2012-01-14
自由になれていない気がする尾崎豊
@futodoki
野暮だけれど、いくつかハッキリさせておこう。「若者」は別に尾崎豊にうんざりしてるんじゃない。今の音楽をろくに知らずに「尾崎豊きいて何とも思わないの?」って聴いてくる大人にうんざりしてるんだよ。
これはわかる。私も尾崎豊に対して特に嫌悪感はない。好きとか嫌いとか以前に、よく知らないから。でも、朝日新聞の社説のオヤジみたいな人が、尾崎豊を引き合いに出して、若者に説教めいたことを言っていると、それに反発して、「尾崎なんて痛いだけだよね」みたいなことを言って、尾崎豊のことを否定したくなるよね。
年長者世代の人たちは、現代の若者に尾崎豊が受けないことについて、様々な理由を考えていらっしゃるようだけれども、若者が尾崎豊を否定する一番の理由は、尾崎豊を押し付けてくるオヤジがうざいからだと思う。そういう意味では、若者はしっかりオヤジに反発しているので、オヤジの皆様におかれましては、どうぞご安心頂きたい。
そして、そういう空気になると、尾崎豊ファンの人は、「尾崎豊が好き」と公言しにくくなるし、尾崎豊世代の人の中には、「黒歴史」と捉えてしまって、尾崎豊が流行っていたことそのものを、なかったことにしたくなるような人もいるんじゃないのかな、と思った。こうして、尾崎豊の周辺は、不幸な連鎖を生んでしまっているのかもしれない。
そう考えると、なんだか尾崎豊という存在は、色んなものに絡め取られてしまって、全然自由になれていない気がした。衝撃的な死、変な神格化、オヤジの説教に利用されやすい、という点では、ジョン・レノンと似ているのかもしれない。
そう考えると、尾崎豊ファンの人も、尾崎豊を「黒歴史」と捉えてしまっている尾崎世代の人も、尾崎豊を引き合いに出して説教するオヤジの被害者なのかもしれないと思った。もしかしたら、説教される若者よりも、被害を被っている立場なのかもしれない。
だから、若者としては、「尾崎豊」と「尾崎豊をダシにして説教するオヤジ」を切り離して考えて、後者のオヤジに対して、「尾崎豊じゃなくて、あんたがうざいんだよ」と言っていったほうが良いのだろうね。
私は、古いものの良いところは、「昔は良かった」と言わないところだと思ってる。私が戦前戦後の流行歌に興味を持った時に思ったのは、「音楽って、タイムカプセルなんだな」ということだった。その時代の人の感覚が、やたら美化されるでもなく貶められるでもなく、当時のそのままの姿を見られるのが面白い。そうして見たときには、「若者って、いつの時代も変わらないんだな」と、当時の人に共感することもある。
だから、尾崎豊も、やたら美化されるでもなく貶められるでもなく、そのままの姿が見られるようになれば良いと思う。そのためには、尾崎豊を持ち出して説教するオヤジの存在は、邪魔でしかないのだ。
そういえば、スティーブ・ジョブズも、亡くなってから、オヤジの説教に使われだしたな、と思う。
そういや若者よジョブズに続けとか言ってる奴がいたが、ジョブズがAppleを建て直したのは40代に入ってからなんだよなあ…一方日本の40代は年金の心配をして「若者を見限ろう」、と…
まったくですね。若者にスティーブ・ジョブズを求める前に、自分がスティーブ・ジョブズになることを考えれば良いのに。
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朝日の社説が言いたいことは、僕は正論だと思うんですよ。
その発言の奥にある本当の意図は気にくわないんですけどね。
尾崎豊を例に出すのは「自分たちが共通で認識している、話題に出しやすい偉人」として用いられているのであって、「尾崎豊という肩書き」を目上の者として……つまり、「若者は尾崎豊のやり方に無条件で従え」と、こう言っているのですね。
それは反骨精神ではない。根性論と同種のものです。
少なくとも尾崎豊は若者の味方ではなくて、頑張っても「オヤジの旧友」という位置づけにしかならず、尾崎豊という肩書きの影に隠れて「俺たちの言うとおりにしろ」と言っているに過ぎない。にも関わらず、「若者は従順すぎる」と言っているのだから、社説の正論は「建前」でしかなくて、本音は「この不景気を若者が何とかしろ」という責任転嫁なのだと思います。
建前はあくまで建前なのだから、正論になることもある。
だけど、その建前の裏の本音を嗅ぎ分けているからこそ、あらかじめ「親や世の中に従順な若者たち」という仮面を被るのが賢い生き方という風に思い込んでしまう。
だから「こんな社会にした大人の責任はどうよ」と問い返すしかない。
あるクリエイターの方が、自分たちが偶像化されることを問題として挙げていました。
公的な発言をするたびに「テーマ性はありません。あくまで娯楽ですから」と言っていて、それが謙虚さのアピールではなくではなく自分自身の神格化を防止する意図だったりしますね。
自分の言葉をマジョリティの道具として使わないでほしい。その気持ちはわかります。
社説の建前そのものは正論ってことについては、続きは上の記事で。