いったい遠山先生は何カ国語に通じていたのだろう。
英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語の本を買い込んで
自在に読んでいる様子なのだ。
『遠山啓著作集別巻1/日記抄+総索引』(1983)を読む。
- 作者: 遠山啓
- 出版社/メーカー: 太郎次郎社エディタス
- 発売日: 1983/10
- メディア: 単行本
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遠山先生は僕が敬愛する数学者である。
先生の『無限と連続』『数学入門(上・下)』を
高校時代、岩波新書で読んで知的興奮を覚えた。
先生と矢野健太郎先生編集「数学セミナー」は
なかなか理解は追い付かなかったが憧れの月刊誌だった。
- 作者: 遠山啓
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1952/05/10
- メディア: 新書
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- 作者: 遠山啓
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1959/11/17
- メディア: 新書
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本書は数学論シリーズ全8巻、数学教育論シリーズ全14巻、
教育論シリーズ全5巻の計27巻の遠山啓著作集の2冊の別巻の1冊。
簡潔な日記の記述に先生が考えたこと、行動がうかがえる。
「年譜」のある箇所に目が止まった。
1929年(昭和4年、20歳)、東京帝国大学・数学科に進学したが、
2年ほど通学して退学。浪人生活。
哲学書・文学書を濫読し、数学から遠のく。
その後、ワイルの『群論と量子力学』を読み、衝撃を受ける。
1935年(昭和10年、26歳)、東北帝国大学・数学科に再入学。
二・二六事件、日中事変がおきる。
暗い時代、将棋をさしていた。
(p.271)
22歳から26歳までの先生の浪人生活が
その後の数学教育論、教育論につながっていったのかなぁ
と想像してみる。
英語学者・斎藤秀三郎の著作との出会いも興味を惹かれた。
47.3.28<火>(62歳)
(引用者注:最初の数字は昭和年号。以下同)
(略)
語学は好きだった。知的興味。
会話への興味はなく、チャンスもなかった。
中学時代、文法への興味(斎藤秀三郎の文法書)。
(p.52)
54.4.7<土>(69歳)
(略)
新宿紀伊国屋の地下で夕食。
斎藤秀三郎の英和中辞典と
DudleyのElementary number theoryを買う。
(p.215)
- 作者: 斎藤秀三郎,豊田実
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1955
- メディア: ?
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(先生が購入したのはもっと新しい版だったろう)
54.4.12<木>(69歳)
(略)
紀伊国屋で斎藤「和英辞典」(9800円)を買う。
(p.216)
先生は1979年(昭和54年)9月11日逝去。
享年70歳。
亡くなる5ヶ月前にも斎藤秀三郎の辞書2冊を買い、
勉強を続け、教材を準備していた。
(文中一部敬称略)