喜撰、船宿こふね、他

 この所、明治維新の頃について論じることがあったので「戯舞補天寿」ということを考えていた。現在の東京はグローバリゼーションの真っ只中にあるような状態だが、それでも近代以前の江戸からの脈々とした流れが存在する。明治維新によって日本社会も大きく変化したが芸能、芸界も社会変動と共に少しづつ変化し、また同時に伝承されてきている。時代がバブル絶頂へとひた走る80年代の終わりに、江戸時代の柳町芸者と同じ生活をしていた芸者が昭和の終わりぐらいまでいたという記録があるが、東京というカルチャースポットにはそんな側面もある。日本人の時代意識は過去から時間が綿々と連なることを受け入れるがそれは欧米の「文明」概念とまた異なるのかもしれないと思うこともある。


第51回 日本舞踊協会公演(第二部)

 所用で前半部分を見れなかったので中盤以後を見ることになる。大和楽「絵島生島」は江戸時代の絵島生島事件をモチーフにした作品だ。吾妻徳弥(弥は旧字体)が絵島を、対する生島を藤間蘭黄がベテランならではの演技でそれぞれ描き出す。生島の島流しになったあとの海辺のシーンでは藤間舞佳らが海辺の海女を描きだした。清元「喜撰」は小野小町をめぐって平安朝の六歌仙が思いを打ち明けるが恋は成就しないという物語だ。喜撰法師となり男役でユーモラスな表情をみせる坂東寿子だ。小野小町モドキのお梶を演じるのは花柳寿美(三代目)だ。この二人のコントラストが絶妙で面白い。寿美の艶っぽい演技は実に官能的であり、私の年代では写真でしか見ることができない初代花柳寿美の姿を彷彿とさせる。寿美は地唄舞の葛タカ女と並んで現代の日本舞踊の中でも美形の踊り手である。昨年の「新曲『浦島』」の全幕上演などでも活躍をし、近年健闘をしている日本舞踊の作家ということができ、曙会の活動も気になるところだ。
 長唄大河の一滴」は壮大な演出を用いている作品だ。雲の中へ天空から光が差し込んでいる。和の表現と洋の画法を感じさせる舞台美術は日本近代の洋画を彷彿とさせる。光を受けながら橘芳慧がくっきりとした表現で踊る。洋舞の書き手からしてみると展開が明確にみえると良い作品だが橘は優れた踊り手であるように感じる。清元「船宿こふね」は江戸の人々の姿を感じさせる作品だ。客や宿の女中などを一人で踊り分けて描写するのは藤間蘭景だ。作家は背丈のある寿美や葛と比べると愛らしい小柄な踊り手だがごく自然な表情が印象的な踊り手だ。江戸の風物を描いた美術によるごく自然な世界とその表現と融和して質感あふれる情景を作り出していた。
 日本舞踊の踊り手たちが舞踊家の組織をつくったのは戦前の洋舞の踊り手たちの組織よりやや古い。そんな彼らの舞台に接すると江戸から明治大正を経て現代へということを感じることができる。洋舞の観客たちも時折見てみると面白い内容の公演であると思う。
国立劇場 大劇場)