yuhka-unoの日記

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失敗を恐れ過ぎる人は、失敗したこと自体を「なかったこと」にする

何か言ったりやったりすると突っ込まれ、失敗が許されない家庭で育ってしまうと、失敗したらもう自分は相手に失望されたものと思い込むようになる。より深刻な場合は、自分が失敗したこと自体を「なかったこと」にしてしまおうとするようになる。そのために、取り繕ったり場当たり的な言い訳をしたり、事前にどうとでもとれる曖昧なことを言っておいて、後から「そういう意味で言ったんじゃない」と、失敗を回避できるようにしておく癖がついてしまったりする。
本人にその自覚がある場合はまだマシだが、失敗自体を「黒歴史」として、記憶を捏造してしまったりする人の場合は、自覚がない。こうなると、結果的に嘘をついたり相手のせいにすることになる。だから、不誠実で無責任な人になってしまう。
失敗が許される家庭に育つと、自分が失敗したことを認められる。だから、挽回したり謝ったりできるようになる。失敗した時の「気持ち」を受け止めてもらって、失敗した時にどうすれば良いのかを教わった子供は、責任感が育つのだろう。
 
自立した関係における「優しい人」は、責任の取り方を教えてくれる人だ。失敗したとき、どうすれば良いのかを教えてくれる人。あくまでも、失敗の責任は本人にあるというのが、自立した関係だ。一方、共依存的な関係における「優しい人」は、尻拭いをしてくれたり、「よしよし、お前は悪くないよ」と言ってくれる人だろう。つまり、失敗の肩代わりをしてくれたり、失敗をなかったことにしてくれる人だ。
あまりにも失敗を恐れすぎる人は、自分が失敗したこと自体を「なかったこと」にしたいので、失敗した時の「気持ち」を受け止めてくれて、挽回のチャンスを与えてくれる人よりも、失敗したことを「なかったこと」にして、尻拭いをしてくれたり、「よしよし、お前は悪くないよ」と言ってくれる人のところへ行く。だからいつまで経っても成長しないし、延々と何かを間違い続けてしまう。
 
このような共依存関係に慣れきってしまった人は、自立関係を「優しくない」「冷たい」と感じてしまうのだろう。尻拭いも「よしよし」も無い世界なのだから。そういう人は、外へは出ていけない。ずっとその狭い狭い「居心地の良い場所」でしか暮らしていけなくなってしまう。
そして、こういう人は、ひたすら自分を誤魔化すことのために生きているようなものなので、自分の本音がわからない。自分が本当は何を求めているのかがわからない。だから自分の人生を生きられない。他人に対して誠実になれないが、それ以前に、自分自身に対して誠実になれていないのだ。
 
相手が失敗したときに、失敗をなかったことにして、「よしよし、お前は悪くないよ」と言うのは、本当に相手を受け入れている態度ではない。なぜならそれは、「失敗しないあなたしか、私は受け入れることができません」ということだからだ。そういう意味では、失敗を許さないのと似ている。
例えば、クラスメイトをいじめてしまった子供が、それをやっとの思いで親に打ち明けた時、「お前はそんなことをする子じゃないはずだ。相手の子が悪かったんだろう?何か悪いことされたんでしょう?よしよし、お前は悪くないよ」と言う親のようなものだ。こういう親は、子供を受け入れていない。
 

失敗を恐れること、それは人間なら当然の心理です。しかし、「失敗」は人間の成長にとって欠かせないもの。失敗する経験は、誰からも奪われてはならない、当然の「権利」でもあるのです。
 
 ―「叶恭子の知のジュエリー12ヵ月」より―