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yuhka-unoの日記 Twitter

2011-06-13

「辛い経験は糧になる」という言葉に感じる違和感

18:17 |

他人からの励ましやアドバイス』にも少し書いたが、私は「辛い経験は糧になる」という言葉に違和感を感じる。

結局、トラウマにしかならない経験だってあるんじゃないのかと思うし、乗り越えられるかどうかは、本人の努力ももちろんあるが、運の要素もある。周りの人の助けが得られる環境かそうでないかは大きい。

「辛い経験は糧になる」という言葉が広く世間で言われているのは、基本的に、乗り越えられた人しか世間に出て来れないからなんだろう。私の中にも、乗り越えられた部分と乗り越えられていない部分があるが、乗り越えられた部分については、世間に向かって語れるけれど、乗り越えられていない部分については、なかなか世間に向かって語ることはできない。

世間から見えるのは、乗り越えた人だけ。結局トラウマにしかならなかった人は、世間からは見えないということだ。

 

それから、「辛い経験は糧になる」という言葉は、『元いじめられっ子のいじめっ子』でも書いたように、ある種の体育会系マッチョ集団の中で、「しごき」を正当化する言葉として使われるからというのもある。こともあろうに加害者が、「俺のおかげで成長できただろ?」と言うのだ。

冗談じゃない。加害者がやったことはただのいじめだ。そこを乗り越えて立ち上がったのは被害者の功績である。こともあろうに加害者は、この言説によって、厚かましくも他人の功績を横取りしようとする。加害者ばかりでなく第三者が、「その人のおかげで今のあなたがあるってことなんでしょ」などと言う。

私自身、いじめや親の抑圧などを経験して、そこから色々考えるようになって、それは今の私の重要な要素のひとつになっていることは確かだが、だからといって、いじめや親の抑圧を肯定したりはしない。

自分の人生を肯定することと、自分がされたことを肯定することとは違う。

 

それに、今まさに辛い経験の真下にあって、そこから抜け出す道筋も見えない状態にある人に、「辛い経験は糧になる」と言っても、その言葉は届かないと思う。余計に傷つけるだけで。

人は誰だって、トラウマにしかならなかった人より、乗り越えた人を見るほうが楽だ。美談に酔って感動するのは心地良い。「辛い経験は糧になる」という言葉は、時に、本当に落ち込んでいる人のその状態を拒否する言葉になる。「今のあなたの状態は、私には受け入れられない。私に美談を提供できる状態になったあなたしか受け入れられない」という本音が隠されてはいないか。

 

そう考えると、「辛い経験は糧になる」と言う言葉は、乗り越えた段階で言える言葉なのかな。基本的には、乗り越えて糧にした本人が言う言葉であって、あんまり他人が言う言葉ではないのだろう。

乗り越えられた人たちの影に、乗り越えられていない人たちがいるということ、乗り越えられたように見える人の心の奥底に、乗り越えられていない部分があるかもしれないということに、想像力を働かせる努力をする必要がある。

 

「悲惨な隣人殺しの戦争や艱難辛苦によって、現在のオシム監督が得たものが大きかったのでは?」

「確かにそういう所から影響を受けたかもしれないが……。ただ、言葉にする時は影響は受けていないと言ったほうがいいだろう。

そういうものから学べたとするならば、それが必要なものになってしまう。そういう戦争が……。」

 

(「オシムの言葉」より)

 

 

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ポジティブ神話とキレイな被災者

地の人地の人 2011/06/14 21:30 確かに「経験しなくて良いつらいこと」ってのもありますよね。
きちんと考えて行動すれば、避けて通れるものを、愚かにも「勇気」と勘違いしてしまう若い人が多い・・・

http://jw0media0download.blog.fc2.com/

z1121z1121 2011/06/15 00:18 とても難しいです。辛いとい気持ちの正体ってそもそもどこから出てくるのかわからなくなってきました。
ただ、大人自身の辛さを子どもに転化させてはいけない、虐待はしてはいけない、子どもの可能性を出来る限り広げることに邁進していけば、成長を阻む辛さは生じないと
思います。でも、自分が辛いことがあったからこそ、他の人には絶対に味わわせないようにしたいという願いもあるわけで、自分の欲望や弱者に向けるはけ口をどこかでストップする必要
が世の中には必要なのでしょうね。お酒やパチンコ、人との語らいなどが人の辛さを和らげ精神的に癒してくれることで、私たちの赤ちゃん願望を癒してくれるといいですね。

ともとも 2011/06/16 07:15 本当に、そうですね。人権がない国で
ひどい目にあうことが当然となっている現状ですね。