判例と傍論

 「傍論に法的効力はない。」「だから傍論は裁判官の個人的な感想に過ぎない。」「傍論に意味などない。」
 ネットでよく目にする言説です。
 判例とは判決の結論を導くうえで意味のある法的理由づけのことであり、判決文中これと関係ない部分のことを傍論と呼ぶようです*1。傍論とは「その事件の論点についての判断でない説示」のことだとも言われるようです*2
 この判例と傍論の関係については詳細な解説がされているブログ記事がこちらにあります。↓

『日々拙考』
判例と傍論について」
http://d.hatena.ne.jp/nns342/20100104/p1

 このブログ記事で述べられているように、「傍論には法的拘束力はない」という主張それ自体は正しいですが、「判例には法的拘束力はあるが、傍論には法的拘束力はない」という意味で「傍論には法的拘束力はない」と言っているとすれば正しい理解ではないと思われます。
 詳細は上記の日々拙考さんのブログに譲りますが、結論として言えば「日本においては判例にも傍論にも法的拘束力はない。しかし判例には事実上の拘束力があり、傍論にも判例ほどの拘束力はないかも知れないが、それでも強い影響力を持つので無視できない」となるでしょうか。
 私個人の見方をもうちょっと噛み砕いて述べると、判例については

「日本においては下級裁判所は裁判をするにあたって最高裁判所判例に無条件に従うべきことは法的には要求されていない。しかし仮に下級裁判所最高裁判所と異なる判断を行ったとしても(最高裁判所自身が判例変更を行わない限り)結局は最高裁判所によって覆されるのだから、その意味で最高裁判所判例は事実上強い拘束力を持つ。」

となりましょうか。
 傍論については

「傍論は当該事案の解決に直接必要のない法的判断であるものの、『今後これについてはこう判断しますよ』と最高裁判所が示したものと解され、従って仮に下級裁判所がそれとは異なる判断を行ったとしても結局は最高裁判所によって覆されることになる蓋然性が極めて高いと言える。その意味で傍論には決して無視できない影響力があり、結局のところ最高裁判所の判決中の傍論部分も判例だと受け止めても構わない。」

ということでしょうか。
 これらは私個人の理解ですので、もしかしたら間違っているかも知れません。(もし間違いがありましたら、ご指摘いただけると幸いです。)

 さて、この傍論について日々拙考さんのブログでも紹介されているように元最高裁判所調査官の中野次雄氏は次のように述べています。

 判決・決定の中でどれが判例でどれが傍論なのかについて問題があることはすでに述べたが…、その点につきいずれの立場をとるにせよ、傍論というものが存在することはたしかである。それは、その裁判理由をより理解させ、その説得力を強めるために書かれるのが通例で、いうまでもなく判例のような拘束力を持たないが、将来の判例を予測する資料としては意味をもつ場合があることに注意する必要がある。
 傍論といえども大法廷または小法廷の裁判官の全員一致もしくは多数の意見として表示されたものである。そして、それは将来他の事件を裁判する際にはそれ自体判例となるか少なくとも判例を生み出すものを含んでいることが少なくない。それには、判例のようなあとで変更されないという制度的保障はないが、その意見に加わった裁判官がその見解を変えることは少ないだろうと考えると、それもまたその程度において 将来の判例を予測する材料だということができよう…。その意味で、傍論にも1つのはたらきが認められるのである。
(中野次雄編『判例とその読み方〔3訂版〕』(有斐閣、2009年)97頁)

 ここで中野次雄氏が述べられている、傍論が将来の判例を予測する資料になりうることの具体例を見てみたいと思います。
 紹介するのは民法判例ですが抵当権に基づく不法占拠者に対する明渡請求についての最高裁の1999年(平成11年)判決*3です。
 事案は次のようなものです。

「XはAに対する貸付債権を担保するため、A所有の甲不動産に抵当権の設定を受けた。その後、Yが甲不動産を権限なく占有をはじめた。Aが債務の弁済を怠ったためXは抵当権を実行した。ところが、Yが甲不動産を占有しているため買受希望者が現れず競売手続の進行が阻害されるに至った。そこでXは、AのYに対する妨害排除請求権を代位行使して、Yに対して甲不動産を明渡すよう求めた。」

 それまで最高裁は、抵当権は目的不動産の使用収益を設定者に委ねておいて交換価値から優先弁済を受ける権利であるという性質を有するから、およそ占有関係に干渉できないとして、上記のような請求は認められないとの立場でした*4
 ところが、最高裁は大法廷を開き、判例変更しました。それが1999年(平成11年)判決なのです。
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120952775324.pdf

三者抵当不動産を不法占有することにより、競売手続の進行が害され適正な価額よりも売却価額が下落するおそれがあるなど、抵当不動産の交換価値の実現が妨げられ抵当権者の優先弁済請求権の行使が困難となるような状態があるときは、これを抵当権に対する侵害と評価することを妨げるものではない。そして、抵当不動産の所有者は、抵当権に対する侵害が生じないよう抵当不動産を適切に維持管理することが予定されているものということができる。したがって、右状態があるときは、抵当権の効力として、抵当権者は、抵当不動産の所有者に対し、その有する権利を適切に行使するなどして右状態を是正し抵当不動産を適切に維持又は保存するよう求める請求権を有するというべきである。そうすると、抵当権者は、右請求権を保全する必要があるときは、民法四二三条の法意に従い、所有者の不法占有者に対する妨害排除請求権を代位行使することができると解するのが相当である。

 ところで、この判決は次のようにもあります。

なお、第三者抵当不動産を不法占有することにより抵当不動産の交換価値の実現が妨げられ抵当権者の優先弁済請求権の行使が困難となるような状態があるときは、抵当権に基づく妨害排除請求として、抵当権者が右状態の排除を求めることも許されるものというべきである。

 この「なお」以下はこの事件の論点(所有者の不法占有者に対する妨害排除請求権を抵当権者が代位行使することは許されるか)についての判断でない説示なのですから傍論です。本件事案は抵当権者Xが代位請求だけを主張したものであったため代位請求の可否だけを判断しても良かったはずなのに、最高裁は傍論において抵当権に基づく物権的請求権(妨害排除請求権)の行使も認められると述べたわけです。
 そして、その6年後の2005年に最高裁は(1999年大法廷判決の事案とは異なり適法な賃貸借の事例で)

抵当権設定登記後に抵当不動産の所有者から占有権原の設定を受けてこれを占有する者についても,その占有権原の設定に抵当権の実行としての競売手続を妨害する目的が認められ,その占有により抵当不動産の交換価値の実現が妨げられて抵当権者の優先弁済請求権の行使が困難となるような状態があるときは,抵当権者は,当該占有者に対し,抵当権に基づく妨害排除請求として,上記状態の排除を求めることができるものというべきである。なぜなら,抵当不動産の所有者は,抵当不動産を使用又は収益するに当たり,抵当不動産を適切に維持管理することが予定されており,抵当権の実行としての競売手続を妨害するような占有権原を設定することは許されないからである。
 また,抵当権に基づく妨害排除請求権の行使に当たり,抵当不動産の所有者において抵当権に対する侵害が生じないように抵当不動産を適切に維持管理することが期待できない場合には,抵当権者は,占有者に対し,直接自己への抵当不動産の明渡しを求めることができるものというべきである。

と述べて、抵当権に基づく物権的請求権(妨害排除請求権)の行使を正面から認めました*5
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/js_20100319120711586365.pdf

 これが傍論の持つ将来の判例の予測機能というものでしょうか*6

*1:芦部信喜著・高橋和之補訂『憲法〔第三版〕』(岩波書店、2002年)361頁の定義によります。

*2:中野次雄編『判例とその読み方〔3訂版〕』(有斐閣、2009年)38頁

*3:最大判平成11年11月24日民集53-8-1899

*4:最判平成3年3月22日民集45-3-268

*5:最判平成17年3月10日民集59-2-356

*6:なぜ最高裁は1999年(平成11年)の大法廷判決であえて傍論を述べたのでしょうか? 1999年(平成11年)判決は抵当権者が代位請求だけを主張したものであったため債権者代位権行使の可否を判断せざるを得なかったのでしょうが、債権者代位権だとその被保全債権はいったい何か?という問題が生じます。物上保証の場合は被担保債権というわけにはいかず、そのため奥田昌道裁判官は補足意見で「担保価値維持請求権」という概念を持ち出していますが、これには権利の内容がはっきりしていないとの批判が出てきます。「本件では代位請求に乗せるため少々無理とも言える技巧をしたが、これは物権的請求権が認められれば不要となる話だ。物権的請求権(妨害排除請求権)行使も認めるから今後はそれでやって欲しい」と最高裁は言っているような気がします。