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yuhka-unoの日記 Twitter

2011-09-01

自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。

20:27 |

相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い』に、予想外にブックマークが沢山ついた。で、

id:ekirei-9

理屈はわかるけど具体例がほしい

という意見を頂いたし、ちょうど書きそびれたなと思っていたこともあったので、続きを書こうと思う。

 

母は、家に人が来るとなると、家の中を完璧に片付けていた。私の担任になった先生は、大抵誰でも「yuhka-unoさんの家は綺麗だね」と言ったものだし、その中の一人は、「yuhka-unoさんの家は、生活感がない感じやね」と言った。

学校の先生が来る時に家の中を綺麗にするのは当然として、母は消防署の人が火災報知器の点検に来る時や、電気屋の人が家電を修理しに来る時でさえそうだった。

母が留守で、私が火災報知器の点検に立ち会うことがあった日、私は布団を押入れに仕舞わず、畳んで部屋の角に置いておいた。火災報知器は、押入れの中にも設置されているからだ。押入れに布団が入った状態では点検がやりにくいと考えた。だが、帰ってきた母は、布団を出しっ放しにした状態で消防署の人を部屋に入れたことについて、気に入らなかった様子だった。

 

宅配便が来たとき、私がすぐ行って玄関のドアを開けると、母に怒られた。玄関に出ている靴をきちんと揃えてから出るように、と。だが、宅配業者の配達員が、玄関の靴が散らかっているかどうかを、そんなに気にするだろうか。私が配達員なら、靴を揃えるよりすぐに出てくれるほうが有難いと思うのだが。他所の家の玄関の見た目より、外が暑かったり寒かったり雨だったり、荷物が重かったりするほうが、配達員にとっては重要な問題だと思うのだが。

 

引越し祝に、母方の祖母と伯母が新居に来ることになった。母は相変わらず家の中を完璧に掃除し、いつもより豪華な昼食を作った。昼食の内容は、ニシン丼と、3〜4種類ほどおかずがあった。

昼食の用意をする際、私は全員分のご飯を盛ってニシンを載せた。私は、他におかずが沢山あるのだからと、ニシン丼の量をいつもより少なめにした。

母は食べる段階になって、「ニシン丼の量少ないやん。もう、この子自分が食べる量で考えてるんやからー。もっとご飯入れたるわ。少ないやろ?」と言いながら、祖母と伯母のニシン丼に手を伸ばした。祖母と伯母は首を横に降って、「もうこれで十分やで」と言った。実際、二人はニシン丼のおかわりはしなかった。

母は、二人が帰ったあとも、ニシン丼の量について「あんたなぁ、いっつも自分の食べる量で考えるやろ、あれは少ないで」と言っていた。私は、他人の家でご馳走になる場合、最初から多めに盛られて残してしまうより、残さず食べられる量を盛られておかわりをお願いするほうが、心理的負担は少ないんじゃないのかと反論した。

 

お隣さんが「足を悪くして自治会の集会に行くのがしんどいのよね」と行ったところ、母は代わりに『私が』行くことを引き受けた。その話し合いの場に私はおらず、その取り決めの間、私に何の連絡もなし。別に代わりに集会に行くこと自体が嫌なのではない。私の行動を決めるのに、全く私の意思が入っていないことが嫌だった。母は、まるでお隣さんに親切に自分の「モノ」を貸し出しているような感覚なのだろうか、と思った。

ちなみに、そのお隣さんが『他人に対して気を遣って丁寧に接する母と、それができない私の話』で書いた、「お母さんよりあなたのほうが話しやすいわね。あなたのお母さん気を遣う人だから…」と言った人である。

 

その他にも、母の前で目上の人と話したときは、後から言葉遣いや言った内容について細かく注意されたり、親戚の集まりなどの場で気を配ることなど、様々あるものの、わかりやすい具体例はだいたい上記の通りだ。尚、来客がある時に家を片付ける作業は、私が小さい頃はもちろん母がやっていたが、私が成長するにつれ、その作業の大部分を私がやることになっていった。

母は、家の外の人に対しては親切に振舞ったが、私に対しては親切とは言えなかった。他人の評価目線から身を守るための「鎧」として気を遣っていた母にとって、家の中ではその「鎧」を着る必要はなかったのだ。他人と母とでは、他人が母を評価するという関係だが、母と子供とでは、母が子供を評価するという関係なのだから。

他人に対して気を遣ってしまうと言えば聞こえは良いが、そういう人は、自分がほぼ完全に支配下に置いておける人間に対しては、逆にほとんど気を遣わず、まるで自分に属する「モノ」のように、他人から良く思われるための道具にしてしまうという暗黒面があると思う。

 

母は上記のことを「普通」「常識」「皆こうしている」と言っていた。理想が高い人は、自分は理想が高い人なのだという自覚がない。私もまた、母の理想が普通の人と比べて高いことにはっきりと気がついたのは、成人してからだった。

私は元来マイペースな人間だ。幼稚園の頃、参観日に親が来ると、教室で私の姿だけが見えない。先生に尋ねると、私は別の部屋で一人で絵を描いていた。それくらいマイペースだ。そんな私に、両親(特に母)は「弟の面倒をよく見る、しっかりした良いお姉ちゃん」という、ものすごく高いハードルを要求した。我が家は、父、母、私、弟二人の五人家族で、こういう家族構成なら、普通は父母が親で私と弟二人が子供という立ち位置になるはずだが、我が家は父母と私が親で、弟二人が子供という立ち位置に近かった。そのため、本来なら親の責任や役割であるべきことまで、私が担わされることもあった。両親が離婚してからは尚更そうなった。

私は、頑張ってもなかなか母の言う「普通」のレベルに到達できなかったので、「私はどんくさい子なんだ」「私は、ものすごく頑張らないと、他人とちゃんと付き合えないんだ」という自己イメージを持つようになった。その一方で、「でも、そこまでする必要ないんじゃないの?」という疑問もうっすらと持っていた。

 

親子関係は人間関係の基礎だ。働くようになると、私は失敗する度、「こんなに失敗して怒られるのは、自分だけなんじゃないのか」「他の人は、きっと私より上手くできるんだろう」と思い込んだ。母に「あんたがそんな態度だと、私が悪く思われてしまう!」という恐怖感から怒られていた私は、上司や先輩に怒られる度、「私があまりにできないので、きっと、すごくイライラさせてしまっているんだろう」と思い込んだ。この頃が私の今までの人生の中で一番の暗黒期だった。

その後、お隣さんの「お母さんよりあなたのほうが話しやすいわね。あなたのお母さん気を遣う人だから…」という言葉と、カウンセラーの「気を遣う人に接すると、こっちも気を遣うからね」という言葉がきっかけで、母に植え付けられた洗脳を振り解き、新しく自分なりの他人との関わり方を構築し直すようになり、その過程で段々楽になっていった。「母は、他人に嫌われないために気を遣っているのであって、他人に対する思いやりからじゃない」ということに気付いてからは、「もっとテキトーに生きて良い」「母のように完璧にしようと思わなくて良いから、相手にとって居心地が良ければそれで良い」と思えるようになった。例えば、親しい友人が家に来た時などは、「喉乾いたら、冷蔵庫の中の飲み物、勝手に飲んで良いからね」で良いんだよね。

実際、悪くは言われないけれど、相手が気を遣ってしまうような接し方って、相手のためじゃない。本当は、相手に気を遣わせないようにするのが、思いやりってもんなんじゃないだろうか。素直で気さくな人のほうが接しやすいもんね。

 

そういう過程を経て、お客さんが来るときに掃除をするのは、相手にとって居心地良くするためであって、後で「あの人の家、散らかってたわね」と言われないようにするためではない。親業は、子供が自分の人生を歩んでいけるようにするためであって、「良い親」という自己イメージを保つためにするのではない。自分の知性を成長させるには、純粋に問題そのものに向き合い、好奇心や探究心で行動することであって、「頭が良い人」という自己イメージを保つことではない。良い作品を作るのが目的であって、その作品を作っている自分が良く見られることが目的ではない。というふうに考えるようになった。

 

で、「ちちんぷいぷい」の中で、大吉アナが失敗して怒られているのを見て、「ああ、ああいう失敗は誰でもするものなんだな。私だけじゃないんだ」と思えたこと。大吉アナを指導する上司や先輩たちが、本心から大吉アナを受け入れ、彼の成長を願っているのがわかったこと。色々失敗しても、その失敗が経験としてきちんと積み上がって、大吉アナが成長していっていること。これらのことが、番組を見ることによって、自分が自問自答しながら構築した認識や価値観が、客観的な視点から再確認できたことが、私にとっては発見だったので、ブログに取り上げることにしたのである。

 

まぁ、積み上がっていく失敗と積み上がっていかない失敗ってあるよね。私は母に洗脳されている頃、積み上がっていかない失敗ばかりを繰り返していた。母のやり方は、私を成長させる部分が多少はあったかもしれないが、それ以上に私の成長を停滞させることになった。

そりゃ、元来一人で絵を描いているようなマイペースな人間を、「弟の面倒をよく見る、しっかりした良いお姉ちゃん」に仕立てあげようとするなんて、最初から無理がある。母は私を褒めることはあったが、それは母の望む「良いお姉ちゃん」でいられた時に褒めていたのであって、それは褒めてはいるが私を認めてはいない。誘導するための手段として褒めているだけだ。だから私は、「褒めて育てる」という、一見耳に心地良い子育て法も、危うい面を持っていると思っている。

認めて育てるべきは、一人で絵を描いていたマイペースな私のほうだったのだ。だから私は、そっちの自分を自分自身の手で育てていくことにした。

 

[追記]

続きを書きました。

群がる「親」という名の感謝乞食たち

 

 

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「生きる力」とは、自分の人生を自分で決めていく力

itiiti 2011/09/02 13:52 お母さんの呪縛から逃れられたことは、あなたにとってよかったことと思う。おめでとう。しかしいつか、あなたも母親となったときに、お母さんのことを思い出してあげてほしい。多分、あなたのお母さんは、祖父母・父親の援助がほとんどない状態で3人の子育てをされたのではないかと思う(違っていたら失礼)。あなたが道を踏み外さず、これだけの文章を書ける真っ当な人間に育ったこと。すばらしいことだと私は思う。いち母親として、私はあなたのお母さんを尊敬する。

きゃあきゃあ 2011/09/02 16:14 この記事から唐突に母親尊敬って??? 意味が判らない。文脈おかしくね?
というか、母上は祖父母・父親の援助はどうかしらんけど子供であるyuhka氏に親業分担させてたんでしょ。
助力の求め先がまずすぎる点、とても尊敬要素にカウント出来ないと思うけど。

「親が気をつけてさえいれば人は100%道を踏み外さずにすむ」ってもんではないのだから、育った子どもから無条件に親礼賛するのってキモチワルイゾ。報われたがりすぎ。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/02 21:50 >itiさん
 
この手の話をすると、必ずと言って良いほどあなたのようなことを言う人が現れるので、これまで書かなかったんですよね。
あなたは、私の母を尊敬するというよりは、むしろご自身が尊敬されたいのではないでしょうか。そして、ご自身の親としての苦労をわかって欲しいのではないでしょうか。
私のことに関しては、どうぞご心配なく。私はむしろ、あなたとあなたのお子さんが心配ですね。
 
「困った親」ほど、「親に感謝するべき」「親を尊敬するべき」という美徳が大好きです。私の母もこの手の美徳が大好きで、一見正しそうなこれらの言葉を使って、私に罪悪感を抱かせ、縛り付けようとしました。
私のブログを読んで、私に対して何か言おうとするよりは、「自分も知らないうちに子供を傷つけているかもしれない」というふうに、自分のこととして考えて頂ければと思います。
あと、
 
>あなたが道を踏み外さず、これだけの文章を書ける真っ当な人間に育ったこと。
 
これは母の功績ではなく、私が自分で努力した結果で、私の功績ですので。

thorthor 2011/09/02 22:04 僕の父は自分が褒められたいから子どもの口を使って父は本当はすごい、えらい、と言わせる人だった。
僕自身は成人するまでそのことに気づくことがついぞ無かった。でも弟の話によれば、僕の実家は気持ち悪いと言われていたようだ。
僕は小学生の頃には家事をしないで一日中寝て過ごす母に代わって炊事をやるようになっていた。
そして母は狂ってしまった。
父は、もっと大変な家庭はいくらでもあるのだから、うちはまともなほうだと言っていた。
父は酒をよく飲む人だった。そして、自分が偉くて僕たち家族は出来が悪いといつも言っている人だった。
そして弟もまた、父からの暴力を含む虐待なども相まって、フィクションの中でしか見ないような人格障害を負ってしまった。
おそらくは僕も複数の人格障害を負っていたが、自力で克服してきた。
僕は実家とは縁を切っている。
だけど、僕は何も知らない他人から「あなたが真っ当な人に育ったのは親のおかげ」と言われる。
実は養育費の一部も狂った母の精神障害者年金などから捻出されていた。
だが父と最後に話したとき、父は「病気になるのは本人が弱いからだ、自分は強いからそんな病気にはならない」と言った。

itiさんは良い母親なのかもしれない。
でも、そうではない親は無数に存在する。
それを僕は誰よりも知っている。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/02 22:44 >きゃあさん
 
こういう「意味が判らない人」は多いんですよ。虐待された子供や、機能不全家庭に育った子供に対する二次被害の典型例ですね。おそらく、私の母に似たタイプの人なんだろうと思います。だから私に、親を許したり感謝したり尊敬したりして欲しいんでしょう。それは本当は、自分が子供にして欲しいことなんでしょうね。

にゃこにゃこ 2011/09/03 16:47 私の親もyuhka-unoさまのお母様とほぼ同様の生き方の人です。
物申すたびに「仮にも親だ」と言われ続け感謝を求められました。
娘を置いて男と駆け落ちしたことや、就職して1年にも満たない娘のカードをブラックになるまで使い切ったことなどは、彼女の中ではなかったことになっています。
その狂った状況を認識しながらも、結婚し家を出るまで言いなりになっていました。
今は疎遠にしていますが、入院していると聞くと心が乱れてしまう自分に腹が立ちます。

こんな親を持って不運だと思っていましたが、自分だけではないことを知り、呪縛が少し緩んだように感じています。
ありがとうございます。
もしよろしければ、現在のお母様との関係がどうなっているのかお聞かせいただけませんか?

余談ですが、itiさまのようなご意見の方は、きっとある程度幸福な家庭に育ち、理不尽な思いをあまりされていなくて、状況を想像できないか若しくは信じられないのではないかと思うのです。
是非、反面教師という言葉を知っていただけたらと思うのでした。

今日は休み今日は休み 2011/09/03 17:52 話がズレますが、会社でも同様ですね。現場を考えずに、外面がよすぎる上司の下で働くと結構しんどい。
さて、iti さんのような親は最近多いんでしょうか。子供の気持ちや人生はさておき、親(自分)が尊敬される事を重視していくというのは、過去、自分が認められなかった事の昇華を求めているのでショウカ?
なんだか運命のループになって…もしやまどか☆マギカの世界?!(違

merumomerumo 2011/09/03 19:24 はじめまして。
いくつか記事を読ませて頂いて、お母様の性格に私の母親と共通するところが多く、というかほとんど同じで本当に驚きました。他にも家族構成、環境、境遇、筆者さんの性格に至るまで…苦しんできたのは、私一人じゃないもんだなと。

母の影響を受けて作られてきた世界観や自己認識のおかげで、私はたくさんあったはずの可能性をほとんどフイにしてしまったし、人生台無しになってしまいました。それはもう取り戻せないと思います。

親を恨むことは、自立に至る過程でとても重要なポイントなのだと思います。毒親なんかも、まずは親を恨む状態に至らせるための本だったと認識しています。

今振り返ってみるにつけ、母はただの子供の躾に厳しい見栄っ張りなだけではなく、やはり人並み以上に性格が悪かった。人間関係で常に問題を起こし煙たがられるような言わば困ったちゃんで、よそ様とも身内とも盛大な喧嘩をしては、相手に対する口汚い悪口、ありもしない私達に向けられた敵意の妄想を子供の私に吹き込んでいました。それを聞くたび、私は世間に対する不信感や恐怖感を募らせて行ったものです。

想像するに、彼女にとって世間というのはとても厳しく残酷で冷淡なもので、僅かでも隙を見せれば攻撃されたり追い出されかねないという恐怖を抱いていたのだろうと思います。だから自分の子供もそうされないように完璧な武装をさせると同時に、自分の味方にして置きたかったんだろうなとも思うのです。

若い頃(まあ今でも変わりませんが)の母も私と同じ様に、何も知らず何も分からず、人や社会への恐怖に脅え、同じように生きるのが苦手な祖母を恨み、それでも自分や子供にとっての最善を自分なりに考えて必死で生きて来たのでしょう。

そんな母にも僅かながら慕ってくれる友人がいるもので、あんなに難しい性格の母のどこが気に入っているのか、意外と理解できたりします。恨んでる時には見えにくくなりますが、良いところもたくさんあるのです。
恨んでる時はまだ、距離が近いのだと思います。自分の感情に、母親が大きく関わっているのです。母に分かって欲しい、変わって欲しいと思っている。どうしても母を好きになれない、その状態のまま人生を終えることもあったと思います。
母を良いところも悪いところもある凡庸な一人の人間として見られるようになるチャンスがあり、そんな邪悪でちっぽけなダメ人間である母を許したり、悪意に見えたものも本当は善意であったのだと誤解が解けたり、一生懸命で健気なところを尊敬したり、何より一人の女の人が私を育ててくれたこと、色々大変だったろうなと感謝できるようになりました。それは失敗ばかりの無能な自分や、母という人の元に生まれた運命みたいなものまで受け入れられるようになるのと同時だった気がします。そして、母を激しく恨んでいた時よりも、こっちの方が辛かった・・。でもそんな自由になれる機会が多くの人に訪れればいいなと、今は素直に思えます。赤の他人であるitiさんと同じ視点から母を見られるようにならない限り、まだ呪縛の内だったのだと思います。

長々と自分語りになってしまって失礼致しました。

wahoowahoo 2011/09/03 19:35 感じ方って、いろいろですね。
特に父親が仕事ばかりで育児をしない家庭だと、すべては母親のさじ加減で決まってしまいがち。それは仕方ないですよ。完璧な人間はいません。

地域や社会や父親や親戚ではなく、子育てのすべてが、母親一人に任されていた時代だったんだから、yuhka-uno世代の子供達で、同じようなトラウマを抱えている人は沢山いると思いますし、私自身もそうでした。
母親の価値観が、子供を支配してしまうのは、状況が同じなら必然といえるでしょう。

イクメンなんて、ここ数年の話ですよ。
母親一人に、育児を押し付けてきた社会が戦後続いたおかげで、精神的に脆弱な大人が増えてしまった。
だから、あわてて『イクメン』とか、ブームにして社会を立て直そうとしているわけです。遅いよね。


大切なのは、成人したとき、どんな親の元に育っていても、そのトラウマから抜け出し、自らのアイデンテティを構築できているかどうかでしょう。

私も、40歳まで自分の人生を『あんな母親に育てられ、虐待され、転校ばかりで学校ではいじめられ、助けてくれる人もなく、生きるのに必死だったから勉強どころではなかった。母親のせいで自分は人格障害なんだ。』と言い訳してきた。

だけど、同じ親に育てられ、現在は奥さんのヒモ同然の暮らしをしている兄は、
『オレがちゃらんぽらんなのは、70歳になったって、かわらないし、親のせいじゃない。俺の資質だ。母親だって、子育てに追われる人生でありながら、自分自身との葛藤の中、精一杯生きていたんだ。』と言い切っている。

ここで、yuhka-unoさんが日記に書くのも、トラウマから抜け出した自分を客観視するための、ひとつの確認行動として必要なんだと思う。

すでにトラウマから完全に抜け出してしまった人間は、記録に残すことさえしないものです。

mimimimi 2011/09/03 19:47 話ずれちゃうんだけどね。。。
うちの旦那さんは、宅配の配送をしています。沢山のご家庭を玄関から覗くお仕事です。
『日本人はきれい好きだからか、7割近くは玄関がきれい。玄関がきれいな家は、大抵、部屋もきれい。
しかし、玄関あけて、黴臭い部屋、狭い玄関に大量の靴が山盛りの部屋、どうみたって足の踏み場もない部屋、ゴミ袋だらけの部屋に遭遇するときもある。そういう部屋は、業者仲間では有名になる。こっちだって、そんな状況見たくねぇじゃん。客じゃねえが、最低限の対応ってもんがあるだろ。』
と言っていた。
私はあまり片づけを意識したことなかったけど、それからは、業者さんだろうが、お客さんだろうが、ある程度、きれいな状態で応対するようにしている。

招かれた人だって、気持ちの良いお部屋の方が、気持ちよく過ごせるのかと思いました。
程度の問題ですかね。

YoshiCivYoshiCiv 2011/09/03 19:56 「産んでいただいた恩」等というのはふざけたネタに過ぎませんからね
とまれyuhka-unoさんにお勧めの本があります
「空気の教育」という本です。あなたの考えを確信にしてくれるはず。

ふむふむ 2011/09/03 20:17 なぜこの手の話をするとitiさんのようなコメントがつくか?
答えは簡単。itiさんが正しいからです。
ただ、yuhka-unoさんが母親の呪縛から逃れられた、というところだけは間違いだったようで
残念なことになってしまいましたね。
itiさんドンマイ。

toutotouto 2011/09/03 20:57 うわぁ…ウチの親とおんなじだわ。記事は読みましたが、コメント欄は読んでないので被ってたら失礼。
自分がどうしたいのか・どういう考えを持っているのかより、相手にどう思われるかを気にする人はキツイ思いをしていると思います。
じゃあその辛い思いに吊りあうような、利益を得ているかというとそうでもない。他人からは”礼儀正しいのだけれど、何となく気持ちが見えない”、身内からは”こちらの気持ちを無視して、無意味に厳しい”という評価。
それでも自分が満足しているならまだ救いはあるのでしょうが、恐らくそれもないのでしょう。(ウチはそう。)
他人の目・評価を気にしないということは、他人を軽んじるということではない。自分を大切にできない人間が、他人を大切にできるわけがない。

chinu48cmchinu48cm 2011/09/03 21:07 ブログ記事には思うところがすごくたくさんあって面白く読みましたが、なんかコメント欄がちょっとおかしいですね。
ブログ主さんも含めてですが、誰かの生き方や行動を「正しい」「正しくない」で語るとおかしなことになりますよ。
相手のことを真に思いやって行動する、というのは確かに素晴らしい生き方なんですが、だからってそれができてない人の生き方も間違ってなんかいませんよ。
主さんの教育にはマッチしなかっただけだと思います。
みんな正しくてみんな間違ってるんですけどね。
みんな押し付けすぎだよ。

z1121z1121 2011/09/03 21:28 とても感動しました。
ほめることの難しさは、叱ることの難しさと同じですね。
何か避けたいと思っていたのは、(((誘導するための手段として褒める)))ことだと気づきました。
漠然とした不安を文章で整理してくれましたね。
((((認めて育てるべきは、一人で絵を描いていたマイペースな私のほうだったのだ・・・))))
すごくよくわかります。外面のよい自分ではなく、自分の素の部分って自分にとって一番大切なところですもんね。なんだかどんな人間も素の部分はおもしろいと思いませんか?たいしたことないのですが、娘が小さい頃本当に真面目で堅い子だったんで寸よ。もちろんそれは乳児期からの育て方のせいなのですが、小学校にあがった頃からだったでしょうか。ちょっとおもしろいところを見つけては、「「面白い子だねえ
面白い子だねえ。」」と呟いていました。今ではそれでよかったと思います。とても参考になりましたよ!

yukiyuki 2011/09/03 21:49 「身内は自分ではなく別人である」ことを前提に動ける親は多くないですねー。でも、親は最初から親だったのではなく、子どもが生まれて初めて親になっていくとか聞いたことがあります。もしかしたら親に「わたしはあなたとは別の人間なんだよ」と教えてあげられる可能性が、子どもにはあると思います。

あと、気遣いは「自分一人」が負える範囲で行うものですね。他人への気遣いを家族への気遣いより優先するのでは、元も子もないという感想を持ちました。

thorthor 2011/09/03 22:23 穿った見方をすると「itiさんは正しい」です。
僕は間違っています。

では「正しい」とは何でしょうか。
「ある特定の判断基準から導き出す答えと一致している」ということが「正しい」ということだと思います。
この場合の基準とは、世論や常識のことです。
「どんなことがあっても親を敬うこと」が常識ならば、そこにどんな言葉をぶつけても、僕やyuhka-unoさんは間違っていることになります。
そしてitiさんは正しいことになります。

法律の話をしましょう。
子殺しについて検索すると、以下のようなことが載っていました。
『旧刑法において、子が親を殺す犯罪には尊属殺人罪が適用され、通常の殺人罪よりも極めて重い死刑又は無期懲役が課せられていたが、親が子を死なせる犯罪にはほぼ全てに傷害致死罪が適用され、殺人罪が適用されるケースはほとんどなかった』
つまり、子は親に逆らってはいけないが、親は子に危害を加えても、子が親に危害を加えるほどには罰せられない、ということが、法律で決まっていました。
かつて日本ではそうしたシステムが常識であり「正しかった」ということです。

まあ、変な方向に誘導してしまいそうな書き方になりましたが、正しさというものに囚われて価値観を押しつけてしまうことは、実は他でもない、yuhka-unoさんのお母様がやっていたことなのだと思います。
だから、それを間違っている、と頭ごなしに決めつけて従わせようとすることは、同じことの繰り返しになると思います。

なんだかややこしくてすみません。
当方あまり頭が良くないので。

きゅうりきゅうり 2011/09/03 23:48 気を遣う性格って直らないですよね〜。
子供の頃から近所のおばちゃんや親戚の人から頂き物をすると母に軽く咎められることが多かったため、私も少し前まで誰かから物を借りたり貰ったりすることを断っちゃう癖がありました。たぶん遠慮するって事を教えたかったんだと思います。子供は遠慮しませんからね。
それに宅配業者や火災報知機程ではありませんでしたが、家庭訪問の日に母親が部屋をものすごく片付けておくっていうのも、そういえばあったなぁと思って笑ってしまいました。
ただひとつ言わせて欲しいのが、図々しいかもしれませんが洗脳っていうのはちょっと度が過ぎる表現かもしれないなと思いました。yuhkaさんがどの程度苦痛を受けたかは察しかねますが、お母様は仮にどれだけ自身のためと思ってなさっていても少なくともあなたの為だとも思ってなさっていた事なのでしょうから。
大変だと思いますが、頑張らず前向きに

rand005rand005 2011/09/04 00:30

体面ばかり気にする「世間知らず」な可能性が高いかも?
変な遠慮は人を曲がった方向へ導く事が多い

「他の人がそうだから」・・・

多くの理由が他人任せで自己の考えが無い

親と取っ組み合いのケンカをするべきだ!
それによって後悔することも多いだろう
親がまっとうな考えを持っているなんて甘い思いは禁物

多くの価値観と触れ合い多くのトラブルと融和を経て
強く優しい人になってほしい。

きゃあきゃあ 2011/09/04 01:14 穿った見方とかしなくてもitiさんは正しくないでしょw
正誤がどうこうっていうか、「アナタおかしいですよ」って感じ。
だってこの記事ですよ? 本当に読んだの? ってくらい話が飛んでる。
「まあ、そういう考え方もあるよねー」で流せるレベルを超えてる。
「いや、あの、そういう話じゃないんだけど、ちょっとアナタ大丈夫ですか?」みたいな。
今や「アナタ『方』」ですけどね。増えとる。
完璧な親なんていないとか、子どものためを思ってるからとか、そういう話じゃないんだと読んでましたけど。違うの?


yuhka-unoさん
>こういう「意味が判らない人」は多いんですよ。
ああ、やっぱり多いんですか。いや、ウチにもいるからw
いるからっていうか親戚が一族郎党そんな感じで、なんかひとつの価値観として確立されてる感があります。
一歩出りゃそんな絶対的なもんでもなくていろいろと留保つきなのは自明なんですけど、子どもは出られないからね。

sonoowasonoowa 2011/09/04 01:31 私もほぼ同じような母親に育てられましたので、ものすごく納得できました。
たぶんですけど、母性とか父性が個性とは別に存在しているという前提がありすぎな気がしてます。
幼児虐待事件を踏まえれば、そんなもの存在しない人間も子供はつくれるわけですから。

nanakonanako 2011/09/04 01:55 私も親に厳しくしつけられてきました。
来客があるときに部屋や玄関をきれいにするというのは、ただの常識であって、それ自体が間違っているとは思いませんが、
ここまで母親を恨むにはそれ以上のことがあったのでしょう。
私も一時期は母親を憎んだこともありました。
ただ、大人になるとわかりますが、母親も一人の人間なんですよね。
母親になったからといって、人格者になるわけではない。
いつか、自分が親になった時に、自分の母親をいとしく思う日が来ると思いますよ。

贋物贋物 2011/09/04 02:56 thorさんはきっと相対的な話をしてるんですよ。時代、宗教、国で正義は異なる。
人の数だけ違う正義がある。親が偉いという考え方は昔の正義だった。
昔は今より儒教が強かったですから。お母さんの世代がわからないのではっきり
したことは言えませんが、それが常識だと教わった世代かもしれません。
まあ地域でも違いますが。
あと人というのは悪口の共有をしたときが一番距離を縮められるというのが
あるようなのですが、コメント欄で相手が見てるのを期待してしてるのは見てて残念でした。
悪口を言うなとは言いません。陰口でしてほしかった。陰口も使い方では
嫌われないための手段ではなく、相手のための気遣いになれます。
絶対正義なんて無いんですからここで答えを急いでも傷つけあうことになってしまいます。
人は皆それぞれ色眼鏡を持ってます。正しい見え方も違うのは当然。
だから皆お互い様であり、妥協し合う必要があるわけです。どっちかが妥協するのではなく。
何事もバランスよく。

GG 2011/09/04 03:16 根本的な話をすると、貴方のお母さんは他人を気遣う人、というより外面を気にする人だと思うな。私の親父がコレだから。外面はいいけど自分の子供は完全にその為の手駒なんだよね。だから子供への連絡や承諾なく勝手に約束事を取り付ける。

黒 2011/09/04 07:16 yuhka-unoさんの日記をみて大変勉強になりましたが、その後のコメントのやり取りを見てガッカリしました。

苦労しながら女手一つであなたを育てた母親を「私はあなたのお母さんを尊敬する。」とコメントしたというだけで、「困った親」だと決め付けるのは失礼ではないでしょうか。

私はyuhka-unoさんの母親は、yuhka-unoさんが社会に出てからも周りの人から恥ずかしい思いをしないように躾けようとしていたように感じました。

yuhka-unoさんがそれを教訓にすることなく社会に出てから失敗を繰り返して落ち込んだことを親のせいにしては気の毒です。

「こんなに失敗して怒られるのは、自分だけなんじゃないのか」と思ったということは、周りの人達よりもあなたが失敗して怒られる回数のほうが多かったからではないでしょうか。

周りの人のことを考えているように見えない、失敗が多い人は私の職場にもいますが、その人に直接注意するのは上司だけですが、本当に迷惑で周りから周りじゅうからバカにされています。

「一人で絵を描いていたマイペースな私」を認めるべきだった(褒めるべきだった?)と書いてますが、参観日で他の人が教室で勉強しているときに、自分勝手に他の部屋で絵を書いている人の何を認めるべきだというのでしょうか?

自由と自分勝手は違います。
他の人が出来ていることが出来ない人が、社会に出てから苦労するのは当たり前です。

ふむすふむす 2011/09/04 07:57 thorさん
itiさんが正しいのは「どんなことがあっても親を敬うこと」を前提としているからではありません。

itiさんは「あなたも母親となったときに、お母さんのことを思い出してあげてほしい」と書かれています。
そのうえで「母親」としてのyuhka-unoさんのお母さんを肯定されています。
それに対してyuhka-unoさんは、「母親」としてのitiさんを否定してしまいました。
yuhka-unoさんが母親でない間はそれでも間違ってはいないのです。
が、もし将来yuhka-unoさんが母親になったとしたら、「母親」の否定は自己否定へつながります。
間違ってますね。
では母親にならなければ「正しい」ままかというと、そうでもない。
親にならないという事は、生存と繁殖を目的として存在する生物として「間違って」いるからです。
(「間違って」いてもそれなりに幸せに暮らせるところが現代日本のいいところですが。
 かく言う私も「間違った」人生を送っております)

toutoさんがイイことを書かれてますねw
「自分を大切にできない人間が、他人を大切にできるわけがない」
itiさんの発言が正しいのは、母親として自己肯定しているのは勿論のこと
将来yuhka-unoさんが自己否定に陥らないよう意図しているからです。

母親を「母親」としてではなく「一個人」として見られる日がくれば、
yuhka-unoさんの人生はより幸せなものになると思います。

通りすがりB通りすがりB 2011/09/04 08:15 「自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。」というタイトル。
この表現は「AならばB」という構造の命題であり、「AではあるがBではない」例が存在しないことを意味する。
すなわち「嫌われないように気を遣い、身内を潰さない」タイプの人間が存在することを否定している。
あなたは世の中全ての人間を調べたのか?
母との関係という限られた経験の中で、そう決め付けているだけ。
すなわち一般性がない。よって論理的に破綻している。

(あんたが持ってる親への憎しみや、育った環境などどうでもいい。興味の対象外。
家庭の話は夢の話と並んで、本人は最も聞いて欲しいだろうが聞いてる側にはツマラナイ話の典型例だw)

で、核心への疑問。
外面を気にすることの何が悪いの?
自分を守りたいという自己防衛本能は誰にでもある。そのための手段は誰もが持ってる。
「情けは人の為ならず」という諺が示すように、他人に気を遣うことは、最も簡単かつ合理的な自己防衛手段である。
「自分が嫌われないために気を遣う」ことと「他人のために気を遣う」ことに本質的は差は全くない。
後者も結局「他人のためになることで自己満足を得たい」という点に帰着する。
つまり、どちらも完全に自分の為の行為なのだと言える。

あなたが「嫌われないために気を遣う人間」を激しく侮蔑するのは、あなたが限られた事例において
個人的に被害者だから。ただそれだけの理由である。
嫌いな人がA型だと知って、A型は一人残らず全員クズだと決め付ける作業と何ら変わらない。
そこに一般的な法則も、言い切るだけの根拠も存在しない。

一方で、マイペース人間のあなたから被害を受けたという被害者も世の中には存在している(そのことに気づいていないだけで)。
そちらの側から見れば「マイペース人間こそ社会性が無いことへの言い訳ばかりしてる最低人種」でしょうな。

要するにだ、単に「こういう母に育てられ、私は母が嫌いだ」と言えば済むだけの話。
(読んでる側にはツマラナイから閲覧数は伸びないだろうけどw)
何でそうしないの?
一般的法則と結びつけ、自分を賢く見せて評価を得たいという「欲」が働いてるからでは?
それは、自分を良く見せるために気を遣っていたあなたの母とナニが違うの?
少なくとも不特定多数を不愉快にさせていないだけ、あなたの母のほうがマシだと思うなぁww

通りすがりB 通りすがりB 2011/09/04 08:24 追記
この手の詭弁がリア充批判、および社会不適合者(=自称マイペース人間)の言い訳として使われ始めるようなら、世の中終わってるなぁ。(トラバ見るとすでにそうなってるケドw)

wwwwww 2011/09/04 09:29 もう通りすがりBの言うとおり過ぎてこれ以上コメントすることがない←

ふむ?ふむ? 2011/09/04 09:58 通りすがりBさん
「あなたは世の中全ての人間を調べたのか?」と大口を叩いてyuhka-unoさんの言に一般性が無いというのなら、
「家族の話は夢の話と並んで聞いている側にはツマラナイ話の典型例」なんてでっちあげるのはやめてもらえますかね?
「あなたは世の中全ての人間を調べたのか?」とそっくりそのままお返ししますが。
というか、少なくとも私はツマラナイとは思いませんでしたよ? 家族の話。

核心の話とやらにしても、「私はマイペース人間が嫌いだ」とでも言えばいいんじゃないですか?
自分を賢く見せて評価を得たいという「欲」が働いてるのでは?
加えてあなたの発言は私を不愉快にさせています。
そういうわけで、もう少しマシな発言をお願いします。

suzuki_yamadorisuzuki_yamadori 2011/09/04 10:28 通りすがりBさんの理屈がおかしいのは、A型、B型(どういう言い方でもいいけれど)双方が対等なアタマをもった大人を想定していること。

子どもは大人より知恵がなく、とりあえず身近な親の考えをコピーするしかない。そういう絶対的弱者。嫌いだと言えば済むのは大人同士の話。会社の人どうしの話とか。

親が悪魔のように見えるのは、あまりにも無防備な子どもを標的にするから。子どもがまがりなりにも成長したあとで、どう考えても、もう少しマシなはずだったと気づく。ここがすべての出発点。

「おしん」は6歳ぐらいのときの奉公先で、50銭の泥棒の嫌疑をかけられて職場放棄した。その後のたいへんな苦労を考えれば、なぜ我慢できなかったのかと思うが、小さな子どもというのは、ここぞというときにはどうしても自分の道理が通らなくてはならない。それが後々のアイデンティティー構築になる。それを支えてあげた親と粗末にした親では、子どもの自己肯定感(つまり自信)がまるっきり違う。

外ヅラをよくしたい人はたくさんいるのは事実だが、とどのつまりは趣味なので、自分の趣味に付き合って、というメッセージが必要なんだけど、そんなことはしないし、できないだろうと思う。

趣味を正義と勘違いする事例はいくつもある。そういうことを受け入れられる年齢は少なくても10歳以下じゃない。リア充がどうのという議論は自分の人格に責任を持たなければならない年齢の人の現在の人間関係の話。

子どもの当時のyuhka-unoさんに、大人と同様な頭脳や責任能力を求めているということでもある。これは児童虐待に陥ってしまう親に大変よくある考え方なんだ。「なんでできないんだ!」と怒る。殴る。子どもに大人を要求する。こういうサバイバル下にいた子どもは、とりあえず子どもの頭脳のままで「大人の対応」を覚えてやり過ごす。話がそれたのでこの辺で。

thorthor 2011/09/04 10:43 ふむすさんへ
自分の親を否定することと、自分が親になることは、イコールではありません。
ただし、自分の親を否定することは自己否定に繋がること、はよくわかります。
極端な話、基本の性格や感情の強さは遺伝によってある程度決まると思っています。
しかし、言動や態度、価値観などは生まれ育った環境や記憶によって決まると思います。
自分と親は同じところからスタートした人間であるということを忘れたら、それは親を否定した自分をいつか否定することに繋がるでしょう。ふむすさんの言うように。

ただ、itiさんは確実にわかっておられないことが一つあります。
「あなたが道を踏み外さず、これだけの文章を書ける真っ当な人間に育ったこと。すばらしいことだと私は思う。いち母親として、私はあなたのお母さんを尊敬する」
断言しますが、yuhka-unoさんは過去に人格障害を負っています。日本人に多いとされる、強迫性人格障害でしょう。それは本人の過去の話から明らかです。歪みに気づき、それを克服したに過ぎません。
人格障害を親によってもたらされたことは、親の功績にはなりません。その障害を克服したことは、本人が親を否定することによって獲得したものです。
そして克服とは完治したということにはなりません。つまり、親を否定して束縛されない自分をイメージし続けることで、今も強迫観念に囚われないように均衡を保っている状態、と僕は見ています。だから、まだ完全には呪縛からは逃れていないのでしょう。戦っている最中なのだと思います。

『歪ませた親を否定しなければ人格の歪みは直らない』この記事はそういう話だと思います。

ただ、itiさんをよく知らずitiさんを頭ごなしに否定してかかることは、itiさんという人を見ていない、ことになると思っています。
itiさんは単に自分がそうではないから人格障害を及ぼす親の存在を想像できずに、常識に従って肯定してしまっただけかもしれません。
だけど、yuhka-unoさんが今の状態でitiさんを肯定すれば、再び親の呪縛に囚われてしまうかもしれません。そういった不安が恐怖が残っていれば、条件反射的にitiさんを否定せざるを得ない。

僕はGさんが指摘している点が譲れない一線だと思います。
子どものためにしつけているのか、自分の世間体や自分の心の救済のために子を利用しているのか。

僕個人が恐ろしいのは黒さんや通りすがりBさんです。
なぜなら僕は、周りに気を遣っても迷惑しか掛けられない無価値な社会不適合者だからです。
不適合者である僕が社会にとって間違っていることはわかっています。
たとえ他人以上に働いて仕事の内容で結果を出していても、僕が社会や組織に不和を起こす不適合者であることは変えられません。
マイペース人間は、マイペースに生きるために他人に気を遣わないのではなく、周りに合わせようと人格が歪むほどに思い詰めても、普通にはできないのです。
それを否定することは、存在を否定するのと同じ意味を持ちます。
僕と同じ資質を持つ人は、引きこもりや自殺者が多いからです。
周りに合わせることが正しい、という価値観が全肯定される世界では、僕のような存在は死ぬしかありません。
それでも生きたければ、積極的にしろ消極的にしろ、社会を全否定して自分の明確な意志をもって他人に合わせない生き方というものを覚悟しなければ、やはり周りに合わせられない自分を罪悪感で否定し続けていずれ死に至ります。
きっと大げさだと言うでしょう。でも、そう解釈されてしまうことが、理解されないという現実です。

kaidatenkaidaten 2011/09/04 10:45 しょうもない愚痴ですね

gungun 2011/09/04 11:07 日本人の好む傾向に「唯一無二の解を求めたがる」っていうのがあるんですよ。
オールマイティに対応できる大黒柱になるものを芯に1本据えて安心感を得ようとする考え方です。
これとは反対に大黒柱よりは小さい柱を何本も据えてトータルなバランスを整えようとする考え方は
外国の人にわりと多く見られる傾向なんですが、こっちは「これはここが正しい。こっちはそこが正しい。
あれはあの点が大間違いだがこの部分は正しい」というものです。
ある点で見ればこれもあれも正論だから「必要なときには持ってくる、それ以外のときは切り捨てる」
という臨機応変にいいとこ取りする考え方ですね。
この考え方の違いに良し悪しを求めるというのはナンセンスなんです。状況次第ではどっちも上手くいく考えであり
どっちもこける考えでもあるからです。
私の母もyuhka-unoさんのお母さんのような面がちらほら見受けられる一面があって、外面を気にするわりには
家ではだらしない感じの人です。
親から「ああしなさい」「こうしなさい」と言われたこととは別に、そういう姿を見てきていることから
反面教師として学んで今の私があるので
 >>あなたが道を踏み外さず、これだけの文章を書ける真っ当な人間に育ったこと。
 >これは母の功績ではなく、私が自分で努力した結果で、私の功績ですので。
というのは同意。親に言われることだけ、外から与えられることだけが教育じゃないですよね。
自分で学んだことも自分の一部。自己研鑽というか自己教育とでもいうか……もしくは自戒でしょうか。
yuhka-unoさんのお母さんは対外面で自分の信念や美的感覚を押し通したい方だったんでしょう。
そのとばっちりが幼い頃のyuhka-unoさんに来ていたのはなんとも残念なことですが、ある意味では
仕方がないとも思います。親にくらべて子は弱いですから、どうしても長いものに巻かれてしまう面
っていうのは出てきますよ。
つまり「弟の面倒をよく見る、しっかりした良いお姉ちゃん」をさせられていた点ですね。

ただ、読み進めてみるとyuhka-unoさん自身にもベクトルが違う方向を向いてるだけで根本的には
お母さんと同じだなという面が見て取れます。
「参観日に一人で絵を描いているようなマイペースな人間」というのは、ようするに重視している
点が外ではなく内、つまり自分に向いてる人ですよね。
お母さんのことや美徳に対して妙な拒否反応とでもいいましょうか。微妙な嫌悪を含んだ書き方を
されてるのですが、お母さんのおっしゃられていたことも全部が全部悪かったっていうわけでも
ないですよ。
「普通」「常識」というのは誰かがビシッと線引きしたわけではなく、古い時代から大勢の人が成功
あるいは失敗した経験から何となく取るようになった行動や伝聞の積み重ねが、いわゆるこれらの普通であり常識です。
美徳というのもこれと同様で、人からよく見られたい人が勝手に決めたわけではなく、積み重ねで生まれた感覚です。
こういうのは、絶対的な正しさは持たない(必ずベストになるわけではない)のですが、たいていの場合にベターに
なりやすいのも事実です。
yuhka-unoさんの場合はベストにならなかった例だと思います。
ただ、物事なんてものは多面的に見た方が当事者の心労は減るものが結構多くあるものですし、
よくよく考えれば「なるほどな」と思える点というのは出てくるもんです。
「弟の面倒をよく見る、しっかりした良いお姉ちゃん」にしても、お母さんにとっては理想の娘で、
yuhka-unoさんにとっては押し付けられた理想像で苦痛だったわけですが……じゃあ弟さんから
見ればどうだったのか?っていう考えもできますよね。
yuhka-unoさんがこの視点で考えられたかどうかは知りませんが、お母さんはこの視点でも考えた上での
行動だった点はあったと思いますよ。やっぱり親ですから娘だけでなく息子のことも考えて当然かなと。

私も姉がいるんですが、姉はいわゆる「勉強ができる人」でした。私はぜんぜんダメなん
ですが、対外的な部分を気にする母はこの点で姉に信をおき、私の方は諦められてました。
が、母と娘と息子。同姓同士と異性の親子の場合、同姓同士は反発しやすく異性の子供は贔屓されや
すいというのがあるようで、その点で「しっかりやってる自分よりできてない弟の方が優遇されてる」
との思いがあったんでしょう。
姉からことあるごとに文句を言われながら育ってきましたので、姉のこのあたりは私にとって反面教師になって
たなというのが多々あります。
放っておいておいてほしいのにうざったいほど構ってくる母と、自分は何もしてないのに何かと理由
をつけてはいちゃもんをつけてくる姉と、しっかりものの姉贔屓の父の間にもまれて育ったこともあ
って、若い頃は親子姉弟険悪でした。
結構自分勝手で自分のためなら私を出汁に使うこともあって幾度も悔しい思いをさせられた姉でしたが、
そんな姉でも見方を変えれば"私が本当に困ってるときは無条件で助けてくれてた人"でした。
このあたりはやっぱり家族なんだなと思います。
嫌な思い出の方が多い姉ですが感謝してることは決して少なくないです。本人には絶対に言いませんが(笑)
yuhka-unoさんのマイペースというのは、見方を変えれば協調性が欠けてると見えますよね。
一人で絵を描いてた日は参観日だったんですから。
お母さんは理想像を押し付け気味ではあったかもしれないけれど、外の人から後指を指されるような
生活を送らせたくないという思いはきっとあったはずです。
理想の押し付け、感謝の押し売りはよくない傾向ですが、黒い面が見えるからといってその人の考えや
行動を全て否定するというのは、また別のことだと思います。
最後の部分で「>認めて育てるべきは、一人で絵を描いていたマイペースな私のほうだったのだ。
>だから私は、そっちの自分を自分自身の手で育てていくことにした。」
とありますが、yuhka-unoさんの決断はこれだったというだけであって、それがお母さんの育て方が
間違ってたことになるのかは、また別の話だと思いました。
私個人は長い物に巻かれることが正しいとは思えないけれど、出る杭は打たれる現実も知って育ちま
したから、yuhka-unoさんのお子さんが仮にマイペースで協調性にやや欠ける子に育ったとしたら、
自由奔放なメリットと周囲からの軋轢というデメリットの二つに直面したときに、母であるyuhka-uno
さんの教育方法にどういう判定を下すかというのは興味が湧きます。
それの確認にはとても長い時間がかかります。私にはできませんので、yuhka-unoさんご自身でご確認ください。
一つだけ言えることは、よっぽどクズな人間でもない限りは、子から見て親はそれなりに尊敬できる人だったりしますよ。
そしてそれは子供が大人になるにつれて自発的に感じるようになるんであって、尊敬すべき・感謝すべきという言葉はそれらを経験した
人が先回りで言うようになっただけです。
私自身、例えそれが正しいこと、最終的にそこへ辿り着くのだろうと頭では"理解"はしても、まずはそれを拒否
してでも自分の意思で行動した結果から、成功なり失敗なりを体感しない限りは"納得"はできないだろうというのが持論です。
親はそのあたりを経験から知ってるので時間の無駄を減らすために言葉やしつけで伝えようとするんですが、そこは納得できず
に据わりの悪い思いから反発するのが子供ってもんです。
親になって初めてわかる親の気持ち、親の心子知らずなんてのも結局のところ昔から世界中で繰り返されてたことですもん。
どっちが良くてどっちが悪いかなんて、大局的に見れば結構どうでもいいことですよ。

虐待受けた子がその経験から親になったときに、反面教師にしてわが子に愛情を持って育てるか、擦れて虐待を連鎖させるかは当人の意思次第
です。
タイトルに『自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。』とありますが、潰れるかどうかは当人考えと意思次第だと思います。

suzuki_yamadorisuzuki_yamadori 2011/09/04 11:43 親に「感謝する」、「感謝するなんておかしい」という議論は、おそらく時間的なテーマだろうと思う。

子どもにとって悪く見える親も、客観的には正しく接してきた部分と、そうではない部分がある。しかし後者が目立ちすぎてアイディンティティーに影響を及ぼしたことで、いい面が打ち消されてしまう。

これを消化して、よかった部分も良くなかった部分も平等に思い出せば、老人になるころにおそらく「感謝する」かもしれないということ。とくに年長者はこの長いプロセスをショートカットして、自分を投影させて「感謝すべき」という言葉が出てくるように思う。これは、たとえば年長者が自分の時間軸でしかものを考えられない現象と重なってくる。

プロセスとしては、
1.まずおかしいと気づく(何歳のときでも)
2.あるべき自分を再構築するため、邪魔になるものを除外
3.あるべき自分が少しずつ見えて自信がつく
4.客観的に説明できるまで自分を冷静に見られる
5.親は不当だったが、いい面もあると気づく。グレーゾーンを理解する
6.完全に親が他人になり、特別な友人になる

自分が勝手に考えたものですが、プロセスの5とか6では、親が他界しているかもしれません。それは個人の境遇によると思います。特に上から目線の発言は、5と6の視点ではないかと。

mobmob 2011/09/04 12:08 大変おもしろく読ませていただきました。

要は、母親離れがうまくできずに自身が拗れてしまった、ということだと思いますが、
私の周囲にも、あなたのような友人が幾人かいます。
彼女らに共通しているのは、以下の3点です。

 1.母親を絶対的存在ととらえていた
   また、自身の正誤の判定を母親に委ねていた
 
 2.母親との考えの相違について、母親に意見することができず、溜め込む
   もしくは、意見すると言い合い・ケンカになる
 
 3.母親に対する尊敬が、一気に侮蔑・嫌悪に反転している
   そして、その他の人間関係でも、相手を全肯定⇒全否定という極端な反転を生じることがある

あなたと、あなたのお母様は似ており、そこには共通の問題が見えます。
それは、その考えや行動の中身そのものではなく、

 −「全肯定か全否定の2択しか考えない」
 −「相手に自分が全肯定している考えの全てを押しつけようとし、合わない意見は全否定する」

ということです。
それは上記の「1」「2」「3」を引き起こす原因となってしまいます。

あなたの書かれていることは尤もですが、以下のようにも考えられませんか?

 ◆旅館のお話ですが、従業員たちは、ご主人に「良い従業員」と見られたいがために、
  ご主人の求める「真にお客さんのことを考えて行動すること」を行っているのかもしれません。

 ◆宅急便のお話も、力持ちの配達員は、僅かな時間であれば待っているのは全然平気で、
  散らかっている靴を踏まないように足元に気をつけるほうが大変だ、と思っているかもしれません。
  (…まあそもそもあなたがすぐにドアをあけたのは、配達員を気遣ったわけではなく、何の気無しだと思いますがw)

 ◆マイペースなところだけを育てられ、「良いお姉ちゃん」化教育がなかったら、
  あなたは社会に出られなかったかもしれません。

「相手の意見も尊重しつつ、自分の意見も主張し、適当なところで考えるのをやめる」
ということができるようになり、それを母親に対してもできるようになれば、
良い形で母親離れができると思います。

所謂「アサーション」に関する書籍をおすすめします。

えっとえっと 2011/09/04 12:32 親に止むを得ない事情があったなら、子供にも止むを得ない事情があった。
親だけに親の事情が許されるってないことはないんじゃない?
そういった避け難い生育家庭で植え付けられた歪みを克服できたなら、それはyuhka-onoさん自身の功績という他ないんじゃないかな。

グリッティグリッティ 2011/09/04 12:42 なんにもわかってな人ばっかだね。ここのコメ欄。

「親はなんだかんだ言っても子供の事を考えてくれる」という価値観が間違いなんだよ。
そういうのを自分の体験だけで押しつけるな!
あんたらの知らない、とてつもなく自己中な親というのは、虐待して子供死なさないまでも、この世にたくさんいるんだよ。

そいつらの隠れ蓑にそういう「親は子供の事を…」って価値観が利用されている。
肉体的に殺されないまでも、精神的に深いダメージを負わせられる、子供たちへの加害に対して、
「親は最終的に善」みたいな発想している人は、手助けしているようなもの。

本物の親は、「子供にこれだけしてやった」みたいなことは決して言わない。
するのが当たり前で、見返りなど考えてもいないから。

おいおいおいおい 2011/09/04 13:03 >suzuki_yamadoriさん
読んだ日記に対するコメントを勝手に変な議論と分析に巻き込まないでくれ。日記は親と子の話でしょ。
あと、自分の時間軸でしか考えられないというのは視野が狭いだけだったり経験不足なだけであって
年長か若輩かなんてまるで関係ない。
歳が若くなるほど時間的な経験不足から理論で補おうとするもんだから言いたいことも気持ちも
痛いほど分かるけど、推論理屈だけじゃ説得力に欠けるから大人(特に親)ほど納得しにくいのは事実だし、
客観的に読んでくと言葉尻が整ってるだけであなたの書き込みが一番上から目線に見えるよ。

suzuki_yamadorisuzuki_yamadori 2011/09/04 13:16 >おいおい さん。

コメ欄に、どういう文章ならいいのか、ダメなのかを決めるのは「おいおいさん」ではありません。

別の意見があるとか、そういう場合ならともかくネガ書き込みはただの言論妨害。自分のご意見を書いたらどうですか。人の意見の突っ込み(しかも上げ足とりだけ)に終わっている。

通りすがりC通りすがりC 2011/09/04 13:20 >>なんにもわかってな人ばっかだね。ここのコメ欄。
っ[鏡]

そんな特殊事情の家庭の価値観が大多数の一般家庭に適合するわけないだろjk
論争したきゃ子育て板にでもいけ

imkimk 2011/09/04 14:19 自分のことだけだなw

えっとえっと 2011/09/04 14:32 「許されるってないことはない」▶「許されるってことはない」誤った。
親だって不完全なんだから仕方ないというなら、子供だってそれを克服しきれなくても仕方ないということ。
少なくとも親は大人であり自分の意志で克服する事もできたかもしれないが、yuhka-onoさんの親はそれができずに子供に押し付けた。
いいとか悪いとかは別として、ただそれだけが事実としてある。
どっちがあるべき通りではなかった、という論争をしても無駄な気はする。不幸にも歪んでしまった子供は、それを克服する為に多大な労力と時間を使う宿命にあるというだけだ。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/04 14:34 >にゃこさん
 
「私は親だ」「養ってやっている」は、「困った親」にとっての最強カードですよね。そのカードさえ出せば、何をやっても許されるとでも思っているかのようです。
今の母と私との関係においては、母は、自分のやり方が悪かったということは、何となくわかったようですが、「あの時は仕方がなかった」「良かれと思って」「心配だったから」と言っているあたり、肝心の部分をわかっていません。まぁこれが今の母の限界なのでしょう。
肝心の部分とは、「子供の気持ちを理解する」ということです。私の母にはほとんどこれがなかった。子供に対して「私のことをわかって」と求める一方で、子供のことをわかろうとしないのもまた、「困った親」の特徴ですね。
これまで散々親から「感謝」と「理解」を求められて、それに答えようと努力してきたわけですから、今は自分で自分を理解して認めてあげることを優先したいものです。
 
今回の震災において、テレビ番組で、「いっそ津波に流されてしまえば良かった」と言う被災者に、スタジオの人が「流された人の分も生きなきゃ駄目ですよ」と言ったという話に、私は反発しました。
(その時書いたブログ→http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110422/1303464063)
「流された人の分も生きなきゃ」と思えたほうが良いということぐらい、多分被災者本人だってわかっています。でもそんなことは、時が経って自然に思えるようになるのを待てば良い話で、今言ったって傷つけるだけなんです。あの時点では「いっそ津波に流されてしまえば良かった」と思ってしまうのは、至極当然のことで、全然ダメじゃない。そう思ったまま生きればそれで良い。そう思いました。
 
なぜそう思ったのかというと、私がこういう話をすると、ご親切な人たちが、ご親切にも、「あなたはまだ親の呪縛から逃れられていないよ」「お母さんのことを認めてあげられるようになってね」などと言って下さるのですが、そう思えるようになれば良いということは、私だってわかりきっていますし、そんなことは私が将来自然にそうなれば良いことであって、今の時点ではそういう言葉は何の役にも立たないどころか、害悪であるということを、身に染みてわかっているからなんですね。
 
だから、今の時点で私がこうなのは、至極当然であって全然ダメではないし、あなたが今「入院していると聞くと心が乱れてしまう」のも、あなたのような経験をした人にとっては、至極当然で全然ダメではないのです。

今日は休み今日は休み 2011/09/04 14:47 yuhka-unoさん、無理しないでください。
あまりに長くなったコメント欄いっそ閉じてしまったらいかがでしょう?
自分を含めほとんどが自分語りで自己満足のために書いていてあなたの精神状態を考えて書き込んでる人なんて殆ど居ないのですから。
痴漢やレイプされた人に向かって「その時間外を歩かなければ」「隙を見せなければよかったのに」「嫌だと声をあげればいいのに」などと平気でいう人も世の中にいるわけで本当に体験しなければ、同じ状況同じ精神状態にならなければわからないことなんて山ほどありますが、それを理解、共有できる人なんてほとんどいません。

>ご親切な人たちが、ご親切にも、「あなたはまだ親の呪縛から逃れられていないよ」「お母さんのことを認めてあげられるようになってね」などと言って下さるのですが、そう思えるようになれば良いということは、私だってわかりきっています

それでもこういったエントリを書いているあなたの気持ちを想像するとやはり、壮絶だったのだろうと思ってしまいます。

33 2011/09/04 15:01 そりゃ一人で子育てるとかたしかに大変なんでしょうけど、だとして子にこのようなトラウマをのこしてもいいってことはないでしょ。

辛かった経験から抜け出すため今も頑張ってる人に、「あなたの親を尊敬します」というのって・・「あなたに辛い思いをさせたことを尊敬します」みたいなことになってしまうんじゃないですかwそんなことまでやって親のことを弁護しようとしなくてもいいと思います。「子育ての大変さ」がわからなくて傷ついたわけじゃないでしょうからね。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/04 15:04 >今日は休みさん
 
私は時々性犯罪被害者の方のブログも拝見するのですが、セカンドレイプが酷いですよね。およそ性犯罪の実態についてほとんど知らない人たちが、好き勝手に「助言」している。「釈迦に説法」「無知の知」という言葉が思い浮かびます。
たぶん、二次被害って、世の中の人々が幻想を持っている分野に多いんでしょう。とりわけ「性」と「家族」は、人々が幻想を持ちやすい分野です。「窃盗」や「交通事故」について幻想を持つ人は、あまりいませんから、「窃盗」や「交通事故」の被害者に対して、「加害者にも加害者なりの事情があったんだよ。わかってあげてね」などと言う人はまずいません。
 
私のブログに関しては、「好きなように書き、好きなようにコメントを返す」が私のスタンスです。コメントを返すかどうかは、全くの私の気まぐれで、面倒臭いと思ったらコメント返しません。全てのコメントに返信しようとすると、ブログを書くモチベーションが続きませんので。
そのかわり、スパムなど、よっぽどの迷惑コメントでない限りは、コメントは残すようにしています。

きゃあきゃあ 2011/09/04 15:09 みなさんもうちょっと記事よく読んでさ、頭使いましょうよ。

>お母様は仮にどれだけ自身のためと思ってなさっていても少なくともあなたの為だとも思ってなさっていた事なのでしょうから。
>私はyuhka-unoさんの母親は、yuhka-unoさんが社会に出てからも周りの人から恥ずかしい思いをしないように躾けようとしていたように感じました。
何度も書かれているけど、yuhka氏の母上はyuhka氏の母上自身が恥を被ることのないようにyuhka氏を「使って」いた。
そう書いてあるし、具体例からもそう読める。子ども視点だからって偏っているとは思えない。勝手に集会に「貸し出す」件とかね。
従ってアナタ方の感じたことは間違い。
アナタ方の生活や経験からくる知恵か空想か常識か社会的観念か何かが貴方の認識をねじ曲げていて、書いてある文章が読めないレベルにしています。
そして仮に「子どものため」を思ってしていたとしても、これらの行動は間違っている。何故なら現に子どものためになっていないし、「子どものためになってないんじゃないか」という吟味さえされていないから。
つうか感じるな、考えろ。考えろよ。

>「一人で絵を描いていたマイペースな私」を認めるべきだった(褒めるべきだった?)と書いてますが、参観日で他の人が教室で勉強しているときに、自分勝手に他の部屋で絵を書いている人の何を認めるべきだというのでしょうか?
>yuhka-unoさんのマイペースというのは、見方を変えれば協調性が欠けてると見えますよね。
>一人で絵を描いてた日は参観日だったんですから。
よく読めよ。幼稚園の話だよ。小学生じゃないんだよ。
幼稚園て小学校の授業参観みたいな感じでみんな席について手を挙げてーってやるの?
普段のわきゃわきゃ遊んでるぶりを保護者に見てもらうって感じでないの?
いいじゃん別室で絵描いてるくらい。先生が何処に居るか把握してるんだったら事故とか起きないし。

>ただ、読み進めてみるとyuhka-unoさん自身にもベクトルが違う方向を向いてるだけで根本的には
>お母さんと同じだなという面が見て取れます。
>「参観日に一人で絵を描いているようなマイペースな人間」というのは、ようするに重視している
>点が外ではなく内、つまり自分に向いてる人ですよね。
「重視している点」を外か内かにしか分けないのなら、重視している点が存在する時点で「根本的には親と同じ人間」ということになる。暴論であり論外。何も論じていない。

>タイトルに『自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。』とありますが、潰れるかどうかは当人考えと意思次第だと思います。
残酷なw
潰れたとしたらそれは本人の意志の弱さと考えのダメさが原因ってことですかwwおぞましやwww

>要は、母親離れがうまくできずに自身が拗れてしまった、ということだと思いますが、
むしろ母上の側が明らかに「子離れ」できてない。というか、子を所有物視してるような面がある。
yuhka氏は既にこのテの「子ども側向けアドバイス」を要する段階を抜けたくらいまで親離れが進んでいるのでは?
何というか、釈迦に説法感がするw

>そんな特殊事情の家庭の価値観が大多数の一般家庭に適合するわけないだろjk
「大多数の一般家庭」の価値観しか持ち合わせていないし他は受け入れる気はないとか…

今日は休み今日は休み 2011/09/04 15:17 yuhka-unoさん、了解です。コメント欄でセカンドレイプのような二次被害が展開されてるような印象だったので書いてしまいました。
確かに幻想(タブー?)である性と家族については、窃盗・交通事故と違って、どうして加害者擁護が出てしまうんでしょうか。自分が「もしかして実は加害者なのかも…」とうっすら感じるからでしょうか。

他のエントリも楽しく読ませていただいてます。引き続きユニークな視点での文章をこっそり拝見させてください。

ふむすふむす 2011/09/04 15:30 グリッティさん
それ逆ですよ。
グリッティさん達は「親」に完璧を期待してしまっているんです。
だから現実との落差に失望している。
コメント欄でブログ主さんを諭しているような年寄り(笑)は
「親」が完璧とは程遠い、ただの人、そしてそれは自分も大して変わらない、という事を知ってしまっているんです。
あなたの言う「本物の親」なんて、とっても珍しい希少種なんですよ。


まあ確かにセカンドレイプとは近いものもあるかもしれません。要注意だと思いました。
ですが、レイプはともかくセックスを否定されては困るのですw

あと申し訳ないですが、「言われなくても分かっている」というのは信用できません。
経験則から言って「言われないと分からない」ことの方が圧倒的に多いですからw

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/04 15:37 >今日は休みさん
 
>自分が「もしかして実は加害者なのかも…」とうっすら感じるからでしょうか。
 
仰る通りだと思います。世間の人は、虐待は特に酷い、特殊な親がするものだという印象を持っているのかもしれませんが、実は虐待は誰でもする可能性があります。
なぜなら、人は誰しも、気付かずに、あるいは良かれと思って、人を傷つけてしまうことがあるからです。これが赤の他人同士ならば、大抵はその場のことで済みますが、親子関係では、この「傷つけてしまう」状態が持続してしまうからです。
もちろん、私も親になれば、子供を虐待してしまう可能性は当然あります。
 
現代日本社会の虐待に対する認識は、今まさに虐待されている子供をどう助け出すかというテーマで語られることが多いですが、そこから一歩踏み込んで、虐待された子供がいかに立ち直るかというテーマで語られるようになると良いと思います。これに関しては、「二次被害」の話題は避けて通れない話です。
 
しかし、人々は、前者には熱心になっても、後者に熱心になるのは難しいでしょう。少し意地悪なことを言えば、前者は、自分が「正義の人」になる話ですが、後者は、自分が「加害者」になる話ですから、できるだけ考えたくないことなのでしょうね。
 
他のエントリも読んでくださっているとのこと、ありがとうございます。

ff 2011/09/04 15:52 こんにちは。
すごいですね、こんなに長文のコメントが続く日記は当方初めてです。自分の中の何かを肯定したいためなのか、それとも単なる教えたがりなのか…。

幼稚園児が周りのことにも気づかないくらい熱中して絵を描いているなんてスゴイことだと思いますよ!(だから先生もそのままにしておいたのでは?)

それを協調性云々にもっていくなんて…。

得体の知れない「一般大衆」という怪物のお墨付きをもらった狭い視野、狭い想像力しか持ち合わせていない方たちのyuhka-unoさんの母親に対する思いを矯正しようとするコメントが目立ちます。まるで自分の身近にいるコマッタちゃんに直接言えないことをyuhka-unoさんに投影してるみたい。

とりあえず、"通りすがりB"に見られるような発言をする人の親の顔が見てみたい、と思いました。まじめに。

なるほどなるほど 2011/09/04 16:04 自分がブログ主さんに聞いてみたいことは、親子の愛情ということについてです。
お読みした限りでは、いわゆる「虐待」とまではいかない、「パワハラ」に近いことをされて育ったとみましたが、そのような状況で育てられた今は、母親に対する親への愛情(もしくは親近感)は感じなくなるものなのでしょうか?
もし不愉快でなければ、ご参考までにご意見を頂けると幸いです。
よろしくお願いします。

thorthor 2011/09/04 16:07 > yuhka-unoさん
> 虐待された子供がいかに立ち直るかというテーマで語られるようになると良いと思います。
> 後者は、自分が「加害者」になる話ですから、できるだけ考えたくないことなのでしょうね。

子どものうちは「親のしつけが悪い」と言われる問題も、改善されずに社会人になった途端、「もういい大人なんだから親のせいにするな」という意見に取って変わられるようなことが多いと思います。
そしてそれがアダルトチルドレン(歪みをもったまま大人になってしまった人たち)の問題解決を遅らせていると僕は思っています。

もっと極論すると、トラブルに巻き込まれず順風満帆に評価されてきた人たちが「努力して認められた」と認知され、また、トラブルに首を突っ込まず、見ないふりをすることによって力を付けてきたという風に見えています。
一度でも挫折すると立ち直れない人が多く、そうした人たちは「努力が足りなかった人たち」として処理されているような。
そんな感覚を持った一部の人は諦めて開き直ってしまって、それを見た人が「それ見たことか」と挫折した人たちを侮蔑したまま悪いイメージが定着してしまい、問題を先送りにすること自体を正当化しているような。

思うに、問題を先送りにしてきた年月が長ければ長いほど、その地獄の釜を開けることを恐れてしまうのではないでしょうか。
しかし、先送りにしていることは負債が今も増え続けていることを意味します。
隠せばいつか無くなるということはありませんが、自分の人生が終わるまで先送りにすれば逃げられるから、そうして結果的に次代に問題をなすりつけてしまう。

救済は気づいた人が茨の道を選択することにあります。
周りに理解されないこと、辛いことを承知で、地獄の釜の蓋を開けて、僅かでも負債を返済し続けることが、唯一の救いである、と思っています。
子の世代の社会問題が親の世代の社会問題よりも軽いものになっていれば、その親はきっと立派な親です。
ですが、誰だって自分が報われたいから、目先の自己肯定を求めて、こうした悲しい結果を生んでしまっているということなのでしょう。

名前は未定名前は未定 2011/09/04 16:47 はじめて拝見しました。
この日記に書かれているunoさんの意見に限らず、共感出来るのは同じ様な体験をしていなければ無理だと思います。

一般大衆や大多数の意見が必ずしも正しいわけではありません。今では間違っているとされている事柄でも、以前は正しかったといった事は珍しくはありませんし。

そもそも感じ方は人それぞれで、いろいろな事を経験する内に物事の捉え方も変化したりするので、unoさんが成人まで気付かなかったり、表面化していなかったりして統計にカウントさされていない事例も多い事でしょう。なので、正確性のない「一般大衆」とやらを持ち出しても説得力がありません。

以前、親戚の方と習い事をする子供について話し合った時の事
 私「子供の方が物覚えが良いのはわかるけど、詰め込み過ぎるのはよくないよ」
親戚「でもそれは、親心から来るものだから」
 私「子供にそんなものが判る筈がない。でも、親なら子供の気持ちが判るでしょう?
   なんせ、親は子供時代を過ごしているんだから」
親戚「…」

「親だって人間、完璧ではない」というなら、子供はもっと未熟な生き物です。善悪などの価値観を教わる最大の教師は(特殊な事例を除いて)親なのだから、子供に大人(親)並みの価値観や知識を要求するのは無理があります。

言いたい事がかぶる可能性があるのでこの辺にします。
最後に、私個人のこの日記への感想「わかるなぁ」と。

kk 2011/09/04 19:24 母は自分が憎んでいる父の姉を、私が好きになるように「血がつながっているから、近くの親戚で子供なのはあなた達しかい
ないのだから(好きになりなさい)」と物心つくころからずっと言い聞かせてきました。
無言の命令は言葉で言われたことより心の奥に残り命令と意識できずに、私を支配します。
私は父姉が嫌いで怖かったのですが、そのことを思ってしまった自分が悪いのだろうと父姉が来るたびに感じていました。
父姉家族は、行くの一言もなく、いきなり家に来て、晩御飯を要求し、彼らは何もせず(父は姉が来てるのにパチンコに行っ
たり)母だけが動き回っていました。
それは母が癌で退院した後もです。
それでも、母父がおかしいと認めるのは自分を否定するようで苦しいです。
母にとって、私の感情はどうでもいいことだったようです。(これは母に直接聞きました。)
母は私の感情を聞こうとはせずに、自分の考えを押し付けてきました。父は仕事以外パチンコばかりしています。
今は母と父が怖いです。今までためらいもなく私の言葉を笑顔で押しつぶしてきた家族です。

ただそこにいる人が敵に見えてきて、怖くて、自分が嫌いで学校に行けなくなり部屋に閉じこもりました。
助けてほしかったけど、他人には気を遣いすぎるくらいの親だったから、すべて私が悪いことになりました。

自分が嫌われないために気を遣う人は、その考え方を子供に押し付けないために、子供を作らないでほしいです。

名無し名無し 2011/09/04 19:39 この状態で、母親に感謝って言う話に持っていく人がいるのにびっくり。
子供は、確かに親に育てられる面もあるが、
自ら学んで育っていく面も大いにあることを、
完全に無視している。

それより、
>気を遣う人に接すると、こっちも気を遣う
この一文にハッとした。
不躾なのはもちろん駄目だが、
やりすぎる堅苦しさとでもいうのだろうか。、
何事にも上限の必要性があることを痛感。

こだまこだま 2011/09/04 19:40

お客様や他人に気を使うったり多少の見栄は当たり前の事だよ
他人が家の中に入るのに布団をそのまま
玄関の靴が散らかってても気にしない
自分の量で他人に盛り付け
…足りなくても他人の家でおかわりは言いにくいよ

言いたい事には賛成
でもこの人の書いた内容には???
自分のだらしなさまで親のせいにしてる気がする

黒 2011/09/04 20:10 子供の頃から親に厳しく言われていたせいで、仕事で失敗する度に「こんなに失敗して怒られるのは、自分だけなんじゃないのか」と自信をなくして落ち込むようになったんだと親のせいのように書いてますが、親に厳しく言われて来ていなければ、仕事で失敗を繰り返して上司に何度も怒られても自分は駄目な人間だと落ち込むことはなかったというのでしょうか?

実際は親に甘やかされて怒られたことのない人ほど、仕事で失敗して上司に怒られるとショックを受けて自信を無くするそうです。
上司に怒られ気を失う人もいると聞きます。

子供の頃の教育に関係なく仕事で何度も失敗を繰り返すから、何度も上司に怒られて自信を喪失して自分は駄目な人間だと思うようになるんです。
自分のミスの多さを棚にあげて、親の責任にしないでください。
あなたの仕事上のミスはあなたの責任です。

自分の失敗を認めてそれを反省して改善しようとしないで、人のせいにばかりしていては、いつまでたってもミスが減るようにはならないと思います。

また、自分だけが親に厳しく言われて不幸な思いをしたように思わないで下さい。
私もあなた以上に親に厳しくしつけられてましたし「子供が親の言う事を聞くのは当たり前だ。」と言われて育ちました。
打たれたことも数えきれません。
今でも姉に「子供の頃から、どうして黒ばかりこんなにいじめられるんだろうと不思議に思ってた。」と言われることもあります。

甘えないでください。

hakuhaku 2011/09/04 21:00 いい記事を読ませてもらった。

うちの母と似通ってる。極端なこと言うと自分が絶対だと思ってるんだよ。
客が来るから掃除する。しっかりした良いお姉ちゃんになれと
言ってることも正しいが故に反論もできない。
そりゃ一つ一つは全部正しいさ。でもおめーそれを全部完璧にできるか?できるわけねーだろって話なんだよ。
おまけにできなきゃネチネチ言われ続ける。それも自分の親にな。
そんなことを言われ続けてぶっ壊れるんだよ。自信もなくすわ。

書いてる途中に↑のコメント見てコレはよい母のテンプレと思ったので反論しとこう。思わずビキビキきたよ。

>>実際は親に甘やかされて怒られたことのない人ほど、仕事で失敗して上司に怒られるとショックを受けて自信を無くするそうです。
ソースもってこいよ。いらんけど。
どうでもいいんだよそんな大多数はそうだよっていうの。大多数が絶対正しいのか?そんなわけねーだろ。
こういう人は正しそうなこと持ち出して相手に反論させないやり方をするんだよ。根拠もねーのにな
世の中にはいろんなパターンが存在するんだ。そうじゃないパターンもあるだろうっていっても一向に認めない。多数派常識が絶対正義。

>>子供の頃の教育に関係なく仕事で何度も失敗を繰り返すから〜
unoさんの文面では自分のミスを親の責任にしてるわけじゃない。
「私があまりにできないので、きっと、すごくイライラさせてしまっているんだろう」と『思い込んでる』部分を
母に怒られてるときとリンクさせて気分を消沈させてるってことを言いたいんだろ。
私がミスしたのは母のせいだーなんて一言も言ってない。
こういうタイプの人はイライラすんなよとかいうならまだわかるが「ミスはあなたの責任です」とか「ミスは減らないと思いますよ」とか言われても的が外れてるどころか中傷に近いだろ
ミスを棚に上げて〜とか人の間違いを拡大解釈して悪口言ってもともとの議題から外れてるのにミスをしたのが悪いって、関係ないとこから相手が悪いように誘導してんだろ?ふざけんなよ。

>>自分だけが不幸な〜
ここに鏡を置いておこう。
あなた以上に厳しくとか言っちゃうあたり本当に性質が悪い。てめーにわかるわけねーだろ
こういうこれが私ができたんだからみんなそうしてるのよ!できるのが当たり前なの!的な
多数派常識が絶対正義ついでに自分も絶対正義。甘えるな?これができないわたしはダメな人なんですね。
こうやって追い込んでいく。

とりあえずこういうタイプの人にはもっと寛容になれよ。って言いたいわ。

       2011/09/04 21:08 お母さんがうざかったのはよく分かるけどな。
自分も似たような思いをしていた頃もあったしさ。

しかしまー、そこまでギャンギャン文句いう程のことかねぇ?
暖かいお風呂につかって、湯の温度に文句言ってるくらいにしか思えねぇ。

黒 2011/09/04 21:50 >haku

>>大多数が絶対正しいのか?そんなわけねーだろ。

大多数の人に当てはまらないような特異な例を「自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。」などと決めつけているから違うと指摘しているだよ。

「あなたの親を尊敬します。」と書いた人を「困った親」だと決めつけたり、反対意見を書いた人を「親に厳しく言われた経験のない人」と決めつけたりと、あまりに視野が狭すぎるので指摘したまでだ。


>>「私があまりにできないので、きっと、すごくイライラさせてしまっているんだろう」と『思い込んでる』部分を
>>母に怒られてるときとリンクさせて気分を消沈させてるってことを言いたいんだろ。

あまりにマイペースで上司をイライラさせている状況であり、小さい頃からマイペースで母親に注意されてきた経緯がある中で、マイペースで周りに気を使おうとしなかった自分自信が悪いのではなく、マイペースなことを小さい頃から指摘していた母親が悪いと言っていることが問題なんだよ。
小さいときに母親がyuhka-unoさんのマイペースぶりを指摘しないで見ないふりをしていたら、社会に出てから上司に何度も注意されても意気消沈することはなかったって言いたいのか?


>>あなた以上に厳しくとか言っちゃうあたり本当に性質が悪い。てめーにわかるわけねーだろ

自分が小さい頃から親の被害を受けてきた被害者かのように執拗に親を悪く書く人が、一生懸命に書いた親にされた仕打ちが「弟の面倒をよく見ろと言われた。」「靴を片付けよろ言われた。」程度なのを読んで分からないのはお前くらいなもんだってーの。

RR 2011/09/04 22:09 自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。
相手のための気遣いと、自分が嫌われないための気遣い。
この二つを読み、私がが感じたのはブログ主のお母様と私が全くの同じであると言う事でした。

そして、同時に私は、お母様と同じ理由で両親を半ば苦しめている事に気がつきました。

ありがとうございます。貴方の文章を読んで、自分から気づく事ができました。
貴方に出会えて本当に良かった、少しずつですが、生き方を貴方のように、変えていきたいと思います。
本当に、ありがとう。

65286528 2011/09/04 23:22 3点だけ。

1.行動の動機というものは、そう簡単に「自分のため」なのか、「他人のため」なのか判断できるものではない。(どちらかだけに基づく行動などというものは、ほとんど全く存在しないといってもいい。)

2.主観的な価値観に基づいて、物事を単純に二分法で考えるのは危険。(真に正しいものが存在していて、それ以外はみせかけ、欺瞞に過ぎないというような語り方)

3.私的な経験から過度な一般化をするべきではない。(私的な経験を綴った文章から、タイトル「自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。」のような結論を導くのは、明らかに論理が飛躍している。)

まりんまりん 2011/09/04 23:39 わかります。同じような境遇です。世間体ばかり気にする人でした。経済的には裕福に過ごしまが、母の奴隷でした。ある程度大きくなるとその盾に気がつきながらも、従わざるを得ない心に葛を持ちなが
ら生きていました。そしてその呪縛か開放されたの
は、諦めたときでした。母に期待すのはよそう。本
心を言うのをよそう。矛盾を感じもそれが、正しい
かのように振舞おう。そうしたら楽になりまし
た。このような嫌な経験が反面教師となり、今の子
育に役立っています。長女の私と違い、その被害を
受けなかった私の妹は、母そっくりの子育てをして
います。姪っ子が当と同じ目をしています。私は自
分を抑え殺してきたけど、姪っ子にはそれができる
のか。一歩間違うと親殺しも起こりかねない。そん
な風に自分も母を心から恨んできたから。
こんな風に冷めてしまった人間に成長した私ですが、それはそれでいいかなと。主さんも、冷静に母親を分析するチカラと気付きは、皮肉にも母親の影響といえますね。共感せずにはいられず、書き込みました。長文失礼しました。

hakuhaku 2011/09/04 23:55 >黒

>>大多数の人に当てはまらないような特異な例〜
だからそういう特異な例が「自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。」ってことじゃないの?
それもかなり行きすぎなレベルで気を使う人はってパターンでしょ。
自分が嫌われないために少しでも気を使う人全てってわけじゃない。

>>あまりにマイペースで〜
小さいころから指摘すること自体は悪くないが、それがいちいちねちっこいんだよ。
言われたからって親のせいにするなよっていうのはわかるが、unoさんが言うのはやりすぎるとってことなんだと思う。
マイペースぶりを見ないふりをしていいわけなかろうが。程ほどにしろ過剰に言うなってことだよ。
unoさんは書いてないけどな。

>>自分が小さい頃から〜
程度というか小言にイチイチできるのが当たり前なのよ!みたいなお前はダメな子だ。っていうニュアンスを含むセリフがいちいち絡んでくるのよ。
「弟の面倒をよくみなさい。お姉ちゃんはそういうものなのよ、みんなそうしてるの。できるのが当たり前なの。できなかったら皆からバカにされるわ云々かんぬん」
もろあなたがその例なんだけど、
>>自分が小さい頃から親の被害を受けてきた被害者かのように執拗に親を悪く書く人が、一生懸命に書いた親にされたことが〜
とかの部分が悪意伝わりまくりなんだよ。「親を悪く書く人が上げた親にされた仕打ちが」でいいだろうが。
別に被害者面した犯罪者ってわけじゃねーし、一生懸命に書いたって小バカにしてるだろ。
いちいちいらん悪口を書くな。こういうのを子供のころから親に言われ続けたら病むのもムリねーだろが。

>>「あなたの親を尊敬します。」〜
仮にもおそらく恨んでる母親を尊敬します。とか言われたらムカッとくるんじゃなかろうか。
視野狭くなってるのは認めるけど。

用は
「自分が嫌われないために少しでも気を遣う人は、身内を潰す。」
ってんじゃなく
「自分が嫌われないために気を遣いすぎる人は、身内を潰す。」
ってことが言いたい。ここで皆勘違いしてんじゃないだろうか。

thorthor 2011/09/05 00:33 > 黒さん
あなたの言っていることは多数派の社会の常識に沿っていて、そういう意味では正しい。
だけど、間違った育てられかたをした人は間違っていて当然であり、それを矯正するために「親は間違っていた」と言って自分の歪みを直そうとしているところに首を突っ込んで何が得られると言うのでしょうか。
歪みをただそうとしている手段を封じて、甘えずに直せとは、言っていることが矛盾しています。

黒さんが見ている世界は、頑張ればできる人間しか生き残れない、恵まれた世界です。
自分が駄目だと思い込んでいる人間は、生まれてから何十年もずっと自分は駄目だと思い続けてきたような人間ばかりです。

少ない努力で報われた経験を積み重ねた人は、自分が正しいと思い、成功経験を積み重ねていきます。
どれだけ努力しても報われない人は、自分が何をやっても間違えると思い、罪悪感を積み重ねていきます。
そして、少ない努力で報われる才能溢れた人たちは、自分の努力がこんなに大きな成果を上げたから自分は正しい、同じだけの成果が出せないのは自分より努力が少ないからだと言って他人を説教したがります。
それは傲慢です。
本当に不幸な目に遭って苦しみ抜いた人ほど、どれだけ努力しても報われない人がいることを体験から受け入れており、できない人に甘えだ怠け者だと言って追い詰めたりしません。

あなたの「甘えないでください」ほど無責任な暴力はない。

できない人はできない。それが本当の厳しい現実です。
やればできるというのは万能感から来る幻想であり、他人にどんな言うことでも聞かせるためのマジックワードです。
できない人はできないなりに、他の手段でもって生きるために知恵を働かせて生きています。
あなたは自分の主張を通すために、わかりやすい「甘えるな」という言葉を押しつけ、生きるために働かせる知恵を否定しているだけです。

信号を無視する人は目が見えないのかもしれない。
人の話を聞かない人は、耳が聞こえないのかもしれない。
他人に迷惑を掛ける人は、他人に迷惑を掛けることしかできないのかもしれない。

黒さんは恵まれているから、そういうものを存在しないものとして理解しないだけです。
恵まれている人が努力という言葉を口にしているに過ぎません。

割と近い話題で言いましょう。
車を運転できない人なんているはずがない、努力すれば誰でもできる、しない人は甘え。
そんな考えを押しつけた相手がてんかん持ちだったら、どうなるでしょう。
できなくてもしなければならないからと言って命令に従って車を運転すれば、事故で大惨事になりませんか。
そのとき黒さんは、事故を起こしたのは本人の努力が足りなかったからと言うのでしょうか。
きっと自分が車を運転すれば事故を起こすとわかっている人は、何が何でも運転することを避けるはずです。
しかし、それを理解できない人は、運転しないのは自分勝手であり甘えと言います。

いざというときに車も運転できない人は迷惑。それは社会にとって正しい。
ですが、それでも就職しなければ人は生活できない。

さて、真に問題の点は、ここは黒さんの会社ではないことです。
価値観が違う異邦者は黒さんのほうなのです。
黒さんは、他人の家に遠慮して入れているのでしょうか?

人格を否定するつもりはありません。
ですが、自分が正義だと思い込んで上から目線で決めつけるためにブログまで来て首を突っ込んでいること、傲慢だとは思いませんか。

ff 2011/09/05 01:01 >黒さん

あなたのコメントを読んで、「私にもできたのだから、あなたにもできるよ」という一見励ましてるように思える言葉が、実は逆に相手を追い詰めてしまう結果になっているのかもしれない、と気づきました。

そして黒さんが執拗にyuhka-unoさんを叩くのは、自分の中に潜んでいる親を恨む気持ちが鎌首をもたげないようするためではないか、ともね。

それから、これは論文ではなく個人の日記だということをお忘れなく。どんなタイトル付けようが自由。

あ。あ。 2011/09/05 03:30 本文もコメントもだらだらだらだらと
長文で鬱陶しい。

もっと見やすいようにできないの?

黒 2011/09/05 05:46 > haku

>>いちいちいらん悪口を書くな。

俺には注意をしてくるが、yuhka-unoさんが自分に気に入らない意見を書かれたからといって被害者感情をむき出しにしながら「この人も困った親に違いない」とか、「こういう意味が判らない人」とか相手を小バカにしたような事を書くのはいいのか?

自分は書くけど相手が書くのは許さないということは通用しないだろ。

ただ、俺の意見はすでに書いたから一通り反論してから、そろそろ辞めにするつもりだけどな。

最後に一言だけ言わせてもらうが「自分が嫌われないために気を遣いすぎる人は、身内を潰す。」ではなくて「子供に対して過度に否定的な事を言い過ぎると、子供を萎縮させてしまう恐れがある。」ってだけのことじゃないのか?
人に気を使わない人が子供に対して過度に否定的な事を言ったとしても同じことだから、気を使う人だからとかは関係なくって俺は思うけどね。


>thorさん

>>自分が駄目だと思い込んでいる人間は、生まれてから何十年もずっと自分は駄目だと思い続けてきたよう>>な人間ばかりです。

あなたも決め付けが激しい人のようですね。
自分が駄目だと思い込んでいる人間の中にも、大学受験で失敗してから挫折して自分が駄目だと思い込むようになった人もいれば、年を取って病気になってから自分が駄目だと思い込むようになった人もいるし様々でしょう。

あなたがそうだったとしても、自分が駄目だと思い込んでいる人間がすべて生まれてからずっと駄目だと思い込むようになった人ばかりだと決めつけないほうがいいと思いますよ。
また、私が恵まれていると決め付けるのも早計ではないでしょうか?

成功経験を積み重ねた人が少ない努力で報われた人だと何故言い切れるのでしょうか?
もともと才能がある人が、たいした努力もしないで成功を収めていて才能のない人を説教していると決め付ける根拠もわかりません。

「本当に不幸な目に遭って苦しみ抜いた人ほど、どれだけ努力しても報われない人がいることを体験から受け入れており、できない人に甘えだ怠け者だと言って追い詰めたりしません。」というのも100%本当でしょうか?

あなたの勝手な想像の話ばかりされても困りますので、具体的な人物例を幾つか上げて説明してください。

それから、私は失敗は誰にでもある物だし一生懸命に頑張ったうえでの失敗は怒るべきではないと思ってますので、できない人に甘えだ怠け者だと言って追い詰めたりはしません。
会社でも失敗したこと自体を責めたり怒ったりしたことはありません。

私が怒っているのは「なんでもかんでも人(親)のせいにするな」ってことです。

あと「いざというときに車も運転できない人は迷惑。それは社会にとって正しい。」というあなたの意見も理解できません。

車を運転できれば便利だということはあるでしょうが、運転できないことで何故thorさんの迷惑になるのでしょうか?

私は免許のない人に運転しろと言ったことはありませんし、耳の聞こえない人に話しを聞けと言ったこともありません。
意味のわからない極論を吐かれても議論にすらなりませんよ。

それと、あなたはご自分が間違えることを駄目な人間だから仕方がないと正当化しているようにも感じますが、何をやっても間違える病気だとでも言うつもりですか?
間違いを減らすためにどのような努力をして来たか参考までに教えてもらえますか?
努力しても出来ない人もいるから、そういう人は努力をしなくてもいいとでも思ってるんですか?
いきなり間違いが0になることはないでしょうが、努力した分は少しは間違いが減るはずです。
努力してもまったく間違いが減らないというのなら、努力の仕方を間違えているんでしょう。

それから、あなたは他人のブログだから遠慮して反対意見を書くなといいたいのでしょうか?
ブログを賞賛する意見は書いてもいいけど、反対する意見を書いてはいけないのですか?
私は上から目線で決めつけているのではなく、yuhka-unoさんが決めつけていることに対して決め付けるなと反論しているだけですが?

自分が正義だと思い込んだこともありません。

反対意見は書くなというなら一般の人の目に留まるところに書かずに、身内だけが見れる場所で細々と書いてもらってください。


>fさん

>>あなたのコメントを読んで、「私にもできたのだから、あなたにもできるよ」という一見励ましてるように思える>>言葉が、実は逆に相手を追い詰めてしまう結果になっているのかもしれない、と気づきました。

>>そして黒さんが執拗にyuhka-unoさんを叩くのは、自分の中に潜んでいる親を恨む気持ちが鎌首をもたげな>>いようするためではないか、ともね。

妄想お疲れ様です。
yuhka-unoさんを励ましているつもりは一切ありませんし、自分の中に潜んでいる親を恨む気持ちが鎌首をもたげないようにしたいと思ったこともありません。

親も人間ですから良い面も悪い面もあるでしょう。
親だから絶対に恨んではいけないということもありません。

ただ、自分自身を顧みずに会社で失敗を繰り返して何度も怒られて落ち込んだからといって、それまで親のせいにするのはみっともないし、自分の望んだコメントと違うことを書いたからといって「こういう意味が判らない人」などと馬鹿にするのは辞めたほうがいいんじゃないのかって言いたいだけです。


>>それから、これは論文ではなく個人の日記だということをお忘れなく。どんなタイトル付けようが自由。

タイトルが間違っていると思えば、間違っていると指摘するのも自由なのではないですか?

thorthor 2011/09/05 06:57 > 自分が駄目だと思い込んでいる人間がすべて生まれてからずっと駄目だと思い込むようになった人ばかりだと決めつけないほうがいいと思いますよ。
> また、私が恵まれていると決め付けるのも早計ではないでしょうか?
> 何をやっても間違える病気だとでも言うつもりですか?
僕はアスペルガー症候群です。先天的に脳に障害があり「人や社会が他人とは違って見えている」ため、協調性がありません。
こうやって普通にコメントをすることすら、以前は極めて困難でした。人間嫌いで、書字障害という学習障害があり、また会話では会話を聞き取る能力に障害があります。
幼稚園の頃はすでに一人で遊んでいたそうです。

そして自閉症者は少なくとも日本の総人口の1%程度は居ます。
ざっと100万人くらいはいると思います。
さて、日本の引きこもりやニートの総数はいくらくらいだったでしょうか?

重度の自閉症の具体例は、映画のレインマンが参考になるでしょう。

> 車を運転できれば便利だということはあるでしょうが、運転できないことで何故thorさんの迷惑になるのでしょうか
僕がナルコレプシーです。車の免許は持っていますが、突発的に居眠りするので怖くて車を運転できません。
また、仕事中に突発的に居眠りをするのを止められないので、どこへ言っても組織の和を乱す存在です。

他人を怒らない具体例は『オーボンヴュータン』という店の河田シェフという方が居ます。

> 間違いを減らすためにどのような努力をして来たか参考までに教えてもらえますか?
上司に怒られたときに言われた通りの修正の仕方をしたら直りません。考え方が違うからです。
昔はそれすらも分からず、他人から言われたことをそのまま鵜呑みにしながらも、理解の仕方が違うということを知らず、全く違う行動ばかりをしていました。
なので今は、上司に怒られたとき等は素直に聞いているアピールだけはしておいて、自分に理解できる翻訳方法を自分で編み出して、それによって対処します。
普通の人から見たら、自分勝手で協調性がない、そのまんまのことをしています。
ですが、脳の思考パターンが違うため、今の方法を取る前はあらゆる他人の言葉が理解できていませんでした。
今の方法ではミスはゼロではありませんし、協調性について怒られることもありますが、失敗の再発は格段に減りました。
昔は正社員だったこともありますが、それでは組織を破壊することはわかりきっているので、世間から白い目で見られることは知りながらも、フリーターをしています。
最終目標は自営業になることです。会社に所属せずに生活する術を手に入れることが、僕にとっての適応の手段です。

立派な社会人になって真っ当な企業に就職して出世する、ということが先天的な能力故に絶対にできません。

ff 2011/09/05 07:13 >黒さん

長文、お疲れ様。
あなたがyuhka-unoさんを励ましてるなんて思ってませんよ?「私にもできたのだから、あなたにもできるよ」というのは自戒のつもりで書いたのです。妄想ですか、失礼しました。お姉さんに「なんで黒だけいじめられるんだろうね」と言われたというような記述があったので、そうなのかな、と。

かわまーかわまー 2011/09/05 07:13 コメント欄を拝見していると先日テレビから聞こえた
「主観同士を戦わせても何もならない」という言葉を思い出しました。
これは個人的な考えですが、その「立ち直り」も”これ”というものではなく、
本人が大きく苦しまず日々をすごせることなんだろうと思っています。
「自分はこうしたので、貴方もこうしたほうがよい」ではなくて
「自分はこうしたが、貴方はどうしたいのか」という対話に変換すると、
”虐待にあっている子供を救い出すだけではなく、
そこから立ち直ることを考えるべき”というまさにその状態になるのでしょうね。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/05 07:55 >なるほど さん
 
>そのような状況で育てられた今は、母親に対する親への愛情(もしくは親近感)は感じなくなるものなのでしょうか?
 
感じなくなるどころか、愛情不足で育っていますから、親からの愛情に飢えています。「困った親」は、大抵親自身も同じような育てられ方をされています。つまり、親から愛情を与えられず、理解されずに育っている。なので、自分が親になった時、子供から愛情と理解を得ようとするのです。その結果が、子供に対する「親に感謝するべき」「親を理解しなさい」という美徳の押しつけです。つまり、親が子供に甘え、子供が親をあやす関係になるのです。
 
虐待関係にある親子は、例えるなら、「およそ恋人を大切にしないDV彼氏(親)と、その恋人から離れられない彼女(子)」みたいな関係になりやすいです。
客観的に見ると、どう考えても愛情を注ぎそうにないDV彼氏のことを、「彼は私を愛してくれている」「私が悪いから殴られるんだ」「私のためを思って怒ってくれているんだ」「私が愛情を持って接すれば、いつか変わってくれる」と思い込むんですね。親の愛を信じていたいのです。
 
自分の親が普通じゃない、おかしい、自分は十分に愛されなかったということに気付いた瞬間は、ショックです。でも、そこに気付かないと、自分が親になったとき、自分の子供に同じことをしてしまいます。
よく「親のせいにするな」と言われますが、自分が何もしない言い訳として親のせいにするのと、自分が前に進むために、原因は親にあると認識するのは、全然違うんですね。あらゆる問題には、何事にも原因究明と分析が必要であり、その原因が親であることが紛れもない事実ならば、はっきりと認識したほうが良いんです。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/05 08:13 >名前は未定 さん
 
>親戚「でもそれは、親心から来るものだから」
 
はっきり言わせて頂くと、「親心から来るものだから」というのは、言い訳だと思いますね。基準にするべきは、親の側の気持ちではなく、子供にとって良いかどうかなのです。
どんなに善意から来るものであったとしても、「あなたは、私の善意を必ず受け取って、喜んで感謝しなければならない」という押し付けがセットで付いて来るようならば、それは暴力になりえます。
折しも3月に未曾有の災害がありましたが、「支援」についても同じことがいえるでしょう。基準にするべきは、支援する側の気持ちではなく、支援を受ける側にとって良いかどうかなのです。
 
「相手の立場に立って考える」とよく言いますが、人は誰だって、良かれと思ってしてあげた自分の気持ちを、相手にわかってほしいという欲望を持ってしまうものです。私もそうです。そういう自分の欲望との戦いですね。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/05 08:56 >黒さん
 
私の経験から言いますと、他人に対して「甘えるな」と言う人ほど、実は本人が甘えたがりというのは、よくある話です。なぜなら、その人の中には、ものずごく甘えたい気持ちがある。けれど、その気持ちに見ないふりをして蓋をして、無意識の奥底に抑圧しているから、他人が「甘えている」ように見えると、我慢ならないわけです。「自分はこんなに我慢しているのに、なんであいつは…!」と思うんですね。
 
無意識の奥底に抑圧した「甘えたい」気持ちは、本人が知らず知らずのうちに表にでているものです。どういう形で表に出るかというと、他人に対して「私はこんなに頑張っているのだから、あなたは私の言うことをきくべき」という形で甘えるのです。
これが親になると、子供に対して、「親に感謝するべき」「親を尊敬するべき」「親のいうことをきくべき」と言うようになります。そう、「困った親」と一緒です。
現に今、あなたが私に対して、自分の言うことをきいてほしいという気持ちを強く持っていることは、あなたの私に対する、無自覚な「甘え」の表れと言えます。
 
今のあなたにこんなことを言っても、あなたを傷つけるだけかもしれませんが、あなたも私にお好きなことを言って下さったわけですし、ここのコメントは、あなたにだけ向けて書いているわけではありませんから、まぁ良いかなと思って書いておきますね。
あと、このエントリに書いたことだけが、私の全てではありませんので。
もしよろしければ、こちらの記事もご覧ください。「甘えたい」という気持ちについて書いてあります。
 
『自立とは、自分の心の赤ちゃんのお守りを自分ですること』
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110614/1308044705

chai_lamachai_lama 2011/09/05 11:14 この日記はツイッタから辿ってきました。
これは間違いなく私の話です。
絶対に捨てておけないので、書かせてください。


勝手ながら、私はここに宣言します。

yuhka-uno さん、thor さん、私はあなたの味方です。私はあなたの仲間です。
あなたがた二人が何を思おうと、なにを言おうと、なにをしようと、
ほかに世界のどんな人たちや思想や宗教や、あなたがた自身があなたを否定しようと
私は全力であなたがたを肯定します。
全力であなたがたを守ります。

フェアであるために、先に理由をはっきり述べておきます。
(たぶん、こういった生真面目さは、少なくともあなたがたお二人には
共感をもって理解していただけると思います。
こういったフェアさを大事にしない人に、
私たちは囲まれて生きてきたのだと思います。)

それは、他でもない私がそうされたかったからです。
つまり、ほとんど自己満足です。

また、私の頭できるだけ客観的に考えても(純粋な客観なんてそもそも存在しませんが)
この世で少なくとも誰かひとりが、
あなたがたに対してそうすべきだと思ったからです。
これはつまり、義憤です。


yuhka-uno さん、私も同じように育ちました。私は墓守娘です。

※墓守娘というキーワードをもしご存知でなかったら、
ぜひ検索してみてください。
我々のような女性たちを表すのに今最も的確な言葉であると私は思います。
http://bit.ly/nCwPgY
このキーワードを広めるためと、自己治療のため、
私はここ2年ほど、ツイッタでこのタグを作って活動してきました。

別の言葉でいえば、私は機能不全家族で育った、
児童虐待の被害者であり、ACであり、虐待のサバイバーです。
抱えていらっしゃる背景、価値観、すべてわかります。
いや、より厳密にいえば、わかる気がしてなりません。


thor さん、私も同じように発達障害を持っています。
確定診断は受けていませんが、長年別件で
(そもそもは上記のような家庭問題で)かかっている精神科医より、
あなたには確実に(感覚過敏に起因すると思われる)
コミュニケーション障害がある、と最近言われました。
恐らく私は自閉系スペクトラムのいずれかの、
かなり軽度に類する発達障害を持っていると言えるでしょう。
(かなりの軽度であるゆえに、発覚が遅れたようです)
あなたの最初のコメントを拝読したときからピンときていましたが、
やはりお仲間でしたね。
おっしゃっていること、立ち位置、全てわかります。
いや、より厳密にいえば、わかる気がしてなりません。

私は、PCの画面を通してあなたがたと出会えたのを嬉しく思います。
あなたがたは魂の友です。戦友です。
それぞれがそれぞれの方法で、この理不尽な「世間」を
生き抜く方法を模索していくのを、
何かの形で互いに糧にできたら幸甚に存じます。



同じく私は宣言します。

ここでyuhka-uno さんに対して、
批判的なことや否定的なことを書いてらっしゃる方々。
あるいは書かずとも、心に批判的なことや否定的な気持ちをお持ちの方。
あなたがたは私の敵です。

あなたがたがどんな常識や、論理や、手段や、量的な優位性をもって
yuhka-uno さんを批判したり否定したり、
あるいは社会的に抹殺しようとしたとしても、
私はあなたがたに反論します。魂と矜持をかけて反論します。
反論するし、私の心の中には、
あなたがたに反論し続け、反論し切るだけの想いや、
できる限りの客観性を吟味し続けた証拠があります。
ネット上にはそれを証明しうる、まごうかたなきログがあります。
それが私という人間の存在意義であり、人生上の仕事であると思っています。

二項対立が危険だ云々という話はもちろん存じています。
もっともだと思います。むしろそういった考えは支持いたします。
しかし、私はここはあえて二項対立を選びます。
これは私の強さかもしれないし、弱さかもしれません。
いずれにしろ、私は私の責任で、この立場をとらさせていただきます。


あなたがたがもし、この日記やコメント欄をお読みになって
何かしらご不快で、ひっかかるものがあって、あるいは義憤にかられて、
どうしてもyuhka-uno さんを攻撃したいのでしたら、
代わりに私を攻撃してください。
私は全てを受けて立ちます。
どうぞいくらでも私を叩いてください。
私は戦い続けます。戦い続けますし、負けません。
ただし、どこまでも、絶対に、「言葉」で。
キーボードで、ペンで、論理で、
PCやスマートホンの画面を通して、戦います。

戦うというか、なんだろう、ツイログとか、
私が書き続けてきたことを見ていただければ、
戦う意味自体、ほぼないということを、
少なくとも何割かの方はおのずと理解してくださるに違いないと、
そういう自信があります。
自信がなきゃ、こんな挑戦的なことしません。

URLに、私のツイログを置いておきます。
良くも悪くもご興味がおありの方は、
ここからいくらでも私のことを辿れるでしょう。
皆さんご存知のように、ネットというのはそういうところです。
これは私の逃れられない人生のテーマであり、
私はこの方法以外に生きられません。
だから、もとよりある程度のことは覚悟してやっています。
IDや関連のキーワードで、心ゆくまで辿ってください。

その代わりお願いします。yuhka-uno さんを叩かないでください。
二次被害、三次被害は私でもう充分です。
私には勝手ながら、yuhka-uno さんの気持ちを
ほぼ追体験できる自信があります。
叩かれ慣れてもいます。
反論のための証拠も(わりかし)サッと出せます。
無駄な感情の投げつけあいみたいな遠回りもしません。
正直、だいたいのことはもう全部通ってきたような気がします。

だから、yuhka-uno さんを叩きたいなら、
私を叩いたほうがいろいろと省エネです。ショートカットです。
だからどうか私を叩いてください。
私は逃げも隠れもしません。
(ただし、常に直接のリプライという
リアクションのとりかたをするとは限りません、
ということは先に述べておきますが)


それから、どうかお願いします……

あなたがたがここで、それぞれのやりかたで
懸命に主張なさろうとしていたのは、
まさに「人間として(最低限の)モラル」のようなものだったと思います。
正しい読み取りかはわかりませんが、少なくとも私にはそう思えました。
それぞれの方がそれぞれなりの「正しさ」あるいは「ベスト」、
「セカンドベスト」を模索していて、
その模索の琴線になにかどうしようもなく触れるものがあったから、
これほど多くの方がコメントを残すことになった。

もしもあなたがたが、そういう方々であるなら。
どうか、この件を「ネット上の論争」の範疇から逸脱させないように、
論争という土俵の中にあるモラルやルールから外れた、
無益な悪意の何かに発展させてしまわないように、
どうかお願いします。
興味本位で覗きにいらした方にも、どうかお願いします。

どうか、私の言わんとしていることが、皆様に通じますように。

私は、最近まで肉親をさえ(いや、肉親をこそかもしれない)
信じたことがなかったし、人の善意というものも信じられませんでした。
むしろ、そういったものは私にとって最大の恐怖の源でした。
ほとんどの場合、それらはいつも私を裏切り、利用し、
あらゆる目を摘みとり、奪い、
恐怖とプレッシャーで押しつぶそうとしたからです。
私の人生はまさに、そういったものに翻弄され続けたものだと
言っても過言ではありません。

けれど、私は、人というものの、その集合の、
良い面に懸けてみたいと思います。
それは、そうでもしなければ、今後この社会で
私の人生を生きていくにあたり、私の心が救われないからです。
私は、私が生きるために、人というものを信じたい。
私は私の心を救うために、どこまでも私の我儘として、
ここをご覧の方々の心を、その動きを信じて、全て託します。

どうかよろしくお願いいたします。

この場を借りて青年の主張をさせていただきました。
失礼いたしました。ありがとうございます。

名前は未定名前は未定 2011/09/05 11:32 コメントを読んでいただきありがとうございます。

今までのコメントの中にブログをしっかり読んだのかと疑問に思う人がちらほらいましたけど、私はunoさんの文章はとても判りやすいと思います。私よりもライターに向いてるかもしれませんね。

>支援する側の気持ちではなく、支援を受ける側にとって良いかどうかなのです。
>「相手の立場に立って考える」とよく言いますが、人は誰だって、良かれと思ってしてあげた自分の気持ちを、相手にわかってほしいという欲望を持ってしまうものです。

相手の立場に立って考える事は相手に迷惑をかけない為にも大事なことですが、こと言葉や物を送る際に失敗する事が多いかと思います。
私が一人暮らしをしていた時、よく母が大量に荷物を送ってきたのですが、「自立してほしいと願うなら、余計な気遣いはやめてくれ」と露骨な言葉を返したところ、予想通り機嫌を損ねてしまいました。
私や父が送った誕生日プレゼントやおみやげにはケチをつけまくるのに、自分が逆の立場になると「貴方の為にやっているのに」というはどうかと思います。

幼い頃からの経験で、私は大人に対する信頼はほとんどありません。といいますのも、親や教師は何かと「あれやれ、これやれ、こうあれ」と要求するのに、模範を示してはくれなかったからです。「言うわりに何故やらないのか?」と訊けば、「大人には大人の事情が〜」と言うばかり。そんな大人達が子供にどうして尊敬しろと言えますか?
黙っていても年はとる為、私も大人の仲間入りしましたが、大人の付き合い方は覚えても、「大人の事情」とやらを盾にする生き方が良いとは今でも思えません。それこそ甘えだと思います。

>thorさん

私も学生時代に腕を故障してしまいましたが、見た目には障害があるようには見えない為、家族にさえなかなか理解してもらえませんでした。
ただ、とある先生の親戚に同じ様な症状の人が居た事と、事務のお姉さん2人がネットで調べるなどしてくれた為、卒業制作の条件が緩和されるという事がありました。

周囲に理解があるか否か、これだけでも印象や待遇に差が出ます。そして、同じだけの知識を持って尚、対応は個人の考え方で違ってきます。それ故に声を上げにくいというのもあるかと思います。
必ずしも受け入れてくれる人ばかりではないという事を、卑屈な感情からではなく客観的な見方で理解・対応出来るのは素直に凄いと感心しました。

励ましではないですが、まっとうと言えるような企業自体がそれほどないので、あまり気にする必要はないと思いますよ。私はこの程度の文章しか書けませんが、それでも孫請けのライターとして他人の文章を手直ししていたりしますし。

三児の母三児の母 2011/09/05 12:12 子供を育てるのは本当に大変だから、受け身の子供から偉そうなことを言われたら親は単純に腹が立つんですよ。
親はお金を使い果たし、命を縮めて子供を育てます。
社会に出れば自分を陥れる人だって出てくるのに、(結果陥れられたかもしれないが悪気はなかった)親に対してそこまで言うなとも思う人がいるかもしれない。
働く苦労、子育ての苦労、子供に見せない大人の苦労、そういう苦労をすべて味わってから偉そうなことを言えと思う人もでてくるでしょう。
苦しい中頑張って育てた子供に言われたら、反射的に反応する人もでてきますよ。
「おまえも親になればわかる」と。

でも虐待を受けた子供が親を敬ったまま子育てをすると、虐待の連鎖に苦しむというのはよく知られた事実です。
断ち切るためには、親を愛する気持ちをいったん捨て、一個人として客観的に見るというステップを踏むのが非常に効果的です。
yuhka-unoさんは見事にそのステップを踏まれているので、彼女をさまざまな思いから否定する方は、親の圧力から心が歪んでしまった結果、前に進もうとする力を削いでいるのと同義ということを理解してほしいです。

お母様とyuhka-unoさんが本質的に似ているとおっしゃっている方がいますが、私は違うと思いました。
ご家庭の事情など細かいことはわからないので文面から推察することになりますが。

yuhka-unoさんは、人に気遣いをするときは本心からするものであるという、崇高なお気持ちを持つ方なのだと考えられます。ご自身の気持ちにも正直だからマイペースなのでしょう。つまり嘘が嫌いなお人柄なのです。

反面お母様は、人前では本心を出すべきではないというお考えなのではないかと思います。子供に悪影響を及ぼしたなら、"嘘を処世術として使っていくうちに嘘に呑み込まれ自分を見失ってしまう方"の典型かもしれません。見栄っ張りで済ませられるようなものではないでしょう。

価値観が違うと、自分を否定されている気がするので、上手に立ち回りをしないと権力のあるもの(親)が一方的に弱者(子供)を傷つけるか、お互いが傷つけあうことになります。

人から認められたいという欲求はある程度の欲求が満たされれば自然と湧き上がる反応ですから(心理学でいうマズローの承認の欲求ですね)そこをとって「あなたも親と同じ」と決めつけるとおかしなことになります。同じ目的でも行く道のりが違うのです。

幼少期に脳に与える刺激がどれだけその人の人生を左右することになるかは、幼児教育で成功体験を持つ人ならわかるかもしれません。脳内環境が悪すぎると、打たれ弱い人間に育ち、逆境に立ち向かったり、自ら環境を作り出す力が出ないといわれています。甘えという単純な言葉では片づけられないケースもあるんですよ。

なるほどなるほど 2011/09/05 13:54 ブログ主さん、ご回答ありがとうございました。
あなた様のお母様からあなた様への愛情が足りなかったこと、もしくはお母様に愛情があったかどうかは別にして少なくともあなた様がお母様が愛情不足だ感じてきたこと、それはご説明から理解できました。
愛情ということの定義がそもそも難しいことなのは分かっています。
親子関係において、仮にその愛情を無条件に相手方に頼る気持ち、それがために相手方を失いたくない気持ちと定義してみたとします。(狭義な定義であることをお許し頂き、拡張が必要であればお願いします。)
その上で、そのような状況で育てられた今、おなた様はお母様に対する愛情がない状態に立ち至っているのかどうか、そこのところをご質問したかったのです。
誠にお手数ですが、不愉快なこととは存じますがご意見を頂けると幸いです。
よろしくお願いします。

黒 2011/09/05 18:15 >thorさん

あなたも決めつけが多いようですが、『オーボンヴュータン』という店の河田シェフさんが怒らないからといって、「不幸な目に遭って苦しみ抜いた人は怒らない」ということにはなりません。
中には怒らない人もいると言えるだけです。

私はボランティアで老人施設へ行くことがあります。
中にはかなりの苦労をして来たという方もいますが、その方々が怒らない人ばかりかというと、そうではありませんでした。

ただ、あなたが障害がありながら環境のせいにして逃げずに精一杯努力をしているところは尊敬します。

自営業になるというあなたの夢が叶うことをお祈りします。


>yuhka-unoさん

私は”「あなたに能力がなく社会で自信を喪失したこと」と「子供の頃に受けた教育」については別の話であり、「子供の頃に受けた教育」が違ったとしたら「能力がなくて怒られても社会で自信を喪失することはなかった。」などとは言えない。”と丁寧に説明して来たのですが、それに対する理論的な反論は一切無く、返してきた返事は「私が甘えたがっている。」ですか?

小学生がよく言う「バカと言う方がバカだ。」程度の話を、自分の経験上そうだったという理由で決めつけてくるあなたと、「子供は親を尊敬するべきだ」と決めつけてきたあなたの親とどれほどの違いがあるというのでしょうか?

人間というのはあなたが思うほど単純なものではなく「こう言ったからこう思っている。」と決めつけられるものではありません。
同じ言葉を発しても、その時の状況や背景によっても違うでしょう。

同じ言葉を言われたとしても、人によって反応は様々です。
自分がこう言われてこのように思ったから、「自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。」、「甘えるなと言ったから、この人は甘えたがっている」と決め付けるのではあまりに思慮が足りなさ過ぎます。

ある程度、手応えのある議論の出来る相手ならまだしも、これ以上あなたの妄想を読んでいても時間の無駄なので、これで終わりにします。

あなたの狭い視野で見たものが世界のすべてだと思い込まないように。

yukiyuki 2011/09/05 20:56 お返事はしなくても構いません、お気遣いなく。

気になったのが、「もし今現在も母親からの『攻撃』があったら」ということです。
今は大丈夫なんでしょうか?このエントリしか見ていませんが…

自分は母親の行動(現金の要求、携帯への何秒ごとの発信)が原因で鬱を発症し家出しちまいました。
数年間そのまま連絡を絶ち、精神科で鬱を治療して「過去を無かったことに」するつもりで、
自分一人で結婚。もちろん相手には事情をじっくりと話した上で。

法的に親との関係を切ることはできません。でも、
相続手続きなどの問題もありますし、家人が亡くなれば連絡を取らないままにすることは無理ですね。
もしそこまで追い詰められることがあれば、ぜひ役所へ相談し、
「墓守娘」のくだんの本を読んで、「おかあさま」をそのままの形で受け入れると
どういう人生を歩むことになるかを知ってから…
決断を下してください。私は配偶者もいるし子どももいるので、拒絶しました。

大丈夫、親であっても厳しく拒絶することはできるんですよ。
ただ、こういった物事を独りで戦うことは難しく、味方が必要かもしれないと感じます。
私は、拒絶しながら彼女が変わっていくことを待っています。

hakuhaku 2011/09/05 21:04 >黒

>>俺には注意しときながら〜
あいつはやってるから俺もいいってのは通用するか?

>>自分は書くけど相手が書くのは許さないということは通用しないだろ。
まさにこれがそのまま自分に帰ってくるわけだけどさ。
これはアイツもやってるから私は正しいんだ!私は悪くない!って言ってるようなもんだぞ
まああなたの言う通りコメ全般もそうなんだけど。

アイツがやるから俺もやるってのはある程度正しいけどさ
「手応えのある議論の出来る相手」
とかいうのなら少なくともあなたはやめるべきなんじゃないの?
悪口言って挑発して相手を逆上させちゃ議論にならんだろ。


>他の人たちへも

これも黒含め他のコメの人たちに言いたいが
あなたはそうだったかもしれないが私はこうだったもしくは普通はこうだ。
っていう使い方をしてる人がいるがこれは議論のすり替えだからな?
真っ向から受け入れる気もなく否定してるんだから。
やれ「それはレアケースだ議論する必要はない。」「いやいや普通はそうかもしれないけど、こういうこともあるんだぞ!」
とかこんなこと言ってて結論でるわけねーだろ。
まずはじめの意見に対する反論を言えよ。
こういうこと言う人はこうなんですよとか決め付けちゃだめだろう。
「こういうこと。」についての反論しろよ。
あなた方が言う「困った人。」だの「意味のわからない人。」を説得するんじゃないのか。
説明もなく「お前は違う!」って言って誰も納得するわけがない。

挑発的になるが用はあなた方の親と同じようなこと言ってんだよ。身に覚えあるだろ。
一見正しいような意見押し付けてくる親を何度も見てるだろ。経験してるだろうが。
こんなの親がやることは許さんけど自分がやる分にはいいのかよ。って黒の意見がそのまま通るぞ。

私は死ぬほど経験したぞ。こんなの。反論は受け付ける。


>黒

>>「自分が嫌われないために気を遣いすぎる人は、身内を潰す。」ではなくて「子供に対して過度に否定的な事を言い過ぎると、子供を萎縮させてしまう恐れがある。」
ってだけのことじゃないのか?
人に気を使わない人が子供に対して過度に否定的な事を言ったとしても同じことだから、気を使う人だからとかは関係なくって俺は思うけどね。

これについては一切反論はないし、その通りだと思う。
ただ「自分が嫌われないために気を遣いすぎる人。」っていうのをやっぱり強調したい。
感情的になるけどより腹が立つんだよこっちのほうが
「テメー他人に良い風に思われるために何私使ってんだよ。」ってなる。
「子供に対して過度に否定的な事を言い過ぎると、子供を萎縮させてしまう恐れがある。」
っていうそれに至るひとつのケースとして
「自分が嫌われないために気を遣いすぎる人は、身内を潰す。」
ってことが言えると思うんだ。
長くなるけど
「自分が嫌われないために気を遣いすぎる人は、子供に対して過度に否定的な事を言い過ぎて、子供を萎縮させてしまう恐れがある。」
でいいんじゃないだろうか。unoさんも一番言いたいのはこの部分だろうし。

ここのコメでunoさんに賛同的な人たちはタイトルからこの部分にスッっとつながってるんだと思う。
否定的な人たちはタイトルの気を使うってとこに含まれてる『過剰』って部分がわからなくて、例え少しでも気を遣ってはいけない!って思ってしまうんじゃなかろうか。

奈々氏奈々氏 2011/09/05 21:39  最初のitiさんへの返答が、この記事のページ全体を台無しにしてしまったように感じます。これは明らかに勝手な決めつけに基づいた言いがかりです。このコメントのせいでその後も言いがかりの応酬になってしまっている、というのはお解りですね?
 もう全部読むのは面倒になってきましたし、この辺でこの件については打ち止めにしませんか?これ以上不毛な議論を続けても、unoさんがご自身の首を更に締め上げるだけのように感じますし。
 あとはこれに懲りて、言いがかりはスルーするよう努めましょう。この日記や貴女ご自身の品位にもかかわりますので。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/05 22:07 >chai_lamaさん
 
「私があなたの代わりに、全てを背負う。私があなたの代わりに、全て犠牲になる。」
あなたが私に仰りたいのは、こういうことですよね。こう言われた相手が嬉しいかどうか、よく考えてみて下さい。私の正直な気持ちを申し上げれば、「申し訳ない」という罪悪感を抱くとともに、「この人はなぜ、私自身の問題を私から取り上げるのだろう?」という迷惑感も感じています。
 
私自身が抱えている問題は、例えるなら私の子供のようなもの。時には他人に助けてもらうことがあっても、基本的には、自分の子供は自分で育てていくのです。他人に自分の子供の子育てを丸投げしてしまいたくはありません。
あくまでも、問題を抱えた当人が主体なのです。支援とは、当人を支え、当人の自立を助けることであって、当人の問題を丸々肩代わりしてしまっては、当人の自立の機会を奪ってしまうことになるのです。
 
全てを引き受けてしまうのは、ある意味では、私の母が家の外の人に対してしていたのと同じことです。「私ができるのはここまで。後はあなたが自分ですること」という線引きができるのが、本当の優しさだと、私は思います。
 
私自身は、あなたが思っているよりも、至って平気で、「コメント欄やトラバ先で、色々な人から文章上手いって言われた。あれ?もしかして私って、自分で思ってるより文章上手かったの?ヽ(・∀・)ノワーイ」と思っていますので、あまりご心配なさらず。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/05 22:48 >三児の母さん
 
私は、ある面では母に似ていますね。「似させられてしまった」と言うほうが、より正確ですが。母は、私を自分のスペアか代用物のように仕立てあげようとしました。しかし、元々持って生まれた素質は、全然違っていたように思いますね。まぁ、自分と全然違うものを、無理矢理自分と同じようにしようとしたのですから、そりゃ無理があるってもんです。
 
私は別に、崇高な気持ちというわけではありませんよ。
自分が嫌われないために親切にする人は、断るのが怖いのです。だから内心嫌でも引き受けてしまって、嫌々親切にします。だから本当は他人が嫌いです。他人は、隙あらば自分につけ入ってくるものと思っています。
なぜそう思うのかというと、自分自身がそうだからです。私の母は、子供の私に対して、「私の頼みを断るな」という圧力をかけていました。母自身もまた、そういうふうに育ってきたのかもしれません。
私の母が"嘘を処世術として使っていくうちに嘘に呑み込まれ自分を見失ってしまう方"というのは、その通りだと思います。
 
本当に優しい人は、「私ができるのはここまで。後はあなたが自分ですること」という線引きができます。そのほうが相手のためであり自分のためだと知っているからです。だから、やってあげる時は気持ち良くやってあげます。

thorthor 2011/09/05 22:55 > chai_lamaさん
これだけは絶対に言っておかねばなりません。
あなたこそが僕の最大の敵です。

あなたにはこの言葉を贈りましょう。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら耳と目を閉じ口を噤んで孤独に暮らせ」

いかにも普通の人の価値観から来る傲慢な言葉ですが、真実だと思っています。
僕は前者じゃないから後者の生き方を目指しています。

反社会思想は現実逃避であり、できない自分の正当化にしか過ぎません。
あなたは自分に嘘を吐いています。
自分の弱さから目を背けて、綺麗事で周りから理解を得ようとしています。
そうやって既成事実的に僕を手駒にしようとしても、僕は信用しません。

ですが、それもまた人格障害であることは知っています。
お医者様に診てもらってはいかがでしょうか。
虐待された子が虐待した親と同じ遺伝的な人格障害を負っていることは、よくあることです。
だけど、言動や態度や価値観といったものは後天的に決まると思っています。

> 黒さん
僕が決めつけが多いのは確かです。言い訳になってしまいますが、それこそが特徴の一つなので。先に挙げたレインマンでも繰り返し強調されるほどに。
柔軟な思考を心がけているのですが、とてもそうではないように周りには見えているのでしょうね。それを確かめられないことが、歯がゆくもあります。

ただ、yuhka-unoさんの
> 私の経験から言いますと、他人に対して「甘えるな」と言う人ほど、実は本人が甘えたがりというのは、よくある話です。
これは、僕も的を射た意見だと思っています。

褒めて伸びる人と、叱って伸びる人がいます。
叱って伸びる人は、普通の人です。万能感が強く、自信があり、自己を肯定しすぎるから統率を欠く。叱られてもいつか出世してやるという気持ちを維持できるから、精神の均衡が取れる。しかし、褒めればつけあがります。
褒めて伸びる人というのは、自分に自信が無いために意志が弱い人です。そういう人には、自信を持ってもいいことを達成ときに褒めることで、自分ができることやしてもいいことに指向性が定まります。しかし、叩けば潰れます。

黒さんは前者なのだと思います。僕はそう見えたから、あのように書きました。

僕はどちらでもありません。褒められても怒られても、それを鵜呑みにしない生き方しかできません。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/05 23:06 >なるほど さん
 
母は、私に対して愛情はあったのだと思います。しかし、「きちんと愛する」のは、技術がいるのだと思います。愛情も、独善的になっては、相手を傷つけるだけのものになります。
「おかしくなってしまう子供に共通しているのは、親が子供の気持ちを聞いていない」という話を聞いたことがありますが、その通りだと思います。放置にせよ過干渉にせよ、子供の気持ちを無視している。誰だって、自分の気持ちを無視されては、愛情を感じることはできません。
 
私の母に対する愛情は、あるにはありますが、憎悪と嫌悪感のほうが大きく、最近は諦めの気持ちになってきました。
ただ最近は、父とやっと本音で話し合うことができ、父とは親子の関係に戻ることができました。父もまた、色々問題のある人でしたが、少なくとも父は、本来の私を肯定し、認めてくれていたのだと実感しました。
まぁ父の話を聴いて、この家庭の元凶はやはり母だったのだということも、はっきりと確信したのですが…

thorthor 2011/09/05 23:13 > 名前は未定さん
奇遇ですね。僕もライターを目指しています。
既にここにも書字障害という壁が立ちはだかっているのですが、そこで諦めないことが僕の譲れない一線です。
精神論や根性論では効果がないことはわかっているので、書字障害を自分なりに分析してワクチンを創造するために試行錯誤しています。
これが解決すれば、いわゆる富樫病を治療する画期的な大発見に……なるわけないですね。

> yuhka-unoさん
僕にはあなたが自閉圏で、お母様が自閉の天敵に見えているんですよね、実は。
幼稚園の頃にマイペースに絵を描いていた、というところでどうしても引っかかってしまいます。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/06 00:09 >thorさん
 
実は、私の母も、私をアスペルガー症候群なのではないかと疑いました。もっとも母の場合は、「娘が生まれつきの障害なら、私の育て方が原因じゃないから、私は悪くない」と思いたいだけでしたので、私は母の考えについては嫌悪感を持ちました。
母は過剰に空気を読みすぎる人で、「そうするのが普通」だと思っていましたから、母の基準で見れば、私は空気が読めない子に見えたというのもあるでしょう。
 
ただ、母がそう思ったこと自体は、それを口実にカウンセリングを受けられることになりましたので、私としては好都合でした。
病院でテストもしてもらいましたが、少なくとも自閉圏ど真ん中ではない、という診断結果でした。
私自身としては、私がアスペルガー症候群かどうかよりも、家庭環境のほうが私にとっては問題だということが、自分自身でわかっていましたので、それ以上の詳しい検査は受けておりません。
 
ただ、私の父が高IQで、私は兄弟の中で最も父に似ましたから、やや自閉圏よりの傾向はあるかもしれませんし、母が自閉の天敵タイプだというのは、仰る通りだと思います。

なるほどなるほど 2011/09/06 00:48 ブログ主さん、ご回答ありがとうございました。
嫌悪感や諦感が先立つも、あなた様のお母様へ対する情は全く無くなってしまった訳ではないと受け取りました。
繊細な部分に関するご質問だったかと存じますので、お気を悪くされたかもしれないことお詫び申し上げます。
私としましては、ブログ主さんのお話をお聞きして、親子の絆について、抗いきれない業ともうしましょうか、切っても切れない縁があるのかもしれないないなと考えるに至りました。
自分はそもそも無神論者なので、業だの縁だの宗教的な言葉を使うのも変ではあるのですが、敢えて言い替えたとしても、血の繋がりのようなものは残るのだろうと感じました。
愛憎相混じった感情を持ちながら、肉親と接しなければならないお苦しみ、心中いかばかりかお察しします。
願わくば、時が経ち、お二人ともがさらにお年を召されたとき、今よりも苦の減じたご関係にあられますことをお祈り申し上げます。
以上、これにて。

mobmob 2011/09/06 01:24 コメントも大変興味深く読ませていただいております。
その中で、
>>今日は休みさん
>>自分が「もしかして実は加害者なのかも…」とうっすら感じるからでしょうか。
>仰る通りだと思います
というところが気になりました。

あなたの意見に強い反発を抱く人(曰く「加害者擁護」の人)は恐らく、
 「同じ事をされたとしても、そうは思わない」 もしくは、
 「同じ事をされたことがあるが、そうは思わなかった」
と考えています。
そのような人から見ると、あなたの主張は被害妄想であり、
何でもないことを被害化するモンスター的行為と思うことでしょう。

これは、同じ行為に対する受け手の受取り方の違いであり、
所謂「ハラスメント」と同じ話です。

パワハラ、セクハラ、アルハラ、といったハラスメントは、
「○○をしたらハラスメント」という基準があるわけではなく、
「された相手がハラスメントと感じたら」ハラスメントになるというものです。
「イケメン→スキンシップ、キモメン→セクハラ」などとよく冗談で言われますが、
実際その通りで、悪く捉えられたら、全ての言動はハラスメントとなり得、
また何でもパワハラと言いだすモンスター社員なども存在します。

さて、あなたは、まるでエスパーのようにお母様の思考を読み取り、
お母様の多くの言動を悪く捉えています。
あなたがそう思うのであれば、それは仕方ない事です。

でも、ちょっと過剰なんじゃないかな、と私も思います。
並べられているお話は、どこでもある家族の風景ですし、
「この頃が私の今までの人生の中で一番の暗黒期だった」と仰っているエピソードも、
働き始めた直後は失敗の許容範囲がわからず、過剰に臆病になる(逆に大胆になるケースも)という、
よくある話だと思うのですが…
と言いつつ、やはりこれも受取り方の差でしょうね。

tamtamtamtam 2011/09/06 04:06 なんか、うちの母親と似てるなーと思いました。
自分がマイペースだったところや、成長して自信が持てなかったところなんかもそっくりです。

yuuka-unoさんのお母様と決定的に違うところは、
私の母は、私とあまりにもうまくいかないために、
私が小学校6年生の時に、カウンセリングの講座に通いはじめた、というところだと思います。
私はそのおかげで救われたように思います。

とはいえ、人の性格というのはあまり変わるものではないですし、
母は今でも人目を気にする性格です。
本音を隠していい顔をするので、愚痴が多いですし、
その反面、身近な家族にはものすごく手厳しいです。
父も人目を気にする性格だったので、これが普通なのかと思ってました。
もしかしたら、世代的なものもあるのでしょうか?

今になって思うのは、母自身もそういう風に育てられたんじゃないかということです。
つまり、思い起こすと、祖母が口うるさくて基準が高い人だったんですよね。
母は祖父似だったので、色々と言われたと言ってました。
ということは、これは家系的な問題なのかな、とも思います。

最近、本音よりもタテマエを大事にする友達との付き合い方を見直すキッカケがあり、
色々と考えさせられました。
よく考えたら、その友達は母に似ていることに、このブログを読んで気づきました。
だから、イヤなことをイヤと言いづらかったり、
少しでも関係性が悪くなると、なぜかものすごくショックだったりしたのかもしれません。

もう少し自分を知って癒せたら、母を助けられるようになるかもしれないなと思ってます。
母も、心の奥深い部分では、人目を気にするところから自由になりたいと思ってるような気がするからです。
自分よりも人目を大事にする生き方は、本人にとっても大変ですから。

私も今は、母に対してつい批判的になってしまうので、なかなかうまくサポートできません。
批判されると、つい人は防御的になってしまい、
その結果、うまくコミュニケーションできなくなるからです。
批判されるより、温かい気持ちで受け入れられると、
自分の悪いところもすんなり認められたりしますよね。

そして、そうやって、自分の身近な人を認めていくことで、
自分の深い部分が癒されていくことを望んでいます。

ただ、私もこう思えるようになるまでは、長い道のりを要しました。
色々な人のサポートも頂きました。

yuuka-unoさんも、最善に導かれることを祈っています。

自分語り、長文失礼いたしました。

にゃこにゃこ 2011/09/06 20:09 yuhka-uno さま

お返事ありがとうございました。
似たような親に育てられたせいなのか、考え方がほぼ同じですね。
震災の件もまったく同感です。

私は現在不惑の年齢ですが、疎遠にしている母から誕生日に来たメールが「産んだ日は大変だった」というような話で、この期に及んでまだ感謝を求めるのかと呆れたものです。

恐らく自分に非があるとは一生気づかないだろうと思います。
割り切っているつもりでもどこかで謝罪を求めている限り、私も許すことはできないだろうと思います。
どうなるか考えたくもありませんが、このまましばらくは放っておくつもりです。

ところで、ここのコメント欄を流し読みしていて感じるのですが、人というのはその立場になってみないと分からないことがたくさんあるのに、あたかも自分はすべて知っているような気になって、批判的な意見を述べたりしたくなってしまう生き物なんですね。

逆に、似たような親に育てられた若しくはそれに類する経験をお持ちの方々は、概してyuhka-unoさまに賛同されているのもまた興味深いです。

批判的な意見をご覧になるのはお辛いかも知れませんが、反応があるというのはそれだけ興味があるということに違いありません。

このエントリーを書かれたyuuka-unoさまに敬意を表します。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/07 01:33 >なるほど さん
 
誤解してもらっては困るのですが、私のような人間の親に対する「情」というのは、慈しみ思いやるようなものではなく、例えるなら、自分を捨てて出ていこうとする親に対して、「お母さん行かないで!」と泣き叫んでいる子供のような、そんな感覚です。
私のような育てられ方をした人の中には、親と一生わかりあえない人もいますし、親と縁を切った人もいますし、中には親に追い詰められて自殺した人もいるでしょうし(容易に想像ができます)、親を殺す人もいます(これも容易に想像ができます)。
世の中で起こっている「キレる良い子」的な事件は、ほぼこのような不健全な親子関係が引き起こしたものですし、秋葉原通り魔事件の犯人も、親からの虐待を受けていたようです。
 
これが現実です。
「美しい親子の悲哀の物語」という幻想など、私にとっては何の救いにもならないどころか、嫌悪の対象でしかありません。世の中の人に対して、そのようなドラマを提供してあげたいとも想いません。
今の私にとっては、現実しか救いにならないのです。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/07 01:45 >mob さん
 
他の人もそうですが、なぜこのエントリに書かれていることだけが、私と親の全てだと思ってしまうのか、理解しかねますね。
このエントリは、前回の記事に対して、「理屈はわかるけど具体例がほしい」という意見を頂いたので、具体例な部分をいくつか抽出して説明しただけのものに過ぎませんよ。
あなたのような人を見ていると、書かれていない、語られていない部分にまで想像力を働かせるのが、相手を思いやるということなのだなぁと、あらためて思いますね。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/09/07 02:07 >にゃこ さん
 
ああ、「産んでやった」というのも、「困った親」の最強カードですね。
厳しいことを言うようですが、どんなに出産が大変だろうと、子供を作る時から産む時までは、一貫して親の意思であり、そこに子供の意思は存在していません。自分の意思でやったことには、自分で責任を取らなければなりません。
 
続きのエントリ(http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110906/1315294215)でも書きましたが、私は、人は「自分を産んだ人」ではなく「自分に『生まれてきて良かった』と思わせてくれた人」に感謝するものだと思っています。「産んだ」だけで感謝される権利があると思ったら、大間違いですね。
親に感謝せずとも、自分を助けてくれた人たち、「『生まれてきて良かった』と思わせてくれた」他人に感謝していれば、それで十分ですよ。

今日は休みじゃなくて出勤今日は休みじゃなくて出勤 2011/09/07 02:15 yuhka-unoさん、増田にまでエントリが盛り上がってるのを見るとあなたの文章(視点、考え方)は魅力的というか、様々な人を惹きつけるものが間違いなくあるのでしょう。
しっかりとした文章内容であなたは大丈夫だと思いました。ただ、このエントリでは、様々な方がコメントやはてぶを沢山つけたのを見て、コメント欄を読みショック(二次被害的なもの)を受けないだろうか…それが少し気になっていました。
yuhka-unoさんのブログなので私は何も言えませんが、フォローになるようなエントリ(または参照すべきブログ、HP)があったら…と思ったら、今日続きの新しいエントリを書かれて少しほっとしました。しかも、ここのコメント欄のまとめにもなってますね。タイトルも気がきいてます。
読むのはもちろん、各自の自己責任ですが、親子関係について悩んでいる人たちはつい引き込まれてしまって、※欄に「そうじゃないんだけど…やっぱり皆にはわからないものなんだ」とつらい気持ちを増幅してしまう人が出てしまわないかといらぬ心配をしました。

ただ、どんなに言葉を尽くしても、当人が経験したリアルな感情やつらさはやはり、経験しないものにはわかりづらいものです。似たような経験があった人ですら”全く同じもの”ではなく似たような物にしかならず、もどかしいとは思います。同じ看護師に同じように注射されても痛かったり痛くなかったり個人差もあります。様々な感情は人間全員に同じようにはないと思っています。

だからこそ、yuhka-unoさんのようにはっきり文章化できる人は貴重だなと感じました。この話の続き以外の他のネタでのエントリも楽しみにしてます。

なるほどなるほど 2011/09/07 11:51 ブログ主様、またのコメントありがとうございます。
しつこくまたコメントを付けさせて頂くことお赦しください。

私がブログ主様の記事を拝見して興味を持ち、ご質問もさせて頂いた背景には、私が「何で実の子を虐待する親がいるのだろうか?親子の情というものが歯止めにならないのだろうか?」と考えていた矢先だったからです。
ちなみに、上記の問い自体には未だに自分なりの得心には至っておりませんが。

ですので、ブログ主様には、「虐待」を受けた子の親に対する情はどうなるのだろうとの興味から質問などもさせて頂き、文間から読み取れることも含めて、興味深いご意見をご教示いただきました。

そもそも、「愛」とか「情」とかいうものがなんなのか?
これも自分が考えているものの中でも未だに分からない、最も難解なハードプロブレムなのですが、例えば、ブログ主様のおっしゃるよう、「情」が「愛の渇望」のようなもの、つまり「愛」の非充足感から発するそれへの希求のようなものであっても、それは心のどこかに打ち消し難く残るのだろう、それが肉親に対する「業」というものなのだろう、と、ブログ主様とのやりとりの中から、現時点での自分なりの手前勝手な理解をした次第です。

そこで、前述の問いに戻って私個人が思うこととして、親子の「情」は在るとしても、それが虐待の歯止めにはならないのかもしれない、ということでした。
(自分は「理性」よりも親子の「情」にフォーカスして考えを進めています。)

よく「情が薄い」などの言葉もありますが、そもそも「情」に多い少ないがあるようなものなのかすら自分には未だに分かりません。(「情」がなにものかすら曖昧なだけに。ですが、自分は唯物論で世の中を考える立場ではありません。)

ただ、経験論的に自分自身の中には「情」のようなものがあって、それが虐待行為などの歯止めにもなっていたはずだと思ってきました。
「情」が虐待の歯止めにならないものとすると、虐待にまで至る親子と至らない親子はどこに違いがあるのか?
利己主義(もしくは自己防衛)の突出が「情」を超えて虐待まで至るのか?と、そのようなことを考えて堂々巡りをしている次第です。

ですので、前述の問いについては、自分は未だに答えを探し続けているわけです。

最後に、このような私の虐待への疑問は、ブログ主様の現実問題とは位相が違うだろうこと承知しております。
あくまで私事で、ブログ主様のお手を煩わせたことご容赦ください。
私は貴方様に同情できるような経験もございませんので、ただ今後のブログ主様のより心安き人生をお祈りさせて頂くことにとどめまして、これにて終わりとさせて頂きます。
ありがとうございました。

黒 2011/09/08 00:21 >haku

>>あいつはやってるから俺もいいってのは通用するか?

それは確かに良くないよな。
自分では悪口を書いたつもりはないけど、確かに書き方がきつくなったのは反省するよ。

>>「自分が嫌われないために気を遣いすぎる人は、子供に対して過度に否定的な事を言い過ぎて、子供を萎縮させてしまう恐れがある。」

もう、それでOKにするよ。

それと、ちゃんと「まずはじめの意見に対する反論を言えよ。こういうこと言う人はこうなんですよとか決め付けちゃだめだろう。「こういうこと。」についての反論しろよ。」と言ってくれてありがとな。

結局、反論は来なかったけど、実はお前が公平な見方の出来るいいやつだったってのがわかった。

お前とのやりとりは楽しかったぞ。


>thorさん

>>他人に対して「甘えるな」と言う人ほど、実は本人が甘えたがり

別に私にはどうでも良いのですが、ライターを目指しているthorさんのためにいくつか反論しておきます。

人に頼ってばかりで自分でやろうとしない人がいると、周りの人は「甘えないで自分でやれ」と言うと思いますが、”人にばかり頼る人が身近にいる環境の人は、みんな甘えたがり”ということになると思いますか?

「甘えるな」という一つの言葉でも、状況により、「いいかげんに自分でやれ」とか「人のせいにするな」とか「気持ち悪いから触るな」とかいろんな意味を持つと思います。

”「甘えるな」と言う人ほど、実は本人が甘えたがり”などと、あなたまで信じこまないほうがいいと思います。


>>黒さんは前者なのだと思います。

「褒めて伸びる人と、叱って伸びる人がいます。」という文をさして「前者」だと言っているなら正解です。
その後の文章の「叱って伸びる人は〜、褒めて伸びる人というのは〜」という文章をさして言っているならハズレです。

私は褒められると嬉しくて、さらに頑張ろうという意欲が出てくるタイプです。

後々の文で、「前者」とか「後者」とか書く予定があるなら、「AとBのタイプが居ます。まず、Aのタイプは〜」と必ず一方を先に書くようにしたほうが相手にわかりやすくなると思います。

後は「決めつけが多い」ところだけ気をつけるようにすれば、thorさんの文章は読みやすくて良い文章だと思いますので頑張ってください。

ななし怪人ななし怪人 2011/09/08 13:42 片付けの話や弟の面倒見の話だけならともかく、お隣さんの代わりに娘を町内の集まりに貸し出すなんて異常だと思うんだけど、何でこれに触れる人が少ないのか疑問。
典型的な「自分の見栄のためだけに身内を道具にする人」(2ch家庭板界隈でエネミーって呼ばれてるような人ね)、「自分と子供の区別のついてない困った親」じゃん。
当のお隣さんだって困惑してるし、自分がこのお隣さんの立場なら「何だそりゃ、そこまでしてもらっても困るよ」って引くよ。
ブログの一記事でこの程度なら実際にはもっと日常的に数限りなく、親の立場を悪用していろんな圧力を掛けられたんだろうなと思う。
そこを無視して話を進める人に対して強い違和感を覚える。

z1121z1121 2011/09/15 02:13 チャイナラマさんの記述が心に響きました。
人というものの、その集合の、
良い面に懸けてみたいと思います。
それは、そうでもしなければ、今後この社会で
私の人生を生きていくにあたり、私の心が救われないからです。
私は、私が生きるために、人というものを信じたい。
私も大勢の組織の一員ですが、いろいろな方がいるからでしょうか。
なんとなく居心地がよく過ごしております。会話下手ですが、まわりから遠慮しているのではないかと思われるところもあり、少し安心しています。
でもやっぱり感じていることは率直に自然に即座に言えるといいなあと思います。
やっぱり会話下手です。

oooqureeoooquree 2011/09/18 01:55 hatenaブログのコメント欄は、すごい長文ばかりなんですね。読むのが全然追いつきません。。。
この前にhatenaブログじゃなく、みんな増田さんの匿名の日記のところを、間違えて読み込んでました。これらに全部目を通すのは、精読するのじゃなくても、見るだけでも大変でしょうねぇ。。。
私もコメントして負担増やしちゃったのかもしれませんが。

oooqureeoooquree 2011/09/18 03:02 あんまりいじんない方がいいのかもしれませんが、○さんは正しいって書いてる真面目な方がいらっしゃって、真面目に多数派の正論のように反論なさってます。
煽りに見えるんですが・・・
心に弱みがない人から見たら、ただの煽りか嫌がらせが、正論に思えてしまうというのが、追い詰められた精神状態なのでしょうか。
反論するのが悪いと言ってるんじゃないです。全然ないです。

mobmob 2011/10/01 11:57 > yuhka-uno さま

ご返信いただきありがとうございます。

> 他の人もそうですが、なぜこのエントリに書かれていることだけが、私と親の全てだと思ってしまうのか、理解しかねますね。
> このエントリは、前回の記事に対して、「理屈はわかるけど具体例がほしい」という意見を頂いたので、具体例な部分をいくつか抽出して説明しただけのものに過ぎませんよ。

それはおかしな理屈です。
 『あの店は高い』
 「具体例は?」
 『コーヒーが210円もする』
 「普通じゃないですか?」
 『今言ったコーヒーの値段が全てじゃない』←いまここ
…変ですよね?

普通、具体例を挙げる場合、それは「平均的な事例」もしくは「一番酷い事例」のどちらかです。
あなたが並べられているお話は「平均的な事例」
『…暗黒期だった』と仰っているエピソードは「一番酷い事例」に当たるでしょう。
エントリに書かれていること以外にも、色々な目にあわれているのかもしれませんが、それらはどれも書かれているものと同じ程度、もしくはそれ以下のものだと容易に想像できます。

その上で私は、ちょっと過剰なんじゃないかな、と思っています。
もちろん先のコメントに記載した通り、受取り方の差だと思いますが。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/10/02 08:34 >mob さん
 
コーヒー店については、そうかもしれません。しかし、いじめや虐待などの被害は、被害を語るということ自体が既に心理的負担であり、「酷い事例」の話であればあるほど、心の傷の根幹に当たる部分であり、簡単に他人に語れるものではありません。
今回の一連の記事において、あなたをはじめ、多くの人が、「親が酷いとはっきりわかる具体的な事例を語れ。さもなくば単なる親不孝な子供とみなす」というようなことを言っていましたが、そんなことを言ってる人に、自分の心の深い傷になっている部分を語ろうとする人は、少ないでしょうね。
 
あなたはまるで、「近頃の若者は、何も考えていないな」と言っている年長者のようなもの。こういうことを言っている年長者に、わざわざ自分の考えを語ろうとする若者は少ないでしょう。このような年長者は、若者を抑圧し、若者の考えを聞く機会を自ら潰し、「やっぱり、近頃の若者は何も考えていない」という自説を強化し、大切な何かに気付かないまま終わります。老害は他人事じゃないですね。
 
「容易に想像できます。」とは、なかなか滑稽です。「どうせ近頃の若者は、携帯やゲームの世界に逃げ込んで、何も考えてないのだろう。容易に想像ができる」などと言っている年長者こそが、想像力が足りていないのと同じですね。
こういうことを言っている人の「想像」とは、単なる「偏見」に過ぎないのです。
 
このことについては、いずれ記事に書く予定です。
まぁ、飽きて書くのをやめることもあるかもしれませんが。

thorthor 2011/10/02 12:33 たとえばうちの事例なんですが、父は日頃からお金に執着する傾向がありました。
何に対しても出費を渋り、安ければ品質が悪くても買って、電器屋では値切るのが当たり前。
父の兄弟に対して「あいつは貸した金を返さない」などと言っていたり、高いものを値切って買ったときに自慢したり、とにかく節約を美徳とするようなことを言っていました。
そういう父を見て育った僕は、何に対しても我慢することを覚えました。
欲しがらない子どもになったんですね。
おまけに、自分の趣味や夢を職業にするな、安定した公務員になって親を養えと言われて育ったため、自分の進路を自分で考えるということもできませんでした、昔は。

話はこれで終わりません。
父は、安物買いの銭失いをする人でした。
特価品の食材を溢れるほど買い込み、放置すれば腐るような量を溜め込み、そして「料理しないと傷むから」と言って毎日食べきれない量の料理を強いられました。
「食べ物を捨てるのは勿体ない」と言われたら、逆らえません。
反抗して料理をよく残していた弟は、父から悪ふざけで身体的虐待を受けるようになりました。簀巻きにされたり包丁を投げられたこともあります。
僕は毎日のように下痢に悩まされ、また、ときどき食べ過ぎで吐いていました。

下痢の部分は不謹慎なのでネットで書くのは恥ずかしく、それなりの覚悟を決めないと書けません。

さて。
「お金にケチだった」「作りすぎの料理を残してはいけないと怒られた」という風にぼかして書くと、まるでたいしたことがないように聞こえるかもしれません。
「平均的な事例を過剰に悪く言って親を悪者にしようとしている。そんなのはどこの親だって少なからずやっているものだ。容易に想像できる」
と、言い切れますか?

なお、父の言い分は「当時は仕事が忙しくて家や子どもに構っている時間は無かった。だから俺は悪くない」です。
自分を正当化する人は、本人が加害者になるとここまで認知が歪むことがあるということです。

名前は未定名前は未定 2011/10/06 16:16 >unoさん

被害を語る事による心理的負担もありますが、信じて(理解して)もらえない苦痛もあるかと思います。

結論ありき(主に妄想)の人にはどんな根拠も通用しないもの。若者が目の届かない所へ行ってしまった原因が自分達にあるとは考えないんですよね。


>thorさん

「節約を美徳としている」というより、「如何に自分が損をしないようにするか」という方が当て嵌まっているように感じました。
「食べ物を捨てるのは勿体ない」と思うなら、初めから買い込みも食べきれる量までにしておけばよいものを。理由をつけて強制的に食べさせていたあたり、自分の選択が間違っていたとは認めたくないんでしょう。弟さんの対応は反抗というより、自衛だったんじゃないでしょうか。

父の言い分〜を読んでいて思い出したのですが、私がかつて調査目的でバイトしてた農家の社長がバイト代を支払わず、JAを通して注意された時の言い訳が「忙しかったんだよ!」(電話越し)でした。

「仕事が忙しくてバイト代振り込んでなかった。だから俺は悪くない」
「仕事が忙しくて育児放棄してた。だから俺は悪くない」

立場は違いますが、どちらも義務を放棄したという点は変わりません。そして、どちらも「悪い」です。
こんな言い訳がまかり通っている世の中では、こちらが異常だと感じている事を”当たり前”と感じる人がいても不思議ではありませんが。

今日は休み今日は休み 2011/10/08 17:19 腰をくすぐって、くすぐったいと感じる人と感じない人がいる。
「ここ、くすぐったいよねー」
「え?全然感じないけど?(終了)」
そんな会話のような印象です。
「へえ、そこをくすぐったいって思う人もいるんだ」とは考えず、自分がくすぐったくないから、それは”ありえない”と切り捨てるか。

もしそれが”くすぐったい”ではなく、痛いのであれば。やはり考えたほうがいいんじゃないのかな(と思う)。
まあ、そういったことを考えられないし、自分の感覚がすべてで他を認めたがらない人が居ることが分かったのは収穫、かな?

mobmob 2011/10/21 22:33 > yuhka-uno さま

ご返信、ありがとうございます。

挙げられている事例は軽いものだけで、平均的でも一番酷いものでもない、ということでしょうか?
そうであれば納得できます。
が、そう明記されないことには何か理由があるのでしょうか。
そう明記するだけで、多くの反論者は納得されると思うのですが…

> あなたはまるで、「近頃の若者は、何も考えていないな」と言っている年長者のようなもの。

とつぜんこのような話が出てくる意味がわかりません。
そのように考えられた根拠は何でしょうか?

> 「容易に想像できます。」とは、なかなか滑稽です。「どうせ近頃の若者は、携帯やゲームの世界に逃げ込んで、何も考えてないのだろう。容易に想像ができる」などと言っている年長者こそが、想像力が足りていないのと同じですね。

こちらについても、もし、挙げられている事例が平均的もしくは一番酷いものとすれば、その他の事例は同じ程度かそれ以下と想像できますよね?
そのことを「容易に想像できます」と書いただけなのですが、何故「どうせ近頃の…」などの話が出てくるのでしょうか。

恐らく、ミスリードされ過剰に反応されたただけだと思いますが・・・
と、ちょっと意地悪ながらお言葉をお借りしますと、

あなたは私について想像されているようですが、
あなたの「想像」は、単なる「妄想」に過ぎないのです。

といったところでしょうか。

mobmob 2011/10/27 22:00 > thor さま

>「お金にケチだった」「作りすぎの料理を残してはいけないと怒られた」という風にぼかして書くと

あなたは「ぼかして書く」ということができていません。
大したことが無いように聞こえるのではなく、あなたの書き方が間違っていて、誤解を生じさせているのです。

「書き方が…」と書きましたが、それ以前に、あなたは論理的思考ができていないのだと思慮いたします。
これは、最近の若者よりも、どちらかというと年配者に見られる傾向です。
(最近は多くの若者が、就職活動に論理的思考を学んだ上で臨んでいます)

あなたの文章を「ぼかして書く」と、以下のようになります。

 ?「安定した公務員になって親を養えと言われて育てられた」
 ?「毎日食べきれない量の料理を強制的に食べさせられていた」

さらにぼかして書くと、

 ?「自分で自分の進路を考えることができない環境だった」
 ?「(少し妙なケースだが)、親から虐待を受けた」

となります。
こう書けば「え、一体どういうこと?」と詳細について興味をもち、段階的に詳細の話をすることができます。

yuhka-unoさんの文章は感情的ですが、論理的で詳細に興味が湧きます。
あなたはそれができていません。
「論理的思考」「ロジカルシンキング」のキーワードの書籍を読まれ、勉強されると良いでしょう。

thorthor 2011/10/27 22:28 > mobさん
いいえ、正反対です。
僕は元来「感情」に配慮することができない。

一般的な人は「感情」と「論理」を並列処理、つまりマルチタスクで会話しています。
だから「論理的思考」は多分に相手の「感情」に「配慮」して発せられる。
ところが僕の場合はmobさんの仰る通り「ぼかす」ことができないのだと思います。
感情に配慮したつもりが全く配慮できていない。
論理のみのシングルタスクになりがちな脳を持っているのですが、それが一般人の「論理的思考」と違い不協和を生じるため、「僕の論理的思考は間違っている」という結果を生みます。
ロボットのような考え方をするがゆえに人間には意味が通じない、とでも言いましょうか。
数学の能力は高いんですが言語や文学は壊滅的。

対人関係で通用しないだけで、物質や現象に関しては正確な結果を導きやすい……んですが、言葉を用いる以上は他人に伝えなければならないので、ほぼ無用の長物ですね。

yuhka-unoyuhka-uno 2011/10/28 23:54 >mob さん
 
はっきり申し上げて、あなたは非常に感情的であり、全く論理的ではありません。あなたはただ、自分のことを論理的な人間だと思っていたいだけの人です。「自分のことを論理的な人間だと思っていたい」という欲望は、立派な感情です。
「論理的=格好良い・感情的=格好悪い」と思い込んでいる人にありがちなのが、自分の感情を認識できなくなることです。真に論理的な人は、自分の感情を認識できる人です。
今のあなたは、「頭が良い人だと思われたい→他人に説教したい→自分の無知さが認識できない→偏見からものを言う→言い訳・屁理屈」のフルコンボ状態です。
 
あなたが挙げられている「論理的思考」「ロジカルシンキング」などの書籍も、「論理的な自分格好良い!」と思いたいためだけに読んでいるようでは、いつまで経っても本当に論理的な人間にはなれないでしょう。そのようなものは、「女を気持ち良くさせる究極のテクニック」みたいなタイトルの本を読んで、自分はセックスが上手くなったのだと勘違いするようなものです。
 
あなたには、ここで屁理屈をこねて言い訳することに一生懸命になるよりも、ご自分がこの問題について無知であると自覚すること、ご自分の「説教欲」から来る偏見を何とかすること、ご自分の感情を認識することに一生懸命になって頂けたらと思います。それが本当に論理的になるということです。
 
あなたのような人について、既に過去に記事を書いております。
“頭が良い人になるには、「頭が良い人だと思われたい」という願望を捨てること”
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110720/1311156307

mobmob 2011/11/08 22:16 > thorさま

ご返信、ありがとうございます。

『「感情」と「論理」の並列処理』などと仰っておられますが、
両者は全く「軸」が異なるものなので、並列云々という話はありえません。
(ですので、感情的で論理的な思考、という状態が生じ得ます)

「論理的」と「理論的」や「理性的」という言葉を混同されていませんか?

「論理的思考」というものが何かを全くご理解しておられないのだと思慮いたします。
それは仕方のない話で、日本では学校(小〜大学まで)で、論理的思考の教育が全くないので、独自に学習しなければ理解できません。

あらためて申し上げますが、あなたは単純に、論理的な思考ができていないだけです。
是非、本など1冊購入されるなどして学習されることをお勧めいたします。

thorthor 2011/11/09 08:29 > mobさん
それはmobさんが理解できないだけです。
普通の人は「論理」と「感情」に振れ幅が存在します。
それこそが並列処理しているという証左です。
また、自らの内に感情があり、論理を外側から理解するのだろうと思います。
本を薦めるのは、外から論理を仕入れた経験があるからでしょう。

僕はそもそも感情というものが理解できません。
常に論理に基づいて行動し、そこから築き上げた「俺ルール」の膨大な理論体系に沿って自らの行動を規定する人間モドキです。
論理を用いて外側から感情というものを解析し、それによって感情表現をします。つまり感情の「ふり」をするわけです。
だから、他人が書いた本などを読まなければ適切な感情というものを表現できません。

僕と他人の論理が食い違うのは、人間として決定的に違いがあるからです。
前のコメントで書いたのは、そういうことです。

thorthor 2011/11/09 08:48 かなり上のほうのコメントで書きましたが、「レインマン」という映画を見れば僕がどういう人間なのか理解できると思います。
レイモンドは感情の赴くままに振る舞っていたのではなく、自らの行動パターンを規定し、そのルールを違反するとパニックを起こしました。
しかし、周りの人には彼は感情のままに振る舞う我が儘で自分勝手な人間に見えたことでしょう。
それは普通の人にとってひどく非論理的に映ります。社会のルールに合わせて論理を都合良く歪曲することができないからです。

本を読んで治るような性質のものではありません。

mobmob 2011/11/14 01:52 > yuhka-uno さま

ご返信、ありがとうございます。
ただ、前のレスでの私の質問に対して、ひとつも回答を頂けなかったのは、大変残念に思います。
無論、ここはあなたのblogですから、回答を強制することはできません。

> あなたは非常に感情的であり、全く論理的ではありません。あなたはただ、自分のことを論理的な人間だと思っていたいだけの人です。「自分のことを論理的な人間だと思っていたい」という欲望は、立派な感情です。

先の、thorさまへのレスにも記載しましたが、「感情的」と「論理的」は全く「軸」が異なるものですので、ちんぷんかんぷんです。
あなたの仰っていることは「あなたの髪の色は黒であり、アメリカ人ではありません」と言っているのと同じです(ちょっと変な例ですが…;)。
「髪の色」と「国籍」は、全く軸が異なりますよね?


ご紹介頂いた以下の記事は、実はずいぶん前に拝読させて頂いておりました。

> “頭が良い人になるには、「頭が良い人だと思われたい」という願望を捨てること”
> http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110720/1311156307

大変面白い記事でしたが、文中に現れた『論理的で理性的』『理性的で論理的』という記述をみて、「論理的」と「理性的」の区別がついておられない、ということがわかりました。(まあ斯く言う私も、昔は区別がついていませんでした;)
ついでに「理論的」も加えて、軸がわかるように反対語を書くと、以下の通りです。

 「理性的(冷静)」←→「感情的」
 「論理的」←→「非論理的(直感的)」
 「理論的」←→「経験的(実践的)」

「感情的」は人の様子を示す言葉で、「論理的」は考え方や表現の内容を示す言葉です。
ですから、感情的だから論理的ではない、なんてことはあり得ません。奇しくも先日、世界で最も有名な「感情的で論理的で実践的な」人物が亡くなりました。スティーブ・ジョブズです。

自称論理的で全然論理的じゃないthorさんとは違い、あなたの文章は感情的かつかなり論理的で、大変魅力を感じます。上記の正しい理解は、あなたの主張により強い説得力を与えることと思います。


余談ですが、あなたの使われた「屁理屈」という言葉は、年配者が若者の主張(特に都合の悪いもの)を封殺するときに用いる言葉です。あなたが批判している「老害」の行為そのものなので、あまり使われないほうが良いと思います。
邪推ですが、この言葉、お母様があなたに向けてよく使われていませんでしたか?

mobmob 2011/11/14 02:35 > thorさま

私が前のレスで、端的に書かなかったのが問題でしたね。

 あなたは、感情的ではありません(多分)。
 また、あなたは論理的でもありません。

感情的ではない、というのは、ご自分で感情は無いと仰っている主張から判断しています。ですので「(多分)」つきです。

論理的でない、というのは、以下の記述から判断しています。

> 「お金にケチだった」「作りすぎの料理を残してはいけないと怒られた」という風にぼかして書くと、

これを「ぼかせていない」と書きましたが、それがあなたの誤解を生んだのだと思います。
「ぼかす」というのは、全体を表す短い表現をする(抽象度を上げる)ことで、感情の有る無しは全く関係ありません。

「リンゴとミカンとブドウがある」とき、それを「ぼかす」と「果物がある」という表現になります。一言で全体を表現しています。
あなたの記述は、「リンゴがある」と表現したのと同じです。全くぼかせておらず、部分しか表現できていません。

「ぼかす」という行為は、論理的思考の言葉で言うと、ロジックツリーの1階層上で表現する、ということです。それができないのは、あなたが論理的思考ができておらず、事象全体を構造化して把握できていないからです。


> 本を読んで治るような性質のものではありません。

全く勘違いされているようですが、あなたに治さなければならないものは何もありません。
あなたが今持っていない、新たな知識が必要なだけです。

yuhka-unoさんは、論理的思考を自然に習得されているようですが、あなたや私のような凡人は、学習によって学ぶしかありません。

thorthor 2011/11/14 11:10 上にも書きましたが、僕は「数学の能力は高いが言語や文学は壊滅的」ということは自覚しています。
単語の用法や伝達手段は穴だらけです。
mobさんはそれを指して「論理的ではない」と言っているのでしょう。

「リンゴとミカンとブドウがある」とき、それを「ぼかす」と「果物がある」という表現になります。一言で全体を表現しています。
あなたの記述は、「リンゴがある」と表現したのと同じです。全くぼかせておらず、部分しか表現できていません。

仰る通り、こういう「木を見て森を見ず」はときどきやります。未熟なのでしょう。

「ぼかす」は「意味や内容をはっきり言わずぼんやりさせる。表現をあいまいにする」という意味であって、「全体を表す短い表現をする」ではないと僕は思っています。
用法を間違えていたというのであれば「ぼかして書く」を「オブラートに包んで書く」と表現すれば良かったのかもしれません。
おそらくは「オブラートに包んで書く」を「ぼかして書く」と短い表現にして書こうという意識が働いたのでしょう。
言語能力の低さは心得ているので、いずれ辞典を買って読み漁ろうとは思っていました。

【論理】
(1)思考の形式・法則。議論や思考を進める道筋・論法。
(2)認識対象の間に存在する脈絡・構造。

何にでも理由を付けないと行動できない性格で、矛盾や正当化などを極端に嫌う傾向にあります。
何かを目にするたびに、それがどのような物質や現象であるかを分析するクセがあります。
人間の心をスピリチュアルなものではなく複雑なパターンの組み合わせとして認識するところがあります。
自らの無知によってミスはたくさんしますが、知ることによってその性質はますます磨かれていくことでしょう。
そういった性質を一言で「論理的である」と捉えています。

優れた言語能力や正確な伝達手段は「論理的であること」とは直接の関係はないと思っているがゆえ「論理的である」が「言語能力はない」というのが自己分析です。

そして、またややこしくなるのですが、僕が論理を磨いていったとしても、おそらくは一般人に性格に情報を伝達するのは困難でしょう。
なぜなら、一般人は論理を感情でねじ曲げてフィルタ越しに眺めているものを「優れた論理」としていることがあまりにも多いからです。
そして意外なことに、「議論好き」を自称する人ほど歪曲や正当化の傾向が強く、「自分の意見と相手の意見を同等に扱う」のではなく「自分の意見を押し通すために相手の意見ではなく人格を否定して言い負かす」ことを目的としていることが多いように感じられます。
僕はそういった人を「理性的だが非論理的」であると捉えています。

thorthor 2011/11/14 12:12 我ながら誤字が多いですね。失敗。
追記です。

mobさんは「論理が優れている」ことを「論理的である」と言っているのではないでしょうか。
能力を基準としているのでは。
僕は「思考パターンが論理に偏っている」ことを「論理的である」と規定しています。
優劣ではなく性質であるという主張です。
前提が違うのではないかと。
少なくとも僕は直観的に行動できる人間ではありません。そういう脳の欠陥を持っています。
論理が未熟だと言われれば改善できますが、論理的ではないと言われれば首をかしげる、といったところです。
感情的だけど僕より複雑で優れた論理を展開できる人間、というのも世の中にはたくさんいるのでしょうね。

また、感情と論理の軸が違うというのは、よくわかりました。
「感情的で直観的な人間」を「感情的な人間」とひとまとめにして考えているため、「リンゴとミカンとブドウがある」というのを、「リンゴがある」と捉えたということですね。

thorthor 2011/11/14 14:26 > あなたや私のような凡人
はっきり言いますが、僕は一般人ではありません。
特別な人間になりたい願望を持ちながら普通の枠を外れられないのが一般人であり、普通になりたい願望を持ちながら社会から排斥されるのが異端者です。
僕は異端者にあたります。
異端者は特別になりたい願望を持っているわけではなく、むしろ欠けた人間性に強いコンプレックスを持っていますが、一般人のほうが特別になりたい願望を持っているがゆえに、異端者のことを「特別な人間だと見られたい虚栄心の塊」と見下す傾向が見られます。
mobさんが僕を凡人とみなしたのも、僕が劣っているがゆえに「凡人」の枠組みに組み込もうとした意識が働いたのではないでしょうか。

誤解を恐れずに言えば、僕はアインシュタインと同じような人間です。
「僕と同等の理由で」アインシュタインも言語障害持ちであるからです。
そして、アインシュタインが「偉人」として評価されているのは、彼が成し遂げた偉業があるからに過ぎません。
ところが日本では、どうやら「アインシュタインは生まれついての天才であり、人間的に優れており、一般人とは別の存在」とみなしてしまうことが多いようです。
本人の性質よりも「偉人としての肩書き」を見て本人を評価してるとでも言いましょうか。
mobさんが僕に抱いている評価も、おそらく同種のものであると考えます。
僕が優れた人間ではないから、僕のことをごく普通の一般人であると考えざるを得ないのでしょう。

ところが実際には、僕は普通の枠に収まろうとすればするほど、普通との綻びが生じます。
社会の枠組みに収まろうとすればするほど、社会にとって迷惑な人間となるわけです。
ゆえに僕のような人間の例として「レインマン」を紹介したわけなのですが、まあ、日本の常識に囚われている人はああいう映画を理解できないでしょうね。
そしてアインシュタインもレインマンです。
ジョブズもひょっとしたら同じである可能性もありますが、確証がまったく無いので何とも言えません。

僕と同じ異端者、つまり自閉症の人間にも明確な区別があります。
具体的な数字を出しましょう。
IQが70以下の自閉症者をカナー症候群、70以上をアスペルガー症候群と言います。
つまり、「IQが100以下であってもアインシュタインと同じタイプの人間はたくさんいる」のです。
ただ、一般の社会に馴染むことができないため、ほとんどの人は孤独を抱えて生きることとなります。
一般的に天才と言われる「ギフテッド」はIQ130以上が目安となっています。
しかし、ギフテッドであっても、豊富な知識と正しい判断基準を学習していなければ未熟であることに代わりはありません。
たくさん勉強した一般人がギフテッドより能力で勝るケースは、決して少なくないでしょう。

こうした思考が「論理的思考」であり、mobさんは「非論理的」であると僕は考えているのですが、僕は「こういう人間」であるがゆえに、一般人のふりをすることができません。
一般人であれば、上記の発言に対して僕に悪いイメージを持つことが多いでしょう。
そして、そういう「対人関係のミスをしない」ことが大前提となっているため、「一般人の論理には他人への配慮があらかじめ組み込まれている」と僕は考えています。

mobmob 2011/11/20 20:58 > thorさん

長々としたご返信、ありがとうございます。

でもちょっと長すぎです。
「論理的思考が出来ているかどうか」の話なのに、
いつの間にか異端者がどうのこうのといった話になっています。
これは、あなたが論理的思考ができていないことの現れです。

あなたのご返信で必要な部分を纏めると、以下の通りです。

 1.あなたは「論理的である」とは以下のような事だと思っている。
   −何にでも理由を付けないと行動できないこと
   −矛盾や正当化などを極端に嫌うこと
   −何かを目にするたびに、それがどのような物質や現象であるかを分析すること
   −人間の心をスピリチュアルなものではなく複雑なパターンの組み合わせとして認識すること
 2.あなたは、上記のようなことを「思考パターンが論理に偏っている」と表現している。
 3.あなたは、自分が上記に該当するので、自分が論理的であると考えている。

結論から言いますと、あなたは論理的思考が何かを知らないため、勘違いをしています。
また変な例えですが、カレーライスを見たことが無い人が、
中華丼を作って「僕はカレーライスを作った」と言っているような勘違いです。

現物を見せたほうが早いと思いますので、カレーライスを準備しました。
あなたが受けた虐待のロジックツリーです。
以前のあなたのレス内の情報だけから作成していますので、MECEさはイマイチかと思いますが…

http://www1.axfc.net/uploader/Img/so/129793
ダウンロードキーワードは、あなたのハンドルネームです。

「あなたが受けた虐待」という事象全体を構造化して把握できれば、頭の中に、このようなロジックツリーを作って考えることができます。
これが論理的思考です。

ツリー内に20個の四角がありますが、2つの赤い四角が、あなたが「ぼかした」と言っていた部分です。
どれだけ枝葉の先かが一目瞭然です。
これは、あなたが論理的に考えず、直感的にピックアップした結果です。
論理的思考ができていれば、決してそんな部分を「ぼかした」結果としてピックアップすることはなかったでしょう。


※ちなみに、「ぼかす」の意味は「意味や内容をはっきり言わずぼんやりさせる。表現をあいまいにする」で概ね間違いありませんが、それは「ぼかす」を違う言葉で説明したものです。
 「ぼかす」の具体的なやり方が、「全体を表す短い表現をする」です。

thorthor 2011/11/20 22:28 1.僕は言語能力が低く一般人への適切な説明が困難である。
2.単語の意味を正しく理解できず、表層的な理解になりがち。
3.上記はアスペルガー症候群のコミュニケーション上の特徴である。
4.僕が「ぼかすという単語の用法を間違えた」「(対策として)いずれ辞典を買う」と述べているにも関わらず、mobさんは「ぼかす」という言葉の誤訳のみを理由として「論理的でない」と主張している。
5.アスペルガー症候群そのものが直観的でない理由(想像力の障害)となる。これを異端者と表現している。
6.一般人は論理と直観の両方を備えている。どちらかに偏り過ぎて融通が利かない人間は異常者であり異端者である。
7.おそらく一般人であるところのmobさんは気質の傾向としては僕より偏っていない。
8.mobさんは言語能力や表現力の欠陥を指摘して「論理的ではない」と主張しているに過ぎない。

【アスペルガー症候群】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

> 客観的で、事実を正確に理解して表現することに長けているともいえる。以下に挙げられている「言葉を額面どおりに受け取る」や「些細なことにこだわる」という特徴も「厳正に規則を守る」と言い換えることができる。例えば、パソコンのように順序だったものや規則的なものに興味を持てば、才能を開花させることも可能である。また、「行間を読むことが苦手」というのは、行間を読まないコミュニケーション方法ということである。それは「行間を読むコミュニケーション(アスペルガー以外の多数派)」に対しての「少数派の方法」という関係である。

> また一般的に、順序だったもの、規則的なものはアスペルガーの人を魅了する。

> たとえばWing と Gillberg はアスペルガーの人が持つ知識はしばしば理解に根付いた知識よりも表層だけの知識の方が多い場合がある、と主張している。

カレーの例に例えると、僕は極度の辛党でmobさんは甘いのも辛いのも普通に好き、といった感じです。
mobさんは「美味しいカレーライスの作り方を知らないなら激辛党ではない」と言っているようなものです。
だけど、もしかしたら僕はインドカレーの作り方なら知っているかもしれないということでもあります(スパイスからルーを作り、ナンで食べる)

mobさんは「欠けていない・偏っていない」のであり、僕は「欠けている・偏っている」と、そう僕は主張しているのですが、未だmobさんは誤解されているようです。
僕は論理的である=優れているとは思っていないけれど、mobさんは自分が論理的であり
優れていると証明したいのではないでしょうか。
mobさん自身が仰るように、mobさんは一般人であり凡人だと言うことです。
ですが僕が挙げたとおり、mobさんが偏りではなく学習の結果として優れた論理を導き出すことは多々あるでしょう。ですが、だからmobさんの性質が論理的である、ということにはなりません。
再三申し上げますが、mobさんは「能力」として論理的であるか否かを規定しているからです。
カレーが作れるから甘党ではない、と言っているようなものですね。

mobmob 2011/11/21 00:02 > thor さん

素早いお返事ありがとうございます。

> mobさんは「ぼかす」という言葉の誤訳のみを理由として「論理的でない」と主張している。

前のレスに、
『「ぼかす」の意味は「意味や内容をはっきり言わずぼんやりさせる。表現をあいまいにする」で概ね間違いありませんが』
と明記しておりますが、きちんと読まれていないのでしょうか。
あなたは語訳はしていません。

> カレーの例に例えると、僕は極度の辛党でmobさんは甘いのも辛いのも普通に好き、といった感じです。
> mobさんは「美味しいカレーライスの作り方を知らないなら激辛党ではない」と言っているようなものです。

Noです。
わざわざ「中華丼」という例を出したのは、
カレーの味の良否(=論理的思考力の高さ)はどうでもよく、
「あなたは、そもそもカレーではないモノをカレーと言っている」
(=あなたの思考は、そもそも論理的思考になっていない)
という意図ですよ。

> mobさんは自分が論理的であり、優れていると証明したいのではないでしょうか。

いいえ、それはあなたの思い込みです。
自分より優れた論理的思考力をもった人をたくさん知っているので、そのようなことをわざわざしませんよ。
それどころか、私の論理的思考力はイマイチです。
しかし、あなたは、まだ論理的思考を始めていないのです。

でももしかしたら、あなたは論理的思考をしているのかもしれませんので、
確認のため、あなたが論理的かどうかを判断する、たった1つの質問をさせて頂きます。

  あなたは、私が示したような、ロジックツリーが描けますか?

 (あなたは当事者ですから、より優れたロジックツリーを描くことができるはずですが)

YesもしくはNoでお答えいただければ幸いです。

mobmob 2011/11/21 09:01 > thorさん

ところで、あなたが気づかれているかどうかわかりませんが、
これまでのやりとりで、あなたは以下のような
「自分は論理的とはこういうことだと考えている」という書かれ方をしています。

 …そういった性質を一言で「論理的である」と捉えています。
 …ことを「論理的である」と規定しています。
 こうした思考が「論理的思考」であり…

それに対して私は、常に断定的です。

この違いは簡単な話で、
あなたは「ボクの考えた論理的思考」を披露しているのです。
私は、論理的思考の本が100冊あれば、その100冊全てに共通して書かれている、当たり前のことしか書いていません。

あなたは「ボクの考えた算数では1+1=5だ!」と言っているのと同じです。
それに対して私は「それは算数ではありません。算数では1+1=2ですよ」と言っているのです。


あなたの間違いの本質は、以下の一言に現れています。

 そういった性質を一言で「論理的である」と捉えています。

論理的思考は、「性質」などではありません。
「技術(テクニック)」です。

ですので、凡人・非凡人・一般人・異端者・アスペルガー・議論好き・議論嫌い・感情的・冷静、といったどのような人物でも、
習得すれば、論理的思考ができますし、習得していなければ、できません。(稀に、習わずとも出来る人がいますが)

カレーライスの作り方を知らない人でも、その作り方を学べば、その日からカレーライスを作れる人になります。
同じように、あなたのように論理的思考ができない人でも、そのやり方を学べば、論理的思考ができる人になります。
(前のレスでの質問の回答を頂いていませんので、あなたが論理的思考ができない、という決めつけは良くないですねw)

thorthor 2011/11/21 10:23 いいえ、何も間違っていません。
僕は能力と言いましたが、技術と言い換えても差し支えありませんね。
僕は論理的というのは性質であると主張していて、mobさんは技術だと主張している。
この点に限っては意見の相違が無いものだと考えられます。

mobさんはロジックツリーが描けるか否かを質問していますが、これは技術の面から見た判断基準と言えます。
僕は性質だと思っているので、描けるかどうかはどうでもいいです。

> あなたは「ボクの考えた論理的思考」を披露しているのです。
その通りです。
mobさんは論理的思考ができる。僕は論理的思考ができない。mobさんがそう思うのなら、それで構いません。
そう考えてもらって結構です。

mrpooh49mrpooh49 2012/06/11 21:02 こういうことって結局まともな親を持ってる人にはわからないんですよね。
その人の中の親という概念がその親を前提としたものになるから。
多分コメント欄でブログ主さんを批判している方々は立派な親御さんに育てられた幸せな人達なんでしょうなぁ。
ただそれが当たり前だと思わないで下さいよ。
誰しもが立派な、人間的にできている親の元に生まれられるわけではないんです。

プープープープー 2012/06/19 16:44
40歳を過ぎてから、母親の私への言動が小さな頃からおかしかったのだと気が付きました 今、苦しんでいる最中で、色んな本を読んでいます

おかしな家族関係は、親の親、つまり祖父母も同じ様にして来ていることが多いそうです

yuhka-unoさんの母親の母親、父親 つまり、母方の祖父母はどういう人だったのかに興味が湧きました
機会がありましたらお聞きしたいです

セシアセシア 2012/06/30 01:38 自分の母親は完璧を求める人、と言うより己の生き方と同じように生かせたい人です。
自分は完璧なお姉さんになれました。周りからは文句一つ言われないような

ですがあなたの今の話を読み取ると母親の言う通りに生きなければならないと思っていたふしがあった時もあるようです。

本当は子供にそう言う想いを持たせてしまうのがいけないのです。
自分の言いつけが守れないようなら怒る…正しいと思いがちですが本当にしてはいけない時に怒るのが一番だと思います。

社会性、命の大切さ、人の絆
これが自分の中では一番大切です。
相手の為を思いする事で必要なのは…相手が居心地のいいと、安らげると思える場だと思います。

自分の母は(頼むから死んでくれ) や殴る蹴る等もしてきました。一度ベランダから落とされそうにも(苦笑)
尊敬はしなくていいと思います、ですが母親は人間なので仕方ない事だと思いました。
母親は子供を愛する、絶対の味方等ありますが人間は所詮己が一番大切ですから


しかし、あなたの真っ直ぐとした生き方や克服した強さはあなたの力です。母親も何も関係ないと思います。凄いと思いました、自分は完璧を演じてしまったので。

むつむつ 2012/07/18 18:01 今2歳の子を育てている37歳のものです。
自分の親には厳しくというか思いのままに育てらてきましたように思います。
反抗もたくさんしましたが暴力や経済力や道徳や社会一般をかさに色々とねじ伏せらてきました。
親がまあいいやろうということはお金も出してもらったりいろいろ聞いてもらったこともたくさんある気がしますが。
親とくに父がNOということは絶対にさせてもらえませんでした。
結婚は自分で相手を選びましたが
どこかで親が納得してくれそうな人を選んでいたように思います。
産後、子どもが生まれてすぐ生きるか死ぬかというようなことになり
心労で鬱になってしまいました。
そして親は助けてほしいときは助けてくれず、
自分の援助したい時だけいらないものを持って来たりお金をくれてたりします。
けして私がただそばにいてほしいだけのときなど来てくれませんでした。
ホントに苦しくて苦しくて懇願しても
親には届きませんでした。

慈善活動で頑張っている、
町内会のまとめ役がいそがしい。
ほかの人がやらないから
ほっとけない。

こんなに家族が苦しんでても
全然助けてくれませんでした。
他人は助けるのに。
ほんとうにほんとうに悲しかったです。

生まれていままで、感謝もたくさんしていましたが
どこかで違和感や親への嫌悪感がまとわりついていました。
嫌悪感を持つ自分を責めてつらかったです。
嫌悪感をぶつけても親も私を責めるだけでした。

そんな私ですが、自分の夫に同じようなことをしています。
他人にはすごく気を使ってしまうのに夫には暴言を吐いたりします。
子どもに対してもそんな傾向がある気がします。
自分が怖いです。
親にしばられ自分もいやいやながらも甘え、依存してしまっていたのです。
遠い県で一人暮らしを9年間して、結婚生活も8年間しました。
それなのに全然親の呪縛から逃れられていません。

親にはもう何も期待しないほうがいいと今になって気づきました。
影響を受けてはいけないと思っています。

子育ては思っていた1000倍以上に大変でつらいときもたくさんあります。
だから親には感謝しないといけないのかとも思いますが
夫や子供への悪影響を断ち切るため
いったん親を見捨てようと思います。

親への義務は果たすつもりですが
それ以上のことはしません。
親の呪縛から解かれた自分自身が確立したら
または親がものすごく弱ったら
きっと何か親に対して変わるかなと思っています。

あなたみたいにもっと若いときに
そのことに気付ければよかったです。

すごく共感したので自分の思いを書いてしまいました。
ありがとうございました。

ラーメンラーメン 2012/08/29 11:41 この記事をよんで気持ちがとても楽になりました。
現在中学2年生の女子です。
私の親は二人とも私から見て素晴らしい人で、
完璧でなくていい、力の抜いた生き方でもいいと、いつも言ってくれていました。
しかし私は、そんな親を馬鹿と思い込み、
完璧でなければいけない、嫌われてはいけない、と自分のためだけに動いてきました。

でもそれって、意味がないのだと思います。きっと。
誰かと話している時、気遣っていった発言がどれだけ場を悪くし、相手を傷つけたか。
結局自分本位でしかなかったのですね。
今の状態から抜けられるかは分かりませんが、
とりあえずもう少しざっくり生きようと思えました。
勝手に共感して語ってしまいましたが・・・
本当にありがとうございます。

viwaviwa 2013/01/16 21:26 こんばんは!
私の姑が外面よく、身内は厳しいというもので、似たところがあります。
それで、お願いなのですが・・・
私のブログにこのページリンクさせていただいても良いでしょうか。
突然すみません。

通りすがり通りすがり 2013/02/20 10:44 書いている文面に自分の疑問が解決されたので感謝してます。この文面を読んでコメントしている方に対してあなたが返信している内容を読んでいくうちに微笑ましくなりました。しっかり親子ですね。

pennywiselikepennywiselike 2013/05/01 07:00 はてなブックマークからきました

とても参考になりました

ありがとうございます

毒舌野郎毒舌野郎 2013/05/02 13:40 なるほど

参考になりました

他の記事も拝見させていただきます

ありがとうございます

かねかね 2013/05/14 09:03 大学生の者です
たまたま検索して記事が掲載していたので拝見致しました。個人的な感想を申します。まとまってません。不快に思ったら申し訳ありません。


私は貴方の母親の性格に似ているかなと自負します。完璧主義者だけど器用でないから上手くない、だから子供に押し付けた…そんな感じがします。

私は人に嫌われた人生から今の多くの人間関係を築いたのは「人に気遣う」ことでした。私も母親と同じで外面をすごい気にして嫌われないように生きてます。
「優しい」と言われますが本当は貴方の母親のように曲がった気遣いからの皮肉かもしれないとも思えてきました。


私が怖いと感じたことがあります。貴方の母親は無意識に教育の仕方をしたことです
子育ては自分好みにするものではない。それぞれの子供に合ったやり方がある…頭の中でもわかっていても難しいです。

私も貴方の母親のように思われる母親になってしまう気がします。母親の行動に同意し同じように行動してしまう自分を想像できたので…。
まだ私は親になるチャンスは先である気がするので、もっと経験や思想を深めたり、直したりしていこうと思います。


以上です。幼稚な長文失礼いたしました。また考えるきっかけをくださったこと感謝致します。ありがとうございます

通りすがりです通りすがりです 2013/05/27 01:03 自己嫌悪にかられどうしようもなくなり、ネットを検索しているうちにここへたどり着きました。
私のことかと思いました。人の目を気にする母に育てられ、それを引き継いでしまっている自分。
母の価値観にとらわれる必要のないことは充分にわかっていながら、その価値観を捨てきれていない自分。
今日も、来客者のためではなく、多分自分が良く思われたい一心で、必死に掃除をし、気を遣い、疲れ果てました。
そしてこんな風にしか人と接することができない自分を、変えたいと、深く思います。
人と本音で接することが怖い自分が情けないです。
なんとか少しずつでも、変わって行きたいです。でも本音は怖いです。
気さくに付き合える人を求めながら、自分が気さくな人になれない。
正直どの位砕けて人と付き合ったら良いのかわかりません。
経験を積むしかないのでしょうか。
怖いです。

でも、ここで連鎖を断ち切らないと。
自分の子供には、絶対にこの価値観を与えたくありません。
まっとうな自己肯定感を持った人間に育って欲しいと思います。
このままではいけないと思っています。

母のことは恨んではいません。彼女もこの連鎖の中でおそらくもがき苦しんだでしょう。
気づいてはいたと思うのです。この価値観について疑問に思ったことはきっとあったでしょう。
変わりたいと思っても、なかなか変われないものでしょうから。

でも、私は変わりたい。
自己保身がまず何よりも最初にきてしまう、この思考を変えたい。
人が怖いのだと思います。人に何かを言われたり思われたりするのが怖いのです。
だから、ちぐはぐな行動をして、自己嫌悪に陥り、緊張して疲れるのです。

変わるためにはいくら本を読んで知識をつけてもダメですよね。
実際に人と付き合い、その中から学び少しずつ変えていくしかないのですよね。

長々と書き込みさせていただき、すみません。ありがとうございました。

通りすがりです通りすがりです 2013/05/27 01:16 先ほどのコメント一部訂正します。
私のことかと思いました。というのは間違えです。
私の母のことかと思いました。と書きたかったのです。
ブログ主さんは、すでに新しい価値観のもとに生きていますから。

みほみほ 2013/05/30 20:05 はじめまして。
「気を遣う」の検索からこちらにたどり着きました。

お母様がまさに今の私です。私は独身ですが、嫌われるのが怖くて過剰に気を遣ってしまします。それが職場なら尚更・・・

私は今30歳ですが、どうやって気遣いをやめていいのか分かりません。気遣いと呼んでいいのか分かりませんが・・。なので、上司から指示を受けるのは100点満点にできますが、他者と協議することが全くできません。できているつもりだったのですが、どうやら核心に触れないように話すようです。

今日それを指摘されましたが、正直訳が分かりませんでした。

この記事にたどり着き、私がお母様と同じ「鎧」を着て接していたと気づきました。

主様はどうやって克服されたのでしょうか?私も普通のコミュニケーションがとれるようになりたいです。

かくママかくママ 2013/06/09 07:55 はじめまして^-^

マイペースなはずの息子が私のせいで萎縮しかけているかもしれない・・・最近そう思いはじめ、こちらに辿りつきました。
私も本来マイペースな子どもでしたが、yuhka-unoさんのお母様と似ている母の元で育ち、必要以上に『ちゃんとしなければ』と思ってしまう癖が抜けない大人になってしまいました。そして、子どもの為を思って叱るのではなく、ちゃんとした親として見られる為に叱ってしまうことが増えていたことを薄々自分でも気づいていながら、自分の弱さと向き合う勇気がなく逃げていました。
今日、yuhka-uno さんのこのブログに出会えてハッキリと気づけました。ちゃんとした親に見られたいというエゴに負けて、わが子を潰してしまうなんてそんなことはもうやめたい、はっきりそう思えました。ありがとうございました><

k 2013/06/23 13:11 なんだかな・・
どれもこれも「自分と、自分に近い考えの人が正しく、他の人は間違ってる」の言い争い。
見苦しいね。どっちもどっち。メクソハナクソ。

dryangledryangle 2013/07/06 12:16 この記事にある描写がまるで自分の亡き母親そのもの。
そしてそのまま自分に移植され苦み、もがいた性分。
じつはこの記事にふれて、むしろそれを懐かしく
思い起こした自分の反応に心底驚きました。
感謝/承認乞食もやはり強迫観念による強迫行為
に思えてなりません。
…キッカケをありがとう^^

アキラアキラ 2013/07/30 14:28 この記事を読んで、自分も共感できる部分がありました。

この考え方は加藤泰三さんの考え方に共通するものがあります。
知らない方は一度加藤泰三さんの著作を読んでみることをおすす
めします。

著作ではないですが、もろにこの話題にヒットしたURLを載せておきます↓
http://www.katotaizo.com/education/edu60.html


yuhka-unoさんの記事の意見は確かに正しいと思います。
そして、こういう親は世間では多く存在していると思いますし、
度が過ぎれば不快ですし、誰だって嫌悪感を感じると思います。

たくさんの人を見てきましたが、本当に心を込めて子供のことを
思っている人以外は周りの人から嫌われている人が多いですし、
反面教師的に見られていることがあります。

もっとひどい例が親の進路を小さいうちから決めてしまっている親。

これは、子供に対して自分の価値観を一方的に押し付ける事例だと思います。
「それが世間一般の常識であるから」、「将来の子供のため」というのは
後からとってつけたようなもので、親自身はそれが自分の不安や恐怖を回避す
るためだということに気づいていないような気がします。


そのことが一番悪いのが、人の選んだ選択肢によって自分が生かされている
という子供を生むことなんです。つまり子供の本当の満足はそこにはないん
です。


社会に出てから世間一般の常識を守るのは当たり前です。
それは確かに誰かにとやかく言われても厳しく自分を律していかないといけ
ません。

この話の本質はそこではなく、親にこうしなさいと言われた子供が、それをしないと怒られる、きつく叱られるからというような不安や恐怖を回避したいという理由で、
物事や人生を選んでいく、そのやり方が度が過ぎれば自分の本当の楽しみや生き方
が分からない人間になっていく、育っていくということを言いたいんだと思います。

多分そこを一番yuhka-unoさんも強調したいんだと思いますが。(間違っていたら
すみません。)

今やっていることが、「それは本当に自分のしたいことなのか?不安や恐怖を
回避するために人生の大部分の時間を使っていないだろうか?」ということを
問いかける文章だと思うんです。

程度の差こそはあれ、価値観の押しつけは、自分のやりたいことが見つからない
人間を生む可能性があるということです。

自分のやりたいことではなく、「やらなければいけないこと」で人生の大部分
を使ってしまうということが問題なんでしょう。

やらなければいけないことをやるのがもちろん悪いとは言っていませんし、それ
をやるのは普通です。

ですが、もちろん一人一人に与えられた人生はその人自身の人生なので、その人
が行きたい道を選んでいいわけです。

そうではなくて、自分が心から満足できることや、やりたいことをないがしろ
にする傾向が強くなるということが価値観の押しつけによって生じるということ
が言えます。

この点に気付いていない人が、この文章に対して批判していますが、自分だけの
事例で批判されたと思うのではなく、もっと抽象的な視点で受け入れる心持ちを
持ってみられるといいと思います。

恐怖によって価値観を押し付けようとする。押し付けた価値観をこちらが受け入
れないと気分を悪くする、怒る。

これは価値観の押しつけの典型的な事例です。そして、価値観を押し付けないで
生きるほうが良いということに気付かないまま人生を生きてしまっているか、
途中でそのように変化させられてしまっています。

価値観の押しつけをする人は、その押しつけをやめれば自分の人生を生きられ
ます。

逆に価値観の押しつけをされてきた人で、その押しつけられた人生をやめれば
自分の人生を生きられます。

(というか、教育の点で多くの人が間違える点はそこです。)

自分が価値観の押しつけをしていないか、されていないか?
そういう観点で自分や周りを見ることができるようになるためにこの文章は
恰好な気づきを与えてくれている材料となると思います。

名無し名無し 2014/05/16 12:09 今更かもしれないが、実母親の事が嫌いです。自分が小4の時に、実父親と離婚し
母親と妹と自分の3人で上京し、アパートに住んでました。母親の身内が生活の世話をし、母親が仕事の時は身内の家に泊まってました。実父親はアル中で仕事も続かなく暴力沙汰を起こし、家の中でも暴力が酷くて、母親は離婚しました。母親の身内は妹には優しくし、自分はいじめを受けてました。身内は暴力団関係で
母親は、知らないヤクザの人や、職場の男をアパートに連れて来て、たまたまアパートの前が通学路になっていて、同級生から(あの人誰?。体に絵が書いてあるよ。)恥ずかしい思いを受けて来ました。母親もアル中になり、男と揉めて母親から自分と妹は虐待受けてました。中1
の頃、母親が職場で知り合いになった今の父親と再婚する事になり、最初は反対しました。再婚しても母親のアル中は治らず、警察沙汰になりました。父親は母親の事を最後まで信じ、義父には本当に感謝してます。母親の身内に振り回され母親から自分に一言も謝罪はありません
。やっても無い事迄、言われ続けました
。母親の身内には二度と会いたく無いです。

こめこめ 2014/08/06 21:59 うちの母親と全く一緒です!!!
この記事を見つけてめちゃくちゃ良かったと思います。
私の気持ち全部を書いてもらえた気がします。
いやーめちゃくちゃ感謝しますm(_ _)m
今からが人生の正念場ですわたし。
一緒にお酒飲みたいです!!!
さんまの夢叶えたろかがあったらそれを願います!!

あいもあいも 2014/08/08 22:43 これをたまたま読んで、自分に当てハマる事がありゾッとしました。いいかっこをしたくて、本当はズボラな自分なのですが、他人には綺麗好きと思われたく、人が来るとなると必死で掃除します。汚い部屋をみられたくなく、夫が勝手に人を上げると、その人らが帰ったとた溜めていたイライラをぶつけます。私は一児の母ですが、いいかっこし過ぎる自分を反省し、息子に迷惑かけないよう変わりたいと思います。このままでは、あなたのお母さんのようになりかねません。怖いです。ありのままの自分をそのまま受け入れ、掃除は他人からの見た目を気にしてするのではなく自分が気持ちよく使えるために綺麗な部屋を維持できるようにまずはやって行きます。

あいもあいも 2014/08/08 22:43 これをたまたま読んで、自分に当てハマる事がありゾッとしました。いいかっこをしたくて、本当はズボラな自分なのですが、他人には綺麗好きと思われたく、人が来るとなると必死で掃除します。汚い部屋をみられたくなく、夫が勝手に人を上げると、その人らが帰ったとた溜めていたイライラをぶつけます。私は一児の母ですが、いいかっこし過ぎる自分を反省し、息子に迷惑かけないよう変わりたいと思います。このままでは、あなたのお母さんのようになりかねません。怖いです。ありのままの自分をそのまま受け入れ、掃除は他人からの見た目を気にしてするのではなく自分が気持ちよく使えるために綺麗な部屋を維持できるようにまずはやって行きます。

あいもあいも 2014/08/08 22:43 これをたまたま読んで、自分に当てハマる事がありゾッとしました。いいかっこをしたくて、本当はズボラな自分なのですが、他人には綺麗好きと思われたく、人が来るとなると必死で掃除します。汚い部屋をみられたくなく、夫が勝手に人を上げると、その人らが帰ったとた溜めていたイライラをぶつけます。私は一児の母ですが、いいかっこし過ぎる自分を反省し、息子に迷惑かけないよう変わりたいと思います。このままでは、あなたのお母さんのようになりかねません。怖いです。ありのままの自分をそのまま受け入れ、掃除は他人からの見た目を気にしてするのではなく自分が気持ちよく使えるために綺麗な部屋を維持できるようにまずはやって行きます。

あいもあいも 2014/08/08 22:43 これをたまたま読んで、自分に当てハマる事がありゾッとしました。いいかっこをしたくて、本当はズボラな自分なのですが、他人には綺麗好きと思われたく、人が来るとなると必死で掃除します。汚い部屋をみられたくなく、夫が勝手に人を上げると、その人らが帰ったとた溜めていたイライラをぶつけます。私は一児の母ですが、いいかっこし過ぎる自分を反省し、息子に迷惑かけないよう変わりたいと思います。このままでは、あなたのお母さんのようになりかねません。怖いです。ありのままの自分をそのまま受け入れ、掃除は他人からの見た目を気にしてするのではなく自分が気持ちよく使えるために綺麗な部屋を維持できるようにまずはやって行きます。

通りすがりの人通りすがりの人 2014/08/16 10:59 自分が壊れてまで変わらなければならないことは何もない。
自分の人生をよりよく生きる努力に人を誘うのではなく、罪悪感や人から見捨てられる恐怖を理由に努力することを求める人はたとえ血がつながっていてもモンスターと見るべきです。
でないと、自分の人生を集団や家族の維持の為にささげることになります。
そもそも、言うことを聞いても犠牲になる道しかないなら、相手を裏切っても自分の都合を優先すべきですよ。

通りすがりの人通りすがりの人 2014/08/16 10:59 自分が壊れてまで変わらなければならないことは何もない。
自分の人生をよりよく生きる努力に人を誘うのではなく、罪悪感や人から見捨てられる恐怖を理由に努力することを求める人はたとえ血がつながっていてもモンスターと見るべきです。
でないと、自分の人生を集団や家族の維持の為にささげることになります。
そもそも、言うことを聞いても犠牲になる道しかないなら、相手を裏切っても自分の都合を優先すべきですよ。

孫悟空孫悟空 2014/09/03 15:15 自分が嫌われないために気を遣う人は、身内を潰す。
大変興味深いタイトルでした。

似たような母を持つ私は、母の死後なぜ母があのような悲惨な末路を辿らなければならなかったのかわからずにいました。母の知人や親族、友人やご近所そして交流のあった場所を尋ねているうちにこのページにきてしまいました。
コメントを拝見していると考え方も様々ですが、私はこのお母様のような方に育てられた子供がお母様の言葉から解き放たれるまでには大変な苦労があったと思っています。
書かれた言葉の表現を読み理解するのは難しいことですが、体験されたことに現実的な葛藤が伝わってくるので苦しい時は壊れそうだっただろうと感じ取れました。
お母様の人生の末路はどのようなものになるのでしょうか?

四ノ宮京夜四ノ宮京夜 2014/09/16 23:13 自分の人生について、考えている高校生だ。
文章を最後まで読まなかったが、気づいた事は、具体例が多すぎる。
言いたいことを簡潔に、読む気が失せた。
辛口評価で行きますが、やはりその、僕らのような高校生には
情報の取捨選択を短時間で済ます癖がついてしまっている為 (多分ものを考えるのが好き
読むことが嫌になった。但し、貶す為に書いている訳じゃなく
私もその嫌な事があって身内の人間を怒鳴りつけた。
本当にいい着眼点していると思います。
長文失礼しました。また今度じっくり読む時間があれば、この記事の他にも色々コメントを付けたいと思います。
素敵な意見をありがとうございました。

アポ口アポ口 2014/10/01 20:05 なんと読みやすい文章でしょうか。このブログにたまたまたどり着いた私ですが、あなたの文章のファンになりました。
読みやすいだけでなく、エピソードあり、教訓あり、ちょっと毒ありで、もっと読みたくなりました。
また別の記事や新しい記事も読んでコメントさせて頂きたいと思います(*^_^*)
あ、私は「自分の人生について、考えていない大学院生だ。」笑

22 2015/01/02 07:13 自分のもやもやを解決するのに参考になりました。
私の親は客観的に見れば確実に子どもの将来を想う、私が私らしく生きることを願う親です。
しかし、いつまで親に愛を求めても私は満たされなかったのです。
それは私の感じ方と親の感じ方に違いがあったからです。

私を一個の人間として育ててくれていない、尊重してくれないと感じていることが分かりました。

ユウママユウママ 2015/01/06 21:56 私も他人に対して凄く気を使い、家に誰か来る時は完璧に片付けるのでまるで自分の事を書かれてるのかと思いました…
仲の良い友達以外は基本敬語で喋り、気を使わないでといつも言われています。
なので、読んでいて考えさせられました。
もう少し私も適当に生きて行こうと思います。

独り言になってしまいすみません。

まりまり 2015/02/12 09:18 ありがとうございます。私の家庭とよく似ています。いままでは、母は過保護だけどとても「いい人」なのだと思っていました。でもそれってほんとうの優しさとぜんぜん違うものだったんだなーと気づきました。母も祖母も完全にメランコリー親和型です。それが普通だと思って育ってきたから生きにくいのですね。気づけてよかったです。
私も人に気を遣ってしまうし、いろいろ母に似ている部分を見つけては落ち込んでしまいます。でもその自分から出発するしかないですよね。

もももも 2015/03/30 12:17 気持ちを代弁していただいた気がしました。母親はもとより、家族構成も非常に良く似ていてお気持ち察することができます。これは実際に同じような親や家庭環境でなければ、批判を受けやすい内容なので、自分も周りに話すことはほぼありません。
自分が人生につまずけば自分のせい、成功すれば親の功績、と言った偏った見方をする人間もいるためです。そういう見方をする方は、自分とは全く違う環境で育ったに違いありません。
こういった話や、また、子育てに関して親に意見を話したことがありますが、批判か無関心しかありませんでした。親ですらこうなのですから、他人はさらに厳しいですよね。
たくさんの人の意見や話に耳を傾け、視野を広げることで、親から受け取れなかったものをいただいていく人生を歩き始めたところです。

戻りのQ戻りのQ 2015/07/17 12:32 気を使い過ぎて外面良くて
家人には、全くその逆の言動で泣かされる事度々。
コレって完全に「内弁慶」じゃないの?
身近な人程、その攻撃を受け易く
内心、心ポキポキ折れ過ぎちゃって自信すらわかない。
余りに外ツラと内ツラのギャップがありすぎるのって、どうなのかな?
たとえ身内でも成長過程で良い想いの記憶は無くなると思う、そして親子関係の感情にも影響はあらわれると思う。母が好きでない…それは、精神的に、いつもケチョンケチョンにされたから…。
私的にそんな風に感じた、間違ってたらごめんなさい。

してるしてる 2016/03/22 01:09 人は人で、人を超えられない。不完全なもの。なんにも否定出来なくなるが…。
誰にだって自由がある。なることができる。
しかし、ただの一個である人が、傲慢になって周りを巻き込んだり、従わせようとすれば、反抗に合う。それはある意味、その人の自由を奪うからだ。
だから人ごときが周りを巻き込もうとする時は覚悟が必要だ。

傲慢さを捨て、ある均衡の為に成り立つものだと各々が理解できれば、高度な社会になり、人も安定するのだろうな。
バランス感覚を著しく欠いていれば、反抗にあうのは想像に難しくない。

ブログ主さんが親に抱いた思いは、少し浅い所でだろうけど、理解、共感できる。

謙虚で曖昧で、知識に対しスポンジのような人。その知識量で俯瞰の目を持てる人になりたいと思う。

なるべく、負の連鎖の拡散は見たくない。しかし、バランス感覚を欠いた傲慢を許し続ければ、それを抑えることも出来ない。

難しいね。


一個人の意見ですが、あなたは親を否定していい。これに関して批判的な感情が沸き上がる人は、他人に必要以上に負を拡散してる可能性を疑ったほうがいい。
そして、その未来を予見してみてほしい。

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