2011-10-23
若者は何も言わず、ただ去るのみ
『格差と若者の非活動性について (内田樹の研究室)』を受けて書いた前回記事『いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる』に、「全くもってその通り」と思う意見を頂いたので、こちらをご紹介しつつ、今回の記事を書こうと思う。
@niger112 (^_-)-☆
機能不全家庭の子供側の一つの解決策に「同じ土俵に立たない」があると思う。表面上だけ取り繕って影で脱出する準備をする。そうすると、親側からは何も主張がないように見える
http://twitter.com/#!/niger112/status/127301646148579328
@niger112 (^_-)-☆
例えば、高校までは我慢して県外の大学に行くことで家庭の問題を放置したままで自分の状況を改善できる。機能不全社会なら海外就職すれば日本社会の問題は放置できる。どうして親側の人は、いつまでも自分と同じ土俵に立ってくれると信じているんだろうね。
例えるなら、長年抑圧され続けて、夫と話し合うことすら面倒臭くなった妻が、夫を表面上黙ってやり過ごしつつ、密かに仕事と住む場所と弁護士を用意して、準備が整った時点で、ある日突然夫の前から姿を消すようなもの。一番省エネかつ効率的かつ自立的な離婚方法だ。
こういう妻は、夫といる間は「何も主張しない」「内向き」な人に見えるが、離婚して夫から解放された途端、本来の自分に戻り、生き生きと自己主張して外向きな人になったりする。つまり、最近の若者の特徴として言われている「何も主張しない」「内向き」は、何も若者に限った特徴ではなく、抑圧されている者に共通する特徴ということだ。そして、えてしてこういう夫は、自分がいかに妻を抑圧していたかについて、全くの無自覚だ。
夫に不満をぶつけてみようとするのは、まだマシな状態である。夫がわかってくれたらやり直そうと、まだ希望を持っているのだから。不満すらぶつけず何も言わないのは、より深刻な信頼関係末期状態である。
抑圧されすぎた子供には反抗期がなくなる。若者はもう、年長者と話し合うことすら面倒臭い。だから何も言わない。
私個人としては、バブルが崩壊して景気が悪くなり、様々な物理的経済的な問題が、下の世代に降りかかってきたことについては、あまり責める気にはなれない。色々と仕方がなかったのだろう。それに、世間が私にとって生きやすい今の価値観になったのは、バブルが崩壊したからでもある。
しかし、自分たちが不安だからといって、その不安を若者にぶつけたり、自分たちがうまくいかない原因を、若者のせいにしないで欲しかった。今の若者世代は、好むと好まざるとに関わらず、この国で生きていく限りは、この国の問題を引き受け、この国を立て直していかなければならない。ならば、それができるだけの、自由で自立した精神を持つ、逞しい若者を育てなければならなかったのだ。なのに、自分たちの精神を一時的に慰撫するために、若者の精神を押し潰してしまったのは、より状況を悪くしてしまったとしか言いようがない。それすらも、人間は弱いのだから、つい自分より弱い者に当たってしまうのだ、仕方がないのだと言うのなら、その結果として、若者世代が年長者に対して何を思うのか、どういう態度を取るのかも、仕方がないと受け入れて頂くしかないだろう。
問題を抱えた親が子供に当り散らし、物理的にも精神的にも子供を「受け皿」にし、その結果、子供の心が親から離れてしまうのも、機能不全家庭にはありがちなことだ。例えば、アルコール依存症の親は、自分が酒を飲んでしまうのは自分の問題なのに、子供に対して「お前が我侭な子供だから、俺は酒を飲まずにはいられないんだ」などと言って、子供のせいにしたりする。個人レベルではともかく、社会全体レベルでの年長者世代の姿とは、このようなものだ。
かつて年長者に猛反発した世代は、今やその時代の年長者以上の抑圧者になっている。ということは、今の若者世代も、余程気を付けなければ、将来抑圧者になりかねないということだ。
子供のことを理解しようとせず、否定しながら育てると、子供が将来どうなるのか、親に対してどういう行動を取るのかは、目に見えている。一時期の自己満足のために、自分より下の者をダメだと言うのは簡単だが、それで将来困るのは自分自身だということは、既に自分自身が経験してきたことなので、肝に命じておこう。物理的経済的な問題が解決できるかどうかはわからないが、せめて心理的な問題については、「虐待連鎖」を起こさないようにしたいものだ。
若者が主張したらしたで「生意気だ」「甘えるな」と言われ、主張しなかったらしなかったで「内向き」「覇気がない」と言われる。このダブルバインドというのもまた、非常に機能不全家庭的だ。この現状に、「どうせ何をやってもダメだって言うんだろ」と言い、閉塞感を感じる若者は多い。
だが、逆に考えると、「どうせ何をやってもダメだと言われるんだから、何をやっても良い」ということにならないだろうか。何をやってもやらなくても評価結果が同じなら、そんな評価目線など気にせず、開き直って、自分の好きなこと、やりたいことをやれば良い。
機能不全家庭に育った子供は、自分で自分のことを育てていかなければならない。自分が取るべき行動は、親がどう思うかではなく、かといって、親に対してなんでもかんでも反発するのではなく、自分の成長にとって必要かどうかで判断すれば良い。機能不全家庭に育った子供は、親の目線から解放され、開き直った時にその本領を発揮する。今の若者に必要なのは、「連帯の作法」云々の前に、良い意味での開き直りだと思う。
何をやってもダメだと言う人々は、何も言っていないのと同じだ。どうせ何も言っていないのだから、そんな人々のことなど気にせず、好きに生きれば良い。
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この記事のようなことを無意識に実行していたのは8年前の事。
県外の大学へ進学、新聞奨学生として二足のわらじを履いていたことを思い出した。
開き直って、アメリカまで逃げてきたワタシw。本領発揮真っ最中です。
おかしなモノからは、逃げるが鉄則。
それが一番効率的な手なのかも知れませんね
誰だって面倒な事、無駄な事はしたくないでしょうし
きっと親の世代も、バブルの前後で価値観がひっくり返って、もう何が正しいかとか何が間違っているとか、わからなかったんじゃないかと思う。あくまで推察ですが。
私たちはおっしゃる通り、負の連鎖を止めるのが次の世代の為の使命なんだろう。ひとつがんばろうか。
言っても通じないなら言わない。ただ立ち去るのみ。
若い世代も、国から、社会活動から逃散してるだけなんでしょう。
無駄なことはしないに限ります。エコですね。
捨て子として育った子供は本当の親を探す事が多い
自分を作った理由を理解しようとするため
>好きに生きれば良い。
と言うのは作られた意味を分かって自分と言う存在を肯定されて始めて得られる感情
作った人が求めていて自分は大切な存在である、そして自分に興味があってこうしたい像がある
そういう肯定感を本当に子供を生みたい人は与えられるはず
与えられないのは本当は子供を本当は欲っしてなかったってだけで生むべきじゃ無い
人は自然に求められて自然に育つもの
そうなってないのに自分勝手好きに生きろと言うのは結構無理があるのでは?
否定されるのは存在が肯定されていないから
生む子供の存在を肯定していないのに生み続ける事が問題なんであって
邪険にするのに生み出す事が異常なのであって
本当に子供が必要なのか考えて自分に聞いてみる事がまずやるべき事では?
>捨て子として育った子供は本当の親を探す事が多い
自分を作った理由を理解しようとするため
親捜しをする大半の子供の目的は「本当の親に会いたい」という単純な理由からでは?
子供が如何に賢くとも、そこまで哲学的というか、小難しく考えてるなんて普通はないですよ。
>好きに生きれば良い。と言うのは作られた意味を分かって自分と言う存在を肯定されて始めて得られる感情
そうとは限りません。私などは、否定されて生きてきたからこそ「ならば好きに生きてやろう」と思えましたから。
>与えられないのは本当は子供を本当は欲っしてなかったってだけで生むべきじゃ無い
子供を欲しがる理由が必ずしも良い事とは限らないのですが。
あと、欲っしていたからといって、育てる段階で意識が変わる事もあります。育児の苦労に嫌気がさして虐待する親も居る訳ですから。
>人は自然に求められて自然に育つもの
教育あってのものかと。
> 捨て子として育った子供は本当の親を探す事が多い
そうですね。
人の心は「欠けている」ものを補おうとすることが多いです。
親が欠けている人は親を捜し、貧困な人はお金を求め、甘えられなかった人は絆を求めます。
ですが、「欠けているものが決して埋められない」という結論に達してしまうこともあります。
実の親が子どもの人権を認めておらず、子どものことを親の所有物としか見ていなかった場合、親に従うことは自分の存在を否定することになります。
精神的に自立することを親が邪魔するわけです。
そうすると、「自分」が欠けてしまうため、「自分を取り戻す」という代償行為を求めます。それが「好きに生きる」ということです。
> 邪険にするのに生み出す事が異常なのであって
> 本当に子供が必要なのか考えて自分に聞いてみる事がまずやるべき事では?
その言葉は虐待経験者にとっては残酷です。
親から「自分」を求められず異常な環境で生まれ育ってしまった人に「あなたは本当に生まれる必要があったのか考えてみるべきでは?」と言っているわけですから。
僕の結論は、「生きることに意味など無い」です。
他の人はどうかはわかりませんが、人生を踏み外してしまった人に、生きる理由の外的要因など無いのですから。
最初から意味など無いのだから、自分で生きる意味を新しく創り出せばいい。
そこまで至らなかった人が、きっと自殺するのでしょう。自分が生きる価値など無いと。
日本の自殺者数の統計は諸外国に比べて厳しい基準になっていて、海外では日本の自殺者数は年間10万人とも噂されているようです。
そして自殺者以上に「自分は必要とされていない」と認識しながらも生きている人が存在しているでしょう。
だからこそ、「好きに生きる」ことでまず自分自身が自分の生を肯定することから始めてみてはどうかと思うんです。
僕自身もそうしているから言っているに過ぎないんですけどね。
育てる段階での意識を想像してみるって事です
周囲が子供は可愛いよと言って欲しいとおもっても今やってる事の邪魔になったらおろそかにしてしまうかどうか
本当に必要かどうか
どうしても必要だと思っていないなら生まないが基本だと思います
thorさん
虐待経験者にとってこそ「当に子供が必要なのか考えて自分に聞いてみる事がまずやるべき事では?」と言おう言葉は必要だと思います
本当に必要だったら大切にされるはずです
必要が無いのに必要だって事にすればその差分の負担を子供側の待遇で埋めなければいけない
それが虐待ではないかと思います
必要が無いのに生んだ事が虐待の全てだと思います
子供に興味の目が言っていて気配り出来ていれば配慮が出来るはず
配慮が出来ないと言うのは子供に対して配慮をする程の関心が無いって事ですよね
むしろ、自分の本当に関心があって気を使いたい物事に対しての邪魔だから攻撃するのです
本当の意味で子供を欲っしていない人が子供を生まないだけで虐待は起きないと思います
「生きることに意味など無い」
のだから意味の無い世界で存在を肯定できる理由があったら自分が求められて呼ばれているって事しかない
呼ばれてもいないのに何も無い世界で「好きに生きる」事こそ、じゃあ何をしたらいいの?ってなると思います
何も無い部屋につれてこられて好きにしなさいって、好きな事って何?って状態ではないですか?
それなら来なければ良いと思います
つまり、この社会に必要ないなら今すぐ死ねってことになりませんか。
「何もない部屋=世界」に来なければいい、って意味になりますよね。
文脈から察するに、NAMEさんは「親の立場」という価値観からの発言だと思います。
ですが、元記事は若者視点で書かれています。
若者視点の記事のレスに、親の視点から「必要なければ子どもを生むな」というのは、的外れです。
そして親の視点だからこそ、「親の言うとおりに行動しない、親に必要とされない子どもなんて生まなきゃいい」と言えるのだと思います。
説明不足でしたが、親に望まれない子どもは、欠けている自己を親によって補うことはできないってことなんですよ。
親に必要とされることはたぶん一生涯無いだろうってことなんです。
だから自分で探すしかない。
「親にとって必要ないなら生きる価値ないよ」って否定されるんじゃ、それに従えば死ぬしかない。
そういった主旨の価値観従えば死ぬのなら、生きるためには無視するしかない。
だから若者は親に逆らう。好きに生きる。
好きに生きるってのは、親の社会を否定することとは少し違います。
親と理解し合えないから、自分から離れるって感じです。
ですがそれを親が追ってきて子の生き方を否定する。
だからますます子は親と関わりたくなくなります。
そういういたちごっこをしている。
まあ、親の言い分もなんとなくわかります。
苦労して育てた子どもが親の立場も考えず好き勝手に生きるなら、何のために子を育てたのかわからないって感じでしょうか?
でも、それこそが親が子を所有物として扱っているってことです。
好きに生きるなというのなら、自立するなということではありませんか?
子の人生という視点で考える前に、一人の人間の人生として考えたとき、親は子の人生を縛っていいものでしょうか。
逃げる子を親が追うなら、それは親が子から自立できないということではありませんか?
虐待するくらいなら生まなきゃいい、は確かに事実ですが、必要ない人間は生まれてくるな、という考えもあるように感じます。
生む側がどうしても必要ないなら生まなければいいってるだけです
子供の立場から見て
自分から探さなきゃ自分の意義が存在しない
それってむなしいと思いますよ
逆だと思います
自分は求められてここにいる、だからついでにこれからしたい事がどんどん思い浮かぶし何かやろうと言う気になる
最初の最初の段階、自分の存在肯定する段階でつまずいているから話にならない
そうならないように
子供を生むか生まないかの場面にたった時その時の気分やのりや一時の感情で生んだら
子供は都合の悪い事もいう
全て受け入れられなければ生まなければ良いのでは思います
そこまで必要としていないのに形式上確保してるだけで生まれる子供が散々な扱い
人の成長に一番必要なものは必要とされていると言う実感
自分から好きに生きる自由じゃない
誰もいない場所で一生を満足して過ごす、無理でしょう?
とてもおかしい状況ですよ
いやいやいやいや、おかしな話ですよ。
元記事の最後はこう締めくくられています。
「何をやってもダメだと言う人々は、何も言っていないのと同じだ。どうせ何も言っていないのだから、そんな人々のことなど気にせず、好きに生きれば良い」
これは主語を補足すると「(若者は)そんな人々のことなど気にせず、好きに生きれば良い」のように僕には読めました。
そこに誰を対象にしているのかわからない状態で「必要ない子どもを生むな」では意図がわかりません。
なぜ、望まれなかった子どもがどう生きるかという話のときに、望まない子どもを生むなという発言が出て来るのか、僕には理解できません。
>それってむなしいと思いますよ
> 逆だと思います
> 自分は求められてここにいる、だからついでにこれからしたい事がどんどん思い浮かぶし何かやろうと言う気になる
> 人の成長に一番必要なものは必要とされていると言う実感
> 自分から好きに生きる自由じゃない
> 誰もいない場所で一生を満足して過ごす、無理でしょう?
> 本当は必要としていないのにただおいておいて邪魔者扱いしているのに、自分ではその存在を必要だと思ってる
それは子どもの視点じゃないです。やっぱり親の視点ですよ。
子どもは親に必要とされなければならないっていう視点だと思います。
必要とされなくても自分で生きていく、という自立の道こそが親に自己を否定された子が自分を認めるのに必要なことです。
いくら虐待親に求めてもそれは絶対に手に入らないんです。
誰もいない場所で一生を満足して過ごす、それがなぜいけないんです?
世間から離れて生きたっていいじゃないですか。子どもを生みたくないんなら。
他人と関わって生きられないなら、関わらないようにして生きる。そのことと、必要ない子どもは生まないってのは矛盾しないと思います。
むしろ、世間体を意識してしまうほうが、「人間は子孫を残して社会に貢献しなければならない」という判断を下してしまうように思います。
「家庭を持っていないような人は責任感が希薄だから管理職になってはいけない」とか言いますよね。
社会で真っ当に生きていくためには子を産み育てる義務というものを社会から要求される。
子を産まないという選択は社会通念に従わないという選択でもあります。
ならば社会から離れて生きることに問題はないはずです。
虐待されて歪んでしまった人間を、社会は求めていないのですから。
で、好きって何か好きにしたい事でもあるのですか?
「何をやってもダメだ」と言う事が気になるって事は大人の評価が気になるって事ですよ
大人の言う事が気になってなければそんな「若者は好きに生きれば良い」なんて許可を得ずとも元から勝手にすると思います
「何をやってもダメだ」と言う事が気になるのは「何をやったらいいの?」って事です
そんな褒めてもらいたがっているのに勝手に好きなようにやれと言ってもいったい何を好きなようにするのかと聞き返されそう
保護者の役目は居場所を作ってあげる事
「何をやってもダメだ」をいう人にこめられる意味は居場所はないと言ってるのと同じです
要するに存在を否定してるのです
存在を否定して拒絶しているのに子供を生むから話がこじれるのです
「なぜ、望まれなかった子どもがどう生きるかという話のときに、望まない子どもを生むなという発言が出て来るのか、僕には理解できません」
保護者の役目を説明しているくらいですから、それは親の視点ではないですか。
「居場所を作ってあげる」という上から目線からもそれが伺えます。
親は最大の敵。社会には認められない。居場所はない。仕事もない。お金もない。明るい未来が見えない。何をしていいのかわからない。ただひたすら何をしても駄目だと否定され続ける。社会に従わないのは甘えで努力が足りないからだと言われ続ける。
そんな若者が、自分の外に生きる意味を問うても「社会に貢献できなければ死ね」と言われるだけです。
存在を否定されるのだから、せめて自分自身で自分の存在を認めるように心がけなければ、生きることができません。
だから「好きに生きろ」と、自分と同じ若者に対して言っている。
「子どもを生むから話がこじれる」ではどこに向かって話をしているのか、僕にはどうしても理解できません。
その言葉は、誰に対して言っているのでしょうか?
少なくともyuhka-unoさんは自分のことを虐待された子どもと認識しているでしょうし、僕も狂った家庭で育ちました。
あなたは、育児放棄されて死んだ子供のニュースをテレビなどで見て、「虐待とは、最初から子供を欲していない親が、自分勝手に産んだから起こるもの」と思い込んでいませんか?
実際は、虐待する親は普通の親以上に子供を必要としているケースが多いのです。「依存」という形で。
それから、親が子供のことを愛していて可愛いと思っていても、接し方が悪ければ虐待は起こります。
親がどれだけ子供を愛しているかではありません。子供にどれだけ愛情が届いているかです。
親の側が子供を愛しているつもりでも、子供には愛情が届いていないどころか、親から苦痛ばかりを与えられていることも珍しくありません。
虐待のニュースを見て、「自分の子供が可愛いと思えないなんて、信じられない!」と言っていた人が、いざ望んで子供を産んでみたら、子供が可愛いと思えず、虐待してしまうというのも、よくあることです。
よろしければ、こちらの記事もご覧ください。
“社会が押し付ける「良い親であれ」というプレッシャー”
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20111009/1318152312
少し突っ込んで書きます。
> と言うのは作られた意味を分かって自分と言う存在を肯定されて始めて得られる感情
> 作った人が求めていて自分は大切な存在である、そして自分に興味があってこうしたい像がある
> そういう肯定感を本当に子供を生みたい人は与えられるはず
> 与えられないのは本当は子供を本当は欲っしてなかったってだけで生むべきじゃ無い
まず、これは「親は子どもを無条件で愛するべき」「子どもは無条件で親を愛するべき」と読み取ることができます。
> 人は自然に求められて自然に育つもの
> そうなってないのに自分勝手好きに生きろと言うのは結構無理があるのでは?
「子どもは無条件に親に認められて育つのが当たり前。親に認められてないのに自分勝手に生きるのは、親に認められるだけの努力をしていないわがままな子どもでは?」
と言っているように聞こえます。
> 否定されるのは存在が肯定されていないから
> 生む子供の存在を肯定していないのに生み続ける事が問題なんであって
> 邪険にするのに生み出す事が異常なのであって
> 本当に子供が必要なのか考えて自分に聞いてみる事がまずやるべき事では?
これはよくよく読み返すと、虐待親に対して「虐待するなら産むな」と第三者の立場から言っていますね。
自分の親に対して「本当に子供が必要なのか考えて自分に聞いてみる事がまずやるべき事では?」と子どもが言うことは「私は生まれたくなかったのにどうして産んだ?」と言っていることになってしまう。それって自殺願望です。
生きる理由を親に求めたら死ぬしかないってことに、なってしまう。
総じて、「あるべき姿」というのを虐待親にも被虐待児にも押しつけてはいませんか。
> 「何をやってもダメだ」と言う事が気になるって事は大人の評価が気になるって事ですよ
> 大人の言う事が気になってなければそんな「若者は好きに生きれば良い」なんて許可を得ずとも元から勝手にすると思います
これはきっとNAMEさんと僕とではわかりあえません。
きっとNAMEさんは「子どもは無条件で親を愛するべき」という社会の常識を押しつける第三者の立場だと思うので。
子供がどう感じたかどう思ったか
どんな虐待する親でも見た目子供を愛しているしとても可愛いと思ってるはず
そして本当に子供をおきたいとは望んではいない
本当に今望んでいるものの後回しする
接し方なんて本当に望んでいれば相手がどう感じたのか気になってしょうがないものですよ
だからいやな思いをすれば敏感に察知して戻そうとする
それが出来ないって事はどんなに愛していても今必要じゃ無かったって事
いざ望んで子供を産んでみたら、子供が可愛いと思えず、虐待してしまうという
本当の気持ちを確かめなかったから
本当に必要かな?と
人間自分にとってどうでも良いと思っているものには乱雑に相手する
本当に必要で大切だと思っているなら思い込みで無いなら大事そうに扱う
みんな子供は一切誰も生んではいけないよと言って
それでも生んだ人なら可愛がらなきゃいけない自覚はあると思う
最低でも、大人が子供の話を聞かない拒絶するのなら大人にとって子供は必要とされていないのに子供が生まれてきているって事でしょう
相手にするのも面倒
なのに生む事
逆ですね
親は本当は好きで生んだんだから本当なら居場所を自分から用意するはず
逆に言えば居場所を用意しないのに生んだ
>それって自殺願望です。
これから生まれる人の事をいってるのです
まず存在が肯定されてから存在するのは当たり前の事です
本当に必要としない人が必要だと錯覚して生まなければ最低でも子供が何かを言った時拒否をしないでしょう
ここは虐待の話をしてる場所じゃないので本題に戻します
大人が若者に何をやってもダメだと言うのは若者と言う世代を受け入れていないから
聞いて親身になってあげる義理が無いからです
そんな状況でどんどん若者を増やしましょうと言い出す方がおかしいのです
NAMEさんは子どもを可愛がっている母親さんではありませんか?
だから虐待親を批判して、「自分に必要のない子どもを産んで子どもを苦しめる虐待親が許せない。私はそんなことしない」と言って自分が良い親だと認めてもらいたいのではありませんか?
でも、もしそうだったとしたら、それって他人を見下して自分を相対的に持ち上げる行為ですよ?
「良い親でありたい」という結果を安易に求めるために発言し、その意見を他人に商人させることで、他人に「あなたは良い親だ」って言わせようと対人操作する行為です。
虐待親の素質を持つ人も、そういうことをします。
人格攻撃はしたくはありませんが、僕はそういった虐待親の思考パターンもいろいろ調べているので、ちょっと怖くなりました。
もしもお子さんがいるとしたら、「理想の子ども」のイメージを押しつけてはいませんか?
もしもお子さんがいるのなら、「自分は虐待などしない」などと言わず虐待に関しての本なども手に取ってみてください。
匿名の一個人である僕の発言はきっと信じられないでしょうが、数々の専門家が書いた本の内容ならば少しは信じられるでしょう?
これはお願いでもあります。
被虐待児が見過ごされることは僕の本意ではないので。
>育てる段階での意識を想像してみるって事です
>どうしても必要だと思っていないなら生まないが基本だと思います
最初の計画や想像・意識など、状況次第で幾らでも覆ります。
「子供が欲しかったけれど、自分が望んだ通りに育たなかった」というパターンもあるわけで、そんな理由で親から必要とされなくなった子供達の存在を考慮していないように見受けられます。
>まず存在が肯定されてから存在するのは当たり前の事です
生まれるまでの過程が様々なので、この認識はあり得ません。誰に知られる事もなく、記録(戸籍)にすら残らなくても、存在自体はしているのですから。
>大人が若者に何をやってもダメだと言うのは若者と言う世代を受け入れていないから
聞いて親身になってあげる義理が無いからです
そんな状況でどんどん若者を増やしましょうと言い出す方がおかしいのです
義理がないから親身にならないというのであれば、世代関係なしに他人に気を遣う必要すらない事になりますし、わざわざ○○相談所などの専門の機関を設けてまで他人の面倒を見る必要もありません。
若者世代を受け入れない、面倒も見ない、なのに社会で必要になったらスーパーマンである事を要求し、自分の意に添わないと平気で切り捨てると。そんな身勝手な大人達の若者を増やしたい一番の理由は、(とっくに崩壊している)年金システムの礎として若者が必要なだけですよね。
これまでの大人達が若年層の面倒をみてきた理由が「義理があったから」でしょうか? 違いますよね。社会に出たばかりの半人前に何の義理があるでしょう。大人(先輩や上司)が技術指導なりなんなりをして、若者(後輩や新人)がそれに応えて、初めて成り立つものですよ。
それは本心では子供を欲っしてなかったからでは?
「子供が欲しかったけれど、自分が望んだ通りに育たなかった」というパターン
常に子供に対して受身になれて感じ取れるようなら本当に望んでいるんだろうけれど
○○相談所などの専門の機関を設けてまで他人の面倒を見るのは機関でなければ相手にされないから
義理が無ければ冷たい態度になってしまうそれだけの事です
言葉で言い表す事が出来ないけれど本当に必要と思ってるなら絶対に傷つけない
傷つかないように出来る
傷つけてしまう、傷つけても気がつかない
のは本当は必要としていないからだと思いますよ
上辺だけで必要かのように錯覚してるだけで
だって自動車に閉じ込めてパチンコしている親だって見た目は子供の事を大切だと自分では思ってかにてるはず
でもパチンコの方がその人にとっては重要
同じ必要でも違いがあるから最初から区別つきます
では、別のもので例えましょう。
食費を削ってでも欲しかった(手に入れたかった)物があったとしましょう。
しかし、いざ手に入れてみると、実は思った程の価値はなかったとしたらどうでしょう?
欲する物に対する期待値がが高かったからこそ、想像通りのものでなかったと感じた場合の落胆も大きくなります。
「本当に思っているなら傷付けない。或いは傷付けてしまうのは必要としていないからだ」とありますが、互いに思い合っていても喧嘩や誤解で傷付く事も珍しくありません。
さて、自分が本当に必要としている人に対して、絶対に傷付けてはいないと自信が持てる人はどれだけいるでしょうか?
もしかしたら、その想いは一方的な感情でしかなく、それ故に相手が迷惑しているかもしれません。
「ありがた迷惑」という言葉があるように、必ずしも自分の善意が相手に良い印象を与えるわけではないのです。
そして、重要度で必要・不必要かが決まるわけではありません。
例えば、食事と家と衣服は必要ですが、購入の際に優先度はあっても、結局全て必要ですよね?
家がなければ寒さは凌げませんし、裸で過ごすわけにもいきませんし、飢えは命に関わりますから。
そもそもパチンコは依存性の高さから判断力を低下させる問題があるので、例題として不向きです。
もしもその食費を削ってでも欲しかった物、買おうとする前に本当に必要?と自分に聞けばNOだったはず
本当はいらないと思っているのに、それはいると思ってるから買ってしまう
子供も同じです
本当はいらないのにいると思ってる
もしも本当にいるなら食費を削ってでも欲しかった(手に入れたかった)物大切に出来る
生む前に買う前にする考えが安易だから簡単な気持ちで生んでる
相手は心を持っているのに考えが浅いから
NAMEさん、あなたは嘘つきです。
ドラゴンボールという漫画をご存じでしょうか。
おそらくNAMEさんはその漫画に登場する「神様」のような人だと思います。
彼は神様になりたいがために、自分の中の悪の心を否定しました。
その結果、神様になることはできたのですが、悪の心はピッコロ大魔王という存在として人々を苦しめました。
別々の存在ではありません。二人は同一人物です。
神様として人々を憂う一方で、人々を苦しめるピッコロ大魔王も存在します。
今回の場合は、理想の親のように演じて虐待親を攻撃する一方で、虐待親の心をかなり色濃く持っているということです。
つまり、NAMEさんは本来、「親の心」が欠けているのだと思います。
その欠けているものを補うために「理想の親」であることをアピールせずにはいられない。
しかし、それは嘘です。
本来の自分と正反対のものを潔癖なまでにアピールすれば、その反動で本来の心の闇もまた深まります。
証拠はあります。
NAMEさんは
「子供の立場から見て」
「本当の意味で子供の事を欲していれば子供の気持ちを感じ取ろうとする」
「子供がどう感じたかどう思ったか」
と言っていますが、ここまでのコメントで一度もそれができていません。
一度もです。
かなり思い込みが強いように見受けられ、自分の主張以外の発言をしていません。
相手の立場で他人の発言を聞いていません。
僕が自殺願望と書いたのは、子どもの立場で同じことを言えば自殺願望にしか思えないからです。いいえ、違いますね。僕が死にたくないのに自殺衝動を持ってしまうことを身を以て知っているからです。
だから虐待親の嘘には敏感です。
特にこれは決定的です。
> 言葉で言い表す事が出来ないけれど本当に必要と思ってるなら絶対に傷つけない
そんな人間は居ません。もし居たとしたら、その人は心に異常を持っています。
あるいは虐待された子どもは病的に潔癖になる人格障害を負うことがあるので、事実NAMEさんがそうなっているのかもしれません。NAMEさんの事情はわかりませんが。
僕は、自分が虐待していたことに気づいてもそれを誤魔化して虐待してないと口にしながらいつまでも虐待を続ける人よりも、自分の虐待を認める勇気を持って反省し本当に虐待を無くすために一歩踏み出す人のほうが、まともだと思います。
前者は虐待が減らないけど、後者は虐待が減るからです。
虐待親の存在を完全に否定し、自分はそんなことを絶対にしないなどと言っていては、他の虐待親とて自分の虐待を認めづらくなります。
発見と解決こそが本当に必要なことであるはずです。それを阻害する行為は、本末転倒です。
そして僕のような者が虐待に対して声を挙げているのは、虐待の事実を否定する人たちがいるからです。
「虐待していない」と誤魔化す人がいるから、「虐待を誤魔化すな」と声を挙げているわけです。
それにNAMEさんはこう言いましたね。
「人は自然に求められて自然に育つもの」
「最初の最初の段階、自分の存在肯定する段階でつまずいているから話にならない」
僕は怒りの感情を失うほど人格を歪められてしまいましたが、それでもこの発言は、僕の倫理観に基づいては、許せません。
自然に求められていない人間であり、最初の段階で躓いた人間として20年以上の人生を間違った生き方をしてきました。
ずっと自分が異常なことは知っていました。それでも「普通」というものがずっとわからないんです。今も。
「普通」を学ぶ機会がどこにも存在していなかったから。
最初の最初で躓いた人間は、どうやって生きていけばいいか、NAMEさんにわかりますか?
わからないはずです。ここまでのコメントで一度も相手の立場について配慮されていないのですから。
そういうことも今まで虐待親と付き合ってきてわかっています。
求めるだけ無駄であることを。
ですがそれについてNAMEさんはこう仰りました。
「「何をやってもダメだ」と言う事が気になるのは「何をやったらいいの?」って事です」
「そんな褒めてもらいたがっているのに勝手に好きなようにやれと言ってもいったい何を好きなようにするのかと聞き返されそう」
親に求めても無駄なことは散々思い知らされて、親に求めることは無駄だという価値観を持っている相手に「褒めてもらいたがっている」などとは、全く虐待児の気持ちが見えていません。
現状ではNAMEさんは「言っても無駄な大人」の一人であるわけです。
「生む前に買う前にする考えが安易だから簡単な気持ちで生んでる」
「相手は心を持っているのに考えが浅いから」
などと言うのも、NAMEさんの安易な決めつけです。
むしろ、自分が甘やかされなかった代償行為として理想の家庭を求め、子どもに自分を認めてもらおうとして子どもを抑圧する虐待親が多いのではと思います。
かなりきついことを書きましたが、これも「虐待を誤魔化すな」と声を挙げていることの一環です。
気を悪くされると思いますが、それでも、「言っても無駄」と無視するよりは、言ってみるほうを選びました。
こういうことは空気を読めない、読まない僕のような人間の役目だと思うので。
>本当はいらないと思っているのに、それはいると思ってるから買ってしまう
>もしも本当にいるなら食費を削ってでも欲しかった(手に入れたかった)物大切に出来る
購入前は食費を削るほど本気で欲しかったわけですから、手に入れてみて大したものではないと判った後に熱が冷めただけで、「最初から欲しいものではなかった」などという事にはなりえません。
>生む前に買う前にする考えが安易だから簡単な気持ちで生んでる
相手は心を持っているのに考えが浅いから
安易な考えで子供を生む人もいますが、どんなに固い決意と緻密な計画に基づいて行動してた人でも、様々なアクシデントに見舞われたり、思い通りにならない事など多々あります。
何度も言いますが、事前の心構えや計画がどれだけ(個人評価で)素晴らしいものであったとしても、必ずしも物事が良い方に向かうとは限らないのです。そして、その逆もまた然り。
>それは子供の場合と同じですね
もしもその食費を削ってでも欲しかった物、買おうとする前に本当に必要?と自分に聞けばNOだったはず
それと気になっていたのですが、貴方の場合、子供が必要だから生む(or 必要ないから生まない)のですか?
必要かそうでないかは人それぞれ基準や条件が異なりますが、仮に子供を必要な理由が「国籍取得の為だけ」などの場合、子供を一時的に都合を良くする道具程度にしか考えていない事になります。それで子供は幸せでしょうか。
子供に関して「必要・不必要」で語る事自体、計画的であるかどうか以前に、子供の心情を無視した失礼な意見ではありませんか?
買った後に熱が冷めるものは買う前に考えてみればいらないと気づけるものですよ
必要なもの
>「国籍取得の為だけ」
国籍取得の為に必要なのは国籍取得であって子供ではないでしょ?
子供が必要だと勘違いしてるだけ
子供と本当に向き合ってみて必要かどうかといえばNOです
そういう勘違いを自分でも必要だと思ってるからおかしいのです
本当は必要だと思ってないのに必要だって事に自分自身でも思い込んでる
本当に必要と言うのはその子供がいなければ生きていけないとまで思っていて失う不安を気にしてる状態です
「国籍取得の為だけ」が必要の理由の一つになってしまうって事は本当に子供が必要な人ってとても僅かしかいないのではないかと思います
思いつきもしないから
歪んでると思います
本当に求められていればそんな書き方しないはず
だから今自分がこれがいいっていってる「好きに生きれば」が理想の姿ではない事も分かってるはず
だから本当に必要ないなら生まないで必要にならないなら生まれない方がいいって事も分かるはず
必要ないのに必要だとウソつかれて確保されて育っって来たんだと思います
愛されて必要とされて普通に育ってこなかったって自分で分かるでしょう?
それなら、必要とされて愛されればもっといい自分になれていたと思うはず
自然に必要とされて愛されれば良かったとも思うはず
無理しないで良いと思います
「好きに生きれば」
「百年の恋も覚める」という言葉がありますが。
熱が冷めるという事は、熱中するだけのものが最初にあったという事です。
後で冷静になって考えてみてそれ程でもなかったとしても、結局は一時的でも欲してしまったわけですから。
>国籍取得の為に必要なのは国籍取得であって子供ではないでしょ?
いいえ、子供手当を貰う為には子供が居ない状態では貰えないように、一時的にせよ、取得に必要な条件です。
そもそも、「国籍取得の条件が国籍取得」など意味が不明です。
>子供と本当に向き合ってみて必要かどうかといえばNOです
子供と向き合う為には子供が必要ですが。
>本当に必要と言うのはその子供がいなければ生きていけないとまで思っていて失う不安を気にしてる状態です
極度の依存症ですね。
>「国籍取得の為だけ」が必要の理由の一つになってしまうって事は本当に子供が必要な人ってとても僅かしかいないのではないかと思います
今回のブログの内容と関係ないので特に説明しませんが、政治に目を向けて下さいとだけ。
これも貴方の思い込みですね。
そもそも自分が求められているという確たる自信は何処から来るのか。
それ自体が貴方の思い込みではありませんか?
>愛されて必要とされて普通に育ってこなかったって自分で分かるでしょう?
既にコメント欄の意見ですら一致していない上、私や幾人かの方が貴方と価値観を異にしています。
では、「普通」とはなんでしょうか?
貴方は貴方が考える「普通」が正しいとして譲らず、「〜はず」と不確定な言葉や「自然に必要とされて」といった価値観の曖昧な言葉を多用していますね。
それでは誰も説得出来ませんよ。
「親にとって必要ないなら生きる価値ないよ」
「親は子どもを無条件で愛するべき」
「子どもは無条件で親を愛するべき」
NAMEさんは、これらを否定しました。
そしてNAMEさんの最新のコメントはこうです。
「必要にならないなら生まれない方がいい」
「本当に必要と言うのはその子供がいなければ生きていけない」
「「好きに生きれば」が理想の姿ではない事も分かってるはず」
結局それは、理想の親と理想の子どもの関係になれず生まれてしまった子どもは死ねってことと変わりないです。
子どもが虐待親を拒絶する人生を否定しているから。
> 本当に必要と言うのはその子供がいなければ生きていけないとまで思っていて失う不安を気にしてる状態です
子どもの自立を阻害してコントロールする親です。立派な精神的虐待です。
そして回答は得られませんでしたが、やはり母親さんっぽいですね。
日本人の子供って異変があっても気がつかれず放置されて体が成人するまで育成される
それだけ子供に興味が無い人が子育てしてる
自分が子供が大好きだって思い込みながら
自然に受け入れていれば否定しないはず
耳を傾けて
若者が否定されるのは大人が受け入れてないのになぜか生んだからだよ
たとえるとパーティーに招待した
歓迎する気は無いけど
だからパーティー会場で居場所が無かったりする
親が家族を気に掛けていれば僕の先天的な発達障害もナルコレプシーも気がついていたでしょうし、母や弟が一生モノの心の病に掛かることもなかったんじゃないですかね。
つまりMANEさんの価値観に基づけば僕は生まれてはいけない子どもだった。
そして親は相変わらず僕が親の思い通りに生きる能力がなかったことや弟が心の病気を負ったことは自己責任だと言って障害や病気の存在や虐待の事実は認めません。
だったら、僕は今すぐ死ねばいいですかね?
存在が否定されたまま生きているのが異常で絶対に親に必要とされなければ生きていけないならそういうことになりますよね。
世界というパーティー会場で居場所が無いのだから、その世界から居なくなるべきですよね。
そんなことは知っています。
MAMEさんが言っていることは、結局はすでに必要とされず生まれてしまった者を否定することに他ならない。
他の虐待親と同じ事をしているんですよ。
パーティー会場で誰にも歓迎されてないのに参加していたら、そのパーティー会場の人たちから露骨に嫌な顔をされます。
往々にして、他の参加者からどうしてパーティーに参加するのか。今すぐパーティー会場から去れと責められます。
MAMEさんの理屈だと、僕は参加資格を持たないのですから。
僕が言ってる「今すぐ死ね」ってのはそういう意味です。
歓迎されてないのに「居る」ってことはそれだけで周りに迷惑になり、存在することが許されない。
自分で生きることを許さず他人に望まれなければ生きてはいけないなら、歓迎されない人間が参加してはいけないなら、死ぬしかない。
これから生まれる子どもを対象に言っていると言いますが、それでも「望まれないなら生まれてくるな」というのは、同じじゃないですか。
親に必要とされる、親の理想通りの、障害など持たず、親と相性がいい素晴らしい性格を持った子どもしか生まれてきてはいけないんですよね。でないと親には愛されませんから。
命は不完全です。生まれてくる子どもも、産む親も、それを取り巻く社会だって、きっと不完全です。
完全じゃなければ産むなというのなら、そういう社会はそのまま寿命を迎えて滅んでしまえばいい。
MAMEさんは産むな産むなと言うばかりで、生まれてしまった人たちのことをなんにも考えていない。
それどころか生まれてしまった人にこそ子どもを産むななどと言う。
そういう言葉が出て来るということは、過去しか見ていない。現在と未来から目を背けています。
パーティー会場の人たちから後ろ指を指されながら、それでも自分の意志で生きていかなければならないんですよ、僕たちは。
後ろ指を指されることに耐えられない人は自ら死んでいく。
それを見てMAMEさんは、参加資格の無い者はパーティーに参加するなと言い続けているだけです。
それだけ、残酷なことをこの場でも言い続けています。
子どもに異変があっても放置する親がいて、そこに放置される子どもがいるなら、過去に放置された経験を持つ人がその子どもを放置しないように心がければいい。
一人ではできなくても、放置された人々が自分にできる範囲でフォローし合えば、負担も少なくなるはずです。
誰かに絶対に必要とされなければならないことはないし、親に認められなければ生きていけないわけでもない。
異変があっても放置されたり、欲しくはない子どもを産んでしまう人が居るのは、社会に産むことを強制されるからだと思います。
よしんば望んで産んだとしても、社会は、社会に相応しい完全な人間であることを求める。世間の目を過剰に気にする親は「社会の空気を読んで」子どもを完全な人間にしようとします。企業が求める人材などを見れば、そういうのは顕著じゃないですか。
ならば、社会が求める完全な人間になるか、なれなければ社会と距離を取って生きるというのが現状です。
できれば完全じゃなくても生きて構わないように社会を変えたいところですが、その辺を諦めてしまっているから「主張しない若者」ばかりなのでしょうね。
必要ないからしねなんていってない
本当は否定されてるのに肯定されている事になっていたら責任だけ背負ってるのに肯定はもらえない
それじゃ平等じゃないから
誘ってもらってないんだからがんばる必要なんて無いって事
「呼ばれてもいないのに何も無い世界で「好きに生きる」事こそ、じゃあ何をしたらいいの?ってなると思います
何も無い部屋につれてこられて好きにしなさいって、好きな事って何?って状態ではないですか?
それなら来なければ良いと思います」
言葉を取り繕っても言ってることは変わらないように思えます。
> 誘ってもらってないんだからがんばる必要なんて無いって事
これも含めて、です。
MAMEさんは芥川龍之介の『河童』を読んでみてはいかがでしょうか。
MAMEさんが自身の主張を客観的に見るきっかけになるかもしれません。
人は完璧な生き物ではありませんし、感情があるから心変わりだってしますよね。
なのに、「本当は必要なかった」などとあたかも最初の選択自体が必ず間違いであったかのように語っています。
状況も事情も人それぞれで、どうとでも変わるという事がそんなにおかしな事ですか?
>誘ってもらってないんだからがんばる必要なんて無いって事
これを鵜呑みにして受け入れてもらう努力を怠ると、増々世間から乖離してしまいますよ。
もっとも、どう頑張っても受け入れてもらえないと理解しているからこそ「好きに生きる」事を選び、自分の世界を構築していってるわけですけど。
「好きにしなさい」と云われたという事は、行動の判断を個人に委ねた事になるわけで、何も無い部屋に連れてこられてしまったのなら脱出するという選択もありなんですよね。
従って、誰かが用意した世界に閉じ篭って疑問を抱え続けるかどうかは人それぞれというわけです。
MAMEさんもNAMEさんも、必要とされずに思い悩む人に対して結構残酷な事を書いているのに、どういうわけか自身を人格者であるかのように位置づけている節がありますね。
人は完璧な生き物ではありませんし、感情があるから心変わりだってしますよね。
なのに、「本当は必要なかった」などとあたかも最初の選択自体が必ず間違いであったかのように語っています。
状況も事情も人それぞれで、どうとでも変わるという事がそんなにおかしな事ですか?
>誘ってもらってないんだからがんばる必要なんて無いって事
これを鵜呑みにして受け入れてもらう努力を怠ると、増々世間から乖離してしまいますよ。
もっとも、どう頑張っても受け入れてもらえないと理解しているからこそ「好きに生きる」事を選び、自分の世界を構築していってるわけですけど。
「好きにしなさい」と云われたという事は、行動の判断を個人に委ねた事になるわけで、何も無い部屋に連れてこられてしまったのなら脱出するという選択もありなんですよね。
従って、誰かが用意した世界に閉じ篭って疑問を抱え続けるかどうかは人それぞれというわけです。
MAMEさんもNAMEさんも、必要とされずに思い悩む人に対して結構残酷な事を書いているのに、どういうわけか自身を人格者であるかのように位置づけている節がありますね。
仕方ないから「好きに生きる」事を選んでるんですよね?
どっちかと言えば受け入れてもらえて楽しい生活を送りたいって事ですよね?
だったら仕方ない状況にならないよう必要としている人だけが生んだらそれで問題解決では?
態々仕方ない状況を作ってがんばるなんておかしいしする必要も無いと思いますよ
話が食い違います
なぜか
元記事が若者の立場で「好きに生きれば良い」と言っていることに対して、MAMEさんは「必要ないなら産まなければ良い」とMAMEさん自身が食い違う返事をしているからです。
MAMEさんが言っていることはヒトラーの優性政策と同じだと思うんですよ。
そして力を持ったナチスが何をしたかって言えば、ユダヤ人の虐殺です。
何度も説明しましたが、必要としていたからといって最後までずっと思いが変わらないわけではないのですよ。
従って、必要としている人だけが生んだら解決するという簡単な話ではないのです。
最初は必要としていたが、今となっては自分に必要のないもの、貴方にもありませんか?
それは最初から必要ではなかったものではありませんよね。
現代で偉人と呼ばれる人も、傑作と云われる作品も、必ずしも最初から高い評価を得ていたわけではなく、時代の移り変わりの中、価値観の変化もあって評価が変わったものもあります。
何も無いように見える世界も、評価する人によっては何かがあったりするわけで。
一つがダメなら全てがダメというわけでもないのですから、仮に親に受け入れてもらえなかった人でも、そのまま他の誰からも受け入れてもらえないと決まったわけではありません。そして、その逆もまた然り。
>態々仕方ない状況を作ってがんばるなんておかしいしする必要も無いと思いますよ
その「仕方ない状況を作った」張本人達が責任をとらず、問題を放置・繰り越しした結果、後始末や修正をするはめになったのが何の権限も持たない若い世代です。
他人の尻拭いなどしたくはないけど、やらないと更に事態が悪化するとしたら、やるしかないじゃないですか。
答えたくなければ無理に答えなくても構いません。
1.もしも自分の子どもが知的障害者だったらどうしますか?
2.自分が遺伝する障害を持っていたら、子どもを作ることを諦めますか?
3.自分が親に絶対に認められないとしたら、あなたはどうやって生きていきますか?
4.リストラ等によって子どもを養うことが完全に不可能になったら、あなたはその子どもをどうしますか?
後出しでは卑怯なので、僕から先に回答します。
1.自分の能力だけで育てるのは困難なので、福祉施設などに相談します。そういうことは「実の親」よりも「知的障害児の対応に慣れたプロ」のほうが経験豊富で頼りになるからです。その上で、自分でもなるべく障害について勉強し、子どもとのコミュニケーションの手段を増やしていけばいいと思います。
2.僕自身が脳に障害を持っています。生活力があれば子どもを作る未来もあると考えています。世間は障害者が子どもを作るなと言うかもしれませんが、今の僕はそういう世論を気にしていません。ただ、以前は気にしていました。今は「好きに生きる」と決めているので、開き直ってますね。
3.僕の意志で、実家とは連絡を絶っています。僕たち兄弟と父の関係は「必要とされてなかった」というよりは「父の自己承認欲求を満たすためだけに父を賞賛し、自分が父より劣った人間だという認識を持つことを強要された」という感じでした。一人の人間としての人格は認められていませんでした。
4.児童養護施設を頼ることになるでしょう。育成能力が無いのは自分の責任になりますが、かといって自分の不甲斐なさを認めず無理を押し通して育てようとすることは、子どもの健全な育成を阻害して逆効果になると思います。
だから、親としてできることは、せいぜい児童養護施設を頼るような状況に陥らないように日々を精一杯生きることくらい。それができなかったなら、自分ができなかった人間であるという事実が残るだけです。でもわざわざ、その負担を子どもに背負わせることはない。
僕の質問も回答も多分に冷たくて歪んだものになっていると思いますが、それが僕の嘘偽りない性質であり限界である、と思っています。
また、MAMEさんのこれまでの主張に対して、かなり嫌らしい質問になっている自覚もあります。
でも、こういう事態は現実の問題として存在しているものです。そして実は、僕にとってはすべて非常に身近な問題です。
MAMEさんの「絶対」は、どこまで通用しますか?
もし受け入れたいと思うなら受け入れるし、もし受け入れられないと思うなら受け入れないしかないし
もし嫌っていたり育てられないと思っていたら本心を隠す方が問題
はじめからこうなったらこうすると決まっていて機械的過ぎる
本心で向き合うべき
いやならいやのままありのままを
そもそもなんでそんな大切でもない子供を育ててるの?
文章から義務感正義感で育てるって出てる
それはここでいってる本題そのものを自分が実演してるって事ですよ
若者の気持ちを理解してもらえないから悩んでいたはずなのに自分がそうなる事が理想って言ってる
自分が子供を必要としているかしていないかなのに
上で書かれているような親大人と同じ
それならその子供も同じような事いう
それよりかなり嫌らしい質問になっていると言う自信満々さの方が嫌らしい
この質問そのものは全然だけれど
目線が常に上からって所
こっちに自覚してもらいたいのです
これも書かれたまま相手の気持ちを感じ取ろうと出来ない
このまま何世代も何世代も延々と
それと、無責任なことを堂々と言っているのはMAMEさんのほうです。
> ありのままであるべきでは?
> はじめからこうなったらこうすると決まっていて機械的過ぎる
> 文章から義務感正義感で育てるって出てる
> 目線が常に上からって所
> 相手の気持ちを感じ取ろうと出来ない
そっくりそのままお返しします。
それにMAMEさん自身がMAMEさんのコメントと反対のことを言っているじゃないですか。
MAMEさんが他の親を見下して自分が人格者のように振る舞ってるってこと、どうして自覚できないんです?
MAMEさんは今まで「必要ではなかったのに生んだのが問題だ」と主張していたはずなのに、必要だと思って生んだのに、嫌いになったり、個人的な事情(或いはただの我が儘)で育てられないと感じたなら切り捨ててもよいと仰るのか?
それは実に身勝手な考えであり、今までの貴方自身のコメントを否定する事にもなります。
本当は受け入れてもらいたがっているのだろうとお思いのようですが、貴方のような無神経な人が蔓延る世界になどとうに愛想は尽きており、己が生きていく為の環境づくりに励んでいるところです。
悪質な新興宗教とかによくある言い口
「あなたが救われないのは神への信仰が足りないから」ってやつとよく似てる
あと散々言われているけど、「虐待されて、望まれぬまま育ってきた子供の今とこれから」の話をしているのに
その返しが「そんな事になるなら最初から産まなきゃいいじゃん」てのははっきり言って無い
議論云々以前に前提を履き違えてる
こんなんじゃ水掛け論ならぬ油掛け論だよ。火だけがどんどん燃え上がっていく
これやこれに賛成している人って本当に機能不全の家庭で育っているのかが疑問に感じるところ
ずいぶんしっかりして余裕がある
将来の事、自分の事、色々と
本当は機能不全で育っていたら何しろ機能不全なので自分の事や将来の事なんて考えないと思う
思う事は認められたいとか話を聞いて欲しいとか
だから今まで以上に離れる事が出来ない
外から見た第三者が言ってる分には納得できるけれど当事者が言っているとは思えない
そもそもまともに育てば機能不全が問題にならない訳できちんとした大人にならないから機能不全が問題にされる
母……共依存から統合失調症になり、発狂して入院。退院してからも寝たきり廃人。
弟……オーバードーズして薬代で多額の借金。父に包丁を突きつけられる悪夢をよく見る。
僕……鬱病20年以上、ニート5年以上。
言っても信じないかもしれませんね。
自分が知らないからと臭い物に蓋をするから、虐待が「無かったこと」にされる。
加害者だけではなく周囲に理解が無いことも虐待が増える原因となりうる。
だから被害者として声を挙げています。
虐待された人は自立したがらない
虐待された人が自立したがってる方がおかしいです
いざこざは忘れてはや自立しようって考えてる方
虐待なんてされたらもっと依存的になって一人で生きようとしない
被虐待児症候群
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A2%AB%E8%99%90%E5%BE%85%E5%85%90%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
だからおかしいんだよ
こっちも
学習性無力感
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%80%A7%E7%84%A1%E5%8A%9B%E6%84%9F
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E8%83%BD%E4%B8%8D%E5%85%A8%E5%AE%B6%E6%97%8F#.E5.AD.90.E4.BE.9B.E3.81.AE.E6.95.B0.E3.81.A8.E6.A9.9F.E8.83.BD.E4.B8.8D.E5.85.A8.E5.AE.B6.E5.BA.AD
こっちの症状も出てない
学習生無力感は治ってませんよ。確かにこれは洗脳や呪いの類ですね。
ですが僕は親とは縁を切っています。
最後の引用元をきちんと理解してないようですね。
> 機能不全家族において子供を追い詰める原因となるのは周囲の固定的な価値観の押し付けや偏見であり 周囲の人間やカウンセラーは、「この子供は〇〇だから恐らくこうだろう」というような固定観念を捨てる必要がある。
これに僕の先のコメントは当てはまります。
> 自分が知らないからと臭い物に蓋をするから、虐待が「無かったこと」にされる。
> 加害者だけではなく周囲に理解が無いことも虐待が増える原因となりうる。
Wさんは机上の空論で思い違いをしているだけではないのですか。
そうでなければ、Wさん自身が虐待経験を持ち自立できないゆえの発言ならば、発言の動機はわかります。
何も知らず、ただ「周囲の固定的な価値観の押し付けや偏見」でまったく赤の他人である虐待の被害者を追い詰めるならば、Wさんも加害者です。
それと、Wさんが言う自立ができない人は「境界性人格障害」や「共依存」の影響も関係してきます。
他の人格障害や精神病なら、また違った結果になります。
まあ、そんなことは置いといて。
Wさんはつまり、虐待された人は一生虐待親に逆らってはならず、己の不幸や世の中の不平等を恨みながら時に親を殺したり秋葉原の加藤のように無差別殺人でもしないと虐待と認めないとでも言うつもりでしょうか。
そうやって小さな虐待を黙殺するから被害者の闇が深まるのではないですか。
たとえばアメリカの元大統領のクリントンはアダルトチルドレンだと告白していますが、彼も虐待親から自立できない人でしょうか?
クリントン元大統領は自立したがらない甘えたがりの子どもだと思いますか?
旗色が悪くなると今のHNを捨ててほとぼりが冷めた頃に違うHNで印象操作をして復讐する、ということを、よくしますね。
境界例の人の全員がそれをする、とまでは言いませんが、けっこう見かけます。
きりが無いし出しゃばりすぎたので、僕はそろそろ黙ります。
ここからは反論に対する返信や新規コメントはしませんので、あしからず。
でも、一般の虐待経験者の人は積極的に自立したがらないから
[家庭の問題を放置したままで自分の状況を改善できる]
をしたいとは考えないのが一般の普通です
書かれた内容だとあたかも一般の人は自立したがってるって事になってるから
なのでその文章が否定されるのは当然の事では?
虐待された人は親に逆らえず何も出来ないのが一般で普通なので、普通でない基準の人を一般のように書かれていたら、あれ?なんで?と書き込まれるのは当たり前です
虐待された人が本当にとりやすいパターンを標準にあげるべきでは?
虐待について書かれているのに虐待について余り理解していないのでは?
今までの日記のコメントなども目を通してみてはいかがでしょうか?
肯定している何人かの方が自立に至った経緯などが書かれていますよ。
>虐待された人が本当にとりやすいパターンを標準にあげるべきでは?
では、その例題から漏れる事例や意見はとりあげないと仰るのですか?
「固定観念は捨てましょう」と引用元にも書いてあるではありませんか。
thorさんに対して「虐待についてあまり理解していない」と仰るが、わざわざ家庭事情を説明されてもそこまで云える神経が理解出来ませんね。
虐待に関する知識をいくら手に入れても、経験なくして理解出来ない事など多々あります。
従って、私にもthorさんの心情は理解しきれないのですよ。
経験すらしていない人が知識だけ語っても、専門医ですら首を傾げる事案はあるわけで、素人に至っては知ったかぶりの域を出ないのです。言葉に気をつけましょう。
その人個人の心情や事情はいいとして、一般の人の虐待なんかを受けた跡についてあまり理解していないのでは?
たとえば何を言っても否定されてきた人は自由だよ何をしてもいいよといっても何もしようとしない
否定された事を蒸し返してさあやろうとしない
そういうのが普通でそういう人が一般的だよといった時にそこで反対する理由が分からない
私も否定され続けて育ちましたが、だからといって相手の否定を鵜呑みになどしていないし、行動は自分で決めて実行しています。
そもそも同じ環境下におかれたとしても、感じ方や捉え方、考え方や視点が違えば、行動にも違いで出てきます。
すでに貴方が考える「普通」「一般的」の事例に当て嵌まらない人が幾人もいるのですから、貴方の中の基準などあてにならないのですよ。
外に出ない、学校にも行かない、家庭という範囲でしか判断材料がないというなら判らなくもないですが、外部と接点のない子供はほとんどいないですよね?
>虐待に対して誤った認識を与えるので虐待の関係に対して実害があるのは確か
自己紹介でしたら必要ありませんよ。貴方のコメントで十分理解できましたから。
たいていの人は出来ないのだから
本当に悪い部分を流して物事を改善しようとしてないところ
>外に出ない、学校にも行かない、家庭という範囲でしか判断材料がないというなら判らなくもないですが
本当に虐待とか機能不全家族の経験があるのか疑問な程理解が少ないと思いますけれど
支配されていて影響があれば外に出ても影響下にあるので外に出れば普通でいられるなんて事はないのが普通
たとえば学校で孤立していたり
虐待を受けている子供はきれいな格好とかは出来ないから同世代の子供と一緒に対等の関係になれない
きれいな格好をうらやんでも自分がしようって意識には普通はなれないし
持ち物のみんなが持っているものを満足にもってないからまずそこをうらやむ
コミュニケーションでも今の子達が話題にしてるものなんてなんも知らないから入っていけない
そういう部分でどんどん同世代と差が離れていって何も話が通じない外の住人になる
相変わらず「普通」という言葉を多用していますが、そもそも「普通」の価値観すら人それぞれだと説明したはずですが?
更に云うなら、支配の程度も人により様々であり、判断する側(子供)の考え方や捉え方もそれぞれです。
貴方には「普通」「一般的」「虐待のパターン」が自分の考えているものだけという思い込みがありますね。
世の中には表面化する事例としない事例があります。
例えば、表面化しやすい虐待の事例として、子供が虐待から死に至ったケースがあります。さて、何故この事例は表面化しやすいのかというと、インパクトが強くて注目されやすい事例の為、マスコミが大々的に取り上げるからです。
では逆に、表面化しにくい虐待の事例とはなんでしょう? 答えは被害者である子供(もしくはかつての子供)が他人に語らない事か、統計に影響しない所でしか語っていない事です。
このブログのコメント欄のように、一部の人の目にしか触れない場所でのカミングアウトは公の数字には反映されませんし、そもそも辛く封印しておきたいような過去を語るにも勇気がいるので、貴方の目に触れないからといって無かった事にはならないのですよ。
あと、機能不全家庭に対し、親から子への接し方や待遇が誰しも一緒と考えて語っているから話が食い違うんです。
貴方は「虐待を受けている子供はきれいな格好をさせてもらえない」という固定観念で語ってますよね?
しかし、機能不全家庭の親の中には、他人から良く見られたいという願望から、或いは単純に着せ替え感覚で子供の身なりに気を遣うケースもあります。
従って、貴方が考える事例は一部にすぎないのです。
せいぜいウィキペディアを読んだだけの付け焼刃の知識で、「ぼくのかんがえた虐待被害者」を披露するあなたの態度には、正直なところ、ウザさを通り越して失笑を禁じえません。
あなたはご自分のことを「普通」「一般的」な人だとお思いのようですが、普通の人は、自分自身の無知さに対して、もうちょっと謙虚になるものですよ。私も色々なコメントを頂戴していますが、ここまで思い込みの激しい人も、なかなか珍しいものです。おそらくストーカーと同程度には珍しいでしょう。
そんなに「ぼくのかんがえた虐待被害者」を披露したいのなら、ご自分でブログなりホームページなり開設して、そこで自説を述べるのが宜しいかと思います。ここでコメントしている分には、ただの自慰行為に過ぎませんから。
でも、若者は何も言ず、ただ去るのみって書いてあるけれど
こちらは若者は誰しも一緒で去るのみって事ですよね
もしも去れない方が一般虐待経験者だったら少数派の方なのにそっちで誰しも一緒にしてるこっちの方がおかしいと思います
虐げられて人はたいてい自分に自信が無いからそういう強硬姿勢取れないのにそっちを標準みたいにいうのはどうかと
でもどこかずれた身なり
なぜかと言うと親の世代の格好と今の世代の普通の格好は違うから
しかも自分で着こなしてる訳じゃないからそこでもおかしい
自分で気の合う仲間とこういう服っていいよねってそうなろうとして着てたら着こなそうとする
そういうのが無いから
しかも仲間の好きそうな服とずれるからどうしてもずれる
だから最後は結局一人になるしかないと思う
だったらウィキペディアの考えた虐待被害者では?
何度も言いましたけど、どのような判断を下すかは人それぞれであり、その中でも無駄な努力をしないと決めた多くの者の選択肢がこれだったに過ぎません。
他人(周囲)の目を気にしている人なら、流行にも敏感です。
それなのに、常にずれた身なりでいると断言出来るのは何故ですか?
最近テレビに取り上げられていた虐待に関する事件で、クラスメイトが本人から虐待されている事実をカミングアウトされたと証言しています。
この時点で「虐待を受けた子供は必ず孤立する・相談出来ない」とする貴方の考えは破綻しています。
何度も言いますが、貴方が抱いている虐待へのイメージは、数ある虐待のパターンの一部に過ぎないのです。
それと、自称「普通」という評価は意味がありません。あくまでも評価するのは他人です。
それはどのような判断を下すかを勝手に決めてる発言なのでは?
虐待された人の一般多数は去ったりしない
友達に虐待されてると打ち明けられる人は少ないか傷が浅いのでしょう
支配されていないから
他人(周囲)の目を気にしている人は自分が他人と同じになれなければただ自信を失って何も出来ずきれいな人たちの集団と接しないように避けるようになるのでは?
流行が気になっていても流行を自分から積極的に知ろうとはしないと思う
誰か親密な人に無理やり勧めてもらって初めて自分が着たい服が着れる
普段感情を殺されてる人が自由に悠々と好きな服を探すなんてありえないと思う
この記事を読んで頂いた人のうちほとんどは、私の意図するところを理解して下さっているようですから、むしろあなたのほうが「普通」「一般的」からズレていると考えたほうが宜しいかと。
実際、あなたは非常に思い込みが激しく、私の記事にしてもコメントにしてもウィキペディアにしても、全てご自分にとって都合の良いように解釈していらっしゃいます。
ウィキペディアよりもあなたのほうがずっと問題ですし、それはあなた自身の責任です。
>名前は未定さん
この手の人は、何を言っても自分にとって都合の良いように解釈しますから、真面目に説明してあげる必要はありません。相手にしないほうが宜しいかと。
ウィキペディアの方が一般だと思います
自分で動けない人の方がずっと多い
若者が何も主張しない理由は「言っても無駄だと思っているから」
だから何も主張しないのでは?
でもこっちでは積極的になんかしようとしてる
無駄だと思ってる人は何も出来ないのでは無かったの?
こっちは分かるけど
なぜかいきなりこっちでは反対の事をいってる
本当に大事なことを失念していたため、前言を撤回し、コメントします。
Wさん。それともNAMEさん、あるいはMAMEさんと呼ぶべきでしょうか。
あなたが最初にNAMEさんであったとき、僕はこう言いました。
「NAMEさんは子どもを可愛がっている母親さんではありませんか?
だから虐待親を批判して、「自分に必要のない子どもを産んで子どもを苦しめる虐待親が許せない。私はそんなことしない」と言って自分が良い親だと認めてもらいたいのではありませんか?」
「虐待親の素質を持つ人も、そういうことをします」
あなたは「違う」とも言わなかった。
ゆえに、コメントの流れの中で有耶無耶になってしまいました。
ですが、あなたがここまで「虐待のイメージの固定化/虐待被害者の否定」に執着するのは何故ですか?
これは憶測ですが、少なくともyuhka-unoさんが書いてきたことをWさんが自分の子どもにもしているからではないですか?
これほどの執着と虐待への否定はとうてい普通ではありません。
まるで虐待の存在を隠蔽工作する活動のようにも見えます。
僕にはあなたが僕の父と同じ虐待親に見えています。
Wさん、あなたは虐待親ですね?
あなたがNAMEさんだった頃の主張を借りて表現するなら
「私は子どもを必要としているから虐待をしていない。虐待をするのは虐待親が子どもを必要としているからだ。だから私がやっていることは虐待ではない」
Wさんとしての主張を借りるなら
「虐待というのは子どもが親に絶対に逆らえないものだ。虐待の被害者が自分から虐待の告白をするはずがない。だからこのブログに書いていることは虐待を知らない無関係の人が適当に書いたもので、虐待であるはずがない。だから私は虐待していない」
ついでに僕の父の虐待否定も並べてみましょうか。
「虐待は親が子どもに暴力を振るうことだ。俺は仕事が忙しくて家にあまり帰らなかったから子どもに構っている時間はなく、虐待する時間もあるはずがなかった。だから虐待していない」
少々補足しておきます。
・育児放棄は立派な虐待。
・実際には育児放棄だけどころか、家に居る間は僕には精神的虐待、弟には身体・精神ともに虐待していた。
・「父が会社にいた頃」母は無気力なニートで育児放棄をしていて、小学校の頃から僕も家事をしていた。
・父は身体障害者年金で有限会社を起業していた。働いている間も障害者年金は貰っていた。仕事の都合は自分次第でどうとでもできた。
・父が「仕事で忙しくて家に帰らなかった」のは、家では母がニートで僕や弟も病んでいて機能不全だったから居づらいため。家庭が上手くいかなかったからなのか、部下と社内恋愛で浮気していた。
・父の口癖は「離婚しないのは子どもを養わなければならないからだ。子どもが成人したら離婚する」、母の口癖は「離婚したら自分で生きていけないから死んじゃう」
機能不全家族であったことはどう見ても明らかですが、父は認めてません。
「自分だけが不幸だと思うな。もっと不幸な人間はいくらでもいる」「(弟が多重人格になってしまったのは)心が弱いからだ」など、とにかく家庭に問題はなく父は悪くないと言い張っています。
僕の実家がここまで酷くなってしまったのは、ひとえに「虐待を認めず、悪環境に慣れ、エスカレートし続けたから」だと思います。
その結果が母の統合失調症であり、弟の多重人格であり、僕が実家と縁を切る結果になりました。
Wさんは今そこまで酷くなかったとしても、虐待を認めない限り、子どもを虐待し続けるでしょう。
そしてそれはお子さんの歪みを大きくしていくことになるでしょう。
子どもが自殺するとき、あるいは心を殺されるとき、その最も大きな原因となるのは「絶望」です。
自分を守ってくれるはずの唯一の存在である親から痛めつけられ、それどころか痛めつけられてることすら自覚することを親によって否定され、誰にも助けを求められず、たとえ勇気を振り絞って虐待を告白しても、理解されず否定される。
その絶望に完全に飲み込まれたとき、自殺したり、心を破壊されたりするわけです。
それでもなお、誰も虐待された子どもを救う人は存在しない。
なぜなら、虐待された子どもを救っても、赤の他人には何の見返りもないからです。
僕のような被害者は虐待された子どもを救うための行動を起こしたりしますが、それだって僕が過去の自分を救えなかったことへの代償行為に過ぎません。自分と同じ境遇の人を救うことで自分が救われたような気持ちになるという自己満足の見返りをもらっているわけです。
だから、基本的に、虐待された子どもを救う人なんていません。
自分がこれ以上苦しまないためには、虐待親を拒絶し、虐待親から離れればいい。
いま離れているか、離れていないかという話なのではなく、離れることが救いになるから離れましょう、と説いているわけです。
ですがWさんは、離れることを否定する。
こんな記事を書くのは虐待された当事者じゃない、嘘の記事だと言って主張を黙殺しに掛かる。
「たとえ勇気を振り絞って虐待を告白した人がいても、それを理解しようとせず否定する」
Wさんは虐待の被害者を絶望に陥れる存在であるわけです。
WさんがNAMEさんだったとき、こう言っていましたね。
「本当に必要と言うのはその子供がいなければ生きていけないとまで思っていて失う不安を気にしてる状態です」
ですが、Wさんはおそらく、子どもの心を破壊するか、あるいは僕のように子どものほうから拒絶されるようになるでしょう。
厳密には僕も心を破壊されています。だから今も、感情が麻痺したままです。
「感情を殺されたまま生きる」ということがどういうことなのか、Wさんには想像できないでしょう。
たとえば、実の親が死んでも僕は心を動かされないということです。もう、どうでもいいです。
あなたは将来、子どもから愛されなくなるでしょう。
Wさんがそれを否定するかどうかは関係ありません。あなたが本当の意味で子どもを理解しようとしなければ、それは訪れます。
僕が今こうして書いているのは、それでもきっかけを提示したいからです。
知ることでお子さんへの理解が深まり、精神的虐待が一件減るかもしれない。
あるいは、Wさん自身が自分を知ることで、お子さんから愛される親になれるかもしれない。
無知も一応は罪ですが、知ったうえでの選択ならば、それはWさんの自己責任となります。
これで子どもが居なければ、僕の思い込みが激しいゆえの妄想で片付けられるところですが、これほどの執着からして、おそらくは虐待しているのでしょう?
お子さんをこれ以上苦しめないでください。どうか、お願いします。
言っても無駄だとは理解していましたが、あまりに酷いコメントを連発するもので、さすがに怒りが込み上げてきまして。
そうですね、ここらでやめておきましょう。忠告、ありがとうございました。
>Wさん
最後に一つだけ。ウィキペディアは誰でも編集可能なので、間違った知識か隔たった思想が書き込まれてしまう事もあります。そして、意図的に内容を捏造する輩が増えてきた事が問題視されるようになったことや、ウィキに頼らなくても情報が取得出来るようになったこともあり、今では利用者が激減しています。
それとも書かれた内容が間違ってると思ってるのですか?
あなたは誤解なさっています。まず、このコメント欄に書き込んでいる人だけが、この記事に意見を述べているという誤解です。
実際には、はてなブックマークやtwitterでも、合わせてざっと300人以上の方々に読んで頂いています。その中でもあなたは群を抜いて珍しいタイプ、というかおかしい人です。
次に、ご自身がウィキペディアの内容を正しく理解しているという誤解です。実際には、ウィキペディアに書かれている内容よりも、あなたの思考回路のほうがずっと間違っています。あなたの間違った思考回路では、どのような文章を読んでも、書いてあることを正しく理解することはできません。
あなたははっきり言って、ストーカーと同じ気質を持っています。ストーカーは相手を必要だと感じますし、ストーカーの意識上では、自分は相手を愛しているのだと感じています。
しかし、ストーカーは相手の話や態度を全く理解しません。とことん自分にとって都合の良いように解釈します。常に自分が正しく、自分が誤解したのは、誤解させるようなことをした相手が悪いのだと思い込みます。そして、そのことに救いようがないほど無自覚です。
あなたのような人が親だったなら、お子さんはさぞかし大変でしょうね。もしあなたに一抹の良心がおありなら、どうぞ心療内科を受診して下さい。そうですね、この記事をコメント欄も含めてプリントアウトして、そのまま心療内科に持っていけば、話が早いでしょう。
一般的な意見として書かれているのはウィキペディアの方
>ストーカーの意識上では、自分は相手を愛しているのだと感じています。
逆だと思います
必要だから書き込んでいるのです
相手が誤った事を書いていると思うならきちんとそれを話すべきでしょう?
ウィキペディアの方は一般論
明らかに正しさに違いがありますよね
そこに突っ込みを入れるどころか大賛成してる
長年抑圧され続けて、話し合う事すら面倒
と書いてありますよね
面倒とは相手より精神的に上に立っている人しかでない感情です
虐待の話ですよね上の方でいってる
虐待される人っていうのは精神的に下にしか立てないからその発想はありえない
虐待のたとえにするならDVされているのになぜか離れえられないってたとえの方があうのでは?
相手を完全に下に見てるのに虐待とか、支配されてるとか、恐れ、おびえとか
逆の感情ですよね
だからおかしいのです
そんな事出来る事の方が自然じゃないと思います
暴行された人はいつまでも暴行された事が頭に残って裏切れない
逆の行動です
僕の弟はPTSDです。僕も複雑性PTSDですけどね。
その事実を勝手に否定するあなたは、そうやって虐待していないと思い込みたがる。
あなたは自分の都合しか考えず、酷い目に遭った人をより一層傷つけることしかできない。
ストーカー気質というのは、まさにその通り。
あなたのような虐待親には何を言っても無駄なので「何も言わず、ただ去るのみ」なのです。
いいえ、少し違いますね。もう傷つけられるのが嫌だから逃げます。
あなたの言う、親の支配から逃げられないというのは、昔の僕は確かにそうでした。弟は違いましたが。
その頃の僕はニートでした。毎日体調を崩し、他人に怯え、既に腐っていた母を見ながら自分もああなるのだと絶望し、逃げたくても恐怖で逃げることができず、いつも死ぬことばかり考えていました。
ですが今となっては、もう二度と親と関わりたくありません。あんなのは親ではありません。
もう何度も言っていますが、あなたの理屈で言えば、「僕は必要ないから産まれるべきではなかった人間」ということになりますね。
実際に「産まなければ良かった」と親に言われたこともありますよ。
僕は感情が死んでるから今では痛くも痒くもありませんが、世界のどこにも居場所が無い、死ぬべきだという意識は常にどこかにありました。
そういう体験をしてきた被害者に対して、ウィキペディアだとか「普通」だとか「一般」などという他人の言葉で否定するから、あなたのやっていることは残酷なのです。
あなたの実の子どもが同じように自分の存在を否定されたら、どれだけ傷つくかわかりますか?
自分が親に愛されていない異常な子どもだと自覚して、周りの愛された人間との違いや世界からの疎外感を感じながら一生を生きていくことがどんなことなのか、わかりますか?
歪みはある程度矯正することもできるでしょうが、虐待された過去と失われた時間、踏みにじられた可能性は、元に戻りません。
そして、歪みなく生きてきたまともな人たちがお互いの長所によってたくさんの人たちと支え合って生きていく中で、普通なら持っているものを持たず、他人が求める見返りを用意することができないアダルトチルドレンは、誰にも頼ることができず、圧倒的なハンデを抱えながら自分一人で生きる術を身につけるしかない。他に選択肢がない。
できなければ、死ぬだけです。狂う前に自殺するか、狂って別の要因で死ぬか。
狂ったことで離婚せずに一生怠惰に生きる権利を得た僕の母みたいな人もいますがね。端から見れば、母の心はもう死んでいます。そういう最悪の結末も、もう見て知っている。
ウィキペディアだの普通だの一般だのといった反論はお好きにどうぞ。
僕のように狂っている人間に、今後も好きなだけ「おかしい」とか「歪んでる」とか「普通じゃない」とか「生まれるべきじゃない」とか言い続けるがいいでしょう。
僕はもう相手にしません。
今度こそ、あなたに対するコメントも終わりです。
僕が心配していたのは、あなたのお子さんだけですから。
Wさんへ
キング オブ クズ
だそうです。
※ウィキペディアの利用者が激減した理由は、私のコメントを一字一句しっかり読めば書いてあります。何故か大事な部分が読めていないようなので、もう少しレベルを下げて、読みにくそうな漢字を減らして説明します。
○ウィキは多くの「個人」の書き込みによって作成されています。
○書き込んだ人、あるいは訂正・改変をおこなった人が、はんぱな知識であったり、嘘を書きこんだりするなどが多く発生した。
○気づいた人が訂正しても、しつこく内容を間違ったものに変える人がいた。
これらのことから、ウィキペディアは引用元として100%正しいとはいえないという認識になりました。
まさかあなたは、ウィキペディアの一項目を、ネットをやっている全員が見て編集しているとでも思っているのですか?
それに、そもそもあなたは、ウィキペディアに書いてある内容を正しく理解していません。ウィキペディアを編集した人が、あなたに対して、「あなたの理解は正しいです」と言ってくれたのですか? 言われてないでしょう?
それにしても、あなたの言うことは、「私のほうが『普通』で『一般的』なのだから、私のほうが正しい」で終始していますね。現実には、多数派のほうが間違っていて、少数派のほうが正しいということは、歴史上多くあることです。
自分のほうが多数派だと思えなければ、自分の意見も言えないのですか? なぜ、自分が多数派だとか少数派だとかに関係なく、「私はこう思う」と言えないのですか? あなたには、自分の意見や考えがないのですか?
「高校まで我慢して県外の大学に行けいばいい」っていうのは自分の意見じゃないですよね?
調べてみると色々な人が虐げられた人は自分から抜け出そうとしないと言ってるのにここだけでは?
自分で抜け出したら良いと言ってるのは
ここでコメント欄に書き込んできる人たちこそ虐待について理解が無いのでは?
「パンがなければケーキを食べれば良いじゃない」と同じで「虐待されたなら去ればいいじゃない」っていってるのと同じような内容では?
書かれてる内容は
おかしいよ
明らかに
内容そのものがどう違うとかどこがおかしいとかはいえないのですよね?
多数だからとか誰でも編集できるとか
内容とは全然関係ない
でも苦しそうな感じは全然しない
苦しいよ助けてって雰囲気もでていないし
どっちかと言うと誰かに暴言を吐きたがってる
あなたはウィキペディアの内容だけでなく、専門家の言うことも、正しく理解していませんし、自分にとって都合の良いように解釈していますね。
まぁそろそろ飽きてきたので言いますけど、ブログ管理人の私には、ここにコメントしている人の誰と誰が同一人物なのか、調べればすぐにわかるのですよ。NAMEさんMAMEさんとあなたが同一人物であるということも、とっくにわかっています。
もっとも、わざわざ管理人の私が調べなくても、thorさんも指摘している通り、わかる人にはわかることですけどね。あなたの本質は、他人にバレバレです。
あなたはおそらく、過去にもこのような自演行為をしているのではありませんか? あなたは、「自分が間違えた」ということに、きちんと向き合えないのではありませんか? 「自分が間違えた」ことは、あなたの中ではなかったことになり、記憶から消してしまっているのではありませんか?
あなたの性格からして、あなた自身よりも、他人のほうが、よっぽどあなたの本質を正確に判断するでしょう。
そして書いている場所が同じだからと言って同じ人とは限らないですよね?
同じ場所にいれば同じような事を考えるものですよ
そして身内の味方になって擁護もするものです
普通は
そしてその理解とは?
内容の解釈については一切触れないですよね?
本当に理解できてるの?
理解してない理解してないとはいうけれど
自分で思ってるその内容を説明しようとは絶対にしない
それはもう頑なに・・・
書いてる事も口先だけの気がします
そして会話が通じない
なんでこうなるのか分からない
何をやってもダメだったら何をやってもダメなんじゃないでしょうか
ただ、およびじゃないってだけでしょう?
全部否定されるから好き勝手やったらその否定が取れる訳でもなんでもないのだから
なんでそうなるのかとても理解できない
読んでみました
いち若者の立場から、若者が何も主張しない理由を主張してみる
「言っても無駄だと思っているから」。
自分の自己満足のために無意識に部下を抑圧する「ダメ上司」を思い浮かべてみて欲しい。社会全体レベルでの年長者の態度とは、そのような「ダメ上司」と同じだった。もし若者が本当にダメになってしまっているとしたら、その最大の原因は、若者を勝手に決めつけて一方的に評価し判断し叩いてきた、年長者の態度にある。
ここで今やってる事は前に自分で主張した事そのものですよね
自分が一番人を虐げてる側だと気がつかないのでしょうか?
自分で書いてる事を自分でやってる
自分自身の事を書いてるようなものです
ちょっと自分で書いた事読み直してみて下さい
ダメダメいってるのは自分ではないかと
あなたは私よりも「大人」かもしれませんが、虐待については私よりも無知な立場です。
いった言葉ひと事ひと事全部返す事できますよ
自立できる年齢になったら自分で勝手に生きる
それって自分の首を絞めている
みんなから歓迎された人がどんどん成長して成功する
歓迎もされてないのに頑張らなきゃいけない
何を頑張るの?
そもそもその段階に至れるかも疑問
幼い子供が自分事を認めてもらえない環境の中で、そういう意識を持ってさらに自立できる年齢までに自立できる力を得なければいけない、認めてもらえない逆境の中で
この環境は自我が芽生えない環境、反抗期が無い環境
自我が芽生えるのが難しい環境で色々計画する
標準的な人より精神的な発育が極端に遅いはずの環境で、いきなり自分で自立して活動するだけの能力を要求?
「自分の成長にとって必要かどうかで判断すれば良い」っていえるようになった人はもう既に成長できてる
この考え
自立できる年齢になるまで我慢して、自立できる年齢になったら自分で勝手に生きたらいいって考えは、子供の側の考えじゃないよね
大人から見た、虐待されてるのになぜか自立しないで虐待され続けてたり、閉じ込められている子供に、高校まで我慢してその後勝手に自立すればいいじゃんっていう第3者の大人の台詞
自分がその当事者になっていたらそんな事いうだろうか?
成長出来ない未成熟な子供を作る機能不全家族
そこの環境ではきちんと成熟できないから問題なのであって
そこできちんと自立できるなら何も問題にならないはず
自分で自立すればいいでしょ?虐待されている立場の人が言ってるなら自分の首を絞めているのと同じ
何も問題ないよ、自分で解決できるよ、と言ってるのと同じだから
ひどい言い方すれば虐待されてても助ける必要は無いよ
虐待されてる人は高校まで我慢してその後さっさと自立すればいいんだよ
だから助ける必要なんて無いよ
と言ってるのと同じ
その環境は否定しないで、子供が仮に自立しないで甘んじてるなら子供が側を否定する意味合いの言葉
その先にあるのは子供が自立できないのは子供自身の所為等
とても子供側に立ってる人の言葉と思えない
自覚がないようですが、あなたが繰り返し言ってるのは、結局は死ねってことなんですよ。
助ける必要がないのではなく、助ける人なんて誰もいない。
本来であれば、子を助けるのは親の役目ですから。
その親が敵ならば、助ける人はどこにもいません。
自分で解決できるのではなく、自分で解決しようともがき続けなければ生きられない。
諦めれば、死にます。
それが「頑張らない」ということではありませんか。
さて、ここからが重要なことです。
僕は複数の障害や精神病や鬱病などを持っていてまともな職に就けるような人間ではないのでフリーターをやってます。
非常に情緒不安定かつ無能なので、借金が500万円相当まで積み重なってしまいました。
一方で親は特に借金もなく、年金生活をしています。
だけど、親はもう、僕にとっては無関係の他人です。
自立する能力を身につけてから自立なんて言ってる余裕はありませんでした。
とにかく親から離れなければ、僕は死んでいたということです。
それでも自分で勝手に生きてからのほうが、金に困らず実家で苦しんでいたときよりもよっぽど人間らしく生きています。
借金を全額返済できるのは5年後か10年後かわかりません。もっと増えてるかもしれません。
みんなから歓迎された人がどんどん成長して成功する。その通りです。
歓迎もされてないのに頑張らなきゃいけない。その通りです。
誰かが助けてくれるのを期待しても意味がないし、虐待で歪んでしまった迷惑な性格をした人間を好きこのんで助ける人なんていません。
この世は決して平等ではなく、そして運命などというものもなく、ただ運が良かった人が成功し、悪かった人が不幸になるだけです。
だから、「自分を救えるのは自分だけ」です。
自分自身だけは最後の最後まで自分の味方でいられる。
それを諦めたら、自分を救える人が本当に誰もいなくなる。
生きたければ諦めるという選択肢は存在しないというわけです。
普通の人がいきなり僕と同じ境遇に立たされたら、きっとすぐに死ぬと思いますよ。
障害。孤立。借金。普通ではない「異常な」思考。何一つ良い事なんてありませんから。
そして同じような境遇にいる人に、あなたは「頑張るな」と言っているだけです。
だからあなたは、僕に「死ね」と言っているに等しい。
それにあなた自身がずっと、他人の否定しか口にしていないではありませんか。
あなたは他人を否定するばかりで、他人のことを認められないではありませんか。
病院に行ってください。
僕のこのコメントは、僕と同じような境遇の人が見たときのために書いたものです。
親は敵だし、身近に僕の味方なんて一人もいないけれど、僕と同じように苦しんでいる人に、僕はこんな境遇でも生きることを諦めてないと伝えたい。
そして、それでもやっぱり一人で生きるほうが親の支配下で生きるよりずっと気楽に生きられると、伝えたい。
本当はこういうことは自分のブログで書くようなことですが、あなたの発言があまりにも他人を傷つけるものなので。
借金のことを口にするのは僕にとっては本当に致命傷なんですがね。
ま、そういう人間がここにもいる、と表明することはきっと意味があると信じます。
どこが傷つけるのでしょうか?
傷つける内容なんてなんも書いていないと思います
さて、ここからが重要な事ですなんて傷ついてる人の言葉とは思えない
傷つける側の言葉
ここを見るととても反抗してる
抑圧されすぎた子供はお伺い立てるようになるのでは?
何かが違う
既に指摘されているように最初のコメントから既に論点がズレていますが、
その主張の中でも「〜はず」を多様されており、自身の先入観を結論に結びつけているように取れます。
「〜なはずだ。〜が正しい」という構成。
これでは会話になりません。
本当に「はず」なのか?を分析すべきですが。
私が読んだ限りではNAME氏の主張に根拠がかかれている部分を見つけることが出来ませんでした。
元記事はとてもよく考察されていて素晴らしかったです。
コメント欄でも反論がほとんど見受けられていません。
>機能不全家庭に育った子供は、親の目線から解放され、開き直った時にその本領を発揮する
もしも自分が頼ったり自分を保護する存在が自分に対して責めている時、子供は自立した第3者のようにその相手を間違っていると思う事ができるだろう?
もしも子供が泣きそうで頼りたい時、訴えたい事があるのに聞き入れてもらえない時
子供はどうするだろう?
子供はきっともっと訴える、もっと自分を責める
機能不全家庭に育った子供は自分を蹂躙する保護者を敵と受け止めしたたかに反撃の準備をする事は思いつきもしない
もっと愛情を欲しいと逆に未熟に成長する
>機能不全家庭に育った子供は、親の目線から解放され、開き直った時にその本領を発揮する
この考え方は世の中の全体を知っている者の目線で語っている言葉
そして機能不全家庭を知らない人の言葉
この考え方は外から見て効率を重視するにはこうすればいいのにって外の何も知らない人が言ってるのと同じ
鎖に繋がれいつも鞭で打たれている相手に、またはいつも自分を支配している相手に、支配が解けたよさあいきなさいと言ってるのと同じ
レイプされた人にもうされてないんだよ、今は自由なんだよ、甘えだよ
と言ってるのと同じ
もう自由なんだから大人になりなさい
それこそ機能不全の環境を理解して無い
一度受けた傷は一生消え無い
大人になるまで我慢すればいいって考えは傷ついて無いって事が前提の考え出し
それまでで傷ついてないような家庭ならその家庭は機能してる
全うに成長してる
きちんとした自立心の芽生え、そして自立