2012-01-26
■[書評]『美術手帳』(2012.2月号)
『美術手帳』(2012.2月号)の「松井冬子」特集記事。この人に欠けていると思われるもの、宗教的感受性。宗教的感性がない人が、腐乱した死体を、どんなに克明に描いてみせても標本図にしかならない。たとえば日本語では死体のことを「なきがら」ともいうが、それは「たま」(魂)が「から」(体)から抜けてしまうという、霊肉分離の二元論が、日本人の死生観の根底にあるから。しかし、この人の興味の対象は「たま」の行き先ではなく、残された「から」の方。「霊」という不可視、不可知なものでなく、「肉」という可視的、可知的なものが選択され、臓腑までが可視的なものとして描かれる。
それは徹底的に物資的であるのだが、そこに「肉」の美は見られない。この眼に見えぬものでなく、見えるものという選択は、松井だけではなく、日本の近代美術の特徴でもある。たとえば西欧では物質主義の批判は、「霊性」への回帰を意味するが、日本では肉体も物質であるという意識が希薄なので、人間性の回復や、自然への回帰といったものが物質主義の批判として語られてしまう。これは西欧から近代を受容するにあたって、宗教(キリスト教)の存在を無視した為。日本の近代美術に象徴主義的な作品が極端に少ない理由はここにある。
ところで日本で「幽霊」が視覚化されたのは、江戸時代の円山応挙がはじめとされるが、その背景には宗教の世俗化がある。今日の幽霊像を形作っているのは、江戸時代の怪談文化であると言われるが、江戸の怪談文化で重要なのは、好奇心旺盛な近世の知識人たちによって支えられていたこと。つまり、この世の不思議に如何に合理的な解釈を与えることが出来るかということが目的とされていたのである。江戸時代は宗教(仏教)ではなく、倫理(儒教)の時代であったので、この世の不思議に解釈を与えるというのは仏教に対する攻撃でもあった。
視覚化された幽霊は大衆化し、庶民の一大娯楽となるが、娯楽になればなるほど、怪異的なものに対する恐ろしさは後退して、人間の恐ろしさが前景化して来ることになる。ところが時代が江戸から明治に変わると、幽霊の存在自体が語り難いものとなる。そこで困った三遊亭円朝が幽霊を「神経病としての幽霊」(『真景累ヶ淵』)として語ってみせたのは有名な話であるが、円朝と同じように松井もここで幽霊を「心理的状態」「強迫観念」と語ってみせるのだが、興味深いのは幽霊だけでなく、絵画も「神経病」のように語っていることである。
ここでは絵画に「ナルシシズム」や「ジェンダー」といった意味が与えられている。自己の来歴から作品の自己分析がなされ、それが何を意味するのかという説明が丁寧に行われるのだが、分析・分類が可能だということは、そこには非合理なもの不可解なものがないということである。ちょうど近世の合理主義者たちがこの世の不思議に意味を与えたように、作品に意味が与えられ不可解なものが排除されるのだが、先に述べたように幽霊や怪談というのは、この世の不思議に合理的な意味を与える行為の中で生まれてきたものであるので、そこで語られていたのは不可視、不可知なものに対する恐ろしさではない。
そこで明らかにされたのは人間存在の恐ろしさである。それは例えば「死」という、人間には絶対に知ることが出来ない不可知なものに対する恐ろしさとは、全く違う恐ろしさであった。なぜ円朝が幽霊の正体を「神経病」と種明かししてみせながら、「めぐる因果の恐ろしさ」を語ることに成功したのかといえば、円朝において大事なのは幽霊という不可解、この世の不思議を語ることではなく、人間の恐ろしさを「めぐる因果の恐ろしさ」の中で語ることであったからである。しかし幽霊を「心理状態」「脅迫観念」と語る松井に、円朝のような凄み恐ろしさは感じない。
なぜ恐ろしくないのかと言えば、意味づけに終始しているからである。「臓器」は何を意味しています。「嘔吐物」は何を意味していますと、絵画を「神経病」として語ってみても、それは不可解なものを排除する意味づけに終始しているだけである。しかし恐ろしくないのと見世物としては成立しないので、お化け屋敷やホラー映画の宣伝記事のように、「臓器」や「幽霊」という仕掛けがセンセーショナルものとして取り上げられることになる。
2012-01-17
『美術手帳』(2012年1月号)村上隆インタヴュー記事(2)。この人の不思議あるいは、特徴は父親的なものに対する懐疑のなさ。なぜか大人になっても父親の言葉に実証的分析が加えられない。例えば、ここでは父親の言葉として、「いや、日本もやったんだ。一億総玉砕って」という言葉が語られているが、先の大戦で「玉砕」の地になったのは沖縄だけ。またここで言う「一億総玉砕」の、「一億」というのは、併合された台湾と朝鮮の非日系を含めての数であって、当時の日本(内地人)の人口は約七千万。細かいことと思うかも知れないが、日本という「国」のフレームの再構成、再編を要求する人に、「沖縄」に対する視点、意識がないことは重要。自身を「マイノリティー」な存在と規定してみせる人に、差別の構造が見えていない。
2012-01-06
■[書評]『美術手帳』(2012年1月号)
『美術手帳』(2012年1月号)の村上隆インタヴュー記事。村上はここで福沢諭吉の「一身の独立なくして一国の独立なし」という言葉を引き合いにしながら、人が依拠する「国」というフレームの有無、明確さが日本と欧米の「アート」の力の差であるとして、戦後溶解してしまった日本という「国」のフレームの再構成、再編を要求しているのだが、村上の要求のお粗末さは、福沢の「一身の独立なくして一国の独立なし」という言葉は、「国」に依拠することを否定する思想であることに気づいていないことである。
福沢の「一身の独立なくして一国の独立なし」とは、『学問のすすめ』第3篇において語られている言葉であるが、福沢にとって「独立」とは、「自分にて自分の身を支配して、他に依りすがる心なきを云う」ことであり、それは国に依拠することを目的とするものではない。おそらく村上は「一身の独立なくして一国の独立なし」という言葉から、戦前の「家族国家観」的な国体論を思い浮かべたのだろうが、福沢はヨーロッパ的な市民社会論者である。福沢において大事なのは何よりも「一身の独立」、つまり自立した個人の形成であって、「一国の独立」とは、自立した個によって形成、確立されるべきものであった。そこに他律的に、国に依拠するという考えが入り込む余地はない。
村上が福沢の思想を理解していないのは明白である。理解云々以前に、福沢の書物を手にしてすらいないのであろう。村上にとって「一身の独立なくして一国の独立なし」とは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』からの孫引きでしかないのである。それを思いつきと、思い込みで、自分の都合に良い理解に変えているのだが、基本的な文献から自分が引用する言葉の意味を確認する作業を怠っているような人間が、「教育」ということを恥ずかしくもなく語るのだから驚きである。
2011-11-30
■[書評]中村和雄「引込線と現代美術」(『所沢ビエンナーレ美術展2011カタログ』)
「引込線」という展覧会タイトルから、作家の活動には少なからず「ひきこもり」的要素があることが指摘され、そこから昨今の美術界の商業主義の流れに対しての警鐘が語られているのだけれど、好感を覚えるのは社会から隔絶してひきこもるという行為の葛藤、過酷さに対する理解と、共有が示されている点である。ただ気になるのは、ここでは作家に高度に制度化、資本主義化した日本の社会の現状を、われわれに気づかせる、呼び止めるアウトサイダー的存在であることが求められているのだけれど、そのたとえとして過ってオウム事件の時に作家が示した、善悪二元論に捉われない皮膚感覚と本能が語られていることである。
もちろんここで私が問題としたいのは、「オウム事件」がたとえとして持ち出されていることではない。私が言いたいのは、ここでは善悪の二元論に囚われずに事件を注視していた作家たちの姿勢が評価されているが、この事件を注視した作家たちがそこで感じとったのは、一般社会から隔絶することの不安であったのではないかということである。そしてこの「不安」こそが、ここで批判されている日本の現代美術の商業主義的な方向性を規定する要因になっているのではないのかと考えるのだが、ここでいう「不安」を私は、吉本隆明の「転向論」を念頭においていっている。
つまり戦前のマルクス主義者の転向とは、政治権力の圧力よりも、大衆からの孤立感が最大の条件となったのではないかということである。もちろん美術の商業化というのは、いろいろな要因によるものであるので、社会から断絶してしまうことの恐怖が全てという訳ではない。しかし作品が「売れた/売れない」というのは、大衆との距離を確認するバロメーターになり易いのも事実であるので、たとえば最近の商業主義的で安易な日本回帰の流れも、社会から隔絶することの不安という観点から説明が可能なのではないだろかと思うのである。
ここでいう「不安」とは、商業的な面における出来事だけではない。たとえば岡本太郎を評価する人たちが一様に岡本を大衆との距離の近さから評価するところからも伺える。大衆との距離の近さを評価するということは、裏返して言えばそれだけ彼らが大衆から離れてしまうことを恐れている証である。こうした傾向は、一見すると過激に見える行動をしているように見える作家たちや、そうした作家を評価する人たちの大半が社会ではなく、社会から隔絶することを厭うことなく美術と係わっている人達の方を目の敵としていることからも伺えるだろう。
ところで何故、作家は善悪二元論に囚われないのだろうか。私は作家こそが「善とは何か」、「悪とは何か」という、人間存在の意味を積極的に考える存在だからだと考える(たとえばドストエフスキーの小説がそうであるように、「善」や「悪」に対する問いが、人間存在に対する問いとなるのである)。芸術は人為的な世界の出来事である。その限りにおいて、それは徹底的に倫理(人倫)の世界に属するもので、簡単に人間の世界から手放してはいけないものである。従って芸術作品を、倫理的な善悪で判断することが出来ないものと理解することはあまり正しくない。それは積極的に倫理を問うものと理解されるべきである。両者の違いは何かというと、今起きていることを、倫理的な判断によって作品に対する誤った判断がなされていると認識するか、倫理的なことを問う作品を制作することが阻まれている、あるいは放棄されていると認識するかの違いである。
宗教的な聖俗二元論でいうと、この世界(俗世界)というのは、聖(秩序)に対しての無秩序な世界と認識されるので、そこにおいて人間の本来のあるべき姿、あるいは世界の姿を形而上的な世界を念頭に問うことはさほど難しくない。しかし近代では聖俗(秩序/無秩序)の関係が逆転して、この世界こそが秩序であり構造であると認識されることになるので、そこでこの世界の秩序を疑う問いを発することが極めて難しくなる。ここに既成の秩序に挑むふりをしながら、中心に奉仕する作家たち(彼らの多くは自らを周縁者、アウトサイダーと名乗っている)が現れる土壌があると思われる。ここで重要なのは彼らを導いているのは制度ではなく、一般社会から隔絶してしまうという不安であることと、そこでは自らの正当性が、大衆からの距離の近さによって証明されようとしていることである。
2011-11-29
■[展評]『ゴヤ 光と影』/国立西洋美術館
『着衣のマハ』が目玉作品のようだったけれど、個人的には『マハ』よりも『赤い礼服の国王カルロス4世』や、『カルロス4世家族』の為の習作と思われる『マリア・ホセファ内親王』『スペイン王子フランシスコ・デ・パウラ・アントニオの肖像』といった、これまで見ることが出来なかったゴヤの宮廷画家としての作品(肖像画)を見られる方が見所であったと思う。その他にも『自画像』や『アルバ女公爵と“ラ・ベアタ“』『魔女たちの飛翔』といった、小品ではあるが密度の高い作品が何点かあり、ゴヤに熱をあげるということが、どういうことなのかが始めて分かった気がした展覧会であった。出来れば会期中にもう一度見に行きたい。