2011-10-20
いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる
Q1.現在、世界では、経済格差(世代間格差ではなく、金持ちとそうではない人との格差)や社会への不満に対して、多くの若者たちが声を上げ、デモを起こし、自分たちの意見を社会に訴えようと行動しています。翻って日本ではここ数十年、目に見える形での若者の社会的行動はほとんど見られません。これだけ若者たちにしわ寄せが行く社会になっているのに、そして政策的にも若年層に不利な方向で進んでいるのに、若者たちはなぜ、社会に対して何かを訴えたり行動したりしないのでしょうか? それは特に不満を感じていないからなのか、それともそうした行動に対して冷めているのか。あるいは社会的に連帯するという行為ができないのか。ネットにはけ口が向かっているだけなのか。内田さんはどのようにお考えでしょうか?
なぜ若者が何も言わないのか? 答えは単純。「言っても無駄だと思っているから」。
過去にブログで何度か書いたけれども、私の育った家庭は機能不全家庭で、家庭の抱える問題のしわ寄せが私に来る構造になっていた。そういう環境で育った私から見ると、今の日本社会の構造は機能不全家庭そっくりだ。そういう家庭に育った子供は親に主張しない。言っても無駄だと思っているから。この国はいわば機能不全社会なのだ。
機能不全家庭の親は、自分が子供にしてあげたことはよく覚えていて、過大評価する一方で、自分が子供に与えた悪影響は、過小評価するか、記憶から削除する。自分がうまくいかない原因を子供のせいにする。子供のことを勝手に決めつけ、一方的に評価し判断し、子供の気持ちを無視し続けておいて、いよいよ子供との関係に問題が表れると、「子供が何も言ってくれない!子供のことが何もわからない!」と言う。これでは子供が親に何か言おうという気になるわけがない。今の若者もこれと同じだ。
そういう段階になった時に、親が取りがちな行動としては、まず、「努力が足らん!根性が足らん!」「せっかく育ててやったのに!」と、あからさまに子供のせいにする方向がある。これは非常にわかりやすい。もう一つは、あからさまに子供のせいにするのは親として良くないという意識は辛うじてあるので、子供のことなど何もわかっていないのに、「私はあなたの味方よ」というポーズを取る方向がある。これは、子供のことを理解するよりも、「良い親でありたい」という欲望のほうがまだ優先されている状態だ。若者のことをわかっていない年長者も、だいたいこの二つのタイプに分けられるのではないかと思う。
今現在「若者」と言われている世代のうち、上のほうは、酒鬼薔薇聖斗や17歳少年バスジャック事件などの少年犯罪が、マスコミでセンセーショナルに報道され、「17歳が危ない」「キレる良い子」などと言われ、犯罪者予備軍扱いされた世代だ。下のほうは「ゆとり世代」で、私の認識では、学力が低下した世代というよりは、大人たちから「ダメだダメだ」と言われて育った世代だ。
人は普通、自分より立場の強い人間が、自分のことを最初から「ダメ人間」と見なしてくる場合、本心を隠して適当にやり過ごすという対応をするものだ。生き生きと自分の考えを語ったり、伸び伸びと自分の実力を発揮したりするのは、その人がいなくなったのを見計らってからだ。若者のことを「ダメ人間」と見なして叩いてきた年長者の目に見える場所でなど、社会的活動をするわけがない。本心を隠して適当にやり過ごすのみである。人間は誰だって、自分の考えを聞いてくれそうな人にしか、なかなか本音を話そうとはしない。当たり前のことだ。
自分の自己満足のために無意識に部下を抑圧する「ダメ上司」を思い浮かべてみて欲しい。個人レベルではともかく、社会全体レベルでの年長者の態度とは、そのような「ダメ上司」と同じだった。もし若者が本当にダメになってしまっているとしたら、その最大の原因は、学習指導要領にあるのではなく、若者を勝手に決めつけて一方的に評価し判断し叩いてきた、年長者の態度にある。
『ネットの可視化、リアルの不可視化―近頃の若者の「わからなさ」について―』でも取り上げた、2011年1月10日の成人の日の朝日新聞の社説だが、
しかし電車でゲームや携帯に没頭する君たちを見ると大丈夫か、と心配が先に立つ。世間の情勢を知れば、暗くなるからと、現実から目をそむけているのではないかと疑いたくもなる。
年配者の杞憂(きゆう)であれば幸いだ。
これを読んで私が思ったことは、「ご自身が世間の情勢に不安感をお感じになるのはわかりますが、それを若者にぶつけないで頂けますか。現実から目をそむけたいのは、貴方のほうなのではありませんか」だった。
もしかしたら、物心ついた頃には既に不況で、それが現実だった私の世代よりも、今日より明日のほうが良くなる、未来は明るいと信じていた年長者世代のほうが、「こんなはずじゃなかった」感が強いのかもしれないが。
現代の若者は、年長者の社会不安の「受け皿」としても機能している。経済的な面だけでなく、心理的な面でも、若者世代にしわ寄せが行っている。
内田樹氏が「解毒」の責任を感じて下さっているのは、まぁお気持ちはそこそこ嬉しいのだけれども、現実には、その「社会的責任」は果たされずに、そのまんま若者の問題として下りてくるのだろうと思っている。今の日本が抱えているもろもろの問題も、ここであえていちいち列挙しないけれども、前々から「何とかしなければ」と声は上がっているものの、そのまんま何ともならずに、若者に下りて来るのだろうと思っている。
だから若者は、この国で生きていく限りは、それらの問題を背負い込む現実を受け入れないといけないし、できるだけ次の世代への連鎖を食い止めないといけない。
そういう意味では、日本は本当に機能不全社会なのだ。機能不全社会に育った子供は、親が変わってくれることを期待するのを諦めて、親に働きかけるのをやめて、親に向けるエネルギーと時間を、自分自身を何とかしていくために使ったほうが良いと悟るようになる。それと同じことが起きているだけだ。
もちろん、個人レベルでは、若者のことを理解してくれる年長者もいるし、そういう人は有難いのだけれど、社会全体レベルではどうだろうか。現実には若者にしわ寄せが行くようになっているのだから、つまりはまぁ、そういうことなのだろう。私は、どの世代でも自分が可愛い人間は一定数いて、その割合は大して変わらないと思っている。自分が可愛いのは若者世代だって同じなのだから、しょうがないよね。
それでも私は、自分の世代に原因がないことで叩かれる体験してきたので、自分より下の世代には、せめて同じことはするまいと思っている。団塊世代を叩きながら、ゆとり世代を叩く人がいるが、そういう人は若くして既に老害だ。
ちなみに、最近の若者の行動パターンとしてよく言われる「自分から行動しない」「黙っていて言われたことしかしない」は、甘やかされた子供だけでなく、虐待された子供の特徴でもある。自分の判断能力を否定されて育った子供は、このような行動パターンを身に付けるようになる。
親が子どもの話を聴く力の度合いに応じて、子どもは親に話を持って来てくれるかどうかが決まるのです。お子さんが不適応になった場合に親御さんがよく言われるのが、「子どもが何も話してくれない。どうしてこんなになったかわからない。だからどうしていいかさっぱりわからない。」というようなことを言われます。
(中略)
その中でも、非常に大事なことの1つが、『親が聴かないから子どもが何も言ってくれないのである』ということです。『子どもが親に何も話さないのではなくて、その前に、子どもの話に耳を貸さない親がいるだけだ。』ということが解ってきました。だから、「親が子どもの話を聴く力をつけるにつれて、子どもは沢山話してくれる。」、「親の聴く力は常に子どもから試されている。」ということです。
まぁそれでも、私は今の時代に生まれて良かったと思っている。いくら景気が良くても、今よりジェンダー観が固定的で、セクハラパワハラアルハラが酷くて、「いじめられるほうが悪い」という言説がまかり通り、「外国は児童虐待が酷い。日本は家族を大切にするからそんなことはない」と無邪気に信じて児童虐待を見過ごしてきた時代より、今の時代のほうがずっとマシだ。そういう面では非常に恩恵を受けているし、そういうことを頑張ってきた年長者には感謝している。
[追記]
続きを書きました。
【関連記事】
- 9タイプス(エニアグラム)とか.. - いちおっさんの立場から、若者...
- 雪、あるいは白鳥のように - 2011年10月21日のツイート
- デマこいてんじゃねえ! - なぜデモは反社会的なのか/クチばかりで...
- ここは酷い国際落書き団ですね
- 頼逞byMETHIE - いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主...
- 頼逞byMETHIE - いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主...
- yuhka-unoの日記 - 若者は何も言わず、ただ去るのみ
- 場回しの技術
- 屋根裏ニュース - 中毒性が高い曲!マイナーな音楽好きにはたまらな...
- 屋根裏ニュース - 中毒性が高い曲!マイナーな音楽好きにはたまらな...
- 玖足手帖 - ピングドラムの幾原監督の虐待親子論
- こころ世代のテンノーゲーム - 言うべきか言わざるべきか
- yuhka-unoの日記 - 「子離れ」とは、親の期待を跳ね除ける子供に逆...
- yuhka-unoの日記 - マイノリティとしての若者
- yuhka-unoの日記 - 成長を停滞させる共依存社会
- 2133 http://b.hatena.ne.jp/
- 1992 http://www.hatena.ne.jp/
- 1638 http://t.co/vbxLq9Jd
- 1006 http://www.ig.gmodules.com/gadgets/ifr?exp_rpc_js=1&exp_track_js=1&url=http://www.hatena.ne.jp/tools/gadget/bookmark/bookmark_gadget.xml&container=ig&view=default&lang=ja&country=JP&sanitize=0&v=ac8fdbe465718b2e&parent=http://www.google.co.j
- 952 http://b.hatena.ne.jp/hotentry
- 530 http://t.co/U47sD88v
- 386 http://twtr.jp/home
- 321 http://b.hatena.ne.jp/hotentry?mode=general
- 318 http://netatama.net/
- 229 http://netatama.net/archives/6246185.html

ゆとり(笑)とか書いたり言ったりしてるのもごくごく一部だから。w
「あの政治家は偉い! 業績大特集」とかって記事見た事ないでしょ? そんなもんだって。
そういう家庭も多いのでしょうね。もっと子の話しを聞いてあげて欲しいです。が、親が微妙だからと言って、その子の人生が全て決まるとも思いません。親もたくさんいる人間の一人に過ぎませんし。
でもきっと、どちらも間違ってはいないというのが実は厄介な要因でもある。どちらも「自分が悪い」と思い合って自省するなら、全てが良い方向に向かう芽も出るのだけど、
得てして「相手が悪い」と互いに責め合うことになる。大人が悪いのは事実だけど、実は、「大人が悪い」というもっともらしい意見に便乗して、何でも大人のせいにしてしまおうと画策する
若者もいる。今どきの若い者はダメだ!という決め付けを正として、自分のやって来た過ちをなかった事にしようとする大人もいる。
それがグルグル回り巡って複雑に絡み合ってしまうから、どれも正しいようにも見えて、どれも本質的には間違っているようにも感じる。
それは他人事、それは他人のせい。その思いを互いに持ち続ける限り、何も生み出さない正論だけが一人歩きするんでしょうな。
どこかで負の連鎖(責任転嫁のスパイラル)を断ち切らないとダメですよね。でもきっと、まず最初に行動しなきゃ行けないのは
自分のような大人なんだろうも思います。他人をダメだという自分が一番ダメなんだよね…。
昔の若者は、デモをしたり暴れたり、創作物で自分の感覚を発表すれば、
大人も否応なく理解するはずだ、という希望(希な望み)をまだ持っていたのに、
今の若者にはその希望すらない、ということでしょうか?
誰が悪い、何々のせいだ!って考えるのにすら疲れてる感じ。
いちいち過剰反応してエネルギーを使うより、自分のためにエネルギーを使う人が比較的多い。
あとネガキャンするような子は同年代では少ない気がするなぁ。
35歳くらいの就職で苦労した人たちに可愛がられるよね。
http://d.hatena.ne.jp/yoshii_hiroto/20111021/1319223126
よかったら読んでみて下さい。
ゆとり世代をたたくような「虐待の連鎖」は止めたいところですが私はやや悲観的ですねぇ、「虐待の連鎖」という構造でこの事象を捉えてしまったので。
若者の無言の反抗は年金で顕著に見られるような気がします。
私の父親もろくな人間じゃなかったけど、家庭環境に何か似たようなものを感じました。
もし読んだことがないのなら、岩月謙司の『家族のなかの孤独』(URL参照)を読んでみるといいかもしれません。
幾つかの図書館を当たればあるかと思います。
もしピンポイントで大当たりだった場合は岩月謙司の他の本を読むことをオススメします。
基本的には同じ話なんですけど、具体例が違ったりするので。
酒鬼薔薇聖斗や17歳少年バスジャック事件の世代ですが、個人的にはあれらの事件で大人とマスコミは駄目だという認識が同学年で急速に広まりました。犯罪者予備軍扱いされ高校の修学旅行も中止になりましたからよく覚えています。
言葉が軽視化して行動で示さない大人に興味が持てなくなった。
ただエントリ主は女性だから今の時代がいいように思えるのだろうな。若者男性側から見ればジェンダー論が進んだ分、若者全体というより若者男性のみに攻撃が集中してるというのは思いすぎでしょうかね。
高齢者>団塊世代>主婦>若者女性>若者男性>より若者男性(いわゆるゆとり男性)という下への暴言が続く構造を何とかしたいですね。ゆとり世代を叩く構造もそうだけど、女性が「草食系男子」という言葉で男性を叩く構造も基本同じのように感じますね。
購買市場の大きさからマスでは無理だろうから草の根レベルで広げていくしかない。
多分ライブドアショックあたりで、こういう傾向が更にに強まった。
ホリエモンは良くも悪くも既存勢力への急先鋒で既存の枠組みを壊そうとすると徹底的に潰されると言うのを実感したから、寡黙な行動が若い世代では常套手段化したと思う。
昔はベテラン男性vs若者男性という簡単な構図だったけど、今は女性層も発言権があり高齢者もいるから弱い側が団結し、既存勢力以上のパワーを手にする方法が数倍難しくなったと思う。新規に行動しても様子見の状態で誰も動かない、勝つ側が決定してから乗ろう保守的傾向が強まった。
これはいじめっ子にも見られる特徴ですね。
>>通りすがりさん
unoさんは「生き生きと自分の考えを語ったり、伸び伸びと自分の実力を発揮したりするのは、その人がいなくなったのを見計らってからだ。若者のことを「ダメ人間」と見なして叩いてきた年長者の目に見える場所でなど、社会的活動をするわけがない。」と仰っています。
つまり、言い訳して動かないのではなく、他人を初めから認めない様な人の前では何もしないが、彼等の目の届かない所では動いてます、といっているのです。
>>tester2さん
>酒鬼薔薇聖斗や17歳少年バスジャック事件の世代ですが、
>犯罪者予備軍扱いされ高校の修学旅行も中止になりましたからよく覚えています。
レッテルを貼られた上、思い出作りも許されないとは…。
酒鬼薔薇聖斗は日本人ですらないのに、あたかも日本人の犯行の様に語るマスコミですからね。
>若者男性側から見ればジェンダー論が進んだ分、若者全体というより若者男性のみに攻撃が集中してるというのは思いすぎでしょうかね。
ジェンダー論を振りかざすおかしな人達がいるのは判るんですが、それほど女性の発言権や立場が強化されたように思えません。なぜなら、会社の上司などに男性(とりわけ、団塊世代)が多い事もあり、評価している者の価値観が変わっていないからです。
あと、「最近の若い娘はビッチ」とか「日本人女性は隣国の男が好き」とか、十分に酷い評価をされているので。
>女性が「草食系男子」という言葉で男性を叩く構造も基本同じのように感じますね。
好みなんて千差万別。マスコミが煽った程度で流されるのは、自分の意志が弱く、判断力のない人でしょう。
「草食系男子が人気!」と宣伝されても、衣服と違って人は着せ替え感覚で付き合えるものではありません。そんな言葉に踊らされる人を酷評する心情はおおいに理解出来るのですが、あくまでも一部の目立つ残念な女性でしかないという事をご理解願います。
自己満足のために、自分より弱い立場である子供のことを理解しようとせず、否定しながら育てておいて、子供が親に反発するようになると、「どっちもどっち。私も悪いがお前も悪いからお互い様。他人のせいにしてたんじゃ、いつまでたっても前に進めないよ」と言うのも、機能不全家庭の親によくあるパターンですね。
この場合の親の目的は、一見、子供のことを理解しようとするポーズを取りつつ、子供に対して「お前にも悪いところがあっただろう」と言うことで、子供に罪悪感を植え付け、自分が批判されることを回避しようとするものです。
>菜々氏 さん
ないですね。
昔の若者が主張できたのは、今日より明日のほうが良くなると信じられた時代であることと、単純に数が多かったので、主張しやすかったからではないでしょうか。
今は、若者のほうが数が少ない時代ですからね。
まぁ確かに、マスコミの非はかなりあるかとw
私は、関西ローカル「ちちんぷいぷい」というTV番組の中で、たむけんが学校訪問をするコーナーが好きです。偏見のない若者の取り上げ方をしていますから。
>yoshii_hirotoさん
ありがとうございます。
私の考えは少し違うものです。上記コメントで既に述べたように、時代背景と単純な数の問題があるかと。
そこそこの抑圧なら、子供は反抗期になると反抗しますが、親の抑圧があまりにも強いと、子供は反抗すらしません。
子供の幸福度は、物質的な面を見るのではなく、心理的な面を見たほうが良いと思います。実際の家庭でも、裕福な家の子供が虐待されていないとは限らないのですが、そのような家の子供は、周囲の人たちから、単に裕福というだけで、「きっと甘やかされているのだろう」と見られたりしますよね。
>mickey_trustさん
「投影」というのは、その通りだと思います。
私も、記事を書きながら、「これは『年配者の杞憂』じゃなくて、『年配者の投影』だよね」と思いました。
こんな言い方すると、世の中のおっちゃんたちに失礼かもしれませんが、結局、あ
と20年、30年もしないうちに世の中の中核は今の若者たちに移るんだから、あーだこーだ横やりいれないで、可能性を信じて最大限応援すりゃいいのに、って思いますね。
過去の栄光とか、昔の良き時代がどうこうとか、うしろを振り返って今を批判するのは非価値的だと思います(もちろん、過去から見習うべき部分は見習いますが)。
世の中は流動的に時代と共に変わっていくものですし、今とこれからの世の中の動向を敏感に察知できるのは、間違いなく若い世代だと思います。
俺の子や孫の代から、「おやじ(じいちゃん)の時代の人は素晴らしい」って言われるような生き方をしていきたいですねー。「素晴らしい」って、全然具体的じゃないですがwまあ要は世の中のお邪魔虫にならずに、何かしら有益なことを残していこうよってことです。ファイトーー!( ゜ロ゜)乂(゜ロ゜ )イッパーーツ!!
20代学生
「草食系男子」という言葉は、もともと深澤真紀氏がネット上で提唱し、その後森岡正博氏によって広められた、という流れだったかと思います。
私は、「草食系男子」という言葉が出てきた初期の頃のことを覚えていますが、その頃はそんなに悪い意味で言われていませんでしたよ。
むしろ、私はかなり「草食系」に当てはまりましたし、マッチョな男性が苦手なので、「良い言葉が出てきたなぁ」と思っていました。
私が自分のプロフィールで書いている「草食系女子」は、深澤氏や森岡氏の言うところの「草食系」です。
しかし、その後マスコミで広く使われるようになるにつれ、当初の意味から離れて、「臆病で何弱な男子」という、「近頃の若者は…」的な意味合いを含んだものになっていったので、私はげんなりしましたね。
つまり、マスコミでの「草食系男子」という言葉の扱われ方は、いわば、酒鬼薔薇聖斗や17歳少年バスジャック事件の扱いと一緒なんですよ。
マスコミの「草食系男子」の扱い方を見て「女性から攻撃されている」と思い込むのは、少年犯罪をセンセーショナルに報じたマスコミの影響を受けた当時の大人が、「少年少女は犯罪者予備軍」と思い込んだのと同じですから、あなたも騙されないように、お気を付け下さいませ。
むしろ、「草食系男子」が出てきたのは、男性が旧来のマッチョ的男性観から開放されてきたからだと思いますよ。
旧来の価値観では、「男は女を獲得してナンボ」「沢山女とヤッた男が偉い」という言説がまかり通っていましたが、そうじゃない男性の生き方も受け入れられるようになってきたということですから。
「草食系男子」を一番叩きたいのは、そういった旧来の性価値観を温存していたい、年長者の強者男性でしょうね。
「草食系」「肉食系」などのジェンダー観の変化については、いずれ記事を書こうと思っています。まぁ、絶対に書くとは言い切れませんが(笑)。
とは言っても、やっぱり私たちの世代も、いずれ下の世代から反発されると思いますよ(笑)。でもそれで良いんです。子供には反抗期があるのが正常なんですから。
私はもう、下の世代から尊敬されたいとか、認められたいとか、そういう欲はなるべく持たずに、ただ粛々とやるべきことをやって、あとは自分の人生を楽しむという生き方をしたいですね。
バブル期以前の「良い学校→良い就職先→良い人生」というスタンダードから外れて、自分の生き方を自分で模索してきたおっちゃんの中には、逆に今の時代に順応している人が多いような気がしますね。
そういうタイプのおっちゃんの話は、聞いていて参考になることが多いですよ。
セリグマンとマイヤーは、犬を用いた実験を行い、無力感が学習されるものであることを発見した。
電気ショックの流れる部屋の中に犬を入れ、一方の犬はボタンを押すと電気ショックが止められる装置のついた場所、他方の犬は何をやっても電気ショックを止めることのできない場所に入れる。前者の犬は、ボタンを押すと電気ショックを回避できることを学習し、自発的にボタンを押すようになったが、後者の犬は何をやっても回避できないため、ついには何も行動しなくなり、甘んじて電気ショックを受け続けるようになった。
犬がそうであるように、人間の脳も同じ働きをするのだと思います。
無気力は学習される。
それだけ今の時代が若者にとって「努力も主張もする価値がない」ということなのだと思います。
生物の本能レベルで学習されるため、個人の努力や根性でどうにかなるものじゃない。
ですが、団塊の世代は学習性無力感に至るほどの抑圧を受けていないから、なぜ無気力なのかが感覚的に理解することができないのでしょう。
しかしながらそれはバラバラに発言したときの場合なんですよね。
数十万人、数百万人が同じときに同じ場所に集まって発言したら「言っても無駄」でしょうか。
「それは無理だよ」「それよりぼくは起業して世界を変える」「起業して日本を元気に」が今の若者の答えなんでしょうねー。
今の若者たちは、私の目から見ればある意味では羨ましいところもあります。それは、
「言っても無駄だと思っているから」
という感触を共有してところです。私たちの世代は無駄だと思っていなかった、というより、上の世代の価値観を価値あるものだと信じていたし、信じたいとも思っていました。未だに信じたいと思っている者は多いでしょう。
当時は(私などが若い頃は)、上の世代の「連帯」はまだ眩しく見えたものです。が、今は、あれは「過剰な連帯」だったんだと考えるようになった。過剰ゆえに、下の世代のデフォルトな連帯能力を奪っていったのだと考えている。そして、未だに上の世代は自分たちが過剰だったとは認識していない。それは過剰ゆえに、ですね。
今の若者たちは、その「過剰」のしわ寄せを喰らっている。その点では気の毒です。が、逆にいうならば、もはや「過剰」の影響からは脱している。それは私たちには難しかったことです。仮にひとりで「過剰」から脱しようとしたとしても、同世代にだって共感を得るのは難しかったでしょう。自分たちのデフォルトな連帯能力が奪われるのをどこかで感じながら、「逃げちゃダメだ!」と自分を叱咤するしかなかった。
その点、今の若者たちは、デフォルトとに連帯能力を発揮している環境にはあるのではないか。それが起業に向かうのであれば、好ましいことでしょう。
なお、当記事を少し拝借して私もブログ記事を書いてみました。よければご覧になってください。
http://gushou.blog51.fc2.com/blog-entry-537.html