yukihiko yoshida’s dance writing:tokyo dance diary

2007-03-26 六世中村歌右衛門展、黒テント

六世中村歌右衛門

戦後の歌舞伎を語る人の話の中に六世中村歌右衛門の思い出をきくことは多かった。古典歌舞伎の復活や新作歌舞伎の創造に多大な貢献をした芸術家だ。

 先代の五世歌右衛門からして演劇博物館に縁がある人であり、過去に企画展が開かれている。五世は坪内逍遥の「桐一葉」の淀君で新境地をひらいたとされるためだ。五世も人気がある人だった。どれぐらい人気があったかというと、その昔は歌舞伎の白粉の中に鉛が混じっていたため、歌舞伎役者は鉛毒を患うことが多かった。五世が倒れたとき大磯海水浴場で療養をしたのだが、一目見たさに人々が集まり大磯海水浴場はそれで全国に知られるようになったのだという。その後を継いで六世は襲名をしたのだがこの人もまた歌舞伎の第一人者となったのだ。展示には紹介されていなったが渡辺保の代表作「女形の運命」には五世も六世も共に登場する。

女形の運命 (岩波現代文庫)

女形の運命 (岩波現代文庫)

 話がそれるが歌舞伎座がなくなることが話題になっている。日本舞踊協会は二晩公演を行うという。歌舞伎座帝国劇場が洋風で売り出したため、第二次歌舞伎座から和風の路線になったのだという。経済学者の高橋誠一郎や歌舞伎評の戸板康二、戸板の師にあたる折口信夫が活躍をした時代も次第に遠くなってきているのかもしれない。

劇団黒テント39年の足跡

黒テントについては様々なもので読んできた。しかし資料をこれまであまり見ることがなかった。彼らのポスターなど視覚資料をいくつか見ることが出来たのだがスケジュール的な問題から足早に立ち去るしかなかった。中には舞踏のポスターもある。池宮信夫らによるモワティエ・モワティエ舞踊会はテントで行っていたと日下四郎編の「日本の現代舞踊の流れ」にはあるが、その当時を推測出来るような内容だった。

(共に早稲田大学演劇博物館

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