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香雪ジャーナル このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

yukattiのこつこつ読書&映画ノート

2004-11-29(Mon) 私は生前の彼女を知らない。―『ブラック・ダリア』プロローグ

[] 多忙

あれこれ私用が重なりここしばらく更新できなかった。

[] マイクル・コナリー、エルロイ

ブラック・ダリア (文春文庫) ジェイムズ・エルロイの『ブラック・ダリア』(吉野美恵子訳、文春文庫、1994.3、ISBN:4167254042。原題:BLACK DAHLIA by James Ellroy, 1987)を読み返してみている。ごりごりと強烈である。目がくらむが素晴らしい。

マイクル・コナリーに対して自分が持っている印象は

に書いているとおり。受容についてはid:yomoyomoさんに極めて近いと思う。

探偵という後ろ暗い稼業、言うなればモンキービジネスを営みながら、またそれに屈託するだけの知性を持ち合わせながら、不本意な妥協、切り売りを強いる世間に対して、自身の信念をごまかすことなくプライドを守り抜こうとする果敢さのあらわれである。

d:id:yomoyomo:20041129#chandler

id:bmpさんのマイクル・コナリーに対しての「そういうアウトローな要素が無いd:id:bmp:20041128#1101670207」というご指摘は的確であると思う。「無い」というよりも「弱い」のほうがいいかなとも思うのだが(後述)、ただ、シリーズが進むにつれて主人公の包容力が増し社会的な生き方が強くなる。その点でどんどんアウトロー的要素は薄まっていくので、やはり根本的には「無い」と言っても良いのかもしれない。

マイクル・コナリーの最大のシリーズ作品の主人公ハリー・ボッシュはロサンゼルス市警ハリウッド署の刑事であり、警察の中でのアウトローという設定だ。また、社会においても孤児院育ちで身寄りがない・ベトナム帰り……といった点でアウトローである。ではあるのだが、彼ハリー・ボッシュは孤児院・軍隊・警察といった組織の中で、社会の一部として生きる人間であり続けている。それがある意味、現代の社会の中で「普通に生きている」人間には近しく感じられる要素になっているような気がする。実際、bmpさんの言葉を借りれば見事に「一般受け」して(ベストセラーになって)いるのである。アメリカでは。

さてわたし自身はというとハードボイルドの古典(?)に関しては有名作品を一通り読み、文学史的な知識も一通り勉強してみた程度の人間であるので以下は乏しい知識から書くものに過ぎないが、マイクル・コナリーについてはレイモンド・チャンドラーに興味を持って作家になったそうで、特に初期作品ではリスペクト?という感じにチャンドラーの影響というかネタがぼろぼろ出てくるわ、チャンドラー論も講演しているくらいでもあり、チャンドラー的ハードボイルドのストレートな後継者としてはやっぱり名前を挙げておきたいなと考えた*1。コナリーの簡単な紹介としては、木村二郎氏のAfterword to VOID MOON(『コナリーの創造した新しい主人公』(マイクル・コナリー『バッドラック・ムーン』解説)) が参考になると思う。マイクル・コナリーの公式サイトは http://www.michaelconnelly.com/。各作品の紹介は斑の紐さんによる「マイクル・コナリー(MICHAEL CONNELLY)」が丁寧だ。

対してジェイムズ・エルロイはそれよりもっと広くて、もはやエルロイならではの文学を生み出しているのではないだろうか。ノワールの旗手であり(エルロイ自身そういう自負があるんじゃないかな)エルロイとマイクル・コナリーならエルロイが深いな(コナリーは好きですが、失礼!)と思っている。

ちなみにエルロイも良いなと思うしマイクル・コナリーファン(といっても良いだろう)で新刊が出れば買ってとても面白く読んでいるのだけど、「ハードボイルド」でいちばん好きなのはスー・グラフトンのキンジー・ミルホーン・シリーズだったり。女性だから、といいたくないけど、やっぱり女性だから女性探偵を身近に感じるところはある。

これはちょっとメモ。都会の中で・ひとりで・孤独に・孤独を果敢に受け止めるという点、抑制された「良質なセンチメンタリズム*」という点では村上春樹の特に初期とマイクル・コナリーの味わいは似ているところがあると感じている。闇がすぐそばにあること。細かいところでは、どちらも男が自宅で料理を作ったり酒を飲んだりしながらあれこれ考えにふけったりしている。そういう部分で醸し出される雰囲気とか。

以上ざっと雑感的に。

なぜハードボイルドを読むのか

11/30追記。

あまり世の中のダークな面、ダーティーな面には触れない方がいいようにも思うし、他人にも触れさせない方がいいようにも最近思うようになった。啓蒙とかほぼ無意味だし。その無力感からはじめるとか、そこから立ち上がるなんて、ね。そんな困難にいったい人は耐えられるのかという。投げたくはないけど。

d:id:summercontrail:20041129#hdb

なぜハードボイルド*2を読むのか、については、既にハードボイルド的に生きているという自覚があるからこそかもしれません。というと大仰なんですが、id:summercontrailさんの「その無力感からはじめるとか、そこから立ち上がるなんて、ねd:id:summercontrail:20041129#hdb」にのっとって言えば、無力感や喪失感を抱えているからこそ同じような(心的)風景と感情が描かれているハードボイルドに強く共感したり、カタルシスが得られたりするのではないか、そして心穏やかになれることもあるのではないだろうか、と……カタルシス。これはつまり悲劇(演劇の)はなぜ古代の昔から存在しつづけているのかにも通じているでしょうし、また、たとえば音楽療法では憂鬱な気分の時には華やかな音楽を聴くより暗めの音楽を聴いた方が良い、とよく言われてます(例:http://www2.health.ne.jp/library/3000/w3000568.html。実際わたしもそういうときがある)。そんな感じのパターンが読書にもあるのではないかとも思うのです。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈上〉 (新潮文庫) 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド〈下〉 (新潮文庫) 少し話が横にずれるかもしれませんが、「ハードボイルド」的な生き方という点で話を繋げてみます。村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年。村上春樹36歳)を初めて読んだ時は18歳だったかな……そのときから二十歳代は「世界の終り」の〈僕〉こそが自分の姿だな、と思っていたんですけど、三十歳代に入ってからだんだん「ハードボイルド・ワンダーランド」の〈私〉に強く惹かれるようになってきました。その変化が自分としては面白く思えます。

[] はてなへの住所登録の義務化撤回について

本当に難しいな。

組織が(特に、日本では)道を誤るパターンの一つに「いちど決めたことは変更してはだめだ」というものがあると考えているので、今回のことはきちんと考えての結果だろうから「変更するなんてはてなは軟弱弱腰だ」といった意見にはわたしは与しない。そういう硬直化が誤りを続けてなかなか引き返さない歴史を生み出してきている。その歴史に学びたい。硬直化よりしなやかさのほうを求めたい。自分たちの守りたいもの・進むべき道をはっきりさせているのであればそれでも芯は通るはずだ。

プライバシーポリシー*3等の変更については様々な点を明確にして安心して使えるものにしようとして下さっているなと思う。

*1:のだけどsolarさんからの反応は今のところないし、あのコメントは関心外の歓迎されざる書き込みだったかも。

*2:自分の場合は加えて犯罪小説、ミステリ

*3:多忙と重なりパブリックコメントは書けなかった。

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"yukatti" Matsumoto,Y.