった。

昨今のポストグローバル社会の中で改めて浮かび上がるローカルとグローバルの問題。インターネット社会が生み出す、グローバル空間とローカル空間の中でこの問題を考えてみる。何故自分が日本間に飾った自身の絵画作品の飾られ方の変化に気が付いたかと言えば、インスタグラムをやっていたからだった。インスタグラムに載せる作品画像を撮って投稿を重ねている内に、ヨーロッパの作家たちが自身のアトリエやリビングに飾る作品画像を多く見るにつけ自身の感覚と違うことに気が付いた。その違和感を確認するために日本間に絵画作品を飾って、正座しながら作品を眺めた時に気が付いたのである。

 

話を建築と絵画という概念に沿って考えた時、参考として考えるのはヨーロッパ文化だと修道院の壁画や天井画である。また日本文化だと寺院に飾られる襖絵や屏風絵である。いずれも宗教建築である。そうした建築は非日常的な場所であり、所謂住まいでは無い。しかし、その土地で暮らす人々の生き方が象徴された空間である。ヨーロッパで生まれたモダニズムは宗教を否定し、理想的な個人概念を目指してきた。日本文化や他の非ヨーロッパ文化もモダニズムに追従した。しかし、その理想的な個人概念が肥大した自我にとって代わることに気付いたヨーロッパ文化は人々の多様性に舵を切ることとなる。ここで私の頭にあるのは、過去の文化に復古的になることではない。現代の複雑に絡み合った多様な社会に沿った建築と絵画の関係を考えてみたかったのである。

それには足元の自身の暮らしから始めるよりは無い。空論で比較文化を論じても現代には通用しない。私は自身の感覚から、洋間で主に日中暮らす自分と床で寝る日本間を行き来しながら壁とは何か、床とは何か、そこから美術や芸術を考えてみたかったのである。

絵画と写真の違い ―芸術の社会性について-

 

 


ある画廊で、絵画と写真の違いの話になった。自分も漠然とは両者の違いについて考えていたものの、確信のある言葉になってはいなかったので考えてみようと思う。歴史的には肖像画など絵画が社会に対して担っていた仕事を写真が代わって行うようになった事実がある。そうした人の営みの記録としての側面は共通した役割があった。絵画は写真の登場により、中産階級が自宅に飾る田園などの風景画を制作するようになる。そこに近代絵画としての印象派が始まっていく。写真も芸術の手段となっていき、マン・レイ(1890-1976)などの登場により芸術に特化した個人の表現手段になる。

 

    


               

私の狭い見識の中で知っている写真家の写真、画家の絵画を比べながら、少しでも絵画と写真の本質を探っていきたい。写真から考えていく。先ずはエドワード・マイブリッジ(1830-1904)。馬が走る連続写真が有名だ。馬が走っている時、前後の足が地面から離れているのは肉眼では見えないが、写真では捉えることが出来た。その他にも様々な動きの写真を残している。次はアルフレッド・スティーグリッツ(1864-1946)。ドキュメントとしての側面よりもより芸術性の高い、より絵画的な写真が初期の作品であった。また画家ジョージア・オキーフの肖像を沢山残したが、記録としての側面よりも主観的に対象物と向き合う写真の可能性をそこで示した。モホリ=ナギ(1895-1946)は画家であったが写真家と結婚することで、フォトグラムなどカメラを使わない感光紙で制作する実験的な作品に取り組み、ロシア構成主義に端を発したような空間の入り組んだ迷路のような不思議な写真がある。ナギの写真を見ていると、絵画と写真の区別が付かなくなってくるのが分かる。

 

          

 

またアウグスト・ザンダー(1876-1964)はドイツの様々な階級や民族、職業の人たちの肖像をありのままに写し取るプロジェクトに生涯取り組んだ。これは、金銭と引き換えの職業的な肖像写真では出来ない、奇跡のような記録である。アンリ・カルティエ・ブレッソン(1908-2004)は決定的瞬間と呼ばれる、主に人物の動きを捉えた「その時」を写真として納めている。これはカメラのシャッターを押す瞬間があるからこそ出来る表現でもある。絵画は、描くという時間があるため制作速度という点で二者は大きく違う。ここまで書いてきて、写真には記録という社会的な客観的側面がある一方で、写真家の主観が作り出す造形美があると思われる。これは建築などでも言われる機能主義と造形主義の関係に近い。

 

    

 


次に絵画について考えていく。写真が普及した近代から出発しよう。そこから絵画と写真はお互いを気にしていくからだ。上述したように印象派から始まる近代絵画は風景画の登場により肖像画の権威性ではなく、画家個人の主観の表現に代わっていく。そこでは主題の具象性と画家の主観が作り出す抽象性が絡み合っていく。近代絵画の父と呼ばれたポール・セザンヌ(1839-1906)は肖像や風景、静物といった伝統的な主題を描いたが、肖像画では人格描写を行わずに人形のように描いていると非難を浴びた。人も自然もあるがままに在るという哲学的な姿勢は当時受け入れられなかった。セザンヌの影響から始まったキュビズム創設者であるパブロ・ピカソ(1881-1973)は生涯具象絵画から離れなかった。抽象絵画は、彼にとって絵画のテーマを一つ省略していることだと語っていた。キュビズムは様々な芸術家に影響を与えた。ピエト・モンドリアン(1872-1944)もその一人で、初期は自然の風景を主に描いていたが次第に画題の抽象化が進み、色彩と線だけの抽象絵画に生涯取り組んでいく。その後絵画はミヒャエル・ボレマンス(1963-)のように一旦具象性を取り戻しているが、画家の想像性が主眼であるなど目の前の世界を描く従来の具象画とは大きく異なっている。

 

 

ここまで書いてきて、絵画と写真という芸術の社会性を考えた時思い浮かぶのは画家や写真家の主観と作品を見る側の客観の問題がある。図像としての記号性、何が撮られているか、何が描かれているかという作品を見る側の問題、表現者として主観をどう表現するのかの問題が写真と絵画両方にまたがっている。しかし現実の世界を撮る写真と、支持体に画家のフィクションを構成していく絵画はやはり出発点が違う。細密な肖像画であってもそれは画家の手と目によるものだ。以前、写真家の眼差しと画家の眼差しを比べたが、写真家の眼差しはカメラのレンズのように世界を見ようとしている。画家の眼差しは身体の内側から世界を覗いている。結局あまりすっきりした結論には至らないようである。また考えていきたい。

ロバート・ブリアの動く芸術 -芸術の社会性について-

 

三年に一度行われた芸術祭、あいちトリエンナーレ(現在のあいち2022)は、展示を中止に追い込まれた「表現の不自由展」において日本の芸術の社会性の脆弱さを露呈した。天皇を扱った作品にせよ、従軍慰安婦をテーマにした作品にせよ。美術の展覧会に来訪する方に「どう思うか」という社会的な問いを発することが芸術であることを政治的に否定された歴史的な展覧会であった。今回取り上げる「あいち2022」で出品されたロバート・ブリアの「Floats」は1970年大阪万博で発表されたFRP製のオブジェが極遅いスピードで動くという作品(底に車輪の付いた、気が付かないくらい遅く動くモーターで動くもの)。動かないはずの彫刻が、気付かない内に移動していて、今回のあいち2022では美術館の監視員に来客者がブリア作品の動きについて質問しているらしい。

     

ロバート・ブリア(以下ブリア)はアメリカに生まれ、パリで画家として活動しながら実験的なアニメーションを制作する。理由は、絵画の中に動きを求める内の制作だったようである。実際のアニメーションは物語性が若干あるものの幾何学性が強く「動きそのもの」を表現したものが多かったようだ。彼のアニメーション制作の中で「Eye Wash」という作品がある。アニメーションのコラージュとも言える作風は、我々の生活の中で見えないが存在している断片の連続を表現しているようで、興味深かった。

歴史的に芸術の形式は、彫刻、絵画、映画、演劇など様々だ。形式特有の独自性もあれば、お互いの中にある連続性もある。彫刻と絵画、絵画と映画、彫刻と演劇など、芸術家はそうした形式としての芸術の中に個人のクロスオーバーな内面を矛盾しながらも表現している。しかし、ブリアのようにあからさまに絵画とアニメーションと彫刻を併置しながら活動をしているとある種の社会性を感じてしまう。今回取り上げるきっかけとなった「動く塊」とブリア自身が呼んだ「Floats」はそうした意味で興味深い。

ブリアが求めた芸術の中にある「動き」とは一体何を示しているのだろうか。ブリアが尊敬した芸術家にジャン・ティンゲリーがいる。キネティックアート(動く彫刻)と呼ばれた、ジャンク的なオブジェが不穏な動きをしながら愉快に動き続ける環境的彫刻。ティンゲリーは予定調和な動かない彫刻や絵画よりも環境的な動く彫刻や絵画を目指した。一つ一つの絵画や彫刻はそれ自体で存在しているが、ブリアが求めた芸術形式を越境するような作品を並べて見ていると、そもそも芸術自体が「あいだ」的な存在であることに改めて気づかされてしまう。

あいち2022では、ゆるキャラのような曖昧なオブジェ「floats」が気付かないくらいのスピードで少しずつ展示空間を行ったり来たりしている。これは静止していると思い込んでいる我々の生活空間が、実は僅かずつ動いているのと似ている。飛躍するようだが、我々は今日より良い明日を求めている。今日と明日が少しでも変わっているよう願って毎日生きている。それは別の言い方をすれば、何かが少しずつでも「動いている」現象でもある。ロバート・ブリアが求めた「芸術的な動き」とは、そうした「生きている」こと自体から生まれるある必然性なのかもしれない。動きに関して言えば、ブリアの父親は自動車メーカーのクライスラーのエンジニアであったらしい。そうしたブリアの生い立ちに起因する「芸術とエンジニアリング」を合成したようなブリアの動く造形はある種「社会の動くカタチ」を表しているのかもしれない。