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仮面ライダーゴースト:1年間ありがとうございました!

仮面ライダーゴースト VOL.1 [DVD]

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夏映画の重要なネタバレをさくっとしています。
ついに、とうとう、終わってしまいましたね。1年というのは本当にあっという間に過ぎ去っていきます。全てではないものの、平成ライダーの1期・2期を経た流れでこの作品のことを考えてみると、心底『制約』感じた1年でした。
例えばそれは販促だったり絵や言葉の表現だったりしたわけですが、特に感じたのは設定への制約です。「ここに科されたら何も出来ない」という部分に制約がかかっているなと思わざるを得ない。
細かく上げればキリがないけれど、今回顕著に現れたのが誰もがつぶやかずにはいられなかったアレです。「タケルは死んでいるからご飯を食べることができない」。実際本編で食事のシーンがあるとタケル殿は1人離れたところで考え込んでいる、そこへアカリが優しく声を掛ける、という流れが何度かありましたが、とうとう上記のような説明がセリフでなされることはありませんでした。その代わりそれまで肉体を持たなかった者が空腹を感じる、という流れをアラン様やジャベルで繰り返し表現されてきました。たこ焼きやおにぎりというアイテムのキャッチーさが仇となったいい例ですね!(号泣)
じゃあ本当に一度も言われなかったのか?というと、実のところ夏映画の冒頭で普通にセリフとして言ってるんです。カノンちゃんの誕生日パーティーでたくさんのご馳走を前にして、最初はみんなとワイワイ笑顔で話しているんだけど、タケル殿はそっと席を立ち、そしてやっぱり慰めるように寄って来たアカリに言うんです。「早くみんなとご飯が食べたい、食事がしたい」って。で、まあ最終的にこの映画で何度目かの死を迎えるわけですけど()この映画の「生とは何か」へのタケル殿の答えがそのまま最終回に結びついているんです。「生きるっていうことは、食べることだ」と。
つまり、映画ではOKでテレビだとNGなんですね…な、なるほどー!(大号泣)なんとなく理由が想像できてしまうのも悲しいし情けないところで、「仮面ライダーがご飯を食べないのを子どもがマネしたら困る」という。。そもそもタケル殿の性格の設定が…その…年末にカノンちゃんを救ったあたりからちょっと違和感がありましたね…ええ…。
アレルギーを髣髴とさせる表現や「人間が人間を殺す」表現が規制されている、というのは小林靖子さんが雑誌のインタビューで応えていたことですが、「フォーゼで主人公のリーゼントに苦情が入った」というのを見て(これはソースが分からないけれど笑)私としては!このがんじがらめの中で!『生とは何か』という疑問に対し、どうにか物語を通してひとつの答えを導き出そうとして、結果ほとんどの事象がプリキュアよりふんわりとしてハチャメチャしちゃったけど類まれなる力技で素晴らしい100点満点の答えに帰結させた仮面ライダーゴーストを!素晴らしい作品だったと声を大にして言いたい!!!最後の戦いを終え、タケル殿が英雄たちに囲まれながら空を落ちてきて、突然気付くわけです、「死んじゃう!!」と。この1年間毎週のようにオープニングで見てきた空を落ちてくるタケル殿に合わせただけでも演出として素晴らしいのに、セリフとしてこれを言ってくれた途端完全に脳内でくすだまが割れました。本当にありがとうございます。もうね、おにぎりの食べ方を心得ている。西銘駿は、完全におにぎりの食べ方を心得ている。(大事なことなので2回言いました)
出てくるアイテムやキャラクターがキャッチーすぎて根底にあるメッセージがボヤけてしまったり、そもそもこのすったもんだって全部竹中直人(仙人)のせいなんですけど、もう今となってはそれが本来の物語だったのかどうかも怪しいですね!そしてこれは多人数脚本作品ではある程度起こってしまうことではあるんでしょうけどそもそも時間の使い方がヘタすぎた!!!!これはもうゴースト大好きだけどこれは!!もうなんの疑いもなく!!!へたくそ!!!!バカ!!!!大好き!!!!(病気)
ただ、本当の最終回に当たる引継ぎ回に対しての文句は的外れだと思うんです。ゴースト本編としては先週終わりましたし、「ファイナルステージ」の宣伝をする、という部分はすでに「ゴースト」という作品というより「会社のやり方」()ですので、そんなに見たきゃ見に行けばいいんですよとしか言えない。(過激派)基本的に「ない」のが当たり前の地方民なのでね…いや私の性格もあるけどね…。
まあそんなわけで、本当に!仮面ライダーゴースト、1年間本当にお疲れ様でした!!!私はこの作品が大好きです!!!!!!