TPP問題:「広く弱い利害」をもつ集団から「狭く強い利害」をもつ集団に利益が移転される

TPPについての議論が盛んだが、条約の内容がハッキリしないのでよく分からない。具体的にはよく分からないので、今回は一般的に問題を見る視点として役に立つ命題を紹介したい。
それは<政治的決定によって「広く弱い利害」をもつ集団から「狭く強い利害」をもつ集団に利益が移転される>という命題だ。

1.命題の例

まず例を挙げる。
例えば、コメの高関税という政治的決定はコメの消費者(≒日本国民)という「広く弱い利害」をもつ集団から農協という「狭く強い利害」をもつ集団に利益を移転すること。
例えば、著作権の存続期間(保護期間)を延長する条約・法改正(政治的決定)は、著作物の利用者(≒日本国民)からディズニーのような著作権者に利益を移転するということ。

2.命題の意味

次に命題の中の言葉を説明する。
政治的決定」というのは、広い意味での法だ。法律だけでなくTPPのような条約も含む。


集団」というのは利害関係者の集まりということ。政治学利益集団、利益団体、圧力団体などと呼ばれる。例えば、日本医師会とか経団連とか全米レコード協会(RII)とか。集団ではないが国際的な大企業を含んでもいいかも(この記事に出てくるような企業)。政治学では「利益集団が政治過程に影響力を行使して政治が動いているんだ」という見方を多元主義(プルーラリズム)という。アメリカ政治が多元主義の典型とされる。また、利益集団の利害を政治的決定として実現する議会を変換型議会と呼ぶ。日本政治においては官僚が利益集団の利害を代表して政治家に影響力を行使するという見方がある。この見方を省庁代表制と呼ぶ。


次に「広い」というのは、利害関係者の数が多いということ。例えば、国民一般は当然多い。「弱い」というのは、言ってみればその政治的決定に対する弾力性が低いということ。「弾力性が低い」というのは、利害関係者がその政治的決定がなされるかどうかによって損得があまり変わらないということと言える。例えば、ある日本人がコメの値段が高関税によって高く維持されていると知っても、それほど気にしないということ。


一方、「狭く強い」というのは「広く弱い」の逆で、利害関係者の数は少ないが、彼らの損得は政治的決定によって大きく変わること(弾性力が高い)。例えば、コメ農家の数は日本国民に比べ数が少ないが、コメの関税という政治的決定は、彼らの人生を左右するほど大きく影響する。また例えば、著作権の存続期間が1年延びることのディズニーの得と消費者一人の損を比べると、前者の方が後者よりずっと大きい。


このような「広く弱い利害」をもつ集団と「狭く強い利害」をもつ集団がいた場合、後者の政治過程への影響力は前者のそれより大きくなる。よって「狭く強い利害」をもつ集団が政治家に自分たちに有利な決定を行わせて、「広く弱い利害」をもつ集団から利益を移転させる。池田信夫氏はこういう利益移転に怒っている(この記事とかこの記事)。

3.なぜ「狭く強い利害」をもつ集団は政治過程への影響力が強いのか?

それは影響力を行使するためのコストが割に合うからだ。政治的決定に対する弾性力が高いので。例えば、農協関係者がTPP反対集会を組織したり、政治家に圧力をかけるのは合理的な行動だ。一方、コメの消費者が関税を撤廃しコメの値段を下げるためにTPP賛成集会をやるのは理に適わない。

4.TPPは大したことないのか?

大前研一氏は「大したことない」と述べている(この記事)。上の命題から導かれる予想は、別にTPPが大したことあろうとなかろうと、「広く弱い利害」をもつ集団から「狭く強い利害」をもつ集団への利益移転は続くということ。例えば、知的財産に関して言えば、以前のエントリで書いたようにTPPよりずっと前から(30年くらい前から)知財強化という流れは続いている。この流れは知財強化に反対する「狭く強い利害」をもつ集団が登場するか、消費者の「広く弱い利害」がもっと強くなって政治家に影響力を与えないと、あまり変わらないのではないか。例えば、アメリカのプロパテント政策に反対しているグーグルとか著作権強化に反対する意見を表明しているMIAUとか。

【参考文献】

経済学は一般的に上の命題を明示的でなくとも前提にしていると思う。例えば補償原理などに現れている。補償原理とは簡単に言うと、ある政治的決定で損する人と得する人がいるとする。損する人が少数なら多数の得する人の得た利益の一部で損する人を補償しておつりが来るなら、その政治的決定は効率的であると判定するという基準。補償原理と規制(政治的決定の一種)については八田達夫氏のミクロの教科書ミクロ経済学1』(2008)に詳しく書いてある。事故の前の出版だが電力会社の問題などにもかなりページを割いている。面白い事例が豊富で、ちょっと変わっているが、とてもよい教科書だと思うのでオススメ。


一方、上の命題を明確に主張しているのはノーベル経済学賞受賞のダグラス・ノースらの『経済学で現代社会を読む[改訂新版]』(2010)。本書は原著が16版も版を重ねておりそれだけ評価が高いということだろう。こちらも麻薬・売春・臓器売買・漁業権・排出権取引・関税など幅広い事例を紹介している。


上の命題は大前研一氏も指摘している。『新・国富論(1986)だ。当時、牛肉の輸入規制が日米間の通商問題になっていた。この問題を例に上の命題を説明している。大前氏の著書は非常に多いが本書は読む価値のある一冊。

経済学で現代社会を読む 改訂新版

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大前研一の新・国富論

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