1992(平成4)年8月22日(土)

八月納涼花形歌舞伎 通し狂言義経千本桜」 歌舞伎座

昼の部 幕見席(700円) 三幕目 道行初音旅

夜の部 1階 に列36番

四幕目 木の実 小金吾討死

五幕目 鮨屋

六幕目 川連法眼館

 

昼の部 

三幕目 道行初音旅

佐藤忠信実は源九郎狐: 八十助 静御前勘九郎

 

 いつもは逸見藤太が出てきて、忠信との立ち回りが

面白いが、通しだと、序幕で忠信に倒されるので、

二人だけの踊りとなる。しっとりした雰囲気で、女雛男雛

の型や忠信が鼓に絡むところなど見とれてしまう。

 八十助と勘九郎のベストコンビで興味深く、八十助の

忠信は颯爽して格好よく、踊りっぷりも元気がいい。

勘九郎の静は意外だったが、品があって綺麗で大きい。

 シンプルですっきりした舞台であった。

 

夜の部

四幕目 木の実 小金吾討死

五幕目 鮨屋

六幕目 川連法眼館

 

四~五幕目 木の実 小金吾討死 鮨屋

いがみの権太:勘九郎 

弥助実は平維盛藤十郎 お里:福助 小金吾:染五郎

弥左衛門:又五郎 梶原景三:左團次

若葉内侍:孝太郎 小せん:家橘 お米:万之丞 ほか

 

六幕目 川連法眼館

佐藤忠信佐藤忠信実は源九郎狐:八十助

源義経勘九郎  静御前福助

亀井六郎橋之助 駿河次郎染五郎 川連法眼:吉五郎ほか

 

 初ボーナスを使って一等席を購入。それも下手側の花道横で

役者方が自分が座る横を通っていく。思わずドキドキする。

この日は一生忘れられない歌舞伎観劇となった。

 「木の実」から「鮨屋」は、「若い田舎者?」の義太夫から

登場する勘九郎の権太が眼力鋭く、小気味よい足取りで登場する。

ほか木の実を落とす無邪気さ、小金吾をゆする緊張感、「冷え手

をしてるじゃねえか」という親の心情、維盛を見つめる仕草、

鮨樽をかかえる大見得ぶりなど要所要所の表情をよかった。

昼に静御前をやっている同じ役者とは思えなかった。

 福助のお里はあどけなくかわいらしい。舞台近くで見ると美しい。

藤十郎の維盛は、弥助から維盛に変わる仕草が品があって印象的。

左團次の梶原は自分の座っている後ろで「だまれ、おいぼれ~」

という台詞に驚かされ怖かった。又五郎・万之丞の弥左衛門夫婦は

どこかほのぼのとしてよかった。家橘の小せんは若葉内侍の身代わりで

去るときの権太を見つめる目が切なかった。孝太郎の若葉内侍は芝翫

教わったとあり、時折芝翫の仕草が見受けられた。木の実での孝太郎と

染五郎の輝く瞳が若さを感じた。

 初役揃いで納涼らしい若さと懸命さがみなぎる大芝居だった。

 

 猿之助宙乗りで有名な「川連法眼館」を八十助、勘九郎福助らで。

猿之助のがやや有名な演目となって、花形役者方が通しでやったことは

有意義だったと思う。猿之助バージョンとは異なる「川連法眼館」が

観られてよかった。

 八十助の忠信は、出が颯爽として表情がいい。「道行」の時も

そうだったが、ここでは本物の忠信であり、武将の顔であった。狐忠信が

現れ、花道を伺っての仕草は一瞬の緊迫感もあっていい。狐忠信は、

動物の哀れさが漂う。鼓の述懐や鼓を戴いてからの喜ぶ姿も良かった。

 勘九郎義経は、さっきまで権太をされていたと思えず、凛々しく

若大将ぶりである。福助の静は、お里のかわいらしさと対照的で、

どこかクールで、これが武士の妾の品格なのかと感じた。橋之助の亀井が

夜の部はこの役のみで舞台狭しと花道を駆け抜ける。

 忠信の早替わりがあるものの、宙乗りもなく派手な演出ではないが

花形役者らしい華やかな舞台と思った。

 

所感)

 とにかく花道サイドで観られたのが感激だった。七三で勘九郎が見得を

きって駆け抜けたり、八十助や又五郎左團次ら自分の横に座ったり、

通ったりするたびに乙女心のようにドキドキした。

 勘九郎の権太と八十助の忠信を取り換えた役で観てみたい。

(当時の感想より)

 

 花横で初めて観た感激ぶりが、我ながら恥ずかしいくらい伝わる。

荒法師が振り回す竹刀が目の前に来たのを覚えている。

 四の切は、猿之助バージョンしか知らなかったようで、宙乗りしない

音羽屋型があることを知る。(道行も)それにケレンを増した勘三郎

バージョンものちのち観ることになる。八月納涼歌舞伎が始まって

初めての通し狂言上演で毎夏と異なり、上演されることを知って

驚いたことを覚えている。

勘九郎・八十助・福助橋之助歌昇染五郎・孝太郎と働き盛りの

役者方が演じるとあって興味深い公演だったと覚えている。

 ここでの藤十郎紀伊国屋藤十郎である。

 昼の部は、鳥居前・渡海屋・大物浦に幕見した道行で。二代松緑

直伝の橋之助の知盛は見たかった。勘九郎と八十助が相模と入江で

助演し納涼らしい盛り上げぶりが楽しい配役でもあった。2020.6.7

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1992(平成4)年8月9日(日)

第5回 矢車会 夜の部

国立大劇場 17時開演 3階12列20

一、寿末広狩

二、水天宮利生深川

三、四世中村富十郎追善 京鹿子娘道成寺 道行から押戻しまで

 

一.寿末広狩

大名:権十郎 太郎冠者:智太郎

 

 末広狩(扇)を買いに行った太郎冠者が末広狩が何かわからず、

騙されて傘を買ってきてしまう。大名は呆れ、太郎冠者は気を

取り戻そうと踊り出す。とぼけた雰囲気で明るい智太郎の太郎冠者

と古風で重々しい権十郎の大名で息ピッタリで狂言と舞踊がマッチ

して面白い。権十郎の大名が太郎を呆れていじる姿が良かった。

 

二.河竹黙阿弥歿後百年記念 水天宮利生深川

  浄瑠璃 風狂川辺の芽柳

筆谷幸兵衛:富十郎 

茂栗安蔵:権十郎 長尾保守(巡査):我當 お雪:浩太郎

お霜:松也 三五郎:團蔵 金兵衛:松助 おむら:東蔵

大家:寿鴻 ほか 清元志寿太夫出演

 

 芝居の展開が興味深い。最初の盲目のお雪がお金をめぐんで

もらったり、幸兵衛が水天宮の神様の絵画をもらってきて、

それを供えて、幸兵衛親子が祈りアットホームな雰囲気から

始まる。やがて金兵衛と安蔵が、幸兵衛に借金を取り立てに

きて窮地へ、そして、借金苦と貧乏から幸兵衛はとうとう気が

狂ってしまう。隣家よりお祝いで清元が流れて来る。筆を投げ

たり、箒をもって暴れたり、赤ん坊をさかさにもったり、大家

を殴ってハラハラさせられる。大詰めは、水天宮の絵画をもって

赤ん坊を抱え、川へと飛び込み、狂いもなくなり助けられる。

水天宮の御利益とお金をめぐんでもらってハッピーエンドで

幕となる。全体的に暗いのだが、どこか痛快で安堵感は黙阿弥

らしさなのか。

 幸兵衛のような時代についていけない没落した武士の悲劇と

当時明治初期の風俗がからみ、明治まで生きた黙阿弥の作風を

感じた。風俗が面白い。まず安蔵の衣裳で、ブーツに蝙蝠傘、

スーツに山高帽と現代ではおかしみあるが斬新な格好である。

それを古風な権十郎が演じているから面白い。我當の巡査も

サーベルに西洋風の警察衣装で、幸兵衛へのやじうまに

「やかましい~」と一喝する姿は明治の警官の姿だった。

 富十郎ほか役者も良かったが、ストーリーや風俗に目を

見張った。

 

三、四世中村富十郎三十三回忌追善 京鹿子娘道成寺

                道行から押戻しまで

白拍子花子:富十郎 押戻し(大館左馬五郎):羽左衛門

所化:我當東蔵、亀鶴、玉太郎、智太郎 ほか

 

 鴈治郎菊五郎福助など観てきたが、今回は押戻しまで

の上演で、なかなか上演されないので、これを観たさに

チケットを購入した。

 鴈治郎は日本古風のふくよかさがあり、菊五郎は鐘への

執着を鋭い眼で表して、クドキといった乙女心もあり、

福助は美しさに見とれた。

 富十郎のは、初世が初演され家の芸であり、烏帽子姿は

富十郎自身舞ながら謡い、最初から家の芸を意識してか、

改めて格調の高さが伝わってくる。白拍子姿はかわいらしく、

蛇の化身は衣装と共に凄みがあり、前シテの白拍子姿が

嘘のように思わす。

 わずかな出ながら、存在をしるす羽左衛門の押戻しは

追善らしく迫力ある。筋書には高下駄履いた姿であったが

実際は履いて出てこなかったのはなぜか。

 所化は、舞のうんちくは智太郎が、四世富十郎のことは

我當が思い出と共に語る。鐘入り後、所化が鐘のことを話し

花四天が現れ、一人一人が流行を取り入れ話す姿が可笑しい。

 押戻しまであると、何度か観た道成寺も新鮮に感じ、

改めて不思議な舞踊と思えた。

 隣席のご婦人が幕切れで「わあー」って叫んで大拍手、

ご婦人も娘にしてしまう道成寺だったのかなと思った。

 

所感)

 富十郎の自主公演ながら、本興行なみの雰囲気だった。

また「筆幸」や押戻しまでの「道成寺」と珍しい演目も

観れたのは良かった。自主公演の取柄であろう。

(当時の感想より)

 道成寺を押戻しまで観たのはこれが初めてで今後もあまり

観ることは少ない。踊り巧者の富十郎の醍醐味と、重鎮から

若手までの座組で集まり、富十郎の人柄を感じた。しばし

毎夏足を運ぶことになる自主公演となる。

 8月8~9日の公演で、昼の部は、東蔵と浩太郎で春雨、

富十郎辰之助で連獅子・智太郎の汐汲・富十郎鴈治郎

松江の積恋雪関扉でした。 2020.6.6

 

 

 

 

 

 

 

1992(平成4)7月18日

市川猿之助 七月大歌舞伎 夜の部

2階 ぬー35

通し狂言 慙紅葉汗顔見勢 伊達の十役

 

仁木弾正・赤松満祐・絹川与右衛門・

土手の道哲・足利頼兼・累・高尾太夫

政岡・荒獅子男之助・細川勝元猿之助

大江鬼貫・八汐:段四郎 榮御前:歌六

渡辺民部之助:信二郎 渡辺外記左衛門:芦燕

山名持豊弥十郎 京潟姫:笑也

山中鹿之助・松島:右近 ほか

 

 猿之助の十役の中で印象的だったのは、仁木を倒すカギを

握る与右衛門の活躍と爽やかで痛快な細川勝元だった。

与右衛門はいかにも二枚目で家を守る使命感が伝わってくる。

勝元は登場から台詞回しまで颯爽として、さすが名裁判官と

思わせる好人物ぶり。仁木は外記に迫る刃傷の場が殺気づいて

怖いほど強烈。道哲はずる賢く「今日から土手の道哲守さま

だあ~」など時々見せる仕草が面白い。政岡は千松が殺され

強い女性ぶりはいい。頼兼は柔らかみとかわいらしさがある。

累は高尾太夫の霊がのりうつった不気味さと哀れ、高尾太夫

花道七三での品格の姿、男之助は「取り逃がしたかあ~残念

だあ~」の台詞の強さ、満祐の不気味さと十役に一つ一つ

個性があって、一つ一つのシーンを通り過ぎていった役々を

すべて猿之助が演じて嘘のような雰囲気。

 道哲と与右衛門のすれ違いの早替わりは印象的。

「獨道中五十三釋」では、踊りの中で十二役早替わりを観たが、

芝居の中の早替わりは「お染の七役」以来だがスピーディで

早替わりな芝居はまた観てみたい。

 段四郎の二役は、八汐は憎らしい、鬼貫は弾正の分身に近く

高尾に迫るいやらしさ・白州でのふてぶてしさが面白い。

信二郎の民部之助は誠実さがある。芦燕の外記は老体らしく

山名や鬼貫にののしられ悔しがる表情や、仁木に斬りつけられ

反抗する姿は良かった。弥十郎の山名の善か悪かはっきりしない

政治家ぶりがいい。勝元に「虎の威を借りる狐」と言われ顔を

赤らめて怒る姿もいい。ほか笑也、右近、門之助など出てくる、

門之助の沖の井一役はもったいない。

 ストーリーでは、いつものように早替わり・宙乗りもあり、

テンポよく展開するが、政岡が中心の場はもたつき、白州は仁木

の代わりに鬼貫が出てくるので違和感もある。一方で大ネズミが

でるスペクタクルやだんまり、仁木の刃傷ぶりと見せ場が多くあり

あまり考えず、楽しく観れる芝居だった。

 大詰め、隣で亀治郎さんが立ち見していた。

 

(所感)

 猿之助が元気いっぱいの時の伊達の十役が拝見できて

よかった。

 当日券で観劇したから、二階の最後列席で仁木の宙乗りは、

あっという間に視界からちぎれてしまったことを覚えている。

早替わりというスピード・スペクタクルなど盛り込まれ、

バカバカしい歌舞伎の楽しさを改めて感じた。

 またチケット売り場で、夫婦が「宙乗りが観れないなら、

チケット取り換えてもらえ」と話す夫の姿が何か哀れと感じた。

 この頃から七月の猿之助歌舞伎も毎年楽しみとなった。

 昼の部は、右近で「蘭平物狂」、猿之助の「高野物狂」

「切られお富」、亀治郎の「子守」で。

 

 

 

 

1992(平成4)年6月7日・6月20日

六月大歌舞伎 夜の部 歌舞伎座

6月7日 2階 いー15 6月20日 幕見席通し

通し狂言 東海道四谷怪談

 

お岩、佐藤与茂七、小仏小平:勘九郎

民谷伊右衛門幸四郎 直助権兵衛:孝夫

宅悦:左團次 お袖:孝太郎 お花:宗十郎

お梅:染五郎 伊藤喜兵衛:芦燕 ほか

 

 芝居はテンポよく、お岩の独壇場、戸板返し、仏壇返しと

視覚効果はたわいのないものだが、場内真っ暗でビビるし、

“怖いもの見たさ”にかられ、また実演しているから面白い。

近親相姦・残酷美・退廃した時代背景で時代の流れに追い

つけないアウトローにみえるが、理屈抜きで観られる芝居と

感じた。

 お岩を見て、女の嫉妬は怖いと思った。夫が父の仇を討って

くれると信じていたのに裏切られ、挙句は自分が捨てられ、

別の女に心変わりされ、そんなやるせなさがとうとう爆発、

恨みへと変わっていく。お岩のイメージは“哀れな女”としか

見られなかったが、哀れというより世の中の女性が秘めている

心の内を変わって代弁しているように思えた。改めて“女性は

分からない生き物”そして“女は怖い”ということを痛感した。

対する伊右衛門は自らの欲ばかりに先走り、自ら破滅していく

ように見えた。お袋が観たとき、イヤホンガイドで“伊右衛門

小心者”と言っていたらしいが“大悪人になれない悪人”と感じた。

ずるがしこいように見えるが、詰めの甘い人にも見える。お岩と

伊右衛門を見て、一途と欲ははかどらない、そして愛は一つ誤ると

火花が飛んでくるものと感じた。

 勘九郎の三役は、お岩は毒薬とも知らず飲んでしまうところは

伊右衛門の恩に重みおき、隅から隅まで飲んでいく細かい仕草が

いい。宅悦から事情を聴き怒り狂うところは武士の妻らしく、

悔しさそして醜い顔になったことが信じられない様子から鏡を

眺めるところは可哀そうだった。髪すきから身だしなみを整える

ところで女性の仕草が印象的。どうしてこんなに執念が強いのか

を伝えてくる。女の怖さを思い知らされるようでもある。赤ん坊が

石になって笑うところも印象残る。小平は善人ぶりが良く出ている。

与茂七はお袖との逢瀬や奥田を助ける武士らしさ、だんまりと印象的。

お袋と一緒に行った親父が「勘九郎大熱演」ってつぶやいていたが

同感である。

 幸四郎伊右衛門は、金欲しさに家内のものを質に入れるところは

お岩が止めるにもかかわらず、図太く嫌味なところが良かった。

お梅に迫られ心変わりする心境や伊藤家へ出向く姿、お岩に悩まされ

破滅していく過程は、ずるさ・凄み・うつぶりと備わり、ふてぶてしさ

も感じながら痛々しくも見える。欲ゆえの犠牲者にも感じた。

 孝夫の直助権兵衛は小悪党の雰囲気。お袖に迫るいやらしさも印象的。

瞳が悪の目つき。もっと出て欲しかった。左團次の宅悦は勘九郎お岩を

助け、大げさながら観ている我々と同じ気持ちで代弁してくれるように

感じる。孝太郎のお袖と、染五郎のお梅は懸命。

 1回目は序幕が観れなかったので、同じ芝居を2回観てしまったが、

飽きない。2回目は勘九郎幸四郎も凄みが増していたように思う。

 直助権兵衛とお袖が兄妹とわかる場面や、お岩と伊右衛門の夢の場も

見てみたかった。忠臣蔵の裏話といわれているが、初見でわからない

ところもあった。黙阿弥の悪の華やか・歯切れの良さとは異なり、

南北の暗いながら娯楽に富んだ展開を知った。

 客席では、辰之助さん(4代松緑)が彼女と観ていたり、場内の灯りが

時々ちらつくのはお岩様のせいなのかと思ったり、若い女性がビクッと

したり、悲鳴を時折挙げていたりと見受けられた。

 

所感

 まわりくどい文脈ながら、勘九郎さんのお岩を通じて、感じることが

多かったのだと思う。帰りの電車内でたまたま持っていたレポート用紙に

ボールペンで感想を走り書きしたことを覚えている。四谷怪談がホラー

と思っていたのが、可哀そうな女性の話しと思ったことが衝撃だったの

だろう。“女は怖い”ってあるが、当時そんな困るような恋をしていたわけ

でない。50になった今でもそうだが、その当時から自分はもてないし。

 1~2年前に大阪中座の夏芝居で、ほぼ同じ配役で上演されており、

お父様を亡くしたばかりで伊右衛門に付き合ってくれる役者がいない

ところ、17世にお世話になった縁で幸四郎さんが付き合ったとのこと。

この時は初日から客足悪かったそうで、評判で序々に大入りになって

いったそうだ。この数年後に、勘九郎さんはもっとすごい四谷怪談

見せてくれる。この時は足がかりだったと思われる。

 昼の部は、「樽屋おせん」、幸四郎梅玉勘九郎で「勧進帳」、

13世仁左衛門が相模政五郎で出演された「荒川の佐吉」で。

1992(平成4)年5月24日 

 

1992(平成4)年5月24日

歌舞伎座 團菊祭五月大歌舞伎 昼の部 

3階B席 をー2

(一、坂崎出羽と千姫

二、藤娘

三、河竹黙阿弥歿後百年記念 皐月闇宇津谷峠

 

二、藤娘 

藤の精:梅幸

 

場内真っ暗で長唄だけ流れる幕開け、そして

パッと明るくなって、梅幸がそこにいる。

この演出には驚いた。

梅幸のかわいらしさ、品の良さ、華やかさを堪能。

引き抜きもあって、“小道成寺”といっていいのか。

着物の裾を酒のとっくりに例えての振りは面白かった。

 

三、河竹黙阿弥歿後百年記念 皐月闇宇津谷峠

提婆の仁三、文弥:菊五郎 伊丹屋十兵衛:團十郎ほか

 

 黙阿弥ならではのカネ・ゆすり・殺し・因果とテンポよく

展開していく。結構スピーディで息もつかせず面白かった。

 江戸っ子熊・弥次馬の喜多・消炭の亀・どんどろ坂の勘太郎

口入婆お百・竹の塚兵蔵など人物名のおかしさ、文弥の母が

現れる因果の怖さ、相部屋で地方の人間が出てくるくだりや

当時の宿の様子など興味深く観れた。鞠子宿のとろろも食べに

行ったことがあるのでワクワクした。

 菊五郎の二役は、仁三は見逃され去っていく所作やゆすりの

場など良く、文弥は優しさあってかわいそうな雰囲気。性根が

しっかりしている。團十郎の十兵衛は真面目な人柄が出て、

仕方なしに文弥を殺し、のちに悩まされる姿は辛く伝わる。

わずかな出ながら、團蔵松助、友右衛門、十蔵、右之助、

秀調、亀蔵、由次郎、鶴蔵とぜいたくに使っている。藤十郎

しづは哀れで文弥の霊がのりうつるところは怖い。菊蔵の文弥の

母も因果で怖い。團菊祭とあって、二人の共演を観ないと気が

治まらない。

 

(所感)

 お歳重ねられた梅幸の藤娘が観られたのは貴重である。

 宇津谷峠は勘三郎三津五郎で観たかった。ここにある

藤十郎澤村藤十郎である。この時は菊蔵も鶴蔵も元気だった

のだなあと、他メンバーと共に菊五郎劇団の雰囲気を知る。

 團十郎菊五郎の共演はやはり團菊祭と銘打っての楽しみ

ながら、九代目團十郎と五代目菊五郎の追善であるので、

共演も楽しみにしながらも、二人の先人名優を偲ぶ意味で

双方の家の芸を楽しむことものちのちわかってくる。

2020.5.6

1992(平成4)年5月10日

1992(平成4)年5月10日

歌舞伎座 團菊祭五月大歌舞伎 夜の部

一階席 らー19

一、熊谷陣屋

二、上 猩々 間狂言 面かぶり 下 関三奴

三、歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜

 

一、熊谷陣屋

熊谷直実幸四郎 相模:宗十郎 源義経:八十助

弥陀六:権十郎 藤の方:時蔵 堤軍次:染五郎ほか

 

以前、孝夫の熊谷、芝翫の相模、吉右衛門義経で観ているが、

やや難しくとっつきにくかった。今回もイヤホンつけず、

台詞や義太夫に耳を傾けていたが、やっぱり難しかった。

展開により悲劇、登場人物一人ひとりが活き活きと描かれている。

熊谷を観て大きく、荒々しさを感じた。また息子を殺してまで

尽す姿は封建性の悲劇ながら、現代のサラリーマンに通じる忠誠

のようなものも感じた。「十六年は夢だ」という台詞が成功と

悲劇を物語っている。花道でその仕草が見られてよかった。

幸四郎の熊谷は表札の見得など大きく、「十六年は夢だ」の

台詞も響く。宗十郎の相模は哀れさばかり目立つ、子を想う

母の姿は今と変わりないことを伝えてくる。八十助の義経

首を見せる情や弥陀六に声をかけるところなど若々しい。

権十郎の弥陀六は仮と本性の姿をはっきりしていて、かつては

名をはせた武士の風格がある。時蔵の藤の方は上品で、敦盛を

思う姿が伝わる。染五郎の軍次は若武者の雰囲気。

 

二、上 猩々 間狂言 面かぶり 下 関三奴

猩々:三津五郎、八十助 酒売り:田之助

黄菊の君:新之助 白菊の君:丑之助

奴:三津五郎、八十助

 

「猩々」は面をはずした能装束で猩々が現れる。三津五郎と八十助は

無表情で踊ることに驚いた。(それが能面ということか)そうで

ありながら、八十助猩々が飲もうとする酒を三津五郎猩々が奪ったり

と意外と滑稽であった。田之助の酒売りは上品。

「面かぶり」は新之助も丑之助も白塗り似合い美形である。初々しく

かわいらしいところも…次世代の団菊ぶり。缶ぽっくりみたいなものを

カタカタやるのが懸命でテンポよかった。

「関三奴」は、赤ッ面の三津五郎と白塗りの八十助で対照的で衣装といい

荒々しさと勢いがある。♪あかさたな~いきしちに~と五十音を謡う長唄

の詞があり面白い。かつて関三十郎という役者にあてはめて描かれた

舞踊大津絵からの早替わりの一部とのこと。

 

三、歌舞伎十八番の内 助六由縁江戸桜

助六團十郎 揚巻:雀右衛門 意休:左團次 白酒売:宗十郎

くわんぺら門兵衛:羽左衛門 口上:権十郎ほか

 

孝夫の助六玉三郎の揚巻で昨年観たが、さすが歌舞伎十八番となると

口上からして古き良き時代の歌舞伎を思わせ、十八番の重みや伝統芸能

神聖さを感じる。團十郎家でしか使われない河東節の存在もあり、素人の

方が奏でるという江戸庶民の文化だったことをうかがわせる。幕開けの

子供たちのシャンシャンと露払い?や「洒落た奴だ」という今に通じる台詞

なども関心した。団菊祭らしい細部まで至る配役に驚かされた。

團十郎助六は貫禄あって力強い。お家芸とあり悪態などの台詞が軽快で

テンポよく胸がすく。雀右衛門の揚巻は絵から出てきたような美しさと

品格がある。助六への一途さも伝わる。左團次の意休は前回急病で代役と

なり初めて観た。憎らしさ・ふてぶてしさがあって意休にぴったり。

羽左衛門の門兵衛は福山のかつぎや助六との掛け合いが楽しく存在感ある。

宗十郎の白酒売は柔らかくお茶目でかわいらしい、ややおふざけもあるが、

この方ならでは。父を横に懸命な芝雀の白玉、羽左衛門を相手に堂々と

している新之助の福山のかつぎ、十蔵の田舎侍はお父様の当たり役を継ぐ。

松助の通人は可笑しい(使い捨てカメラ、ポール牧、香水・トレンディ・

バブル崩壊・コードレス電話・相撲ネタ・きんさんぎんさんほかギャグ)

正之助の朝顔は台詞の語尾が楽しい、お父様羽左衛門とのコンビも驚く。

田之助の満江は母らしい重みがある。

助六が白酒売の兄に喧嘩を教えるところの「これまたなんのこってえ」

という台詞や、揚巻と意休との三つ巴の見得など見せ場が多く、改めて

何度見ても飽きない演目と感じた。

 

(所感)

夜の部は菊五郎さんが出演されず、白酒売とかで出演してほしかったと

感じた。一階の最後列で観たようで、熊谷の引っ込みや助六の出端など

観れて良かったと当時の感想にある。

羽左衛門雀右衛門、先々代三津五郎権十郎宗十郎に次ぐ團十郎

幸四郎時蔵、八十助(先代三津五郎)などまだ働き盛りだったと思う。

この時はわかっていないが、三津五郎、八十助の踊りを観ていることは

それも親子共演で観ていることは貴重だろう。

新之助海老蔵)や丑之助(菊之助)もまだ10代だった。

2020.5.5

平成4(1992)年4月25日

中村福助改め四代目中村梅玉 中村児太郎改め九代目中村福助襲名披露 

四月大歌舞伎

歌舞伎座 昼の部 三階B席 わー21 夜の部 幕見席通し券

昼の部

(一、双蝶々曲輪日記 角力場)

二、保名

三、祇園祭礼信仰記 金閣寺

四、戻駕色相肩

夜の部

一、絵本太功記 尼ケ崎閑居の場

二、中村梅玉 中村福助 襲名披露口上

三、伊勢音頭恋寝刃

四、京鹿子娘道成寺 道行から鐘入りまで

 

昼の部 

二、保名  保名:芝翫 清元志寿太夫出演

♪君を失うと僕の全ては止まる~というチャゲ&飛鳥の「WALK」の

歌詞一部が頭をよぎる。まさに保名はこの歌詞にあてはまる。

衣を恋人にみたて、かつての二人の姿を物語るところや衣を見失い

探し回って見つける姿は失って全てが止まり希望も何もかもなくなって

しまった男の姿があった。自分も親し女友達が事故で亡くなった時の

ことを思い出し目頭が熱くなった。

芝翫の踊りと志寿太夫の悲しい声そして菜の花だけと夕日の照明だけの

保名の心を表す舞台背景と胸が切なくなった。

 

三、金閣寺

此下東吉:福助改め梅玉 雪姫:児太郎改め福助 

松永大膳:羽左衛門 慶寿尼:歌右衛門 佐藤正清:吉右衛門 

狩野介直信:宗十郎 鬼藤太:我當ほか

 

ストーリーはやや難解で難しいが、とても華やかな襲名披露だった。

特に雪姫が桜が散る中さまよう姿は歌舞伎ならではの美しさで圧倒した。

福助の雪姫はとても綺麗で品があり本当にこの方は男なのかと思うほど

不思議であった。出の寂しげな表情とライトアップの効果がよく美しさ

漂い見取れた(ウットリ)。八つ橋に引き続き、桜散る中の雪姫も

忘れられない舞台となり、これからますますのっていってほしい。

梅玉の東吉も役にぴったりで、姿・知的な面ざしと備わり格好良く

まさに知将であった。僅かな出ながら存在が大きい歌右衛門の慶寿尼、

憎らしさと力強さで圧倒の羽左衛門の大膳(吉右衛門にやってほしかった)、

その他ごちそうの吉右衛門我當宗十郎と大舞台だった。

 

四.戻駕

浪花の次郎作:富十郎 吾妻の与四郎:鴈治郎 禿たより:勘九郎

舞踊はわからないが、見ていてとても華やか。赤ッ面にやや怪しげな

衣装の次郎作、白塗りでブルーで統一されて清楚な衣裳である与四郎、

そしてかわいらしい禿と姿と色に思わず関心した。

禿が傾城になって、次郎作と与四郎が口説くところは色気あったり

二人の本性がわかってからの立ち回りとおおらかであった。

勘九郎の禿がかわいらしい。やはりこの方が出てくると自然に舞台は

華やかになる聞いていた富十郎鴈治郎の名コンビの踊りっぷりも

堪能した。

 

夜の部

一、太十

武智光秀:吉右衛門 武智十次郎:鴈治郎 初菊:松江 

操:芝翫 久吉:富十郎 皐月:又五郎ほか

 

 ストーリーが難しかったが、光秀の謀反から招かれる悲劇はつらく

切ない。モデルの明智光秀は三日天下とかどうしても英雄のイメージは

ないが、歌舞伎の世界だと耐える人哀しい人というイメージになる。

リアルでありながら実は嘘というように思えない印象をもった。

 吉右衛門の光秀は特に十次郎が戦いの様子を語るところでじっと耐えて

いる姿が印象的だった。親という立場ながら耐えなければならない宿命が

伝わってくる。鴈治郎の十次郎は前髪が似合い若々しい。芝翫の操は

十次郎の思いと夫光秀への恨みに近い気持ちが伝わる。松江の初菊は

十次郎を失う悲しみが切ない。又五郎の皐月は貴重な老け役。富十郎

久吉は目つきが鋭く凛々しい。適材な配役で観た収穫大きい。

 

二.梅玉福助襲名披露口上

歌右衛門梅幸富十郎勘九郎我當田之助宗十郎仁左衛門

羽左衛門又五郎東蔵~玉太郎~橋之助~松江~吉右衛門鴈治郎

芝翫梅玉福助歌右衛門(口上順)

仁左衛門の駆け付けに大感激。勘九郎と列座も華やか。

東蔵・玉太郎・橋之助の「列座できて喜ばしい」の一言だけと、

松江の男声に驚く。

 

三、伊勢音頭恋寝刃

福岡貢:梅玉 お紺:梅幸 万野:歌右衛門 

喜助:吉右衛門 お鹿:富十郎 萬次郎:鴈治郎 

お岸:田之助 千野:東蔵ほか

 

 團十郎の貢、歌右衛門のお紺、羽左衛門の喜助、芝翫の万野と

初めて見た時もすごかったが、襲名とあって、今回すごい。

何といっても歌右衛門の万野が見られるとは思わず。「お帰りィ」の

台詞や貢の顔にキセルの煙をふきかける、お鹿との間に入って戸惑う表情、

黒の着物も似合い圧巻であった。梅玉の貢は姿・器量が似合い、

台詞も柔らかく、身分的に力がないお役も伝わり、お紺からの愛想尽かしで

怒るところからもうこれまでと殺しに走ってしまう姿も印象的。梅幸のお紺は

耐えている姿や愛想尽かしが印象に残る。吉右衛門の喜助は気さくな雰囲気で、

「なんも知らないで馬鹿め」と去っていく姿がいい。富十郎のお鹿もかわいく

悪態つくところは楽しい。貢に斬られる姿の表情も印象残る。東蔵の千野も

万野が出る前の雰囲気作りがいい。田之助のお岸も貢を抑える姿に情がある。

血なまぐさい狂言を襲名に持ってくるのはいかなものかとも考えたり。

 

四.京鹿子娘道成寺 

白拍子花子:福助  所化:智太郎、橋之助、玉太郎、浩太郎ほか

 一日ずっと観ていたので、ボーと観てしまったが、雪姫同様、きれいな

白拍子がなぜ蛇の化身なのかと思ったり。烏帽子姿や引き抜きによって変わる

姿が新鮮で初々しい。

 所化の智太郎の舞の講釈より「今日で千秋楽、連日大入りで他の劇場は

てんてこまい」がめでたい。

 

一日通しで観て、金閣寺・戻駕・太十と久吉の芝居が三つもあったこと、

襲名らしい大芝居多い華やかさ。

夜の部で大向こうさんの自慢話がやや気を悪くする。

 

(所感)

 きしくも28年前の今日の姿を回顧することから記述が始まった。 

 この日の帰りのマリオンの電光表示で尾崎豊の死去のニュースを見たことが

印象に残る。ということは、尾崎豊が亡くなって28年も経つのか。

 昼の一番は確か歯医者で遅れた。就職して初めての歌舞伎見物、慎重に

なってチケットを取っていなかった。昼夜通しも初めてだったかもしれない。

 襲名らしく華やかな演目と配役であった。

 働き始めて、週末の銀座は、僕の遊び場へなっていく。2020.4.25