ファシリテート失敗を人のせいにする未熟な自分との闘い・・・

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最近疲れていたと思いたい。疲れからくるイラつきか、イラつきからくる疲れかは分からないが、愚痴っぽい自分がいる。誰もが疲れているはずのこのプロジェクト、自分だけが疲れているわけではない、むしろ周りの方が疲れているに違いない。

 そんな日を過ごしながら、何だか漠然としか内容が分かっていない会議のファシリテートをすることになった今日、黙ってふったりしていれば上手く収まるかなぁなんて・・・甘かった。決まらない、終わりの見えない、判断材料がないんじゃないのかと思った、そんな会議。いつしか私はイラついていた。「決めるのは俺じゃない」「直近で困るのは俺じゃない」そう思っていたからね。そんな会議を何とか締め、席に戻ると上司に言われる。

「ちゃんとファシリテートしてくれないと・・・」

とね。イラつきが最高潮を迎えた瞬間、「実際に直近困る人たちが良いというならもういいんじゃないですか?」と言い返した自分がいた。その私のイラつきに笑ってくれた上司、あとから思えば私は反省するばかり。

このレベルでは内容の習熟度とファシリテートはそれほど相関関係がないことは知っている。要は、決めるべき人や困る人を言い訳にしているだけで、決めるべき人や困る人が決められるように困らないように場を上手く進めて、最適解を見出すお手伝いをするのもファシリテーターの役割、人の責任にしているようでは甘いどころか、恥ずかしい限り。上司がそんなことを言いたかったかどうかは分からないが、きっとそう思っていただろう。逆に上司に「ちゃんとファシリテートしてくれないと・・・」と言われなかったら冷静には考えなかったかもしれない。
 
 正直、自分の中では真正面から向き合ってこなかったファシリテーターというポジション、何となく持っている力だけを使ってこなしてきたファシリテーション、今いるポジションはその力を飛躍的にあげるチャンスなのは知っている、ならミッションを超えるところまで正面から向き合ってみようと思う(それもどうなのかとw)。ファシリテーターとしてのスキルをあげる機会が満載の明日をまた頑張ることにする。

稲森和夫さんは言っている。

リーダーには才よりも徳が求められる

私には才も徳も著しく不足している。そんなことを痛感して、また登る階段と対峙する4月10日。