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2016-01-19

[] フランツ・ウェルザー=メスト指揮クリーヴランド管弦楽団ショスタコーヴィチ交響曲第4番

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2016年1月17日(日)7:00PM開演 @カーネギーホール

The Cleveland Orchestra conducted by Franz Welser-Möst

PROGRAM:

Hans Abrahamsen - let me tell you (NY Premiere) by Barbara Hannigan (soprano)

Shostakovich - Symphony No. 4


クリーヴランド管のライブ公演を聴くのは、昨年7月にリンカーンセンターのエイヴリー・フィッシャー・ホールで、ベートーヴェンの「田園」をフランツ・ウェルザー=メスト指揮で聴いた時以来の二度目。今回は、特に響きの良いカーネギーホールでの公演だったので、このオーケストラ独特のクリーンな響きの美しさを堪能できたように思う。その公演の感想を2回に分けてTwitterで連続投稿したものを、記録として以下に転載します。

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1月17日(日)


クリーヴランド管、 何てすごいオーケストラなのだろう。カーネギーホールがこんな清浄な空気に包まれたことはない。先日他界したピエール・ブーレーズに捧げられたという今日の公演。もしブーレーズショスタコーヴィチを指揮していたら、こんな演奏だったかもしれないと思わせる透明感と凄みのある演奏だった。どちらの曲も演奏が終わった後、ウェルザー=メストがそのままの姿勢で指揮棒を15秒くらい下ろさず、ブーレーズへの思いをその場にいた全員で共有するように、沈黙の中でじっと静止していた。今までにカーネギーホールで体験した、最も深く濃い沈黙の時間だった。


(・・・と、帰宅途中のプラットホームでここまでツィートして、あまりにも興奮していたので思わず逆方向の地下鉄に乗ってしまいそうになり、慌てて気づく。帰りに逆方向の地下鉄に乗ってしまいそうなほど感動したコンサートは、昨年6月のサンクトペテルブルク・フィルのショスタコーヴィチ5番を聴いた時以来。ショスタコーヴィチには、磁場を狂わすパワーがあるのか。以下は、帰宅後のツィートから。)


最初の演目、ハンス・エブラハムセンの新作「let me tell you」(NY初演)では、演奏後、割れるような拍手が長い間続いていた。菅と弦とソプラノが、同じ高音を出している時の、絹のような音色の驚くべき一体感。しんと静まり返ったホールに響く、高音ピアニッシモのヴァイオリンの合奏部では、柔らかな質感の透明な衣が優雅に舞いながらホールの空間に広がり、客席を包み込んでいくような、この世のものとは思えない妖艶な、それでいて清らかな美を醸し出していた。

バーバラ・ハンニガンのソプラノの濁りのない澄んだ歌声と、ヴァイオリンやフルートの高音の柔かな響きが、どちらが声でどちらが楽器の音がわからないほどの均一な質感と同じ繊細なニュアンスでひとつに溶け合っている。普段はメインの前の前菜のようにあっさり聴かれがちな現代作曲家の作品で、これだけ会場が静まり返り、広いホールが濃密な空気で満たされ、最後に割れるような拍手喝采で観客が沸いたのを見たのは初めてだった。翌日の「NYタイムズ」紙の評でも、この時の観客の反応のことが特筆されていた。

現代音楽曲の新作の指揮で大きな拍手喝采を浴びるのは、通常はヴァーチュオーゾと呼ばれる巨匠指揮者だけだが、日曜のカーネギーホールでは、クリーヴランド管を指揮したフランツ・ウェルザー=メストが、ハンス・エブラハムセンの新作「let me tell you」のニューヨーク初演の後に、まさにその拍手喝采を浴びていた。(NYタイムズ紙 1/18/2016)


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次のショスタコーヴィチ交響曲第4番では、エブラハムセンの作品の演奏とは打って変わって、冒頭から水しぶきをあげて突き進むような鮮烈で切れの良い音で始まった。作曲の構造の隅々まで見えてきそうな理知的で精緻な演奏なのに、冷たさは全く感じさせず、澄み切った明晰な音の連なりや重なりの奥に、生き生きとした躍動感と力強い生命力を感じさせる演奏だ。

一つ一つの楽器の音の分離は驚くほどクリアなのに、オケ全体の音色が一つの線となって進んでいくような一体感がある。一本の細い弦の音色かと思ったら、弦楽器全員で演奏しているのを見て驚くことも何度かあった。金管からハープのソロへ、そして弦の合奏へと、違う楽器間でパートが受け継がれていく所も、あたかも一本の線上を流れていくように、音質の違う楽器でありながら同じ音圧で継ぎ目なく繋がっていく。誰がどの音を出しているのか、近くで見ていてもわからないくらい均一な音で、誰一人突出することがない。

昨年リンカーンセンターでクリーヴランド管のベートーヴェン「田園」を聴いた時は、音響の悪いとされるエイヴリー・フィッシャー・ホールで、しかもステージからかなり遠い席だったにも関わらず、今日と同じようなオーケストラの音色の統一感と透明な空気感、弱音の繊細なニュアンスまでもがリアルに伝わってくるのに驚いた。

今回は、ステージのほぼ左真上から見下ろすような席だったので、演奏の直接音がよく聴こえ、オーケストラの奏者一人一人の動きがよく見えたのも良かった。このオーケストラは、楽器の音色の一体感だけでなく、弓の動きなど奏者の動きまでもがぴたりと統一されているのが凄い。渡り鳥の群れが美しい編成の形を自在に変えながら優雅に飛行していくかのように、ひとつになって演奏するクリーヴランド管弦楽団。それを導くウェルザー=メストが、神のように見えた。オケ全体のチューニングと各楽器の音程がぴたりと正確に合い、最も純度の高い濁りのない音色で演奏されると、これほどまできれいにホールの隅々まで音が届くものなのか。ブーレーズが作り上げようとしていたオーケストラの音の世界というのは、こういうものだったのかもしれない。

今日のクリーヴランド管の演奏の、全く濁りのないピュアな響きの純度は、ブーレーズとクリーヴランド管のマーラーストラヴィンスキーベルリオーズのCDを聴いた時の音と同じ印象だった。数本の光の線が平行して進み、近づき、重なり合い、遠ざかっていくのを眺めているような、透明な音の層の美しさ。弦の合奏や管の合奏の時に、何本もの透き通った光の柱が並んで立ち昇っていくのを天から眺めているようなあの美しさは、ちょっと通常はカーネギーホールでも体験できない現実離れした世界だった。クリーヴランド管、何というオーケストラだろう。

あれだけ近い席で聴くと、オケによっては金管の音などが響きすぎて耳に痛いことがあるのだけど、クリーヴランド管は、打楽器総動員でシンバル鳴り響き状態の大音量で演奏していても、音が塊になってぶつかってくる感じは全くなく、迫力は十分あるのに風通しの良い音が抜けていくという清涼感があった。低弦やファゴットコントラバスバスドラムなどの低音も、濁りがなく、分離の良さと切れの良さに驚いた。

冒頭の写真は、ショスタコーヴィチ4番の終演後、4度目のカーテンコールの後のウェルザー=メストとクリーヴランド管。この後も長い間、拍手が鳴り止まなかった。


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1月18日(月)


昨夜は、クリーヴランド管の演奏の凄さに圧倒されて、興奮のあまり帰宅途中から始めた連投ツィートの後、9時間も熟睡してしまった。昨日はクリーヴランド管の演奏の印象について主に語ったので、今日はショスタコーヴィチ交響曲4番という曲について思ったことなどをつらつらと。

この4番という曲は、他の指揮者とオーケストラのCDで聴いた時には、あちこちに飛ぶ曲調の変化と、繋がりの唐突さに戸惑って、途中で気が散ってしまうことがあったけれど、クリーヴランド管の昨夜の演奏は、一瞬たりともゆるみのない緊張感と流れの自然な美しさに引き込まれて、冒頭から終わりまで耳が釘付けになった。

ショスタコーヴィチの交響曲第4番は、5番以降の交響曲に比べると、政治的な要素や恐怖などの心理的な要素がそれほど強く現れていないので、「交響曲」というものの構成の面白さを純粋に楽しめる曲なのだなと、昨日のクリーヴランド管の演奏を聴いていて思った。まさに交響曲(響きが交わる曲)の異なる楽器の音の層が生む響きや、その響きが与える純粋な音響的効果、そして楽器から楽器へと音の響きが受け継がれていく時の流れの妙など、音そのものの響きの美しさを楽しめる曲だ。そして各楽器の響きの純度が高ければ高いほど、オーケストラ全体のチューニングと演奏者の音がぴたりと揃えば揃うほど、その効果を大きく感じられる、聴きどころが満載の曲だと思う。

そうしたショスタコーヴィチ4番の魅力でもある複雑な音の重なりや連なりが生む構造の美しさを、あたかも澄んだ水底をのぞき込んでいるかのような透明度と明晰さで見事に見せて(聴かせて)くれたのが、昨夜のカーネギーホールでのウェルザー=メストとクリーヴランド管の演奏だったと思う。

ショスタコーヴィチの交響曲の魅力は、和音や倍音が生む水彩画や油絵のような色合いの滲みの美とは違い、ロシアの構造主義美術のような、幾何学的な図形や線が各々に純度の高い形や色の違いを際立たせつつ、清廉と澄み切った空気の中で全体としての見事な調和を保っている、そんな音楽だと思う。そこでは、幾何学的な線や図形の接点に曖昧な滲みは生まれず、純然とした分離感を保ったまま、すっきりした全体の構図の中で完璧なダイナミクスのバランスが保たれている。ウェルザー=メストとクリーヴランド管は、まさに、そうしたショスタコーヴィチの構造主義的な美しさを見事に体現していた。

そして、第2楽章までの機械的なリズムとテンポで緊張感溢れる演奏を繰り広げた後、第3楽章でパロディ的に挿入されるシュトラウスのワルツの一節を振る時の、ウェルザー=メストの指揮の優雅なことと言ったら。ウェルザー=メストの指揮のエレガントな側面が、きらりと光ったような瞬間だった。

昨年、同じカーネギーホールで聴いたサンクトペテルブルク・フィルの5番は、ショスタコーヴィチが当時のスターリン粛清下で、人間として芸術家として、ぎりぎりのところまで追い詰められた崖っぷちの精神状態の中に立ちながらも、最後まで譲れなかった人間としての尊厳と美への執着、逆境と批判と悲痛の中で精神が切り刻まれ自信を失いそうになりながらも、自分が創り出す作品の価値を信じる気持ちを失わなかったという凄みが、じわじわと伝わってくるような名演だった。一方、今回のクリーヴランド管の4番は、ショスタコーヴィチが純粋な交響曲の作曲に徹底して取り組んだ、その凄まじい「美への執着」が、ありありと伝わってくるような演奏だった。スコアの奥にあるショスタコーヴィチの美意識を、濁りのない明晰な視線で見据えて表現したウェルザー=メストはやはりすごい。

昨日の公演をブーレーズに捧げるというのは、おそらく後から決まったことなのだと思うけれど、それでもその気持ちが指揮者と楽団員一人一人の心にあったのか、実際にブーレーズの指揮の氷のようにシャープな明晰さと透過度を思わせる演奏だった。じっと耳を澄ませると、クリーヴランド管の団員たちが、皆ブーレーズのことを思いながら演奏しているのが伝わってくるような気がした。そして、演奏が終わった後の15秒あまりの黙祷の静寂の中では、それまで聴いていた演奏が、ゆっくりと深く観客の心の中に刻み付けられていくような気がした。

このクリーヴランド管のショスタコーヴィチ交響曲第4番の演奏の明晰さと透明度は、あたかも全身が光のシャワー(時には光の洪水)に包まれるような、カーネギーホールでもめったに得られない体験だった。いつかCDでも聴いてみたいので、ぜひどこか条件の良いホールで録音してほしい。(カーネギーホールは観客の咳き込みの音がひどいので、録音しても編集が難しそうですが…。)


* * * * *


余談ですが、カーネギーホールもようやく入口でのセキュリティーチェック(金属探知器とバッグの中身検査)が始まったようです。今まではあまりにも無防備で、チケットさえ持っていれば誰でも入れるのは危ないなあと思っていたので、良かったです。


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それにしても、あのクリーヴランド管の、時として楽器の音とは思えない、光の洪水のごとくステージから発散されて聴覚とは違う感覚に飛び込んでくるような音は一体何なのだろう。特に、ヴァイオリンや金管の合奏部。ボストン響だったら、あくまでも楽器の集合体の音として聴こえてきそうなのだけど。時間が経った後にも、演奏の響きがいつまでも聴覚だけでなく視覚にも焼きついて残っているような、不思議な印象があった。

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【追記】1/19/2016

CD: Shostakovich: Symphony No. 4(Bernard Haitink / Chicago Symphony Orchestra)

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一昨日のクリーヴランド管の演奏を聴いて、ショスタコーヴィチ4番にすっかりはまってしまったので、ハイティンクとシカゴ響の盤をSpotifyで聴いている。すっきりした明瞭さで交響曲の純粋な響きを味わえる点や、大音量のパートが悲鳴や慟哭にならずに、澄んだ光のシャワーを浴びるような清々しさで聴ける点が似ているかも。これも4番の名演と呼ばれているそうですね。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/2755711

http://www.amazon.com/dp/B001BBSE6Y/ref=cm_sw_r_tw_dp_4SCNwb1M46451

2015-09-27

[] マイケル・ティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ交響楽団マーラー交響曲第2番「復活」

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Michael Tilson Thomas & San Francisco Symphony - Mahler Symphony No. 2


マイケル・ティルソン・トーマス(MTT)指揮サンフランシスコ交響楽団マーラー交響曲第2番「復活」のハイレゾ音源をネットで入手したので、聴いてみた。これが実は大当たりのマーラー2番だった。

全体にゆったりしたテンポで、録音の音質も鮮明、澄み切った空気の中で展開する、譜面の細部が見えてきそうな見通しの良い演奏だ。ハイレゾということもあり、音の分離と空間の広がりが素晴らしく良い。音量をやや高めにして聴くと、楽器の音がクリアに分離したままどこまでも伸びていく感じで、ちょっと恐ろしいほどの迫力が出る。弱音部はこれ以上繊細に表現しようがないのではというほどに細く優しく柔らかく、強音部ではティンパニバスドラムや低弦の音が、風通しの良いすっきりした質感を保ちつつ、これ以上の凄みは出せないのではというほどの低音の沈み込みの深さと迫力を生む。弱音から強音までのダイナミックレンジの広さは、他に類を見ないほどクリアにバランスよく録音に捉えられている。底の見えない深い湖に巨大な塊がゆっくりと沈んでいくような低音の響きは、その後に続く深い沈黙を浮き上がらせる。

明快な音色で曲の隅々にまで光を当てるような透明度、楽器の音の切れの良さと濁りのない音、緻密に構成されたオーケストラの音の調和とバランスの取り方に、ティルソン・トーマスの極めて繊細な感性と突き抜けた美意識の高さを感じる。走り過ぎず、熱くなりすぎず、それでも決して淡白に冷徹になることはなく、マーラーの音楽への純粋な感動がその視線の奥にはある。第1楽章の最後の5分間の美しさと独特のリズムが生み出す緊迫感、漆黒の闇を思わせる沈黙の中に低弦の響きがゆっくりと傾れ込むように降りていく迫力は絶品だ。

第5楽章が特に素晴らしい。時には優雅な舞踏を思わせる洗練されたリズムで、時には地の底を真っ直ぐにのぞき込むような決然としたダイレクトな視線で、この音楽の終盤の、オーケストラの音と声楽のパートが明暗の光と影を揺らしながら一つになり、透明な天上の祈りへと静かにダイナミックに昇っていく様を、壮大なスケールで緻密に優雅に描いていく。第5楽章の中盤の、ティンパニの連打が静かに始まり急速に膨らんでいくところなどは、嵐が来るのかと思わせるような、スピーカーから地響きのごとく静かに迫り来る低音の凄みに圧倒される。このティルソン・トーマスの第5楽章を聴くと、この最終楽章の構成の美しさが3D映像のような立体感を帯びて浮かび上がってくるような気がする。

冒頭の一音から最後の一音まで、一寸の弛みもなく、透明な哀しみを含んだ大人の歌心が貫いている。音のため方や流し方、緩急と強弱の付け方が呼吸をするように自然なので、途中で飽きることがない。聴き始めると、歌うように滑らかな曲の流れと、美しく大胆に表情を変えていくオーケストラの演奏の機微に引き込まれて、つい最後まで聴いてしまう。聴き終わるたびに、その演奏の完成度の高さ(と録音の素晴らしさ)に、思わずスピーカーに向かって拍手をしたい衝動に駆られる。最後の音が消えた後に部屋に広がる静寂は、まさにコンサートホールでオーケストラの名演の迫力に圧倒された直後に感じる、あの一瞬の深い沈黙と同じだ。感情移入するのではなく、一貫して冷静な澄んだ視線でマーラーの曲構造を見つめつつ、その壮大な音楽美に深く心を打たれているティルソン・トーマスの感動が伝わってくるようだ。

この盤は、「Mostly Classic」のバックナンバーの2011年のマーラー特集(デジタル版)で、山ノ内正氏が優秀録音盤の1枚として推薦していた盤(SACD)なのだけど、私のニアフィールド・リスニング環境で聴いてもこれほどの感動があるのだから、もっと本格的なオーディオ装置で(大音量で)聴いたら、爆風に飛ばされるくらい感動しそうだ。できればハイエンドのパワフルなオーディオ機器で、誰にも気兼ねなく、ゆっくりじっくり聴いてみたいと思わせる名盤だ。


マーラー:交響曲第2番ハ短調『復活』

イサベル・バイラクダリアン (S)

ロレーン・ハント・リーバーソン (Ms)

サンフランシスコ交響楽団&合唱団

ヴァンス・ジョージ (合唱指揮)

マイケル・ティルソン・トーマス (指揮)

録音:2004年6月(デジタル)

場所:サンフランシスコ、デイヴィス・シンフォニー・ホール


<参考>

ハイレゾ音源販売サイト「HDTracks」のティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ響のマーラー交響曲第2番(24bit/96kHz)

米国AmazonのSACD

Spotifyのティルソン・トーマス指揮サンフランシスコ響のマーラー交響曲第2番

HMVのサイトの日本語の解説とレビュー

2015-06-07

[] 揺らぎのある音楽


10年ほど前になるけれど、四谷のジャズ喫茶「いーぐる」で、「揺らぎのある音楽」というテーマの音楽講演を行ったことがある。講演といっても、テーマに沿って選んだ曲をかけて、それぞれの曲に対する個人的な見地からの解説を沿える…というだけのもので、あまりたいした話はしていなかったような気がする。曲の選択も、まだそれほど幅広く音楽を知っていたわけではないので、ジャズやミニマルな実験音楽からの選択のみで、今思うと恥ずかしくなるような狭いラインナップだった。ただ一つ、その頃個人的に強く心を奪われていたのは、ある種の音楽がふとした瞬間に見せる「揺らぎ」というものだった。

その当時も、自分がなぜ「揺らぎ」というものにそれほど強く惹かれるのかわからなかった。そして「揺らぎ」というのが、具体的に一体音楽のどんな現象を指すのかも十分にはわかっていなかった。ただ、時間の経過と共に、ある音楽的な規則に基づいて発展していく(と思われる)音楽の中で、ふと気づくか気づかないかの微かな変化が起きて、音楽のバランスがぐらっと傾くような気がする瞬間がある。それは、気づくか気づかないかの微妙なレベルでの、ふとした声の「ぶれ」であったり、小さな音量で真っ直ぐに伸びていく音が微かに揺れる(ような気がする)瞬間だったり、和音の中に未知のトーンが隠れているのを聴き取った瞬間だったりした。どの変化も、あたかもミクロの世界で起きている小さな出来事のように、簡単に聞き逃してしまいそうな微妙な変化なのだけれど、私にとって音楽が揺らぐその瞬間は、思いがけずブラックホールに遭遇したかのような、自分が立っている現実の世界が微かにフェードアウトしかけるような、軽いめまいを起こさせる強烈な(そして心を魅了する)体験だった。それは、もしかしたら、今まで体験したことのない、初めて聴いた「音の動き」とでも表現できるかもしれない。あるいは、それは実際の音の動きではなく、その瞬間にその音楽が含んでいた要素の何かが(あるいは複数の要素が重なって)、聴き手(私)の想像力の中に、揺らぎのような印象を錯覚として与えたのかもしれない。ただ一つだけ、わかっていたことは、その音楽を何度聴き直しても、やはりその「揺らぎ」はいつもそこにあったということだった。

あの頃、いくつかの音楽の中におぼろげに感じていた「揺らぎ」というのが一体何だったのか、マイケル・ピサロの音楽(特に「an unrhymed chord」や「Harmony Series 11-16」)を聴くようになってから、より明確に見えてきたような気がする。音楽の中に感じ取る「揺らぎ」とは、未知の体験と結びついているのではないかと思う。たとえば、1の次は2、2の次は3…というように、一定の規則に従って流れていくはずの線上に、ぼんやりと「1+1/2」のような数字が半透明に現れたり、3の次に来るべき数字が消えかかっていたり…というように、何か意外なことが起きて、脳に組み込まれている既存の現実感覚を揺るがす瞬間に、脳は「揺らぎ」を知覚するのではないだろうか。

静かな音同士の倍音の共鳴が、音楽に魔法をかけるかのように現実の音の揺れを生み出すと同時に、そこに未知の時空(現実とは微かにずれた場所)への入り口が見えるような気がする瞬間。それは、あたかも印刷された文字の行と行の間に、何か「そこにはないはず」の文字列が浮き上がってくるかのように、聴き手の想像力をアクティブにする。それまで無意識のうちに「予測任せ」になっていた、音楽のあるべき流れを追うだけだった受動的な脳が、初めて能動的に動き出し、そこにあるかもしれない「隠れた何か」を探ろうとするかのごとく、積極的に耳を澄ませ始める。そういう瞬間を生み出す音楽というのが、「揺らぎのある音楽」の正体なのかもしれない。



Music with Fluctuations


About ten years ago, I talked about 'music with fluctuations' at one of the lecture series held every Saturday at a jazz cafe in Tokyo, where music writers and critics gave small lectures each week while playing some music (mostly jazz) under certain themes they chose. For my turn, I decided to do a personal interpretation of the music I was especially interested in at the time rather than a formal lecture. Also, since I had not yet been exposed to a wide range of music back then, my choices of music were embarrassingly narrow - some from contemporary jazz, some from minimal electronics. But one thing I particularly remember is that I was strongly fascinated with something like ‘fluctuations’, which I found in some of the music.

In those days, I was not able to explain why I was so strongly attracted by 'fluctuations' in music, and did not fully grasp exactly what kind of musical phenomena caused the fluctuations. I just noticed that in the process of some music developing (supposedly) under a certain frame of the music along with the flow of time, sometimes there was a moment when a subtle change appeared like a waver and stirred the music as if the music were almost going slightly off balance. Sometimes it was a little tremor of a voice, or a moment when a soft sustained electronics sound started slightly wavering, or a moment when I thought I perceived a hidden unexpected tone under the present chord. Those changes were almost unrecognizably subtle like small events happening in a micro world, and seemed to be missed easily with casual listens. But for me, they created a vivid (and fascinating) moment as if I were falling into a black hole or the reality was fading out in front of me for a moment, which almost caused me a light dizziness. What I perceived then could be some 'sound movement’ that I had never experienced before. Or it may not have been an actual sound movement; instead it could have been just an impression in my imagination via some particular element (or some combination of multiple elements) that had somehow brought the images of fluctuations into my brain.

These images of fluctuations in music, which I had only faintly sensed in those days, are now much clearer to me since I started listening to Michael Pisaro's music (especially 'an unrhymed chord' and 'harmony series 11-16'). The fluctuations I perceived in the music, I now think, seem to be connected with ‘the unknown’. For example, if there is a straight line on which regular numbers are supposed to appear one after another like '1' followed by '2' then by '3'. But if some unexpected number like '1+1/2' appears as a half-translucent image between numbers, or if the number supposed to follow '3' is somehow almost invisible, our established sense of reality is momentarily shaken with the unexpected event - and this must be the moment when we experience a 'fluctuation'.

Along with the subtle resonances of the harmonic overtones that bring actual wavers in the flow of the sounds - just like magic, the moment when our established sense of reality is challenged, could be when we see the entrance to the unknown time and space (which is slightly away from reality). This experience activates the listener's imagination - just like some invisible sentence seems to emerge in between printed lines of sentences on a paper if imagination is involved. When a listener encounters these fluctuations in the music, his/her brain which used to rely on predictions unconsciously and just follow the flow of the music (reality) passively before, suddenly starts working actively for the first time – then the listener starts listening to the music more carefully, trying to explore something which may be hidden under the music (and silence) beyond the actual sounds and silences.



2015-03-29

[] ブラームスの交響曲とウィーンの森

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ブラームスの交響曲の美しさと深さには、自分自身の精神構造と美意識にとても近いものを感じることがある。朝起きた時に、美味しいコーヒーを一杯飲みたくなるように、ブラームスの交響曲第3番(ギュンター・ヴァントとNDR交響楽団の演奏)を無性に聴きたくなったりする。ドイツのオーケストラと言えば、コリン・デイヴィスとバイエルン放送響の第3番はどんな演奏だったっけなと思って、それも聴いてみたりする。ついでにその勢いに乗って、ショルティとシカゴ響のブラームス交響曲第4番と、クライバーウィーンフィルの第4番の演奏を通しでかけて聴き比べてみたりする。クライバーウィーンフィルの演奏に感動しつつも、でもやっぱり私はギュンター・ヴァントとNDR交響楽団ブラームスが一番好きだなあ…としみじみ思って、ふと時計を見ると、午後になっていたりする。ブラームスの交響曲を4つの違うオーケストラの演奏で聴いてから一日が始まるという濃い生活を、このところ送っている。

ブラームスという人はウィーンの森を散策するのが好きだったらしいけれど、もしこの人が生きていたら、一緒にウィーンの森を散策したかったなあ、と思う。ウィーンの森というのは、独特の静けさと深い沈思的な温かい空気がしっとりと入り混じっていて、森だというのに明るい開放感も感じられて、初めて訪れた時、まるで昔から知っていたような懐かしさに包まれたのを覚えている。Wienerwald(ヴィーナーヴァルト)という名前の響きも好きだった。それにしても、ブラームスのような作曲家の生真面目さと重さに安らぎを感じてしまうとは、私はつくづく19世紀的人間なんだなあ(重いよなあ)…と思う。

・・・などと考えながら、今はパット・メセニーの「Kin」を聴いている。この人の柔らかなギターの音色の背後に見え隠れする陰りと深みも、とても好きだ。


(photo from Wikipedia)

2015-01-25

[] 「内田光子モーツァルト ピアノ協奏曲第13番&第20番」DVD

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ピアニスト内田光子の弾き振りとカメラータ・ザルツブルグによる「モーツァルト ピアノ協奏曲第13番と第20番」のDVD。モーツァルトがこれらの曲に吹き込んだ「命」ともいえるエッセンスを、内田光子はつかみ取り、彼女自身の脈打つ魂を注ぎ込んで、生き生きと蘇らせる。まるで優れた写真家が、被写体の本質が垣間見える一瞬を切り取り、永遠に残る像として作品に残すように、内田光子モーツァルトを演奏する。その一瞬一瞬に、モーツァルトの音楽に感動する彼女自身の心の震え(それは痛みを伴うくらいに強く美しい感動)を、くっきりと刻み込みながら。カメラータ・ザルツブルグと彼女の息の合った演奏も素晴らしい。この演奏を一度聴いてしまうと、人生が変わってしまうような気がする。

2015-01-02

[] Toshiya Tsunoda / Manfred Werder 'detour'


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Since Toshiya Tsunoda / Manfred Werder 'detour' was released last year, several people asked us about the concept and the details of the collaboration work, so I posted some text that I wrote based on what Toshiya and Manfred told me about the piece.

On 'detour', Toshiya Tsunoda did all the recordings himself (except 10 minutes of the temple recording part done by Manfred), but it was done by Tsunoda keeping Manfred's involvement deeply in his mind, along with Werder's concept and score and using Werder's method.


They exchanged many lengthy, involved e-mails before meeting in person, discussing concepts and how their perspectives overlapped and didn't overlap. They spent some time together in Tokyo in the spring of 2014 before the production, to develop the concept further and the method of recordings by attempting some test recordings in Tokyo together. This earlier collaboration stage helped to structure the actual recordings later. So Werder's contribution in the piece was crucial even though he did not participate so much in the actual recordings.


Werder also told us, "The reason why I especially like this collaboration piece with Toshiya is because it was able to avoid the conventional risk that many of the collaboration works tend to fall into - something like just a patchwork of two or more musicians' materials. Our collaboration surely exists in the layers of the recordings, as well as in both realms of imagination and reality that could be evoked by those layers."


There are some parts on 'detour' (near the end) that sound like processed sounds, but they were all nature sounds and Tsunoda did not add any processing to this work. He set a stethoscope on the ground, which caught unexpected sounds (like insects' chirps) that were inaudible to human ears, which may sound like electronics in the piece (but there are no actual electronics in 'detour').

2014-12-28

[] My year-end lists for 2014 (best experimental music , best food, etc.)


MY TOP 20 RELEASES OF 2014 (updated 12/30)


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1) Jürg Frey - Pianist, Alone (performed by R. Andrew Lee) (Irritable Hedgehog)


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1) Michael Pisaro / Greg Stuart - Continuum Unbound (Gravity Wave)


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3) Jean-Luc Guionnet / Eric La Casa - Home: Handover (Potlatch)


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4) Toshiya Tsunoda / Manfred Werder - detour (Erstwhile)


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5) Jürg Frey / Radu Malfatti - II (Erstwhile)


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6) Utah Kawasaki - U As In Utah (ftarri/Improvised Music From Japan)


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7) Michael Pisaro / Matthew Sullivan - Split LP (Bánh Mì Verlag)


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8) Moniek Darge / Graham Lambkin - Indian Soundies (Kye)


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9) Matthew Revert - Not You (Kye LP)


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10) Michael Pisaro - White Metal (performed by Michael Pisaro / Miguel Prado) (Senufo LP)


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11) John Lely - The Harmonics of Real Strings (played by Anton Lukoszevieze) (Another Timbre)


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12) Kevin Drumm / Jason Lescalleet - The Abyss (Erstwhile)


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13) Matt Krefting - Lymph Est (Kye LP)


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14) Marc Baron - Hidden Tapes (Potlatch)


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15) Seth Cluett - Forms of Forgetting (Line)


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16) Taku Sugimoto - Quartet / Octet (Slubmusic Tengu)


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17) Michael Pisaro - White Metal (performed by Greg Stuart / Joe Panzner) (Dromos)


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18) Ryoko Akama / Bruno Duplant / Dominic Lash - next to nothing (Another Timbre)


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19) Vanessa Rossetto - Whole Stories (Kye LP)


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20) Phil Julian / Ben Owen - Between Landing (Auditory Field Theory/Authorised Version)


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20) West Coast Soundings (Editions Wandelweiser)

(w/ composers: Tashi Wada, Catherine Lamb, Michael Winter, Mark So, Chris Kallmyer, Laura Steenberge, Casey Anderson, Liam Mooney, Quentin Tolimieri, Scott Cazan, Michael Pisaro, James Tenney / performers: Frank Gratkowski, Lucia Mense, Anton Lukoszevieze, Seth Josel, hans w. koch)


BEST CD PACKAGE DESIGN OF 2014


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Michael Pisaro - black, white, red, green, blue (voyelles) (Winds Measure Recordings)



MY TOP 10 LIVE CONCERTS OF 2014


Reinier van Houdt, performed Michael Pisaro 'Fields Have Ears 1' (at Spectrum, NYC 3/25)


Dante Boon, performed Jürg Frey 'Sam Lazaro Bros' (at The Willow Place Auditorium, NYC 9/21)


Graham Lambkin / James Rushford (from KYE Showcase 2nd day at Issue Project Room, NYC 10/26)


Reinier van Houdt, performed Michael Pisaro 'Les Jours, Mon Aubépine - 24 capsules (2012)' (at Spectrum, NYC 9/6)


Moe Kamura / Taku Unami / Sean Meehan (at Fridman Gallery, NYC 4/21)


Jason Brogan, Jack Callahan, Tucker Dulin, Tim Feeney, Nick Hennies, Sam Sfirri, and Greg Stuart, performed Michael Pisaro's 'fragile being, hopeful becoming' (at Spectrum, NYC 5/11)


Kevin Drumm / Jason Lescalleet (at Trans-Pecos, NYC 9/4)


Devin DiSanto / Richard Kamerman (at Fridman Gallery, NYC 4/21)


Tucker Dulin / Ben Owen (at Fridman Gallery, NYC 4/21)


Matthew Revert / Vanessa Rossetto (from KYE Showcase 1st day at Issue Project Room, NYC 10/25)


MY FAVORITE YOUTUBE VIDEO OF 2014


Promotional video for Otomo Yoshihide Special Big Band album, featuring Sachiko M's piece 'Jimoto e Kaerou', choreography and dance herself (Sachiko M rules in this video.) Song by Kazumi Nikaido

https://www.youtube.com/watch?v=N5Ee9ig8zMs&feature=youtu.be


MY TOP 10 FOOD OF 2014


Thai-style Hainanese Chicken and Rice (Khao Man Gai), homemade inspired by Nirav Soni's fascinating detailed description of this dish from Eim Khao Mun Kai Elmhurst, Queens NYC


Rye Porridge Bread and Smoked Sprouted Rye Bread (recipes from Chad Robertson's Tartine Book No.3)


Sesame Sourdough Bread (adapted from Field Blend #2 recipe in Ken Forkish's Flour Water Salt Yeast)


Bread & Butter from Razza, Jersey City (= Best bread I had at restaurants in 2014)


Margherita Pizza from Porta, Jersey City (= Best Napoletana pizza I ever had in the US)


Lasagna from Raffetto’s, NYC (= My all-time favorite Italian dish in NYC)


Tokyo Shio Ramen from Ivan Ramen, NYC (= Best Tokyo-style ramen in NYC)


Saikyo Miso Marinated Grilled Cod Bento Box from Dainobu, NYC (= Best bento box in NYC)


Cupcakes from Cocoa Bakery, Jersey City (= Best cupcakes in NYC/NJ area)


Donuts from Dough, NYC (= Best donuts in NYC/NJ area)

2014-12-26

[] 英語と日本語

この数日、iPhone 6 Plusの操作にすっかりなじんでしまっていたら、今日久々にMacBook Proを開いて操作しようとした時に、「おや、画面を何度タッチしても全然反応しないじゃないか」と慌てたけれど、ああそうだこれはタッチスクリーンじゃなかったんだったと気づくまでに1分もかかってしまった。

日常生活の中で、脳内の英語と日本語のシステムを切り替えるというのは、同じパソコン内でMacとWindowsのシステムを瞬時に切り替えるようなもので、ちょっと混乱を覚える。なので一度英語環境になじんでしまうと、日本語を使う機会がめっきり減ってしまう。

アメリカ社会の特定の分野である程度認められるためには、やはり一つでもいいから英語を使って公の場に何らかの業績を残さなければならない。そう思って、この数年はあえて日本語を使わずに、文章を発表する時はなるべく英語で書いてきた。その集大成として仕上げたヴァンデルヴァイザー関連の長い英文エッセイが、去年surroundという音楽評論サイトに掲載され、それなりの評価を得ることができた(と思う)。とりあえず、英語圏に向けて何かを発信するという渡米以来の大きな目的は達成できたので、そろそろまた日本語を使い始めてもいい頃かなと思っている。

それにしても、このsurroundというサイト、重すぎてスマホ画面で見るのがつらい。早くさくさくしたスマホ版に切り替えてほしいものだ(と管理者にも依頼中)。


日本語と英語の間を行き来するというのは、自分のアイデンティティーが二つの世界の間を行ったり来たりすることでもある。日々英語のみの生活に慣れてしまうと、もうこのまま市民権を取ってアメリカ国民になってしまってもいいんじゃないかと思う一方で、こうしてたまに日本語を使ってみると、果たして自分が日本という国から引き継いできたものをそう簡単に断ち切ってしまっていいのなのだろうか…と悩んだりもする。それよりも、MacとWindowsの切り替えの達人を目指すように、日本人としての自分とアメリカ生活者としての自分の切り替えを、瞬時にささっと行える達人を目指すべきだろうかとも思う。


(追記:MacとWindowsという例えは、読み返してみるとあまりよい例えではないかも。個人的に英語も日本語も大好きだけれど、Windowsは好きではないし。システムの違いが引き起こす脳内混乱、という意味では良い例えかもしれないけれど。)

2014-12-25

[] 久々のブログとPB2400の話

はてなの有料オプションの期限がしばらく前に切れたのでそのままにしておいたら、いつの間にか広告バナーが雑草のようにはびこって見苦しくなっていたので、再びはてなプラスを申し込んで広告を非表示にしました。これですっきり見られます。

このブログも放置しっぱなしでなく何とかしなくては…と思って読み返していたら、今年はなんとたった3回しか投稿していなかったと知って唖然。この数年、英語圏で生活していく便宜上、どうしても英語を使うのがメインになっていたのですが、ふと気がつくともうずいぶん長いこと日本語で文章を書いたり日本語を話したりしていなかったなと、これも唖然。このままでは日本語の使い方を忘れてしまいそうなので、これからは時々リハビリのためにも日本語で書くようにします。日々の発信はツイッターなどの方が便利なので、ついそっちでつぶやきがちですが、このブログに投稿してきた過去のエントリーは、そのうち取り出してどこかにまとめておこうと思います。

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上の写真は、15年前に初めてニューヨークに音楽取材に来た頃に使っていたPowerBook 2400c。久しぶりに取り出して起動してみたら、なんとまだ生きていた。確か中古の機種で35万円位したように思う。よくマンハッタンのスターバックスやカフェに持ち込んで、CDウォークマンで音楽を聴きながら、前の日に取材したライブのリポートを書いたり、翻訳の仕事をしたりしていた。小振りで曲線のきれいなデザインとキーボードの軽いタッチが気に入っていて(本体は重いけど)、このPowerBookで文章を書くのがとても楽しかった。デジカメで撮影した画像をPowerBookに取り込んで、書きたてのライブ評をメールで雑誌社に送ったり、世の中、なんて便利になったんだろう…と当時は感動したものだけれど、今はiPhoneひとつでほとんどの仕事が済んでしまうのだからもっとすごい。

時代が変わっても一生心の中で愛し続けるデザインというものがあるとしたら、私の場合は、90年代に乗っていたホンダのビートと、このPowerBook 2400cかもしれない。iPhone 6 Plusも、いずれその殿堂入りを果たす日が来るかも。

2014-10-03

[] Michael Pisaro 'Continuum Unbound' (GW011-013) box set has released!

Michael Pisaro's new and the most ambitious works: 3CD box set 'Continuum Unbound' (GW011-013) just came out from our Gravity Wave label. The box set contains 3 CDs and a 12-page full color booklet of Michael Pisaro's essay. You can see the details of the box set and can order from here.

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Limited edition of 500 copies. ($50 plus shipping)


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