10月24日(金)いざ竹田城へ

1時半起床、早めに寝たせいか起きるのも早い、
雲海バスは朝4時からイオン和田山駐車場から出ている、
自転車を借りて置いた、4:10いざ竹田城へ、
ヘッドランプ、飲み物、カメラ、傘は要らなかった、
冷え込んでいる、昨夜は星が出ていた、
もしかすると大雲海にお目にかかるかも、
はやる気持ちを押さえ、ペダルを漕ぐ、
行けどもイオンが見当たら無い、コンビニがあったので尋ねると、
どうやら反対方向に走ったらしい、慌ててペダルを漕ぐ、
10分で行けるところを20分も掛かってしまった。

20分おきに出ているが1分でも早く行きたい、
出発間際を待ってもらい自転車に鍵をかけセーフ、
途中の駐車場まで、ここから歩く、
iPhoneで何時もの音楽を聴きながら黙々と歩く、
つい20日前には足の親指爪を剥がし、とても歩ける状態ではなかった、
佐藤整形に通い必死に直した、どうにか痛みを感じずに歩ける、運がいい、、、

山頂近くになり、薄っすらと明るくなって来た、見上げると上の方で凄えとか、
綺麗とかの声、駆け上がりたいが、足の事を考えて、ゆっくりと上がった、

見事な雲海が掛かってる、ラッキー、東の山の向こうが赤く染まってきた、
ご来光が見れる、飯豊山で見た雲海を思い出す、
飯豊山は2000mを超すが、ここはわずか353m、
よほどの条件が揃わないと見れない、
本日は大当たり、手を合わせて感謝する、
バンザイを叫びたいが迷惑をかけるのでやめた。
最高の条件で雲海の上に立ち、赤松の殿様気分にしたった。
南千畳まで足を伸ばし、霜柱の立った道に一番乗りの足跡をつけて大満足。

目的を達成しiPhoneを聴きながら降りて来た、
ドンドンと上がってくるが、一番いいとこは終わってる、
早起きは三文の徳ってトコか、

7時にイオンに着く、マチュピチュ竹田城の写真展が開かれていた。
7時から一部食料品コーナーも開けている、
焼きさば寿司、バッテラ寿司を買い求めた。

ホテルに戻ると、ホテルのおかみさんもよかったねぇ、今日が最高かもね、、、
寿司を頬張りながらマッサンを見る、来て良かった、
大事なイヤフォーンを落としてしまったが仕方ない、思い出の一つぐらいは残さないと、、、、、

鈍行列車に揺られ姫路へ、特急なら30分ぐらいで着くのだろうが、
一日に二本しかなく、7:30の特急は出たばかり、仕方なく特急券を払戻し、
1:40分掛かって姫路に着いた、

修復の終わった姫路城、世界遺産多くの観光客で溢れかえっている、
駅前で循環サイクルのテストレンタルに有り付く、ラッキーだ、
荷物を預け、口笛を吹きながら城へ向かった、以外と遠い、
あまりにも白すぎる、屋根ぐらい黒にすればよかったのに、、、

一通り見て、お昼のおにぎりを買い
新幹線で食べようと思ったが、
乗ったら次は岡山、あっという間に着いてしまった、
ヴィアイン岡山、駅の西側、チェックインは3時からという、
荷物を預かってもらい路面電車岡山城へ、本日は三ヶ所目の城見学、
足が棒のように疲れている、ベンチがあるとつい腰を下ろす、
時間はたっぷりとある、おにぎりも食べてない、秋の晴天に恵まれ、
Tシャツでも暑いぐらい、汗を拭き拭き歩いては休み、やっとの事でたどり着く、
一昨年も来ているが、あの時は朝一番に高梁にある
備中松山城へ行き、
その後後楽園で疲れてしまい、
城中には入ってなかった、大河ドラマ官兵衛で高松城の水攻め、
本能寺の変で信長暗殺、秀吉、官兵衛の天下取り策略、和議に持ち込む、
中国大返しのドラマが演じられたところ、
和睦を結び、藩主清水宗治は毛利の配下に入り、自刃する事で決着する、
宗治の兄、月清、重臣切腹した、両刃短刀が展示されていた。

その特別展が開催されていた、
川面に映える漆黒の城、別名烏城こと、岡山城である、
宇喜多直家が基礎を築き、実子の秀家が築城、
秀家は秀吉に可愛がられ、備前、美作、備中の一部を領地として、
57万4千石の大大名となった、
若くして異例の出世をし「備前の宰相」と呼ばれた。

明治、大正、昭和の初期まで天守閣、石川門は残っていたが、
先の戦争で空爆を受け惜しくも焼失してしまった。
月見櫓のみ戦火を免れた。

じっくりと見て岡山城備前の中核を成した城だった。
3時を回ってホテルイン、汚れたシャツ類を洗濯し、一寝入り、
起きたら8時、何処かうまいとこを探す、鉄板チャーハンエビチリ付き、
美味いし安い、さすが岡山だ、
明日はメーンの立命館大学全国校友大会、午前中は暇だけど、どうするか、、、考え中