ポール・クルーグマン著、山岡洋一訳『良い経済学 悪い経済学』

時事通信より。http://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2011082200280

山岡 洋一氏(やまおか・よういち=翻訳家)20日午前0時4分、心筋梗塞のため横浜市の病院で死去、62歳。神奈川県出身。葬儀は27日午前10時から同市緑区長津田5125の1の横浜市北部斎場で。喪主は長男佑(たすく)氏。
 「国富論」などの古典のほか、「資本主義の未来」「ビジョナリーカンパニー」など経済書や経営書を多数手掛けた。(2011/08/22-12:25)

一昨日、翻訳家の山岡洋一氏が亡くなった。安心して読める(特定分野の専門家ではなく)翻訳家の一人だったと思う。つい先日のエントリで、山岡氏の翻訳したジョン・スチュアート・ミル『自由論』を紹介したばかりだった。他にもアダム・スミス国富論』などを翻訳している。

そこで『自由論』を含めて、自分が山岡氏の翻訳した本を読んだときのメモを読み返してみた。今回はその中からポール・クルーグマン『良い経済学 悪い経済学』の読書メモを載せておこうと思う。クルーグマンは著名な経済学者。ノーベル賞受賞(2008年)。新聞のコラムなどで幅広く言及しているが、専門は国際経済学。本書のテーマはその国際経済学。ジョセフ・スティグリッツと並んで自分が最も多く著作を読んでいる経済学者。

なぜ本書を選んだかと言うと、本書は<中国や韓国の国際競争力が上がると日本人の生活水準は下がるか>というような問いに対して、<そんなことはない>と答えてくれているので。
自分は昨日のフジテレビデモと排外主義が直接結びついているとは思わないが、無関係ともいえないだろう。韓国に関連した不買運動もあるようだし。しかし、「韓国経済が悪化しても日本経済はよくならない」というのは経済学者の一般的な理解だろう。これは自由貿易擁護、保護貿易否定ということ。「自由貿易は善、保護貿易は悪」というのは、それこそ『国富論』の主題でもある(といいつつ『国富論』そのものは読んでいないんだが)。
ただし、以下の点には注意が必要だ。国際競争力は日本人全体の生活水準には影響しないが、個々の日本人を見れば影響する。言い換えると、所得の分配には影響する。しかし保護貿易は、政府と癒着し、レントを得る輩を生むので、所得の分配に(悪い意味で)影響する。
また本書は<国民の生活水準は何で決まるか>と問い<生産性の伸び>と答えている。そして<生産性とは何か>いう根本的な問題も扱っている。生産要素(資本・労働)の生産性と全要素生産性(技術革新)の話。クルーグマン全要素生産性が生産性の8割を説明すると言っている。しかし、この問題は定説はなさそうだ。以下読書メモ。

ポール・クルーグマン著、山岡洋一訳『良い経済学 悪い経済学』(1997)日本経済新聞社 ★★★★

原題は『Pop Internationalism』(1996)。自分が読んだのは2000年の文庫版。本書は貿易と国際競争力に関する誤った俗説を正す目的で書かれた論文を集めたもの。初出は『フォーリン・アフェアーズ』(第1、2、10、11章)、『ハーバードビジネスレビュー』(第4章)、『サイエンス』(第6章)など。
ここでいう俗説とはアメリカ経済の問題(国民の生活水準。例えば賃金、雇用)の原因を国際競争(例えば発展途上国との競争)に帰属させる主張だ。それに対しクルーグマン技術の変化(生産性の伸び率低下)が原因だという。俗説として批判されているのはレスター・サローやロバート・ライシュである。山岡氏はサローの本も訳している。
クルーグマン教授の経済入門』でも「アメリカ人が輸入品を買うため国内の工場がタイに移転し労働者が解雇されるというような議論は完全に誤っている。貿易赤字を減らすためにはドルの価値を下げたり、輸入制限をすることになるがこれらはインフレにつながる。するとFRB金利を上げるので結局、職が失われ失業率を下げる効果は相殺される」として貿易赤字と失業が関係ないことが示されていた。


【俗説】
世界市場で競争している企業のように国家も競争している。
アメリカ企業が海外でうまく販売できていないためアメリカ経済に問題がある(例えば、賃金が低迷している)。例えば、アメリカの非熟練労働者の賃金は、発展途上国との競争の影響を受け低下している。同じ仕事をよりやすい賃金で引き受ける労働者がいるためだ。


クルーグマンの批判】
国際競争力はアメリカ経済の問題(国民の生活水準)と関係がない
企業と国は異なる。第一に国の貿易に依存する割合は小さい。GNPのうち輸出は10%しかない。GNPのうち途上国との貿易は1%しかない。第二に貿易の場合、互いに競合する製品を売っているが互いに相手国の製品の市場になっている。相手国の生産性が向上すれば、相手国の高品質・安価な製品が買えて自国にとってもプラスになる。第三に相手国の生産性が向上すれば、賃金が上昇し、途上国の購買力が上がり輸入するようになる。歴史的にみて、生産性が向上した分、賃金が上昇しなかった例はひとつもない。
企業の競争力とは異なり国の競争力は定義が難しい。企業の競争力は明確に定義できる。企業の競争力が高いとは(1)品質が高い(2)価格が低いことである。競争は主に一国の企業どうしで行われている。

以上から国際競争力の国民生活への影響は、マイナスがプラスを大きく上回るとは考えられない。国際経済はフィードバックの関係が複雑に絡み合うシステムである。国の経済は部分の寄せ集めではない。企業の国際競争の事例を集めても国の経済の相互作用は見えてこない。影響がマイナスまたはプラスの一方向だけに表れる単純な関係にはない。国際経済は全般に均衡に向かう傾向をもつ。
貿易はゼロサムゲームではない。ノーベル経済学賞受賞者(1979年)のウィリアム・アーサー・ルイスは発展途上国の生産性向上が先進国の賃金にプラスにもマイナスにも影響しうることを示している。

国際競争力を国民の生活水準と同視できない。国民の生活水準は国内の生産性の伸び率によって決まるため。もし同視すると国際競争力は生産性の言い換えになり国際競争と関係なくなる。

生産性は極めて複雑な要因によって決まり政府がどのような政策をとろうが影響を与えられないものだ。

俗説に魅力を感じる理由
分かりやすいため。
政策の正当化や回避の根拠として利用しやすいため。

俗説を信じることの弊害
国際競争力を高めるための政策に無駄な資金が使われる。保護主義を招く。政策に歪みが生じる。

●国際競争が賃金低下を招く要因
確かに途上国の賃金上昇は先進国の輸入品の価格上昇を招き、輸入品の価格上昇は賃金低下を招く。しかし途上国との貿易は小さいため影響は大きくない。

確かに先進国の企業から投資を自国から途上国へ移した場合、先進国の生産性と賃金は低下する。しかし先進国から途上国への投資額は小さい。
また以下の恒等式から「投資>貯蓄」と「輸出>輸入」は両立しないことが分かる。
貯蓄−投資=輸出−輸入
調べるとこの恒等式は以下の二つの恒等式から導かれるようだ。
所得=消費+投資+輸出−輸入
所得−消費=貯蓄

●所得の分配
所得の分配と国民の生活水準は別問題である。
国際競争力は(国民の生活水準には影響を与えないが)所得の分配には影響を与える。国として影響がなくても(プラス・マイナスの影響が拮抗しても)、特定の分野に限ってみれば国際競争の勝者と敗者が生まれる。
例えば、発展途上国との競争でアメリカの非熟練労働者が供給過剰になり賃金低下することはある。しかし途上国との貿易は小さい(1%)ため影響は大きくない。
俗説は特定の利益の隠れ蓑に使われることが少なくない。また経済学者は<調整>のコストを無視していることが多い。

●比較優位
ある国が他の国よりすべての財について生産性が低いとする(絶対優位にある製品がない)。それでもある国はある財を輸出できる。ある国は生産性の差が最も小さい財を輸出できる(比較優位にある製品がある)。
比較優位は外部経済によって生まれることが多い。よって外部経済を達成している先進国に途上国が追いつくには政府が産業政策を行うしなかないという発想が生まれる。これは理論的には正しいが現実には特定の利益集団により悪用されることがある。

●戦略的通商政策
理論的には、政府は賢明な政策により比較優位のパターンを換えることができる。しかし、効果のある戦略的通商政策を策定するのはきわめて難しい。その理由は第一に市場は不完全であるので市場ごとの個性がある。第二に政府の政策に対する企業の反応を予測し影響を予測しなければならない。

●生産要素と全要素生産性
経済成長を生産要素(資本や労働)の増加分と技術の進歩による部分(全要素生産性)に分解する。先進国では経済成長は大部分が全要素生産性による。ロバート・ソローの推計によるとアメリカの一人当たり所得の伸びのうち生産要素増加による部分は20%、技術の進歩による部分は80%である
中国や東南アジアの経済成長は生産要素増加による部分が大きかった。生産要素増加による経済成長は長続きしない労働人口は枯渇するし、海外からの資本流入が止まることもある。かつてのソ連の経済成長も生産要素増加によるものだった。
日本と中国など他のアジアの国の経済成長は異なる。日本の高度成長(50、60年代)は技術の進歩による部分が大きかったためだ。


【解説】
解説を伊藤元重氏(東京大学)が書いている。上記の生産要素と全要素生産性の話が分かりやすかった。いい解説。

良い経済学 悪い経済学 (日経ビジネス人文庫)

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クルーグマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫)

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自由論 (光文社古典新訳文庫)

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