2012-01-06
なぜ、若者と見れば「甘やかされている」と思ってしまうのか
若者と見れば甘やかされている、一人っ子と見れば甘やかされている、お金持ちの家の子と見れば甘やかされていると考えてしまうのは、自己承認欲求なのだろう。「自分はこんなに努力して苦労している」→「あいつは努力して苦労していないに決まっている」→「あいつは甘やかされている」という思考回路だ。
もちろん、若者だから、一人っ子だから、お金持ちの子だから甘やかされているかというと、必ずしもそうではなく、個々の事情は異なる。しかし、これらの人のことを、すぐに「甘やかされている」と見てしまう人は、実はその人自身が一番甘えたくて、自分の努力や苦労を褒めて欲しいのだろう。しかし、自分の中の「甘えたい」という気持ちを抑圧しているので、素直に「褒めて欲しい」と言えない。だから、他人の努力や苦労を過小評価する形で、自己承認欲求を満たそうとする。
つまり、「自分だけが可哀想」と思い込みたい心理に似ているんだと思う。「自分だけが可哀想」と思い込んだ人は、他人の辛さや苦しさを過小評価したりなかったものにしたがる。「お前の抱えている問題なんか大したことないじゃないか。俺の方がずっと辛いんだ」というやつだ。
「お前よりもっと辛い目に遭っている人は沢山いるんだから、文句言わずに頑張れ」と、「お前の抱えている問題なんか大したことないじゃないか。俺の方がずっと辛いんだ」とは、隣り合わせの思考だと思う。自分が一番可哀想だったり苦労していたりすると、承認欲求が満たされる権利が一番に得られる気がするのだろう。
「我侭な人は、自分の我侭さを認められない。なぜなら我侭だから」というのが、私の中での法則だ。我侭な人は、自分の中の「褒められたい」という欲求を認識できない。なぜなら、それはまるで我侭な人みたいだから。なので、他人の苦労や努力を過小評価することによって、自分の苦労や努力に価値を持たせて、「褒められたい」という欲求を満たす。この方法なら、自分が我侭なのではなく、自分に敬意を払わない無礼な相手が我侭なのだと思える。
我侭な人は、「私はあなたにこうして欲しい」と言えない。個人的な要求をするなんて、我侭な人みたいだから。だから、「普通はこうする」「これが常識」「だからあなたは〜すべきだ」という言い方をする。この方法なら、自分は我侭を言っているのではなく、単に正しいことを言っているだけだと思える。
つまり、自分の我侭さを認めたくないという我侭だ。
いくら年齢を重ねても、「褒められたい」「構われたい」「承認されたい」という欲は消えないものなんだろう。なら、自分の中にそういう欲があるということを、素直に認めてしまったほうが良い。そういう欲を「大人」という体面を保ちつつ満たそうとするから、余計格好悪いことになるのだ。大人になるというのは、幼児的な心性がなくなるということではなく、幼児的な心性を自分でお守りできるようになるということだ。そして、これをするには、自分の中の幼児的な心性の存在を自覚して認める必要がある。
やたら「近頃の若者は甘やかされている」と言う年長者にうんざりするのは、その言葉の裏に「ママ〜ぼくこんなに頑張ったんだよ〜褒めて褒めて〜」という心理が透けて見えるからだ。その人の努力や苦労はその人の財産だし、尊敬に値するものだとは思うが、精神的赤ちゃんプレイに付き合わされるのはうんざりだ。素直に「褒められたい」と言える人のほうが、ずっと気持ちが良い。
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自分の気持ちや欲求を素直に表現することは大事だと思いますし共感するのですが、ではどうやったらその「感情や欲求を自覚しないで人をコントロールすることでしか愛情を感じられない人」が、自身の感情や欲求を自覚し、素直に表現できるようになるのでしょうか。
感情、気持ち、欲求を自覚できないひとたちはそういう状態に至った理由が必ずあるのではとおもいますし、正直「感情、気持ち、欲求を自覚しないで人をコントロールする人はこんなに無自覚に人に迷惑をかけている」と言ったところで伝わってくるのはyuhka-unoさんの「とにかくこういう奴らにムカついている、そしてわたしはさびしい」という感情です。
もちろん記事を書くことが特定の人の意識を変えたり、心理療法を紹介したりするものではないことは理解しています。
ただ記事を読んでいて、「なるほどこういうひとたちがいて、ではどうやったら欲求や感情を感じ、素直に表現し、愛を感じることができるのだろうか」「自分の幼児的な心性に目をむけられるようになるのだろうか」と気になったのでコメントしました。yuhka-unoさんの頭脳明晰ぶりを毎回感じているので、その具体的な解決策もあるなら知りたいなと感じたのです。
今年も記事たのしみにしております。
ではでは!
これには心底同意しますし、実際そういう人を老若男女問わず見てきました。
僕は姉と兄が一人づついますが、家庭の事情で姉達は別の家に預けられ「一人っ子」として育てられました。
確かに一人っ子というのは、どうしても親から何かと構われるものですが、構われる=甘やかされるではないと思いますね。
逆に構われることを疎ましく思って、早く独り立ちしたいと思ってもがく子供だっています。
子供が何人いようが甘やかす親は甘やかすし、一人っ子だけど厳しく育てる親は厳しく育てるものです。
ただそういう親は、一人っ子=甘やかして育てられた子という考えの元に厳しくしているのかもしれませんがね。
話を戻しますが、身内も上司も一人っ子と聞いたとたん、甘やかされて育ったと決めつけました。
いったい、この人たちの甘やかされた育て方って、どんなものなんでしょうか?
自分たちがされなかったら、それが全て甘えなんでしょうか?自分たちの方が変だということは考えないのでしょうか?
僕は、甘やかされて育ったと言われる度にそんかことを考えてましたね。
でも聞く事はしませんでした。聞いたとしてもまともな答えが返ってくるとは思えませんし、聞くだけ時間の無駄だと思いました。
yuhka-unoさんのブログを見てると、共感できることが多いです。
今年もブログ楽しみにしてます。
愚痴だらけのコメントになってすいませんでした。
私はそこまで構う気はありませんので、私に対して何かを期待するよりも、あなたがご自分でなさってはいかがでしょうか。
>如月 さん
私の昔からの友人が一人っ子なのですが、彼女の家庭も機能不全家庭で、一見すると過保護に育てられているように見えるのですが、その内実は、親にとって都合の良いように可愛がられるペットのような扱いでした。その家族の中では、その子が一番「大人」なように感じます。
仰る通り、構われる=甘やかされるではありませんね。機能不全家庭の場合、一人っ子はモロに負担を背負う形になりますから。
返信ありがとうございます。もちろんわたしはわたしでそれがなんなのか、知ろうとしていますよ。ただ参考に聞いてみただけで、別にyuhka-unoさんに「こうあってほしい」という期待から聞いたわけではないです。
なんだか、ブログを読んでいて、正直これってyuhka-unoさんにも言えることじゃないの?とかおもうことがたまにあるので、具体的な解決策とかあるのかなって疑問におもったのです。yuhka-unoさんがなんの期待もなくブログを書いているのはわかるんですが、たとえばひとをコントロールすることでしか愛情を得られない人の心理構造を書いたところで、なにかすっきりすればいいのですが、なんだかそういう人たちの「どういう人間が好ましいかということくらいわかってる、でもそれができないから困っているんだ」っていうような反感を買うだけのような気がして、不思議な感じがしたのです。
たとえば、「Aというタイプの人たちはこういう歪んだ心理構造をして迷惑をかけている、それは自身の感情や欲求に無自覚だからだ。」といったところで、結局どうやったら自覚的になれるのかが具体的でなければ、「自覚的にならないやつらは能力のない、努力のしない人間だ。そしてわれわれはそういう人たちによって安全をおびやかされている」という結論でそれ以上がない感じがしたのです。同情が必要とかそういうことがいいたいのではありません。それは結局おたがいがおたがいの気持ちやそこにいたるプロセスを見ずに、敵を認識したまでの対立構造以上ではないと感じたのです。もちろんそういう認識でそういうタイプの人から身をまもるという、防衛にはなると思いますが。
はじめにもどりますが、ただこういうようなことが気になっただけで、そういうブログであってほしいとかいう期待があるわけではありません。