yu-yu-の『まぁ、そんなかんじでやっちゃって〜』

2017-05-13 ご無沙汰の言い訳…

yu-yu-72017-05-13

16:12

皆様、長過ぎる音信不通で不義理を働いてしまい、本当に申し訳ございません(>人<;)


また連絡します!と行っておきながらご連絡を差し上げる事が出来なかった皆様、近々会おう!と連絡を下さっていた皆様、そろそろblogアップしてみたら?と言ってくださっていた方々…

ろくな説明も差し上げなかった事、お許し下さい(>人<;)


由木、子育てにも漸く慣れてきていた矢先…

韓流ドラマバリの出来事が起こり、心が瀕死の状態でした…


簡単にはなってしまいますが、近況をご連絡させて頂こうと思います。

長〜い言い訳にどうぞお付き合い下さい…



事の始まりは、我が家のドン、愛すべきゴッドファーザーが、一昨年の冬に脳出血を患った事でした。

不幸中の幸いで、命や、身体的機能には問題がなかったのですが、高次脳機能障害というきき慣れない障害が残ることとなりました。

お見舞いに駆け付けた時の父の印象は、少しやつれてはいたものの足取りもしっかりして、元気そうに見えたので

あぁ、良かった。大丈夫だ。とホッと胸を撫で下ろしたものです。

医師とのカンファレンスにも出席させて頂き、父の無事も確認できたので、後のことは一先ず兄と母に任せ、早々に息子を残してきた東京に戻りました。

それから僅か3ヶ月後、父も退院して通いのリハビリ生活を始めた頃、今度は母が体調を崩しました。

看護疲れが出たのかな?と思って病院に行ったそうですが、そこでまさかの診断を受ける事になったのです。


基本両親は、遠くにいる子供達を心配させまいと、よっぽどの事がない限り、兄や私に心配事を打ち明ける事はなく、手術などを伴う病気を患っても2人で乗り越えて来ていました。

父の脳出血でさえも、最初母は隠そうとしたほどです。(たまたま兄が珍しく母に連絡をしたところ、異変を嗅ぎ取り問い詰めたら、集中治療室の外で父を待っている状態だったようです。)


そんな母が、今の状態だと迷惑をかける事は目に見えてるから…ごめんね…と申し訳無さそうに切り出した日の事が忘れられません。


近所の病院で診断を受けた母に下された病名は、癌でした。

それも、かなり進行した…

精密検査の結果はその時点ではまだ出ていなかったのですが、医師の深刻な状態から母も状況を察知し、持病と障害を患う父との現状を説明し、医師からのアドバイスを仰いだようです。

日常生活が自分の力でままならい父を残して入院する事など出来るわけもなく、どうする事も出来ず私を頼ってくれたのです。


報せを受け、とるものもとりあえず、湊人を抱えて帰郷、母の治療方針を決めるべく大きな病院で精密検査を受ける事になりました。


まだ細かい結果は出ていないのだから!という希望も儚く、

母の癌は、遠隔転移が多く認められるステージ4、所謂末期癌で、転移の箇所が多すぎて原発巣を定める事が難しい程の状態だと、医師から説明を受けました。

その病院はおろか、近隣の大病院でも手術は難しいとの事で緩和ケアを薦められました…


父のリハビリは数年単位で捉えるもの。

これから暖かくなってきたら2人で身体を動かしたり、父さんの興味のある事を一緒に始めて回復に向け頑張っていくからね!

と思いを強く語ってくれていた母。

また、その頃の私は激戦区の中、念願の保育園も決まり、仕事復帰に向け第一歩を踏み出そうとしていた矢先でした。


そんな細やかな希望を胸に前を向いていた私達にとって、それは到底受け入れ難い事実でした。


母は気丈な人で、自分の病状よりも、父のこと、兄や私達の生活ばかりを気にしていました。

そんな母に、緩和ケアの道しか無いなんて!

そんなこと有るわけない!

兄と主人と、無い知識をフルに使って兎に角がむしゃらに情報を漁りました。

調べながらどれだけ絶望的な情報が見え隠れしても、諦めず、且つ迅速に、母の病院と父の持病の治療をしてくれる病院、また両親と東京生活する為の新居を探し、

報せを受けて僅か2週間で島根から新居で新しい生活を始めました。



そこからの半年は思い出したくも無い程辛く厳しい毎日でした。

でも、そんな中でも頑張れたのは、

何とか受け入れて頂けた母の病院に、この医師に執刀して頂けたら!!と願っていた医師が所属していただけでなく、

正にその医師に執刀して頂けたという奇跡を与えられた事と、

辛い治療を父の為に堪える母の姿、その母の快復を信じて、不安な毎日に耐える父の姿を目の当たりにしていたからでした。



幸運なことに皆の頑張りが実り、母の治療は順調に進みました。無事退院をして通いの抗ガン剤治療が始まり、新しい生活のリズムが整い始めたのですが…


さらなる不幸が由木家を襲うことになるのです…




時はオリンピックで町中が盛り上がる夏の終わり。

私達家族の全ての支えとなっていた父が、突然、虹の橋を渡って遠く遠くへ行ってしまいました…


半年以上が過ぎた今も、私は事実を受け止められず、また島根の実家に帰ったら、父が笑顔で空港に迎えに来てくれるのではないか…と思ってしまいます。


父の亡き後、これまでの疲れが一気に出たのか、胃腸炎、肺炎、胃腸炎と、体調不良を繰り返し、その間母も息子も同時に体調を崩し、本当にボロボロでした…



そんなこんなで身体も心も全く余裕のない日々でしたが、奇跡的に母の病状は回復し、現在も頑張って治療を受けています。

病気が分かった時は、緩和ケアで、長くても4ヶ月くらいかもしれない…と言われていた母が、今年も桜が見れた。と喜んでくれました。

ここ数ヶ月は抗がん剤の種類と数が変わり、みるみる体力をつけつつあるように見えます。

越してきた時はとても不安定で心配していた湊人も、新しい生活に慣れ、元気に3歳を迎える事ができました。



長々と重く苦しい言い訳を聞いて頂き有難うございます。


お陰様で由木も漸く余裕が出て、お仕事も復帰させて頂いております!


音信普通にも関わらず、心のこもったご連絡や御年賀などを下さった皆様、また、突然無人となった実家が荒れないようにと庭や家をこまめに綺麗にしてくださってるご近所の方々…

皆様のお心にとても助けられました。本当に本当に有難うございます。


皆様とは、また笑ってお会い出来る日を楽しみにしております!

やまやま 2017/05/19 17:19 お久しぶりです。
なんとお声がけすればいいのかわかりませんが
大変な状況にいらっしゃったことが伝わってきます。
いずれ健やかな生活を送れるようになることを
お祈りいたします。

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